認知は嫌だ、認知は嫌だ、認知は嫌だ……
殺人鬼をギルドに引き渡してから三日後の深夜、紫苑は拠点にあるサウナで汗を流していた。
「(……何が恐ろしいってさ、まだ一月終わってねえんだよ)」
下旬には突入したがまだ終わりではない、その事実が恐ろしい。
余りにも濃密な日々を送り過ぎだ。
去年の今頃の自分に「お前かなりの頻度で厄ネタに巻き込まれてるぜ」と言っても信じてくれないだろう。
紫苑はそう考えてとても欝になった。
『ハードスケジュールだなぁ』
「(ギルドのアホ共もさ、こっちを気遣ってる体を見せるくせに仕事を寄越し過ぎなんだよ偽善者め!!)」
混乱覚めやらぬ三が日の内にフランスへ飛ばされてジャンヌ・ダルクと対峙。
それが終わってほんの少しの時間を置いて今度は大阪城のチーム豊臣攻略。
どうにか豊臣を攻略し終えたかと思うと今度は徳川。
その徳川を討伐し終えたと思えば今度はニブルヘイムに誘拐だ。
ニブルヘイムでは特にやることもなく帰還出来たがその数日後には殺人鬼の捜索。
吐き気がするほど濃密な時間だ。
メンタルの弱い人間ならばとっくに擦り切れていてもおかしくはないだろう。
『ご愁傷様。だが、お前の頑張りもあってこの日本はかなり安定しているじゃないか』
「(他人の平穏なんてどうでも――良くない。他人の平穏なんて蹂躙されてしまえ!)」
大人しく無関心を決め込んでおけば良いのに。
『まあそう言うなって。実際のとこ、他所に比べちゃ恵まれ過ぎてる。
時間が経てばやがて、神々の場所へ通じる孔も開くだろう。
有力な連中を引き込めば日本は磐石。そうなればお前も少しは楽が出来るはずだ。
だからまあ、もうしばらく気張ってみろよ……な?』
「(チッ……しゃあねえなぁ)」
春風紫苑という人間の扱い方を心得ていると言わざるを得ない。
甘い餌をぶら下げてやれば動くとはいえ、それを知っているのは世界でただ一匹カス蛇のみ。
お似合いのコンビ――なのか?
「(しかし、この国の神か……)」
余り良い印象が無いというのが正直な感想だった。
始祖たるイザナギとイザナミからしてもうどうしようもない。
自分で迎えに行ったくせに醜く変わり果てた妻を見て逃げ出すチキン。
夫に捨てられたからといって毎日千人殺すというヒス婆。
彼らの子供も最悪だ。引き篭もりやDQNなんて関わり合いにすらなりたくない。
だが、彼らとの対面を避けることは出来ないだろう。
『天津神とか国津神だったか? 下手すりゃ神代の喧嘩を引き摺ってて巻き込まれるかもな。
そこまで大規模なのじゃなくてもイザナギとイザナミの夫婦喧嘩に――――』
「(止めろ! 暗い未来を想像させるな!!)」
そんなことを話していると、浴場の扉が開く音が耳に届く。
待ち人来たり――そういうことだろう。
「待たせたかえ?」
サウナのドアを開けたのは晴明だった。
勿論、全裸だ。紫苑でさえ腰にタオルを巻いているのに彼女は全裸。
自分の身体に恥じるところなど一切無いとばかりに堂々としている。
「いや、構わん」
「では隣に座らせてもらうぞ」
外から持ち込んだキンキンに冷えたラムネを紫苑に手渡し、晴明は隣に腰掛ける。
「んぐ……ふぅ……さて、聞かせてもらおうか」
調査というのは語るまでもなく三日前に確保したあの殺人鬼についてだ。
晴明は現世と己の領域を行き来しながら殺人鬼の魂について調べていた。
今日その調査が終わったのだが、滞在時間はギリギリ。
出て来れるのは深夜ということもありこのような場でということになった。
「見立て通りに彼の者の力は覚由来のもの――覚の目を魂に縫いこまれておったわ」
「ふむ、誰がやったか……というのは厳しいか?」
「厳しいのう」
自分のラムネを飲みながら晴明は紫苑の言葉を肯定する。
「施術者は西洋の魔道を使う者ということぐらいしか分からん。
