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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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明星 参

 天魔が辿り着いたルシファーの領域もまた、彼女の性格を反映したような場所だった。

 大地を埋め尽くす名前も知らない白い花。

 だけど空には太陽も月も星も何もない漆黒。

 白と黒で分けられた殺伐とした、それでも何故か不思議と落ち着く世界。


「あれ?」


 ふと、繋いでいた手の感触が消えておりルシファーの姿も見えなくなった。

 空を切る手がグーパーグーパーと開閉するが掴めるのは空気だけ。


「あ、もしかして身体を返したからかな?」


 瞬間、風が吹き抜け花弁が舞い散り、空が鳴動する。

 何処までも続いていく地平線の向こうに美しくおぞましいそれが姿を現す。

 性差の区別がつかない人間そのものの姿だが神聖さと邪悪さを兼ね備えた貌は息を呑むほど美しい。

 裸体を覆う白布と黒布が妙に艶かしく、心の弱い人間ならば直視するだけで心を奪われてしまうだろう。


「うわぁ……でけえ」


 実際の距離感は分からないが、その身体は日本なんて軽く握り潰せてしまいそうなほどに大きい。

 六対十二枚の白翼と黒翼だって一枚一枚が途方も無い大きさだ。


「つーか神に近き者だか何だか言われていたメタトロンより、よっぽど神様みたいな姿じゃん」


 聖性を漂わせながらも悪性を感じさせる姿は一種の完全を表現しているようにも見える。

 天魔の言葉に気を良くしたのかルシファーは顔を綻ばせる。


『悪魔が人に近付く理由などたかが知れています。堕落の道に突き落とすか契約を提示する』


 勿体ぶるようにワンクッション挟むルシファー、これも様式美というやつだ。

 悪魔は飾る、飾らなければいけない。大袈裟に、物々しく、しかして滑稽に。


『――――天魔、私はあなたに契約を提示しましょう』


 悪魔は契約を持ちかける、餌をぶら下げて人間から甘い蜜を啜るために。

 オカルトに詳しいわけではない天魔だが、それは知っている。

 何時だったか紫苑と悪魔について話をしたことがあるからだ。


『勝った者が手に入れて、負けた者が失う、シンプルな契約です』

「ゲームの内容は?」

『衒うつもりはありません。シンプルに殺し合いましょう』


 大天使が束になってフクロにしても殺し切れないのがルシファーだ。

 そんな相手を人間が一人でどうこう出来るわけがない、不可能である。

 勿論彼女自身もそこは分かっている、

不可能な勝負を持ちかけるのは悪魔の矜持に反するから絶対に勝てない勝負などは持ちかけない。


『一応言っておきますが、あなたが絶対に負けるような勝負はしません』

「ふぅん……まあ、それは良いよ。シンプルな殺り合い、結構なことだ。それで互いが差し出すものは?」


 ゲームの契約を結ぶのならば勝利した際に得られるものも提示すべきだろう。

 まだ美味しそうな餌が見えていない、喰いつきたいと思うものをチラつかせてくれるんだろうな?

