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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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168/204

I LOVE YOU

 風に吹かれて痕跡一つ遺さず消え去ってしまったアレク。

 遂に完成を見た聖槍を握り締め、大地に立ち尽くし黙祷捧げる紫苑。

 仲間達もそれに倣い、静かに祈りを捧げているのだが……。


「……(聖槍完成させただけかよ。これ扱う俺は脳筋じゃないから直接戦闘能力無いし意味無いじゃん)」


 紫苑としては本当にもう心底ガッカリしていた。

 戦闘能力皆無な自分に聖槍を渡されても何の役に立つのか。

 聖槍に祈れば忌まわしき甲殻類を消してくれるの? こんなもん渡されても意味ねえよと不貞腐れている。


『これで、聖槍は完成した……良い仕事してくれたよ、アレクサンダー・クセキナス』


 一方のカス蛇はこの上ないほど上機嫌だった。

 パリで四色を揃えてから三ヶ月近く経ってようやくだ。ようやく五色が揃い黄金へと至った。

 しかも最後の五色を添えたのはカス蛇の期待通りにアレクで、それもまた嬉しい。

 彼ならばやってくれると信じていたのだ。


 一度完全に死んでも、気力で道理を捻じ伏せて黄泉より帰って来ると。

 神の子ほど完全ではないものの一度死を経験した魂は凄まじい熱量を秘めていた。

 その熱量を総て注ぎ込み、注がれた赤。

 担い手である紫苑ことも相まって完成した聖槍ロンギヌスは神の子を貫いた時よりも力を秘めている。


 これで殆どのピースは集まった。描きたいものはもうすぐそこだ。

 十年という時間も必要無い。恐らくは、もうすぐ扉が開く。

 旧き神話は消え去り、新しい神話を紡ぐ時がやって来るのだ。

 真実を知る者には酷く滑稽だが、春風紫苑を知るのは己のみ。他の者達は気持ち良く夢に酔い痴れることが出来る。


『あの時渡せなかったものもようやく……』

「(つーかさ、何時まで黙祷してりゃ良いの? 俺もう帰って風呂入って夢の世界に逃げたいんだけど……)」


 止め時が分からない黙祷に苦しむ紫苑。

 誰かそろそろ帰ろうよって言え! と身勝手なことを考えていると……。


「(ん?)」


 戦闘組が紫苑を護るように移動し、戦闘態勢に移行し始めていた。

 突然のことに紫苑と麻衣の非戦闘組は目を白黒させることしか出来ない。


「――――そう身構えるなよ、ちょっと挨拶に寄っただけなんだから」


 警戒の理由が姿を見せる、アレクにフラれたカニだ。

 空から降り立った甲殻類は値踏みするように紫苑を見つめている。


「……カニ」


 紫苑パーティの中で真っ先に口を開いたのは紗織だった。

 が、何を話せば良いかまとまらなかったのか結局は名前を呼ぶだけだったが。


「やあ紗織。御噂はかねがね。随分いきり立ってるが、此処でやるってのか?」

「御望みとあらばそっ首、跳ね飛ばしてあげますよ」

「強がり言うなよバーカ。そもそも、今日はもうロクに力も振るえないだろう? そうなるように手配したんだからなぁ」


 裡に潜む女神の力、純化の反動、今の醍醐姉妹の戦闘力は戦闘組の中で一番低い。


「馬鹿ですね。理屈でどうにかならないものをあなたも見たでしょう?」


 アレクのことだ。死体の傍に居たであろうカニならば当然知っているだろう。


「フフ……まあ、そうだな」


 一本取られたと言うような気の抜けた笑みを浮かべるカニが、どうしようもなく癪に障る。

 それがこの場に居る者達の総意だった。

 ルドルフやルーク、麻衣は単純に義憤から。残るメンヘラーズは自分の男に危害を及ぼすかもしれないから。

 そして紫苑は単純に自分の邪魔だから、三様の敵意を向けられているカニだがそれでも彼女は柳に風とばかりに受け流している。

 まあそもそも他人の敵意にどうこうするような輩が十億の命を磨り潰せるわけない。


「息を吹き返して向かった先が此処で、遺したものが……予想は着いてたけどそれか」


 紫苑の手に握られている黄金の聖槍を見つめるカニの瞳は何処か遠くを見ているようだった。

 当人とラプラス以外には分からないことだが、彼女は一度完全な聖槍を目にしている。

 並行世界の春風紫苑が振るっていた聖槍だ。


「私と春風紫苑がどうあっても殺り合うように、その槍も必ずアンタのところに収まるんだな」

「(何言ってんだメーン?)」

「まあ、私が見たのより随分と強い輝きだが……」


 その理由にも想像はつく。あちらの春風紫苑は恐らく独力で黄金の光を灯したのだ。

 だが、この紫苑は独力ではなく他者の想いを束ねて絆の黄金を成した。その差異が現れたのだろう。


「葛西二葉、何をしに来た? 此処で邪魔な俺達も一掃しようってか?」


 そんな意図が無いのは紫苑にも分かっているが、

一応本人の口から聞いておかねば安心出来ない小物、それが春風紫苑である。


「キヒヒ……んな気はねえことぐらい分かるだろ?

此処で何が何でも勝つつもりだったならあのオッサンが蘇った段階で即殺してたよ」


 確かに意表を突かれたもののカニは追おうと思えばアレクを追うことが出来た。

 そして殺すことは十二分に可能だった、しかしそれをせずわざわざ予想していたというのに聖槍完成を止めなかったのは何故か。

 その意図は明白だ。今回のアレク殺害もそう、一連の事象は総てそこに帰結している。


「よう、追い詰められたな大将」

「(あぁ……もっと前に綺麗に死んでおくべきだった……)」


 豚は太らせてから殺す――かつて紫苑はカニの静観をそう表現していた。

 そして今日、太らせた豚は殺され肉となりペロリと平らげられてしまった。


「これから、荒れるだろうなぁ……これまでが良かっただけに、今回の一件は効いただろう」


 カニ自身もこれで手を緩める気は無い。

 明日の朝にでも更なる追撃をかまして世界を引っ掻き回すつもりで居る。


「……」


 仲間達を手で制し、ゆっくりと一人でカニに歩み寄る。

 勿論何も考えていない。ただ単純にカッコつけとかなきゃいけないと思ったからだ。


「人間大好きッ子のお前からすれば、私なんて認めるわけにはいかんだろ?

