逆鬼雲母 参
「三十代で政治家に転身……って何でだよ。何で俺冒険者やってたはずなのに政界進出してるんだ」
雲母とのわけの分からない対面から数時間後。
未だに紫苑らは人生ゲームをやっていた。
これが中々大長編らしく、未だに中年の域を出られていない。
「……華々しくて良いじゃないか。自分は普通に出世して普通に家庭持ってるぞ」
常識的な幸福でいうならばルークが一番だが、面白味が無い。
ルドルフは学園のマドンナと卒業と同時に結婚し婿入り。
現在嫁の親族と不仲だったりと色々苦味が効いた人生を送っている。
「いやだって、俺冒険者だぞ? しかも蛮族みたいな感じの」
冒険者学校に入学した際にルーレットで振られたパラメータ。
力、速さ、体力、防御、それらがカンストの六でそれ以外の知力やらは軒並み一。
完全なるバーバリアンが出来上がったのだ。
それが政治家になるなんてどう考えても世の中間違ってるとしかいいようがない。
「大昔にプロレスラーが政治家をやっていたというし、案外アリではないか?」
「詳しいなルドルフ。確かに国会で未確認生物だかUFOについて大真面目に質問した奴が居るらしいけど……」
紫苑としてはどう振舞ってもバッシングを受ける政治家という職業は嬉しくない。
愚民の上に立ち税金で飯を食うことには憧れるがデメリットが多過ぎだと考えている。
どう考えてもこんな男を政治家にしてはいけない。
国を良くするなんてビジョンもなく人気取りだけに気を遣う政治家など百害あって一利無しである。
「というかさ、この紫苑くんは中学時代にはルドルフくんと一緒に荒れてて暴走族やってたんだよね?」
「バッシング」
「そうね。絶対バッシングされるわ。マスコミが紫苑お兄さんの過去を掘り起こすに決まってるもの」
盤面の自分とはいえ、見栄の化身である紫苑からすれば良い気分ではない。
言葉を出す機会を与えられていたならば上手いこと出来ただろうが生憎とこれは人生ゲーム。
ルーレットで総てを決めるのでどうにもならない。
「ですが、紫苑さんが政治家というのは案外向いているかもしれませんよ?」
姉とハイレベルなあやとりをしつつ人生ゲームをしていた栞がそんなことを口にした。
「(確かに総理大臣やれる器だけど俺)そうかな?」
総理大臣の椅子がそんなに安いものであってたまるか。
「厭らしい話をするならば政治家というのはどうやっても人目を避けられない職業です。
テレビ、新聞、インターネット、あらゆる情報媒体で取り上げられるわけです。
なので当然、容姿というのも残念ですが重要な要素になるんですよ」
目が見えない人間にとってはそうではないが、大多数の人間は目が見える。
そんな人間にとって容姿というのは重要なファクターだ。
「紫苑さんは容姿も整ってますし、身嗜みにも気を遣っていて清潔感がありますからね」
カッコ良くて真面目そうな感じがする、それだけで印象は良くなる。
客寄せパンダとしては十分だ。
「そこでまず印象を稼げるってわけだね?」
「ええ。性格的なものはすぐには分かりませんが印象というのは一目見れば分かりますもの」
分かるという表現は正しくないか。
正確には印象という結果は見るだけで返って来るという方が正しいだろう。
「ただ、それでも性格的には向いていないような気もしますがね」
と、姉妹ではあるが紗織が異を唱える。
比喩でも何でも無しに一つになったりする姉妹なのに意外――と思うかもしれないがそうでもない。
互いの欠けた部分を補うという意味で対になるものは必要である。
そうして欠けたものが組み合わさって初めて一つの綺麗な形となるのだ。
「政治家――というより上に立つ者は大局的に物事を俯瞰せねばなりません。
春風さんは個々を見てその上で他者の意思を尊重していますので数字で語るのは苦手でしょう。
