秀吉さんマジパネェっす!!
日向ぼっこでもしているかのように、雲母の心は穏やかだった。
戦闘時となれば高揚感や焦燥感に襲われるのが常で、
一度冒険者を辞めて復帰してからも戦いとなればそういった感情が胸を渦巻いていた。
しかし、今の雲母にはそれが無い。それはきっと、
「待ってね紫苑ちゃん。お母さん、頑張るから」
我が子が自分を頼ってくれたから。
これまでも何度かそういう場面はあったがそれは明確に自分だけを頼ったというわけでもない。
しかし、今は違う。紫苑は雲母だけを頼った。そのことがどうしようもなく嬉しい。
子に甘えられて喜ばぬ母は居ないのだ。
「――――母さん、信じてる」
戦場の喧騒の中で聞こえた短い一言。
静かな声で、何時もと変わらない、自分が何とかしてくれるのを疑ってもいない親愛の声。
きっと自分以外の誰にも聞こえなかった。
自惚れといわれても良い、だが自分が母だからこそ聞こえたのだと誇りたい。
雲母は高鳴る胸を抑えることもなく踊り続ける。
「何と……! 鬼神かこの娘!?」
戦える者は軍師などを除けば十数人、しかし最精鋭の十数人だ。
中には七本槍や島左近も居る。
だというのに彼らの波状攻撃は一切雲母に届かない。
すり抜け、太刀で逸らされ、一撃たりともその柔らかな身体を傷付けることは出来ない。
「娘なんて言われる歳でもないわよ、私」
胴を薙ぎ払わんと振るわれた一撃を飛び上がって回避。
その際、開脚をするように蹴りを繰り出して迫って来ていた男達の顔面をかち上げる。
この戦いはただ殺せば良いというものではない、少なくとも雲母にとっては。
彼女は紫苑が望む形で勝利を収めるべく静かに機を窺っているのだ。
「悪いねしーちゃん……!」
紫苑の傍で微動だにしない幸村。
彼は紫苑の側に着いたが、それでも茶々が居る限りは動くことが出来ない。
こうして雲母を倒せという強制力に抗って動かないようにするのが精一杯だ。
「いや良い。織り込み済みだ」
秀吉の言葉や茶々の下で反乱が起きていないことを知った時点でそんなカラクリがあることは分かっていた。
だからここで幸村が直接戦線に加われないのは承知の上。
『何だってあのカーチャンは本気でやってねえんだ?』
今のところ雲母は積極的に攻めていないように見える。
波状攻撃に押されているという見方も出来るが、それは恐らく違うだろう。
我が子を救うためならばどれだけ傷付こうとも目の前の敵を屠ろうとするはずだ。
なのにその素振りが見えない。
「(そらお前、この後のことも考えてるからよ――俺がな)」
信長とエテ閤が自分の意図を正確に伝えてくれたのは僥倖だった。
今の状況を見るに間違いなく雲母は意を汲んで戦っている。
「(ゴール手前で死んだ馬鹿と類人猿と以心伝心ってのも腹立つが……まあ良い)」
察しなかったら愚図と罵り、察したら察したで気に食わない。
この男の面倒臭さは三千大千世界に響き渡るレベルだ。
『何をする気なんだ?』
「(殺さずにここに居る連中を無力化する)」
『……簡単に言ってるけど難易度パなくない?』
これが一人二人ならば問題もない。
しかし十数人の豪傑だ。一人一人では雲母に及ばぬとしても数を揃えて息を合わせれば互角以上に渡り合える。
そんな連中を総て殺さず無力化しろというのはかなり難しいオーダーだ。
「(それでもやる、やらせる。だって戦力は必要じゃん?
つーか予定では先々に備えてのことだったけど、関東で狸暴れてるらしいじゃん?