魔道に秀でておる西洋の幻想など腐るほど居るし、西洋の魔道体系には詳しくないゆえな。
分かっておるのは術者という括りでならばわらわともタメを張るくらいか。
術式の写しは取っておるが……蛇よ、そなたならば分かるかえ?」
聖書の蛇は西洋圏の幻想だ、そこら辺の知識もあるかもしれない。
『生憎と俺様も詳しいわけじゃねえ。見たところで分かるかどうか怪しいな。
西洋つっても広いし、俺様は格別魔道に秀でているわけでもねえ』
「であるか」
大して期待していなかったようで晴明の返事は素っ気無い。
「話が逸れたの。続きを話そう……一応下手人の記憶も探ってみたが……」
「駄目だったか」
「うむ、頭が弄られておったわ」
予想はしていたことで落胆は無い。
それに直に施術をした者の正体が分からずとも黒幕は大体分かっている。
記憶から探れずとも問題は無い。
「ふむ……何ぞ、心当たりがあるようだの」
「まあな。皆には言っていないが、黒幕かもと思う人物の心当たりは無いでもない」
「ほう……それをわらわに話したということは信を置かれていると思っても良いのかえ?」
色っぽい流し目が紫苑に注がれる。
サウナの中で男と女が全裸で隣り合っている――間違いを犯してしまいそうな雰囲気だ。
「贅沢な悩みかもしれないが、皆に話すと必要以上に心配させてしまうからな。
それだけ好かれているということはとても嬉しいが……冷静さを欠かせてしまうのは問題だ。
その点、晴明や信長は一歩引いた立場でものを見れるからな」
「わらわが冷血女みたいではないか」
「……別にそうは言ってない」
「ほほ、冗談よ冗談。ささ、続きを話してくりゃれ」
コロコロと喉を鳴らし上品に笑う晴明。
肌に浮かぶ汗が妙に色気を掻き立てているがある意味硬派な紫苑には通じていない。
「――――葛西二葉」
「そなたに執着を示している女であったか?」
「ああ……」
グイっと残りのラムネを飲み干して瓶を叩き付ける。
苦みばしった表情がカニの鬱陶しさを如実に表していた。
「この日本で、あの殺人鬼の被害に遭って死に掛けている被害者を救えるのは誰だ?」
「そなたとわらわよな。そしてわらわは常時現世に居るわけでもなく……」
「そう。実質俺だけだ」
「目の前で被害が出れば間違いなくそなたは躊躇いなく己が魂の均衡を崩す」
「ああ、つまりはそういうことだ」
「背反する祈りの一つを消し去るわけか」
「曰く、何もかもを切り捨てて本気になった俺と戦いたいらしい」
「闘争中毒かえ?」
「勝利中毒だよ」
バトルジャンキーの方がまだ可愛げがあるだろう。
何せ戦えるだけで満足であり、その結果如何にこだわりはないのだから。
だがカニは勝利という結果のみを求めており過程にこだわりがない。
何千人を犠牲にしようとも、どれだけ人道に外れる手を打とうともその良心は痛まず。
迷惑――その一言に尽きるだろう。
「だがまあ、今回のこれは遊びのようなものだろう。露骨に過ぎるからな」
「本命はもっと別……と?」
「ああ、もっとどうしようもなくなるようなシチュエーションを整えて来るはずだ」
そしてそれについても心当たりはある。
今回の事件は本当に遊びのようなものだ。
選択強制――――紫苑もよく使う手だが、カニもそれを仕掛けるつもりなのだろう。
「難儀な女子に好かれたものよなぁ」
「好かれていると言うべきなのか……?」
改めて自分に関わる女のロクでなさに涙が出そうになる。
どれもこれも見た目は良いのに中身が地獄の最下層。
昔日の大天使にはもう二度と会えず、災厄だけが積み重なっていく。
女運が悪いとかそういうレベルではない。
「(……そういや、京都に縁切り神社会ったよな)」
今のご時世で、しかも敵対を宣言しておきながら神頼みをしようとする厚顔さにビックリである。
というかメンヘラの情念を甘く見過ぎだ。神様程度で何とかなるような甘いものではない。
