大阪を出ますと終点ニブルヘイムまで停まりません 中
「だからさ、君は何でオーディンに憧れてるの? 何処に惹かれたの?
君の御国だったら他にも色々居たでしょ。ジークフリートとか、私らの神話でもそうさ。
オーディンに限らず武勇に優れた神々は多い――――なのに何故君はオーディンに憧れた?」
「それは……」
改めてそう問われると、ルドルフは明確な答えを返せない。
彼と同じようにクー・フーリンに憧れるアイリーンの場合は明確だ。
その波乱に満ちた生涯とその強い生き方が胸を打ったから。
アイリーンならば間髪入れずに憧れの理由を答えるだろう。
だが、ルドルフは答えることが出来ない。憧れの理由を言葉に出来ない――あるいはしたくない、か。
「好きになることに理由は要らないっちゃ要らないけど……ホントに無いの?」
そんなわけがないだろう、ロキの瞳は雄弁だった。
しかしルドルフは沈黙したまま。トリックスターの言葉に答えを返せずに居る。
「ふぅん……まあ良いけどさ。何にせよ、少しは落ち着いたみたいだし?」
「……」
レギオンのことを吹っ切ったわけではない。
とりあえず今は棚上げにしておかねば戦えないと誤魔化しているだけだ。
「――――じゃあ、次だ」
地面が隆起する。氷中から飛び出した腕が一本、二本。
次いで胴体が競りあがり二本の脚が……蜘蛛のような体勢を取っている人型のそれが次の敵なのだろう。
「あー……う゛ー……」
かくかくとぎこちない動きで立ち上がったヒトガタは呆けたような呻き声を漏らす。
全身が包帯でぐるぐる巻きにされているが、
今しがた聞こえた声と美しい銀髪を見るに性別は女であることが窺える。
「……人、ではないな。確実に」
先ほどのレギオンとは確実に違う、あれは人外だ。
しかもかなり上等な部類で、ルドルフではどうやっても勝てない類のもの。
とはいっても生きて帰るためにはどうにかしなければいけない。
勝てない敵を前にしたからといって心を折るのは戦士の恥。
ルドルフは静かに闘志を燃やす……。
「今回は先に正体を教えてやるよ。そいつは私とヘルのガキだ」
「が、ガキ……子供……?」
神話の登場人物ゆえに、
近親であろうとも平気なのかもしれないが現代人のルドルフにとってはモラルハザード待ったなしである。
「確かに卿は神話でも随分変態性を露にしていたが娘にまで……」
ロキの変態っぷりを真面目に語るとドン引きしかされないのでここでは割愛しよう。
いや、近親やらかしてる時点で既にギルティっちゃギルティだが。
「うー?」
ボロボロの包帯ドレスを纏う壊れたシンデレラ――ルドルフは何となくそう感じた。
「人間の倫理道徳を私達に当て嵌められてもねえ」
ベアトリクスと同化しているということはヘルは既に肉体を捨てたということになる。
ロキはその捨てられた――いわば死体ともいえるそれとまぐわったのだ。
近親で更にネクロフィリるなんて正気じゃない。
人の常識からしても正気じゃないロキだが、それは幻想にとっても同じだった。
神代ならばともかく今は人の天下。
神々は幻想に貶められ、歪んでしまった。そんな状態で神と神が子を成せばどうなるか。
そんなもの当人ならぬ当神らにも分からない。
ただ、ロクでもないことにしかならないのは分かる。
ゆえに悪魔も、神々も、幻想という括り同士で子を成すことを誰が言わずとも禁じた。
だがしかし、そこはトリックスター。ルールは破るためにあるとばかりにブッチ。
あろうことか自分の娘の死体と一発ヤらかしてしまう――まあヘルといえばある意味元から死体なのだが。
さて、誕生したのが壊れたシンデレラだが――見ての通り難物だ。
