神代愛憎模様
バレンタインパーティ夜の部、バレンタインパーティ深夜の部(隠語)の翌日。
その日は疲れが見えるが御満悦な女性陣とピクリとも動かない紫苑の姿が見られたがそんなことはどうでも良い。
「うーん……」
「どうしたの栞?」
醍醐姉妹は夕飯を食べ終えてから二人で自室に籠っていた。
和解を果たしてからは同じ部屋で寝起きするようになったのだ。
そして今は姉妹で仕事の真っ最中。
といっても冒険者としてのそれではなく醍醐の人間としての仕事だが。
「いえ、宣伝に私達姉妹だけでなく他の皆さんも使えないかと打診がありまして……ねえ?」
紫苑らは端的に言って華のある見た目をしている、かと言って約一名を除いて中身が伴っていないわけでもない
広告塔に使うとしたらこの上ない素材である。
「それは……まあ、今は稼ぎ時だし、下手に沈んでいるよりは商いに精を出した方が健全でしょうけど……ねえ?」
姉妹は眉をハの字に寄せて困惑を露にする。
春風紫苑と笑えない仲間達の中で自分達の名が売れていることを自覚しているのは、
自己顕示欲の化身である紫苑を除くと醍醐姉妹だろう。
こうやって諸々の仕切りをしていると何かと自分達の名を聞くし、利用しようとして来る人間も多く見られる。
「私も目立つのは平気ですが好きなわけではないです」
尚、紫苑は大好きな模様。
「私もよ。元々日陰の暮らしが長かったし……それに春風さんや他の皆さんを利用するのも嫌だわ」
「じゃあ却下しましょうか」
「ええ、別に私達の名前を使わねば商いが一つ潰れてしまうというわけでもないもの」
というより現状でも醍醐が関わっている商売はかなり成功を収めている。
元々安定はしていたが幻想回帰以降――正確にはイザナミの裁定以降は目に見える形で業績が上向いていた。
英雄春風紫苑の仲間であり自身らも英雄である醍醐姉妹が取り仕切っているので当然と言えば当然だ。
信頼という面では抜きん出ている。
英雄として知られる以前、栞が一人で当主を務めて頃から不正には厳しかったので更に補強されたと言えよう。
「にしても、疲れますねえ……」
「そうね。でも、こんな仕事が出来る余裕があるのは良いことでもあるわ」
幻想回帰直後からしばらくはそんな余裕は皆無だった。
忙しくなればまた下の人間に総てを放り投げるつもりだが今のところ忙しくなる気配は微塵も窺えない。
それはつまり安定しているということだ。
「先月は本当に忙しかったもの」
「九尾の狐、臭い狸の乱、イザナミの裁定……濃い日々を過してますね私達」
「一番濃いのは春風さんだけどね。それより狸と言えば、あれよあれ。宇宙。初めて地球を見たわ」
「青かったですねえ」
「青かったわねえ」
姉妹揃って流星になった日のことを思い出す。
無茶無謀極まる作戦だったが、当人らに恐れはなく見事に役目を果たしてのけた。
花も散らせぬ可憐な容姿をしているのに中身は女傑という言葉では足りないほどにタフな女達である。
「姉様と一つになって流れ星になるなんてちょっと前の私に言っても信じられないでしょうね」
「私もよ。一つになるって言った時点で頭がおかしくなったんじゃないかって疑われるわ」
九尾の狐との戦いで和解を果たしただけでなく物理的に合体まで果たしてしまった醍醐姉妹。
もう滅茶苦茶である。ロボットじゃないのに合体するとかどうなってるんだ。
「そういえば合体した私達って随分成長したような感じがするけど幾つくらいなのかしら?」
醍醐姉妹の顔はちょっとした差異を除けばまったく同じ。
つまり合体したあの姿は二人の未来の姿でもあるわけだ。
「二十半ばから三十手前……?」
「やっぱりそんなところかしら。単純に年齢を足し算するなら三十路超えちゃうけど」
「それは何だか嫌ですね」
「ええ。まだ二十歳にもなってないのにいきなり三十路っていうのは勘弁して欲しいわ」
歳を取る人間もいれば若返る人間もいる、純化とは本当に不思議な力だ。
「改めて考えると本当に不思議ですね。糸だって何時もとは勝手が違うのに自由自在ですし」
