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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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139/204

黄泉路を越えて 弐

 紫苑が孔の中へと消えてからすぐに戦闘は始まった。

 醍醐姉妹は即座に純化を果たし同化、天魔も純化と同時に晴明を召喚。

 雲母もまた何処か気分が晴れないものの純化自体はスムーズに行えた。


「ったく……御大将も身勝手よなぁ。いきなり鉄火場に叩き込まれるのだから」

「おめえグダグダ言ってるでねえぞ!? おら達は紫苑さの役に立つために居るんだ!」

「ジャンヌの言う通りだノブナガ」


 紫苑が置き土産に召喚して行った信長とジャンヌ、ジルドレも戦線に加わるがこれでも万全とは言えない。

 そもそもからして相手は神、それもこの国置いてはもっとも貴き神が三柱も居るのだ。

 幸いなことに高天原に住まう他の神々は手出しするつもりは無いらしいが、それでも気休め程度。


「ヒャハハハハハハハ!!」


 哄笑と共に放たれた天魔の回し蹴りが天照の頬を掠める。

 天照は自身の身体に傷をつけられた事実に驚きながらも即座に距離を取った。

 そも彼女は神ではあるが前でボコスカ殴り合うような性質ではないのだ。

 そういうのは三貴子の中では素戔男尊の役目である。


「不敬な人間達ですね……!」


 掲げられた細腕の先には凄まじい熱量の光球が浮かんでいた。

 それはすなわち天照す太陽の光。当たれば一瞬にして消滅すること間違いなし。

 だが、


「――――わらわは狐の血も混じっとるでな」


 空中から聞こえた声に上を向けば天空から黒い光球を持った晴明が接近していた。

 戦闘に不慣れな天照は上に居る晴明か自身の直線上に居る天魔、どちらを狙うべきか即座に判断出来ない。

 晴明はその隙を突いて自身の光球を天照のそれへと叩き込む。


「陰陽相殺、生成消滅を望むのならばまったく同じ量の対を当ててやれば良いだけの話よ」


 消滅した光球を見て目を見開く天照の顔面にケラケラと笑いながら蹴りを叩き込む晴明。


「きゃッ……!」


 天照の光球に込められていたのは太陽の気、晴明の光球に込められていたのは太陰――つまり月の気。

 相反するものをぶつけてやれば消え去るのが陰陽の道理。

 とはいえことはそう単純な話でもない。

 対消滅を成功させた要因は大きくいえば二つある。

 まず第一に晴明が極まった術者であること。

 第二に天照は持てる力の総てを破壊のためだけに使ったことがないため綻びが存在していること。

 その二つの要因が混ざり合って対消滅からの攻撃を成功させることが出来たのだ。


「ほらほら、余所見してる場合じゃないよー?」


 蹴り飛ばされた天照の着地地点には天魔が居た。

 天魔は飛んで来た天照の腹部に雷を纏った渾身の拳を突き刺す。

 腹部の衝撃は中身を破壊し後部に突き抜け大穴を穿ったがそれは瞬時に塞がってしまう。

 流石は神ということだろう。簡単に押し切れる相手ではないのだ。

 そしてそれは他のニ柱と相対している者らも同じ。


「チィッ……!」


 月夜見から放たれる無数の月光レーザーを潜り抜けながらも何とか接近をしようとするが中々近付けない。

 此方も戦闘が得手というわけではないが護りに長けている。

 だが護り一辺倒でないことは月光レーザーを見ても確かだろう。

 一発一発はそう大した威力ではないが如何せん数が多い。

 足を貫かれ一瞬でも動きを止めたら全身穴だらけになって即死は間違いなしだ。

 八雷神の加護により雷速に至れねばかなり厳しい相手だっただろう。


「第六天魔王様様様様を舐めるなや!!」


 身体を月光レーザーに穿たれながらも無理矢理再生しつつ突っ込んだ信長は躊躇いなく月夜見の首に刃を振るった。


「な!?」


 が、刃が吸い込まれた瞬間、月夜見は酷く希薄な存在となり痛撃を与えられず。

 それどころか自慢の愛刀が一瞬にして凍て付いてしまった。


「実力が伯仲していればそうでもないが……陰陽の特性か!?」


 陰陽において月は陰に属する。

 拡散、分散、希薄、冷、それらの概念は皆、月と同じく陰に属している。

 月夜見は陰の特性を完璧に体現出来るのだろう。

 信長がいうように地力で劣っている状態ではそれらを力任せに打ち破ることは出来ない。

 だが織田信長という男を舐めてはいけない。


「雲母! 北東の方角から切り込め!!」


 方位に置いて西と南は陰に属している。

 ゆえにそれの対となる方向から神のバックアップを受けている雲母が切り込めば、


「あぅ!?」


 雷速の領域で放たれた居合いが月夜見の胴体を切り裂く。

 ダメージは与えられたようだがそれでもやはり致命にはほど遠い。

 戦闘に向いていない天照と月夜見でさえこれなのだ。

 荒ぶる戦神である素戔男尊ならば……。


「俺様をこの程度で止められると思うなよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 数百万の糸で拘束され、

