そりゃ畜生にも劣るわよね、心底馬鹿らしい
「何かさぁ、可哀想だよね京都って」
酒呑童子と紫苑&カニの極悪ペアにぶっ壊され、
復旧したと思えば元旦の一件で再び崩壊した京都駅前を見て天魔が呟く。
「日本でも有数の観光地やのに、半年と経たずに……」
見るも無残な光景だ。
京都駅前のシンボルであった京都タワーなど根元からボッキリ。
改めてあれを武器にしようと思った酒呑童子の出鱈目さと、
そんな相手すら圧倒的に葬った二人の実力を思い知る。
「地元が良いと戻って来た人も多いと聞きますが、だというのにこれですからねえ……」
京都のイジメられっぷりに涙不可避。
それでも街一つを丸々消されたオルレアンに比べればマシだろうが。
「それより手早く用を済ませましょ。私、早く大阪に帰りたいわ」
とっとと新撰組を殲滅して大阪に帰還したいというのは皆の総意だ。
「せやけどアリスちゃん、どうやって釣り出すん?」
パッと見た限りでは周辺に新撰組の姿は見えない。
強大な力を持つこの面々を警戒しているのか、単純に別の場所に居るのか。
京都と一口にいっても広いのだ。
そんな状況でどうやって声を届かせるというのだろうか?
「そこら辺も紫苑お兄さんとしっかり話し合っているわ。お姉さん達、動かないでね?」
風も吹いていないのに、金糸が空を泳ぐ。
爛々と色濃さを増す蒼はこの世からあの世への青信号。
アリス・ミラーという存在の密度が純化を果たしたことで桁違いの領域にまで跳ね上がる。
「っくわよ!!」
五人が立つ地面が隆起し、そのまま天高く伸びてゆく。
高さ二百mほどのところで制止し、徐々に形を変える。
コンクリやら周囲のものを活用して出来上がったのは巨大の城、それも西洋風の。
少女らが立っていた場所はバルコニーになっており、良い具合に下界が見渡すことが出来る。
「ふぅ……これだけの規模なら遠くからでも見えるし、何より異国風の建築物だもの」
新撰組からすれば看過出来るものではないはずだとアリスは哂う。
一気呵成に攻めて来ずとも、様子を見るために近付くくらいはするはずだ。
拡声器の音が届く距離にまで来てくれれば十分である。
ちなみに、ではあるが大昔に景観法というものが全面施行された。
それにより地方自治体が定めていた景観条例に強制力を持たせることが可能になったのだ。
そして京都はその景観条例が定められている地域である。
千年の都、伝統を色濃く残す風流の街。
それを壊さぬようにで建築物の高さやデザイン等の規制が厳しくされている。
その観点から見ればアリスのぶっ建てたこれは一発アウトで条例違反の違法建築である。
「それは構いませんが、アリスさん……そのままで保つんですか?」
純化というのは幻想の領域に踏み込むこと。
春風紫苑という標を忘れなければ戻って来ることも出来るが、
往々にして行き過ぎてしまうと戻って来ることは不可能だ。
しかし、元に戻ってしまえばこの城だって……ということだろう。
「大丈夫よ」
フッ……とアリスに纏わり付いていた威圧感が霧散する。
純化を解除したのだ。しかし、純化の力で形成されたこの城は消えていない。
「幻想回帰のせいで、色濃く幻想が流れ込んでいるもの。これぐらいは当然」
事前に大阪で試したので問題がないことを分かっていたし、
京都でならば更に問題はないであろうことは予想していた。
千年の都という名は伊達ではないのだ。
「……改めて思ったけどさ。君のって便利だよねえ」
天魔とアリス、単純にどちらが強い?