排除しなきゃだよなぁ……じゃなきゃ、これからもっと酷いことになる。

クッソくだらねえ倫理道徳を捨ててお前が掲げる人類愛を見せてみろよ。

私が十億磨り潰したんならお前は二十億磨り潰して向かって来い……なぁに安い犠牲だろう。

それだけの厄介さがあることは明白だと思うがね、自分で言うのも何だが」


 ケラケラと玩具を与えられた子供のように無邪気に笑うカニは何処までもおぞましい。

 内面を見せないだけ紫苑の方がどれだけマシかがよく分かる。

 自身の性を隠すことなく発露し、そのためにあらゆるものを踏み躙る――外道の所業だ。


「……ああ、そうだな」


 とは言うものの、紫苑はカニを排除する具体的な絵を描けずに居た。

 今日は仕掛けて来ないという時間的猶予が頭を鈍らせているのだ。


「何を踏み躙ってでもお前をどうにかしなきゃいけないって今ほど強く想ったことはないよ」


 それは紫苑らしからぬ言葉だった。

 仲間達は一瞬そのことに驚くものの、すぐに苦い顔に変わる。

 これだけの体験をしたのだ。かつてないほどに怒っているであろうことは想像に難くない。

 そんな紫苑にどんな言葉をかければ良いのか、誰一人として分からなかった。


「ほう、ほうほうほう! そりゃ良い、そりゃ嬉しい。私も頑張った甲斐があるってもんだ」


 カニは紫苑の言葉と、感じる決意の重さから好感触を感じ取った。

 余計なものを切り捨ててようやく純なる存在に至る覚悟が出来たのだと。


「頑張ってしたためたラブレターだったからなぁ……しっかり想いを酌んで貰えて女冥利に尽きるとはこのことだ」


 愛しき敵手よ、いい加減に気合いを入れて本気で自分と向かい合ってくれ。

 そうして私に最も欲している勝利を捧げてくれ。

 夥しい量の血と屍で綴られたI LOVE YOU――これほど嬉しくない恋文もそうは無いだろう。


「ん……!」


 カニは蕩けた笑みを浮かべて紫苑に口づけた。

 触れるだけのソフトなキス。柔らかな感触と甘い香りに秘められているのは恋慕などという可愛いものではない。

 次はお前だ、ようやくお前だという傍迷惑な宣戦布告である。


「素っ気無いお前を追うばかりの私がようやくお前に追われる立場になれた……頑張って私を引き摺りだしてくれよ」


 背を向けて夜に溶けたカニ、幻想の領域に帰ったのだろう。

 これでようやく、長かった戦いは本当の意味で終わりを迎えた。

 喪ったものは数えるのも馬鹿らしいぐらいで、明日からを思えば眩暈がしそうだ。

 それでも今は……。


「――――帰ろう」


 家に帰ろう、俺達の家に帰ろう。

 明日からも戦いは続く、ならば今は心休まる場所で羽を休めなければならない。

 紫苑の言葉に頷き、一行は日本へと帰還する。

 帰還用に渡されていた使い捨ての符があったので戻るのは一瞬だったが、報告しなければならないことは山ほどある。


 絡み付く疲労の毒に苛まれながらも必要最低限を済ませて拠点に戻ることが出来たのは二時を回った頃だった。

 全員が何も言わずにそれぞれの部屋へ戻り、ベッドに倒れ込んだ。

 自然な睡眠に身を委ねるのならば戦っていた者らが目を醒ますのは夕方くらいまでかかるだろう。

 それほどの激戦だったのだ――尚、紫苑はそこまで頑張っていない模様。あくまで頑張っているように見せただけである。


「(……タイムスリップ)」


 余力のある紫苑はシャワーを浴びてからベッドに寝転んでいたのだがどうにも眠れない。

 天井を仰ぎながら突然口にした言葉はまったく意味の分からないものだった。


『はい?』

「(時を遡ってあのクソ甲殻類を赤ん坊のうちに殺して未来を変えよう! 流石俺、ナイスアイデア!)」


 良いナイスアイデアというより馬鹿な妄想バッドトリップである。

 決して頭が悪いわけではないのに、どうして時たまこんな発想をマジで口にするのだろうか。


「(何でもありの今の世の中だしタイムマシン出せやカスえもん!!)」


 無茶を言うな。


『いや、そんなこと言われても……』


 カス蛇も本気で困っていた。本気でタイムマシンを所望する馬鹿に対してどう対処すれば良いか分からないのだ。

 こんなんグーグル先生に聞いても答えは返って来ないよ。


「(そうすれば今日の悪夢は消える! ついでに俺の周りに居るクソ共との出会いもなかったことにしよう!

勿論お前との出会いもな! 全部全部無かったことにして俺は俺のために幸せを得るんだ!!

今がおかしいんだよ。これだけ素晴らしい俺が幸せじゃないってどう考えても世界狂ってるよ!

