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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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コミュ障二人 後

「まず言っておきたい」


 泣いている友人には目もくれないアイリーン、

憧れの英雄に関わる女神を前にすれば友情なんて実に儚いものだ。

 紫苑でも連れて来なければ彼女の注意を引くことは出来ないだろう。


「何?」

「師と弟子、それは相互の関係。

(訳:師と弟子と言うものは互いが納得した上でなるものであり、あなたは私の意思を無視して連れて来ました。

これではあまりにも不公平でしょう。だから、こちらから一つ条件をつけたいのですが構いませんか?)」


 普通の相手と交わすなら面倒極まりない短文会話も通じ合う者同士ならば便利なのかもしれない。

 此処まで言いたいことを圧縮して会話出来るのだからやり取りも早いだろうし。


「構わない。分かってる?(訳:構いません。ところで私の言う修行がどんなものかをちゃんと分かっていますか?)」

「実戦形式。(訳:実戦形式の殺し合いのような形で技術を叩き込んで行くのでしょう)」

「うん」


 そして、度合いによっては本気の殺し合いに変わる。

 アイリーンもそれは理解している、

何せ弟子の資格が有るか無いかを試すためだけにいきなり襲って来るのだからそれぐらいはして当然だ。


「で、条件は?」

「本気を出させる。(訳:私は自力であなたに本気を出させます。そう、完全な殺し合いの形まで)」


 大言壮語、そう受け取られかねない発言だ。

 実際、アイリーン自身も己とスカアハの技量が隔絶していると認めているのにこの発言なのだから。


「ふむ」


 スカアハの紅い瞳に稚気が滲む。

 やれるものならやってみろ、楽しませてくれ、指導した者が己を超えて行くのが楽しみなのだから。

 彼女のそんな目にますます気が昂ぶってゆくアイリーン。


「そして勝つ、あなたを貰う。

(訳:本気を出させた上で勝利してみせる。そしたら私と同化して貰います、力が欲しいので)」


 単純に神々とやり合うには出力が足らない。

 だと言うのにその神に、それもただの神ではなく旧く強き女神に勝つと言う。

 実に矛盾した発言だが今の自分ならばそれも出来ると断言する。

 憧れの影が見えるこの地でならば、限界を一つ二つ三つ、幾つでも超えられると確信しているのだ。


「構わない」

「握手(訳:まあそれはそれとしてファンなので握手してください。後、出来ればサインなんかも)」


 すっ、と手を差し出す。諸問題は置いといてファンなのは確かなのだ。


「うん」


 そう言ってスカアハが差し出された手を取った瞬間、彼女は空を舞い腹から叩き付けられた。

 これは大阪城内の庭園でスカアハがアイリーンに繰り出した技術の一つだ。

 受け身を取らせず、威力を十全に伝える投げ。

 刹那の間にやることが多過ぎて簡単には模倣出来ないこの業をほぼ完璧に再現してのけた。


 この事実が示すのはアイリーン・ハーンと言う少女の並外れたセンス。

 思考と反射が直結しているからこそ、繊細な動きすらも一瞬でやってのける。

 一回しか喰らったことがない、それを初めて試す、二つの要因が完璧の足を引っ張ったものの次は完璧にやれるだろう。

 スカアハは目をパチクリと瞬かせ、その瞳にアイリーンの不敵な笑みを映す。


「挨拶としては上々。サインは後でも良い」


 不意打ちがどうだのと甘っちょろいことを述べる者は誰も居ない。

 両者共にこれぐらいは当然だと心得ているからだ。

 特にアイリーンはかつての紫苑パーティとの戦いから見てもそれは分かるだろう。

 卑劣としか言いようが無い戦法を全肯定していたのだから。


