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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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104/204

田舎娘を篭絡せよ 弐

 一月二日、常ならば三が日なので家でゆっくりとしていただろう。

 しかしそうもいかない。世界がこんな状況で正月もクソもない。

 紫苑はアイリーン、雲母、アリス、麻衣の四人を伴ってフランスへ来ていた。

 この構成の理由は単純明快。強さで選んだのだ。

 人数に関しては少数精鋭。詳しい情報も入って来ない現状では身軽に動ける方がベストなのだ。

 軽く偵察して撤退、敵の情報如何によって日本から更に戦力をというのが現状の方針である。

 更に言うなら紫苑はいざとなれば信長を呼ぶことも出来る、なので少数でも問題は無いのだ。


「……にしても、一時間ちょっとでフランスかぁ。ホンマ凄いな」


 当然のことながらこんな状況で航空機を出すのは難しい。

 だが、少し面倒だがフランスに行く方法が無いわけでもない。

 学校では実習の際に転移装置を使ってダンジョンの内部へ飛ぶ。

 学校だけではなくギルドにも転移装置はあり、それを使ってダンジョンに飛ぶ者も多い。

 それを利用したのだ。

 フランスにあるダンジョンの座標を入力してまずはダンジョン内部へ。

 そこから直接孔の外に出ればそこはもうフランス、飛行機で行くよりもずっと早い。

 とは言っても直接オルレアンには飛んでいない。

 オルレアン近辺にも確かにダンジョンはあったが、そこに飛んで即戦闘となったら目も当てられない。

 なのでオルレアンから少し離れたアングレという場所に一同は居た。


「びっくり」

「改めて思ったけど転移って便利よねえ。昔から思ってたのだけど、何でもっと広く使われないのかしら?」


 答えは明快、そう出来ない理由があるからだ。

 ぶっちゃけるならば既得損益、何やかんやと理由を付けて転移技術を制限している。

 転移装置を誰でも何処でも使えるようになってしまえば困る人間が沢山居るのだ。


「大人の事情ってやつでしょ。それより紫苑お兄さん、大丈夫?」


 アングレも異形の雨で蹂躙されたのだろう、あちこちに死体や肉片、血が飛び散っている。

 生き残った人間も居るのかもしれないが街に人影は無い。

 恐らくは何処かに避難しているのだろう。


「……ああ、大丈夫だ」


 唇を噛み締めてやり切れない想いを抱えてるアピール。

 その後、強く決意を固めてますアピール――――これが紫苑のマジックコンボである。


「それより、現地協力者が居ないのはキツイな」


 フランスにもギルドはあるが、それでもやはり優先されるべきは自国のことだ。

 紫苑の支援をしている余裕なんて無い。

 確かに彼は真っ先に人の矜持を示したしそんな男を応援したいという気持ちを持った人間は居る。

 だが、現状では本当に余裕が無い。

 幻想回帰からまだ一日も経っていないので当然だ。


「地理とかだって大まかぐらいにしか分からんもんね」

「まあ、居たとしても言葉が通じるかの問題もあったでしょうけど」


 アリスは異人の娘ではあるが生まれも育ちも日本で、英語くらいしか話せない。

 アイリーンも同じく英語くらいで、紫苑も軽く話せる程度。

 麻衣と雲母に至ってはその英語すら怪しいくらいだ。


『言語ってんなら問題はねえよ。俺様が居るからな』

「ん、どういうことだ?」


 カス蛇に翻訳機のような機能があるなど、とんと知らなかった紫苑が小首を傾げる。


『俺様は人の言葉が分かれる前から存在しているからな。

人はそれを話せなくなったが魂の根源に刻まれているから話せば聞かせることは出来る。

だから紫苑の言葉を統一言語に変換して意思を伝えられえるし相手の言葉を変換して紫苑にも聞かせられる』


 創世記にはこう記されている。

 全ての地は同じ言葉と同じ言語を用いていた、と。

 しかし人は傲慢にも神の座す天まで伸びる塔を造ろうとしてしまった。


「統一言語……バベルの塔だったか?」

『そうだ。その頃は確かに言語は一つだったのさ。しかし人間がバベルの塔を造り始めた』

「それを見て神様は恐れを抱いたんだったかしら?」


 "彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。

 これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。

 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう"