幻想回帰どころの騒ぎじゃないだろ常識的に考えて。宇宙開闢からやり直すべきじゃね!?)」


 こんな頭が痛くなるような妄言を本気で言ってるのだから救えない。

 自業自得の今を世界のせいにするとかどれだけ軟弱なんだこの男は。

 仮に宇宙開闢からやり直したとしても無駄だろう。

 どんな細かな差異があっても、絶対に現状に満足出来ないのがこの男なのだから。


『そんなことより建設的なこと考えようぜ。あの甲殻類をどうするかとかさぁ』

「(だからタイムマシンだって言ってんだろ!)」


 だからそんなもん無いつってんだろ。


『いやいや、リアルな感じだって。何かねえの?』

「(あるわけねえだろ! 完璧な俺だって何でも出来るわけじゃねえんだぞ!!)」


 こんなにも短い発言の中にここまで矛盾を孕ませられるのは最早ある種の才能である。


『またまたぁ……そう言っても何だかんだ言って、お前は活路を開くんだろ?』


 それは絶対の信頼だった。

 春風紫苑というものの表層だけを見て縋っている者らとは違う、総てを知った上でカス蛇は信じているのだ。


『ま、今思いつかないってのはしゃあねえよ。今日は色々あって疲れてるしな……ゆっくり休むが良いさ』

「(寝られねえんだよ……ストレスがマッハで……)」

『ああそう……じゃあ、もう少し話すか。なあ、カニへの対応は思いつかないとしてもさ。

これからカニがどう動くかとかは分からんのか? 俺様にはイマイチ想像つかんのだけど』

「(あの甲殻類がどうするかって? そりゃまあ、それぐらいなら……)」


 長期的なものならばともかく、明日――というより今日、カニがすることぐらいならば予想はついていた。

 もし紫苑が彼女の立場で世界を引っ掻き回すとしたら、そう考えればやることは一つしかない。


「(あの太極図が空に浮かぶちょっと前……中国のあっちこっちで人が行方不明になったらしいな)」

『ああ。即席の仙道を仕立てるためだろうな。あの術式は幻想側からの干渉と現世側からの干渉で成ってたし』


 現世からの干渉をするための人員して行方不明になった人々は利用されたのだ。


『で、それがどうしたのよ?』

「(別に術の原理やらどうやって即席仙人を作ったかなんて問題じゃねーんだよ。

着目すべきは一般人をそういうのに仕立て上げられるってことだ。

一般人を幻想サイドの存在に塗り替えるような真似が出来るならそうして侵略すれば良い。

が、そうしなかったのは奴ら、天然ものの冒険者以外は認めてねえってこった。

まあその冒険者も幻想側が勝利した後でもいずれは処分されるんだろうが……まあそれは関係ないな)」


 今論ずるべきはそこではない、脱線しかけた話を軌道修正する。


「(大事なのは認めてないってことだ。認めてないってことは今回仙人になった奴らはどうなる?)」

『そりゃまあ……処分されるだろうな』

「(もっと踏み込め。ただ殺すだけで良いのか? もっと利用価値があるだろうよ)」


 愛とか正義とか表向きはそういう綺麗なものを体現しているのに中身は真っ黒だ。

 ただ殺すだけで良いのか? 利用価値がある? 素面でこんなこと言えるのは悪党だけである。


「(人間への嫌がらせ、更に人間の世界を引っ掻き回すにはどうすれば良い?

俺なら放流する。まとめてじゃなくてバラけて各国にな。

そしてばら撒く前に幻想御得意の強制放送をする。これから印を刻んだ人間を放流しまーす。

頭に太極の印が押されてる奴らでーす。そいつらが今回の事件を引き起こした奴らでーす。

どうするかはそちらに任せまーす。どうぞ御自由にしてくださーい……ってなぁ。

ちなみに印ってのはあくまで例えだぞ? 一目で誰の目にも判別出来る何かをしてってことだ)」


 さあ、そうなればどうなるだろう?