かつてならば知性ある存在が生まれていただろうが見ての通り白痴のような有様。
「……この者の名は?」
反吐が出そうな精神状態を押し殺し、ルドルフはシンデレラの名を問うた。
殺し合う相手だが――否、だからこそ名を知っておきたかったのだ。
しかしロキはここで初めて困った顔を見せる。
「名前、ねえ。無いんだよね、彼女には」
「子に名前すら与えんとはそれでも親か!?」
「まあ、うん……その通りなんだが……」
ロキとて好んで名前をつけていないわけではない。
名前をつけることでどうなるか分からないから名前をつけていないのだ。
シンデレラが纏う包帯は別にファッションでも何でもない。
確かにパンク系でそういうのはあるが、彼女の場合は実用的なもの。
包帯に見えるがあれは呪符。力を抑えるための拘束具だ。
ロキはシンデレラを誕生させた瞬間、「あ、これやべえ」と思った。
理解不能な危険度を感じ即座に特殊な布でグルグル巻きにし十八番のルーン魔術で厳重な封印を施した。
「そ・れ・よ・り! ほら、やること忘れてない? 君は戦わなきゃいけないんだよ」
と、ロキは急かすものの……。
「うー?」
どうにも戦意を殺がれる。シンデレラは何処までも無垢だ。
人間ではないとはいえ、これでは少々やり難い。
そんな戸惑いを見抜いたロキは、
「――――戦え」
自ら命令を下す。
ロキの命を受けた瞬間、シンデレラの足下が爆ぜる。
彼女の姿は完全にルドルフの視界から消えていた。
「~~~ッッ!!」
何処だ? と探すも間に合わず横っ腹に尋常ではない衝撃が迸る。
ルドルフは飛んで衝撃を逃がすことも出来ずに吹き飛ばされて氷柱の中にめり込んだ。
「いぃ!?」
血反吐を撒き散らしながら自分の顔面目掛けて放たれる小さな拳を回避する。
ギリギリ、本当にギリギリのところでどうにかこうにか躱せたが代わりに後ろにあった氷柱が完全に砕け散った。
背を預けていた場所が無くなったことで生じた浮遊感。
攻めるか、体勢を立て直すか――――死中にこそ活あり。
ルドルフは渾身の力でシンデレラの股間を蹴り上げた。
股間というと男の急所と思われがちだが、女性にとっても割りと洒落にならない場所なのだ。
そこを全力で蹴り上げると――まあ、ヒトガタとはいえ人外にも急所が適応されるかは不明だが。
「か、硬い……!」
シンデレラの股間に衝突した蹴り足が酷く痛い。確実に骨に皹が入っている。
痛みを押し殺しながらもルドルフは足を引いて即座に離脱。
「あう?」
まるで効いていなかったらしくシンデレラは不思議な顔をしている。
舐められている――しかしそれも当然。
彼我の間に横たわる差は眩暈がするほどだ。
ルドルフとシンデレラ、百回やってもシンデレラの勝ちは揺るがず、ルドルフの敗北は決定的。
「お父様」
これまで静かに戦いを見守っていたヘルがここで口を出す。
父親であるロキは当然、娘の言いたいことは分かっていた。
「戦いは止めだ、遊んでお上げ」
言うやシンデレラの動きが鈍くなった。
ルドルフを攻めるも先ほどまでの暴威は微塵も見られない。
父の命令通りに遊んでいるのだ。
「大丈夫だヘル。私はゲームに無粋はしない。彼女との約束は必ず守るさ」
「ええ、それでこそお父様ですわ。不真面目で塵屑のような性根ですが自分のルールにだけは背かない」
「もっと褒めてくれても良いんだが?」
「ふふ、止めておきます」
ヘルは再び口を閉じ、黙って戦いを見つめ始める。
「さて、少しは楽になっただろうから私の話も聞いてくれるだろう?
ああ、勿論遊びながらでね。さてルドルフ、君はオーディンに憧れている、それは間違いないね?
