三月の悪夢 弐
三月三十一日、今日が終われば四月がやって来る。
世界では今日も変わらずに戦いが続いているものの、紫苑らは暇を持て余していた。
一月、二月は何のかんのと月の初めから出張ることも多かったが、三月に入ってからはそれが一切無し。
わざわざ彼らが出張るような事件が一つも起きていないのだ。
四柱の女神による加護の賜物か、少なくとも日本は平和だった。
では外国は? それも今のところ、わざわざ紫苑らを呼び寄せる口実になるような事件は起きていない。
そうなると神や魔王を宿す者らも居る紫苑パーティは必然的に暇になる。
小さなことで出張らせて有事の際に動けないでは意味が無いからだ。
というわけで何をするでもなく、紫苑を含めて誰もがこのまま三月が終わると疑っていなかった。
だが、彼ら――否、誰もが知らぬ中で状況は深く静かに進行している。
その異変の舞台となるのは中国。広大な大陸ゆえに人がばらけ過ぎていて守り難い。
国家主席の呼びかけにより、人々はなるべく中央へと集められていたがそれに従わぬ者も多い。
ここ、とある山村に住まう人々もそう。
二十五世紀になってもその暮らしは古臭く有り体に言えば貧困だった。
当たり前に不自由があって、当たり前に小さな幸せを噛み締めながら村人はそれなりに暮らしている。
だが、それをぶち壊すようなことがこれから始まるのだ。
「ふぅ……信、そろそろ昼飯にしようか」
十二歳の息子と共に畑を耕していた父親が汗を拭いつつそう提案する。
だが、息子は虚空を見つめたまま微動だにしない。
「――――父ちゃん、俺、行かなきゃ」
「し、信……?」
息子が抱拳礼の形を取った瞬間、
身に纏っていた色褪せた衣服は質素ながらも品を感じさせる、物語に出て来る仙道のようなものに変わる。
「羽化登仙の境地へと至った俺には、やるべきことがある」
「おい、待て……信、シィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!」
フワリと浮かび上がり、幻のように姿を消す息子と訳が分からず叫ぶ父。
別にこれはこの村で起きた特別な事件というわけではない。
今、中国と呼ばれる国ではあちこちでこのようなことが起こっていた。
山村で、秘境で、都市部で、隣に居る友人が、妻が、夫が、突然、空へと消えている。
各地から寄せられる報告に政府当局、中国ギルドは混乱の渦に叩き込まれた。
一体何が起きているのか、それを解明する暇も無く状況は進行していく。
行方を眩ました人間は今確認出来るだけでも三億人に上る。
その三億人は何処に行ったのか? 答えは空だ。
大陸全土の空に、消えた人々が散らばり、それぞれが歌を謳い上げてゆく。
"易有太極、是生兩儀、兩儀生四象、四象生八卦"
瞬間、広大な大陸すらも覆い尽くす巨大な太極図が空に出現する。
禍々しく光を放つ陰陽が齎す異変はすぐに目に見えるものとなった。
有り体に言って文明の崩壊。自然が侵食し、人の営みが破壊されてゆくのだ。
舗装された大地は剥き出しとなり、伐採された木々が顔を出す。
「永健! こりゃ一体どうなっとるんだ!?」
政府に召喚された中国ギルドの長、
黄永健は唾を飛ばしながらがなり立てる国家主席を無視して考えを巡らせていた。
今は未だ、異変は自然の回帰のみだが、これからもっと酷いことが起こる。
七十一年の生涯のうち、六十年を戦いの中で過して養った永健の勘は最大警鐘を鳴らしていた。
「李主席、しばしお待ちを……おい、儂だ儂。永健だ! そっちでも異変には気付いとるじゃろ!?」
携帯を取り出して日本支部の長、寛野厳へと連絡を取る。