 天魔が挑むような目つきでルシファーに問う。


『あなたが勝てば私は肉体を捨ててあなたと融合しましょう。

無論、操ったり乗っ取ったりなどのみっともない真似は致しません。

力だけを渡す都合の良い……そう、さながらホストに貢ぐアラサー女のように尽くしましょう』


 すんごい神々しい姿ですんごい俗なことを抜かすな。


「例えがすっごい馬鹿っぽいんだけど……紫苑くんとカス蛇くんみたいな感じになるってこと?」

『ええ。とはいえあのコンビは本当にただの共生関係のようなので、

例えとしてはアレクサンダー・クセキナスとプロメテウスのコンビの方が正しいでしょう』


 アレクという人間が最強たる所以は彼自身の力もあるが、その力をブーストさせているプロメテウスにある。

 だからこそ万を超える天使の軍勢であろうとも一瞬で消し炭に転職させることが可能なのだ。


『現世で使うならば強力な幻想ということで制約はかかりますが、それでも十分な力を得られる』

「そして君らの領域ならば制約は無いわけだ」


 ルシファーの提案は実に美味しいものだった。

 天魔自身も高天原で三貴子と戦った際に神の力を肌で感じている。

 八雷神のバックアップが無ければ確実にやられていただろうということも。

 それだけ人と神、あるいは魔王には差がある。

 しかしルシファーと融合すればその差を埋めることが出来て、天上の存在に牙を突き立てることが可能となるのだ。

 断る理由は何処にも無い。


『ええ、とは言っても器は人間のそれ。私が私として本気を出すよりかは劣りますがね』


 それならば融合ではなく、そのままのルシファーの協力を得る方が良いかもしれない。

 だが本人がそれを提案をするつもりが無いのだ。

 あったのならば最初からそのように契約を持ちかけるだろう。

 仮に天魔がそのように報酬の変更を要求するのならばルシファーはゲームを止めるはずだ。


 あくまで報酬を提示するのはゲームを持ちかける側で、持ちかけられている側はそれを望めない。

 立場が対等ならばそれも赦されただろうが、ルシファーと天魔の立場――実力には明確な差があるのだから。

 それに天魔自身も報酬に不満があるわけではない。

 制約はつくものの現世でのパワーアップを見込めるし、幻想の領域でならば更なる力が望める。

 欲張り過ぎてもロクな結果にはならない、それが悪魔相手ならば尚更だ。


「成るほど、勝って得られるものは分かった。では、負けた場合に僕が失うものは何だ? 命だけじゃないだろう」


 命だけでは軽過ぎる、魔王ルシファーを手に入れるのに命だけでは法外が過ぎる。

 命だけで済むなどと都合の良いことは考えていない。


『――――あなたの立場をそっくりそのまま頂きます』

「ほう……というと?」

『魔王ルシファーが外道天魔になるのですよ、簡単でしょう?』


 心底愉しげに笑うルシファー。

 負け金についての説明はあまりにも突拍子が無いものだったが天魔は何処か納得顔だ。


『然るべき契約を結び死したあなたの肉体に乗り移ればその瞬間から私が外道天魔になる。

あなたの周りに居る人間は気付けない。

世界そのものに干渉して私が現在過去未来に存在する外道天魔であると刻み付けるのだから。

性格が変化しようとも、違和感を持つことも無いでしょう。

春風紫苑とその仲間達と強い絆で結ばれた外道天魔ルシファーの出来上がりです』


 誰にも気付かれずにそっくり立場を奪われてしまう。

 背反の愛を謳うのは天魔も同じだが、ルシファーの場合は愛する対象を傷付ける危険なものだ。

 もしも天魔が敗北しルシファーが天魔になれば一番危ないのは紫苑である。

 外道天魔になるということは春風紫苑を愛する女としての立場も奪われてしまうのだから。

 その背反の愛が紫苑を襲うことは想像に難くない。


「成るほど、了解した――――契約を結ぼう、その条件でね」


 紫苑が危ないから嫌だ――なんて言わない。

 それは自分を信じて送り出してくれた愛する男への侮辱になるから。

 己の性を肯定し、真っ向から受け止めてくれている紫苑に対しての遠慮こそが一番やってはいけないことだ。

 そう天魔は考えているわけだが――――また自分の軽はずみな発言のせいで紫苑は危機に晒されてしまった。

 しかも自分が介入する余地が無いどころか自分の危機を知ることもないまま博打に巻き込まれた。

 本当に自業自得の似合う男である。


『ほう、考える時間は必要ありませんか?』

「無いね。紫苑くん曰く、悪魔ってのは誠実らしいよ?」


 クツクツと笑いながら天魔は何時かの会話を思い返す。

 あれは糞忙しい一月のことだ。深夜、何となく目が醒めた天魔は拠点内をうろついていた。

 その際に書庫の明かりが点いていることに気が付き中を覗くとそこには紫苑の姿が。

 彼はぼんやりと分厚い本に目を通していた。


"やあ紫苑くん、何読んでるんだい?"


 一旦食堂に行ってココアを淹れて差し入れを口実に書庫の中に入った天魔は笑顔で紫苑に語りかけた。


"ああ、天魔か。ありがとう……悪魔についての本を読んでいたんだよ"

"悪魔? えらくざっくりとした括りだねえ"

"はは、まあ大雑把というか便利な言葉であるのは確かだな。

ちなみにお前の名前である天魔も悪魔って言う意味だが知ってたか?"

