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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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166/204

三月の悪夢 肆

「! 幾らか数が減った気がせんか紫苑よ!」


 眼前の敵を薙ぎ払い、道が開けたところでルドルフが敵の減少に気付く。

 総数からすれば大したこともないのだろうが、上海という小さな視点の中では肌で分かるほどに減った。

 これは精神的にもありがたい状態と言えるだろう。


「ああ……どうやら、アイリーンがやってくれたみたいだ

(それでもこの感じだと……精々一人か。役立たずめ! 大将首を七つぐらい挙げてみろやクズめが……!)」


 頑張ったアイリーンに対してこれなのだから彼女も報われない。

 まあ、嘘を吐き続けているのである意味報われていると言えば報われているのだが。


「フフ、卿の狙いが当たったな」

「そうだな。だが、敵はまだ多い。油断せずにいこう(上海テレビ塔か……出来るなら観光で来たかったわ)」


 正式名称東方明珠電視塔を見上げつつ、内心で嘆息する。

 初海外が一月のフランスで二度目が中国。

 しかし、そのどちらでも目的は観光ではなく血生臭い戦いのため。

 流石にちょっと凹みそうになる紫苑だが、どうにかこうにか自身を奮い立たせる。


「(いや、ただで海外来れたんだし……うん、ちょっとは良かったと思う)」


 いや、そういう問題じゃないだろう。


『小さな"良かった"を探すんだな!』

「(白毛のシオと呼んでくれ……って、よくよく考えたらそろそろ髪とか染めようかなぁ……)」


 白と黒で綺麗に分けられた頭髪。

 最初はこれはこれでと思っていた紫苑だが、最近になって少しばかり気になっていた。


「(どうにも中二くせえんだよな、この髪)」


 普段の言動と聖槍なんて装備を見直してから中二云々を語れ。

 中身が伴っている――と第三者からは思われているのでアレだが要素だけ抜き取れば中二そのものである。


『立場も中二だよな』

「(馬鹿野郎! そっちは中身が伴ってるだろ!!)」


 いや、伴ってないだろ。結果は伴っているがそれを成した人間の中身が汚物そのものなのだから。


「(あんまり俺を舐めるんじゃねえぞクソ爬虫類めが!)」


 と、そう罵ったところで天啓が降りて来る。

 この状況を打開出来るかもしれない一手だ、

それを成せば自身は死ぬしそれ自体は怖いがこれから先に起こる諸々の面倒と関わらずに済むし余命の恐怖からも逃げられる。

 紫苑は敢えて言葉にしてカス蛇に語りかける。


「カス蛇、聞きたいことがある」

『(ほうほう、何ぞ思いついたか……それも皆の前で口にして自分の評価を上げるようなことを)あんだ?』


 紫苑の意図を正確に汲み取って会話を切り替える辺りカス蛇は本当に気遣いが出来る爬虫類だ。

 長年連れ添った女房も真っ青な察しっぷりである。


「此処は今、ある種の閉じられた世界なんだろう?」

『ああそうさ。現世の中に限りなく俺様達の世界に近い状態を作り上げている。

京都で酒呑童子がやった霧による異界の上位互換と思いねえ』


 紫苑の問いを聞いた時点でカッスは紫苑が描いている絵の全容を掴む。


「――――ならば俺が現実を改変することも可能ってことだな?」


 同行者三人の顔色が一気に蒼白へと変わる。


「おい紫苑、何を……!」

「あの太極図が総ての原因で、生半な完成度じゃないことは分かる。

それこそ、天魔、栞、紗織、アリス、雲母さん、アレクさんの六人がかりで攻撃しても破壊出来ないほどに」


 だが、覚醒時の紫苑に限ってはアプローチが変わって来る。

 直接的な力で破壊する必要は無いのだ。

 むしろ同じ土俵――世界改変の領域で勝負が出来る。


「生半な完成度ではない、つまり完璧であるということは一角さえ欠くことが出来れば自壊する……違うか?」

『違わんな。実際、あれに僅かでも綻びが出来るなら消滅するだろうよ』


 だが、その綻びを作ることが半端な難易度ではない。

 そもそもからして世界改変、現存する神仙と新たに仙人を億単位で仕立て上げねば出来ないことなのだ。

 それも数ヶ月の下準備を整えた上で。世界改変とはそれだけ大掛かりな大業であり神や魔王とて容易には行えない。

 そのような御業に綻びや亀裂をすぐに刻めるなど不可能だ。