そう問われると、かつてならばともかく今ならば"分からない"としか言いようがない。
天魔の力は敵の攻撃に掠るだけでも自身の機能が喪失するようなふざけた力だ。
しかし、無くした分だけ死に近付くことで更に強くなることが出来る。
愉しさがそのまま戦闘能力に直結しているからだ。
ゆえに、決定的な部分が喪失するまでは強くなり続けられるのだ。
一方のアリスは肉体的なスペックの強化こそ劣っているが、応用力が高い。
天魔はその点を評価して便利だと言っているのだ。
アリスの力を使えば即席で堅固な拠点を仕上げることが出来る。
秀吉の一夜城なんか目ではない。何せ分単位で完成するのだから。
「そうね。私以外は基本的に応用性が無いものばかりだし」
天魔は先に述べた通り。
雲母は単純な強化、本当にもうそれしかない。
まあ、シンプルであるがゆえに馬鹿強くはあるのだが。
アイリーンは憧れをなぞるように姿が変わりスペックが跳ね上がる、
全力で槍を投擲することで弱点を確実に貫けたりはするがそれでも戦闘以外に応用は出来ない。
その点アリスの幅は広い。ルークをルークタンクに変えることだって出来るのだから。
「……純化、ですか」
「恐らく、カニも……」
少し苦い顔をしているのは醍醐姉妹だ。
二人は密かに試していたりするのだが、どうにも天魔達のように駆け上がることが出来ない。
では魂が彼女らに劣っているのか? そう思ったがそれも違うらしい。
紫苑が寝ている時にコッソリカス蛇に話しかけて聞いてみたのだ。
すると、
『邪ロリ、コミュ障、鬼母、僕っ娘、馬鹿金髪、似非関西弁、んでお前ら座敷童シスターズ。
俺様が見たところ、各自で差はあれども純化を果たす最低ラインは超えているぜ。
ただ、想いの発露ってのは意図して出来るもんじゃねえ。
気付けばそうなってた、あるいは自然と答えが出て来るような類のものだ』
そんな答えが返って来た。
座敷童シスターという括りについて物申したかった姉妹だが、
寝ている紫苑を起こすのは忍びないとその場はグッと堪えたのである。
「お、やっぱり集まって来とるなぁ」
醍醐姉妹の思考を打ち切ったのは麻衣の気が抜けた声だった。
俯いていた視線を上げると彼女は双眼鏡を手に京都の街を見渡している。
それに倣って残る四人も双眼鏡を取り出してあちこちに目線を飛ばす。
「犬犬犬……私、そこまで犬は好きじゃないのよね」
浅葱色の羽織を纏った畜生達が、
どいつもこいつも警戒心を剥き出しにしながら突如現れた城を目指して疾走している。
「ちなみに、この城の中身はどうなっているんですかミラーさん」
単純に城の前まで釣り出してそこで殲滅するのか、
中身がしっかりしているのならばそこに誘き寄せる手段もありだと紗織は考えている。
「一応作ってあるわよ。ハリボテだけじゃみっともないもの」
「じゃあどうする? 釣り出しても全員が全員乗り込んで来るとは限らないしね」
「臨機応変にということでよろしいのでは? 屋外でも問題はありませんが……」
「ええ、私と姉様が本領を発揮するのは屋内でしょうし」
これで話はまとまった。
一応リーダーは麻衣なのだが見事に蚊帳の外である。
まあ、彼女に任されているのは撤退の判断なので問題ないと言えば問題ないのだが。
「ゴホン……」
麻衣を除く四人がバッグから拡声器を取り出す。
これから盛大なディスが始まるのだ。
「都の空気に馴染まぬ畜生共――おっと失礼。
分を弁えずに都に土足で足を踏み入れて暴虐を尽くす礼のレの字も知らぬ芋侍共に告ぎます」
まず口火を切ったのは紗織だった。
その文言は全方位何処から眺めても喧嘩を売っているようにしか見えない。
おっと失礼などと途中でざぁとらしい謝罪を入れているのがまた腹立つ。
「姉様、失礼ですよ」
咎めるような口調で栞が二番手を切る。
注意をしているようで、その実まったくそう見えないのは気のせいでも何でもない。
もうこの時点で次なるディスがやって来ることは想像に難くない。
「新撰組、そも成り立ちからして侍のそれではないでしょう。
田舎から都にやって来たならず者がそれらしく繕っているだけでしかない」
拡声器を掴んでいない側の手で口元を押さえて上品に哂う栞。
醍醐姉妹は日本人からすれば姫君――といった容姿と空気を纏っている。
姫君とは武士からすれば護るべき者、護ってやらねばならない存在。
そんな相手からの侮蔑に街中で殺気が巻き起こる。
「つまるところあれかい? 新撰組ってのは武士になりたい武士になりたい!
