僕らがまっとうな母親になれると思うかい?
「――――春風紫苑の余命は長くても十年、か」
豪奢な椅子に腰掛けた隻眼の偉丈夫――オーディンがそう切り出す。
テーブルには豪勢な料理が並んでいるが彼は目もくれていない。
食べているのは対面に座っているカニだけだ。
粗野というか、色々とアレな彼女だがテーブルマナーは心得ているらしくまるで淑女のよう。
「何だオーディン、お前まさか安心しているんじゃないだろうな?」
ナプキンで口を拭い、心底見下したような視線を送るカニ。
仮にもオーディンはアース神族の長だというのに何と倣岸不遜な態度か。
「たかだか十年で脅威は去ると思っているんじゃないだろうな?」
幻想陣営の大物は誰もが春風紫苑を警戒している。
今はまだ現世に顕現出来る状態ではないため干渉は行っていないが、その動向には常に気を払っている。
だからこそ、今回の裁定の中で齎された事実が俄かに幻想陣営を湧き立てていた。
「実際その通りだろう。十年、我らの時間からすればすぐに過ぎ去って行く」
「認識が甘いにもほどがあるなお前ら。馬鹿丸出しだぁ」
並々と注がれた洋酒を飲み干すカニ。
未成年だからなんて一般論は勿論通用しない。
そんな常識があるならば数々の外道行為をやらかすわけがない。
「幻想回帰を起こしてから、まだ一ヶ月ちょっとだ。一年にも満たない時間であの男は何を成した?」
カニからすれば幻想の連中はどいつもこいつも気が長すぎるのだ。
彼らの時間の尺度からすれば一ヶ月なんて瞬きをするようなものとはいえ悠長にもほどがある。
その瞬きをするような時間で春風紫苑はどれだけの功績を打ち立てた?
「フランスは花の都パリで哀れな神の傀儡、悲劇の乙女の心を救いあれだけ憎悪していた人間側に着かせる」
ジャンヌ・ダルク、その憎悪は計り知れないほど大きかった。
幻想も人も何もかもをも憎んで総てを灰燼に還してやるという意思そのものとしか思えないほどに。
だが紫苑はそんなジャンヌを見事に篭絡せしめた。
「あれでフランスの人間は活気付いた。希望や勇気なんていう生きる原動力が生まれた。
未来への不安は拭えたわけではないが、現在を生きる強さを得たんだ。
お前らからすれば多くの人間は吹けば飛ぶような存在かもしれない。
烏合の衆が幾らやる気出したって余裕綽々なんだろうよ。だが私からすりゃ認識が甘いとしか言えん。
一度その烏合の衆――多数派に負けてるのに反省しろよバーカ」
幾ら時間経過と共に幻想の空気が濃くなって、
かつてのような滅びに向かわないと分かっていても頭の隅でぐらいは警戒しておくべきだ。
敗因を理解していないものに勝利はやって来ないのだから。
「その割りにお前は目立った行動は見せていないようだが?」
「そりゃそうだ。私は別に幻想が勝とうとも人が勝とうとも知ったことではないんだから」
オーディンもそこは心得ているのかカニの発言に噛み付くようなことはなかった。
幻想陣営としてもカニを引き込んだのは春風紫苑に対するカウンターのため。
万が一紫苑が覚醒を果たした場合、同格の魂を有しておりどちらの領域でも戦えるのはカニしか居ないからだ。
なのでそれ以外のことを考えろというつもりはない。
「それに、私としては希望や勇気に満ち溢れる人間はもっと増えて欲しいと思ってるぐらいだからな」
「最上のタイミングを狙うためか」
「ああ。さて、話を戻すぞ? 春風紫苑は三が日の間にジャンヌを篭絡した」
徹底的に触れられないジルドレ――所詮はジャンヌのオマケということだろうか。
「で、そっからそう日にちも経たないうちに今度は豊臣だ。
どんな手管を使ったのかは知らんが今の大阪を見るに豊臣が奴の配下になったことは間違いない」
「ふむ……それは春風紫苑の仕業なのか? 織田信長の縁では?」
「だったら何故元旦の時に姿を現さなかったんだよ」
豊臣は織田から完全に独立していると見るのが正しい。
信長に豊臣を動員する力は無いわけだ。
なのに今になって豊臣が人間側に着く――怪しいのは誰だ? 紫苑だろう。
多少の粗はあるのでまだ詰めてその結論に至ることが出来るものの、カニは紫苑の仕業であると疑っていない。
単独で戦えない今の紫苑。そんな彼の力は他者との結び付きなのだから。
「更に同時期に安倍晴明まで引き込んでる。あれはデカイぞ。それに情報じゃ新撰組とも繋がりを持ったらしい。
まあ、お前からしたら前者はともかく後者は取るに足りん存在かもしれんがな」
「勘違いを正そう」
オーディンは豊かな顎髭を撫ぜながら尊大な態度でカニの間違いを正す。
「私は多くの人間を侮っているが、侮ってはならない人間が居ることも知っている」
その中でも特に恐ろしいのが春風紫苑と葛西二葉だ。
何をどうやったら何の意味もなく尋常ならざる魂を有する存在が生まれるのか。
完全覚醒を果たした二人が幻想の領域に揃って殴り込んで来たとしよう。
一体どれだけの神魔が彼らの相手を出来るのだろうか?