槍の担い手として尊敬している? それを超えたい? 違う、違うねえ。
平時ならばそう答えただろうけど、そもそもオーディンは槍のスペシャリストってわけじゃない。
戦いの神ではあるけどね。こんな状況だからこそ、君の心から虚飾は剥がれている。
だから先ほど、私の問いに答えられなかった。それは仕方の無いことだよ」
今にも死する、そんな状況でも虚飾を剥がさない紫苑の方が異常なのだ。
普通は死の間際にこそ人間の本質というものがよく見える。
「さてオーディン、オーディン。君はアレの何処が良いんだろうねえ」
「知りたがりがこうじて世界樹で首吊るというドマゾ――私には理解しかねますわ」
自分とこの主神をディスる親子。
まあ性格の悪いコイツらに褒められても気持ち悪いだけだろうが。
「終わりだって至極情けないものだし」
「お兄様にパックリ食べられて終わりですものね」
オーディン――考えてみれば不憫な男である。
義弟に息子を殺され、義弟の息子に食われて死ぬなんて笑い話にもならない。
「全知全能の神、魔術と狡知の神、知恵者――大そうな名で呼ばれている割に私の企みを阻止出来てないし」
バルドルの件だって本当に優れた者ならば阻止出来たはずだとロキは哂う。
オーディンがこの場に居れば自分でやっといて何て言い草だ! と激怒すること間違いなしである。
「さあ、ルドルフ・フォン・ジンネマンはそんなオーディンの何処に憧れたのだろうか?」
力をセーブされているとはいえシンデレラの猛攻は凄まじい。
ルドルフは防戦一方ながらもロキの言葉は聞こえていた。
「(私が、何故、オーディンに惹かれたか……)」
自問自答、それでも答えは出ない。あるいは出したくないだけか。
「青臭い少年の憧れ――そんな可愛いものではないのは確かだ。
尋常ならざる領域でオーディンに焦がれる、その理由は決して美しいものではない」
ルドルフの足が無造作に掴まれる。
万力で締め付けられているようかの拘束を逃れることは出来ない。
反撃に転じようとするも、
「あー♪」
それよりも早くにシンデレラが踊り始めてしまった。
引っ掴んだルドルフをあちこちに叩き付けるその姿は童女がぬいぐるみを雑に扱っているかのような稚気すら感じられる。
これはヤバイ、このままではいけない。
そう考えたルドルフはこれまで幾度も試したことをもう一度試す決意を固める。
「(アイリーン、彼女はクー・フーリンを超えるという祈りを以って至った。ならば私も……!)」
超える、オーディンを超える、強く強くそう願うが純化には至らず。
それは己の祈りを理解していないことの証明だ。
ロキは浅はかなルドルフの考えを見抜き、これでもかという嘲笑をぶっ放す。
「アハハハハハ! 馬鹿だね、馬鹿だねえ君は! ねえよ、そりゃねえだろ。
オーディンを超えようとでも思ってんのか? 阿呆、ズレてんのさ。前提からして間違ってる。
言っただろ? 青臭い少年の憧れなんて可愛いものではないってねえ」
大爆笑するロキの服の裾を引っ張るヘル。
「ん……分かっているさ」
何か言いたげな娘の視線を払ってロキはいよいよルドルフ・フォン・ジンネマンの切開に取り掛かる。
「さて、オーディン、我が義兄君といえば何を思い浮かべるだろう?
象徴……シンボルと言って良い。隻眼? グングニル? 違う、違うなぁ」
オーディンといえば、
「――――ヴァルハラだ」
ヴァルハラ、名誉ある戦死者だけが戦乙女に招かれて辿り着けるオーディンの居城だ。
そこでは戦と宴が来るべきラグナロクの時まで延々と繰り返されている。
ヴァルハラに至るということはオーディンに選ばれたのと同義。
至った者らは一人残らず英雄と呼んでも差し支えは無い。
「ガハ……ッッ!!」
「おっと」
娘が投げ付けて来たルドルフを指一本で受け止めたロキ。
ルドルフは既に瀕死だ、鍛え上げた肉体も磨き上げた技術も一切がシンデレラには届かなかった。
「ふふふ、まだ気付かないのかな? ならば良い、最後まで教えてあげよう」
小指でルドルフを吊り下げたままロキは更に笑みを深くする。
「……」
意識は今にも途切れてしまいそうなのに、ロキの声だけはよく聞こえる。
目は閉じられるが耳は閉じることが出来ず、どうしてもトリックスターの言葉を聞かねばならない。
これは一体どんな拷問なのだろうか?