「なら、俺ならば可能だろう? 俺の幻術も閉じた世界でならば好きに現実を弄くれる。

それに、幻想の世界に限りなく近付いた今ならば強化もされるはずだ。

十分、亀裂を刻める可能性はあるだろう。あの太極図、あれ自体が今の世界にとっては不自然なもの。

俺が世界に正しい認識を刷り込めば消すことも出来るんじゃないか?」


 紫苑が現実改変を行い、在るべき形へ戻るよう働きかけるのだ。

 そうすれば自ずと、不自然な状態は解消される。

 この大陸に居る幻想も己が領域へ撤退せざるを得なくなる――つまりは勝つことが出来るわけだ。


「(ククク……正に逆転の一手……! これまでの犠牲も命を投げ打って多くを救った俺の偉業で帳消しになる!

正しいことをして死んだ人間は悪く言い難いからなぁ。更に後の面倒ごとからも逃げられる――クカカカ! 一石二鳥だぜ!)」


 危機に際してフル回転した頭脳が導き出したのは今日も今日とて自身の見栄を護るための策だった。

 今回は別に紫苑自身は命の危機に無いのだが、

余命等の先の不安や恐怖と自身の策が成功した場合に得られる賞賛を秤にかければ自然とこの案が思い浮かんだ。


「馬鹿な! そんなことを私達が認めるとでも思うのか!?」

「そや! そないなことしたら……ただでさえ短い寿命が……」

「下手すりゃ死ぬかもしれねえだよ!? おらはそんなの絶対嫌だ! 見ず知らずの他人よりも大事な人が死ぬなんて!」


 仲間達からは当然、反対の声が上がる。

 ジャンヌはともかくとしてルドルフと麻衣は他者の人命を軽んじているわけではない。

 それでも、本当に大切な一人と秤にかけられるかと言えばそれは違う。

 大事な一人を犠牲にしてまで多くの命が救われる結果を心の底から許容することが出来ないのだ。


「……それでも俺は、喪われてゆく命を前にして、最善を尽くさない己が赦せない」


 クソみたいな見栄を綺麗な言葉で飾り立てることに関しては本当に上手い。


「い、嫌や! それでも絶対嫌や! うちは……うちは紫苑くんに少しでも長く生きて欲しい!!!!」


 麻衣らしからぬ強い語気だった。

 彼女も、まだ心の均衡を崩してはいないが上海に満ちる死により追い詰められていた。

 生涯で尤も濃厚な死の世界に居るから、喪われることが恐ろしくてしょうがない。


「麻衣……(っぜぇなぁ)」

「そ、それで……ほ、他の人が救われても紫苑くんがどうにかなるなんて絶対認めへん!!」


 幸か不幸か、麻衣がこれまで対面した紫苑が死ぬかもしれない状況は心の何処かで希望が持てるものだった。

 安土の信長、平泉での義経。共に紫苑は命を落としかけたが、それでも覆せる状況ではあった。

 それ以外の場面――酒呑童子との決死の戦いに臨む際には入院中で傍には居なかった。

 イザナミの下へ向かう際も、紫苑が何をするかを分かっていなかったから実感が薄かった。


 しかし、今、こうして、初めて希望が持てない状況で紫苑が死に向かおうとしている。

 上海に広がる地獄と相まって麻衣は初めて心の底から好いた男が喪われることに恐れを抱いた。

 顔面は蒼白で、歯は噛みあわず。震える体は微塵も落ち着きやしない。

 春風紫苑がこの世から消えてしまうことがこんなにも恐ろしい――麻衣は縋るように紫苑を見上げる。


「だ、だって……うちは、うちは……紫苑くんが好きやから、女の子として……ね? せやから、止めて……御願い……」


 初めての告白がこれなのだから笑えない。

 だが、理で止められないならば感情に訴えるしかない。

 こんな状況で告白されて、それを振り切れるほど紫苑は冷たくない。

 麻衣はそんな打算の下に己の思いの丈をぶちまけた。


『盛り上がってるとこ悪いがなぁ紫苑。確かに、お前の論は正しいよ。

だがそれは、お前がお前のまま世界改変を行えればって話になるがな』

「……どういうことだ?(おい、ちょっと待て。俺のステッキーな策が成就しないって言うんじゃないだろうな!?)」


 しないって言うんです。


『京都の時はまだ俺様が人の部分を保護出来る程度だったが……今回は無理だ。

お前自身も言っただろ? 今ならば強化されるはずってよー。

それってつまり幻想部分が強くなってるわけだ、京都の時よりもな。流石に今回ばかりは俺様でも人の部分を保持出来ん』


 太極図を消すよりも先に人の部分が消え去ってしまう――とカス蛇は嘘を吐いた。

 紫苑にもバレぬよう、務めて冷静に真実の声色で偽装して虚言を吐いた。


「……無理、なのか?」

『ああ無理だね。完全に幻想に至ったお前ならこの状況、どう利用するかな?