「むしろ技術が更に向上している気がするわね」
「私と姉様の技術が足し算されたのか乗算されたのか」
「他にもあの服は何処から持って来たのかとか本当に色々不思議ねえ」
ずずず、と冷めて温くなってしまったお茶を啜る。
姉妹揃って示し合わせたわけでもないのに同じタイミングなのは少し笑える。
「世界がこんな風になってから不思議ばかりですけどね。
何かもう夏に神秘体験したのとか別に凄くも何ともないことのように思えてきましたよ」
「小さい頃の春風さんに出会って通報されかけたんだっけ?」
「ええ。現か幻か判然としませんでしたが……今の世界を見るにタイムスリップしたんだとしても不思議じゃありません」
神様なんて言葉が厚みを持つこの時代ならば人がおよそ想像出来ることは起こり得ると考えるべきだろう。
特に新宮――熊野は霊験あらたかな土地だ。
幻想回帰が起こる前とはいえ、その影響が漏れ出ていてもおかしくはない。
「特にあの神社は分社とはいえ天之御中主神を祀っていましたからね」
「天之御中主神……」
「姉様? どうかしましたか?」
「ううん。少し、気になってたことがあってね。天之御中主神もそうだけど他の神話でも存在しない神が居るんじゃないかって」
紗織の発言の意味がイマイチ理解出来ないのか、栞はしきりに首をかしげている。
「元旦にカス蛇さんが言ってたでしょう?
"俺様達を物語――神話や聖書なんて形に押し込めた"って。
例えば誇張表現で神を綴ったり、存在しないものをでっち上げたりすればより架空っぽくなるでしょう?」
「成るほど……そういう観点で見れば確かにそうかもしれません」
真に存在しているものを虚構の存在と一緒くたにして綴ってしまえば真贋を眩ませることが出来る。
こんなの居るはずがない、居たわけがない、虚構に引っ張られて真実も足を引っ張られてしまう。
かつての人間の考えは分からないが十分有り得る話だ。
現実の彼らを幻想の存在へと追いやる手としては有効極まりない。
「神話は数多くあり、そして神も数多存在する。総てが総て存在しているとは限らない。
以前からそう思ってはいたし多分正解なんでしょうけど……気休めにはならないわよね」
幾つかが偽物だったとしても本物が数多く存在するのもまた事実。
気休めにもならない話だと苦笑する紗織に栞も苦い笑みが浮かぶ。
「日本は復興が始まっていますが、世界という視点で見れば依然として状況は厳しい」
「だからと言って膝を折るわけにはいかないわ」
諦めずに足掻くことがみっともないなどというのは負け犬の戯言だ。
決して膝を折らず不屈の意思を以って生きている人間を自分達は知っている。
その強い心は人間のみならず神ですら動かした。
諦めないことの大切さを身を以って教えてくれた男が想い人なのだ。
せめてその人に恥じないように自分達も頑張ろう。姉妹は口にせずとも心を通じ合わせていた。
「それはそれとしてお茶、すっかり冷めてますね。私、舌に響くぐらい熱いのが好きです」
「私もよ。淹れ直しましょうか。ついでにお茶菓子も出しましょ、栞、御願いね」
「時間的に危ない感じもしますが……まあ、私達は冒険者だしカロリーの消費も激しいから大丈夫ですよね」
時刻は午前零時前。この時間帯にお菓子を食べるのは乙女的に少々危ない。
が、疲れた時は甘いものだ。自分に対する言い訳はバッチリである。
「そうよそうよ。それに昨夜も激しい運動したし」
女同士、それも身内だからか恥じらいがまったく見えない。
御上品に手を口に当てちゃいるがそこから零れ出してるのはまんま下ネタだ。
「と言っても人数も多かったですし……というか、紫苑さんって元気ですよね」
「それだけ私達が魅力的ということかしら?」
残念ながらその線はあり得ない。紫苑が真人間になるくらいあり得ない。
頑張ったのは単純に馬鹿にされたくないからだ。
クッソくだらねえプライドだけは人の百倍千倍強いから気合いで頑張っているだけである。