その執着は地獄の亡者をも軽く凌駕するのだから。
「強い執着はそれ、如何なる形であれ好意の表れよ」
「正直、嬉しくはないがな。それより話を戻すが覚の目は剥離出来たのか?」
「当然よ。わらわが手ずから臨んだ以上失敗はあり得ん。あの男は最早ただの一般人よ」
「そうか」
「後は法に裁かせれば良い。そなたもそれを望んでおるのだろう?」
「ああ。一時、感情に流されかけたが……それでも今回の件は司法に任せるべきだろう」
選択権のある冒険者の場合は敵対し、その結果殺害してしまったとしてもまだ言い訳は立つ。
だが今回の事件の犯人は一般人だ。司法に任せるのが無難だろう。
「まあ、わらわからすればどうせ死罪なのだし手間を省いてささっと殺してやれば良いとも思うがの」
「……お前、生前は一応体制側だろう? 法を軽んずるような発言はどうなんだ?」
「何を言うか。法を創ったのも人であろうに」
可愛らしいことを言ってくれると晴明は笑う。
「罪の重さを測るのも人なれば裁きをくだすのも人。結局のところ殺すのは人」
「……(討論しても良いけど、面倒くせえしなぁ。そもそも法なんぞどうでも良いし)」
ならば沈黙を貫き、現実と綺麗ごとの狭間で悩める青少年を装うことが吉。紫苑はそう判断した。
相変わらず常人とはずれた思考回路で、理解し難いものがある。
「すまぬ、意地の悪いことを言うたな」
ガシガシと少しだけ乱暴に紫苑の頭を撫でる彼女の顔は何処か楽しそうだ。
「いや、確かにそうなのかもしれない……そこらもちゃんと考えなきゃいけないのかもな」
「そなたは少々真面目が過ぎるの」
「性分だ……なあ、晴明」
空気が変わる。紫苑の表情は至極真面目で、僅かながらの恐怖が見え隠れしている。
晴明は問いの内容を察していた、だからこそ茶化すこともなく静かに頷いた。
「実際のとこ、均衡を崩して戻してを繰り貸している俺の魂はどうなんだ?」
紫苑としてもそれは避けられない問題だった。
死にたくはないが早死にが確定だというのなら、それによって立ち回りも変えねばならない。
「……」
「専門家として忌憚無き意見を聞かせてくれ」
「今回のように酒を飲んで僅かながらの力を発揮するのならば、すぐに破綻は訪れない。
あの程度の深度までならば……まあ、問題はなかろう。破綻が来るとしても十年。
これから先まったく使わぬというのならば五十までは生きられるかの」
使えば使うほど死に近付く十三階段。
三十になる前に死ぬか、長生きしても五十。
クラクラ来るような余命宣告だった。百二十くらいまで生きるつもりだった紫苑としては最悪といって良い。
『(憎まれっ子世に憚れぬ……か)』
「(誰が憎まれっ子だ!!)そうか」
「まだ話は終わっておらぬ」
それを告げるかどうか、晴明は僅かに躊躇った。
だが彼女は春風紫苑という人間の意志を尊重するべく打ち明けることを選んだ。
「酒呑童子と戦った時の深度まで達するのならば一回が限度と心得よ」
閉じた領域でならば世界改変すら行える位階、そこまで均衡を崩してしまえばもう戻れない。
人の皮を捨て去らねば死か逃れるなど不可能。
「死ぬか」
「運が悪ければな。揺り返しから目覚めたとしても歩くこともままならず一年以内にはくたばるであろうよ」
『お前の陰陽術でどうにかこうにか出来ねえのか?』
「不可能よ。そもそもからして、以前回復の手助けをしたのが最大限で……次は効力があるかどうか」
選択次第で変わる余命。それにどう向き合うか、命の使い方はその人次第だ。
「分かっておると思うがそれらは人の皮を捨て去ってしまえば解決出来る問題でもある」
「下手をすれば人の敵、そうでなくとも何をするか分からない状態になれと?」
「まあ、耐えられんか、そなたからすれば」
捨てること自体は簡単だ。
実際、京都での戦いでもカス蛇が居なければ人の部分は完全に消え去っていたのだから。