挙句その糸に八雷神の雷を流されていた素戔男尊だが彼はそれを無理矢理引き千切った。

 技も何もない、ただの力任せで。


「どえれえ乱暴だよこの神様!!」


 ジャンヌは全身を炎に変えて素戔男尊へと襲い掛かるが、


「甘いわ戯け!!」

「~~~ッッ!?」


 炎と化したはずのジャンヌが切り裂かれる。だがそれも当然。

 素戔男尊が所持している神剣は天叢雲、またの名を草薙の剣。

 天照に献上され流れ流れて様々な人間の手に渡ったそれだが結局のところ真の主は素戔男尊なのだ。

 元々炎を祓う力があった剣は、真の担い手が振るえば更なる暴威を発揮する。

 幾らジャンヌが物理無効の炎に変じようとも無理矢理捻じ伏せられる。


「ジャンヌに何をする!?」


 ジルドレの剛剣が素戔男尊の脳天に振り下ろされる。

 しかし、刃は少しも通らず弾かれてしまった。


「嵐のような武威……まったく以って厄介極まりないですね」


 姉妹は指を手繰ってジャンヌとジルドレを糸でコーティングする。

 焼け石に水程度の防御かもしれないが、しないよりはマシだ。


「というか素戔男尊! あなたが話を持って来ておいて如何なる不義理ですか!?」


 素戔男尊が振るう天叢雲の刀身が糸のシールドと激突する。

 量を集め繊細に編んだ盾は如何な神剣とて簡単には突破出来ない。

 それでも力押しで何とかしようとする辺りが本当に"らしい"。


「そんなもの俺様にも分かるか!? 誰か説明してみろ!!」


 己への糾弾に対してこの開き直り、DQNの面目躍如である。

 だが素戔男尊の叫びも無理からぬこと。

 三貴子は誰一人として理解していないのだ、自分がどうして戦っているのかを。

 どうして紫苑の邪魔をしようとしたのかを。何一つとして分かっていない。

 分かっていないので戦いを止めるに止められないのだ。


「絶対にここから先へは行かせない」


 同じく理解していない紫苑陣営だが、成すべきことは分かっている。

 であれば戦いを止めるわけにはいかない、例え相手が神であろうとも。

 神格と英雄、神のバックアップを受けた女達が入り混じる超次元の戦闘は一向に終わる気配を見せない。

 戦闘の余波でどれだけ高天原がボロボロになろうとも誰も気にしない。

 高天原に住まう他の神からすれば堪ったものではないだろう。

 だが主犯の三柱が自分とこのお偉いさんなので何も言えないだけ。

 かといって被害の片翼を担っている人間達に文句をぶつけるのも違う。

 下手に目をつけられれて矛先を向けられても困るから。


「?」


 傍迷惑な戦闘を繰り広げ続けて二時間、

人間側に多少の疲労が出て来たもののまだまだ続行は可能。

 だというのにジャンヌとジルドレを除く全員が全員、動きを止める。

 神も人も皆、己の裡にある見えない何かの蠢きを感じ取ったのだ。


「お、おめえらどうしただよ?」

「……?」


 ジャンヌとジルドレからすれば意味が分からないとしか言えない。

 動きを止めた全員に共通するのは日本という国だ。

 三貴子は語るまでもなく日本の神で、信長や――半分とはいえ日本人の血を持つ晴明。

 姉妹や天魔、雲母に関しては純粋な日本人だ。

 つまるところ日本という国土に関係している者らが動きを止めていることになる。

 だがそれは何故? 共通点を看破したジルドレは思考を巡らせるが答えは出て来ない。


「!」


 ジャンヌらの疑問に答える暇もなく、動きを止めた面子の脳裏に一つの映像が流れ込んだ。

 そこは根の国、死者の国。生理的嫌悪を催すその場所を一人の男が歩いていた――春風紫苑だ。


『……』


 その身体は酷い有様だ。

 どういうわけかズボンは無事だが上は完全に腐れ落ちて衣服の体を成しておらず、

覗く肌は酷い腐食に蝕まれており思わず目を逸らしたくなるが逸らす方法が分からない。

 紫苑の肉体に広がる腐食、顔は幾分マシでまだ見られるが、それが逆に他の箇所の無残さを際立てている。


「これは……お母さん?」


 ポツリと月夜見が呟く。これを見せているのは母だ、母イザナミだ。

 しかし何故? 何故こんなものを見せている? 月夜見にも天照にも素戔男尊にも分からない。

 それは同じく日ノ本の神であり同じようにこの映像を見せられている他の神々にも分からない。

 分かっている神はイザナギだけだろう。

 さて、神にも分からないのだから人間には当然分かるはずがない。

 日本で、他の国で、日本人の血が一滴でも流れている人々も同じくこの映像を見せられていた。

 無論、イザナミは紫苑の自己顕示欲の手伝いをしているわけではない。

 誰一人として気付かなかった事実に気付いた紫苑は代表者なのだ。

 唯一裁定の結果を変えられる可能性がある代表者。

 代表者の言葉如何によって、日本人の存亡が決まってしまう。

 神には無関係? いいやそうではない。日本の神々にも無関係ではないのだ。

 代表者である紫苑は人だけでなく神の代表者でもある。

 ことによってはイザナミとイザナギは人にも神にも敵対し大暴れを始めるだろう。

 紫苑が気付いたことによって最後の裁定が始まったのだ。


「だが待て。結構な深さまで潜ってるが……何故、汚染があの程度なんだ?