「(十中八九、世界各地で中国の事件に関わった連中への私刑が始まるな。

宣言された後でいきなり放り出されたら官憲もすぐには対処出来まいよ。

怒り狂った多数の暴力に蹂躙されて関わった連中は無残に殺されるだろうて。

官憲が動いても保護に動くかどうか……何せ、官憲も人間だからなぁ。感情的にゃあ私刑する側だろうよ。

そうやって世界のあちこちで箍の外れた暴力の花が咲く――――が、本命はそこじゃねえ)」


 本命は花が咲き乱れた後にこそあるのだ。

 語るのもおぞましいことだが、紫苑はとことんフラットである。

 冷静に人間の醜さというものを直視して、そうなるであろう未来を予期し、その上で無関心を決め込んでいる。


「(関わった連中が皆殺しにされたとしても、酷いのはそっからだ。

人類の裏切り者って大義名分の下に殺しをしても、結局のところ暴力は暴力。

外れた箍を嵌め直すにゃそれなりの秩序ってもんが必要でな。

だが、今の世界情勢はどうだ? 一国が滅んだ後だぜ? 秩序もクソもあるか。次は我が身かもしれんのに。

そうなると箍が完全には嵌めな直されず緩んだまま――――情勢不安と相まって人間は自棄になる)」


 そして自棄になった人間は何をするだろうか?

 泥棒とかそういう軽犯罪ならばまだ良い。重犯罪が各地で始まることは予想に難くない。


「(およそ想像し得るだけの人間の悪徳が噴きだすだろうなぁ……。

為政者が収拾に動くだろうが無駄だ。だって奴らは大多数を安心させる武器を持ってないんだから。

明日、我が国が中国と同じ状況になったとしてどうにかなるんですか?