無理に個々を見ようとしても政治家の場合は見るべきものが多過ぎて頑張っていても過労死しそうです」
紗織の言葉に全員があー、成るほどみたいな顔をする。
積み重ねた虚飾は今日も崩れる気配が無い。
「まあ俺自身も政治家には向いていないと思うよ。老獪な人間と渡り合うなんてストレスが多そうだし。
ところで皆は冒険者を目指して学校に入学して、何もなければそのまま冒険者になるつもりだったんだろう?」
尚、紫苑と紗織は除く。
「でも、もしも冒険者以外の職に就くことになったら自分は何をしていると思う?」
改めてそう問われると首を傾げてしまう人間の方が多い。
そもそもからして社会不適合者の集まりなのだ。
そしてそれをある程度理解しているからこそ冒険者という選択を選んだのだから。
「僕は……ギャンブラー?」
「天魔ちゃん、それ職業やない! ただの遊び人や!」
大真面目に考えた上で天魔が出した職業はそれだった。
命をチップにしてゲームに興じて金銭を得る――趣味と仕事を両立しているといえよう。
まあぶっちゃけ今とも大差ないわけだが。
「そういう麻衣ちゃんは何なのさ」
「え……うーん……そやなぁ、高校卒業して大学行って普通にどっかでOLしてたんちゃうかな」
もしくは看護師、そこらが妥当な線だと麻衣は頷く。
「他の皆はどうなん?」
「想像出来ない」
アイリーンからすれば冒険者以外の道は見えなかった。
クー・フーリンに憧れている彼女にとって戦い以外の道は無く、
戦う職業の中で一番なのは冒険者だからそれ以外にはあり得ない。
「私は普通に家を継いでいるだろうな」
「私も醍醐の当主としての仕事をしていただけでしょう」
「栞はそうね。でも私は……ごめんなさい。想像出来ません」
そもそも紗織が冒険者学校に入ったのは復讐のためであり冒険者を目指していたわけではない。
もしもの可能性を考えるにしても就きたい職業などは特に無いのだ。
「私は……そうねえ、ドールショップでも開いていたかも。で、ルークは雑用」
「……自分はもしもの可能性でもそんな立場なのか」
ボソリと不満を口にしたルークにドギツイ視線が突き刺さる。
彼は冷や汗を流しながらアリスから目を逸らした。
「俺も麻衣と似たような進路を辿って普通の会社に就職してただろうな」
元々そのために冒険者学校に入ったのだから。
冒険者学校を卒業したという箔をつけたまま就職活動をしてそこそこの民間企業に就職してぬくぬくと暮らす。
可能ならば今でもそうしたいとさえ思っている。
「やっぱりバラバラやなぁ皆。冒険者学校に入ってなかったら出会うことさえ無かったって思うとちょと寂しいな」
それは紫苑の胸を突き刺す言葉だった。
「(そ、そうだ……入学さえしなければこんな連中と……! こんな状況にだって……!!)」
春風紫苑、痛恨のミスである。
が、入学していなくても幻想回帰はやって来るし覚醒していればどちらかで戦うことは避けられなかっただろう。
両陣営がその強大な魂を捨て置くなんて真似をするわけがない。
「案外出会っていたかもしれないわよ? 他の人達はともかく私と紫苑お兄さんの出会いは運命だもの」
ね? と紫苑の頬に唇を落とすアリス。
その瞬間、場の空気が絶対零度のそれに変わる。
発言も行動も何もかも喧嘩を売っているとしか思えない。
さあ何時もの修羅場が始まるかと思いきや、
「和やかな空気のところすまない!」
息せき切らしたカマキリが部屋の中に飛び込んで来て修羅場の空気が霧散する。
「あら鎌田さんじゃないですか。どうされたんです? 栞、とりあえずお茶を」
「ええ」
汗だくで息も荒いカマキリを気遣ってのことだが彼はそれを手で制する。
どうやら火急の用件らしいくそれを察した全員の表情が真面目なものへと変わった。