年齢が近いこともあり個人的な親交もある彼に頼みたいことがあった。
『怒鳴らんでも聞こえとる……永健、ヤバイか?』
「ああ。もう動いとるだろうが、総本部長への救難要請と……そっちの最高戦力をこっちに寄越して欲しい」
『……分かった。お前も良い歳こいた爺なんだ、あまり無茶はするなよ』
長年の友であり、同じく人の上に立つ者。話は早かった。
現状で打てる手はこれで打った。混乱の収拾は不可能、恐らくは此処から……。
永健がそこまで考えた瞬間、会議場の扉が乱暴に開かれる。
現れたのは李主席の秘書だった。
「何ごとだ!?」
政治家達が揃って現状について話し合っているこの場にこんな形で現れるのだ。
凶報を持って来たに違いない。李主席は金切り声を上げて秘書に語りかけるが……。
「お、お逃げください……! いま、すぐ……ここから!」
その言葉を最後に秘書は倒れる。背中には見るのも痛々しい刀傷があった。
突然の事態にパニックに陥る政治家達だったが、それはすぐに収まることになる。
雪崩れ込んで来た時代錯誤な格好をしている兵士達が槍や剣で政治家達を殺し始めたのだ。
阿鼻叫喚の会議場、永健は悟った――どうしようもないと。
「――――お前が今の皇帝か?」
李主席と永健以外が殺された段になって、惨状を指揮した者が現れる。
煌びやかな衣服に身を包んだ美丈夫――永健は一目見てその正体を看破した。
「……始皇帝」
覇気が凝縮されて人の形を取ったとしか思えないその姿。
身に纏う水銀の霧、彼が現れた瞬間にひれ伏した兵士達。
これが始皇帝でなかったら何だと言うのだ。
「し、始皇帝だと!? 馬鹿な……そのような者が出て来れる土壌ではないだろう!?」
取り乱してはいるが、李主席とて馬鹿ではない。
当然のことながら今の世界についても勉強している。
その上で、始皇帝のような者が出て来るのはおかしい、もっと未来のはずだと叫ぶ。
「あの太極図か……!」
やはり自分の勘は正しかった、これは国家存亡の危機だ。
いや、もう国は滅びているのかもしれない。
恐らくは他の場所でも政治に携わる人間が殺されているはずだ。
政を司る人間が居なくなればそれはもう……永健は折れそうになる心を必死で奮い立たせた。
「おう、その通りよ。俺にはよく分からんが……仙道の極致らしいぞ?
世界を書き換えるというのは。崑崙やその他の仙境に住まう者らを総動員しても成らず。
現世の人間まで巻き込まねば使えんような秘奥らしい」
始皇帝が出て来ているのだ、それより後の者らが出て来ないわけがない。
いや、それならまだしも、道教の神々だって出現する可能性がある。
最早完全なる詰みと言っても差し支えではない。視界が絶望に染まる。
「……何時から、何時からだ」
どうやって一般人を仙道に仕立て上げたのかは分からない。
だが、分かることもある。これはずっと前から計画されていたということだ。
恐らくは幻想回帰の直後だ。その段階から計画は始まっていたはずだ。
しかし解せない、何故このような大掛かりなことをしてこの国を攻めるのかが分からない。
幻想が人間に怨み骨髄なのは身に染みて分かっている。
とはいえ、時間は彼らの味方だ。このような手間をかけるよりも時間に任せた方が上策だろう。
じわじわと真綿で首を絞めるように絶望と恐怖を味合わせるのならばこんな強硬手段は下策だ。
だというのにそれをせずに、たかだか三ヶ月ほどで大規模な行動に出るとは……。
怨みゆえの直情的な行動と取るには明らかに小賢しい。
居る、誰かが幻想の背後に居る。そしてこれは人間だ。
しかし、幻想に大きく働きかけることが出来る人間とは誰だ? そして目的は何だ?