そう憧れてそれっぽい振る舞いをして無様を晒してる馬鹿の集まり?
これでまだ、上手に演じられるのならば……まあ見所もあるが、何だいこれは?」
下手糞過ぎて役者としては落第だ。
繕っても繕ってもその下にある武士ではないという真実が悪臭を放つ。
偽りの衣を被っていなければ真実は真実のまま在り続け、悪臭も放つことはなかっただろう。
だが、偽り、歪めて、成れないものに成ろうとしたせいで腐り始めた。
「何て滑稽なのかしら、とんだ三文芝居。
道化が道化であると自覚していないままあれこれやられても哂えないわ。
侍としても、道化としても三流以下。そりゃ畜生にも劣るわよね。心底馬鹿らしい」
花も恥らう乙女達の唇から飛び出す悪口雑言。
その美貌を嘲りで彩り、ひたすらに誇りを汚し続ける。
その手の性癖を持つ人からすれば大喜びの光景だ。
「ところで外道さん。このような言葉を知っていますか?
花は桜木、人は武士――簡単に言うとパッと咲いてサっと潔く散る様こそ美しいという意味です」
よくもまあスラスラと罵倒の言葉が出て来るものだ。
紗織と栞はまだ知識がある。
しかし天魔とアリスは二人の言葉を取っ掛かりにしてアドリブで罵倒をかましているのだ。
まだ台本があったというのならば分かるが完全即興。
即興で他者をすらすらと貶すことが出来るのは如何なものか。
ちなみに紫苑はそういうの大得意である。
決して人が得意としていはいないものにばかり長けているのが春風紫苑という男なのだ。
「へえ、しかしその論法で言うならばやっぱアイツら武士じゃないよね。
とうの昔に死んだってのに未練がましく黄泉返って来るなんて……男の粘着質ほど醜いものはないよ」
それはそのまま紫苑へのディスにも繋がる。
まあ、当人がこの場に居たとしても自分が粘着質だなどと欠片も思わなかっただろうが。
「もしあの畜生連中がちょっとでも武士になれるとしたら、
それは今すぐその腹を掻っ捌いてこの世から潔く去ることよね。
ああでも駄目か。ここまで醜態を晒しているのだし、それぐらい帳消しにはならないわ」
改めて言うが、これは拡声器を通しての罵倒である。
つまり新撰組だけではなく京都に居る多くの人間もこれを聞いているのだ。
公衆の面前で馬鹿にされる、それは己を武士だと思っている人間にとっては耐え難い屈辱だろう。
それでもまだ噴火しない辺りは流石である。
「そもそも、ならず者風情が腹を切れるかどうかも怪しいと思いませんか?」
「馬鹿ね栞。局中法度があったじゃないの。禁を犯せば即切腹って」
「でも待ってください姉様。口だけの畜生に切腹などという高尚なことが行えるとでも?」
「無理じゃないの? いや、確実に無理だね。ビビリばっかだろ新撰組」
「そうそう。集団で相手を叩くことしか出来ないんだもの」
女三人揃えば姦しいとはよく言うが、四人揃えば禍々しい?
