ありがとう、死ね
「つかさぁ、やることやったんだし帰らせてくれないかな? 僕もう正直しんどいんだけど」
戦いと後始末を終えた五人は生徒指導室でヤクザを待っていた。
「うちの回復でもスタミナとか精神的な疲労は取れんしなぁ」
麻衣に最優先で治療が施されたおかげで、彼女が復帰すると共に他の面子も早期に復活することが出来たのだ。
とは言え麻衣の言うように体力が回復されたわけではないので前衛三人は疲労困憊だった。
「同感だな、流石に……疲れた。私も体力には自信があったが……」
「ハーンさんとの戦いは常よりも辛かったですからね」
チートが導入されているであろうアイリーンとの戦いは予想以上の疲労を強いた。
しかし、それも当然だろう。
一瞬でも気を抜けば速攻で潰されてしまう、そんな緊張の中で戦闘をしていたのだから。
加えて毒に侵されて尚も怯まぬ敵の姿は多大なプレッシャーだったはずだ。
想像して欲しい。
穴と言う穴から血を噴出させて全身に麻痺が広がっているはずなのに鬼神の如く戦う女の姿を。
殴っても蹴っても、斬っても刺しても怯まずに反撃して来るのだ。
それを悪夢と言わずして何が悪夢だと言うのか。
「(何だお前らその疲れたアピールは? 俺のことディスってんの?)」
『別に何とも言ってないじゃん。どんだけ劣等感に塗れてんだお前はよぉ』
むしろ評価してくれていると言うのにこの態度。
自尊心は高いのに卑屈で劣等感塗れで欲に弱くて器が小さい。
涙が出て来そうな小物要素が満載である。
「上には上が居る、か。いずれは一人で殺り合えるくらいにはなりたいもんだよ」
「だな。前に出て戦う私達があそこまで強くなれたら……」
「後ろで支えてくれる方達も安心していられますからね」
向上心が高いと言うのは一流の条件の一つだ。
高過ぎる壁にぶつかった時に折れない強さこそが人を更なる高みへと導ける。
最初っから無理だと諦めてしまう者に未来は無い。
「(いや無理だろ夢見てんじゃねえよ。あんなバグ生物になれるわけがねえ)」
実際、世界には更に強い人間も居るのだろうが、それでも紫苑は信じられない。
何と言うか――――そう、現実味が薄いのだ。
あんなチートでパラメータを弄くったのか、あるいはデバッグせずにそのまま生まれて来てしまたような生物がこの世に居て良いのか?
どうしてもそんな考えが頭をよぎってしまう。
これが命を懸けた場であるなら思考だって幾らでも曲げられるが、如何せん平常時の紫苑は頑なと言うか、柔軟性に欠けているのだ。
まあ、こんなことを言っている本人が一番のバグだったりするのだが。
「ねえ紫苑くん、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん、何だ?(そのニヤケ面がむかつくぜ。何て言うかファンスティック不敬)」
ファンタスティックなのはコイツの頭の中だ。
「僕ら先に気絶しちゃったから知らないんだけど――――彼女、どんな顔してた?」
満足そうに負けたのか、心底悔しいと言って負けたのか、天魔はそれが知りたかった。
倒れる時にどんな顔をしていたかが聞ければそれが分かる。
そしてそれを知っているのは紫苑のみ。
「……笑って、いたよ。微かにだけど満足そうに、照れくさそうに。
(あれは覚えてろよ? 絶対復讐してやるからなと言う笑顔なのだろうか……)」
そう考えると今すぐにでも、アイリーンが寝ている保健室に行ってトドメを刺すべきかと思ってしまう。
完全無防備な今ならば殺れる――――と思っているのが彼の甘さ。
あれだけ化け物化け物言っておいて普通はそんなことは考えられない。
まな板の鯉状態で圧倒的弱者だと思えてしまうその神経が分からない。
「何と言うか、立つ瀬が無いねえ。みっともない戦いだったのにさ」
天魔にしては珍しく、本当に申し訳無さそうな顔だ。
自分は確かにとことんまで愉しませてもらった。
しかしどうだ? こちらは彼女を満足させられるほどの戦いが出来たのか?