「良い挨拶、礼儀もバッチリ」


 ぐるりとブレイクダンスのように身体を回して立ち上がり、スカアハは賞賛を口にした。

 そして同時に、投げた後に追撃を加えなかった生意気さに頬を釣り上げる。


「これでも礼儀正しい方だから」


 お前も投げた後に追撃を加えなかっただろう? その返礼だ――アイリーンは言外にそう告げた。

 勿論、スカアハもそれは分かっている。だからこそ、生意気なのだ。

 そしてこう言う跳ねっ返りは嫌いではない。


「感心」

「ありがとう」


 そんなやり取りの直後、アイリーンは純化を発動した。

 中国での戦いでも殆ど使わなかった純化だが、敵は雑多な英雄共ではなく女神スカアハ。

 最初から全力で行かねばならないのだ。一瞬でも手を抜けばその時点でやられる。


「先手は譲る」


 スカアハのその発言はアイリーンを下に見ていると言う何よりの証明だ。

 そして同時に、本気にさせて見ろと言う発破でもある。


「上等」


 槍を投げ捨てジャブを放つ。まずは徒手空拳からと言う意思表示だ。

 アイリーンとて現時点ではスカアハに勝てないことは自覚している。

 この戦いの中で強くなって彼の女神を踏破するつもりなのだ。

 ゆえに、学ぶ。戦闘と言うのは何も槍だけで行うわけではない。最初は徒手による技術を吸収させてもらう。

 そんな意思を込めてのジャブ、最速の一撃だったがスカアハはそれを見てから回避した。


「遅い」


 ジャブを躱し、アイリーンが一歩踏み込んだ分、一歩下がりながら同じくジャブを放つ。

 パン! と弾けるような音と共にアイリーンの首が跳ね上がる。


「ッッ!」


 今、アイリーンは一つ学んだ。速拳を放つ際の上手な脱力の方法である。

 スカアハを観察し、実際に喰らったことで学ぶことが出来て自分のものに出来た。

 ハッキリ言って頭おかしいんじゃねえの? ってレベルである。

 普通はそんな一瞬で要訣を掴めるわけがない。


「分かった……こう!」


 跳ね上がった首の勢いで身体ごと跳躍しグルリと一回転して着地。

 同時に再び一足飛びでスカアハに接近しジャブを放つ。


「そう」


 クリーンヒットはしなかったもののスカアハの頬に紅い線が引かれた。

 拳の先が掠ったことで出血したのだ。

 これだけでもほんの少し前と今の違いが分かるだろう。

 ほんの少し前は当てることすら出来ず、しかし今は当てることが出来た。

 シンプルな事実こそがアイリーンの成長を表している。


「……天魔ちゃんとかやったら分かるんやろか?」


 ギャラリーにならざるを得なかった麻衣からすれば二人の戦いも会話もまるで意味が分からないものだった。

 踏み込み、ジャブ、どれも視界に映らない。

 だと言うのに衝撃音やら出血が起こるのだからいよいよ以って置いてけぼりだ。


「つーか関係ないうちはどないせーっちゅうねん……」


 ぶっちゃけ大阪城に帰して欲しい。

 道中でもそれとなく告げてみたのだがスカアハにあっさりスルーされてしまい今に至る。

 ハッキリ言って手持ち無沙汰だ。まるでやることが無い。


「此処で……」


 前蹴りに前蹴りを合わせて足の裏で押し合いが始まる。

 膂力ではスカアハが勝っているのでアイリーンが押されるのは自明の理。

 それでも敢えて力比べに興じたのは試したかったから。

 自分が一分一秒ごとにどれだけ強くなっていくかを。


「此処で、クー・フーリンも?」

「鍛えてあげた」

「そう――――滾る!」


 グン! っと急激に増した力にスカアハが僅かに目を見開く。

 強くなっている、技術の吸収のみならず単純な身体能力までもが強くなっている。

 ほんの数秒前がアイリーン・ハーンの全力だったのに数秒後、上限が増えた。

 成長の早さは人間の特権とは言うがここまでとは――否、アイリーンだからか。


 自分の見る目が正しかったことを再確認し、微笑むスカアハ。