"いや、知らなかった。何か暴走族が好きそうな字だなとは思ってたけど"


 天魔という名前はあんまりにもあんまりな名前だが本人はまるで気にしていない。

 強いて言うならば天という字は良いが魔は若干画数が多いのでシンプルな漢字が良かったという不満ぐらいだ。


"はは、暴走族か……確かに使いそうだ"

"でしょ? ねえ、それより折角だから悪魔について何か話してよ。眠れないんだ"

"寝物語になるとは思えないが、俺なりの悪魔に対する印象でも語ろうか"

"悪魔に対する印象?"

"俺は悪魔という連中の本質は誠実だと思っている"


 紫苑という悪魔の本質が誠実だとは思えない件について。


"誠実?"


 飛び出した言葉は予想外だった。

 天魔は首を傾げて発言の意図を考えてみるが答えは出て来ない。

 降参の合図代わりに両手を挙げて先を促すと紫苑はココアで湿った唇で持論を語り始める。


"悪魔は契約を持ちかける、天魔もそういうの聞いたことないか?"

"ああハイハイ、代償に魂ってやつだね。あるよ。でも、何でそれが誠実に繋がるの?"


 悪魔は人の欲望につけ込む厭らしい奴――あれ? これは紫苑ではなかろうか?


"悪魔の契約には色々ある。今言ったように、何かを得る代わりに魂をについて先ず語ろうか。

人間がするような分かり難い契約で本人が差し出したことすら気付かないまま魂を奪うようなことはまずしない。

明確に、ハッキリと魂を貰い受けると悪魔は語る。そして言った以上、しっかり与えてしっかり奪う"


 見方を変えれば誠実と言えるだろう。持ちかけた契約を正しく履行するのだから。


"人間の詐欺師ならば相手にネガティブな印象を与える魂を奪うという言葉を単刀直入には口にしない"

"確かに誠実と言えるかもしれないね。でも、それだけじゃないんだろう?"


 何かを得る代わりに魂をについて先ず語ろうか――紫苑はそう言った。

 まずということはまた別の切り口があるのだ。

 天魔は改めて思ったが紫苑は話し上手だと思う。

 色ごと方面では途端に不器用になるが普通の話題に関しては仲間内で一番上手いだろう。

 現に今も自分の興味を掻き立てているのだから。

 次に何を語ってくれるのか、そう考えると自然と笑顔になる天魔だった。


"ああそうだ。他の例も挙げてみようか。これも契約なんだが、こっちは遊びが混じっている。

例えばあれこれ出来ればお前に何々を与えよう、失敗した場合はさっきと同じだ。

まず前提としてぶら下げる餌は必ず喰い付ける高さに置いている。

絶対負けてしまう、絶対勝てない、二つの意味は微妙に違うが兎に角そこらは遵守する。

何せ絶望的な勝負ならば乗って来ない可能性もあるからな"

"でもそれじゃ悪魔が損するんじゃない?"


 天魔の指摘に紫苑が笑みを深める。


"いや、そうはならない。俺の言い方では人に分がある勝負のように聞こえただろうが、そうじゃないんだよ。

美味い餌の裏には陥穽がある。良いか? 持ち掛けた時点で人間からすれば可能性があるかもしれないと思うがそうじゃない。

ゲームに乗った時点の人間では絶対に勝てない、だって落とし穴があるんだからな、嵌まって敗北。負け分を巻き上げられるだけだ"

"おいおい、それなのに誠実なのかい?"

"忘れたか? 喰らい付けない位置に餌は無いんだ"


 絶対に勝てないのに勝てる可能性がある、コイツは一体どういうことだ?

 考えるのが愉しくなって来た天魔が必死に頭を捻る。


"とは言ってもただ跳ねれば喰らい付けるわけでもない。

人間からすればそう思うかもしれないが悪魔からすればそうじゃない。

性格や立場、必要なものと必要無いもの、そこらをしっかり見極めねばならないんだ。

傲慢なままでは決して勝利出来ない、謙虚になる必要があるとしよう。

だがそれは悪魔には分かっても人間には分からないんじゃないか?