そう問われて答えを出せる為政者は今、世界中の何処にも居ない。取り締まるべき官憲もそうだ。

大多数の官憲は別に正義だ道徳だののためにその職を選んだわけでもないし、当然やる気を失くす。

だって明日もロクに見えないんだから。薄ら寒い正義とやらのために官憲やってる連中も同じだ)」


 未来への希望が見えない状況でも尚、正義を掲げられる強い人間は圧倒的少数だ。

 大多数は弱い人間で、弱い人間は悲観し、流されるがままに何でもするようになる。


『……未曾有の大混乱が起こるな』

「(起こるよ、だからやるんだよ、あの女は。

幻想側からしても良いこと尽くめだから協力しないわけがねえ。

反吐が出るほど大嫌いな人間が酷く滑稽なダンスを踊ってくれるんだからな。

感情的にも満足出来るし、利まである協力しない理由が何処にある? 喜んで協力するわこんなん)」

『本当に恐ろしいな……』


 目と鼻の先にある大混乱が――ではない。

 こんな外道策をあっさり思いつくような紫苑やカニが恐ろしいのだ。

 大抵の人間が備えているはずの箍が完全に存在していないから発想が狂っている。

 紫苑とて見栄や保身という性が箍の代替を果たしているだけで、このような策、思いつくだけならば幾らでも思いつくのだ。


『お前は……お前は本当に、人間を良く知っているよ』


 紫苑が語ったことは筋道立てて説明されれば誰にでも理解出来ることだ。

 しかし、聞くまでは分からない。分からないというより思いつかない。思いつかないというよりはわざと考えないようにしている。

 何せ紫苑が今話したことは人間の愚劣さを象徴するものだから。

 そして人間というやつはどうしたって自身の愚かさを認めることが出来ない生き物だ。

 ゆえに、無意識のうちに理解していながらもいざその時が来るまでは自分達の愚かさが招くものを想像出来ない。


「(んで、この策の厄介なとこは対策が出来ないってことだわな。

仮に今俺が話したことをお偉いさんに進言したとしよう――――何が出来る?)」

『何も……出来んわなぁ……有効な手立てがあるわけでもねえし』


 少なくともカス蛇には思いつかなかった。

 未然に防ぐにしても初動は完全にあちら側で、此方は後手に回らざるを得ない。

 絶対に取れない先手、後手に回れば何も出来ない――見事な八方塞である。


「(だろ? だからやるんだよ)」


 これからベリーハードモードに突入するであろう人類。

 そして人類の側で戦わなければいけない紫苑。

 彼は先のことが見え過ぎているがゆえに現実から逃げていたのだ。

 まあそれでもタイムマシンやら世界に対する責任の押し付けはどうかと思うが。


「(何が酷いって、そんなことをしなくても人類を滅ぼすことぐらい余裕なのが連中なんだよ)」


 圧倒的優位に立っているのが幻想で、圧倒的劣勢の中で喘いでいるのが人類なのだ。

 最初から詰んでいる盤面を覆そうとするならば盤面を叩き壊すくらいしか方法が無い。

 が、それを成せるだけの力が人類には無くて、どうしようもなく詰んでしまっている。

 アレクが居なくなったことで矢面に立つのは間違いなく自分であることを紫苑も自覚している。


 しかし、こんなクソゲーの主役を張るようなマゾい趣味は持ち合わせていない。

 かと言ってそれを降りることも出来ない、春風紫苑の性がそれを赦さないのだ。

 正義であるがゆえに取れる手段が限られている、誰かがそんなことを言った。

 紫苑という人間も正にそれだ。自身の性を捨てられないがために雁字搦めになっている。