 同時に二人はまったく同じタイミングで足を引き足を止めての乱打戦を始める。

 五体をフルに活用して急所のみを狙った殺意に満ち満ちた打撃の応酬。


「……? 呼吸?」


 技術も何も無い乱打戦。しかしスカアハがまだ本気でないことは明白。

 つまるところこれも何らかの授業と言うわけだ。

 アイリーンは注意深く師であるスカアハを見つめて独特の呼吸を行っていることに気付く。

 アイリーンもすぐさま見よう見真似でスカアハの呼吸を真似て打撃を続ける。


「息を吸うタイミングが少し速い」


 上手に真似ている方ではあるが、完全に模倣出来ているわけではない。

 師としては間違ったまま覚えさせるなど言語道断。スカアハは適時アドバイスを入れていく。


「む、申し訳ない」


 鉄球に鉄球をぶつけ続けているような激音が響く中でも二人は互いの声をしっかり聞き取っていた。

 アイリーンは指摘通りに呼吸のタイミングを整えて再びリズムを合わせ始める。

 するとどうだろう? 下っ腹の辺りが熱くなり更に五体に力が漲り始めたではないか。

 それに、恐らくではあるが治癒能力も活性化している。


「私は武人だけど、魔術師でもある」

「知ってる」


 スカアハは魔術師でありながら武芸の方を得手とする何とも言えない女神である。

 でなくばクー・フーリンもこんなクソ面倒な場所に来て師事するわけがない。

 アイリーンと麻衣は直にスカアハと謁見したわけだが、本来ならばそれ相応の手順が必要なのだ。


「こうやって肉弾でやる方が好きだけど」

「知ってる」


 多くの魔術を修め、用兵に通じ、弟子育成能力も高いスカアハ。

 だが、神話に語られている人柄を見るに血の気が多いことは明白。

 殴り合いが好きと言われても別段驚きは無い。むしろ納得である。


「ホリンには魔術も教えた、だけどあなたは無理」


 感情的な問題ではなく、単純にアイリーンがそう言う方面の才能が皆無だから。

 が、こと白兵戦に関しての才で言うならば自身の一番弟子と何ら遜色無い。

 いや、この吸収の速度と純粋な人間であること考えればクー・フーリン以上かもしれない。

 こう言う極上の原石を磨き上げることはスカアハにとって何よりもの幸福だった。


「代わりに白兵の要訣を総て叩き込む」


 武器も槍だけでなく剣や戦斧、弓術に戦車の扱い方教えたいことは山ほどある。

 だが、アイリーンは槍を重きに置いており下手に教えても身にはつかないだろう。

 ゆえに白兵の要訣だけを教えることに決めた。

 呼吸、足捌き、重心移動、エトセトラエトセトラ――総てに応用が利く技術だ。

 それらを総て十全に修めたのならばアイリーンは……そう考えるだけでスカアハは楽しくてしょうがなかった。


「全部貰う。全部貰ってあなたを倒して紫苑の下に帰る」


 と、そこでスカアハは違和感に気付く。


「……ゲッシュ?」

「立てている」


 ゲッシュと言うのは各人が己に課す制約だ。

 しかし、今の人間に厳密な意味でのゲッシュは立てられない。

 ゲッシュを護り続ける限り与えられる恩恵、破った場合に訪れる禍。

 それらを与える神が存在していないからだ。かつてのように人と神が近かった頃ならばともかく今は形骸化してしまっている。


 だが、スカアハは看破した。アイリーン・ハーンがゲッシュの恩恵を受けていることに。

 しかし疑問が残る。一体誰がその恩恵を与えているのか。

 そして何故、此処に来てその存在を感じ取ることが出来たのか。

 魔術師とは学徒である。ゆえ、当然頭が悪ければ務まらない。


「……純化の恩恵、更なる進化」


 想い一つで何処までも強くなることが出来る、想いは力で、その分かり易い形が純化。

 これまでもアイリーンはクー・フーリンと同じゲッシュを遵守し毒を喰らうなど常に誠実であった。

 それは紫苑を護ると言うゲッシュに対しても同じこと。

 その誠心が純化の能力として発露したのだ――恐らくはクー・フーリン縁の地である此処、影の国に来たことで。