「何があったんです? というか緊急の用ならば電話でも……」
「いや、丁度此処の上に来た辺りで部下から連絡が来たんだ――――雲母さんが一人でダンジョンに向かった」
「一人でダンジョンに? だけどあの人なら問題無いでしょ」
そこらのダンジョンならば一人でも軽く踏破してのける。
天魔はそういうが生憎と普通のダンジョンではないのだ。
「違う、普通のダンジョンじゃない。彼女が、友を喪ったあの場所なんだ」
それを聞いた時、誰もが反応に困った。
強い幻想が住まう領域に行ったこともそうだが、問題はその場所。
雲母が一度完全に壊れてしまった所となるとどう反応すれば良いか分からない。
「その、それは、敵討ち……ということでしょうか?」
復讐を掲げていたこともある紗織が躊躇いがちに問う。
「それは分からない」
もしそうだとしても何故このタイミングでなのか。
言い方は悪いが敵討ちに向かう機会は他にもあっただろう。
何故今、それも一人で向かったのか。
一人で向かったことに関しては私闘だから他人を巻き込まなかったと予想出来るがそれでも軽率と言わざるを得ない。
「(救いようのねえ阿呆だ)」
血も涙も情も無い紫苑からすれば雲母の行動は心底くだらないものだった。
元々最近彼女の様子がおかしいことには気付いていた。
原因はカス蛇が覚事件の時にかけた言葉、そして母親としてのイザナミの姿にあることは間違いないことにもだ。
母親としての在るべき姿、我が子を愛するあまり甘きに逃げようとする己への失望。
そんな細かい心の機微もほぼ正確に把握していうえで紫苑は放置していた。
必要に迫られないとフォローを入れるつもりがないからだ。
「何にしろ放置は出来ませんね。鎌田さん、だから俺達に話を持って来たんでしょう?」
表面上は真剣で、腹の中では心底やる気を無くしつつ紫苑は己のキャラを遵守する。
春風紫苑がこの局面で逆鬼雲母を見捨てることは出来ない。
「ああ、頼めるかい?」
「無論。人選は俺と麻衣は確定として……」
「紫苑お兄さん、私も行かせてちょうだい」
「アリス? ああ、そうだか。あの時の雲母さんを知っているお前だもんな」
雲母に一番深く関わったのは紫苑だが次に縁があるのはアリスだ。
壊れた状態の雲母と戦ったアリスには思うところがあるのだろう。
「後はルドルフと天魔に頼みたい。良いか?」
「了解」
「任せろ」
「残る面子は留守番を頼む」
紫苑の指示に全員が頷き、早速行動が開始される。
雲母への増援、あるいは救出組である紫苑らは即座に準備を整えて上に停まっている車に乗り込みギルドへ。
「ねえ紫苑お兄さん、どう思う?」
「雲母さんか?」
「うん」
逆鬼雲母にとって子を喪った過去は乗り越えられたが、友を喪ったことはまた別。
過去の喪失に比重を傾ければまたあの夏のようになってしまうのでは? アリスはそう懸念していた。
あのような壊れた状態の雲母は正直、面倒だ。何をしでかすか分からない。
「どうだろうな……何にしろ、合流しなきゃどうとも言えない」
「まったく、大人なのに面倒をかけてくれるわ」
そんな不満零しながらギルドに到着した五人はすぐさま転移装置の前へ向かう。
中には職員が既に待機しており何時でも飛べるようになっていた。
「皆、雲母さんを頼むよ」
カマキリの言葉に強く頷き、五人はダンジョンへと侵入する。
「これはまた……凄まじい荒れっぷりだねえ」
元は豊かな自然が満ちていたのだろうが今は爆心地のように荒れ放題。
地面はクレーターだらけで木々はあちこち薙ぎ倒されているしあちこちで小火が起こっている。
これを成したのが雲母とその敵であることには疑いようもない。
「雲母さん、怪我してないやろか……」
不安げに眉根を寄せる麻衣の肩を叩き、すぐに追おうと促す紫苑だったが……。