変わらねば勝てないのに変わる必要があると気付けなければっさりと奈落の底だ"


 性格を改めれば勝てるとしてもそれに気付けるかどうかは本人次第。

 そして悪魔というやつは勝利に必要なものを巧妙に眩ませている――というより勝利の鍵自体を人間が見え難いものにするのだ。


"その個人に合わせて悪魔は内容を変える。

相手を深く知り、その人間が見えていないものを勝利の鍵として設定し契約を持ちかける。

鍵を見つけて勝利したのならば苦渋と共に賞賛を、負ければ侮蔑と共に美酒を呷れば良い。

悪魔の契約は巧妙且つ、提案する側にとっては実に手間のかかるものだ"


 そんな視点で悪魔との契約というものを考えたことがなかった天魔は驚きに目を瞬かせる。

 だがしかし、紫苑の言葉には説得力があった。

 追い詰められた人間は藁にも縋る想いで契約に飛びつくかもしれない。

 しかしそれにしたってまったく勝ち目の無いものにならば食いつきはしないだろう。


 勝利の鍵を見え難いものにするのは卑怯と思うかもしれない。

 だが、それも見方を変えればそれだけ人間を知っているということだ。

 勝負を持ちかける人間を深く調べていなければそんなことは出来ない。

 その上で鍵となるものを見出し、それに合わせて勝負の内容を組み立てる――真面目とすら言って良いだろう。


"現に悪魔との契約が奪われるばかりではないことは物語が証明している。

創作と言ってしまえばそれまでだが、神や悪魔なんてものが存在している今ではそうも言えない。

過去に綴られた物語や自伝、何でも良い……文字が伝えるものの中には真実が多く含まれている。

悪魔を出し抜いて勝利を得た者は幾人も居る。彼らは皆、誠実な悪魔との尋常なる契約の下に勝負を行って勝利を得たんだ"

"成るほど、確かに誠実だねそりゃ"


 悪魔に対して抱くネガティブなイメージがこの短時間で随分変わったと天魔は笑う。

 とはいえ納得させられてばかりというのも悔しい。

 天魔は意地悪な笑顔を浮かべて脳裏に浮かんだ問いを投げる。


"じゃあ人間に取り憑いて悪さする悪魔はどうなんだい? あれも誠実だって言うのかな?"


 子供に憑いた悪魔が色々やっていた大昔の映画を思い浮かべる。

 あれは別に何を与えるでもなしにただ悪さをしていた。

 あのような悪魔すらも誠実だというのか? 天魔は笑顔で紫苑の返答を待つ。


"そういうのは悪魔じゃないだろ"


 紫苑の答えはこれまた彼女の意表を突くものだった。


"はい?"


 思わず素っ頓狂なリアクション返してしまうほどに発言の意図が読めない。

 悪魔ではないとは一体どういうことだろうか?


"ただ単純に偽り、奪い、犯し、殺すだけの存在――――人間と何が違うんだ?

例えば口から超高温の火炎を吐いて人を焼き殺したとしよう。

だがここで注目するべきは火炎じゃない、火炎で何をしたかだ。やったのは殺人。

そして殺人というのは人類がこれまで腐るほどやって来たことだろう。

奪うことも犯すこともそう。歴史を振り返れば何時の時代でも人間はやってる。

凄まじい力を持っています、凄いですね、でも力の大小を除けばやってること同じなんですねで済む話だ"


 その程度の存在を悪魔と呼ぶなど嘲笑ものだ。


"その程度の奴は悪魔じゃない、人間モドキで十分だ。

悪魔という形容は軽く使われているが、その実軽々しく使えるようなものじゃない。

悪魔というのは簡単に人間から何もかもをも奪ってしまえる力を持ちながらも、

決して短絡的な手段には出ずに人を理解し、その上で大胆且つ不敵に迫って来るような恐ろしい奴なんだよ。

ある意味で人を愛していると言っても良いかもしれないな。手間隙かけてでも近付こうとするんだ、好きじゃなきゃ無理だ"


 単純な蹂躙しか出来ないような輩は下品が過ぎる。

 悪魔というのはある種の品格を備えているが人間モドキにはそれが無い。


"ある種の品があるわけだ、そしてその品が誠実さに繋がっているってわけかい?"


 天魔は自分なりに紫苑の言葉を噛み砕いて結論を出した。

 何となく振った悪魔の話題だが、予想以上に楽しめたらしく彼女は満足げだ。


"あくまで俺の持論だがな。その上で俺は決して御近付きにはなりたくない生き物だと思う"


 悪魔は誠実だ、しかし誠実だからといって仲良くなりたいかといえばそれはまた別の話だと苦笑する紫苑。


"そうかい? 紫苑くんの話を聞いて僕は悪魔と絡むのも悪くないと思ったけどねえ"

"やれやれ……寝る前の暇潰しぐらいにはなったか?"