「その最たる人間の一人であるお前ほどではないが、多少煩わしい人間も出て来るであろう」
それでも多少煩わしい程度なのだから認識が甘いと言わざるを得ない。
「だから新撰組も一応は気にする、と?」
「頭の隅には置いておく」
極東の島国で一時代、ほんの少し活躍した程度の元人間の集団だ。
ビッグネームであるオーディンからすれば取るに足らない存在だろう。
知名度でいってもオーディンと新撰組では圧倒的に前者の方が有名だし。
「ふぅん……まあ、別に良いがな。さて、晴明と新撰組という戦力も確保したわけだ。
しかもその際に三国を股にかけたハイパービッチが敗走を余儀なくされてる」
「ところでそれらを成したのは春風紫苑の仲間では?」
「ああそうだ。だが、その仲間こそが今の春風紫苑の力だ。奴の功績と言っても良い。
当事者らもそう言うだろうよ。京都で暗躍した連中の中に私の元コンビも居てな。
そいつに聞いても私と似たようなことを言うだろうて……あ、その妹もかな?」
元と但し書きつくものの友人のことを語るカニは何処か楽しそうだ。
「さて、大阪と京都で戦力を増加させた春風紫苑は息つく間もなく今度は徳川と戦った。
人質を取られていたが実にあっさりと不利を覆し勝利を収めた……見事という他ないだろう?
宇宙からの奇襲――盲点だったよ。言うは易しだが実際に行えるのは個々の能力が優れているからだ」
純粋な能力もそうだが、特筆すべきはその意思の強さだ。
可能性があると言われても、実際に宇宙からダイブ出来る人間などそう多くは居ないだろう。
同年代で言えばそれこそカニぐらいだ。
「純粋な幻想に比べりゃ元人間の幻想はそりゃ劣るだろうよ。
だがそれでも普通の人間が相手をするには重過ぎる連中だ。
だってのに春風紫苑は様々な方法で何なくそれを乗り越えた。
もうぶっちゃけ普通の英雄程度じゃどうにもならない」
真正面から倒されるか戦力にされてしまうか、その二択しかない。
「徳川攻略の後は……わざわざ言わなくても分かるな? お前の身内だし」
ニヤニヤと笑うカニ、ここに来て初めてオーディンは渋面を見せた。
これまでは悠然としていたのだがそれが一瞬にして消え去ったのだ。
原因は語るまでもなく身内が勝手をやらかしたから。
「あれに関して紫苑は巻き込まれただけで何もしちゃいないが、代わりにその仲間が化けた。
いいや、もっと正確に言うならばお前の義弟が化けさせた」
「……ロキめ、毎度毎度面倒をかける」
ロキがオーディンらに齎した恩恵は多いが、それ以上に迷惑を被っている。
とはいってもオーディンの認識において今回のは可愛い悪戯程度だ。
そこまで本気で怒っているわけではない。
苦い顔をしているのも身内の恥を晒しおってというアレだ。
というか息子殺されてラグナロクが起きた原因でもあるロキを未だに身内扱いしているなんて心が広過ぎだ。
「ルドルフ・フォン・ジンネマンの至った境地は実に恐ろしい。
あれはお前らの認識で言う取るに足りない芥の価値を引き上げる。
屑札が鬼札に早変わりだ。条件さえ揃っていれば冒険者も一般人も関係無い」
ルドルフの純化は実に戦場向きと言えるだろう。
戦場の規模が大きくなればなるほど、味方の人数が増えれば増えるほどにえげつなくなる。
志半ばで倒れた戦士達、友を、家族を、愛する人々を護るために戦いを継続したいのにそれが出来ない。