つったらもう豊臣連中を利用してやる方が楽じゃねーか)」
別に仲間達が傷付くことを厭うたわけではない。
現世で活動制限がある幻想の連中と秤にかけてどちらが役に立つかを判断したまでだ。
どちらから先に切り捨てるかといえば幻想に至った人間達だろう。
これが信長やジャンヌのように頭抜けていれば話は別だが豊臣方にはそれが無い。
であれば使い潰すに限るというのが紫苑の考えだ。
『茶々と思考回路おんなじじゃねえか』
紫苑を利用しようとしていた茶々、茶々――というより豊臣を利用しようとしている紫苑。
カス蛇の指摘通りに二人の思考は似通っている。
「(阿呆。俺とあんな馬鹿女を同列に語るな殺すぞマジで)」
その通りだ、茶々の方は紫苑ほど悪辣ではない。
少なくとも大義名分や己を支える柱を根こそぎ奪おうとしたり敵を内応させたりはしていないのだから。
紫苑よりはマシだ、だいぶだいぶマシだ。
「(さぁて……もうひと仕事しようかねえ)」
『まだ何かあんのか?』
ことここに至っては後は雲母に任せるしかないと思っていたカス蛇が驚いたように問う。
実際その通りで、紫苑もそう考えていたのだが思いついてしまったのだ。
雲母を更に強くし、尚且つ茶々をイジメられる方法を。
思いついてしまえば実行しないという選択肢は無い。
「(強化魔法を見せてやるよ――――とびっきりのな)」
『お前の産廃強化魔法なんて意味ねえような……』
「(額面通りに受け取るな! そして産廃言うんじゃねえ!!)」
実際産廃なのでしょうがない。最後に使ったの何時だって話だ。
「――――どうだ茶々、俺の母さんは凄いだろう?」
紫苑がそう切り出す。
自信満々で、心底雲母を誇っていると言わんばかりの表情だ。
心にもないことなのに、これでは真実にしか見えないではないか。
「……!」
茶々からすれば同じ母親でもお前とは違うのだと哂われているようなものだ。
命の危機にある我が子のために単身敵地に乗り込んで大立ち回り。
茶々には出来なかったことだ。
力の有無は関係ない。少なくとも茶々は力の有る無しで言い訳をすることを良しと出来ない。
「俺はお前達や世間でどう見られているかは知らないが、本質的にそこまで強いわけじゃない」
美しくも正しくも強くもない――何この生ける産業廃棄物?
「時々、どうしようもなく折れそうになることだってある」
演出でな。
「そんな時な、雲母さんがな……抱き締めてくれるんだ。そして頭を撫でてくれる」
そして紫苑は(腹の中で)凄まじい舌打ちをかます。
「胸の奥がな……ギュっと熱くなるんだ」
胸に手を当てくすぐったそうな笑顔を浮かべる紫苑。
純粋に母を慕う子の姿にしか見えない――そしてそれが茶々の心を苛む。
もう二度と会えぬ我が子秀頼。自分は秀頼に何かしてやれたのか?
そう考えるだけで眩暈がする、吐き気がする。自分の情けなさに胸を引き裂くたくなる。
「(カカカカ……良い表情だぁ)」
失敗した人間、後悔している人間には特徴がある。
あの時ああしていれば、もっと何か出来たのではないか。
客観的事実はどうであれ、主観ではそう思ってしまう。
そのどうしようもない餓えを紫苑は刺激しているのだ。
「その熱が、何度でも俺を奮い立たせてくれる。もう一度頑張ろうってな」
雲母の動きに更に鋭さが増す。
紙一重で回避しながらもその紙一枚は絶対不可侵のそれだ。
誰も触れられない、誰にも傷付けられない。跳ね上がる力は天井知らずだ。
しかしそれも当然、逆鬼雲母の祈りはそういうものだから。
母であること、子のために誰よりも強くなる。それが逆鬼雲母の祈りの形だ。
ゆえに例え戦場のど真ん中であろうとも愛する我が子の声だけは聞き逃さない。
我が子が自分を信じてくれている、自分は子の役に立っている。