人類の存続という観点で動くわけだから邪魔な冒険者以外の一般人を排除する好機と見てお前が滅ぼすんじゃねえの?』


 カス蛇とてやれば必ず死ぬような策をやらせるわけにはいかないのだ。

 ゆえに虚言を弄して諦めさせた。紫苑にはまだまだ――いや、ずっと生きて居て欲しいから。


『それに……空を見てみな。更に大物がやって来たようだぜ』


 カス蛇の言葉に促されて四人は空を見上げる。

 太極図を除けば雲一つ無い今にも落ちて来そうな冬の青空だったのだが……。


「雷……?」


 どういうわけか雷鳴が轟いている。

 一筋、二筋、亀裂のように雷が空に浮かび上がっているではないか。


『デカイのが来るぜ!!』


 瞬間、極大の雷が大陸全土に降り注いだ。

 それは紫苑らが居る上海も同じで、董卓が根城にしていた高層ホテルなどが一瞬にして消滅する。

 今の落雷によりどれだけの命が散華したのか、考えるのも馬鹿らしい。


「……オーディン」


 そう呟いたのはルドルフだった。

 かつて歪んだ憧れを抱き、今でも特別な情を抱いているからこそ分かるのだ。

 今の雷を落としたのがアース神族の長、オーディンであると。


「ちょっと待て。何故、この局面でオーディンなんだ?」


 ルドルフの言葉に困惑する紫苑。

 だってそうだろう? 今、大陸に居る敵は中華の英雄や道教の神仙ばかりだ。

 なのに何故わざわざオーディンが出張って来るのか。

 お前がちょっかい出すべきは北欧だろう、と。


「分からん。だが、間違いない……今のは、オーディンだ」


 紫苑もルドルフも知らぬことだがオーディンは自身の居城にカニを食客として迎えている。

 今回大陸にちょっかいをかけたのは食客であるカニが動いているのでその義理としてだ。

 彼女自身が頼んだことではなく、あくまでオーディンによる自発的な行動である。

 人間からすれば余計なことやってんじゃねえよって話だが、神が人類に気を遣う必要など何処にも無い。


『ルドルフの言う通りだ。オーディンだよ……ほれ、戦乙女と戦奴を連れて首吊り爺がやって来たようだ』


 紫苑や麻衣の視力では捉えられないが、確かに上空には新たな集団が出現した。

 彼らが出現した瞬間、空は黒に染まり大陸中に嵐が巻き起こる。


「あれが……オーディンか……」


 複雑な顔でオーディンを見やるルドルフ。彼の視力は確かに捉えていた。

 穢れ一つ無い純白の外套を羽織り、漆黒の甲冑を身に纏った隻眼の偉丈夫。

 その手に携えるトネリコの柄で出来た銀槍グングニルの切っ先は大地を蹂躙する軍勢へと向けられていた。

 神話によるとグングニルを向けられた軍勢は必ず勝利すると言われているらしい。

 そして事実として、紫苑らはこの戦いに負けるだろう。だがそれは槍を向けずとも分かり切った結果だ。

 つまりオーディンは嫌味ったらしいクソ爺でFAということである。


「ジャンヌ・ダルク、紫苑と麻衣を連れて安全そうな場所へ避難していろ」

「る、ルドルフくん?」

「……まさか、ルドルフ、奴とかち合う気なのか?(自殺志願かよ馬鹿らしい)」

「上海に降りるつもりのようだからな。致し方あるまるいよ」


 あれほどの神が出現したのならば先行した六人と、アレクが向かって来てもおかしくはない。

 だが、彼らの姿は見えない――つまり別の場所で戦いを強いられていて来られる状況ではないのだ。

 そうなれば消去法としてルドルフがやるしかない。


「……言いたくはないが、散華した魂が多いからな」


 ルドルフとて何の勝算も無しにオーディンに向かって行くつもりはない。