「回りくどい物言いは無しだ。ようはお前は英雄を顎で扱き使う支配者に憧れてるのさぁ!!
オーディンの武勇や智慧なんぞどうでも良い。
お前が見ているのはただ一点、英雄達を統べるという立場のみ。
いずれも劣らぬ英傑を侍らせることで己の独尊を満たしたいだけ。
見て見て彼らは凄い英雄なんだよ! そして僕はその英雄を統率するすっごい男なのさ!!
そう自慢したいんだろ? 見せ付けてやりたいんだろ? 独尊と支配欲こそがお前の本質だ」
見えないし聞こえない、だけど今確かに――――亀裂が刻まれた。
「――――」
途切れかけの意識は今、嫌になるくらいクリアだ。
だからこそ、ロキの言葉を一言一句余さず聞くことが出来た、出来てしまった。
「わ、私は……」
潰れかけの喉から零れる声は罅割れており、それがまた惨めさを掻き立てる。
「さぁ! ここで何か見えて来ないかい? 君が焦がれる英雄達の統率者……。
あれ? あれれー? 何だかそういう男が君の一番近くに居るんじゃない?
外道天魔、醍醐栞、醍醐紗織、アリス・ミラー、アイリーン・ハーン、逆鬼雲母。
性格やら思想はさておき、彼女らの魂は古の英傑にも劣らぬ――正に現代の英雄。
彼女らは皆、たった一人の男に愛と忠誠を捧げている」
亀裂が広がる。止めろ、それ以上何も言うな。
恥も外聞もなく涙を流すルドルフ、それが更にロキの加虐性を煽る。
「織田信長、ジャンヌ・ダルク、安倍晴明、歴史に名を残す過去の英雄。
彼らは皆、たった一人の少年に親愛と敬意を抱き、統率者として仰いでいる。
いいや、彼らだけではないね。その下に着いておらずとも"彼"を評価している者は他にも居る。
源義経、平将門――彼らもまた"彼"に可能性を見出していた」
罅割れた箇所を何度も何度も踏み付ける、そんなことをすればどうなるかなど自明の理。
砕けないように、壊れないように必死に押し留めるルドルフが哀れでいっそ殺してやれと言いたくなる。
「評価しているのは人間だけではなぁい(↑)!
聖書の蛇、プロメテウス、特に前者に至っては彼を至高の存在だと認識している節がある」
至高の屑というならば確かにその通り。
単純に外道を犯している連中の方が幾らか可愛いというものだ。
「あ、あぁ……!」
「――――ホント忌々しいよな春風紫苑って」
その一言が、トドメとなって必死に繋ぎとめていたものが砕け散った。
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
認めたくない、それでも否定出来ない事実を突きつける――紫苑がよく使う手だ。
彼の場合はそこから心が立ち直るように誘導するのだがロキはそんな生温いことはしない。
心の均衡が崩れてしまったのならばもっとしっちゃかめっちゃかに!
立ち直る必要なんてない! 堕ちるところまで堕ちてしまえ! 邪神の哄笑は止まらない。
「正に理想だ、唯一欠点があるとすれば直接的な力が無いだけ。
春風紫苑こそが君が至りたい理想そのもの! 数多の英傑を従え、戦いに臨む英雄の中の英雄!
味方からは惜しみない尊敬を、敵からは限りない畏怖を! 嗚呼……羨ましい!」
紫苑が幻想サイドから警戒されているのは周知の事実だ。
そしてそれは彼を評価していると言っても間違いではない。
元旦のあの日もそう、神に近き者メタトロンが自ら勧誘するほどに。
「私もそうさ。あんな良い子ちゃん趣味じゃないんだが、その傲慢さだけは評価してる!