母性愛そのものと化している雲母にとってそれ以上の幸福は無い。
そして紫苑はそれを理解している。
茶々を言葉で嬲ると同時に雲母を更に押し上げているのだ。
「(どうだ? 嬉しいだろう? ならばもっと俺の役に立てよ!!)」
雲母の純化が母性愛に起因しているのは分かっている。
だからこそ、どんな時でもどんな環境でも子である己の声は聞き逃さない、
そしてその愛を煽ってやれば能力が上昇することも紫苑は確信していた。
『なぁる……確かにこりゃ強化魔法だ。産廃と違ってガチな強化だわ』
たかが言葉、されど言葉。
目と目で通じ合うなんてことも出来るが、それでも人間は言葉は捨てられない。
だからこそこうやって言葉にしてやることで人間は気持ち良く踊ることが出来るのだ。
「(だから産廃って呼ぶんじゃねえ!)」
言葉による強化と魔法による強化。
前者は魔力も消費しないし強化の幅も大きい――どちらが役に立つかなど語るまでもない。
「……何が言いたい?」
茶々の美しい顔はもう見る影もない、今は正に鬼女のそれだ。
心を抉られまくったので正しいリアクションである。
「最初にも言っただろ? 自慢だ、俺の母さんは凄いだろ……ってな」
自慢ではなくただのイジメである。
「茶々、お前は言ったな。女でも――ましてや母でもない俺に何が分かると」
「それが?」
一々反応するから泥沼に嵌まるのだが、責めるのは酷だろう。
自ら泥沼に踏み出さざるを得ない状況を作っているのだから。
「成るほど、一々尤も。その通りだ。腹を痛めて我が子を産む母の想いは分からんさ。
だがそんな俺にも分かることがある――――子の目に映る母の姿を語ることは出来る」
母の気持ちは分からない。
それでも母を想う子の気持ちを語れないとは言わせない。
「子はな、父母の背を見て育つ。俺は随分早くに父母を亡くしたが、その背は今でも目に焼き付いている」
胸に手を当て昔日の父母を思い出してるという演技をする紫苑。
勿論、彼は在りし日の父母の背に尊敬やらを抱いたことはない。
素晴らしい自分をこの世に産んだことは感謝してやる、
礼代わりに一人立ちするまで養育させてやろうという愛とも呼べぬ愛を抱いていた程度だ。
ガチで屑なのは今更なのでそこには深く触れまい。
「お前もまた親に愛された子であったのならば俺の言わんとしていることは分かるだろう。
子は親が思う以上に親のことを見ている。善き親であれば己もそう在らんと奮起する。
善き親が善き子を育てるのだ。俺は自分が善き子だと胸を張っては言えん。
だが今は亡き父母、そしてここで俺のために命を懸けてくれているもう一人の母のように……」
己もまた善き人間足らんと努力している、
そのことだけは胸を張って誇れる――紫苑は凛々しい表情でそう言い切った。
どの口でそんなことをほざけるのかとっても気になります!
「……」
茶々は苦い顔のまま俯く。
心をぐちゃぐちゃに掻き回されてから静かな言葉で糾弾されてしまえば言葉も無くなる。
感情的な人間であるからこそ、理ではなく情に根付いた論をかざす紫苑の言葉が良く突き刺さるのだ。
「子の立場からお前に問おう――――お前は背を見せるに足る母であるのか?」
我が子に誇れる母親なのか?
その背を見て己もまた善き人間であろうと思えるだけのことをしているのか?
紫苑の問いは悪魔の問いだ。
愛する者を喪った人間は総じてその愛する者を神聖視する傾向にある。
思い出は常に美しく、既に現実に存在しないから脳内で幾らでも弄ってしまえる。
だからこそ紫苑の言葉に揺れる、揺れてしまうのだ。
「(おうおう、良い顔になったなぁ……愉快愉快。身の程を弁えねえからそうなるんだよ)」
それはひょっとしてブーメランでしょうか?