無念ではあるが死んで楽になるという人種も居るだろうが、前者のような人間も多い。
そんな人間の寄る辺となるのがルドルフの純化だ。
「例えば民間人を、そうとは気付かせないようにわざと敵に殺させる。
無念だよな? 憎いよな? そんな感情が燻っているところに素知らぬ顔で出て行って語りかければ……フフフ」
カニのようなえげつないやり方はともかくとして、大規模な戦闘においてルドルフの純化が輝くことは間違いない。
「ニブルヘイムで協力した魂も総てではないが、今もアイツに付き従っている。
無念を晴らさせてくれた礼代わりにこれからも力にってことだろうが……いやぁ、人徳だねえ。
よっぽど名誉無き死者という烙印が気に喰わなかったのかな?」
暗にオーディンを揶揄しているのだが当人――当神は特に気にしていない。
木っ端の魂になど興味は無いということだろう。
「ニブルへイムでの試練、親父は相変わらずフラフラでどっちつかずのまま遊ぶ気らしいが娘は別だ。
聞くところによるとルドルフに惚れてるらしいじゃないか。また一人、強力な力があちらの陣営に加わったと言えるだろう」
幻想の総数からすればヘルの寝返りなどはものの数ではない。
現状、幻想陣営は量も質も人類側を大きく凌駕している。
それでもどうにかこうにか人間が存続しているのは強力な幻想が大きく干渉出来る土壌に無いからだ。
が、まったく干渉出来ないというわけでもない。それはイザナギが施した根絶の呪いを見ても明らかである。
だったらもう少し幻想側は仕掛けても良いと思うかもしれないが、基本的に彼らは気が長い。
自分達がほぼ完全に現世に降臨出来るまで待つつもりなのだ。
それまでは下級中級程度の連中に現世を襲撃させてほど良く災禍を撒き散らすだけで良い。
そうやって徐々に真綿で首を絞められていく絶望を人間にも味あわせたい――かつての自分達のように。
心情的には理解出来るが、その悠長さが自分達の首を絞めないとどうして断言出来よう?
「そして今回の一件だ。紫苑は日本人の滅びを覆し日本人の多くに勇気と希望を与えた。
フランスの時の比じゃないぞ? 何せ明確に滅びが迫っていたんだからな。
あの道行き、紫苑の口から語られる真実に肝を冷やした人間はどれだけ居る?」
直接的に襲われる方がまだマシだ。
子を成せない――パッとそれだけ言われてもすぐには実感が沸かないだろう。
結婚していない人間や、するつもりの無い人間。
していても子供を作る気が無い人間にとっては関係が無いとも言える。
が、彼らは選んで子供を作らないだけ。選択が可能なのだ。
しかしイザナギがかけた根絶の呪いは選択を奪うもので百年後に日本人が滅びるという啓示でもあった。
百年後の確実な滅びという現実を直視させられれば馬鹿か自暴自棄でも無ければ色々考える。
そして考えれば考えるほど絶望が近付いて来る……裁定を聞いている人間はどんな気持ちだったのだろうか。
「……」
「いやぁ、紫苑の談判は実に胸に来るものだった。真っ当な感性を持ってたら響かないわけがねえ。
おかげで日本人の多くは意識改革を成功させた。勿論、それだけじゃない。
もっと単純にイザナミや三貴子を始めとする神々を味方に着けられた。
全世界で一番安定した国だろうな、今の日本は。ちょっかいを出すのも簡単じゃねえ」
ここまで言えばもう分かるだろう。
「ここまでに並べ立てたものは総て一月の内にやったことだ。たかだか一ヶ月だぞ?