「というか姉様、はしたないですよ私達」
「まあ、そうね」
今更にもほどがある。少なくとも男を押し倒してアレコレするような女が慎み深いとは口が裂けても言えない。
姉妹はオホホ、と上品に笑いながら用意した茶と菓子をテーブルに乗せる。
「ふぅ……やっぱりお茶は熱くなきゃいけませんね」
「夏でも冬でもやっぱりこれよ。お腹がぽかぽかするわ」
茶を啜り、お茶菓子の栗饅頭を摘む姉妹の顔はとても柔らかい。
こうしていると歳相応の少女そのものだ。
「そういえば、昨日のことで思い出したんですが……天魔さんの刺青、結構際どい位置にありますよね」
「全員が全員、腕に刻まれるというわけではないのかしら?」
現在確認されている限りでは幻想と融合した事例は四つだ。
最初はアレクサンダー・クセキナスとプロメテウス。
二番手に春風紫苑と聖書の蛇、三番目がベアトリクス・アッヘンヴァルとニブルヘイムの女王ヘル。
最後の一つが外道天魔と明けの明星ルシファー。
融合の証が刻まれた証はそれぞれ左腕、右腕、半身、下腹部となっている。
前二つを見る限り腕に表れるものかと思えばどうも違うらしい。
「仮に、仮に私達が何某かそういう神々の力を得られた場合はどうなるんでしょうね」
「無難な場所が良いわ」
姉妹は話しながらも饅頭を摘む手を止めない。
疲れていることと、この時間に食べる後ろめたさが食欲を増進しているようだ。
「まあ力を得られるというならば刺青の場所ぐらいは……というか、紫苑さんだけは特に何も恩恵受けてませんよね」
アレクと天魔は分かり易く強くなっている。ヘルの場合も恐らくは同じだろう。
だが我らが春風紫苑は特に力を融通してもらっているわけではない。
「宿主に対して家賃を払っていないとは中々に駄目な蛇ね」
「京都の時は一応手助けしたようですが……それだけですしねえ」
神便鬼毒酒の霧で人の皮が完全に駆逐されないように護った。
そのおかげで戦うことが出来たのだがその一回だけだ。
家賃を払っていないというのは言い得て妙である。
「しかもその不法入居者は自分にトラウマを与えた相手……春風さん、本当に我慢強い」
一月の頭に紫苑が激したことは全員が知っている。
初めて理不尽に奪われてしまった命。
冒険者を志すならばそれぐらい覚悟しておけといえばそれまでだが、あの段でそれを言うのは酷だろう。
まだ振り分け試験の段階、死ぬはずがないタイミングだったことも考慮に入れるべきだ。
「手が出せないのが痛いですよね。紫苑さんは躊躇いなく自分の手を短刀で貫こうとしてましたが……」
躊躇い無く演技で貫こうとしてましたね。
誰かが止めることを織り込み済みでという小賢しさまで爆裂させて。
「そもそもダメージが届くかって問題もあるわ」
さっきからあっちこっちに飛んで行く話題。
如何にも年頃の少女らしい会話だが今の話題はどうやったらカス蛇をシメられるかなので全然可愛くない。
「紫苑さんが食べたものの味なんかはあの蛇にも届いているようですが痛覚はどうなんでしょうね」
「私達から見ても春風さん、痛いことばかりやってたけど……」
その言い方だと紫苑がイタイ奴みたいじゃないか――あながち間違いでもないが。
というのはさておき。確かに紫苑はこれまで色々な苦痛を自分に課して来た。
聖槍ロンギヌスで腹をぶち抜いてみたり、魂の均衡を崩して甚大なダメージを受けてみたり、
業火の中に身を投じてジャンヌを抱き締めたり、全身を腐食されたりと様々だ。
「今度それとなく聞いてみましょうか」
「そうね」
割と結構な量があった饅頭はもう一つとなっているがベタな取り合いをするつもりはない。
かつてのいがみ合っていた頃ならば軽く殺し合ったかもしれないが今は仲良し姉妹だ。
紗織は饅頭を手に取って二つに割り、意図的に少し大きくした側を栞に手渡す。
……何というかまあ、紫苑が絡んでいなければ本当に真っ当な奴らである。
「あ、そういえば知ってますか?」
「何が?」