あそこまで行きゃあもう……なあ姉上、どうなってやがんだよ!?」


 素戔男尊の見立てでは、紫苑が今歩いている辺りには辿り着けなかった。

 そこに行く前に汚染で完全に死んでしまうはずだった。

 だが、腐食の毒に苛まれ苦悶の表情を浮かべながらも紫苑は歩いている。

 確かな足取りでイザナミの下へ向けて歩いている。


「あたしに聞かれても困ります。本当に、本当に、彼は何を見出したの……?」


 分かることは一つ、これ以上戦いを続けるわけにはいかない。

 母の念が告げているのだ――――静かに裁定を待て、と。


『ッッ……イザナミ、多分、俺の声は聞こえているよな……?』


 外見だけが目につくが、恐らくは中身もかなり腐っているはずだ。

 話すのも辛いだろうに……それでも紫苑は語りを止めない。

 まあ死活問題なので当然だが。


『まず、確認をさせてくれ……あなたが見たものを……』


 イザナミが見たもの? 根の国に向かう前も紫苑はそんなことを言っていた。

 イザナミは己を拒絶するイザナギに何を見たのか、と。

 その真意がこれから語られるらしい。


『俺は父どころか、夫ですらない……未だに普通の好きと恋愛的な好きの区別が曖昧な未熟者だ。

それでも、俺のことを愛していると言ってくれる女の子達が居る。

男としては情けない限りだが、彼女達の愛に十全に応えてやれているなんて口が裂けても言えない。

でも、嬉しくはある。愛してくれると言ってくれて……嬉しい』


 天魔と醍醐姉妹の頬が喜びの赤に染まる。

 紫苑は自分の会話が筒抜けになっているなんて気付いていない。

 そうする可能性は織り込んでいるが、それはイザナミと相対した時だと予想している。

 稼ぎたくもない好感度を稼ぐなんて誤算だろうなオイ。


『その上で、あなたとイザナギの立場に置き換えてみる。

栞が、紗織が、天魔が、アリスが、アイリーンが……イザナミの立場だとしよう。

もう一度会いたいと死した彼女らに会いに行った俺が醜いと拒絶したらきっと傷付くだろう。

逆の立場ならば俺は絶対に傷付く。だからきっと、あなたも深く傷付いたはずだ』


 深い悲しみを滲ませた紫苑の言葉――身体は腐っても虚飾はまったく腐ってボロを出していない。


「大丈夫だよ、僕は紫苑くんがどんな姿でも愛せる!」

「ちょっと天魔さん、私もですよ紫苑さん! 今のあなたでも溢れんばかりの愛で抱けます!」


 そこで抱いてもらう、じゃなく抱く、と口にする辺り紫苑とメンヘラーズの力関係が透けて見える。


『だけど、拒絶……それ以上に傷付いたことがあるんじゃないか?』


 それこそが今回の異変の核だ。

 人間からすれば堪ったものではないが神の視点で語るのならば極自然なこと。


『イザナギは醜いあなたを拒絶した、目を逸らした――だけどそこで終わりじゃない』


 それこそが己を拒絶するイザナギの向こうに見えたもの。


「……姉上達は、分かったか?」

「ううん。残念だけど、分からない」

「同じく。残念だけど、母の心を知っているのはあの子と……そして、父?」


 イザナギの行動も思えば不審だった。

 人に悪感情を持っているのは確かだが、それならば根絶の呪いなんて迂遠な方法など取らなくても良かったはずだ。

 呪いをかけて岩戸に閉じこもったことが解せない。


『イザナミ、あなたが見たのは――――我が子らの未来の堕落だったのでは?」


 それが総ての始まりだった。今に至る、母の絶望。

 夫であり父でもあるイザナギが犯した拭えぬ失態。


『醜いもの、嫌なものから目を逸らす……痛い、痛いな。俺にも覚えがある。

だが、嫌なものから目を逸らしても絶対に良いことはない。

己と同格の、国産みの神であるイザナギですら嫌なことから目を逸らしたのだ。

その子や、自分達の国に生きる神より心身か弱き人間ならば言わずもがな』


 イザナギは一度目を逸らしても、持ち直すことが出来るだろう。伊達に神ではない。

 だが人はどうだ? 嫌なものから目を逸らしてもう一度向かい合える人間が大多数を占めているなんてあり得ない。

 嫌なものから目を逸らし、また別の嫌なものから目を逸らして逃げ続ける人間の方が多数派だろう。

 お前がいうなと思うかもしれないが、紫苑の言葉は真実だ。

 嫌なものから目を逸らしても良いことはない。


『あなたの時代ではまだそこまで酷くはなかったかもしれない。

だが、夫であり神であるイザナギの姿を見て確信したんだな?

この国に住む人間――我が子らは時間と共に劣化し、堕落の一途を辿ると。

そしてそれは人だけじゃない、神もだ。皆悉く曇り劣化していくと確信した』


 根底にあるのは母親の絶望だ。

 甘やかすだけが母親ではない、母親とは包み込むような優しさと共に厳しさも持ち合わせていなければならない。

 そういう意味でイザナミはその厳しさが少々過ぎる母親だった。

 いや、その厳しさも所詮は人の――堕落し切った時代の人間の尺度でしかない。


「母様は、そんな、ことを……」


 よろめいた天照の身体を素戔男尊が支える。

 だが、ショックなのは天照だけでなく月夜見と素戔男尊もそうだ。

 神話の時代から幾星霜、何故自分達は母の絶望に気付かなかった?

 気付いてどうすれば良いかを考えられなかった?