最早女ですらなくなっている現状が恐ろしくてしょうがない。
「(はわわわわわわ……!)」
加熱するディスを聞いている麻衣などは罵られている当人でもないのに戦慄していた。
常日頃から言葉でも拳でもよく殴り合っているとは思っていたが……。
それが一致団結して他者を殴り出すとここまで恐ろしくなるのか。
「そんな連中だからこそ、局長である近藤勇もあっさり見捨てたのでしょう」
「腰抜けの畜生共に大将なんて救えるわけないでしょう栞。そもそもハナから救う気もあったのか。
維新後に政府側――というか体制側に着いた隊士も多いところを見るに団結力も無さそうだし」
決して一つのことで罵倒し続けるのではなく、代わる代わるに別のところから責めていく。
そうすることで落ち着きを取り戻させないようにしているのだ。
一つの事柄ならばまだ自己弁護も出来るかもしれない。
しかし、その自己弁護が終わらぬうちにまた別のと畳み掛けられれば自己弁護もままならない。
よく考えられた罵倒がその後も続き……。
「釣れた」
四人の声が重なる。
これまであちこちで様子を窺っていた隊士達がもう勘弁ならん!
女子供であろうとも切り捨てると言わんばかりの形相で城に接近し始めたのだ。
「じゃ、僕は城の前で暴れて来るから」
「ええ、私と栞は中で迎え撃ちましょう」
「アリスさん」
「麻衣お姉さんのことは任せてちょうだい」
ばらけるのは回復役としては少々困るが、今回は二と一だ。
麻衣が注意しておくべきは天魔だろう。
彼女もそこらは分かっているのか、
「栞ちゃんも紗織ちゃんも怪我したらすぐ戻って来てや」
ちょっとでもヤバイと感じたのならば即座にここに戻って来るように指示する。
姉妹は頼もしい笑顔でそれに頷き城の中へと消えて行く。
同時に天魔も、
「いぃぃいいいいいやっほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
バルコニーから勢い良く飛び出す。
冒険者であろうとも本能的に竦んでしまいそうな高度からのダイブ。
それでも天魔は恐れない。むしろ笑顔を浮かべている。
「ハッハァ! 犬は好きでも嫌いでも無いから容赦はしないよ?」
着地の際、隊士の一人の頭部をクッションにすることで衝撃を軽減。
クッションにされた頭部はぐしゃりと柘榴のように弾けて脳漿を撒き散らす。
畜生達は仲間の死に躊躇うこともなく即座に天魔を包囲し刀を構えて一斉に突撃。
「まずこれ、三次元的な動きに対応してないよね」
包囲している隊士の一人に突っ込み、その頭に手を当ててフワリと浮かび上がった。
しなやかな肉体が羽根のように踊る。
支点にしていた頭を鷲掴みにしてそのまま旋回し蹴りを放つ。
首を捻じ切ると同時に別の隊士もその蹴撃により命が絶たれる。
「包囲することで精神的な圧迫をかけて選択肢を狭めているつもりなんだろうけど……」
生憎と、メンタルが強い相手には通用しない。
天魔のように空に逃げることも有効だが、
思いっ切り伏せて足払いをすることでも包囲網を崩すことが出来る。
直に相対した時、誰にでもそれが出来るわけではないが、別に天魔一人だけが出来るわけでもない。
やろうと思えば出来ることなのだ、これは。
「まあ、確かに雑魚にしちゃレベルは高いが……」
踊るように畜生の群れに拳足を叩き込む天魔だが、その顔は酷くつまらなさそう。
これまでそう簡単には殺れないようなのばかりと渡り合って来たし、
彼女本人もそういう手合いを好んでいるので平隊士達では物足りないのだ。
「おっと!」
二匹の畜生が捨て身で天魔に抱き着いた。
このまま別の隊士が仲間ごと彼女を貫くかと思われたが……。
「残念、基礎スペックからしてダンチだよ。僕と君らじゃ」