 創世記には同じくこう記されている。

 彼らが何を企てても妨げることは出来ない――それはすなわち恐れを抱いているということだ。


『そう、今思えば彼の神だけは自分達の辿る道を予期していたのかもな』


 そして同時に言語を解体するだけは無駄だとも分かっていたのでは? カス蛇はそう考えている。

 真っ先に虚無に叩き落された神。

 しかしカス蛇はその存在を感じたことは一度も無い。


「居る?」

『……おい紫苑、通訳を頼む(マジコイツ、ちょっとコミュする努力しろよ)』


 カス蛇とて洞察力が無いわけではない。

 しかしそれはあくまで多くを見て、その上で判断しているだけ。

 紫苑のように個人に焦点を当てて完全に思考をトレースして察するなんて真似は出来ない。

 なのでアイリーンの言葉足らずも分からない。


「(良いじゃねえか、能力が低いことは……まあ、ウザイのは確かだがな)

多分だが、アイリーンは彼の神も存在しているのか? と聞いているんだよ」

『あー……だから、居る? なわけね』

「私と紫苑、通じ合ってる」


 嬉しそうに笑うアイリーンの臀部にアリスのキックが叩き込まれる。

 戯言ほざいてんじゃねえぞダラズ! という肉体言語だ、これならコミュ障にもバッチリ伝わるだろう。


『行き道で話してやるからとりあえず出発しようぜ。邪ロリ、馬出してやれ馬』

「邪ロリって何よ……まあ良いわ」


 自分達はともかく紫苑と麻衣に足は必要なのは確かだ。

 アリスは軽くスカートを叩いて馬の人形――通称ハルカゼインパクトを取り出す。


「それじゃ麻衣は後ろに乗ってくれ」

「うん、ありがと」


 インパクトに跨った紫苑が手を伸ばして麻衣を引き上げる。

 そうして一行はオルレアンを目指して進み始めた。


『さて、それで彼の神がどうなったか……だっけ?』

「あのぅ……ちょっと質問良いかしら?」


 雲母が恥ずかしそうに小さく手を挙げる。

 言うまでもなく彼女には学がない、ぶっちゃけると話について行けないのだ。


「何処の神様のお話をしてるの? 私、お釈迦様くらいしか知らないのだけど……」

『聖書の名前ぐらいは知ってるだろ?』

「ええ、何か私の家にも昔勧誘が来た覚えがあるわ」

『それはそれでまた別だと思うんだが……まあ良い。その聖書に載ってる一番偉い神様のことさ』


 その程度の認識があれば、とりあえずは問題無い。

 雲母は成るほど、と頷いているが……本当に分かったのだろうか?


「ちなみにこのカス蛇も聖書に載ってるのよ。まあ、悪い奴としてだけど」


 人が楽園を追放される切っ掛け、しかし同時に人が自分の足で歩き出す切っ掛けでもあった。


『始まりの人間に知恵の実を与えてから幾千年!

生まれの証さえたたん、この俺様がなんの因果か人間の相棒!

けんどなあ、こんな俺様でも愛することの尊さは忘れちょらんき!

初代扇動者、カッス! 愛を忘れ人の心の弱みにつけ込む悪党共、おまんら絶対許さんぜよ!』


 一体この蛇は何処でそんな知識を得て来るのだろうか?