「……確かにそうだ、本来ならば俺様達三柱がやっておくべきことだった」


 素戔男尊は苦い顔で去り際の言葉を思い出していた。

 だが、苦い想いをしているのは神だけではない。


「……耳が、痛いね」


 今でこそ背反を抱えたまま目を逸らさずに向き合い続けると決めたが、かつてはそうではなかった。

 外道天魔は背反の性から目を逸らして生きようとしていた。


「流石は神様、ですね。ええ……私達も、そうでした。逃げていた……」

「姉様から自分から……犯した罪から目を逸らして逃げて逃げて……」


 純化を解除した醍醐姉妹が沈痛な表情で己の罪を思い返す。

 彼女らは紫苑が関わらねば破滅していただろう。

 それはひとえに嫌なこと、ものから目を逸らしていたから。

 そもそも破滅の始まりからして目を逸らしたことが原因だったのだ。


「自分の世界に閉じ篭もって、私は紫苑ちゃんを……女威ちゃんを……皆を……」


 雲母もそうだ。直視出来ない絶望を前にして逃げた。

 逃げて逃げて逃げ続けてどうしようもない破綻を迎える寸前で救われた。


「そなたも耳が痛そうだのう、織田信長」

「……うるせえ」


 生前もそうだが死後もそう。茶々との関係こそ正にそれだ。

 信長にとってもイザナミの絶望は言い返せないものだった。

 そしてそれは彼らだけではなく、紫苑らの会話を聞いている総ての者がそうだろう。

 大阪では麻衣も同じように辛い想いをしているはずだ。

 まあ完璧な外人には何が何だか分からないだろうが。


『だから、あなたは呪いをかけたんだな……?』


 痛ましそうに紫苑は語り続ける。

 材料こそあったものの、独力で真実に辿り着いた恐るべき慧眼にカス蛇は改めて尊敬と愛情を抱いた。

 ああ本当に人間を――否、人間だけではなく意思持つ存在を理解し過ぎている。

 総てを欺けるのは演技力だけではなく観察力も有しているからだと改めて思い知らされた。

 論理立てて感情を、心を解体し丸裸にする術は脅威の一言だ。

 それは一見すればそこまで大した能力ではないように思えて、そこがまた厄介といえよう。


『一日に千を殺す、何もそれはイザナギ憎しってわけじゃない。我が子らに自覚を促すためだった』


 人間は馬鹿だ、二度の世界大戦を起こしている辺り否定は出来ないだろう。

 二度も世界大戦を行わねば流血の意味を理解出来ないのだから。

 痛みを与えねば分からないのだ。

 だが世界大戦の痛みですら時と共に薄れている。本質的に人間は愚かなのだ。


『毎日千人死んでいれば、嫌でも人は考えるだろう。何故神はこのような無体な真似を……と。

そして他の神々も考えるだろう。母なる神イザナミはこのような呪いを行使するのだと。

夫イザナギが憎いからか? だがそれだけでこのような短慮に走るかと考えることが出来る』


 だが誤算が一つ。


『しかし、夫イザナギは妻であるあなたの意図を汲めず祝福を与えてしまった。

千死ぬのなら千五百生まれさせる……それじゃ危機感なんて起こるわけがない。

危機感が生まれないならば人は緩やかに堕落の道を辿っていくだろう。

神々もイザナギの祝福があるから人は大丈夫だろうとイザナミの呪いについて真剣に考えるわけがない』


 神話においてイザナミの呪いを何とかしようとする誰かの記述が無いのが何よりもの証左だ。

 危機感が齎す思考の回転と自覚が起こらぬ以上、呪いは呪い以上の効果を齎さない。