只管に神便鬼毒酒を飲み続けていれば人の皮は完全に駆逐出来るだろう。
「ああ(どうすっかなぁ……恐怖の魔王としてカニ女が認知された辺りで奴を道連れに散ろうかなぁ……)」
心の秤は見栄に傾いている。
大体の展開において並行世界の紫苑はこんな精神状態のまま死の危機を迎えて覚醒を果たしていた。
だがここにはカス蛇が居て、だからこそ覚醒は訪れない。
「晴明、このことは……」
「うむ。分かっておる、内密にしておくとも」
「すまん」
「構わんよ……どれ、もう一本飲むか?」
フッと手を振ればラムネの瓶が二本。
これも先ほどと同じようにキンキンに冷えておりとても美味しそうだ。
「頂く」
「うむ」
二人揃ってラムネを呷る。
火照った身体に心地良い炭酸の清涼感が染み渡っていく。
「傷が」
「何だ?」
「そなたは傷が、目立つな」
左手に薄っすら滲む接合の痕、胸の火傷に腹部の傷。
その三つを晴明の視線が順繰りに撫ぜていく。
「見苦しいか?(この美しい裸体にケチをつけるとか死ね)」
自分で自分の裸を美しい裸体と形容する気持ち悪さよ。
ナルシストもここに極まれりだ。
「いや、美しく雄雄しいぞ。その身体は」
「……歴戦の勇士みたいな感じで? だが、世の中にはもっと凄い身体の人も居るぞ。
どれだけの修羅場潜ったのか全身傷だらけで、とても勇ましい感じがした」
あれは何のバラエティ番組だったか。
一線で活躍している冒険者を取り上げる番組でとある前衛戦士がピックアップされていた。
彼の厳のような身体には夥しい量の傷が刻まれておりそれを見て醜い醜いと笑った記憶がある。
「ただ傷で埋め尽くされていれば勇ましいというわけでもあるまい。大概は醜いだけよ」
修羅場を潜り抜けたと傷を誇るような者は彼女の美意識には沿わない。
「大事なのはその傷で何を成したかだ。多くはただ戦いただ傷付いただけ。
仲間を護った? 勝利を掴んだ? くだらん、軽過ぎるわ。
その点、紫苑よ。そなたの傷には一つ一つ意味がある――違うか?
その傷の一つ一つが誰かの心を救っておるはずだ」
左手の傷は醍醐姉妹を、胸の火傷はジャンヌ・ダルクを腹の傷は雲母を救った証だ。
正確にはそうせざるを得なかっただけで救うつもりなど微塵も無かったわけだが。
「救う……どうだかな。俺は大したことはしていないよ」
「謙遜は美徳だが過ぎれば傲慢に顔を変える。胸を張って救ってやったのだと誇るべきだと思うがの」
とはいっても、それが出来ないから紫苑らしいとも思う。
晴明は少しだけ冷えた身体を温めるように紫苑にしなだれかかる。
「傲慢、か」
「あるいはそなたは少しばかり驕った方が人生楽しいかも」
驕りマックスで日々を過しているが紫苑は一向に幸せになれていない模様。
「十分傲慢だとも思うがな。以前お前も言っていたようにな」
「フッ……かものう。だがそういう意味ではない」
「ああ、分かっているよ(心音うぜえ……)」
自分に密着する晴明の鼓動が紫苑の身体に伝わる。
というか、心音うぜえなんてディスをかますなんて一体どんなセンスしてるんだ。
「しかしあれよな紫苑。そなた別に不能ではなかろうに……少しばかり、女の矜持が傷付いたぞ」
拗ねたように唇を尖らせる晴明だが、その目にはからかいの色が滲んでいた。
何かと純朴な紫苑をからかってやろうという腹なのだろう。
「(うぜえ)」
気に喰わない、その一言に尽きる。
そういうキャラで通しているから色ごとでからかわれるのも仕方ないといえば仕方ないのだが気に入らないものは気に入らない。
「(色気振り撒いて美女アピールとかいらねえからマジで鬱陶しいっつーかコイツ……)」
「慰めてはくれんのかえ?」
鬼灯のように紅い舌が紫苑の肌を這う。
常識的に考えてサウナで汗かいてる男の肌を舐めるとかどうかしてるぜ。
しょっぱすぎ、塩分過剰摂取で死ぬつもりだろうか?