個人として大きな力が無いから見誤るかもしれないが、とても一個人が成せる功績じゃない。
覚醒していてもいなくても化け物なんだよあれは。そんな男が十年で死ぬ?
おいおい、それで安心出来るかよバーカ。十年もありゃあの男はどれだけのことが出来る?」
カニは嘲笑を浮かべ改めて幻想の認識が甘いと詰った。
春風紫苑を警戒しているくせにどうしてそうなのだ、
葛西二葉というカウンターがあるからって気を抜くなよと。
一見すればカニのこれまでの発言は幻想の意識改革を促すようにも見えるが……。
「ふむ、自慢か?」
オーディンは口元を歪めてそう指摘した。
「あん?」
「自分の愛しき敵手が軽んじられていると思ったから怒ったのではないのか?」
カニのこれまでの言動を振り返れば分かる。
彼女は春風紫苑を自慢しているとしか思えない。
「――――」
キョトンとしているところを見るにカニは完全に無自覚でナチュラルに惚気ていたらしい。
「ふふ、ようやく一本取れたな」
「……まあ、アイツにゾッコンだからな私は」
「だろうな」
オーディンはこれだけ惚気られても気付かぬような木石ではない。
「だがな、現実問題、我らが春風紫苑に関与することはないのだから楽観していても問題ないだろう」
カニが獲物である紫苑を渡すなんて天地引っ繰り返ってもあり得ない。
であれば問題視しようが楽観視しようが関係は無い。
結局のところ関わることが無いのだから。
「実際問題、そちらはどうなのだ?」
カニの方針自体は理解している。
彼女は春風紫苑を完全に覚醒させて同じ土俵の上で戦うつもりだ。
が、人であれという祈りを捨てさせてしまえばどうなるか。
紫苑が幻想陣営に加入してしまうかもしれない。
「まあ考えてることは分かる。もし紫苑がこっち側に来るなら私は抜けるだけだ」
「堂々とそんなことを口にするのはどうかと思うがな」
「だが来ないだろう――――根拠は無いけど」
紫苑の祈りが人の幸せを願うものだとか、一応論理立てて説明することは出来る。
だが、理屈を立てて言葉にしなくても深い部分で自分が納得出来ているならばそれで良い。
「ふむ……まあ、お前の好きにすれば良いさ」
オーディンとしても結局のところそこに落ち着く。
下手に行動を制限したり邪魔立てしようとしても面倒が増えるだけ。
カニは自由にさせるのが一番だ。
「で、お前は何時動くのだ? 細かいことはやっているようだが……」
紫苑へのちょっかいや、バチカンを始めとする各都市への攻撃。
与えられた権限を使って細々と動いているカニだが彼女自身が出張ったことは一度も無い。
強いて言うならばちょこちょこ姿を変えて現世をうろついているようだが、直接戦ったりはしていない。
「あん? 私が動くのはまだ先だよ。アレクサンダーにはもっともっと頑張ってもらわにゃならんからな。
得ようと思ったらまず与えよ――――ゲーテは良いこと言うもんだ」
自分の人生の主役は自分。
つまるところ人の数だけ主役は居て、それぞれの物語が絡み合うのがこの世界。
春風紫苑は自分が絶対唯一の主役であると思っているが、
彼の知らぬところでは多くの別の主役達が自分の物語を綴っている。
その物語はゆっくりとだが、紫苑の物語と重なろうとしている。
それが幸か不幸かは――――まあ、どうでも良いか。
「っくし!!」
同刻、大阪の拠点に帰還した盛大なくしゃみをかましていた。
誰かに噂されるとくしゃみをするとはいうが……何ともベタな男である。
「紫苑くん、やっぱりまだ身体が悪いのかい?」
「いや、そんなことはない。というか別にイザナミの腐食も風邪ってわけじゃないしな」
食堂の中では主要な面子が顔を揃えていた。
紫苑に同行して高天原に行った四人は割りと落ち着いているが、他の仲間達の顔は厳しい。
「(はぁ……クッソ面倒だわ……)」
高天原から出て来て大阪に戻り、ギルドに顔を出すまでは紫苑も有頂天だった。