私なんか軽く殺せるだけの力を秘めていながら、覚醒すればどうなるか……。
幸せ押し付けマッスィーンになることを忌避し、人の幸せはそうではないと力を捨てる!
あれだけの力を人であれなんて矜持のためだけに捨てられる! 嗚呼、何て傲慢!」
悉く的外れだが傲慢であるという点だけは正解だ。
「なあ、目障りだよなぁ?」
小指で吊り下げていたルドルフを上空に放り投げて落ちて来たところを両手で抱きとめる。
男が男をお姫様抱っこしているという絵ヅラにゲロが出そうだ。
「邪魔じゃない? あれさぁ」
ルドルフの首筋に舌を這わせるロキ――変態の面目躍如である。
「自らが至れぬ理想の玉座にふんぞり返るいけ好かねえ糞野郎。
アイツが居る限り君は何処にも行けない、辿り着きたい場所は遠ざかるばかり」
「――――」
最早言葉も無い、ルドルフは今、完全に心を圧し折られていた。
直視したくない己を無理矢理目蓋をこじ開けられて凝視させられたのだから無理も無い。
潔癖であればあるほど、醜さに耐えられない。
そういう手合いは面倒だ、これまで表面化して来なかったのは紫苑が上手く操作をしていたからだ。
分かり易く潔癖な輩が好きそうなお題目を掲げていたから。
だがここに上手くコントロールしてくれる屑は居ない。
どんどんドツボに嵌まるだけ。底なし沼は決してルドルフを離さない。
「どうしよっか? 一生腐ってる? 嫌だよねえ、そんなさっき君が殺した屑みたいな生き方。
男児たる者、常に上を目指さずしてどうする!? うんうん、その通り!」
悪魔という奴は往々にして人間が打ちのめされた時こそ甘い顔をする。
飴を差し出すのだ、咥えてしまえばもう戻れない、甘くて苦くて狂ってしまいそうな地獄のキャンディ。
「――――そんな君にプレゼント」
ルドルフを抱いたままステップを刻みターンを一つ。
背中から彼を抱き締めたままロキが指差すそこには、
「――――」
何処ぞの特殊ショップで買って来たの? と聞きたくなるラバーな拘束具に捕らえられた紫苑の姿があった。
「いや参ったよ。ジャンヌ・ダルクはヘルも不意打ちで凍らせられたんだが彼は無理だった。
余計なことが出来ないように拘束術式を混ぜた氷結は弾かれちゃったよ。
魂の格が違うってことなんだろうねえ。
殺すのは簡単だが、魂に作用するような類の魔術やらは通用しないらしい。読心も無理だったからね」
だったら肉体的拘束オンリーの魔術を使えば良いだけだ。
なのに何だってロキはそういうショップであんなものを買って来たのか。
あのラバーな拘束具に値札着いてんぞオイ。やっぱコイツガチの変態だ。
「おや、目覚めたかな?」
閉じられていた紫苑の瞳がゆっくりと開いていく。
「ん……(あれ……何だ、つか、ここ……東京……じゃねえよな……?)」
噛まされた猿轡のせいで呻き声しかあげられない。
『おはよう紫苑。勿論、此処は東京じゃねえよ。俺様達、拉致られちゃったみたい』
明らかにやばい状態だというのにカス蛇はケロっとしている。
どう考えても流れ的にルドルフの手で紫苑を殺させるつもりだろうに……。
「(はぁ!? ちょ、拉致って……お前、これ何回目だよ!?)」