「しばし待て」
「? どうしたのよルドルフお兄さん」
「――――此処に居る」
「(おいおい電波ですか勘弁してくださいよ糞野郎)居る、とは?」
「……恐らく、雲母さんのかつての仲間だ」
死者の霊魂にまつわる能力を開花させたルドルフだからこそ気付けた違和感。
彼は此処は自分に任せて欲しいといって純化を発動させる。
すると、四つの淡き魂の光が可視化されルドルフの周囲を飛び回り始めた。
「私達は卿らの仲間である逆鬼雲母氏の縁者だ。単身で此処に殴り込んだ彼女を追ってやって来た。
卿らはずっと此処に居たのか? このダンジョンで何処にも行けずに……」
死者の国が存在しない、今はしているが機能していない状態で死した魂。
それらは自然消滅するというのが今の世の法則。
だが、雲母の仲間達は別だった。
幻想が色濃いこの領域で死したことと、深い未練から未だに消えることが出来ずに居た。
「……そうか。死した直後に、壊れた雲母さんを見ていたのだな」
雲母の視点では仲間達は死んでそこで終わったはずだった。
だが、死んだ仲間達は淡い魂魄だけとなって雲母のそれからを見ていたのだ。
自分達が死んだことで完全に心が砕けてしまったあの姿を。
「そうだな、ああ……分かるよ。友、だものな? 心配で逝くことは出来んよなぁ」
雲母が友を大事だと想っていたように、友らも雲母を大事に想っていた。
紫苑らの関係性とは違う双方向の本物の絆。
何が出来ずともこのまま消えてしまうことなんて出来なかった。
だからこそ、今も此処でこうやって留まり続けているのだ。
「(やべえよ。パッと見ガチで危険な男だぜコイツ)」
虚空に向けて語りかけているルドルフに対しての感想だが温度差が酷過ぎる。
彼は瞳に涙を浮かべて霊魂と語らっているというのに……。
「今は阿修羅を討って鬼子母神と……? 卿らは……そうか、私達が来たのを感じてやって来たのか」
どうやら雲母と阿修羅の戦いを霊魂らも見守っていたらしい。
だとすれば酷く胸が痛かっただろう。
自分達の仇を取るために、止まった己の時間を動かすために身を削る雲母。
狂気の沙汰としか思えないような戦いをまざまざと見せ付けられたのだから。
「安心してくれ、此処に来たのは雲母さんを助けるためだ。うむ、卿らも着いて来ると良い」
長々と話をしている状況でもない。
ルドルフは霊魂らを同行させることを紫苑に伝え了解を取る。
そもそも否定しても見えないのだから意味が無いような気もするが。
「では紫苑、急ぐぞ」
「すまん、手間をかける」
紫苑をルドルフが、麻衣を天魔が抱きかかえて疾走を始める。
広大なこのダンジョンの何処で雲母と鬼子母神が戦っているのか、
戦闘の音などは聞こえずとも空気で大体分かるし霊魂がナビをしてくれるので迷いなく辿り着けた。
「しおん、ちゃん……? それに、みんなも……」
雲母は満身創痍の身体で片膝を着いていた。
彼女の前にはボロボロだがまだ余力がありそうな鬼子母神が立っている。
「テメェ、そうかそうか。丁度良い。親子仲良く逝かせてやるよそれがせめてもの慈悲だ!!」
ゲタゲタと大口を開けて哄笑する鬼子母神に極大の殺気をぶつける雲母。
だが、その身体では虚仮脅しにしかならない。
鬼子母神と雲母の戦い、阿修羅戦のダメージはアムリタで回復したものの体力と気力は完璧に回復してはいなかった。
そのせいで雲母は今こうやって劣勢に立たされているのだ。
「……(さて、どうすっかなぁ)」
両脇ではアリスと天魔が何時でも飛び出せる状態になっていた。
紫苑を殺す、そういわれた以上鬼子母神はギルティ。
愛する彼が命令を出せば即座に戦闘が始まるだろう。
「ルドルフ、天魔、アリス、手を出すな、だが動かすな」
鬼子母神に手を出すことは赦さない、だが鬼子母神に行動させるな。