永健は脳裏を渦巻く混沌のような疑問に押し潰されてしまいそうだった。
「知る必要は無かろうよ。俺の国を返して貰うぞ」
始皇帝は腰に差していた宝剣を引き抜き、李主席に斬りかかった。
しかしそれよりも早くに永健が二人の間に割り込み、斬撃を防いだ。
「ほう……」
始皇帝は感嘆の声を上げる。それは自身の攻撃が防がれたことに対してではない。
絶望的に圧し折れていた永健の目に光が宿ったことに対しての感嘆だ。
「はぁ……はぁ……儂は、何をやっとるんだろうか……」
頭が良いのも考えものだ。永健には既にこの国の滅びが見えていた。
そして、滅びに際して自分が何も出来ないことも。覆せるような段階には無いのだ。
なのにあれこれと何故? どうして? などと考えている。それほど愚かなことはない。
今出来ることは何だ? 国の滅びが止められないとしても、一人でも誰かを助けることは出来るだろうに。
きっとこの国で今戦っている者達もそう。
命を賭して一人でも誰かを助けようとしているに決まっている。
ならば己が成すべきことは何だ? 目の前で理不尽に奪われようとしている命を助けることだろう。
どれだけ絶望的だとしても、抗わずに死ぬのは間違いだ。
「……いや、滅びはしない」
国とは人が集まって出来るものだ。
生き残った中華の血をその身に宿す人間が何時の日か再び、国を立て直してくれる。
「李主席、失礼!」
始皇帝を蹴り飛ばし、傍らに居た李主席を抱きかかえたまま壁をブチ破って外へ。
「あの者らを撃て!!」
始皇帝の号令で弓兵が次々と矢を放つ。
それらは幾つかは弾かれたものの、幾らかは永健の背に突き刺さった。
「え、永健!?」
「舌を噛まぬよう口を閉じていなされ」
背中に奔る激痛、しかしそれを気にしている暇は無い。
李主席を片手で抱き直し、もう片方の手で己の得物である矛を召喚。
北京市内で虐殺を繰り広げている兵士らを薙ぎ払いながらギルドを目指す。
そうしてある程度の距離にまで近付いたところで李主席を下ろし、近くに居た冒険者に主席をギルドまで送るよう申し付ける。
「李主席、ギルドに居る儂の副官を頼ってお逃げ下さい」
人の命に価値をつけるようで心苦しいが、李という男は役に立つ。
政治家、指導者というのはいずれ必ず必要になる。
だからこそ、ここで死なせるわけにはいかな。
「……」
此処で自分一人が逃げたところで何となる? 李主席は困惑していた。
死ぬのは嫌だが、それでも政治家としてこの国と命運を共にしたい。
そう思える程度には愛国心があるのだ、この男には。
「御身が必要になる時が、何時になるかは分かりませんが必ず来るでしょう。
此処で死んではいけない人間なのだ、あなたは。どれだけ謗られようとも逃げることが今尽くせる最善」
平時であれば税金泥棒だ何だと罵られているが、必要不可欠な存在なのだ。
ただ無為に人が集まったとしても意味が無い。集団の意思を纏める人間が居なければ共同体は成り立たない。
「……武運を祈る」
李にも永健の言わんとしていることが伝わった。
感傷に流されて命運を共にするなどということに意味は無い。
どれだけ生き残れるかは分からないが、この戦いが終わった後には寄る辺を無くした民が彷徨うことになる。
彼らを纏めることが己の役目――李は抱拳礼を取った。永健もまた、それに返礼してこの場を去る。
「過去の残骸が今を生きる儂らの邪魔をするなぁああああああああああああああああああ!!!!」
永健は嵐となった。そこかしこで虐殺をしている兵士や化け物を片っ端から殺し始める。
自身も決して浅くは無い傷を負っているがお構いなしだ。
年齢に見合わぬ無双の強さを見せる永健だったが、どうしたって太刀打ちが出来ない存在も居る。
例えばそう、北京を覆い隠すような巨体を持つ青き竜など……。
「し、四神まで……」
上空に出現した青竜、四神が一柱であり、東方の守護獣。
彼の竜が開いた大口、その中に溢れる破壊の光。
あれが撃ち出されれば北京は壊滅する。駄目だ、終わりだ、誰もがそう思ったその時、
「え」
空を見上げていた人間総てが目を剥く――青竜の首が断ち切られたのだ。
よくよく見れば傍らには三対六枚の白翼と黒翼を持つ少年のような少女が居た。
ルシファーをその身に宿す人間、外道天魔である。
「これが墜落したらまずいよねえ」