 死という安易な逃避ですら、ただ死ぬことを嫌うがゆえに出来ない。

 死ぬのならばトコトンまで自分を飾り付けねばならないからだ。

 性を捨ててしまえば本当に簡単に楽になれるのに、どうしたってそれが出来ない。

 苦しみの海の中で喘ぐことを決定付けられたような生き方だ。


「(何もかもが馬鹿らしくなって来るよな……つーか、お腹空いた。

でもこの時間に食べると太るかもだしぃ……俺のパーフェクトなスタイルが崩れるのもなぁ……)」


 悲観的なことを囀っていたかと思えばこれだ。


『お、お前……何と言うか……図太いにもほどがあるだろ……』


 呆れながらも愛しさが止まらない。

 こんな人間に出会うことは後にも先にも無い、カス蛇は改めて自身の幸福を実感した。


「(まあでも頑張った自分への御褒美に今日だけは良いか)」


 背筋でベッドを沈ませ、勢いよく跳ね上がりベッドから飛び降りる。

 スリッパを履いて部屋を出る紫苑。

 ペッタラペッタラ廊下を歩いて食堂の扉を開き電気をつけようとするのだが、


『どうした? 電気つけないのか?』

「(……厨房の方をよーく見てみろ)」


 不幸にも夜目が利く紫苑はそれを見つけてしまう。

 このまま踵を返して部屋に帰りたいが、目が合ってしまったのでそれも出来ない。


『うわぁお……』

「ま、麻衣! お前、何やってるんだ!?(うわぁ……最悪だ。まだ面倒ごとが続くのかよ……)」


 電気をつけることもなく厨房に踏み入る紫苑。

 厨房に居た先客麻衣は虚ろな目で包丁を手にし、自身の喉元に刃先を向けていた。


「おい、聞いてるのか!?」


 包丁を握る麻衣の両手を自身の両手で包み込み刃を押し止める。


「麻衣……麻衣!!」

「……」


 自殺を止められた麻衣は虚ろな瞳で沈黙を返すだけだ。

 紫苑はわざと大声を出して、他の連中が起きて来るのを期待しているのだがそれは叶わぬ願いらしい。

 それほどまでに戦闘組の疲労は重く深いのだ。


「(ど、どんだけメンタル弱いんだこの女……!)」


 湿り気を帯びた髪、熱を帯びた肌、ショートパンツにTシャツという寝間着姿。

 紫苑は総てを察した。拠点に帰ってシャワーを浴びて寝ようとしたのだろう。

 だが、就寝しようにも出来ず、それどころか暗闇の中で悪夢のような光景がフラッシュバックし始める。

 一度落ち着いたことで余計に克明に見えて来るのだー―無数の死が。


 桝谷麻衣という少女の心はそれに耐えられなかった。

 あまりにも凄惨な一日が少女の心を砕き、どうしようもない絶望を刷り込んだ。

 刷り込まれた絶望は麻衣に死という逃避を促した。その結果がこれだ。

 しかしこれをメンタルが弱いと片付けるのは酷だろう。


「みんな……みんな、しんだんや……」


 うわ言のように死んだ死んだと繰り返す麻衣。これだけでも相当心がやられていることが分かる。

 PTSDなんて言葉では生温いほどの傷が彼女の心に刻まれてしまったのだ。


「(だからどうしたってんだよバーカ)」


 これが寿命や病、事故のようなものならば良かった。

 そういう死はこれまでも身近に溢れていたから。だが、今日死んだ者らは違う。

 明確に、他者の悪意の下に無残に殺された。

 自分もああなるかもしれない、自分の大切な人もああなるかもしれない――暗い想像が頭から離れない。

 その場面を想像したくもないのに想像してしまって、その結果死にたくなる。

 麻衣は今、とことんまで追い詰められていた。


「こ、これからも……もっとしぬ……もっところされる……!」