ようは牽制で拮抗状態を作り出せということだ。
不可解な指示だったが彼らは疑いもせず頷いた。
それは紫苑が全幅の信頼を置く我らがリーダーだから。
「動いてくれるなよ」
既に純化状態にあったルドルフが更に戦闘形態に移行する。
報恩を望むニブルヘイムの住人、そして此処で出会った四人の魂を使って強化を成す。
立ち上る黄金のオーラが鬼子母神に絡み付く。
「手は出さないのだから大人しくしていてちょうだいな」
「僕らのリーダーの邪魔をしないでくれるだけで良いからさ」
蒼と漆黒のオーラが立ち上る。
鬼子母神は息を呑んだ。彼女は元々戦闘特化の幻想ではない。
それでも人間程度ならばと高を括っていた。
だが、雲母に加えてこの三人も相手をするならば……。
「……ッ!」
望み通りの拮抗状態が完成する。紫苑はゆっくりと雲母に近付き、目線を合わせる。
すぐ近くには鬼子母神が居るわけだが彼女は動くことが出来ない。
「わ、私……」
紫苑は無表情だ。怒っている、本気で怒っている。
雲母は戦闘時にも感じなかった緊張に縛られながら自分が成すことを口にすべく縺れる舌を回す。
「ご、ごめんなさい……軽率な行動だったわ……。
今の状況で一人で向かえば戦力を意味無く減らすようなも――――」
パン! と渇いた音が響き渡る。
雲母は呆然としながら頬を押さえ、紫苑を見つめる。
彼は右手を振り切った体勢のまま雲母を睨み付けていた。
「馬鹿が」
冷たく言い放ったその一言はどんな攻撃よりも痛かった。
失望されてしまった、どうしようもなく見捨てられてしまった、雲母は静かに涙を流す。
「本当に、本当に何も分かっちゃいない。戦力がどうこうじゃねえだろうが!!!!」
雲母の胸倉を引っ掴んで引き寄せる。
額と額がぶつかり軽くはない衝撃が走るものの紫苑は激情の演技を貫く。
「ガキかお前は!? いや、ガキなんだ! どうしようもねえ馬鹿娘!!」
「ッッ!」
叱られた子供のように情けない顔を見せる雲母だが紫苑は容赦しない。
折角の穏やかな時間をぶち壊されたのだから徹底的に虐めるつもりだ。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿大馬鹿娘!!!!」
「そ、そんなに馬鹿馬鹿連呼しなくても良いじゃないのぅ……」
「うるさい! お前は馬鹿娘で十分だ! どうして、どうしてもう少し考えられないんだ!?」
「だから私――――!」
「戦力云々じゃねえって言ってるだろうが!?」
お家芸である涙腺操作を行い熱い涙を流す。
怒りながら泣くという自然にするならともかく、自覚して行うには難しい演技を完璧にこなす紫苑。
「お前は喪失の痛みを知っているんだろうが!?
どんだけ苦しくて悲しくて辛いものかをこれでもかってぐらいに知っているんじゃないのか!?
あの日、誓っただろうが! 死んでしまったあの子が生きられなかった明日を生きて往くと!!
何故、こんな馬鹿をする!? 何故――――喪失の痛みを俺達に与えるような真似するって言ってんだよ!!!」
「――――」
ガツンとハンマーで頭を叩かれたような衝撃だった。
雲母は言葉を失い呆然と紫苑を見る。
「俺を大事に想っているなら、どうして自分が大事に想われてるって思いつかない!?
俺はお前が死ねば喪失の痛みにのた打ち回るぞ? 短慮を起こすかもしれないぞ?」
短慮だけで生きているようなものなので今更である。
「どうして、痛みの輪を広げようとするんだ……!
自分がされて嫌なことは他人にもしない、子供でも知ってることだろうが!?
それとも何か? 自分が痛いからって他人にも痛い想いをしろってか!?
そんな権利何処にもありゃしねえだろうが! 第一、お前はそんな人間じゃないだろ……!