バク転をするように上体を背後に倒すことでしがみついていた隊士を振り払い迫っていた刃を空振りさせる。
そしてバク転の途中で無理矢理動きを止め、今度は前へと倒れる。
その勢いで振り下ろされた足は、空振りした刃を引こうとしていた隊士の頭部に叩き込まれた。
型も何もないアクロバティックな戦法に翻弄される畜生達。
俄かに撤退も已む無しの空気が広がり始めるが……。
「ワンワンワーン♪ 女一人も殺せないチンピラはとっとと逃げまーす♪」
ケラケラと哂いながら手を叩く天魔に足を引かれてしまう。
感情というやつの制御が上手に出来ないのが幻想の位置する者らの特徴で、
だからこそこんな子供染みた挑発さえ無視出来ない。
先ほどまでのメンヘラカルテットによる罵倒も積み重なり、不退転の三文字が畜生集団の脳裏を踊る。
さて、虐殺が行われているのは外だけではない。
城内においても無慈悲な殺戮が繰り広げられている。
情け容赦の無い下手人は無論、醍醐姉妹だ。
ところせましと糸を張り巡らし畜生を斬殺。
逃げようとした場所にも既に糸が張られており脱出は不可。
これがまだ日の当たる場所ならば反射などで糸も見やすかっただろうが生憎と城内は薄暗い。
アリスが醍醐姉妹の特性を考えて光が差さないように配慮したのだ。
「……入れ食いですね」
あちこちに糸が張り巡らされているというのならば、斬ってしまえば良い。
そう考えた畜生がやたらめったら刀を振り回すがその程度折込済み。
刃が糸に触れる瞬間、張り詰めらせたそれを緩めて斬撃をいなしているのだ。
畜生はそれを糸は無い場所があると勘違いし進む、すると糸を引き檻を形成。
どう足掻いても逃れることは不可能。栞が言うように正に入れ食い状態だ。
「それにしても栞、気付いてる?」
暗闇を縦横無尽に駆け回りながら常に糸の位置を変える。
気持ち悪いぐらいに指が動きまくっているが、それでも二人には会話をする余裕すらあった。
「ええ、数でしょう?」
最盛期の頃の新撰組と仮定してもその数は二百名前後。
だというのに城内で殺した数、屋外で天魔が殺した数を合わせたら優に二百を超えてしまう。
「そうよ。殺した瞬間から蘇ってるって感じではなさそうだけど……」
姉妹が交差し、部屋の隅へとそれぞれ辿り着く。
瞬間、屋内に張り巡らされていた糸が凄まじい勢いで収縮する。
糸の嵐が吹き荒れるや一気に畜生集団が殲滅される。
「ふぅ……しかし姉様、そもそも彼らはどうして人を襲っているのでしょうね?」
人から幻想になった存在、栞も幾人か知っている。
しかし、ジャンヌのように手酷い裏切りを受けた輩以外は皆、明確な敵意を以って人間を襲っていなかった。
義経も弁慶も挑まれたから戦っただけだし、将門だって敵意があったから戦ったわけではない。
信長だってそうだ。彼にとってルドルフと天魔、栞の決死行は遊びでしかなかった。
「さて? まあ、彼らが忠を捧げていた徳川の流れを汲まぬ世だから……なんてのはどう?」
体制が変わるのはそう珍しいことではない。
しかし、徳川幕府は長期政権であり日本はかつて徳川一色だった。
そこから維新があり明治政府が成立し、これまでの世界から一変した。
今、姉妹らが生きているのはそこの地続きと言っても過言ではない。
軍国主義が民主主義になったりと変遷もあったが、それでも限りなく地続きではあるだろう。
新撰組はそんな今の世を嫌っているからではないか? それが紗織の立てた仮説だった。
「どちらにしろ亡霊が今の世で大きな顔をしているの良い気分ではありませんね」
「それは同感だわ。世界がどうなろうと知ったことではないけど……」
紫苑が身を削るような事態は到底歓迎出来ない。
彼は平時であれば穏やかに暮らせる人間なのだ。
しかし、今はその強くて弱い高潔な心が必要される世の中になってしまった。