「昨日のバレンタインパーティ、ルドルフさん途中でちょっと抜けてたでしょう?」
「ええ……トイレとか言ってたけどやけに長かったわね」
「あの時、ベアトさんと会ってたみたいですよ」
「ベアト……ああ、ジンネマンさんの婚約者だって言う?」
「そうそう。何でもわざわざニブルヘイムからチョコを渡しに来たとか」
「まあまあ!」
恋バナで盛り上がるのはどの国、どの時代でも普遍である。
姉妹はその後もルドルフやハゲなど他人の恋バナで大盛り上がりした。
「あら……もうこんな時間」
「そろそろベッドに入りましょうか」
気付けばすっかり夜は深まり、二人は寝支度を始める。
栞は純白に薄紅の花弁があしらわれた浴衣を、紗織は薄紅に純白の花弁があしらわれた浴衣をそれぞれ装着。
浴衣といえばお祭りの時に着ていくものというイメージが強いが元来は寝間着なのである。
季節的に今は冬なのだが、暖房が効いているので問題は無い。
「よし」
電気を消して二人で同じベッドに入り込む。
元々備え付けていたものでもそれなりに大きく二人で寝るには十分な広さなので窮屈さは無い。
それでも身を寄せ合っているのは単純にお互いがお互いを好きだからだ。
「それじゃあ姉様」
「ええ」
布団に入ればすぐに眠気はやって来た。
これまでしっかりしていた眼差しもトロンと蕩けてしまっている。
「おやすみなさい」
二人でおやすみの挨拶をして同時に眠りに落ちる。
冒険者にとって早寝は必須技能なので寝ようと思えば何処でも寝られるし何時でも寝られる。
ベッドという寝具の上ならば目を閉じればすぐに寝てしまえる、寝られない方がおかしい。
そうしてすやすやと寝息を立て始めた姉妹だが……。
『あ、あら……?』
栞は混乱の中にあった。
明晰夢というのはこれまでも何度か見たことあるし、誰だって見たことはあるであろう夢なので珍しくはない。
だが、本人の感覚で寝入ってすぐにというのは初めての経験。
更に言えば夢にまったく見たことのない景色が出て来るのも混乱の一因だった。
これまで栞が見て来た夢は突拍子も無いものも無いではなかったが、
登場人物だったり情景だったりは記憶にあるものばかりだった。
まったく見たことも聞いたこともない場所が現れたのはこれが初めてだ。
栞はさてどうしたものかと思考を巡らせ始める。
『これは……こんな場所、日本にありましたっけ?』
ひんやりと足を濡らす海は何処までも澄んでいる。
此処は岬らしいのだが、どうにも違和感が拭えない。
風景だけを取って見るなら探せば日本にも似たようなところは幾つかあるだろう。
だが、海もそうだが周囲の総てに命を感じるのだ。
これはそう、高天原で見た日本の原風景にも似ている。
ならばある意味で知っていると言えなくもないが、やはり違う。
高天原のそれとは何処か違うのだ。上手くは言えないが。
栞は幻想の攻撃かと考えたところで気付く。
『あれ……これ、私、じゃない……?』
海面に映る姿は醍醐栞のそれではない。
愛らしい顔立ちや長い黒髪という要素だけを抜き出せば被っているが顔の作りが違うし衣服やアクセサリーも違う。
寝る前に着ていた浴衣ではなく高天原で神々が纏っていたような衣服に頭の花飾りなど見たことも着たこともないものだ。
『日本の神々が干渉している……? しかし、何故……』
日ノ本の神々の元締めである三貴子やイザナミ、イザナギは此方に好意的だ。
他にも好意的な神は居るし、そうでない神も居るが基本的に好意的でない神は不干渉のはず。
例外だとしても、何故自分に干渉して来るのかが分からない。
栞はハッキリと自分の存在はそこまで重要ではないと自覚している。
重要度で言うならば一番は紫苑で、二番目は戦力的な意味で魔王の力を持つ天魔だ。
己を含む他の面子はそこまで重要ではない。
純化など類稀なる力を振るうということは出来るが、それでもピンポイントで狙うほどの者ではないだろう。
ゆえに解せない。疑問が次々と沸いて来る。だというのに解は一つも出せていない。
「あ」