"ああ、申し分無いね"


 その後、天魔は紫苑を押し倒して書庫であれこれしたのだがそれは関係の無い話だ。

 兎にも角にも彼女はこの時の会話をよーく覚えていた。

 その上でルシファーという悪魔の王と相対し、紫苑の持論が少なくとも彼女には当て嵌まっていることを確信した。


『悪魔は誠実、ですか。どんな会話をしたのか詳しく知りたいものですね』


 ルシファーとしても紫苑が語る悪魔論に興味があったらしい。


「何、僕が勝ったら教えてやるし負けても君なら記憶とか探れるんじゃないの?」

『出来なくもありませんね。まあ、勝負の後のお楽しみとしましょう。して、本当によろしいのですね?』


 契約を結びゲームに興ずると言ったが本当にそれで良いのか?

 最終確認を取る辺りもやっぱり誠実だと天魔は小さく笑う。


「良いよ。始めよう、出来ることならば愉しいゲームにして欲しいね。期待して良いかな魔王様」

『期待に応えられるかは分かりませんが全力を尽くすことを御約束しましょう』


 そう言い終えた後に変化は訪れた。

 ルシファーの巨体が捩れ、螺旋を描きながら徐々に徐々にそのサイズを小さくしていく。

 突然のことに目を白黒させる天魔だがすぐに不敵な笑顔へと変わる。

 こんなインパクトのあることをされれば否が応にも期待が高まるというものだ。


「お、おぉ?」


 モザイクがかかりそうなビジュアルのルシファーがこれまた奇妙な動きで天魔の遥か真上へ移動する。

 しかしこうなっては美しくも禍々しい容姿も台無しだ。

 モフモフで布団にすればさぞ具合が良さそうな翼だって見る影も無い。


「何だか……こう、改めて人外だなぁ……」


 最早サイズは高層ビルほどになっており、最初の頃に比べると随分小さくなたことが分かる。

 だがそれでも尚、縮小は止まらず――むしろ更に加速して小さくなってゆく。

 高層ビルは少し大きめの学校ほどに、少し大きめの学校は二階建ての一軒家ほどのサイズに。

 そうして小さく小さくなっていき最終的には人間大のサイズにまで縮んでしまった。


「その姿は……」


 天魔の笑顔が更に深くなる。これは確かに絶対に負けることはあり得ないだろうと。


『鏡いらずだろう? 僕は君だ』


 天魔の眼前に居るルシファーは僅かな狂いもなく寸分違わず外道天魔の姿をしている。

 放たれる圧力も魔王のそれではなく、人間天魔のそれだ。

 今着ているジャージの皺から義肢についた小さな傷まで完全に再現されている。


『微塵の疵もなく僕は君になった。完全に君だ。フフフ、どうだい?』

「確かに君の言う通りに鏡いらずだよ」


 鏡を見なくても分かる。ルシファーが今浮かべている不敵な笑みを自分も浮かべているはずだ。

 愉しくて愉しくてしょうがない。カニ――葛西二葉は己に勝つことを目的としてより近しいと目している紫苑を選んだ。

 だが天魔はそんなレベルではない。完全に己なのだ。


『じゃあ』

「うん」


 始めようか! 重なる声と共に二人は地を蹴って飛び出した。

 初撃は共に蹴り、天魔の右上段回し蹴りとルシファーの右上段回し蹴りが交差する。

 ビリビリと空気が震え、弾けた衝撃で白い花が吹き飛び雪のように花弁を舞い散らせた。

 だが不思議と大地が剥き出しになったりはしない。依然として美しい花畑のままだ。


『ハァッ!!』


 同時に足を引いてそのまま距離を取る――ことはせず更に距離を詰める。

 額がぶつかるような超至近距離で互いに拳のラッシュを放つ。

 回避不可のただただ相手にダメージを刻み続ける嵐のように打ち合いに互いの肉体に傷が刻まれていく。