彼の道行きを多くの人間が見ていたことで神聖視が強まっていたからだ。
要所要所で出会う人々が自分に感謝と決意表明を捧げる――これほど優越に浸れることもない。
で、良い気分のまま拠点に戻って来たら話し合いだと言われてこうして集められた。
議題は語るまでもなく紫苑の余命についてだ。
「(ちゃっちゃか始めろよなぁ)」
もう十分黙ったままだ。
どう切り出せば良いか考えあぐねているようだが紫苑からすればあまり良い気分ではない。
ただでさえ直視したくない余命問題と仲間への対応。
どっちも七面倒臭いこと極まりないと考えている。
人に心配してもらっているのに酷い態度だ。
「紫苑、卿の……卿の寿命が長くても十年というのは、本当、なのか?」
つっかえつっかえながらも問いを投げたルドルフの顔は苦い。
何も彼だって好きで沈黙していたわけではない。
言葉にするとそれが真実であると認めたくなかったのだ。
「ああ、事実だ。多言則背道、多欲則傷生――強欲の代償だな。
(俺だって嘘だって思いたいわお前の寿命寄越せ死ね)」
もし仮に紫苑が他人の寿命を気付かれずに――この気付かれずにというのがポイントだ。
気付かれずに奪う術を持っていたのならば躊躇い無くルドルフやメンヘラーズから寿命を強奪していただろう。
それも全員から少しずつなんて甘っちょろいものではない。
全員の余命が残り半年ぐらいになるまでガッツリ奪うのだ。
しかも自分の寿命は延びて周りにある塵が消えると大喜びで――屑野郎め。
「……何で、紫苑くん、そんな平然としとるん?」
俯いたまま麻衣が問いを重ねる。
ああ、分かっている。彼女にも分かっているのだ。
裁定の様子を見ていたのだから。春風紫苑が自分の命をどう使うか決めているから、でも納得出来ない。
怖いと泣いて欲しい、納得が出来ないと叫んで欲しい。
そうしてくれたら、そうしてくれたら自分は本当に何でも出来る。
どんな非道を犯してでも紫苑を生かす術を探すことが出来る。
麻衣にとって紫苑帰還までの日々は地獄だった。
紫苑の考えを尊重したいという気持ちと、ダークサイドに堕ちてでも紫苑を生かす術を探したいという気持ち。
後者が実際可能かどうかはともかくとして、真に形振り構わなければ何かを掴めるかもという想いは理解出来るだろう。
桝谷麻衣は鬩ぎ合う想いの中で自己嫌悪を繰り返していた。
「考える時間が沢山あったからな。そりゃ繕うことも出来る」
「……嫌、嫌よ紫苑お兄さん。私、紫苑お兄さんが死ぬなんて嫌!!!!」
この中でも一番精神的に幼いアリスが耐え切れなくなり悲鳴を上げる。
追い詰められ具合でいえば麻衣以上だろう。
何せアリスの場合は紫苑と懇ろな関係であり、尚且つ依存の対象なのだ。
紫苑が死ねば自分も死ぬ――その気持ちは今でも変わっていないし自分が死ぬことも怖くない。
だが、紫苑が死ぬのは怖くて怖くてしょうがない。
「いや……いやだよぅ……ひとりにしない、そばにいるって……いったじゃない……」
紫苑の胸に顔を埋めて嫌だ嫌だと涙を流すアリス。
これは存外効果的だった――無論、紫苑にとってではない。
周りの人間にとって効果的なのだ。
最初に大きく取り乱す者が居れば他の者は冷静になるしかない。
取り乱して泣き縋れば好きな人を困らせるだけだと分かっているから。
「そうだな。この命ある限りは決して寂しい想いをさせるつもりはない、それは嘘じゃない。
だがなアリス、どんなものにだって終わりはやって来る。別離は避けられない。
別れが来るまでの時間、それが長いか短いかで永遠なんて何処にも無いんだ。
そこに目を向けて初めて、俺達は誰かと絆を結ぶことの意味を知るんじゃないか?」
紫苑はアリスを胸から離し、その額に自分の額を押し当て優しく語り掛ける。
何時かやって来る別れにどう向き合うか。
嫌だ嫌だと泣き叫んでいても何も変わらず無常に時間が流れていくだけだと。
「終わってしまうからってそれは価値が無いってことなのか?