自分のものではない声が響く。
恐らくは今己が宿っているであろうこの身体の持ち主の声だと栞は集中力を高める。
何らかのアクションが始まれば情報を手に入れられるかもしれない。
「姉様!」
『姉様?』
リンクしている視線の先には先ほど海面に映っていた顔と瓜二つの女が居た。
此方に向かって来るその女は確かに栞が宿っている女とそっくりなのだが……。
『姉妹、なんでしょうけど……』
歩いて来る女は確かに顔の作りは良いが、それを打ち消すように陰鬱な空気を身に纏っている。
身に纏っている衣服も華やかな妹に比べて地味だし、それが余計に陰鬱な空気に拍車をかけているように思う。
栞も集中していなければ似ている、美しいということを見逃していただろう。
「もう! 遅いですよ姉様!」
妹はプンプンと頬を膨らませて姉に抗議する。
紫苑が見ていればブってんじゃねえよ可愛いと思ってるのかバーカと罵倒すること間違いなしだ。
「……ごめんなさい」
か細い声、ヤバイ、暗い、ホントに暗い。
数年引き篭もって誰とも会っていないメンヘラ女子だってもう少し明るく振舞えるだろうに……。
『……何か、こう、姉妹と言っても形は色々ですね』
と、感想を漏らしたところで今度は聞き覚えのある声が耳に届く。
『栞!? ねえ、栞でしょう!』
『姉様? ひょっとして……そちらの女性の中に居るんですか?』
醍醐姉妹の声は明るい妹と暗い姉には聞こえていないようで二人は普通に別の会話をしている。
『ええ……寝たと思ったら気付けばこの人の中に……中、なのかしら? よく分からないけど』
『にしても、姉様まで居るとしたらこれは夢じゃありませんね』
『寝ている最中に幻想の存在が干渉して来たのかしら? でも正直私達を狙う意味が……』
紗織も栞と同様のことを考えていたらしい。
二人揃ってああでもないこうでもないと現状について考察を重ねるがやっぱり解は出ず。
とりあえずは自分達が宿っているこの姉妹を観察しようということで一先ずの結論を出す。
「……それでサクヤ、今日はどうするの?」
「とりあえず水遊びでもしましょ! ほら、姉様もこっちこっち」
サクヤと呼ばれた妹は暗い姉の手を取って海へ引きずり込む。
キャッキャとはしゃいでいる妹とは対照的に姉は本当に暗い。
『サクヤ……というのが私が宿っている方の名前のようですね』
『私の方は何て言うのかしら?』
何か頭に引っ掛かるものがある。
それに首を傾げつつも姉妹は宿主達の会話に耳を傾ける。
「あ、そうだ。知ってる姉様?」
「……何が?」
姉は楽しいのだろうか? 嫌なんじゃないか?
そんな疑問が沸き出すほどに暗い。何度でも言うが暗い。
それでもサクヤはお構いなしだ。
「お父様から聞いたんだけど天孫邇邇藝命様がこの近くに来てるらしいのよ!」
「……そう」
『天孫邇邇藝命……』
『それにサクヤ……』
ここまで材料が揃っていて気付かない方がおかしい。
醍醐姉妹は自分達が宿っている身体の持ち主の正体を看破する。
『――――私が宿っているのは石長比売?』
『――――私が宿っているのは木花之佐久夜毘売?』
二人は同時に宿主の名前を口にする。
石長比売に木花之佐久夜毘売、これは醍醐姉妹にとっても無視が出来ない名前だ。
紗織はかつて己を石長比売になぞらえたことがある。
そして栞は後にその時のことを紫苑から聞き心の中でこう思った――良い思いばかりした自分は木花之佐久夜毘売のようだと。
紗織はかつて自分がなぞらえた存在に憑依していることに皮肉を感じた。
栞はかつて抱いた負い目を想起させる存在に憑依していることに皮肉を感じた。
そして冷静になって現状を省みる。
正体は分かった、そしてこれは恐らく過去の記憶だ。問題は、
『何故、私と姉様が山の姉妹の記憶を追体験しているのでしょう?』
『……その二柱が私達に干渉を? でも何故?』
かつて高天原で天照は木花之佐久夜毘売と石長比売について言及した。
結局色々あって聞けずじまいだったが、天照が何かしたのだろうか?