「理屈はどうでも良い」

「それもそう」


 スカアハは更にギアを上げた。途端に、アイリーンの攻撃が当たらなくなる。

 彼女はすぐにその理由に気付く――――足下だ。

 至近距離で足を止めて打ち合っているように見えるがスカアハ小刻みに足を動かしている。

 独特なステップが齎す幻惑により攻撃が狂わせているのだと看破し、


「成るほど」


 即座に自身も同じ動きをトレースし、返し技を考案し始める。

 共に当たらぬ状態にするなど愚の骨頂。

 スカアハも必ず自身の足捌きに対するカウンターを作っているはずだ。

 それを教えられるよりも前にアイリーンはものにし、クリーンヒットを得る。


「見事、槍を使う」


 互いに飛び退き、己が得物を手にする。

 スカアハが取り出したのは真紅の槍で、アイリーンはそれを見た瞬間、どうしても欲しくなった。


「欲しい?」


 意地の悪い笑みを浮かべてスカアハは自身が持つ槍を突き出した。

 それは銘も与えられていない槍だ。しかし、ただの槍ではない。

 スカアハがクー・フーリンに贈った魔槍ゲイ・ボルグの兄弟とも呼ぶべき一振り。

 ゲイ・ボルグ以上に使い手自身の技量を要求するものの、担い手次第ではゲイ・ボルグすらも凌駕出来る。


「くれる?」


 くれると言うのならば喜んで受け取るつもりだ。

 アイリーンはショーウィンドウ越しにトランペットを眺める少年のように目を輝かせている。


「戦利品の一つに加えてあげる」


 つまりは勝ってみろというわけだ。更にやる気を増したアイリーン。

 その闘志に呼応するように頬のラインがギラギラと強く輝き出す。


「いざ!」


 先手を取ったのはスカアハだった。

 これまで先手を取らせていたのに彼女から仕掛けた、それはつまり最初よりも本気を出していると言うことに他ならない。


「来い」


 スタンダードな、しかし速度も威力尋常ではない突きが放たれる。

 皮一枚分の距離を後退し槍がその身を貫く寸前で止まる――かと思われたがすぐに切り上げが放たれた。

 この手の使い方は基本中の基本、アイリーンも上体を逸らすことで何なく対応するのだが……。


「え」


 スカアハは切り上げた瞬間に槍を手放しその勢いのままに槍を一回転させた。

 同時に自身は深くしゃがみ込んでおり、低い体勢で逆になった槍を持ち替えて跳躍。

 アイリーンの顎が正しい位置に戻る瞬間を狙って下方から石突を叩き込む。


「ぐぅ……!?」


 顎を戻すタイミングに合わせて跳躍の勢いと共に離れた一撃だ、威力も尋常ではない。

 首がそのまま引っこ抜けるような錯覚に慄きながらアイリーンはスカアハの槍の柄を蹴り飛ばす。

 あわよくば得物を手放させ、そうでなくとも蹴りの反動で距離を取るために放った蹴りだ。


「槍の用途は単純。刺突、遠心力を利用して打つ、斬る、大雑把に言えばそんな感じ」


 だが、振り回すだけならば子供にでも出来る。

 槍を武器とするからにはその単純動作を突き詰めつつ、五体と培った戦闘経験による融合が必須。

 今スカアハが見せたもの正にそれだ。大まかな括りで言えば突き。

 だが、細部を見て行けばそれが高等技術であることは疑いも無い。


 最初の突きから切り上げ、あれは餌だ。

 それでダメージを与えられるほどアイリーンが弱くないことは明白。

 まず間違いなく防がれるか回避される。アイリーンがどちらを選択するかも読まねばならない。

 スカアハは突きを後退によって皮一枚で回避することを読み切った。


 そしてその後の切り上げもそう、今度は上体を軽く逸らすことで回避すると予測。

 槍を手放す際にはちゃんと一回転するように絶妙の力加減で柄を押さねばならない。

 押した後は槍が回転し終わるよりも先に屈まねばならないし、槍を受け取らねばならないのだ。

 更に言えばそれらのタイミングは総てアイリーンが上体を戻す前に行わねばならない。