 自身の純化と死者の数を鑑みて何とかなるかもしれないと思ったからこそ立ち向かうことを選んだのだ。


「倒せずとも、あれを足止めせねば上海は更に酷いことになる。

紫苑、卿は自分が命を懸けるのは良いが他人は駄目――などと言うつもりはないよな?」


 そんなこと言うわけないだろう。


「(あっそう。じゃあ好きにすりゃ良いよ)……分かった」

「ならば行ってくれ、死者の魂と語らうのに集中したいからな」


 そう告げてルドルフは純化へと至り、自身の世界を一変させる。

 視界に映る数えるのも馬鹿らしくなるほどの膨大な魂。

 彼らは皆、無念に泣いている。どうして自分達がこんなことに、どうして自分達の大切な人が……。

 多くの嘆きと怨嗟に塗れた世界――それを作り出したのは幻想達だ。


「……卿ら、もし、ほんの少しでも戦う意思があるのならば私に協力してくれ」


 静かに語り掛ける。その声は戦場の喧騒に掻き消されてしまうほどに小さいものだが声量は関係ない。

 これは魂にだけ語り掛けているもので、彼らには確実に届いているから。


「憎い、憎いよな……理不尽だと思うよな」


 憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。

 理不尽に殺された者の多くはどうしようもない憎悪に焦がされている。

 総てが総て、反骨心を持っているわけではないが十分な量の魂がルドルフに集う。


「――――我らで一矢報いてやろう」


 かつてない量の魂をその身に宿した反動で何もしていなくても身体が傷付いていく。

 しかし、同時にその身に宿した魂が肉体を修復する。

 破壊と再生を繰り返しながら死魂の翼を拡げ、ルドルフは力いっぱい大地を蹴った。

 そうしてゆるりゆるりと地上に降下しているオーディンの軍勢目掛けて、


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおらぁああああああ!!!!」


 乾坤の一擲を放つ。

 薙ぎ払うように振るわれた魂を纏う槍は巨大な攻撃範囲を得て戦乙女と戦奴の軍勢を切り裂く。

 たったの一撃でオーディンを除く者らは排除出来た。

 だが、その反動は凄まじくルドルフの身体に傷――というより亀裂が刻まれる。

 もう一撃、もう一撃今の攻撃を放てば確実にルドルフ・フォン・ジンネマンは砕け散るだろう。


「確か……春風紫苑の仲間、だったか?」


 甲冑にすら傷一つ無いオーディンは顎鬚をさすりながらルドルフを見やる。

 自身の配下を一瞬で消されたというのにまるで動じていない。

 それは絶対の自負があるからだ。戦神オーディンは負けぬという自負が。

 まあ、狼にバックリ喰われた爺が余裕かましてんじゃねえよって感じだが。


「ッッッ……!」


 オーディンも攻撃範囲の中には居たし、確実に当たった。

 彼の神は防御すらしていなかったのだ。なのに、僅かたりともダメージを与えられなかった。

 今度は先の力を分散させずに収束して放つ、そう決意して槍を握ろうとするのだが指が崩れ落ちてしまう。


「い、一撃……たった一撃放つだけでこのザマか……己の力すら使いこなせんとは……」


 歯噛みするルドルフだが、彼は自身の力を完全に使いこなしていた。

 でなくば万軍をも一撃で屠るような攻撃を放てるわけがないし、

そもそもからして莫大な数の魂から力を借りることすら出来なかっただろう。

 ゆるゆると地上に落下してゆくルドルフだが、


「――――勇者への手向けだ。敬意を以って、我が槍にて屠ってやろう」


 オーディンは微塵も容赦が無かった。

 神槍グングニルを強く握り締め、投擲の姿勢に移行する。