世界で一番身の程を弁えずに地雷を踏んでいるのは紫苑だ。
弁えていればもっと楽に生きれたことから目を逸らすべきではない。
『ご機嫌だなぁ紫苑』
「(愉しいだろ実際?)」
他人がイジメられているのを見てゲラゲラと笑えるのは品性下劣な人間だ。
そして他人をイジメて哂っているのはもっと品性下劣な人間である。
つまり紫苑の品性は最早地獄の最下層。
「(つかさぁ、俺常々思ってたんだがよぉ……)」
『ん?』
「(どいつもこいつも一々行動原理に他人を絡めて、アホらしいとは思わんのかね)」
その行動原理の総てが己のみという醜悪さを誇る紫苑からすれば、
一々他者を絡めて動く人間は酷く滑稽で微塵も共感出来ないものだった。
共感出来ずに終わっていればまだ良かったのだが、この男の性質の悪さはそれだけじゃない。
まったく共感出来ないものの、それを理解して利用することに長けている。
でなければこんな風に茶々の心を蹂躙することが出来ようものか。
『フフフ……誰もが己のみで完結出来るほど強くはないのさ』
この世界には己以外の無数の他が溢れている。
だからこそ紫苑も他人を利用して己が自尊心を満たせている。
しかし、居ないならば居ないで特に何も思わないだろう。
例え世界で一人きりになってしまったとしても唯一である己は至高だと永劫覚めぬ酔いに狂うだけ。
だが、大抵の人間はそんな風に自己を満たせない。
我が居て彼が居て、それで少しばかりの満足感を得るのが人間だ。
『お前もそこらは分かってるだろ?』
「(理屈――もしくは知識としてはな。ただやっぱり、阿呆らしいしか思えんわ)」
思い通りに策が進み、茶々をイジメられたことで紫苑の心は随分落ち着いていた。
良いストレス発散になったようだとカス蛇は含み笑いを漏らす。
『ただまあ、もう一押しストレスを押し流せる何かがあれば……』
そうこうしていると、遂に戦いが大きく動いた。
焦れた敵が捨て身で雲母に襲い掛かったのだ。自分ごと彼女を斬れというように。
戦況が膠着した殺し合いというのはそれだけで精神を削る。
何せ状況を変えられないまま延々と同じことが繰り返されるのだから。
豊臣方の戦士達はどうあっても雲母に届かない。
そのくせ雲母は豊臣方の戦士に攻撃しようとしない。
やろうと思えば出来るのに、完全に拮抗したように振舞っている。
両者共に攻めあぐねているように見せかけている。
戦いの分からぬ者には気付かないが当事者達は当然のように気付いている。
だからこそ、現状を歯痒く思う。
ゆえに捨て身の攻勢により状況を打破しようというのだ。
戦う者である彼らはそれを誘発されたことは当然分かっている。
しかし、分かっていても動かざるを得ない立ち回りなのだ。
自ら動かそうとしなければ何も変わらない。
我慢比べをするにしても自分達の頭である茶々はボロボロ。
豊臣方からすれば捨て身以外に取れる方法が存在しない。
「うぉおおおおおおおおおお!!」
熊のような厳しい男――福島正則が雲母を羽交い絞めにする。
「俺ごと斬れぇえええええええええええええええええええええええ!!」
渾身の力を以って雲母を拘束する正則だったが、
「――――女性相手に無作法ねえ」
選択を誤ってしまった。
羽交い絞めにした時点でもう何人かが雲母に纏わりついて拘束具になるべきだったのだ。
一人で彼女を止められるというのがそもそもの間違い。
雲母は羽交い絞めにされたまま思いっ切り床を蹴って飛び上がる。
そしてそのまま宙で回転し背中から切りかかろうとしていた連中目掛けて着地。
「カハッ……!?」
クッションにされた正則の骨が砕ける。
潰れた蛙のような吐息を漏らし拘束が解除される。
雲母は乱れた輪を修復させまいと即座に手近に居た者の四肢を斬り飛ばす。
「左近!!」
一人が叫ぶ、どうやら雲母が斬ったのは島左近だったらしい。
しかし彼女は左近という名前を聞いても何のリアクションもなかった。
「(学がねえ馬鹿はこれだから……十中八九分かってねえ)」
紫苑が呆れたようにそう漏らす。
実際その通りで雲母は左近さんって名前なのねえ――ぐらいの感想しかない。
さて、頭は空でも戦闘能力は抜群の逆鬼雲母。
一つ崩せば容易く崩れるとばかりに輪を立て直そうとする豊臣方よりも早くに、
四肢や腱を切り裂き得物を奪ってそれで縫い付けるなどして殺さずに次々と男達を無力化していく。
「……ふぅ」
全員を行動不能に陥れたところで小さく息を吐く。
焦らして崩すという作戦はやる方にとっても楽ではないのだ。
雲母は軽く身体を捻ってから正座のまま茶々と対峙している紫苑の下に歩み寄る。
「怪我はなぁい?」
ぺたんと腰を下ろして紫苑を抱き締め、胸に抱く。
全身で感じる温もりが心を癒す。
紫苑が熱を与えてくれるといっていたが、自分もまた熱をもらっているのだ。
この掛け替えのない温もりを護るために自分は生きているのだと実感出来る。
雲母は戦闘中とは打って変わって慈母の笑みを浮かべていた。
「お蔭様で。それより……」
母であることを利用するような真似をして申し訳ない。
思ってもいないことだが表面上は申し訳無さそうな顔をする紫苑。