「――――気付かなくてすまんな」
「へ?」
肩の辺りにもたれかかっていた晴明の頭を胸に抱き、上から真っ直ぐ見下ろす。
見つめ合う二人、互いの視線は確かに交わっていた。
「や、え……その……」
突然のことに頭が追いつかないらしい晴明が戸惑ったように目を逸らそうとするが、
「誘っておいてそれはないだろう」
紫苑の手が晴明の顔に添えられすぐに視線を戻される。
「女に恥をかかせるのは俺としても本意ではない。
幾らか経験は積んでいるが、それでもお前を満足させられるほど手管は残念ながら無いだろう。
だが精一杯、尽くさせてもらおう。力の限りに愛してみせよう」
一体何時の間にホストモードが起動したのだろうか。
「い、いや待て……どうしたそなた? な、何かおかしいぞ……」
その顔が赤いのは決してサウナに居るからではない。
晴明が口だけ番長だからと言わざるを得ない。
もしくは攻めるのは得意だが攻められるのは苦手という防御力零の紙装甲だからか。
何にしてもこれこそが紫苑の望んだ展開だ。
彼はこうなることを見抜いた上で攻勢を仕掛けた。
「おかしいか? お前なら分かってくれると思っていたんだがな」
「な、何を……?」
「俺は無欠じゃない。何でもないように振舞うことは出来るが、その実、腹の中では何時だって揺れてる」
「ッッ!」
ビクン、とそのしなやかな肢体が跳ね上がる。
首筋に埋められた紫苑の顔、かかる吐息が肌を焼く。
「分かっていたこととはいえ、いざ知るとなると結構堪えるものだ。辛いし、怖い」
「あ……」
「力を使うことを止めてしまえば、余命は伸びる。だが、俺はきっとそう出来ない。
死ぬと分かっていても足を止めない、なのに身勝手だな……怖いと思っている。
死ぬのが怖いと心底から怯えている。何時、何が起こるか分からない。
状況如何によっては酒呑童子と戦った時のようなことをするだろう。
だが、そうすれば明日が無い。見えない恐怖が俺を苛む。明日が断絶することが何よりも恐ろしい」
今日を無事終えられた安堵と共に明日を迎えたい。
だが、切っ掛け一つでそれは無くなってしまう。
明日何が起こるか分からない、突発的に死ぬという意味では誰だってそうだ。
しかし紫苑の場合は死への道が明確に見えている。
使い方によってはすぐに死ぬし、そうでなくても上手く生き続けたって十年。
「……紫苑」
分かっていた、紫苑が子供であることは。
だからこそからかいを仕掛けていたのに――肝心な部分を見落としていた。
子供だと思っているのに、問われたからいって真実を告げてしまった。
平然としているように見えるが、それは必死に恐怖を押し殺しているからに他ならない。
怖かったら叫べば良い、泣けば良い。
だがそれが出来ない。仲間達にそれを見せることを春風紫苑は良しとしない。
不安に押し潰されそうになっても歯を食い縛って耐えるしか選択肢が無いのだ。
「……すまぬ」
そうとしか言えない。
享楽主義の晴明ではあるが、情が無いわけではない。
弱さに理解を示さぬほど狭量でもない。だからこそ、自分の浅慮を恥じた。
あの問いを誤魔化していれば、気付かれたかもしれないが深くは追求して来なかっただろう。
そうして幾許かの逃避にはなったはずだ。
だが、それをせずにありのまま素直に答えてしまった。
紫苑が望んだことと言われればそこまでだが、少なくとも晴明にとってはそうではない。
あの場で選択権を握っていたのは己なのだから。
「夜になると、どうしようもない不安に呑まれそうになる」
あくまで淡々とした言葉、だからこそ痛い。胸に響く。
「気付けば俺はこんな場所にまで来ていた。ああ、分かっている。自分で選んだことだ。
だけど……思うんだ、こんな大きな舞台で踊るなんて俺の器じゃないだろうって。
しかも敵は古今の英雄や神々や悪魔と来た……やり合う度に擦り切れそうになる……」
余命のことだけではなく溜まっていた不安も顔を出した。
晴明は何も言えない、自分の感性が常人のそれとは違うことを理解しているから。
さも共感出来ると同情をすることが何よりもの侮辱だと理解しているから。
「だが、そんなこと誰にも言えない。俺は……皆の柱だから……」