 空が歪むほどの力の奔流が槍に集っていることは地上の何処に居ても分かるほどだ。

 あれに貫かれれば死は避けられない。いや、今の状態でも純化を解除して地上に落ちればそれだけで死ねる。


 だというのにオーディンは敢えて自らトドメを刺すことを選んだ。

 それは念には念を――などというセコイ思考ゆえではない。

 人間の身でありながら自身の軍勢を壊滅させた勇者ルドルフを讃えているからだ。

 心底から敬意を払っているから、全霊を以ってトドメを刺そうと言うのだ。


「ま、ず……い……!」


 ルドルフは知っている。グングニルが必ず敵を射抜き、担い手の下に舞い戻ることを。

 自身が射抜かれるだけならば構わない。

 だが、問題は地上だ。あれほどの力が放たれれば自身を砕いた衝撃で地上にも甚大な被害が及ぶ。

 その力を受け止めるほどの余力は既に無いが……。


「やらせるか……!!」


 ルドルフは更に亀裂を深くしながらも強く踏み止まる。

 真正面からグングニルを受け切ってから死ぬつもりなのだ。

 これを凌いでもその次がどうなるかは分からない。

 だが、この場で凌がねば次すらやって来ない――だったら答えは一つだ。


 オーディンの一撃を完璧に受け止め、被害を減らす。

 そして次にバトンを渡すのだ。それが今出来る最善。

 未だ地獄が続いている地上で戦う仲間達のためにも尽くせる最善を成す。

 今この場で正しいことがあるとすればそれだけだ。


「ふむ……やはり勇者だ。その死後、ヴァルハラへ招きたいが……まあ、無理だろうな」


 力が極限に達した瞬間、槍が投擲され、ルドルフはその暴威を両手を広げて待ち受ける。

 だが、


「~~~~~ッッ!?」


 槍そのものではない、本命の前にやって来た余波のようなもので両腕が砕けた。

 コマ送りのように迫る槍、駄目だ、無理だ、このままでは防げない。

 嫌が応にも止まらない時間の中で――――救いは確かに訪れた。


「――――大丈夫、です。ルドルフ」


 背後から聞こえた優しい声、眼前に展開された分厚い氷の障壁。

 ボロボロの身体を包み込む、冷たいけれど優しい温もり。


「べあと……りくす?」


 僅かに視線を向ければそこにはベアトリクスが己を抱き締めるように支えていた。

 ルドルフは突然のことに目を白黒させる。


「はい!」


 柔らかな笑みで自身の存在を肯定するベアトリクス。

 ニブルヘイムに居るはずの彼女がどうして現世――それも上海に居るのだろうか。


『ルドルフさん、ボーっとしてる暇はありませんわ』

「ヘルもか……いや、ベアトリクスが居るなら当然か」


 氷の障壁でグングニルを押し止めているが、徐々に氷は削れていっている。

 火花を散らしガリガリと氷を掘削するグングニル。

 次々に新たな氷で壁を重ねていくがこんなものは時間稼ぎにしかならない。


「……ヘル、氷で、威力を減退させて、安全な場所に逸らせる?」

『それは無理よベアト。知っての通りグングニルは必中の槍。

何処までもルドルフを追って行くし、こうやって止めては居ますが威力は減退させられないわ』


 もしも氷を外してしまえば、フルの威力でルドルフを貫くだろう。


「このまま徐々に槍との位置関係を変えられるか?」

『出来ますけど……死にますわよ、ルドルフ』

「私の目的はあくまで地上に被害を及ぼさんことだ。

先ほどはアレが放たれるよりも先に上に行けんことが分かったから留まったがな」


 槍との位置関係を逆にすればルドルフを貫いても槍の衝撃は地上には及ばない。


「だ、駄目! それ、駄目、です! 私、ルドルフを助けに来たから!