 そして、戻るタイミングに合わせて全身のバネを使って石突を顎に叩き込む。

 一秒にも満たない刹那の中でそれら総ての高等技術が成された。

 槍と言う武器への深い理解、鍛え抜かれた五体とその操作技術、戦闘経験による予測。

 どれか一つでも欠けていたのならば完璧な一撃は放てなかっただろう。


「これが……槍」


 アイリーンは槍の担い手としてそれなりの自負があった。

 しかし、たった一撃で今まで己が振るっていた槍が児戯であることを嫌が応にも思い知らされた。

 スカアハは正に完璧だった。あくまで基礎の延長上にある卓越した技術。

 彼女が作り上げた武と言う結晶は目が眩むほどに美しい。


 刹那の中で教示されたものはアイリーン・ハーンの五体に深く染み渡ってゆく。

 そして、染み渡ったそれらは一瞬で血肉となり反映される。

 それこそがアイリーンと言う少女が持つずば抜けたセンスの証明だ。

 神魔の力を借りずに彼女を倒せる人類は皆無だろう。そう、例え世界最強と言われたアレクサンダー・クセキナスでも。


「堪能させてもらった、勉強になる」


 教える側としては何よりも嬉しい言葉だった。

 一分一秒ごとに成長してゆく教え子、出来の悪い子ほど可愛いと言うが出来の良い子はもっと可愛いに決まっている。

 その点で言えばアイリーンは極上だ。砂地に水が染み込むように教えたものを血肉にしてゆく。

 クー・フーリンは一年と一日と言う最短記録でスカアハの教えを修めた。


 彼は受け容れる器が大きかったので、あらん限りを与えたので時間はそれ相応にかかった。

 とは言えアイリーンが劣るかと言えばそれはまた別の話だ。

 修行と言うのは個人に合わせて行うものであり決して画一ではない。

 クー・フーリンはクー・フーリンの、アイリーンにはアイリーンの修行がある。


 ゆえに教える側は一年と一日と言う時間を見るのではなく吸収の速さを見るべきだ。

 そう言う意味で語るのならばアイリーンの速さは異常である。

 影の国と言う憧れの英雄縁の地で、彼を超えて幸せになると言う祈りを持つがゆえのブーストも当然ある。

 あるにしてもこの調子では一日とかからないだろう――破られなかった最短記録は今、破られようとしている。


「それは重畳。もう一つ、教えを授ける。これは槍だけでなく総ての武器に通ずる真理」


 自然と饒舌になり始めている己に気付き、スカアハは苦笑を浮かべる。

 幻想に貶められ、虚無の中で無為な時間を過して来た。

 しかしどうだ? 今、この時間は総ての無為を帳消しに出来るほど輝いているではないか。


「まず、その武器を知り尽くす」


 槍であるならばその基本動作を極めること。


「武器は武器、決して手足ではない」


 武器を己が手足の延長線上にあるものとして捉えてはならない。


「己を磨く」


 肉体だったり技術だったり経験だったり心だったり、

武器を扱う者が未熟であれば話にならないし基本動作を極めることも出来ない。


「その上で総てを異なるがままに合一させる」


 武器を己の手足の延長線上として捉えた場合は単色になってしまう。

 同じ色を何度重ねても同じ色にしかならない。

 しかし、異なる色同士を混ぜてしまえばまったく新しい色に変えられる。


「鍛え上げた五体、習得した技術、培われた経験、土台となる心、それら総てを武器に乗せれば……」


 その時こそ、総てが実を結び美しい色が浮かび上がるのだ。

 スカアハの教えが真理とは言わないが、そも武の極みと言うのは千差万別。

 仏教における悟りが総て同一ではないのと同じ。彼女の教えは確かに一つの正解なのだ。

 そして一は全に通ずると言う考え方からすれば、あるいはそれも真理なのかもしれない。


「言葉は尽くした、後は戦いの中で学んで」


 元々説明上手な方ではないし、アイリーンも言葉より身体で理解するタイプだ。


「うん」