どうにもそう言う思考が頭をよぎってしまい申し訳なさが顔に出てしまう。
「次の機会があるならば、その時リベンジしようではないか」
「その時は――――勿論、正攻法で」
笑顔で告げた栞に釣られてルドルフと天魔もまた笑顔に。
前衛の彼らにとってはよっぽど良い刺激となったのだろう。
「(正気じゃねえよ……あんだけやっても苦労したのに正攻法? 馬鹿じゃないのかな君達)」
と言うかそもそも二度目なんて真っ平ごめんだった。
今回使った方法だって次は使えるかどうか分からないのだ。
無理くり目下と言うことにして食事に誘ったが、一度勝利した以上色々とややこしいことになって来る。
少なくとも紫苑がアイリーンの立場なら、負けたんだしそちらが目上ですぅ――と言って毒入り料理を回避するだろう。
「(勝ち逃げ安定、フゥー!)」
『俺様蛇だけどお前が駄目だってことは分かる』
「(うるせえ! お前も保身安定のカス蛇じゃねえか!)」
『それでもテメェみてえに見栄は張らねえよ!』
カスは蛇の癖に気付いていた。
これまでに魅せた行動が春風紫苑の名を膨らませたことに。
中身が無い空っぽの虚名、そのせいでこの先も困難が訪れるだろう。
そこで折れてしまって馬脚を現せば楽なのだが、生憎と紫苑と言う男の自尊心はそんなことを赦さない。
そのせいで更に名が膨れ上がり、その度に四苦八苦する未来が容易く想像出来る。
「――――すまない、待たせたようだな」
ヤクザがビニール袋片手に室内へ入って来る。
袋の中身は缶ジュースで人数分あるようだ。
「良いものを見せてもらったからな、これは礼だよ」
「はいはい、ようあるよねそう言うの。先生とかが内緒でジュースとか奢ってくれるアレ」
「あー……中学ん時、部活の顧問に奢ってもらったよ僕」
「と言うか卿、クラブ活動なんかしていたのか?」
「うん、ゲーム部。主に花札とか麻雀とかやってたよ」
「……それって学生の遊びとしてはどうなんでしょう?」
やいのやいの言いながら各々好きなジュースを手に取る。
その光景にヤクザが若干頬を緩ませているのは、あれほどの戦いが出来る人間であってもまだ子供らしさが見えるからだろう。
「(ジュースかよケチ臭え……何つーか、もっとこうあるんじゃねえの?)」
一人だけ子供らしくない。いや、ある意味子供らしいのもいたがチャッカリジュースは手にしている。
「まずは祝いの言葉を贈ろうか。
春風くん、ジンネマンくん、外道くん、醍醐くん、桝谷くん――おめでとう。
これで君達はAクラスで一番強いパーティだと認められたわけだ」
"個"として一番強いのはアイリーンだろう、そこに反論の余地は無い。
だが冒険者に求められるのは"個"としての強さではなく"群"としての強さ。
なればこそ彼らが一番強いと言うことに異論を挟む人間は居ない。
「賞金やらは月末の給与振込みの時まで待ってもらうがな」
「賞金? そんなんあるん?」
「ああ、言ってはなかったがな。まあ、君らは金に興味のある輩でもあるまい」
「確かにそれ教えられても別にモチベーション上がらなかっただろうねえ」
「そもそも金銭では買えぬものを得られた戦いでしたし、そう言うのは別に……」
ルドルフ、天魔、栞の金持ち三人は当然として、パンピーではあるが金銭に然ほど執着もない麻衣も興味はなさそうだ。
勿論あれば嬉しいが、だからと言ってがめつく欲するほどではない――つまるところ普通。
「そうだな。金は大事だが、金で買えないものもあると言うしな――陳腐な言葉だが真理だ。
(いやっほー! 賞金! 賞金だってよカス蛇! 月末はちょっと豪華に外食する!?)」
『するする! 美味いもん喰おうぜ紫苑!!』
微かに笑みを浮かべながら口では同意しているもののカス蛇と紫苑は大喜びだ。
その息の合いようは十年来の友人もかくや言うほど。
まだ出会って一月も経っていないのに。
「それよりさ、わざわざそれを言うために僕らを呼んだわけじゃないよね?