痛みを知っているから他人に優しく出来る、強い人間じゃなかったのかよ!!」
雲母の頭を胸に掻き抱く。
まるで世界で二人きりになってしまったかのように二人は外に意識を向けない。
片方は意図して、片方はナチュラルに。
「~~~~ッッ!」
熱い涙が雲母に降り注ぐ。
痛い、痛い、何よりも痛い。殴られても蹴られても斬られても突かれても焼かれても耐えられるのにこれは耐えられない。
心の痛み、雲母にとっては長年付き合ったもの。
嗚呼、自分はそれを紫苑や皆に与えようとしていたのか。
これじゃ紫苑が怒って当然だ。馬鹿、馬鹿、どうしようもない馬鹿。
「……い」
どれだけ迷惑をかければ気が済むのだろうか。
自分でも馬鹿だ馬鹿だと思っていたが大馬鹿だ。
だが、反省出来ない馬鹿ではないと思いたい。雲母は震える声で、必死に言葉を紡ぐ。
「――――ごめんなさい……!!」
涙が止まらない、止めようとしたっても止められない。
情けなくて、嬉しくて、感情の奔流が逆鬼雲母という人間の心を駆け巡る。
見ろよ化け物、自分にはこれだけ想ってくれる人が居るんだぞと自慢してやりたい。
世界中の人間に伝えたい、自分は幸せなのだと謳い上げたい。
「麻衣、回復を」
「……了解」
肩に触れる麻衣の手も、流れ込む魔力もとても温かった。
「雲母さん、俺達は手を出さない」
雲母から離れ、近くの倒木に腰を下ろす。
「この始末は自分で着けてもらう」
ルドルフ、アリス、天魔、麻衣の四人も雲母と鬼子母神から距離を取り紫苑の傍に控える。
「死にそうだとしても手は出さない、出させない」
その代わり、と大きな声で区切り、
「――――あなたが死ねば俺が仇を討つ」
静かに宣誓する。
その言葉の意味するところは紫苑の死に他ならない。
単独で鬼子母神を殺すには神便鬼毒酒が必須。
そして通常の状態ではどう足掻いても届かない。神はそこまで安くはないのだ。
酒呑童子と戦った時の深度に至らねばどうやって勝てないだろう。
だが、勝利を掴んでも――いや、勝利は掴める。
それでも春風紫苑に待つのは終焉のみ運良く生き延びても動けなくなって一年以内に死ぬだろう。
「……」
雲母は静かにその宣誓を受け止めた。
泣くことも喚くことも翻意を促すこともしない――――これは自分が招いたことだから。
ここで駄々を捏ねるなんて無様極まりない。
もしそんなことをすれば今度こそ紫苑に失望されてしまうだろう。
もう十分にワガママをぶつけたのだからこれ以上は駄目だ。
「!」
未だ膝を突いたままの雲母、だが鬼子母神はそんな状態の敵から飛び退いた。
よくは分からないが第六感が囁くのだ。怖い奴がやって来る、と。
「――――私、母親失格だわ」
これまでも失点は幾度もあっただろう。
それでも今回のは極めつけだ。挽回云々の話ではない。
こんなザマで母親を名乗ろうものならば真性の恥知らずだ。
そして自分はそんな厚顔無恥な輩ではないと雲母は断ずる。
もう春風紫苑の母親に戻ることは一生無い。
いや、そもそもからして間違いだった。
血の繋がり云々ではない。母親と子供が釣り合って居ないのだ。
逆鬼雲母という人間は春風紫苑という人間の親になれるほど立派な人物ではないから。
自分を大事にするのが苦手な紫苑の代わりに自分がめいっぱいの愛を注ぐ。
そんなことを考えていたことすら今となっては恥ずかしい。
紫苑は誰の手も借りずに自分を知り、立派な男になった。
それに比べて自分はどうだ? 言い訳のしようもないだろう。
どんなに屁理屈を捏ねてみたって自分と紫苑が親子関係になれるとは思えない。
「ありがとう」
これまで幸せな夢を見せてくれてありがとう。
短い間だったけどあなたの母親で居られたことを誇りに思う。
「ありがとう」
私と出会ってくれて。あなたと過した時間の総てが愛おしく想う。
母と子として過した記憶の宝石は胸の中にそっと仕舞っておこう。
「本当にありがとう」
母親では無くなったけれどあなたの傍に居させて欲しい。
ようやく気付いたのだ。いや、初めからそうだったのだろう。
下手に身体だけは成長して、大人になったと勘違いしてしまったから間違えてしまった。
母と子という遠い回り道をしたけれど、もう間違えない。
「私は子供だった」
瞬間、雲母の身に起きた異変に誰もが目を剥く。
全身に出現した亀裂、ダメージは負ったわけでもないのにこれはどういうことだ?