 この場に居る誰もが分からない五百年以上も前のネタなのに……。


「(何? 病気? 心の病気?)」

『(ノリ悪いなぁオイ)ゴホン、結論から言うと彼の神は既に存在していないぜ』

「真の意味で不死なのにどうしてよ?」


 アリスの疑問は尤もだ。

 死ねないからこそ苦しんでいるのが幻想の存在だ。

 その幻想の最たる者と言っても良い聖書の神。

 それが消えたとは一体何どういうことなのか。


『文字通り桁が違うせいか、俺様にも正確なことは分からんが……。

彼の神はその強大さから俺様やメタトロンよりも先に虚無へと追いやられた。

だけどな、あの世界で俺様はその存在を感じたことがねえんだ』


 他の雑多な存在ならばともかく、

面識もあるし力も大きい聖書の神ならばその存在を感じることも出来たはずだ。


「ジャンヌの聞いた声は?」


 ならばジャンヌ・ダルクが聞いた神の声とは一体何だったのか。

 神が居るからこそ、その声を届かせることが出来るのでは? アイリーンの問いは実に尤もなものだ。


「そうよ、あなただってメタトロンを煽っている時にジャンヌは神の声を聞いたって言ってたじゃない」

『ああ。確かにジャンヌが聞いたのは神の声だ。けどな、真の意味で神とは言えん』


 ジャンヌの聞いたそれは確かに神の声だ。

 しかし、それは神のものではないと否定出来ないというだけで本物というわけでもない。


「イマイチ分からへんのやけど……」

『分かり易く言うとあれは神の影、負の部分を象徴するヤルダバオトのものだ』

「ヤルダバオト……確かあれは偽神じゃなかったか?」


 ヤルダバオトとはグノーシス主義における世界を創った偽神の名だ。

 間違っても聖書の神とは結び付かないのだが、

それはあくまで人の知識、幻想側には別の真実が眠っているのだろう。


『正確にはあれも聖書の神なのさ。神は己に似せて人を創った。

つまり、神にも人間がそうであるように悪心があったとしても不思議じゃないだろ?