しかし雲母はそれ以上を言わせなかった。
紫苑の頬を両手で押さえ真っ直ぐ見つめ合い、
「何も言わないで。私は――――お母さんなんだから」
優しい笑顔で紫苑を赦す。
「……うん、ありがとう母さん」
「ふふ、何にしても紫苑ちゃんが無事で良かったわ」
「(カカカ! どうだ茶々、お前にとっちゃあ最悪な光景だろう? テメェはもう二度と我が子を抱けないもんなぁ!)」
ジーンと来るような場面ですら茶々の心を苛む武器としか思っていない。
ホントガチでぐうの音も出ない畜生である。
「ねえ紫苑ちゃん、ここからは私に任せてもらって良いかしら?」
茶々も母、己も母、雲母には思うところがあった。
信長から聞いた紫苑の策ではここからは秀吉や信長などの、
茶々と面識がある人間がどうにかするはずだったが……。
「(興味ねえな)分かりました」
紫苑としては茶々を止めた時点で豊臣の軍事力はゲット出来るのでこれ以上何かをする気はなかった。
なので雲母のやることを静観することに。
「(どうせくだらねえ三文芝居だろうがなぁ……傷を舐めあうが良いさ)」
自分から離れて茶々に近付く雲母を醒めた目で見つめる紫苑。
これからの展開については大体読めていた。
本当に嫌になるぐらい察しが良過ぎる男だ。
「うぅぅ……私を哂いに来たか……!?」
忌々しげに雲母を睨み付ける茶々。
彼女の胸裏には敗北感だけが満ちていた。
支えであった母としての己を圧し折られ格の違いを見せ付けられたと思っているのだ。
雲母は少し困ったような顔で首を横に振る。
「違うわ。ねえ、茶々さん。紫苑ちゃんは私のことを良き母親だと言ってくれたけど、そうでもないのよ」
もう間違えないようにそう在ろうとはしている。
だが、過去は消えない。狂って壊れて害を撒き散らした自分も確かに存在したのだ。
「昔ね、若い時分に私は自分の子供を殺しているの」
「え……」
いきなりの発言に虚を突かれた茶々がポカーンと大口を開ける。
彼女の目から見ても雲母は慈愛溢れる女で、とても子供を殺すような人間には見えないのだ。
「未熟で、母になることの意味すら分からなかった馬鹿な私は……。
お腹の中に居る赤ちゃんを、殺してしまった。
ちょっと考えて気を付けていれば産んであげられたのに……それが出来なかった」
周りに助けを求める、そんな簡単なことすら出来なかった。
愛する人に裏切られて追い詰められた雲母にはそんな発想すら浮かばなかったのだ。
「……流れたのか?」
「ええ。目が醒めた時、既に死んでいたわ。気が狂いそうだった」
今でも思い出すだけで頭がどうにかなってしまいそう。
それでも何とか自分を保てるのはその身を削って諭してくれたもう一人の我が子のおかげ。
「でもね、私の罪はそれだけじゃないの。去年の夏に……また赦し難いことをしてしまった」
ズキンズキンと痛みを放つ胸、それでも雲母は語ることを止めない。
同じ母として少しでも茶々の力になってやりたいと思っているからだ。
「(ホントにな。お前が人生で犯した最大の罪は俺に迷惑をかけたことだ)」
善人が雲母の乱行に巻き込まれたのならば赦し難いだろう。
しかし紫苑は別に善人でも何でもない屑なのでオールオッケーだ。
幾らでも迷惑をかければ良い。だってまるで心が痛まないから。
「壊れて曖昧になっていた私の下に友達と紫苑ちゃんがやって来たの。
その時にね、私は紫苑ちゃんを生まれなかった我が子の代替にしようとした。
紫苑ちゃんはあの時死んでしまった子の生まれ変わりなんだって……」
今思い出しても背筋が凍て付く話である。
「紫苑ちゃんを攫って訳も分からぬままに逃げた私を私の友達と紫苑ちゃんのお友達が止めに来たわ。
私は彼女達を我が子を奪う敵だと認識して、暴虐の限りを尽くした」
あの当時のモジョやアリスからすれば雲母は悪夢そのものだっただろう。
口腔内で爆弾を爆発させようとも、渾身のクロスボンバーを叩き込もうとも死ななかったのだから。
「そんな私をね、必死になって引き戻してくれたのが紫苑ちゃんなの。
命を懸けて、私と向き合ってくれた。生きること、死ぬこと、身を以って教えてくれた。
私があの子が迎えられなかった今日を生きているんだって教えてくれたの。
そこで、ようやく泣けたわ。名前もあげられなかったあの子が死んだことを受け容れられた。
泣いて泣いて泣きじゃくって、そうして迎えた朝に私は決めたの」
我が子が生きられなかった今日を必死で生きよう、
他人のために頑張り過ぎるこの子を護ってあげたいと。
「そんな風に色々あって……私と紫苑ちゃんは親子になった。
過去の愚かな私は消えないけれど、これからはせめてこの子に恥じぬ母であろうって決意したの」
逆鬼雲母は二度生まれたのだ。
一度目は母の腹から、二度目は優しい男の子の献身から。
「……」
茶々はもう言葉もなかった。
おっとりしてて悩みもなさそうだと思っていた雲母が歩んだ道はそれだけ衝撃的だったのだ。
茶々も自分が数奇な人生を辿ったと自負している。
それでも、ここまで壊れるようなことは一度もなかった。
「ねえ茶々さん、母の立場から聞くわ。今のあなたはあなたの子供に胸を張れる?