"まずは"って言ってたしさ。今回の催し、愉しくはあったけど引っかかるんだよねえ」
「ああ、そうだな。我ら全員、そろそろ痺れを切らしそうだ」
「戦いも終わったんやし教えてくれへん?」
「何故――――わざわざ人間と戦わされたのか。勿論説明はありますよね?」
「(賞金! 賞金! OH! マネー!!)それ以外にも聞きたいことはありますがね」
五人のリアクションは当然想定していた。
と言うよりヤクザはAクラスの誰もが黙って唯々諾々と言われたことの裏も考えずに動く人間ではないと評価しているので聞かれなかったらガッカリだ。
「疑問は尤もだろう。何故冒険者が人間と戦うのか……。
一応そう言った商売も無いわけではないが、学校で教えることではない」
冗談みたいな力を持っている冒険者同士の戦い、そう言ったものにも需要はあって商売となっているが、それは脚本ありき。
今回のようにガチで闘り合うなんてことはまず無い。
「長い前置きは結構。理由だけ説明してよ、センセ」
天魔の無礼な物言い、それでもヤクザは気分を害した様子も無く頷いている。
人間が出来ているのか、あるいはこれから働く不義理ゆえか。
「単刀直入に言おう――――君達には何も説明出来ない」
その言葉に紫苑と天魔を除く者らの顔が険しくなる。
だがその天魔にしたって気持ちは同じだ。
ニヤニヤ笑顔に剣呑な色が混じっていた。
もっとも、彼の場合は裏にあるものを楽しみにしていたからこその怒りだが。
「説明責任、と言う言葉を御存知ですか?」
「確かに冒険者ならば仕事の関係で秘匿義務も出よう。確かにまだ我らは学生だが……」
「学費払っとる立場や。守られてもおるけど権利も主張出来るんちゃいます?」
「お預けも大概にしないと犬だって噛み付くって知らないの?」
本来受けるべきカリキュラムを無視して行われたのが今回の戦いだ。
そこらに対する説明責任はあって然るべきだろう。
「(何か厄介で嫌な匂いがするから僕は聞きたくないです! だからお前らも黙ってろ!)」
真実から目を背けるのは紫苑の得意技だ。
教師が"言えない"と言うことを鑑みるに面倒ごとなのは間違いないだろう。
そんなものを直視するようなガッツはこの男には無い。
「(藪を突付いて蛇を出すとか馬鹿の所業だしな!)」
『俺様、別に藪の中になんぞ潜んでなかったんだけど?』
「(そう言う意味じゃねえ!)」
カス蛇が元のサイズで隠れられる藪などあるのだろうか?
「一々ご尤も。しかし言えぬものは言えない。だが、一つだけ。
今回が最後ではない。また、人間同士のパーティでぶつかり合うことがある。
その時、今回と同じく最後まで勝ち残れば――――君達にも説明が出来るだろう」
説明出来ないと言いつつも、情報は十分に与えている。
つまるところ――――これは選別だ。
勝つ、と言うことは強いと言うこと。
そして強い者にだけ知らせられる何かがあるらしいと言うこと。
今の段階で見せた強さでは足りない、だが次の機会は巡って来る。
だからこそ今は矛を収めて欲しいと言っているのだ。
「ふぅん……ま、これから先をお楽しみにってことで納得しておくよ。今はね」
天魔らもヤクザの説明で一応の納得をしたようで、剣呑な空気は霧散していた。
「すまないな。私が言いたかったのはそれだけだ。今日はもう帰ってくれて良い。
ああ、それとな。私達も色々とやることがあるのでな、Aクラスは明日全員休みだ。
加えて――――御褒美の一環として、君達には更に追加で明後日も休みになる」
消耗した心身を休める時間に使えと言うことだろう。
降って沸いた休みに紫苑は思わずガッツポーズ! まあ、心の中でだが。
「(マジかよ……ラッキー♪)」
『お前は別に疲れてもいないのになぁ』
「(うるせえ! 俺の繊細なハートは傷だらけなんだよ!!)そう言えば先生」
余りの嬉しさですっかり忘れていたが、聞かねばならぬことがあったのだ。
「何かね?」
「俺がアイリーンに飲ませたアレは何だったんですか?」
紫苑の質問にヤクザ以外の人間が首を傾げる。
まあ、彼らはタイミング的に気を失っていたのでしょうがないだろう。
「一つ一つの毒に対する解毒剤はあります。しかし、万能の解毒剤なんて存在しない。
それぞれの解毒剤をミックスさせる? 薬って言うのはそこまで単純なものじゃない。
なら、アレは何なんですか? アレを飲ませた瞬間――――アイリーンの身体から総ての毒が消えた」
口移しで飲ませてからすぐに気付いた。
アイリーンの身体に現れていた毒の症状が綺麗さっぱり消え去ったことに。
紫苑にはどうしてもそれが腑に落ちなかった。
万能の解毒剤なんて都合の良いものはこの世に存在しない。
していたのならばそもそも毒料理なんて策は立てなかっただろう。
「あんなものがあるなら世に広く知られているはず――例え噂レベルでも」
「……」
「アレは、何なんですか?」
自分の命が可愛くて可愛くて仕方ない紫苑にとってあの液体は魅力的だった。
欲しい、どうしても欲しい。出来るなら沢山欲しい。
そしてあわよくばちょっと転売して荒稼ぎしてみたい!