聖書の神は人の言葉を解体すると同時にそれを切り離していた……意図は不明だがな。

ジャンヌが聞いたのはそれだ。とはいえヤルダバオトを偽物とは断じれない』


 一側面であろうともそれは神だ。

 しかし真の意味で神かと言われればそれもまた違う。

 なので偽物ではないけど本物でもないという消極的な答えになってしまう。


『俺様が存在してないって言ったのは切り離されたヤルダバオトの大元よ』


 カス蛇は多くを知っているが総てを知っているわけではない。

 予想は立てられるがそれが真実だと裏付ける根拠が無いのだ。


「じゃあその神はどうして消えたんだ?(昨日も死んだとか言ってたけどさ。どうやって死んだんだよ)」

『……これはあくまで俺様の予想なんだが、神は選んだんじゃないか?』

「全知全能が一体何を選んだというの?」


 ここから先の言葉は願望も混じっていると前置きした上でカス蛇は持論を語り始めた。


『彼らが何を企てても妨げることは出来ない、

そう考えて言語を解体しても根本的な変化は止められないと悟ったのかもしれない。

その上で考えた、己の在り方を。そして虚無の世界に叩き込まれた時点で自身の身体を砕いた。

万か億か、あるいは京……とにかく自身という巨大な存在を粉々に砕いたんだ。

俺様が追いやられる前だから、彼の神と言えども無数に分かれたのならば現世に干渉出来る余地はあった。

雨のように自身を人の世界に降らせたんだ。

そしてこの星そのものと一つになって溶けたんじゃないかと思う。

人がどんな選択をするとしても、例え細分化し意識を保てなくなっても人の行く末を見届けようって』


 それが人を創った責務だと考えたのか、親としての愛だったのかは分からない。

 ともかく、その存在を感じることさえ出来ないほどに細分化して世界に溶けてしまったのならば、

虚無の世界でカス蛇が彼の神を感じられなかったことにも納得がいく。


『ヤルダバオトを切り離したのも、己を減らすためだったならば納得出来るしな』


 どちらにせよ真実を知る術は無い。

 だからこそ、そうであったならば良いとカス蛇は願っている。

 カス蛇は彼の神に対して嫌悪を抱いていない。何せ人間を創ってくれたのだから。


「ふぅん……成るほどね。でも、信じている人達からすればあなたの言葉は刺激的よね」

「バチカンもビックリ」

『そのバチカンも神の走狗である天使共に殺す宣言されて大混乱だろうな』


 そんなことを話しながら進み続けてしばし、ようやくオルレアンが見える距離までやって来たのだが……。


『ドンピシャだな。やっぱり居るぜ、ジャンヌ・ダルクは』


 遠くに見えるのは炎のドーム、

オルレアンという街を丸々一つ覆い尽くしているそれは正に地獄の業火。

 遠目で見ても侵入するのは容易ではないと思わせられる。


「でも、中は見えそうにないわねえ」

「炎というならアレクサンダーのおじさんも凄いけど……ジャンヌ・ダルクも中々のものだわ」


 街一つを覆えるレベルの業火を展開し続けるというのは並大抵の力ではない。

 これが恐らく敵の全力。

 拡散してこれなのだから収束すればアレクには劣るがかなりのものになるだろう。

 とは言ってもアレクより弱いことが救いになるわけではないが。

 超規格外に少し劣る規格外、どちらも厄介であることに変わりはない。


「ふむ……アイリーン、どうだ?」

「勝てるかもしれない」


 勝てる勝てないでいうならば今の戦力でも問題は無いというのがアイリーンの見立てだ。

 とは言っても炎以外にも能力があるかもしれないので断言は出来ない。


『ふぅん……よっぽど憎たらしいようだな』

「どういうことなん?」

『報告ではオルレアンは完全に消滅したって話だろ? だが、ジャンヌからすればそれでも飽き足らないようだ』


 今は念入りに焼き尽くしている段階。

 もう何も無いのにジャンヌはまだだ、まだ足りないと憎悪を燃やしているのだ。


「となると、ここが終わったら次……何度も何度も繰り返す、のか。

(俺さぁ、フランス人っていけ好かねえんだよ。何か気取ってる感じがしてさ。

いっそ熱消毒されれば良いと思うのですがそこら辺はどうでしょうか)」


 紫苑が消毒されるべきではなかろうか。


『(お前が何時も通りで安心した)だろうな。まずはフランス、次は近隣諸国』


 無限に湧き続ける憎悪のままにジャンヌは蹂躙を繰り返すだろう。

 かつては救国の聖女であったが、今は暴虐の魔女。

 故国であろうとも容赦なく滅ぼすほどに彼女は総てに絶望している。


「……地獄絵図、か」

「私は紫苑ちゃんの判断に委ねるわよ」

「同じく」

「お兄さんの望むままに、力は私達が担うわ」

「紫苑くんはやりたいことを、正しいと思ったことをしたらええ。うちはそれを支えるから」

「ありがとう、皆。なら――――」


 言い終わるよりも前に異変が起きる。

 オルレアンを包んでいた炎が徐々に消えて――否、収束していく。

 同時に多大な重圧が一行に圧し掛かった。


「どうやら、選択の余地は無さそうだ。危なくなれば即時撤退、それを念頭に戦闘準備!!」


 了解! と全員の声が重なると同時に敵はその姿を見せた。

 視界に映ったのはくすんだ金髪を肩で切り揃えたそばかすの少女。

 何処か野暮ったさを感じるが容姿は整っていると言えるだろう。

 華のある美少女というわけではないが、

傍に居るだけで安心感を与えてくれるような見た目だ――――本来なら。

 髑髏の眼窩を覗いているような錯覚すら受ける暗い瞳が総てを物語っていた。

 血錆びと煤で穢れ切った騎士剣と鎧、彼女こそがジャンヌ・ダルクだ。


「乙女、なんて顔じゃないわね」

「隣にも一人」


 乱れた黒い長髪と顎に蓄えられた青い髭が特徴的な整った顔立ちの中年。

 少女がジャンヌ・ダルクだと言うなら彼の正体も自ずと分かる。


「青髭――ジル・ド・レか(変態ショタコン殺人鬼とかマジ受けるわ)」


 ジャンヌとジル、二人は同情に値する存在だ。

 つまり紫苑からすれば気持ち良く見下せる相手でもある。

 社会不適合者、おめでたく踊らされて悲劇の最期を迎えた不幸そのもの。


「(お前らが馬鹿だったから踊らされて死んだんじゃねえか。

あーあ、なのに自分の間抜けさを呪うでもなく総てが憎いですってか?