地に落ちようとしていた青竜の首と胴体を蹴り上げて再び上空へ打ち上げる。
そして間髪入れずに両手から白と黒の破壊光を放ち死体を消し去った。
「先行して正解だったね」
『ああ、今頃あちこちでこんな連中が幅を利かせてるよ。そういうのとやれるのは僕らしか居ない』
神魔をその身に宿す天魔、醍醐姉妹、アリス、雲母の五人は先行して大陸へと乗り込んでいた。
彼女らは皆、強大な幻想を身に宿すがゆえにすぐに中国の現状が分かったのだ。
今、彼の国は限りなく幻想の世界に近くなっている。
となれば、彼の国の神々なども出て来るのは明白。そして、そんな者らに対抗出来るのはアレクを除けば自分達だけ。
醍醐姉妹を除く三人は即座に純化し、裡に秘めた神魔の力をフル活用して、
早期に排除せねばヤバそうな神魔の気配を感じる場所へ各々が飛んだ。
そうして北京にやって来たのが天魔というわけだ。
彼女が来たおかげで間一髪、北京は消滅の危機を避けられた。
「いやぁ、地獄だね、マジで……晴明」
呼びかけると同時に晴明が隣に姿を現す。
普段は隠している九つの尾を顕現させているのは本気モードの証だ。
現世では普段出来ないことも、限りなく幻想世界に近付いた今の大陸では可能になる。
天魔が本来なら現世では一対しか出せない翼を限界まで出しているのも同じ理由だ。
「うむ、わらわの役割は一般人を飛ばすことだな。承知しておるよ」
有りっ丈の転移符をマシンガンのようにばら撒く。
それらは優先的に生きている一般人へと向かい、彼らを国外へと転移させる。
「大丈夫かい?」
「……一度に千が限界で、何度繰り返せるかは分からんが出来る限りはやってみる。そなたもしかりとやれ」
戦えない人間は広大な大陸のあちこに居る。
総てを掬い上げることは出来ないが、晴明も出来る限りは尽くすつもりだ。
それが人間に味方した己の責任であると自覚しているから。
晴明は天魔から離れて、一般人らを効率良く救うべく動き出した。
『持久戦になるよ、純化だけはとりあえず解除しなよ。ヤバイ奴が出て来るまでフルパワーは取っておきな』
「ああ、分かってるよ……にしても、こりゃ酷い……」
言いながらバレーボール大の光球を幾らかばら撒く。
それらは総て密集している時代錯誤な兵士達に直撃して彼らを消滅させる。
人が多過ぎてあまり大規模な攻撃を使えないのは痛い。
それでも醍醐姉妹やアリスならばまだやりようはあっただろうが……。
『急降下して蹴散らす、そして上空へ登って次のターゲットを定めるってのを繰り返す方が良いかな』
「手間だけどしゃあない」
殆ど感覚でヤバそうな場所にピンポイントで急降下して敵を蹴散らし再度上昇。
上空から街を見渡し再び急降下をして敵を、それを何度か繰り返していると残る四神が姿を見せる。
上空には朱雀、大地には白虎と玄武、四方位の一角が欠けても彼らはまだ健在だった。
「ええい! 邪魔臭い!!」
青竜の場合は馬鹿みたいな巨体であったし、不意打ちだったから一瞬で片付けられた。
だが残る三神は人よりも大きいものの、北京と同等とかの非常識ではないうえに二柱は地上に居る。
派手な攻撃をすることは出来ないし、敵も馬鹿じゃない。
朱雀は即座に低空へと移動し、大規模攻撃を封じた。
「畜生の癖に巧いじゃないか……!」
朱雀の炎弾、玄武の水流、白虎の鉄刃が襲う。
天魔はそれらの回避が出来ない包囲攻撃を翼で弾き飛ばす――ことも出来ずモロに喰らってしまう。
弾き飛ばせば更に被害が広まるからだ。
『白虎の尾を掴んで朱雀にぶつけてやりな』
「はぁ!?」
『良いから』
「分かったよ!」
ダメージを負うのを覚悟で突っ込んで、決して浅くは無い負傷を刻まれるが白虎の尾を捕まえることが出来た。
「うぉおおおおおおおおらあぁああああああああああああああ!!!!」
ジャイアントスイングの要領で尾を掴んで回転させ、それを上空の朱雀へとぶつける。
これくらいじゃ大したダメージにはならないだろうと天魔は考えていた。
そして実際、朱雀は吹き飛んだだけで大したダメージも無いのだが……。
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
白虎はどういうわけか、絶叫を上げている。
見た目にも分かるほどのダメージ、しかし一体何があった?