彼はそんな浅ましい欲を満たすために是が非でも正体を知りたかった。
「それも、まだ話せない」
「(ケチ! ドケチ! これだから心の狭い人間は嫌いなんだよ!)」
お前、毎朝鏡見てるよな? 嫌いな奴がそこに映ってるぞ。
「……そうですか、答えられない質問をして申し訳ありません」
「いや良い。質問はそれだけかね?」
「はい。それでは失礼します」
「ああいや、少し待ってくれ。春風くんに伝え忘れていたことがあった」
他の者達と生徒指導室を出ようとしたところで紫苑だけが呼び止められる。
「何でしょう?」
「ハーンくんが目を覚ました。私の話が終わったら会いに来てくれと伝えるよう頼まれたのだ」
「(ギャァアアアアアアアアアアア! ふ、復讐タイムですの!?)」
"紫苑に伝え忘れた"と言うことはつまり、会いたいのは紫苑だけ。
他の面子に関してはどうでも良いと言うことだ。
まあ、復讐タイムと勘違いしても仕方なくはない――――のか?
「そうですか、では皆で見舞います」
戦い終わったら後はもう好敵手と書いて読む仲だもん、な!?
とばかりに皆に同意を求める紫苑だが、
「いや、アイリーンが待っているのは卿だけであろうよ」
現実は非情だった。
「だね。尊敬すべき敵手は君だけだ……悔しいけどね」
ルドルフらの言葉に栞らも頷いている。
「(俺を売る気か裏切り者!? 誰が勝たせてやったと思ってんだ! お前ら下僕だろ!?)」
都合の良い時だけ仲間扱いするならまだしも下僕扱いとは大したものだ。
『とても仲間に対しての態度とは思えねえんだが?』
「(せからしかぁ! ふざけるなよ……お、俺だけであの化け物に会いに行くだと……?)」
『食事の誘いに行った時もお前一人だったじゃねえか』
「(状況が違う! お前、毒盛った相手に普通の対応出来るか?)」
『出来ねえ!』
「(だよね!?)」
暗い未来予想図が描かれてゆく。
何処をどう見ても明るい未来は見えない、復讐されるか復讐されるか復讐されるかの選択オンリー。
実際のところは天魔らの言葉が正しいのだが、紫苑の常識的な感性と小物っぷりが正答への道を阻害している。
「(コイツら、俺を売ったこと何時か後悔させてやるぅう……!)」
受けた恩は忘れても抱いた恨みは忘れない。
それが春風紫苑と言う男の信条だ――――爽やかな名前の割りに何と陰湿なことか。
桜の香りを運ぶ春風とは無縁極まりない。
「そうか、ならば一人で行こう。それじゃあな。
(頑張れ俺! 相手はくたばり損ないの女なんだから! ……こ、殺されはしないよね?)」
幾ら怨み骨髄でも短絡的に殺すほど馬鹿ではないはず!