今のアリスは何時か来る別れを惜しんで泣いている。それは嬉しいことだ。
だけど、ずっと涙を流していても時間は止まらない。
人生は一人称で綴る物語だ。俺の人生の主役は俺で、アリスの人生の主役はアリス。
俺とお前の人生は交わっていて感じることは違っても大筋を共有しているわけだ。
俺の物語にはお前が居て、お前の物語には俺が居る」
まぁた始まったよ。
「俺も無欠じゃないし、今だってこうやって泣かせてしまった。
それでも俺はお互いの物語を良きものにしたいと願っている。
これから過す時間の中で俺は出来る限りの実りをアリスに与えてやりたい、
何時かお前が自分の物語を読み返す時に笑って居られるように」
相も変わらず何か良い感じのことを言わせれば右に出る者は居ない男である。
改めて思うがどうして心にもないことを平然と並べ立てることが出来るのか。
自分の性格とは正反対の言葉を思い浮かべるのはかなり難しいことなのに。
ここまで外面と内面が剥離しながらも矛盾を生まず振舞えるなんてある種の怪物だ。
「紫苑お兄さん……」
「なあアリス、俺の物語に居るアリスという可愛らしい女の子のこれからを涙で塗り潰さないでくれ。
お前がそうしてくれるのならば、アリスの物語に居る俺もきっと笑顔で居られる」
そこでアリスから顔を離し、彼女を抱いたまま全員を見渡す。
「勝手が過ぎると思うが、俺は自分なりに命を見つめてどう生きるかを考えた。
皆も自分の命を見つめて欲しい、そしてどんな風に生きるかを改めて考えて欲しいんだ。
その上で、お互いの生き方を尊重し、お互いの物語が良きものであるように努力しよう。
辛いことだってこれからまだまだあるだろう――――それでも皆の笑顔が欲しい。
今は未だ空白のページ、俺はそこを皆の笑顔で埋め尽くしたいんだ」
全員が全員、何も言えなくなる。
紫苑の性質の悪さは多々あるが、その一つに余人が望む正しさというのがある。
今この屑が語ったことは正にそれだ。
互いを尊重し、良き人生を送る――現実的に上手く行くかはともかくとして多くの人間が望むことでもある。
これに一体どうやって反論すれば良い?
何も好き好んで他人を踏み付けにしたいわけがない。
互いを想い合って幸せになる……嗚呼、何て素晴らしく何て反吐が出る。
この男には決して適合しない理論だ。
『言いおるわ』
臭い台詞を吐いても赦される条件というものが存在している。
まず第一に顔と声が良いこと、悲しいことですが容姿は重要なファクターです。
第二に適したシチュエーションであること、空気を読まない発言はいけません。
第三に心の底からの発言でない場合は演技力を磨くこと、じゃなきゃ説得力を持たせられません。
第四に羞恥心を捨てて開き直ること、でないと後で黒歴史となります。
「……少し、変わった?」
そう口にしたアイリーンはとても寂しそうだ。
彼女の祈りは幸せになることで、それには紫苑が必要不可欠。
長い時間をかけて幸せになるつもりだった。
だが、余命という現実が顔を見せたことで一気に白紙に戻ってしまった。
だけどそこで諦めるということはしたくない。
今はまだどうすれば良いかなんて分からないけれど、考えることは止めない。
考えることを放棄してしまえば自分の命と向き合って更に先へ行ってしまった紫苑を見失ってしまいそうだから。
「ああ、ワガママになったと自覚している。元々かなり勝手だったつもりだが加速したかもな」
クツクツと笑う紫苑を見て嫌が応にも理解させられる。
死の恐怖と向かい合って一つの悟りを得たのだと。
そして、だからこそイザナミの試練を踏破出来たのだろう。
「行き過ぎた時は叱ってくれよ?」
「分かり易い方向にワガママならば良かったのだがな。
卿のワガママはそういうものではない……まあ、努力するさ」