「……姉様、大物がかかったようですよ」
吹き込んだ風が醍醐姉妹の緑の黒髪を巻き上げる。
これは風にあって風にあらじ。殺気が物理的な現象を発生させたのだ。
コツ、コツ、とこれまでとは違う足音。
音の来る方向に目をやれば、畜生ではなく人間の姿をした美丈夫が一人。
浅葱色の羽織こそ同じだが細部が少々異なっていた。
洋装に身を包み、その上から羽織を纏って鉢巻を巻いている。
こんな姿は歴史に残っていないが、材料だけを見るなら誰かは予想出来る。
「新撰組、鬼の副長――――土方歳三」
二人の声が重なる。
「近頃の娘は、恐ろしいな」
教科書に載っているそれとは異なり、今でも通用する顔の造り。
髪型も如何にもな感じではなくオールバックで、
ともすれば新撰組のコスプレをしている現代人? なんて感想が出て来そうだ。
しかし彼はコスプレイヤーでも何でもない。
身に纏う空気が雄弁に鬼の副長であることを主張していた。
「口も達者だが、それ以上に腕も立つ。俺の時代とは大違いだ」
言葉だけを見れば何の変哲もないが、
肌を刺す殺気はどう考えてもお喋りに来たようには思えない。
「……あなた方は、何故、無辜の民草を斬っているのです? 不逞浪士でも何でもないのに」
紗織がまずはそう切り出した。
下手な挑発をかましていきなり戦闘に突入するよりも先に情報を。
それは正しい判断だ。
「我らが武士になれたのは誰のおかげだ? 語るまでもない。徳川幕府のおかげ。
その初代将軍であられる神君家康公が現世に生きる者らを敵と見做したのだ。であれば是非もない」
やはり関東の異変は家康の仕業らしい。
彼が何故人と敵対したのかはともかくとして、
新撰組は大恩ある幕府がためにあちこちでリンチをしているという。
だが、
「どうにも言葉に重みがありませんね」
台本をそのまま読んでいるかのような白々しさがある。
土方はその題目を心底馬鹿らしいと思っているのでは? そんな雰囲気だ。
では、馬鹿らしいと思いながらもやっているのは何故か。
そこまで考えると答えも自ずと見えて来た。
とはいえ、これ以上問答に付き合う気はないらしく土方は勢い良く刀を引き抜いた。
「これは、二人がかりでも……」
栞の頬を一筋の汗が伝う。
土方歳三、これまでとは別格だ。間違いなく強い。
紗織もまた妹と同じ感想を抱いていた。
彼は強い、糸だって上手に使わねばあっさり断ち切られる。
「栞!」
一瞬で形成された糸の投網、紗織はそれを全力で土方に向けて投擲する。
そこらの雑魚ならば絡み取られてバラバラになっていただろう。
だが、
「笑止」
鬼の副長は伊達ではない。
残像すら視認することが困難な速度の切り払いにより網をバラバラにする。
しかし、それこそが狙いだった。
土方の後方に回り込んでいた栞が斬られた糸を己が糸で繋ぎ直して網を再生させたのだ。
「せぃ!!」
再生させた投網が再度投擲、
振り抜いた刀は網を再生させた時点で紗織によって絡め取られており使用は不可。
このまま決着がつくかと思われたが……。
「あやとりとは、また女子らしい遊びだな」
土方は刀を握っているのとは逆側の手で投網の一部を掴み取って無理矢理に巻き取った。
そのままあらぬ方向にぶん投げる。
反動で片腕が刻まれておしゃかになったものの、致命傷は避けられた。
冷静な判断力、それが鬼の副長の持ち味なのだ。
「……!」
紗織は日本刀に絡めていた糸を即座に緩めた。
このまま力比べをしていたらマズイことになると判断したのだ。
「仕切り直し、ですね」
栞はそう言いながら紗織の横に並ぶ。
片腕を失った土方歳三、未だ傷一つない梅香の姉妹。
パッと見た限りでは後者有利に思えるがそうでもない。
欠損が投網の奇襲が完全成功してのものならば良かった。