それは自惚れでも何でもなく、純然たる事実だ。
人というのは一人一人違っていて、その意思をまとめることはとても難しい。
表面上まとめることは容易いだろう。
だが、真の意味でとなると難易度は格段に跳ね上がる。
そして紫苑は不幸にもそれが出来てしまう。
春風紫苑という旗の下に集った者らは大きな力と強い個性を持った者ばかり。
それらがまとまって一つの目的のために動けるのは紫苑という大黒柱が居るからだ。
「(そしてそれは、わらわも同じ……)」
もしも紫苑が天魔と関わっていなければ晴明は此処に居なかっただろう。
外道天魔という少女に興味を示し、そこから春風紫苑という旗の下に歩み寄ったのだ。
「だから少し、少しだけで良い」
母親というのならば雲母が居る。
だがあれは少々過保護に過ぎて素直に甘えられない。
ほんの少し寄りかかるにしては頼り無さ過ぎるし安らげない。
「……甘えさせてくれ」
「――――」
それはこの上ない殺し文句だった。
生前も、こんな衝撃を感じたことはなかった、完全なる未知。
形になる前の感情の奔流が晴明の心を満たしていく。
彼女にも生前子は居た――と言っても実子ではない。
テキトーに見繕った浮浪児に己が術の幾らかを授けて家を継がせただけ。
今でこそある程度円熟しているが生前の晴明は輪をかけて身勝手だった。
自分と、自分が興味のある事柄にのみ目を向けており親らしいことは一切していない。
だが虚無の中で良い具合に磨り減り、今でもそれなりに落ち着いている。
ゆえに――――紫苑を愛おしいと思ってしまった。
それは異性にというより、母が子を愛するそれ、端的に言って母性の発露である。
「あ、う……」
生まれてこの方母性なんてものを感じたことはなかった晴明――戸惑わないわけがない。
自分もそうだし、母親もアレだしで知識以上のものがないのだ。
どうすれば良いか分からない、この感情をどう発露させれば良いか分からない。
もしこれが雲母ならば迷い無く紫苑を抱き締めていただろう。
母の愛を、どれだけ我が子を愛しているのかを伝える一番良い方法だと分かっているから。
「う、うぅ……」
だが晴明は知らない。
母親である九尾の狐は愛情を持って我が子を抱いたことなど一度も無いから。
そもそも子を成したのだって気紛れで、それ以上の理由は存在していない。
産んで気紛れを発散させれば後はどうでも良い。
一応育てはしたが愛情はZEROで頭を撫でたこともなければ抱き締めもしない落第カーチャンなのだ。
実の母親もアレで、自身も母親失格の晴明が初めて抱く母性を前にしてポンコツになるのは自明の理。
「晴明」
「(も、求められておる……わらわは今、求められておる……が、ど、どうすれば良い……?)」
何もしないというのは論外だ。
何かをしてあげたい、させて欲しい、グルグルと母性の蜜が心身を満たしていく。
本能が選んだのはやはり抱擁だった。
戸惑いがちに手を伸ばして紫苑を抱き締めようとした瞬間、
「――――なんてな」
至近距離にあった紫苑の顔が悪戯な笑顔に変わり、そっと離れていく。
「え」
母性も戸惑いも何もかもを押し流して頭の中が真っ白になる。
なんてな? なんてなとは何だ?
「た、たたたた謀ったか!?」
「他人をからかうのは好きなのにからかわれるのは嫌いなのか。困った奴だな」
羞恥と怒りで真っ赤になった晴明が抗議するも紫苑は何処吹く風だ。
「うー……うーうー!」
「(うーうー言っても可愛くねえんだよ年齢考えろやババアが! 見苦しいし吐き気がするぜ!)」
そんな状態にしたのは一体誰なのか少しは考えてみろ。
「俺とてからかわれてばかりでは良い気もしないのでな。反撃させてもらった」
『俺様は一瞬そのままヤっちまうのかと思ってビビったぜ』
これまで黙り込んでいたカス蛇が紫苑にのみ囁きかける。
どうやら空気を読んで黙っていたらしい。
「(ヤるわけねえだろ何を好き好んで千年もののババアと俺のピッチピチの肌を重ねにゃならんのだ不敬であるぞ!)」
『そうか。気を遣って狸寝入りしようかと思ったが……うん、冷静に考えりゃそうだよな』
蛇なのに狸とはこれ如何に?