 示し合わせたようにダメージを負った箇所までまったく同じになる。


「オラァ!!」


 力いっぱい背を反らせ、反動をつけてからの頭突きを放つ。

 だがそれはルシファーも同じ、天魔とまったく同じタイミングでまったく同じダメージを与える頭突きを放った。

 ぶつかる額と額、凄まじい衝撃が頭蓋を奔り、二人は弾き飛ばされてしまう。


『いったいなぁ……痛いなんて何千年ぶりだろう……』


 額を抑えて涙ぐむルシファー。

 頭突きなど、本来の肉体でやっていたならば蚊に刺されたほどの痛みも感じなかっただろう。

 だが今の彼女は完全に天魔と成っている。ゆえにこんな痛みが割とキツイ。


「虚無の世界とやらは痛くなかったのかい? ッッつー……」


 天魔は視線の先に居る自分の姿をしたルシファーが幻術か何かだとは考えていない。

 幻を見せて一人遊びをさせるようなくだらない真似をするはずがないとルシファーを信じている。

 そしてもう一つ、悪魔は誠実という言葉を信じてベットしているのだ。


『痛みの種類が違うよ』

「ふぅん……」


 痛みが引いて来た二人は額から手を外し、軽く手を開閉する。

 十分身体が温まったことを確認しジャージの上を脱ぎ捨てた。


「……僕の胸、改めて見れば小さいなぁ」


 ルシファーの胸部に目をやり、しみじみと頷く天魔。

 黒のタンクトップに生じている胸部の起伏は年頃にしては悲しいぐらいだ。


『そういうのも好きって人も居るし捨てたもんじゃないよ』

「いや、別に紫苑くんにだけ満足してもらえればそれで良いよ」


 天魔は今の上着を脱ぎ捨てるという行為で一つの確認を終えた。

 ジャージを脱ぎ捨てる際の動作だ。

 二人は胸に手をかけるところまでは同じだった。

 だが、ルシファーはそのまま手でジャージを引き千切って脱ぎ捨てた。

 だが、天魔は敢えて何時もの自分がするであろう行動から外れて普通に脱ぎ捨てた。


 行動の差異。そこから予想出来ることは何だろうか?

 ルシファーは間違いなく自分になっているし、外道天魔の思考をなぞって行動しているが心が読まれているわけではない。

 あくまで天魔ならばそうするであろうという行動をした結果が鏡合せの攻防に繋がったのだろう。

 その上でこれからどう動くべきかを思案する。


「(彼女は僕だから今の僕の行動についても看破しただろう。

ジャージのが成功したのは外したのが一回目で、半ば偶然のようなものだったから)」


 ゆえに外道天魔のセオリーを外れる行動を取っても意味は無い。

 ルシファーも同じくセオリーを外して合わせてくるはずだから。

 千日手――このまま行っても勝ちは見えないだろう。

 つまるところ真っ当にやってはいけないということだ。


『僕ならこうするね』

「奇遇じゃないか」


 二人は同時に純化を発動した。

 立ち上る黒色のオーラもまったくの同量で、怪物のように蠢いている。


「ハッハァ――!!」

『ヒャハハハハ!!』


 二人は同時に純化状態のまま互いの頬を殴り飛ばした。

 天魔の純化は切り捨てだ。ダメージを負うごとに何某かの機能が喪失する。


「(チキンレースと洒落込もうじゃないか……! さあ、何処から無くなるかな?)」


 天魔は純化のデメリットである機能の喪失を逆手に取った戦法を選んだ。

 ランダムに切り捨てられる機能。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のような五感から四肢のようなものまで様々だ。