超受けるわ。何だこれ、馬鹿二人が雁首揃えて醜態晒してんじゃねえよ。

お前あんまり俺の腹筋を刺激するなよ。笑い堪えるのも楽じゃねえんだから)」

『(楽しそうだなぁオイ)』


 全力で屑ってる紫苑はともかくとして、


「アリス」

「ええ、分かってるわアイリーンお姉さん。紫苑お兄さんと麻衣お姉さんは私が護る」


 迎え撃つのはアイリーンと雲母で後衛二人を護るのがアリスの役目。

 そして迎撃担当の二人は、


「私がジャンヌ」

「そうね。実力的にもそれが一番だと思うわ。紫苑ちゃん」


 フランスへやって来たのはジャンヌを攻略するためだ。

 カス蛇は紫苑ならばと言っていたが今の状況を見るにそうも言ってられない。

 そもそも話が通じるようには思えない。


「確かに俺達の目的はジャンヌの説得です。

でも、それでアイリーンと雲母さんが死んでしまったら意味が無い。全力でやってください」


 赦しも出た、であればもう躊躇う必要は無い。

 ゴーサインを受けた二人は一気に純化して大地を蹴った。


「はぁああああああああああああああああああああああ!!」


 雲母の太刀とジルドレの騎士剣がぶつかり合い、火花を散らす。

 膂力では完全に互角でどちらも押し切れない。


「そんなに我らが憎いか。良いさ、それでも良いさ。ジャンヌ、我が親愛なる乙女よ。

私はお前の望むがままに戦おう。最早護るべきものはお前以外には無く、この世界に価値は無い。

神も人も総てが塵だ。清らかなる乙女、壊れてしまった乙女。

そうだ、壊そう。お前を壊した世界を、お前を壊した人間を」


 ジルドレの瞳は相対しているはずの雲母を見ていない。

 ブツブツと吐き出される言葉もそう。

 誰かに語って聞かせているわけではない。ただ感情が言葉となって溢れているだけ。


「くっ……!」


 競り合いの最中に脱力することでジルドレの剣を逸らし彼の背後に回ったまでは良かった。

 しかしジルドレのスピードは予想以上に早く攻撃のタイミングを逸してしまう。

 雲母は背後に飛ぶことで彼の一撃を回避し次に備える。


「……何時かの自分を見ているようで、何とも言えない気持ちになるわね」


 かつての雲母もそうだった。

 目を閉じ、耳を塞ぎ、ただただ己の抱く罪悪に蝕まれて狂気の撒き散らす。

 延々と自慰行為のように謝り続けていた。

 罰して欲しかった、誰でも良いから自分を裁いて欲しかった。

 何も直視出来ない。盲目となってからは本当に何も見えていなかった。

 そのせいで紫苑にも随分と迷惑をかけてしまった。

 生まれなかった子供の影を重ねて子ども扱いをした挙句、

道を正すために無理をさせて今でも彼の腹部にはその傷が残っている。

 だからこそ、成るほど、もしかしたら救えるのかもしれない。


「だけど……!」


 我が身さえも省みない情熱でないとこうなった相手の心を溶かしてはやれない。

 それはつまり、紫苑がまた無理をするということ。

 心情的にはそんなことをさせたくはない。

 必要なことだとしても可愛い我が子には傷付いて欲しくないというのが母親だ。

 例え血は繋がっていなくても自分は母親で彼は息子。

 何処の世界に息子を傷付けてまで何かを成したいなんて母親が居る?


「また殺すのか、魔女だと罵って火にくべるのか。

ああ、確かに今の乙女は魔女だ。しかしこうしたのはお前達だ。

お前達が地獄へと突き落としたんだ。報いを受けろ、業火に焼かれて己が罪を知れ」


 力任せに振り抜かれた一撃は衝撃波を伴い大地を抉り取って地平線の果てへ消えていった。

 ただの斬撃一つでこれだ、そしてこれからの戦いではこれが最低ライン。


「罪? そんなものとうの昔にこれでもかってくらいに味わっているわ」


 更に想いの深度を深める。

 余計なことなど要らない。自分がやりたいこと、やるべきことは何だ?

 紫苑を護る紫苑を護る紫苑を護る紫苑を護る紫苑を護る紫苑を護る。

 それは何故?