いや、だとしても事前に何かしらあっても良いはずだ。
その程度には仲良くなったのだから。つまりこれは天照の意思ではない。
「ねえ姉様、邇邇藝命様ってどんな方だと思う? やっぱりカッコ良いのかしら?
私、一度だけ天照様の御尊顔を拝見したことあるのだけどあの御方の御孫様なんだしきっと素敵な殿方だわ!」
問いかけておいて相手の答えを待たないうちに自分で答えを出す――スイーツ(笑)の所業である。
が、そんなスイーツ(笑)サクヤちゃんの姉である石長比売に気分を害した様子は見えない。
明るい妹と暗い姉、案外バランスが取れているのかもしれない。
「会いたいなぁ、一度で良いから会いたいわ。
邇邇藝命様も近くまで来たのならお父様に顔を見せにぐらいは来るだろうし……。
ねえねえ姉様、頼めば同席させてくれないかしら? 駄目かしら? ねえねえ!」
わきゃー! と石長比売に抱き着いたまま海の中に飛び込む木花之佐久夜毘売。
何かもう若干どころか、かなりウザイような気がしないでもない。
「……お父様に迷惑をかけては駄目よ」
立ち上がりずぶ濡れのまま己に抱き付いている木花之佐久夜毘売の頭を撫でる石長比売。
その顔は相も変わらず暗いが、若干柔らかく見える。
ウザイ妹のようだが、姉としては可愛がっているらしい。
「分かってるけどちょっとくらいなら……駄目?」
上目遣いで姉を見つめる木花之佐久夜毘売。
石長比売は小さく溜息を吐いて妹の言葉に頷く。
「……分かった。お父様に頼んでみましょう」
「やった! 姉様大好き!」
実に仲の良い姉妹だが、この後のことを分かっているだけに栞も紗織も素直に微笑ましいとは思えない。
どれだけ仲の良い姉妹であろうとずっと一緒には居られないのだ。
醍醐姉妹だってそうだ。今でこそ一緒に居られるし、仲良しだが以前までは違った。
どちらが悪いわけでもないが、その絆は引き裂かれて憎み合う羽目になった。
『……姉様』
自分達は再び絆を結び、仲の良い姉妹に戻れた。
だが、木花之佐久夜毘売と石長比売はどうなのだろうか?
今、彼女らも復活しているはずだ。
だが、あんなことがあって元の――今のように仲の良い姉妹に戻れたのだろうか?
栞の言わんとしていることは紗織にも分かっていた。その上で何とも言えないのが現状だ。
『言いたいことは分かるわ。でも、今は見守ることしか出来ないでしょう?』
自分達は今、過去の女神達に囚われている。
抜け出す方法は皆目分からない。今は流れに身を委ねることしか出来ないのだ。
『そう、ですね』
栞も紗織も、木花之佐久夜毘売と石長比売という女神に対して特別な情を抱いている。
境遇はまったく違うし、何を言っているんだと言われればそこまでだが自分達を重ねているのだ。
一人だけ幸せになった木花之佐久夜毘売、一人だけ幸せになれなかった石長比売。
妹は後に子供まで生まれているが姉はどうだろうか?