『あなたの誤算はそこだった。いや、ある意味で当然の帰結か。

だが言葉でイザナギに真意を伝えるわけにはいかない。

イザナギこそが発端であり、彼が自覚しなければいけないことだから』


 そもそもの始まりはイザナギなのだ。

 確かに言葉で正すことは可能だろう、イザナミが真意を伝えればイザナギは祝福を与えなかったかもしれない。

 だが、それでは駄目だ。イザナギもまた自覚する必要があったから。

 それ無くして真なる正道には戻れようはずがない。

 教え導くのも一つの道だが、イザナミは何よりも自覚を重んじた。


『だが、イザナギが自覚をしたのは……これもやはり推測だが、かなり後だったはずだ。

イザナミが危惧した劣化、それが形となったのは神々が虚無に追いやられてから。

神という目障りなものから目を逸らし存在を否定し無かったことにする……正にあなたが危惧した通りだ。

俺達人間は親殺しという罪を背負うことになった。正せたかもしれない可能性は既に時の彼方だ。

イザナギも自分が虚無に追いやられた段になって、妻であるイザナミの真意に気付いたんだろう』


 我が子らに誤った道を進ませることになった、その元凶は自分だと責めたはずだ。

 黄泉平坂で犯した自分の愚が巡り巡って親殺しという罪を子供らが背負う切っ掛けになった。

 素戔男尊が語ったように行動如何では日本は特異点になっていたはずなのだ。

 世界全体の――人類という大きな括りの中で日本人は僅かしかない。

 だが、その僅かな日本人が親殺しを犯さぬ土壌を持っていれば日本の神々は総てが虚無に堕ちることはなかった。


『嫌なものから目を逸らした結果が、絶望の虚無。

イザナギは虚無に叩き込まれても俺達日本人を怨むことはなかっただろう。

きっと深く悔やんでいるはずだ。どうして自分は正しいことが出来なかったのだと心の底から恥じたはずだ。

人間が犯した親殺しの咎もそうだが、イザナギに連なる三貴子や他の神が人に憎悪を抱いたこともそう。

赤の他人である俺でも、親交ある姉妹が憎み合っていたことに胸を痛めたんだ。それが親ならば……』


 イザナギからすれば日本人の血を持つ者は総て己が子という認識だ。

 つまりある意味では彼の直系である三貴子やナギに連なる神らとは兄弟でもあるわけだ。

 兄弟同士で憎み合うのが今の世界――――親としてこんなに悲しいことがあるか?

 共に愛する我が子なのだぞ? 親が悲しまないわけないじゃないか。


「そんな……そんな、それならどうして言ってくれねえんだ!?」


 素戔男尊が絶叫する。

 彼自身も人は嫌いだとハッキリと告げたこともあり酷く胸が痛い。


「……それが、それが"自覚"なのでしょう。確かに人ならば言葉で言ってくれとも抗弁出来るでしょう。

ですが、あたし達は何です? か、神なのですよ……? あ、あぁああ……あたしは、あたしは何てことを……」


 ポロポロと涙を零す天照。その感情に呼応するように高天原の空が曇り雨が降り注ぐ。

 だがそれは決して恵の雨などではなく、哀切の涙だ。


「これは、私達が気付かなきゃいけなかったんだ……お父さんとお母さんの子供で、神様である私達が……」


 月夜見は罪悪感で今にも死んでしまいたかった。

 そんなこと関係ねえ! と人間を憎み切るには余りにも優し過ぎたのだ。


『だが、今更何が出来る?』


 覆水は盆に返らず――既に世界はどうしようもない状態にまで至ってしまった。

 この状況でイザナギは何が出来る? どうすれば良い?