そうだ! なら、このままルドルフを連れてニブルヘイムへ飛べばどうです?」


 ベアトリクスが此処に来たのは現世で大きな戦いが起こっていることを知ったからだ。

 春風紫苑の仲間であり、自身も高潔な男である想い人なら必ず参戦している。

 だからこそ彼女は危機一髪のタイミングで乱入することが出来たのだ。


『次元を貫いてルドルフを追うまでの話よ。あの槍はそういうものだから』

「何とかして、ください!」

『そりゃ私も出来るものなら何とかしたいですけど……』


 ヘルとてルドルフを好いているのだ。

 心情的には何とかしてやりたいと思っている。しかしその方法が分からない。

 完全なる手詰まりなのだが……。


「――――こういう美味しい場面を見逃す私じゃないんだよな、これが」


 軽薄な声が響く。


「ロキ!?」


 ルドルフ、ベアトリクス、ヘルのみならずオーディンまでもがその名を口にする。

 グングニルと氷の障壁が鬩ぎ合っている、つい横に現れたトリックスターロキ。

 彼はニヤニヤと愉しそうな笑みを浮かべて状況を見つめている。


『お父様……あなた、最近姿を見てませんでしたけど何だって此処に……』

「フフフ、こういう時に出て来なきゃトリックスターの名折れってものだろう?」


 ルドルフもベアトリクスもオーディンも、皆が皆、苦い顔でロキを睨み付けている。

 あらゆる陣営から良い顔をされないのがロッキクオリティーである。


「……ロキ、貴様、何をしに来た?」

「やあやあ、酷いじゃないかお義兄ちゃん。義弟に向かってそんな苦虫を噛み潰したような顔しないでよ」


 これまでの行動を省みてからそんな発言をするべきだ。

 恩恵を齎したことも多いが厄ネタを齎した方が多いだろうに……。

 オーディンからすれば息子殺しの主犯で、むしろ良い顔をされる方が気持ち悪い。


「私は何をしに来たかと聞いているのだ。返答如何によっては……」

「まぁたナリのハラワタで縛り付けられて毒液シャワーを浴びせるのかい?」


 バルドル殺害の黒幕であるロキは神々の報復により息子のハラワタで拘束され、

毒蛇の毒液が顔に垂れるよう固定されて放置されるという罰を受けた。

 それでも懲りてないのだから筋金入りの馬鹿である。


「勘弁してよ。シギュンのヤンデレっぷりを見せ付けられるのは辛いんだからさぁ」


 ロキの妻シギュンは器で毒液を受けてロキにかからないようにしているのだが捨てに行く間は毒液がもろにかかってしまう。

 普通に考えてもっと効率的な方法があるだろう。

 捨てに行ってる間、代理人を立てるとか別の器を固定しておくとか……。

 そもそもシギュンが自らの手で器を持って毒液を受ける必要すら無い。


 なのにわざわざ非効率な手を打つ辺りにシギュンの病みが見える。

 あなたを痛みから遠ざけられるのは私、痛い想いをすると私のありがたさが分かるでしょう?

 そんな意図が透けて見えるのだ。ロキは毒液に晒されるよりもそっちの方が怖かった。

 なので最近はまったくシギュンに会っていなかったりする。


「で、私が此処にやって来た理由だけど……引っ張っても意味無いし、単刀直入に聞こう」


 ニヤケタ面でルドルフを見つめるロキ。


「ルドルフ――――助けて欲しい? この場も、これから先も」

『お父様……?』

「欲しくない? カミサマのチカラ。頭が回って色んな魔術にも長けている。

彼の力を借りたら必中の槍グングニルすらどうにかすることが出来るんだけどなぁ……お買い得だよ?」


 此処まで言って察せ無いほどルドルフは愚鈍ではない。

 ロキは肉の身体を捨ててルドルフと同化してやろうかと言っているのだ。

 だが、あまりにも怪し過ぎる。主にこれまでの行いのせいで。


「……一体、何を考えている?」


 実際、ロキにはグングニルを何とかする方法があるのだろう。

 生き残れて、尚且つロキの力、その恩恵を受けることが出来る――美味い餌だ。

 だが逆に自分に都合が良過ぎて怪しいことこの上ない。


「別に、何時もの気紛れだよ」

「そうか、断る」

「る、ルドルフ!? 確かに怪しいけど、助かるなら……それに後から何かしようとするなら私とヘルが……!」

『ええ、お父様が余計なことをしないように目を光らせるし、実際何かすれば止めますわよ?』


 あっさりと断ったルドルフ、商品を持ちかけられた本人よりもベアトリクスとヘルの方が乗り気だったらしい。

 まあ、想い人が助かる可能性が見えたので食いつくのも無理は無いのだが……。


「そういうことではない」

「……」


 ロキとしてもベアトリクスやヘルが口にしたような懸念で断られる可能性は織り込んでいた。

 しかし、そうではないとはどういうことだ?


「オーディン、私の邪魔をするな」


 それを聞かぬことにはスッキリしない。

 ロキはオーディンが仕掛けて来た攻撃魔術を総て相殺し、義兄を睨み付ける。

 というか邪魔するなと言うが普通邪魔するだろうこの局面なら。

 どんだけ身勝手に生きて――ああ、紫苑よりゃマシか。


「で、どういうことなんだいルドルフ。君はどういう理由で私の提案を蹴ったんだ?」

「何か企んでいるのは良い、利用しようと言うのも別に良い。それらは跳ね除ければ済むだけの話だからな」


 問題は別にあるのだ。

 ロキの力を受け容れるということは魂で混ざり合うということでもある。

 ならば善であれ悪であれ、一定の条件を満たしていなければ到底受け容れられない。


「トリックスター、聞こえは良いが……ようはフラフラしているだけだろう?」


 真逆の性質を併せ持つ二面性のままに物語を引っ掻き回すのがトリックスターの役目だ。

 だが、ルドルフに言わせればそれは確たる芯も持たずに揺れているだけのどっちつかず。

 その場その場の気分で行動して大きな流れを生み出しはするが……だから? それがどうした?