復讐が悪いと言っているわけではないわ。それを否定する権利は誰にも無いから。
でもね、そことは別の部分で知りたいの。あなたが母としての自分を誇れるのかどうかを。
我が子に胸を張って私はお母さんなんだよって言えるのかどうかを聞かせて?」
復讐は何も生まないとかそういうことを言うつもりはない。
復讐というのはきっと、心の整理をするためのものだから。
やらなきゃ前に進めない、やらなきゃ一生胸の奥にある泥が拭えない。
いわばスッキリしたくてやるものなのではと雲母は考えている。
だから茶々の家康に対して復讐をしたい、敵討ちをしたいという想いを否定することはない。
今口にした問いだって意を変えようとしてのものではない。
ただ、それで母親として在り続けることが出来るのかどうかを聞きたかったのだ。
胸を張って母だと誇れるのならばそれで良い。
そうならば自分は同じ母として子が望まぬ未来を阻止するために茶々の首を刎ねるだけ。
しかし、そうでないならば母として胸を張れる生き方をして欲しい――それが雲母の願いだった。
「う、うぅぅ……」
茶々の瞳から雫が落ちる。
「わ、私とて……分かっておった……。もっと早くに家康に天下を譲れば……。
せ、せめて親子二人ぐらいは生きていけたのではと……。
か、家臣の中には……私と秀頼だけでも遠くに逃げよと、
後は上手くやるから何処か遠くで静かに暮らせと言ってくれた者もおったのじゃ……!」
親子二人で生きる道はあった、しかしそれを選ばなかった。
我が子に天下をやりたい、何故簒奪者が如き家康に頭を垂れねばならぬ。
自らの感情で総て台無しにしてしまったことは分かっているのだ。
分かっていても――――自分が我が子を殺したなどと思いたくないではないか。
わなわなと震え、泣き続ける茶々の背を雲母は優しく撫で続けた。
「……私が愚かであった! あの子を殺した原因の一端は確かに私なのじゃ!!」
「(責任は総て自分にって言わない辺り良い面の皮してやがるぜ)」
それでも紫苑には負けるだろう。
というより茶々の場合は本当に彼女だけの責任ではないので一端という言葉だけでも十分なのだ。
「分かっておる! 分かってるさ……秀頼は優しい子じゃった!
とうに死した身で今を生きる民に害を振り撒くなど許せぬ子じゃった!