 贖罪のために今からでも人間を護る? 抜かせ、間違えさせた元凶がどの口で。

 三貴子やこの国の他の神に真意を伝えて代わりに護ってもらう? 出来るわけがない。

 もしそうなればイザナミとの戦いでこの国は燃えてしまう。

 母なる裁定者は気が遠くなるほど昔から警鐘を鳴らし続けていたのだから。

 己で気付かなかった神の行動を邪魔して戦火が広がり護るべき人間が死ぬだけだ。


『……だから、だから苦渋の決断を下した。日本人に穏やかな滅びを与える。

日本人の血を引く者達が二度と子孫を成せぬように根絶の呪いをかけた』


 もしもイザナギがそうしなければイザナミが呪いで毎日千人殺していただろう。

 だが、その呪いはかつてのように警鐘ではない。罰だ。間違え続けた人間に対する天罰。


『あなたが手を下せば、人は苦しみの中で死に絶える。

だが、緩やかな滅びならば少しでも痛みを減らすことが出来ると考えたんだ。

あなたも日本人が――駄目な子らが滅びるのならば自ら手を下すこともない』


 それは二重の罰だ。イザナギがかけた根絶の呪いはイザナミが下す人への罰。

 イザナギへの罰は愛する子らを自らの手で滅ぼすこと。


『今も岩戸に籠り己を罰しているであろうイザナギの気持ちは……俺には分からない。

親ですらない俺が、その気持ちを分かるなんて代弁するわけにはいかないからな』


 ヘタレ野郎イザナギ、ここに来てまさかの名誉挽回である。


『俺の推測は間違っていない……だからこそ、イザナミ、あなたは俺を招いたのだろう?』


 神殿内での会話はイザナミも聞いていたのだろう。

 三貴子よりも格の高い相手だ、盗聴ぐらいはちょちょいのジョイやで。


「親父殿……」


 父を罵倒した素戔男尊は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


『真実に辿り着いた――だから、会話をする権利を与えてくれた』


 赦したわけではない。ただ、紫苑が気付いたことで裁定は一旦やり直しとなった。

 これから、これから春風紫苑の振る舞い一つで総てが決するのだ。

 滅びか継続か、二十も数えていない子供の背に日本人の命運は託された。

 重くないわけがない、辛くないわけがない。

 それでも彼は背負って苦難の旅をしている。

 腐食に苛まれ今にも膝を折ってしまいそうな頼り無い足取りでも決して歩みは止めない。


「目を、瞑って、目を、逸らして、しまいたい……でも、駄目、なのですねお母様……」

「……見届けろ、私達がやらなかったことをやろうとしている彼の姿を、それが罰だと」

「何が神だ……アイツの方がよっぽど上等じゃねえか……」


 強い意思の光を湛えて今も尚歩み続ける紫苑の姿は酷く眩しい。

 自責の念に駆られている三貴子らからすれば正に目を逸らしたい現実だった。

 だが逃げは赦さぬというのが母イザナミの意思。

 何がどうなるにせよ最後まで見届けなければならないという無言の叱責。


『ゴホッ……!』


 咳き込んだ瞬間、腐臭がするドス黒い血が噴き出す。

 かなりやばい状態だ。それでも紫苑は死なぬと確信していた。

 自分が折れない限りは死なないと――この汚染はそういう類のものだ。


『汚染、三貴子はそう言っていたっけか……。これの意図も明白だ。