残留組で一番早く立ち直ったのはルドルフだった。
彼自身もニブルヘイムで多くの魂と触れ合い生と死について学んだからだろう。
「ただし、私が行き過ぎた時は頼むぞ?」
「お前もワガママを言う性質ではないような気もするが……ああ、努力しよう」
男同士が笑い合っている。女達は何処か疎外感を覚えていた。
友情ではなく女としての愛情を紫苑に抱いているからだろう。
だからこそ、正論に納得しながらも何処かでエゴイスティックな考えを抱いてしまう。
どんな形であれ長生きして欲しい、何をしてでも長生きさせたい、と。
そしてそういう醜い部分を自覚し、恥じる感情があるから何も言えない。
「む、電話が鳴っているぞ紫苑」
「? ああ、本当だ」
携帯の画面にはカマキリの名前が表示されていた。
ギルドの用事か? 電話を取ればその予想は見事に当たっていた。
「雲母さん、これからまたギルドに出ます」
「え、ええ……同行するわ」
「皆、すまんがまた出る。その……色々謝りたいこともあったが……それはまた落ち着いた時にさせてくれ」
軽く頭を下げて拠点を出て行く紫苑、本当に忙しい男だ。
さて、残された面子の顔は決して明るいものではない。
「はぁ……こう、色々と、辛いなぁ……」
天魔が溜息と共に吐き出した言葉は抽象的で、だがこの場の面々にとっては実に共感出来るものだった。
「各々思うこともあるでしょう。私達も、高天原でずっと考えていましたからね」
栞は自分達はまだマシだと思っている。
裁定の後も高天原で紫苑の傍に居られてその晴れ晴れとした顔を見ていたからだ。
だからこそ、取り乱しはしたが色々と考える時間も取れた。
だが残留組は紫苑が居らず、不安だったろうから。
「……私は紫苑お兄さんの未来を諦めるつもりはないわ。
勿論、その意を捻じ曲げるようなやり方はしないけれど、医術の神様なんかを頼るとか色々な手段を模索するつもり」
既に泣き止んではいるもののアリスの目は赤い。
それでも強い意思の光がそこには在った。
紫苑を尊重しながらも彼が生きる未来を諦めない――諦めが悪いと笑わば笑え。
それでもやれるだけのことはやってみせる。
「私も同じ」
十年も時間があるのだ。総てを諦めるには早過ぎる。
「春風さんが望まないようなやり方をするつもりはありませんが、私達同行組も似たような結論を出しました」
「どうせなら皆揃って長生きしたいもんなぁ」
「爺さん婆さんになっても続く付き合いか。悪くないね」
前向きな結論で一先ずの決着を見せる。
だが当然、内心で燻っている不安は消えていない。
心の何処かではエゴイスティックな考えも未だ息をしている。
ゆえに何処か沈んだ空気が今も満ちており、どうにも居心地が悪い。
ルドルフはそんな空気を払拭するように意識して明るい表情を作り口を開く。
「ところで卿らに聞きたいことがあるのだが」
「何でしょうか?」
「私は試練を直接は見ていないが、紫苑は次代に繋ぐことにも触れていたのだろう?」
「うん。りんって子、すっごい幸せ者だよね。紫苑くんにあそこまで想われて」
何度も名前が出ていたので若干嫉妬しているようだ。
「その上で聞きたいのだが――――卿ら、子供を作るとか考えたことはないのか?」
若干セクハラ臭いが本人は気付いていないらしい。
ルドルフとしてはここで皆が明るい未来予想図を語ると予想していたのだが、どうにもリアクションがおかしい。
少女らは微妙な表情をしている。
それは先ほどまでのシリアスな感じではなく、むしろ何処か滑稽な……。
「あのさ、代表して僕が逆に質問するけどさ」
「ん?」
「――――僕らがまっとうな母親になれると思うかい? 子供にまで嫉妬しそうなんだけど」
ぐうの音も出ない正論である。
「お、おう……」
というか自覚してるならもっと省みるべきではなかろうか?