 そうして再び戦闘を開始する。今度はこれまでのように言葉を交すことはない。

 己の総てを絞り出しながら新たな境地に至らんとする執念だけがそこにはあった。

 そうして、一時間か二時間か、時間の感覚すら曖昧になるほどに槍を交えた後、


「――――もう十分」


 アイリーンはその境地に至った。

 身体は傷だらけで服もボロボロ、それでもその顔は晴れやかで満ち足りている。

 そしてスカアハも、


「見事」


 修行の終わりを認めた。そして、此処から先は本気で戦わねばならないことを。

 スカアハは外套をはためかせ天空へと舞い上がりその周囲に幾つもの魔方陣を展開させる。


「どう捌く?」


 放たれるは幾つもの轟雷。収束された雷の槍が雨のように降り注ぐ。

 尚、麻衣は気付けばスカアハの魔術によって空に避難させられていて喚いているがガンスルーである。


「こう捌く」


 極自然体で、アイリーンは武器の教えを体現し槍を振るう。

 するとどうだ? 雷が薙ぎ払われたではないか。

 極限にまで研ぎ澄まされた状態でありながら自然体――何たる矛盾。

 今を生きる人間の中で一番武の高みに居るのは誰? と問われたら間違いなくアイリーンだ。

 とは言え、


「む」


 担い手が一流であろうとも振るう槍は特別と言うわけではない。

 いや、確かに質は良いし金銭価値も高いものだが所詮は金で買えてしまうもの。

 今のアイリーンが使うにはハッキリ言って不足だ。

 ゆえに今の一撃により決して小さくはない亀裂が刻まれてしまう。


「大変、でも容赦はしない」


 武器が壊れかけていようとも手は抜かない。

 むしろ、手を抜く方が侮辱に当たる。スカアハは情け容赦無く魔術の雨を降らせた。

 雷、炎、氷、風、土、ありとあらゆる属性の攻撃魔術が地上を蹂躙する。

 一応スカアハの住処でもあるのだが熱くなっているようでまるで気にしていない。


 アイリーンは降り注ぐ破壊の雨を総て薙ぎ払うもののその度に亀裂が深くなってゆく。

 このままではジリ貧だ。かと言って彼女に空を飛ぶ術は無い。

 さあてどうしたものかと考えていると、何時だったか天魔から聞いた戦法が頭をよぎった。

 アイリーンは槍を手放し雨を潜り抜けながら両手で持てる限りの瓦礫を拾い集める。


「……これは、驚いた」


 飛び上がったアイリーン、回避不可の攻撃があると見るや手に持った瓦礫を一欠片手放してそれを足場に方向転換。

 瓦礫が尽きるまでそれを繰り返し、スカアハへと接近。

 彼女をしてこう言う発想は無かったようで目を白黒とさせている。

 まあ、神クラスともなるとデフォルトで飛行能力を備えているので無理はない。

 瓦礫を足場にすると言うのは人間の発想だ。


「友達のパクリ」


 完全に頭上へと躍り出たアイリーンは槍を召喚して渾身の一撃をスカアハへと叩き付けた。

 スカアハは槍を掲げてその一撃を受け止めるが、流石に威力があり過ぎたらしい。

 耐え切れずに地上へと真っ逆さまだ。

 飛行によって抵抗することも出来ずに地上へと叩き付けられたスカアハ。

 だが、同時にアイリーンの槍も限界を超えて砕け散ってしまう。


「織り込み済み」


 それでもアイリーンからすれば槍の崩壊も想定内のことだった。

 空中に浮遊し、落ちてゆく槍の欠片を蹴って再び地上へと降り立ち、


「あ、泥棒」


 ダメージが抜け切っていなかったスカアハの手から無銘の槍を奪い取る。


「前払いで貰うだけ」


 スカアハは即座に槍を呼び戻そうとするが、何の反応も無い。

 それは槍がアイリーンを担い手として認めていると言うことだ。


「私の勝ちはもう覆らない」


 再び天空へと逃れたスカアハを見据え、アイリーンは自身の勝利を宣言する。

 もう瓦礫を拾い集めて空を駆ける必要は無い。

 スカアハを打倒するために必要なものは総てアイリーンが持っているから。


「――――」