『相克って概念さ。火剋金、五行において朱雀は火。白虎は金。
火は鉄を溶かすことが出来るだろう? 彼らが持つ属性を利用してやったのさ』
「へえ……ということは?」
一角が崩れれば後は容易い。天魔は消耗した白虎の首を捻じ切り、今度は玄武を見やる。
『水を使って消してやれば良い』
「だよねぇ!!」
ルシファーが語った相克を利用した攻略法によって朱雀を撃破。
単体でなら天魔が圧されるわけもなく、残る玄武もあっさりと仕留められる。
「いよぉし、んじゃあまたチマチマ潰すとしようか!」
再度上空へ舞い上がった瞬間、
『! 天魔、気合いを入れて耐えろ!!』
何もかもがコマ送りになる。天魔は己の脇腹に当たっているものを見る。
それは赤い棒、物干し竿程度の太さの棒だ。
問題はその長さ。辿ってみれば遥か遠方、何処まで続いているのか、今の視力でも見えはしない。
だが、ただ長いだけで終わるほど事態は優しくない。
その棒は体感時間で言えばゆっくりと、だが現実の速さで言えば一瞬のうちに巨大化する。
物干し竿サイズがいきなり天をも支えられそうな柱レベルにまで膨らんだのだ。
そして徐々に徐々に遅くなった体感時間の中で痛みが拡がってゆく。
殴られている、棒で脇腹をぶん殴られている――いや、今では全身か。
「あ? ぎ、がぁ――――!?」
スローな時間は終わり、一気に現実が押し寄せる。
五体を砕かれ血反吐を撒き散らしながら遠く遠く、遥か遠くへ吹き飛ばされる天魔。
一瞬でミンチにならなかっただけ御の字だ。
欠損も義肢以外には無いし、むしろ運が良いと言えよう。
「な゛ん、だごれはァ?!」
『今、身体を修復する。流れに身を任せてそのまま吹っ飛び続けろ』
真っ先に破裂した内臓が修復される、外側は後だ。
まずは命を繋ぐために内側を、ルシファーの判断は迅速で的確だった。
そして天魔の判断も的確だ。彼女は即座に腕の切断面に刻まれた召喚陣を起動させ新たな義肢を召喚する。
戦場で義肢を失った際にも召喚と同時に装着出来るようにとの工夫だ。
「(っし! これでオッケー! っかし、何処までぶっ飛ぶんだ僕は……?)」
数キロメートルとか可愛い距離ではない。数十、あるいは数百。
場外ホームランとかそういうレベルじゃない。
『そろそろ修復が終わる』
「了解」
六枚の翼を羽ばたかせ、急ブレーキをかける。
速度がついていたせいでそれなりの反動もあったが、肉体はもう万全だ。
この程度の反動など屁でもない。天魔は自分が飛んで来た方向を睨み付ける。
『近付いてるな、それもゆっくりと』
「ああ。余裕ってアピールしたいのかねえ」
それならそれで良い。舐めた真似をしてくれた返礼をするだけだ。
天魔は静かに力を溜めながら敵を待つ。
『天魔、君も分かってるだろうけど……こりゃ負け戦だ』
「ああ。上手く負けることが勝利条件……ってのは何か変な言い方だね」
『だが間違いじゃあない。そして、上手く負けるためには君らが頑張らなきゃいけないわけだ』
無双の力を持っていても、護るべき人間と敵が混在している状況では一気に殲滅などは出来ない。
そうなると必要なのは数。だが、その数でも圧倒的に劣っている。
中華の英雄らが率いている軍勢は百万を超えていて、チマチマ潰していたら日が暮れてしまう。
更に言えば厄介なのは数だけではない。質という面でも最悪だ。
先の四神や今しがた天魔を攻撃した、上位の幻想もどうにかしなければいけない。
ここまで不利な状況で戦うのは初めてで、だからこそ燃えるのだ。