麻衣の回復魔法は万全だったはず。なのにどうしてこんなことが起きた?
雲母はそんなギャラリーの困惑を他所に謳う。
「あの日、故郷を出て迷いっぱなしの馬鹿な子供のまま」
その言葉がトリガーとなり亀裂が広がり完全に砕け散った。
逆鬼雲母という人間の残滓が光となって降り注ぐ。
その中心に居るのはセーラー服に身を包んだ少女だった。
まさか、いやそんな――――あれは逆鬼雲母だ。
背は縮んで百四十半ば有るか無いか、豊満な肢体は歳相応の僅かな起伏に変わっているが間違いない。
これは十四歳の逆鬼雲母だ。馬鹿に馬鹿を重ねて故郷を飛び出した馬鹿娘。
「自分が子供だって自覚して、その上で一歩踏み出さなきゃ成長も何も無いわよね」
少女は恋をする、当たり前のように恋をして当たり前のように現実の前に砕け散る。
自分は馬鹿だから一回で成功なんて出来るわけがない。
だから失敗して、とても貴い命を喪わせてしまった。
だけど、生きることを赦して欲しい。君が生きられなかった今日を、明日を、全力で生きさせて欲しい。
死者の声なんて聞こえない、生まれることすらなかったのだから。
それでも雲母は目蓋の裏に笑っている赤ん坊の姿を幻視した。
良いんだよママ、どうか幸せになって――――妄想かもしれない。
だけど、それも確かめる術なんて無いのだから夢か現かなんて証明のしようがないだろう。
大事なのは自分がどう想うか――雲母は我が子からのエールだと受け取った。
だから前に進む、また恋をしよう。母としてじゃなく一人の女の子として素敵な男の子にアタックしよう。
もう間違わない、馬鹿だけど二度目は絶対に成功するって確信している。
だって、彼ほど素敵な男の子が他に居る? だからこの恋は絶対成就させてみせる。
自分はどうしようもない大馬鹿だけど、馬鹿は一途なのだ。
それ以外に何も見えないから一直線で走り抜けることが出来る。
馬鹿な自分でも胸を張って精一杯走れば大好きなその背中に抱きつくことだって出来る。
それを証明するためにも終わらせよう――――大人と勘違いしていた頃の因縁を。
「お前、その姿は……」
若返るなんて人間にとっては超常現象だが幻想にとってはそうではない。
それでも鬼子母神が驚いているのはその魂の熱量である。
先ほどまでの雲母もかなりのものだったが、今は桁が違う。
これが人、これが人間だ。成長するのだ。
肉体こそ時間が戻ったものの逆鬼雲母の心は本当の意味で時間を進めた。
止まっていた時計の針が完全に動き出したがゆえの羽化である。
「何を驚いているのよ。私が尤も愚かだった時の取るに足らない小娘なのに」
そんなことを口にしている雲母だが負けるつもりは一切無かった。
自分が死ねば紫苑が死ぬ、じゃあ刺し違える? 馬鹿な。
もう一度始めることを誓ったのだ。
このドン底から一歩踏み出すと決めたのだから勝って生き残る以外の選択肢は皆無だろう。
「まあでも――――馬鹿娘の癇癪だからって侮っていると痛い目見るわよ?」
艶然と、傲然と、逆鬼雲母は堂々と戦線を布告してみせる。
少女のかんばせには愛らしさと怖気が走るほどの攻撃性が滲んでいた。
『カカカ! こりゃすげえや! 面白い面白いぜぇ! なあ、紫苑!?』
「(あ、あ……)」
『あ?』
「(アンチエイジングしやがったあのババアぁああああああああああああああああああ!!)」