 物語にそういう役者は必要ではあるが、現実で言えばそんなのは迷惑な奴でしかない。


「気紛れに助け、気紛れに引っ掻き回す――無責任極まるだろう」


 バルドル殺害後のロキを見ればそれがよく現れている。

 彼は神々の報復を恐れて逃げたのだ。逃げるくらいならばやるな、やるなら総てを敵に回して最後まで戦え。

 そんな無責任な輩に助けられるなぞ御免被る――ルドルフはそう言っているのだ。


「私も、紫苑も、他の皆も、自身の行動に責を負って戦っている」


 その輪の中に入りたいのならば善であれ悪であれしかりと芯を入れて来い。

 ルドルフはロキを一刀両断し、ベアトリクスとヘルに向き直る。


「ベアトリクス、ヘル、このまま槍との位置関係を変えるぞ」

「……分かった」

『まあ……しょうがありませんわ』


 好いた男の断固たる決意を捻じ曲げてまでロキを受け容れさせる方法が思い浮かばなかった女二人はルドルフの提案を受諾し動き出そうとするが……。


「――――悪かった」


 ロキは謝罪の言葉を口にしたことで、思わず動きを止める。

 本音か演技かは分からないが、ヘルもこんな真面目な顔をしている父を見るのは初めてだった。


「気紛れじゃない。私は私が成したいことのために君に力を貸すつもりだ」


 ラプラスの領域で"彼"と邂逅を果たしたことにより、ロキは自分の道を定めた。


「私が君に協力するのは三千大千世界何処を見渡してもあり得ない結末を見るためだ。

そのために君に接近し、幻想に喧嘩を売ろうとしている。

私は自身の行動とその結果について受け容れるよ。

君の言うように無責任な輩は"彼"が好まないことの一つだろうしね。誰に失望されても私は彼にだけは失望されたくない」

「……」

「まあ、これが私の本音と決意表明だ。それでも信じられないなら……仕方ないよ」


 それもこれまで己が成して来たことのツケだ。

 本懐を果たせずともじたばた足掻くつもりはない、

ルドルフに断られたならば潔く自身の領域に引き篭もって以降は何もしない――ロキはそう言い切った。


「ルドルフ……どう、しますか?」

『ちなみにそろそろ限――――』

「分かった」


 即答だった。流石にここまですぐに信じるのはどうなんだ? と女二人が驚くが……。


「私は私の責任でロキを信じ、受け容れる。これは宣誓だ。

ロキ、貴様が私の仲間に迷惑をかけそうだったならば如何なる手を使ってでも貴様を排除する」

「分かった……さあ! 一つになろうじゃないか!!」


 ホモ臭いことを言いつつ真正面からルドルフを抱き締めるロキ。


「させるか!!!!」


 グングニルに更なる力を込め、同時に都市破壊クラスの攻撃魔術を展開しようとするオーディン。

 義弟のろくでなさを知っているがゆえに、ルドルフとロキの合一を看過するわけにはいかなかったのだが……。


「ぬ!?」


 魔術を放とうとする寸前に、地上から無数の砲火が放たれ魔術が霧散する。

 砲火を行ったのは第六天魔王とその配下達だった。

 上空に出現した大きな力に注意していないわけがない。信長は額の瞳でルドルフらのやり取りを読んでいたのだ。

 ゆえに、最高のタイミングで邪魔が出来て、


「――――感謝するぞ、信長」


 ルドルフとロキが同化する時間を稼ぐことが出来た。


「あ……ルドルフ、その目……」


 ゆっくりと開かれたルドルフの左眼。

 かつて平泉にて抉り取った瞳が再生され眼球にはアンサズのルーンが刻まれていた。

 これこそが邪神ロキとの合一の証である。


『久しぶりに両目で見る世界はどうだい?』

「悪くない――――彼方の勝利すら見えるようだ」


 さあ、反撃開始だ。

一話ずつって書いたけどキリ良いとこまで書けたんで全部投稿します。

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