 それはスカアハが攻撃どころか呼吸をするのも忘れるほどに美しい投擲だった。

 無銘の槍は放たれた瞬間から百に分散し、スカアハへ殺到する。


「……成るほど、確かに覆らない」


 防壁を張る、魔術で打ち落とす、そんな手段ではどうにもならないと悟ったスカアハは静かに敗北を受け入れた。

 同時に百の魔槍が急所と言う急所を総て穿ち貫き、致命の傷を与える。

 回復も――出来ないこともないが、する気すら起きないほどに美しい業だった。

 恐らくは生涯最高、同じことが出来るかと言えばかなり難しい一瞬の奇跡。

 端的に言ってスカアハは教え子が見せた煌きに魅せられてしまったのだ。


「でしょ?」


 落下して来た穴だらけのスカアハをアイリーンは両手で抱きとめた。

 優しく包み込むように、そっと労わるように……。

 これは礼儀だ、素晴らしき好敵手であり尊敬すべき師に対する礼儀。

 


「私の勝ち」

「ええ、あなたの勝ち」


 それを認めないほど狭量ではない。

 まだ戦えるとかそう言う問題ではないのだ、心が敗北を受け入れたのならばそこで終わり。

 そしてスカアハはアイリーンの勝利を認め、敗北を受け入れた。

 そこの誤魔化しを入れることは到底出来ない。


「でも、勝てたのはあなたのおかげ」


 アイリーンは満面の笑みを浮かべ、


「ありがとうございます師匠、あなたの教えは確かに受け取りました」


 最大限の敬意と共に感謝の言葉を口にした。

 スカアハとの戦いが無ければ、決して至ることは出来なかった境地。

 自分を見出して弟子としてくれたからこそ得られた勝利。

 共に過した時間は彼女の愛弟子クー・フーリンに比べれば短かったものの密度では負けていない。


「うん、確かに授けた。受け取ってくれてありがとう」


 連れて来た甲斐があった、久しぶりに充実した時間を過せた。

 教育ジャンキーにとっては何にも勝る幸福な時間だったと、スカアハもまたアイリーンに感謝の想いを告げる。

 言葉は少ないが、このコミュ障師弟にとってはこれで十分だ。


「サイン、書く時間は無いけれど……」


 最初の冗談染みたやり取りを覚えているとは中々に律儀な女である。


「良い。それ以上を貰ったから」

「そう……でも、約束は果たす。槍と、もう一つ」


 アイリーンと同化し力を貸す――スカアハはその契約を違えるつもりは無い。

 勝利に報いるは敗者の義務である。それを疎かにすることは自分を貶めるのと同義。

 それに、約束を違えてこのまま死んでしまっても復活にはかなりの時間を要する。

 その時にまた新たな弟子を探してもアイリーン以上の人間に会えるかは分からない。


 であればこのままアイリーンにくっついて行った方が楽しいに決まっている。

 教えられることは総て教えたとは言え、彼女はまだまだ発展途上。

 その成長を見届けたいと思うのは師匠としては当然である。

 結果として人間側に着くことになるがそれも問題は無い、スカアハは特別人類に怨みを抱いていないのだ。


「ありがたく」

「うん」


 スカアハの身体から飛び出した影が自身とアイリーンをすっぽり包み込む。

 そうしてジワジワと彼女の中へ溶けていき、総てが取り込まれ影が晴れるとスカアハの肉体はすっかり消え去ってしまう。

 無事に同化を果たしたらしく、アイリーンの右頬にはケルト十字にも似たタトゥーが刻まれていた。


『調子はどう?』

「ん、悪くない」


 純化を解除したことでドっと疲労が押し寄せて来たものの、戦いの中で負ったダメージは同化の際に消えた。

 疲れてはいるが、戦えないほどではない。


『これからよろしく』

「こちらこそ」


 と、互いに挨拶をし終わったところで空から声が響く。


「そろそろうちも降ろしてくれへんかなぁ!?」

「あ」

『あ』


 すっかり忘れ去られていたようだ。

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