短いスパンで攫われ過ぎである。
それはさておき、今回の主役は紫苑ではなくルドルフだ。
「まあ良いさ。どうせ何も出来ないだろうしねえ。さてルドルフくん。
君の、君の目の前に君の道を塞ぐ悪い奴が居るぜえ。彼が居たんじゃ君は一歩も進めなぁい」
ケラケラと楽しげに哂うロキが紫苑の癪に障る。
性格の悪さでいえばどっこいどっこいなのだから見逃してやれと思わなくもない。
「けど――――彼を殺れば君は前に進める」
悪魔の囁きがルドルフの脳髄を犯す。
「此処なら君が彼を殺ってもバレない。目障りな障害を排除するたった一度きりの好機。
ん? 彼を殺して何か変わるのかって? 変わる、変わるさ、そりゃあね。
彼こそが君が至りたい理想、あるべき姿。狂念の具現だ。
それを自らの手で破壊することで、君は君の祈りを砕くことになる。
我らの域に至りかねない祈りを砕くことで君は新しい力に目覚めるだろう」
純化に至るほどの強い想念を自らの手で破壊する。
それはアイデンティティの崩壊を意味しているのだが、ルドルフに限っては少し違う。
紫苑こそが理想の体現であり、想念の具現。
ルドルフは焦がれながらも強く妬んでいる。
その嫉妬心こそが鍵となるのだ。焦がれながらも忌む、背反の感情。
どういう形にしろそれに白黒つけてやればルドルフは変わる、変わってしまう。
どんな存在になるかは分からないが純化を果たした少女らにも負けぬ力を手に入れることは間違いない。
「さあ、槍を握って……そう、そうだ。切っ先はほら、彼の心臓に」
優しくルドルフの手を支えて武器を構えさせる。
彼は成すがまま、いや、半ば自身の意思で動きかけている。
「(状況が……状況が分からん……! 何でこの馬鹿金髪は腐った魚みてえな目ぇしてんだ!?
つーか横のホモは誰だよ! 何かもう見るからに性格悪そうだ! ドブの匂いがする!!)」
それはきっと自分のフレグランス。
「(あれか? その性根の腐ってそうなホモに言葉責めでもされたのか?
女に嫉妬して俺に嫉妬してる情けない自分を指摘されてグリグリ抉られて壊れちゃった?
カーッ! これだからメンタルの弱い男は嫌いなのよ鬱陶しい!
あっさり誑かされやがって……! お前、世界――否、宇宙の至宝たる俺を殺す気か!?)」
こんな奴が宇宙の至宝ならばそんな宇宙は滅んだ方が良い。
『御得意の舌も物理的に喋れねえようにされたら形無しだな』
ケラケラと笑うカス蛇、やはり緊張感は無い。
「(馬鹿野郎! 真の男は目で語るんだよ目で!!)」
だったら普段舌を回しまくっている紫苑はオカマか何かか?
「ッッ……!」
真っ直ぐ(に見える)瞳がルドルフを射抜く。
彼はそんな視線に耐え切れずにフイっと目を逸らしてしまう。
それでも切っ先は紫苑の心臓を向いているのだからどうしようもない。
「(い、い、嫌だぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!
死ぬにしても世界を道連れにするか衆目の前で伝説になるくらい超カッコ良いことして死ぬぅううう!!
こんなジメジメしたギャラリーもいねえ暗い場所で死ぬなんてやだぁあああああああああああああ!!