困難に直面した際、萎縮していても良い結果は生まれない。
天魔はそれを本能で悟っているからこそ滾っているのだ。
『来たよ、天魔』
そいつは雲に乗って現れた。
赤と金のド派手な、センスを疑う衣服を纏った限りなく猿――孫悟空である。
「……(あれ、何だっけ? 何か、えっとほら……)」
知らぬ者はそうそう居ないというぐらい雲に乗る猿は有名なのだが、天魔は思い出せなかった。
猿はドヤ顔をしているというのにこれでは何か恥ずかしいではないか。
『(西遊記だって。絵本ぐらなら読んだことあるだろ?)』
「(ああ、それだ。むかーし、アニメで一回見たような気がする)孫悟空か」
思い出せなかったことはおくびにも出さず、その名を呼ぶ。
呼ばれたエテ公こと孫悟空は天魔を無視してルしファーに語りかける。
「俺とあんたは似たもの同士と思っちゃいたが、まさか人間なんぞの下に着くとはなぁ」
そういうお前も大昔、人間の下に着いてたじゃないか。お師匠様って呼んでたじゃないか。
『まあ、天に背いたって意味なら僕と君は似てるね。
だが、僕は君のような暴れん坊のDQN猿じゃあないし、そもそも天での役職も馬の世話とかじゃなくて天使を束ねる長だったし』
ある意味で孫悟空は中華のルシファーと言えよう。
与えられた役職にキレて天軍相手に大暴れ。
誰も止められず、結局釈迦が出張るまで暴れ続けたのだから。
『そもそも人間なんぞの下って言うけどね、負けたんだから従うことに否は無いよ』
「成るほど。つまるところ人間に負けるような雑魚だったってことか」
『そういう君も人間に言いように使われてたじゃないか。頭を締め付けられるのが怖いからさ』
喋れるし多くの仙術も修めてはいるが、所詮はエテ公なのか。
自分を客観視することも出来ない――ん? それは紫苑も同じような……というかもっと酷いような……。
つまりあの男はエテ公以下か。もうホントどうしようもねえ。
「ハ! 既に過去の汚点は消した!!」
『自分の師匠を殺したのかよ』
「……」
イマイチ話題についていけない天魔は完全に蚊帳の外だった。
孫悟空の名こそ思い出したが西遊記のストーリーについては詳しく思い出せていないのだ。
日頃の不勉強が祟ったと言わざるを得ない。
「そうさ! 昔から迷惑ばかりかけられて正論言っても聞きゃしない大馬鹿者。
何時までもあれに付き従ってると思うなよ? 見ろ! その証拠に俺の頭にゃもうあの忌々しいアレはねえ!」
「(頭に一体何があったんだ……爆弾でも仕込まれてたのか……?)」
そんなことを考えつつ、天魔は機を窺う。
目の前に居るこの猿、予想以に隙が無い。下手に攻め込めば一瞬で詰みに追い込まれる。
孫悟空にはそんなプレッシャーがあった。
とは言え、一歩も踏み出さない者に勝機は訪れない。天魔は一瞬で思考を完全放棄し孫悟空に襲い掛かった。
彼我の距離は大体八百メートル、六枚の翼から羽の弾丸が放たれる。
視界総てを覆い尽くさんばかりの白と黒の弾幕。しかし孫悟空は動じない。
大きく息を吸い込み、強く吐き出す。吐息は狂風へと変じ弾幕を吹き飛ばす。
『十八番の仙術か』
そして間を置かず、孫悟空が自身の体毛を引き千切りそれを放る。
体毛は剣に変化し天魔へと迫る。彼女はそれを両の手で総て弾き飛ばすも、
「な!」
弾き飛ばされた剣は子供サイズの孫悟空へと姿を変えて一斉に如意棒で天魔を打ち据えた。
一発一発はそう大した威力でもないが、千重なれば無視出来ないダメージとなる。
「っくしょう……! こうなったら出し惜しみは無しだ!!」