 母親だから、愛しているから愛しているから愛しているから愛しているから。

 母親は子供を護るのは当たり前のことだ。

 神々であろうと悪魔であろうと歴史に名を刻む英雄であろうとも、

どんな敵からも護り通してこその母親だ、それ以外には何も要らない。

 人間は万能ではない、だからせめて大事な一つだけは強く抱き締めていなきゃいけないのだ。


「紫苑ちゃんを悲しませるあなた達は……」


 母の愛が凝縮された刀身が濃い紫色の妖しい光を纏う。

 この身は母であり刃、我が子の憂いを総て切り裂き笑顔を護る刃。


「――――この世から消えてちょうだい!!」


 技も何もない、全力で袈裟懸けに振り下ろされた一撃がジルドレの肉体を切り裂く。

 刃はその肉体だけを斬るだけに留まらず、

刀身から離れた斬撃は先ほどのジルドレのそれよりも巨大な破壊を生む。

 何とも地球に優しくない戦いだ。


「(なあカッス、もしお前が言うように聖書の神がこの星に溶けているならさ)」

『(おう)』

「(こんだけ蹂躙され尽してザマァwwwって感じだよな。俺は今、とっても良い気分だ)」


 悲しき憎悪を撒き散らすジルドレ、ただただ我が子を護るためだけに自らの意思で狂う雲母。

 無常さを感じさせる戦いを目にしての感想がこれだ。


「私は倒れんさ、まだだ。まだジャンヌの旅路は終わっていないのだから。

総てを壊すまでは、今度こそ離れない。もう彼女を一人にはしない」


 雲母の一撃で二つに分かれた肉体が合一を果たす。

 ジルドレは再生をしながらも刃を振るい雲母の肉体を切り裂く。

 舞い散る鮮血、だけど彼女とて痛み程度で止まるような可愛いタマではない。

 だって知っているから、肉体の痛みなんて何てことはないと。

 本当に辛いのは心が傷付いた時。

 自分が怯んで退けば紫苑が傷付けられる、そうすれば自分の心だってズタズタになる。

 だから、


「私、負けられないの……!!!!」

「ジャンヌ、我が愛しの魔女よ! この者の血肉を君に捧げよう!!」


 二人は防御を捨てた。防ぐ? 躱す? 小賢しい。

 死に至る前に相手を殺せば何の問題も無い。

 雲母とジルドレは足を止めてその場で只管全力の攻撃を繰り出し続ける。

 まるで地獄のような光景だ。

 愛に狂った修羅二匹が渇いたタンゴを踊っているような、目を逸らしたくなるような凄惨さ。

 麻衣などは見ていられなくなったのか、俯いてしまっている。

 直視出来ているのは紫苑とアリスだけ。


「(おーおー潰し合え潰し合え、そして俺を愉しませろ……!)」

『(待て待て雲母が潰れたら駒一つ消えるだろうが)』

「(あ、そうだ。じゃあギリギリまで死に掛けろ!)」


 最低だ、本当に本当に最低だ。

 どんな胸打つ戦いにも心揺らさないその強烈な我のおぞましさよ。


「雲母お姉さんは優勢のようだけどアイリーンお姉さんは……ホントにあれ、元はただの村娘なの?」


 紫苑の仲間の中では彼を除いて屈指のチートとも言えるアイリーン。

 しかしジャンヌ・ダルクはそのアイリーンとも互角に切り結べている。

 アリスの言うようにとても、ただの村娘だった少女とは思えない。


「……厄介」


 間断なく繰り広げられる打ち合いの中でポツリと呟く。

 確かにアイリーンは規格外の中に入る人間だ。想いの深度だって尋常じゃない。

 しかし、ジャンヌとアイリーンの間には時間という差が存在する。

 死したその瞬間から時すら失せた永劫の虚無の中で憎悪を燃やし続けたジャンヌ・ダルク。

 そこには厳然たる差があり、それを埋めるのは並大抵ではない。


 何が厄介かというと、ジャンヌは今、アイリーンに意識を向けていないのだ。

 戦いながらもその視線は春風紫苑にだけ注がれている。

 ひたすらに彼を殺そうとしている。

 そうなれば当然、目先の戦いが疎かになっても仕方ない。

 だというのにアイリーンは攻め切れずに居る。これを厄介と言わずして何と言う。


「熱い、痛い、苦しい、憎いよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 狂乱しながら刃と炎を振るうジャンヌ・ダルク。

 アイリーンに集中して居ない、その上彼女は幻想と成り果てている。

 つまりこの世界に存在するだけで耐え難い苦痛を味わっているはずなのだ。

 マイナス要素が幾つもあるのに、それでも尚、強い。


「私が何をしたぁ!? 神よ、答えろ蒙昧な神よ!!