自分に会うならばまず、第一にやるべきことがあるだろう。

それを弁えていない者が姿を見せるなど笑止千万……。

だから、三貴子であろうともロクに会話も出来ずに帰るしかなかった。

でも……ありがたい、ありがたいよ。この汚染こそが何よりもの証明だ。

まだ話を聞いてくれるというあなたの……優しさ。ありがとう、本当にありがとう。

俺がこの程度で済んでいるのも、まだ死んでいないのもそうだ。謁見する資格をくれたからだ』


 とはいえ、紫苑の場合普通に根の国足を踏み入れていればこうはならなかっただろう。

 何せ彼の心は魂は強靭過ぎて神にも読めない。

 だからこそ、紫苑は言葉で分かっていると伝えたのだ。

 ゆえにとりあえずは心さえ折れねば死なぬ程度の汚染に留まっている。

 紫苑の真意は言葉と行動でしか伝わらない、だからこそイザナミはとりあえず彼を根の国に招くことにした。

 もし紫苑の心が読めていたのならばイザナミの真意を理解していようとも絶対に招くことはなかっただろう。


「……正に、英雄よなぁ」


 ありがとうありがとうと、本当に嬉しそうに感謝をしている紫苑を見ながら晴明がポツリと呟く。

 紫苑は会うことを赦されただけで別に人間が赦されたとは思っていないのだろう。

 それでも尚、チャンスを与えてくれたことに感謝している。

 その真っ直ぐな心根と決して苦難に膝を折らないその姿は英雄と形容することしか出来ない。

 晴明の呟きは紫苑の道行きを見ている者らの総意でもあった。


「もう、見てられないわ……」

「駄目だよ雲母さん。僕らは目を逸らしちゃいけないんだ。どんなに辛くても、目を逸らしちゃいけない」

「私達や多くの人の未来を背負って紫苑さんは進んでいるんです」


 今すぐにでも助けに行きたい、だがそれは叶わぬこと。

 もし根の国に侵入したとしても言われるまで理解していなかった自分達では汚染に殺されるだけ。


「すまねえ……すまねえ、すまねえ……!!」


 素戔男尊は地に手をつき何度も何度も頭を下げる。

 子である自分達が担う役目を背負わせた挙句、刃を向けてしまった自分達が恥ずかしくてしょうがないのだ。

 ああ、心の何処かでは気付いていたんだろう。

 だからこそ、役目を果たせない嫉妬から紫苑を止めようとした。

 最初は理解出来なかったが今ならば分かる、総てを聞いた今だからこそ自分の行動が理解出来た。


「祈ることしか出来ない神……何て無様なのでしょう……」

「私達は一体何なんだろうね……」


 血反吐を吐いて、最早立つことすらままならなくなった紫苑だがそれでも彼は止まらない。

 這ってでも前に進もうとしている。成すべきことを成さんと己を燃やしている。

 目を閉じても見続けなければいけない。逸らすことは出来ない。それが何よりも辛い。

 日本の何処かでもう止めろ! と誰かが言った。

 日本の何処かでもう頑張らなくて良い! と誰かが言った。


「頑張れ、紫苑くん」

「頑張ってください、春風さん」

「頑張ってください、紫苑さん」


 もしもこの声援が届いていたら紫苑は心底やる気を無くしていただろう。

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