 何時何処で何が切り捨てられるかは本人にも分からない。

 だが、確かなこともある。喪失した機能如何によっては絶命してしまう。


 例えばそう、心臓の機能が喪失すれば死ぬだろう。

 例えばそう、肺の機能が喪失すれば死ぬだろう。

 例えばそう、脳味噌が機能を喪失すれば死ぬだろう。

 それを狙っているのだ。どっちかが地雷を踏むまで続けるチキンレース。


 仮にルシファーが純化を使わねばそのまま完封出来るし、

純化を使って来たのならば命懸けの愉しい遊びに興じることが出来る。

 天魔は自分にとっての最善手を打った。

 勿論彼女は自分が死ぬ可能性が高いことも分かっているが同時に勝ち目があるとも理解しているのだが……。


「な!?」


 右目の視界が閉ざされる。それ自体は不思議ではない。

 何せ相手の攻撃を受けたのだから何処かが喪失するのは当たり前。

 だから驚愕の理由はそこではない。


『アハハ、何ともまあ面妖な力だねえ』


 ルシファーの右目の輝きが急激に鈍くなり、焦点が何処にあるのかすら分からなくなる。

 それが意味するところは右目の視覚消失。

 同じ部分が喪失した。これは偶然か? 天魔は戸惑いながらも更に鋭くなった拳を腹部に突き刺す。

 同時に己の腹にも多大な衝撃が奔ったがそんなものはお構いなしだ。


『フフフ……』


 次に喪失したのは左腕の義肢だった。

 まったく同じタイミングで砕け散った――これで二度目。

 二度までなら偶然、では三度目は? それを確かめるべく次なる一撃を叩き込む。

 三度目で切り捨てられたのは左足で棒のように動かなくなってしまう。

 それは相手も同じで、つまりこれは必然だ。


 戸惑いと歓喜が生じる中、更なる不運が天魔を襲う。

 動かなくなった左足のせいで互いの身体が前のめりになり、そのまま頭突きをするような形になってしまった。

 それも攻撃の範疇だったらしく、今度は左目の視界が消失する。

 これはヤバイ、最悪のタイミングで視覚を喪失してしまった。


「(これは……)」


 天魔は三度目を確かめるまでは今のルシファーを己とまったく同じ力を持っていて、

まったく同じ思考をしているだけの存在だと認識していた。

 だからこそ、自分とルシファーがシンクロしているとは考えていなかったのだ。

 だが、シンクロしているとしても怪しい部分は多々ある。


 まず第一にルシファーが勝負を始める前に悪魔は誠実という言葉についての詳細についてこう語ったことだ。

 "まあ、勝負の後のお楽しみとしましょう"――つまり記憶は共有していないということになる。

 完全にシンクロするというのならば何故記憶だけを抜かした?

 更に語るならばジャージの脱ぎ方による差異もだ。あれも己とルシファーがシンクロしていないことの証明だと思っていた。


「(シンクロしていることを悟られないようにわざとって線もあるが……にしては徹底してない。

カモフラージュにしてはすぐにバレそうだ。現にこうやって今、シンクロの可能性に辿り着いてるんだし。

やっば、愉しくなって来た……おいおい、どうすりゃ良いのさこの状況……ハハハ!)」


 確かめるのに一番手っ取り早い方法は自傷だろう。

 自傷で手首でも傷付けて二人がシンクロしているかどうかを確かめれば良い。

 だが、それをするために視力は必須だ。

 デカイダメージならば目が見えなくても分かるが、小さなものならば見えなければまず確認は不可能。


 大きな自傷をするにはリスクが大き過ぎる。

 博打上等の天魔からすればそれもまた良しなのだが、どうにも嫌な予感が止まらなくて笑顔も止まらない。

 悪魔は喰らい付ける位置に餌を置くが、同時に陥穽も掘っている。

 今のところ穴らしきものは何処にも見えず、だからこそ不気味だ。落とし穴が存在しないなんておめでたいことは考えられない。


"――――勝利の鍵自体を人間が見え難いものにするのだ"


 ふと、紫苑の言葉が脳裏をよぎる。


「……ククク」


 天魔は笑顔のまま飛び出した。

 そして切り捨てられたことによって更に強化された身体能力のままにルシファーを打ち据える。


『笑っているのかい? 顔は見えないけれど、きっと愉しそうな顔をしているんだろうね』


 嵐のような近接攻撃の押収で二人は更に削れてゆく。

 それでも天魔はお構いなしだ。多くを切り捨てていったが、残っているものは多い。

 耳は聞こえるし、片腕はまだ動く。片腕さえ動けばそれでこと足りる。


「ああ。なあルシファー、悪魔は誠実である……今でも知りたいかい?」

『うん。でもそれは勝った後でゆっくりと調べることにするよ』

「何、そう遠慮するな」


 一か八かの愉しい賭けだ、存分に満喫してやろう――そう考えること自体が陥穽なのだ。

 博打上等? カモられる人間の典型だ。この勝負の要は外道天魔とは遠い場所にある。


「――――これでゲームは終わる」


 天魔は"確信"を以って己の心臓を純化で高められた極限の一撃でぶち抜いた。

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