そう祈りながら保健室を目指す。
「(あー……着いちゃった。まだ心の準備出来てないのに……)」
『同じ階にあるからしゃあねえよ。ほら、入ろうぜ』
「(お前俺が死んだらお前も死ぬんだぞ!?)」
『じゃあ無視して帰れば良いだろ!』
カス蛇の言葉も尤もだ。
「(逃げたら後が怖いだろうが!?)」
『もう面倒くせえよ何なんだよお前! 良い、もう俺様が扉開ける』
「(バ! おまえ……)」
グイっと右腕が紫苑の意思とは無関係に動いて扉を開けてしまう。
「失礼する(これで死んだらお前死ねよ!)」
『安心しろ。お前死んだら俺様も連座で死ぬから』
カーテンがかかったベッドが一つ。
恐らくはそこにアイリーンが居るのだろう。
恐る恐るカーテンを開けると、
「寝て、いるのか?」
彼女は藍色のパジャマに身を包んで穏やかな寝息を立てていた。
まあ、目覚めたとは言っても激しい戦いの後だ。早々体力も快復しないだろう。
紫苑を待つうちに寝てしまったのかもしれない。
「(これは……逃げるか?)」
歳相応のあどけない寝顔。
ほんのりと顔が赤いのはダメージを受け過ぎて熱が宿っているからだろう。
「(それとも……)」
首下のボタンが開けられているのは寝やすいようにとの配慮か。
この年頃にしては良く実った果実が二つあるものの、紫苑はまったく気にしていない。
年頃の男なら劣情の一つや二つ抱いても不思議ではないのに。
「(殺すか? い、今ならいけるんじゃね?)」
『お前って認識甘いよな。あの戦いにビビりまくってたじゃねえか』
「(だが緊張の糸が切れた今ならイケるんじゃね? ほら、目撃者も居ないし!)」
容態が変わって急死しても怪しまれないと考えている紫苑だが――――そんなことはない。
普通に考えていきなりアイリーンが死ねば怪しまれる。
で、容疑者候補の筆頭は紫苑だ。
恐怖そのものと言って良いアイリーンを仕留める好機に目が眩んでしまっているようだ。
「(しかし、どうやって殺る……? 首を絞めて――否、一瞬では殺せない)」
枕元に両手を着いて真っ直ぐ眠り姫を見つめる紫苑。
本人としては真面目に殺す手段を考えているのだが、傍から見れば今にもキスしようとしているようにしか見えない。
「……紫苑?」
「(キャァアアアアアアアアア! 目が、目がぁあああああああああ!!)」
思案していると、遂にアイリーンが目を覚ます。
寝起きに何故、紫苑の顔が目の前にあるのか分からず目を白黒させている。
彼女はしばしの沈黙の後に、自分なりの答えを見つけたのかフイっと目を逸らす。
顔に赤みが増したのは痛みによる熱だけではないだろう。
「(レイパーと思われたのか!? 死ぬ、死ぬ、これが復讐!? 社会的地位を殺す気か!?)」
アイリーンの評価がチートコミュ障からチートコミュ障悪女にランクアップした!
まあだからと言ってそれが何だって話なのだが。
「や、違う。何か誤解をしてやしないか?(俺はお前を殺そうとしただけなんだ!)」
心の中とは言え殺そうとした"だけ"と言い切れるコイツの面の皮の厚さよ。
「その、変な気を起こしたわけではない(誰がテメェなんかでオっ勃てるかよ!)」
幾ら面と身体が美味しそうであっても大事なのは中身だ!
そう声高に主張する紫苑だが、それはお前にも返って来る言葉だろう。
取り繕って外面だけを綺麗に整えているが中身はウン●だし。
「なら、何故?」
紫苑の必死さを見て流石にそう言うことではないと納得したらしいが、それならば尚更何をしていたか分からないようで首を傾げている。
命を狙われていたなんて露ほども考えていない純真無垢な瞳。
大抵の人間なら罪悪感を覚えて自分を恥じ入ること間違いなしだ。
「(チョロいな!)君は、強い」
「そちらこそ」
「そりゃどうも――って何だこのやり取り?(これだからコミュ障は嫌いなんだよ)」
「それで、何故?」
この短いやり取りの間に既に言葉は組み立て終わっていた。
どう言い訳をするかなんて彼にとっては朝飯前なのだ。
「少し不思議に思ったんだ。こんなに可愛い顔をしているのに戦いとなると……。
強く、勇ましく、鬼神もかくやと言う戦いぶりを見せる。断っておくが侮っているわけじゃない」
そっと、アイリーンの頬に手を真っ直ぐ顔を見つめながら言い放つ。
仕草も大事な演出の一つだから手は抜けない。
「わ、分かってる」
「本当に不思議で……戦っている時の君の顔とあどけない寝顔の君を見比べていたんだ」
それはそれで失礼なのではなかろうか?