 手を振り解き、再び刃を突き立てんともがく麻衣を必死で押し止める――フリをしている紫苑。


「(今更だろうが。つーかこれまでも世界中で人は死んでたよ、殺されてたよ)」


 言葉で諭すにしても今は無理だ、まずは会話を出来る状態にしなければ意味が無い。

 そう判断した紫苑は左手で麻衣を抑えつつ、右手で包丁の刃を握り締める。

 手の平が裂けて赤い血が滴り、麻衣の手を濡らしてゆく。

 赤い紅いあかーい水は今日腐るほど見たもので……。


「ぁ」


 血に濡れた麻衣は包丁を離し、怯えた猫のように後ずさる。

 カタカタと震える身体、歯は噛み合わなくて顔面は蒼白。

 それでもその瞳には僅かながら理性の輝きが戻り始めていた。


「ご、ごめんなさい……」


 おそるおそる、紫苑の手を握り回復魔法をかけようとするが発動せず。

 未だに魔力が回復していないのだ。


「(カッス、治癒能力活性とか出来ないのお前?)」

『出来ませんね』

「(ホント使えねえ!)」


 仕方ないので厨房に設置されている薬箱から消毒液と包帯を取り出し応急手当をする。

 その間麻衣は俯いて黙り込んだまま、これがまたとても居心地が悪い。


「少しは、落ち着いたか?」

「……うん」

「医務室に睡眠薬があったな。持って来るから今日はそれを飲んで寝ると良い」

「……何も言わへんの?」

「何を言えば良いか分からない。今日はあまりにも色々あり過ぎた。俺だって……かなり参ってるからな」


 思わずタイムマシンを求めてしまうほどに参っていた。

 思わず自殺してしまうよりかはかなりマシだが、それでも超アホっぽい。


「だが、敢えて言わせてもらうなら……麻衣、お前はもう戦わなくて良い」

「――――」


 見捨てられた、麻衣からすればそう受け取ることしか出来ない言葉だった。

 まあ見捨てるも何も基本的に紫苑は誰も彼をも見限っているので今更っちゃ今更だが。


「い……あ、うぁ……」


 何かを言おうとしても言葉にならない。

 麻衣は捨てられた子犬のような瞳で紫苑に縋り付くことしか出来なかった。


「今のまま麻衣が戦場に出れば……必ず死んでしまう。何も知らない人間が死ぬだけでも辛いんだ。

この一年、ずっと一緒だった麻衣が死ねば……俺はもう、本当に戦えなくなってしまう……」

「で、でも……それは他の皆も同じで――――」

「それでも麻衣とは違う。皆は確たる意思の下に戦っている、俺もだ。だから今の麻衣よりは死から遠い場所に居る」

「ッッ!」

「今だって俺が偶然此処に来なければ麻衣は死んでいた、それが何よりもの証拠だ」


 何処までも平坦な声。淡々と戦力外通告を告げている。


「他の皆が死んでも、俺は悲しみこそすれ折れることは無いだろう。

だが、麻衣は違う。地に足ついてないフワフワした状態のお前を連れて行って死なせれば俺は俺を赦せなくなる。

どうして連れて来たんだ、どうして無理矢理にでも置いて来なかったんだってな」

「で、でも……」


 反論の言葉が見つからず泣くことしか出来ない。


「ハッキリ言わせてもらう――――麻衣は俺の弱みにしかならない」


 紫苑の声は震えていた。暗がりの中で微かに光るそれは涙で、彼は泣いている。


「……俺はこれから葛西二葉と相対することになるだろう。

奴の狙いは俺だし、俺はそこから逃げることは出来ない。

アイツは狡猾だ、弱いところを確実に突いて来る。怖気が奔るほどに奴は目が良い。

麻衣が揺れていることを見抜き、その麻衣を殺せば俺がどうなるかを確実に看破するはずだ」