分身を気合いで吹き飛ばし、純化を発動する。
そしてそのまま本体の孫悟空に殴りかかり、
「甘いぜ!!」
カウンターを喰らってしまう――予想通りだ。
わざと喰らって更なる強化を狙ったのだ。
ペナルティとして片足が使えなくなるものの天魔の目論見通りに更なる強化が成された。
「甘いのはそっちだよ! 僕の研究はして来なかったのかい?」
両手を組んでハンマーのように孫悟空の頭上へと落とす。
キン斗雲を突き破り地上へと落下する孫悟空。
彼は地上に叩き付けられる寸前で体勢を整えすぐに天魔を睨み付けるが彼女は既に同じ場所に居なかった。
「こっちだよバーカ!」
叩き落すと同時に落下地点に先回りしていた天魔。
がら空きの脇腹に渾身の蹴りを叩き込むが、流石は孫悟空、硬い、ひたすら硬い。
「ぬ、ぐぅ……!?」
それどころか肉体の一部を針に変化されて足を貫かれてしまう。
片肺が機能を喪失し、一気に呼吸が辛くなる。
「お前こそ俺が変化の術を得手としていることを知らんかったのか?」
「……ッッ」
喋ることで消費する酸素すら勿体無い。
肺を喪失したことで更に強化の度合いが跳ね上がったが、貫くにはまだ足りぬ。
「(有りっ丈絞り尽くす、手伝え……!)」
『了解、この猿相手に余力とか言ってらんないからねえ』
如意棒による嵐のような殴打を回避しつつ、更に力を練る。
ここで時間をかけて孫悟空を攻略するのは悪手だと判断したのだ。
早期に、例え全力を使い果たしたとしてもこの猿はここで排除せねばならない。
放置するには大き過ぎる敵なのだ。
「(幸い、なのは……この猿が、まだ何処かで人を見下してるところか……)」
多くの仙術を修めたというのに、それら総てを駆使して追い詰めようとしていないのがその証左だ。
力押しでも何とかなるという侮り、己に対する絶対の自負、孫悟空は未だに傲慢さが消えていない。
突くとしたらそこしかない。そこを突いて一気に決着に持って行くのだ。
「そらそらそらそらぁ! どうしたどうしたァ!?」
苛烈な攻めによりあちこちの機能が喪失してゆく。
目も見えず、匂いもせず、何も聞こえない。
心臓までもがその機能を停止し、死が目前へと迫る。それでも純化は解除しない。
自身の力を極限まで研ぎ澄ますためだ。気力だけで無理矢理命を繋ぎ、ルシファーの力が溜まり切るのを待つ。
「三昧真火、新たに得た力だ。せめてもの慈悲、一片も残さず消し去ってやるよ」
地面に大の字で転がっている天魔の胸倉を掴んで持ち上げ、大口を開ける。
喉の奥ではかつて孫悟空自身をも殺しかけ、
観音の助力が無ければ消すことも叶わぬ極炎を轟々と燃え盛っていた。
『――――今だよ、天魔』
火を放つよりも先に天魔の拳が孫悟空の口内へと突き刺さった。
自身の力、ルシファーの力、両方が合わさり極限にまで研ぎ澄まされたそれは三昧真火ですら焼くことあたわず。
孫悟空の身体を内部から破壊し、彼は何が起こったかも分からぬままこの世から消滅する。
「はぁ……はぁ……クソ、マジで……や、ヤバイ……」
純化を解除し、喪失した機能の復帰させ、希釈されたアムリタを飲み干す。
ダメージが消え、心臓などの重要器官もゆっくりとだが動き出し、どうにかこうにか死の境界より回帰する。
それでも疲労は消えていないし、身体機能が十全に活動出来るまで数時間はかかるだろう。
天魔は大の字に倒れて空を仰ぐ。
「皆は、大丈夫かなぁ……?」
十八時と十九時にもそれぞれ一話ずつ投稿します。