しかし、土方は自ら腕を捨てたのだ。
折込済みの負傷であるのならば精神的なものは揺るがない。
戦いとは肉体と心の両面を使うもので、片面だけでは不足なのだ。
「……」
醍醐姉妹が土方を警戒しているように、彼もまた彼女らを警戒していた。
仏頂面のせいで分かり難かったが、最初は少しばかり侮っていたのだ。
生前立ち会ったことのない糸を得物にする敵といえど所詮はおなご――と。
しかし、一連の連携を見てからは評価を上方修正。
糸という武器も未経験で、その繰り手も戦士として一流。
であれば愚かな驕りは一切捨てるべき。
寝てる時以外は常に驕ってる紫苑とは大違いである。
「認識を改め――――」
くだらないことばかりだったが、少しは楽しみを見出せた。
闘争心が滲む笑顔を浮かべた土方の頭上から巨大な岩の拳が打ち下ろされる。
「!?」
咄嗟に飛び退いて回避するが今度は着地した地面が足枷となったのだ。
驚きを隠せない土方、驚いていないのは醍醐姉妹だけである。
そう、彼女らは投網作戦を思いついた時点でもう一つの手を打っていたのだ。
紫苑がよく使っている兎人形。
あれは便利だからということで他の面子にも配布されていた。
紗織が最初の投網を投擲した時点で背後に回っている栞がメモ書きを用意。
栞がばらけた糸を編み治して投擲した辺りで紗織が兎を用意。
二人が並んだところで用意していた兎にコッソリメモを渡しバルコニーまで駆けさせる。
メモの内容は実に簡潔――援護を求む、だ。
まあ、姉妹が伝令を飛ばさずともアリスはやばければ援護をしていただろう。
しかし、その場合は問題が出て来る。
いきなりの援護であれば姉妹が驚く可能性があるのだ。
そうなればスムーズな連携が取れない。
だが、こうして援護を求めてからならばそれはない。
どんな形である援護が来ると分かっているのだ。驚く必要はない。
「私達は武士でも何でもないですからねえ」
「そうね。別に袋叩きでも何でもやるわ。そもそも女だし」
邪悪な笑顔を浮かべて追撃を開始する醍醐姉妹。
足場すら不確かとなった領域での戦闘というのは中々に厳しいものだ。
土方はこれまでとは一転して若干苦しそうな顔を見せる。
だからといって容赦はしない。
「……まあ、これならどうにかしてくれるかもしれん」
土方がここに来たのは別に挑発に釣られたからではない。
少しばかり確かめたいことがあったからだ。
そしてそれはもう確かめられた。
本当はもう少し、血沸き肉躍る死合をしたかったのだがそんな空気でもない。
「総司はまだやってるらしいが……」
もうここに用はない、そう判断した土方は即座に壁を切り裂いてそこから脱出。
城から飛び出し、地面に着地するとそのまま脇目も振らずに駆けて行った。
「んー……何だったんでしょうか?」
顎に人差し指を当てて小首を傾げる栞。
挑発に釣られたわけでもないのに殺気むんむんで乗り込んで来て片腕を失いあっさりと帰って行く。
確かに意味が分からない。土方当人以外には理解出来ないだろう。
「さあ? 何にしろ私としてはここで敵の首魁……。
とまではいかずとも中核を殺しておきたかったのだけど」
京都で狼藉を働いているのはそのバックがどうであれ新撰組だ。
そしてその新撰組の中核を担っているのは間違いなく土方である。
彼をここで叩いておけば大阪にだって早く戻れたかもしれないと溜息を吐く紗織。
「仕方ありませんよ。ですがまあ、雑魚はそれなりの数屠れました」
これで京都の街も少しはマシになるだろう。
まあ、隊士の数が合わないという不安要素もあるわけだが、数が減ったことには違いない。
罵倒による釣りも無駄ではなかったわけだ。
「そうね。さ、桝谷さんとミラーさんのところに戻りましょうか」