しかもこんなルドルフみてえな超雑魚に殺られるなんて屈辱ぅうううううううううう!!)」
その超雑魚より戦闘能力が無い今にも殺されそうなお前はコズミック雑魚だろうに。
「!」
一歩踏み出し、槍を放つルドルフだったが――彼は気付いた。
紫苑から目を逸らした先にヘルが――否、ベアトリクスが居ることに。
依然としてヘルが支配権を握っているようにしか見えない。
だけど、ルドルフの目にはヘルの向こうに居るベアトリクスが見えた。
彼女は何も言わず、だが雄弁にその瞳で語っていた。
「やっ――――た?」
槍が紫苑を貫くと思われた瞬間、切っ先が軌道を変えた。
間抜けな声を上げたロキの目にはそれがよーく見えた。
槍は心臓を貫くことなく胸に触れる寸前で切り上げられ紫苑の口を封じていた猿轡を切り裂く。
「おいおい、こんなとこで日和ったのかい? だから君は駄――――」
ルドルフを罵ろうとするロキだが、
「……ベアトリクス、卿は私を見ていた」
槍を振り抜いた姿勢のまま、ルドルフが静かに言葉を紡ぐ。
「自惚れでなければ、卿は私にこう言ってくれた――――信じていると」
ルドルフは今、この状況を総て理解しているわけではない。
どうしてベアトリクスがヘルに乗っ取られているのかも不明。
それでも、大事なことだけは見逃さなかった。
「春風紫苑にも負けぬ。北欧の邪神にも負けぬ。死者の国の女王にも負けぬ。
信じている、私の惚れた男は世界で一番素敵な男なのだと言ってくれた」
ふつふつと静かに滾り始める。
「これは私にとって都合の良い解釈なのだろうか? もし、そうでないならば。
私は信じても良いのだろうか? 卿の声無きメッセージを信じても良いのだろうか?」
気のせいかもしれない、妄想かもしれない、それでも――――ベアトリクスは笑った。
大丈夫だよ、その通り、あなたのカッコ良いところを見せてと笑ったのだ。
「(む、むむむ……?)」
紫苑は冷静に状況を捉え、
「――――勝利の女神が見ているぞルドルフ」
的確に場の空気を読んで必要な言葉を放った。
瞬間、ルドルフはボロボロの風体で、それでも輝かんばかりの笑顔を見せた。
「なあ紫苑、何時だったかな……クラスの女子が私と卿を太陽と月に例えていた」
「(何で俺とお前如きが対になってんだ調子乗るな殺すぞ)」
今にも殺されそうだったくせに何言ってんだ。
「私が太陽で、紫苑は月……卿の優しさは、確かに月光のようだ。
しかし、やはりそれは違うと思う。卿は太陽だ、月のように優しい光を放つ太陽なのだ」
月も太陽も星も何も何も見えない空を仰ぐルドルフの瞳は何処までも透き通っていた。
「卿は生者を救う、生ある者、生きている者、生きようと叫ぶ者を救う。
天魔、栞、紗織、アリス、アイリーン、雲母さん――皆、生きている。
ジャンヌ・ダルクもそうだ。一度死したが、幻想として第二の生を憎しみの中で過していた。
このままでは死ねぬと命の限りに泣いていた、卿はその叫びを掬い上げてその心を抱き締めた」
月のように優しい日の光に包まれ、多くの者が新たな生を歩み出した。
「ほら、月ではない。命を育む太陽そのものだ」
競うのは止めよう。
「ならば、私は太陽のように強く輝く月になる」
認めよう、紫苑に焦がれていると。妬んでもいると。
しかし、だからといって紫苑のせいで前に進めないというのは怠慢だろう。
「私は卿には成れない。だが、卿に出来ないことは出来る。卿とは違う輝きを見せようではないか」
凍て付いた大地に槍を突き立て、大きく手を広げる。
「私は声無き声を掬い上げよう。神などという存在に誉れ無き死者と断ぜられた者達よ。
中には本当にどうしようもない者も居ただろう。しかし、必死に戦った者も居たはずだ。
病と必死に戦い、懸命に生きるという戦いと向き合った者も居たはずだ。
老いで死んだ者もそうだ。老衰、それは自分の人生を戦い抜いたという何よりもの証拠ではないか」
だというのに誉れ無き死者の烙印を押されてしまった。
無念だ、無念だろう、無念でないわけがない。
「そんな卿らを彼の邪神は何と言った? 屑は屑? 戯けが、屑はどちらだ」
紫苑ではなかろうか?
「悔しいよな? 赦せないよな? 聞かせてくれ、卿らの声無き声を私に聞かせてくれ」
氷の大地から幾つもの燐光が浮かび上がる。それは吹けば飛ぶような淡い魂の光。
彼は皆、こう言っている――――無念だ、目にもの見せてやりたいと。
形ある確かな幻想になれず、引き摺られるがままに囚われてしまった魂達の赫怒と悲哀。
「そうか」
声無き叫びは誰に届かずとも、ルドルフの耳には届いた。
彼は柔らかな笑顔を浮かべ――――総ての儚き光を抱き締める。
「――――ならば往こう、共に!!」