「さて、俺は身体洗ってから出るが……お前はどうする?」
もうすっかり汗を出し尽くした。
後はサッパリと身体を清めてから湯船で少しゆっくりしてから上がるだけだ。
「……わらわも」
紫苑後に続いて洗い場にやって来る。
大浴場なのでシャワーも幾つかあり二人は並んで身体を洗い始めた。
『にしても大陰陽師様も可愛いとこあるねえ』
無言で頭を洗っている晴明を見てカス蛇がカラカラと笑う。
「(え? 何? お前ゲテモノ喰い?)」
晴明がゲテモノならば紫苑は汚物である。喰う喰わない以前の問題だ。
『先生! そういう意味じゃありません! というか種族が違います!』
「(分かってる分かってる、好きなのは蛙だよな?)」
『お前蛇が皆蛙喰ってると思うなよ? 林檎のが億倍美味いわ!』
蛇=蛙、貧困な発想である。
「(あっそ)」
髪と身体を洗い終えスッキリ爽快。
ルンルン気分のまま湯船に入る紫苑は余命のことなどまるで気にしていない。
いざその場面にならねばということだろう。本当におめでたい男だ。
「……」
「(……コイツいい加減帰れよ)」
ブスっとした顔のまま広い浴槽の、それもわざわざ隣に座って来る晴明が鬱陶しくてしょうがない紫苑。
どう考えても意識の変革があったことは確かで、俗な表現をするならばフラグが立った状態だ。
そして立てたのは紫苑なので何時も通りに自業自得である。
「何だ、まだ怒ってるのか?」
「……紫苑」
「ん?」
「頼りたければ頼って良いぞ」
これまで黙り込んでいたのは怒っていたからではない。
確かにネタバラシをされた直後は少々カチンと来ていた。
だが、冷静になって考えてみると色々と思うところがあったのだ。
紫苑のあれは総てが総て嘘なのか――と。
むしろかなりの部分が本音であったと考えるのが自然だろう。
ただ、途中で冷静になってしまったからこそ総てを吐き出しきれずにあんな形で打ち切っただけなのでは?
そう思うとどうにもやり切れない。
「(おうおう、考えてることが手に取るように分かるわ)ああ」
「うむ」
しばしの間、無言の時間が流れる。
良い具合に身体も温まり眠気もやって来たところで立ち上がり腰にタオルを巻いて湯船から上がろうとするのだが……。
「!」
突然浴場の扉が勢い良く開かれた。
姿を見せたのは良い具合にイっちゃった顔をしている裸体の少女五人だ。
「何か嫌な感じがして目が醒めたと思えばさぁ……」
メンヘラーズは一体どんなセンサーを搭載しているのか。
「この御婆ちゃんったら一体何をしてくれているのかしら?」
「ビッチ」
「その通りです。春風さん、騙されちゃいけませんよ。晴明の母親は九尾の狐ですからね?」
「若さが微塵も無い御老体ですから早まってはいけません」
タオルも何も無しに惜しげなく裸体を晒し仁王立ちのまま熱いディスを繰り出すJKが五名――どんだけ男らしいのか。
というかこの場でタオルを着けているのは紫苑だけで、むしろ彼がおかしいのではと錯覚してしまいそうになる。
「ほほう、囀ったな小娘共が。男を悦ばせる術もロクに知らん乳臭いガキのくせに」
晴明もまた仁王立ちでメンヘラーズ五人に切り返す。
段々空気が不穏になって来た……。
『何かさぁ、お前もそのうち十代でパパとかになりそうだよな』
「(認知は嫌だ、認知は嫌だ、認知は嫌だ……)」
『出生届けェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!』
「(やかましいわ!)」
『ネタ振ったのお前じゃん……つか現実逃避? してもこの先の展開は変わらんと思うぜ』
め の ま え が ま っ く ら に な っ た !