だけど……苦しいのじゃ、悲しいのじゃ……あ、あの子はもう居なくて……。
なのに私やあの狸は今でもこうやって……う、うぅううう……あぁあああああああああああああ!!!」
わんわんと感情のままに泣き続ける茶々を雲母だけは温かく包み続けた。
ちなみに紫苑は、
「(ねえねえカッス。腕やら足斬り飛ばされて放置されてるコイツら超間抜けじゃね?)」
雲母にやられた豊臣方の人間を見て哂っていた。
『確かにずっと放置されてるのは哀れだよな』
「(いやぁ、大阪城ってホント愉しいところですね!)」
茶々の慟哭は数十分続いた。
嘆きが尽きた彼女の表情は晴れやかで、勝気な女性の美しさが前面に表れていた。
「……春風紫苑、逆鬼雲母――私の負けじゃ」
静かな敗北宣言。
しかし、それは諦観による落ち着きではない。
心から納得して敗北を受け容れたからこその静かさだ。
「未だ家康は憎い。されども、今を生きる者らを害してまで復讐を遂げる気は無い。
……すまなかった。私が間違っておった。どうか赦しておくれ」
紫苑と雲母に向かって頭を下げる茶々。
激情家で、それに能力こそ伴っていないものの茶々という女は出来た人間らしい。
過ちを認めれば素直に頭を下げるだけの度量はあるのだ。
この辺も紫苑とは大違いである。
「私は何もしていないわ」
「俺も何もしていないさ(全部俺のおかげだ。感謝と謝罪で一トンくらい黄金くれねえかな……)」
親子で謙遜する姿を見て茶々が小さく笑みを漏らす。
「ふふ、血は繋がっておらずとも似ておるのう。少し、羨ましい」
「とりあえず豊臣方の人間を治療しようか」
「私も手伝うわ」
紫苑はバッグから取り出した医療セットで転がっている者らに簡易の治療を施す。
茶々もまた雲母に用具の使い方を聞きながら治療を手伝う。
そんなことをしていると、
「――――おうおう、上手くやったようだのう。御大将」
「茶々!!」
信長と秀吉が姿を見せる。
ことが終わったことを察して大阪城に入って来たらしい。
「伯父上、猿……」
虫唾が走ると言わんばかりの茶々の表情が紫苑のツボを刺激する。
「(さwwwるwww)」
実権を奪われた上に夜の性活が独り善がりであったと指摘された挙句、
落ち着いてからも名前ではなく猿呼ばわりされる秀吉が愛しくてしょうがなかった。
紫苑の中で秀吉に対する好感度がドンドン上がっていく。
「関東で暴れておる竹千代を御大将は捨て置くつもりはないだろう。
我が織田家は当然のことながら御大将の下に着くが、お前はどうする?」
身内としてではなく、あくまで一軍の長として茶々に接する信長。
そういう対応をされたのならば茶々も長政のことを持ち出し難くなる。
未だ信長への嫌悪感は消えていないが、
「赦されるのならば豊臣も下に着く。無論、勝手はせん」
「(あ、猿から奪った力とやらを返す気はないんだな)」
どうやら茶々は身の程を弁えずに主として君臨し続けるらしい。
紫苑は秀吉に返上するものだと思っていたのだが、これはこれで良い結果だと頷く。
「(馬鹿女が身の程を知らずに醜態を晒し、
秀吉は何一つ取り戻せず裸一貫で放り出される……素敵やん?)」
最低やん?
「だとよ御大将」
「ああ……力を借り受けたい」
紫苑が手を差し出すと茶々は躊躇わずにそれを握り締めた。
柔らかい、荒事とは無縁の女の手だ。
「ふふ、丸く収まって良かったわねえ」
雲母はニコニコと嬉しそうにその光景を眺めていた。
しかし、丸く収まっていない者が一人居るのだ。
「あ、あのう……と、殿……わ、儂はどうすればええんでしょうか?」
喜び勇んで戻って来たものの、空気的に秀吉は御呼びじゃない感じだ。
ついっと目を逸らす信長、秀吉は次に紫苑を見るが彼も目を逸らしてしまう。
「ちゃ、茶々……?」
縋るように茶々を見つめる秀吉だが彼女は絶対零度の瞳で見つめ、
「母の面影を私に重ねて欲情しておった変態と死後も寄り添う気はない――――離縁じゃ」
バッサリと切り捨てる。
この世の終わりが来たような表情のまま固まってしまった秀吉を見て紫苑は、
「(ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!)」
近年稀に見るレベルで大爆笑していた。
「まあ、何だ……猿よ。俺のところでまた才を振るうが良い」
流石に信長も気の毒に思ったのかそんなことを言う。
「と、殿ぉおおおおおおおおおおおおお!!」
敬愛する信長の優しさに咽び泣く秀吉。
紫苑は秀吉が大好きになった。
歴史上の偉人であなたは誰が好き? と問われたら真っ先に秀吉を挙げるくらいに。
「(ブハハハハハwww天下人から一家臣にまで都落ちっすか! 秀吉さんマジパネェっす!!)」
まあ、その好意は下水よりも薄汚いものではあるが。