お前は何故、私を裏切った!? 信じて戦ったのに、何で私を捨てたぁ!?

答えろ人間! 私はお前達が信ずる神の命で戦ったのだぞ!!

私だってお前達を信じていた! 信じていたから戦えた!!

なのに何故、蹂躙されねばならない! 異端の誹りを受け、何もかもを踏み躙られて!

どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてなのよぉおおおおおおおおおおおお!!」


 天を睨み付けて叫喚するジャンヌ。

 動きを止めた今が絶好の機、ここで仕留めねばチャンスは巡って来ない。

 味方に引き入れるだとかいう思考は既に無い。

 アイリーンは神速の突きを以ってその脳天を貫くが、


「炎!?」


 貫いた瞬間、ジャンヌの頭部が炎と化したのだ。

 これまで攻撃が通らなかったことが災いした。

 ここでようやくアイリーンは気付く、ジャンヌ・ダルクは憎悪の炎そのもの。

 オルレアン跡地を覆っていた炎、あれこそがジャンヌなのだ。

 物理攻撃なんて通るわけがない。


「(どうして? それはね、お前が馬鹿だからだよ。田舎娘が調子に乗るからそうなるのさ)」


 そういう紫苑は自分が調子に乗って嘘を重ね続けた結果、

引き返せないこの道に踏み込んだことを少しは省みるべきだ。


『(で、どうよ紫苑。お前はアレを篭絡出来そうか?)』

「(ああ。つっても、もうちょっと見ていたい。こんな笑える見世物、早々無いからな)」


 紫苑は既にジャンヌ・ダルクに付け入る隙を見つけていた。

 炎のドレスを纏って叫喚する壊れたプリマドンナ――正に格好の餌だ。


『(ほう……確実かね?)』

「(この場に居る誰でもない、俺を見ている時点で諸々察せるさ)」


 泥沼の戦いに、ここで一つの転機が訪れる。


「ジャンヌ、そろそろ限界だ。一旦退こう」


 雲母から離れたジルドレがジャンヌを羽交い絞めにして無理矢理動きを止める。


「離せ! 離せよ裏切り者! お前だって私を見捨てた癖に! 邪魔するなよォ!!」

「……ッッ」


 そんなやり取りを残して二人の姿が掻き消える、

信長と同じように活動限界を迎えて自分の領域に戻ったのだろう。


「……麻衣、二人の治療を」

「了解!!」


 麻衣は突然のことに困惑している雲母とアイリーンに駆け寄り治療を施す。

 切り傷と出血が酷い雲母、重度の火傷を負っているアイリーン。

 共に常態ならば確実に死んでいたであろう有様だ。


「紫苑お兄さん」

「ん、どうした?」

「――――呑まれちゃ駄目よ」


 紫苑の腰に抱き付いてそう懇願するアリス。

 呑まれてはいけない、それは他者の痛みに共感し過ぎる彼を慮っての言葉だ。


「……ああ、分かっているよ(ほう……このクソガキにすら届く何かがあったわけか)」


 ジャンヌの叫喚は紫苑以外どうでも良いはずのアリスにさえ届いた。

 同情心や痛ましさが湧いたわけではなかったけれど、恐ろしいと思った。

 比喩でも何でもなく天地焼き尽くさんばかりの憎悪が。

 もし、これがジャンヌの領域内ならばもっと強くなっていたはず。

 それを止められるか? 紫苑を護れるか? アリスは今、不安に苛まれていた。


「……ホント?」

「ああ、本当だ」


 一体この男の何処に本当というものがあるのだろうか?

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