一説によればこの暗いながらも優しい姉は後に妹を呪ったという。
後の姉妹の不仲を示す俗説は他にもある。
木花之佐久夜毘売は富士山の化身で、石長比売は大室山の化身だという。
その大室山で富士山――妹を褒めると怪我をするなどの俗信が存在している。
後に石長比売が幸せになったという一文が何処かにあれば良かった。
あるいは天照辺りからその後の姉妹について聞いておけば良かった。
そうすればモヤモヤとした気持ちを抱かずに済んだが所詮は後の祭り。
醍醐の姉妹はこのまま花と岩の姉妹が辿る道を見つめ続けるしかない。
「えへへ~♪ あ、お腹が空いたし貝でも採りましょ姉様」
「……そうね」
自由奔放な妹に引っ張られるがままの石長比売。
木花之佐久夜毘売はお構いなしに姉の手を引いて岩場へ移動する。
「ねえ姉様、邇邇藝命様に会ったら何をお話する?
やっぱり山のことかしら? 私達って山の女神だしそれぐらいしか話題無いわよね?」
「……まだ、会えると決まったわけじゃないわ」
「大丈夫よ! 姉様がお父様に話をつけてくれるし、そしたら沢山お喋りしましょ? ね?」
濡れた岩場の上でクルクルと回る木花之佐久夜毘売。
転ぶんじゃないかと栞が危惧した瞬間、見事に木花之佐久夜毘売バランスを崩す。
咄嗟に石長比売が妹の手を引っ張るが代わりに彼女が転んでしまい尖った岩で膝を抉ってしまう。
「ね、姉様!? ご、ごめんなさい……」
花が咲いたような爛漫の笑顔を浮かべていた木花之佐久夜毘売の表情がさっと曇る。
はしゃいでいた己のせいで姉が傷を負ったことを申し訳なく思っているのだろう。
馬鹿っぽい、いや多分マジで馬鹿なのだろうが木花之佐久夜毘売は悪い奴ではないらしい。
こうやって素直に謝れるのがその証拠だ。
「……平気、大丈夫よ」
不安そうな顔をする妹を安心させるように、ぎこちないながらも笑顔を浮かべる石長比売。
暗いが、マジで暗い奴だが彼女も悪い奴ではないらしい。
「――――おい君、大丈夫か」
傷口を押さえている石長比売と心配そうな顔をしている木花之佐久夜毘売の前に見知らぬ男が現れる。
質素な服に身を包み腰に剣を差したその男は端的に言ってイケメンだった。
涼やかでありながら鋭さを感じさせる顔立ちに後ろで結い上げられた流れる黒髪。
現代でも通じるようなイケメンっぷりである。
『何となく、紫苑さんに似ていますね』
『ええ。でも春風さんの方が百倍良い男ですけど』
男は目を瞬かせる姉妹の前に片膝を突いて石長比売の傷口に手を当てる。
柔らかな、陽光を思わせる光が傷口を照らす。
すると小さい岩の破片や砂が傷口から排出されて、流れ出ていた血が止まっていく。
「……かなり深く切れているな」
具体的にどうかは分からないが恐らく最近や破片は完全に摘出されたのだろう。
そして血も止まった、だが依然として傷口は開いたままだ。
男は更に力を込めて傷口を塞ごうとするが完全には塞がらない。
「あ……」
ぼんやりと男を眺める石長比売の頬はほんのり紅く染まっていた。
そしてそれは木花之佐久夜毘売も同じ。
まあ確かにいきなりイケメンムーブかまされたら乙女としてはキュンキュン来るのも已む無しだ。
「ふぅ……すまない。私はどうもこういうのは不得手らしい」
懐から取り出した綺麗な布を石長比売の傷口に丁寧に巻き付ける。
ナチュラルなこのイケメンムーブを紫苑が見ていれば悪態を吐きまくること間違いなしである。
「……あ、あり、ありがとう、ございます」
「気にするな。放って置けなかっただけのこと」
そう言ってそのまま立ち去ろうとする男だったが、
「あの! お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
木花之佐久夜毘売が待ったをかける。
「私の名か?」
「はい!」
目を輝かせる木花之佐久夜毘売と石長比売。
だが、醍醐姉妹は男の名を聞いた途端、何とも言えない気持ちを味わうことになった。
「――――私は邇邇藝命だ」