 麻衣が死ねば揺れる、揺れればカニはそこを突く。

 突かれて死ねばもっと多くの人間が死ぬ、だから何としてでもカニをどうにかしなければいけない。


「葛西二葉を放って置けないのは分かるだろう? 俺が……俺が何とかしなきゃいけないんだ!

もう、もうこれ以上……俺と奴のくだらない因縁のために人が死んでたまるか!!

(因縁っつーかぶっちゃけあっちが勝手に突っかかって来てるだけだがな……ホントあたしってば不幸だわ)」

「紫苑くん……」


 一度落ち着いたことで麻衣の視界も少しは広がっていた。

 だからこそ、自分だけではなく紫苑も追い詰められていることに気付くことが出来た。

 多くの命が喪われたことへの負い目、焦燥に胸を焼かれ、重圧に押し潰されそうになりながらも耐えている。

 折れてしまえば戦えないことが分かっているから、歯を食い縛って必死で立っているのだ。

 なのに自分のことしか見えずに迷惑をかけて……麻衣は今、心の底から己を嫌悪した。


「……ごめん、ごめんなぁ。うち、迷惑かけてばっかりや。

紫苑くんのこと好きで、力になりたいけど……他の皆みたいに強くないし役にも立てん。

足を引っ張ってばかりで……ごめん、ホンマにごめん……」


 紫苑の胸に顔を埋め麻衣は何度も謝罪を繰り返す。


「(はいはい、理解したならとっとと消えてくれ……いや、ガチで足手まといになるから)」

『麻衣の回復魔法はかなり役に立つと思うんだが……』

「(それを差っ引いても邪魔なんだよ。こういうのはさぁ)」


 と、紫苑はもう完全に麻衣を切り離せたと思っているが――――甘過ぎる。


「でもなぁ――――うち、紫苑くんから離れたくないんよ」

「(は?)」

「うちの知らんとこで紫苑が死んだら、殺されたら……嫌や、そんなん嫌や。

無理、他の名前も知らん人が死ぬのも辛いのに紫苑くんが死んだら耐えられへんよ。

想像するだけで気が狂いそうになる……あかん、離れたない……紫苑くんの傍に居りたい……。

今、分かった……うちには、もう紫苑くんしかおらへん……御願い、うちを傍に置いて……?

強くなる強くなるから頑張るからもうこれからは絶対足引っ張らへんから御願い……」


 麻衣はブツブツとお経のように言葉を紡いでゆく、それがまた何とも不気味である。

 彼女は気付いたのだ。多くの死に触れ打ちのめされ、今此処で紫苑に突き放されたことで気付けた。

 自分の大切な人が今日死んだ人達と同じ道を辿ることになったことを想像する。

 両親、友達、寝食を共にする仲間達――悲しい、どうしようもなく悲しい。


「もし、どうしても無理って言うんなら……」


 だが、その中でも紫苑の場合は悲しいなんてものではなかった。

 自分の立って居る足場が崩れ目の前が真っ暗になるような絶望。

 自分の一番大切なものが何なのか、それがようやく分かった。

 他の何が喪われても紫苑が居る限り桝谷麻衣の世界は終わらないと気付いた今、離れるなんてことは出来ない。


「うち――――死にます」


 顔を上げて紫苑を見つめる麻衣の瞳は完全にイっていた、薬物中毒のそれよりも酷い。


「(め、メンヘラに……メンヘラに進化しやがったぁああああああああああああああああああああああ!!!!)」


 傍に居させてくれないなら死ぬというメンヘラの常套句だが、何気に紫苑からすれば初体験である。

 まあ、そんな初体験をしたところで人生には何の益も齎さないわけだが。

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