「それはそれで無作法だったな。謝罪しよう――――すまなかった」
「い、良い……か、可愛いと言われ嬉しいから」
自分の頬に感じていた熱が離れていくのを名残惜しげに見つめながら、アイリーンは紫苑の謝罪を受け取った。
何と言うか詐欺師に引っかかりそうな女の子だ。
いや、現時点で既に詐欺師みたいな男に引っかかってるか。
「それより、私も謝罪を」
「(これから殺すけどごめんね? ってことだろうか? クッ……どうしよう!?)」
女みたいに悲鳴を上げるのはプライドに反する。
命も大事だけどプライドも大事でどっちも捨てたくないのが紫苑。
二兎を追う者一兎も得ずと言う言葉を千回暗唱しろと言いたい。
「呼び出したのに寝てて申し訳ない」
辛そうに身体を起こし頭を下げる彼女は律儀な人種なのだろう。
形だけの紫苑の謝罪とは違ってそこには心が篭っていた。
「(ホントだよ! 舐めてんのかメーン?)いや、構わない。それより俺に用事とは何だろう?」
アイリーンの毒気の無さを見ていると流石に復讐と言う考えも薄れて来たようだ。
まあ当人はちょっと前まで毒塗れだったけど。
「改めて礼を」
「礼?」
「良い――――戦いだった」
言葉は短かったがそこには万感の想いが織り込まれていた。
全力で倒しに来てくれてありがとう。
憧れを超えるチャンスをくれてありがとう。
初めての敗北をくれてありがとう。
おかげでもっと自分は強くなれる、ありがとう。
とまあ、こんな感じなのだが――――奴にそれが伝わっているわけがない。
「(何コイツ、ドマゾですか? 気持ち悪ッ!)いや、こちらこそ良い勉強をさせてもらった」
言葉は短かったがそこには万感の想いが織り込まれていた。
毒くらいでどうにもならないと教えてくれてありがとう、死ね。
世の中にはチートが居ることを知れてたよありがとう、死ね。
次、もし不可抗力でやるならば家に爆弾でも投げるよありがとう、死ね。
それとノーブラなんですね、良いもの見せてくれてありがとう、死ね。
とまあ、こんな感じなのだが――――アイリーンに伝わっているわけがない。
「話はそれだけか? ならば俺はそろそろお暇しよう。ゆっくり身体を休めてくれ」
「……ま、待って!」
「? まだ、何か?(早く帰らせてくれ。明日から二連休だから映画借りたいんだよ!)」
あたふたと何かを言いかけて止めるを繰り返して四回目、アイリーンは枕元に置いてあった携帯をおずおずと差し出した。
「れ、連絡先を……こ、交換したい……!!」
「(ヒィッ!)」
本人にとっては初友的な意味でも乙女的な意味でも一大決心の告白だ。
そこに熱が篭るのはしょうがないと言えるだろう。
しかし熱を向けられた当人は小者なのだ、勘弁してあげて欲しい。
「あ、ああ。別に良いが……(そのうち機種変してやる。番号もバッチリ変えてな)」
通信機能を起動させボタンをワンプッシュ、これで電話番号とアドレスが登録された。
アイリーンの登録名は"チートコミュ障"だ。あんまりにもあんまりなネーミングである。
「ありがとう――――大事にする」
携帯を豊満な胸に抱いてはにかむその姿は男ならばそそられるだろう。
だが性欲よりも恐怖と才に溢れる彼女への劣等感で凝り固まっている紫苑はピクリとも反応しない。
「ああ、ありがとう。それじゃ、身体をゆっくり休めてくれ」
足早に保健室を去り、そのまま学校を出る。
元々手ぶらで来ていたし槍は既に送還したので問題は無い。
そのまま自宅までの道にあるレンタル屋で映画を六本ほど借り、ルンルン気分で家を目指す。
「(喜べカス蛇、今日は御馳走だ。勝利の祝いに贅沢をしよう)」
『ホントかよ!? でも、あの御嬢さんとこみたいな美味いもんじゃないんだろ?』
「(ったりめえだ! けどな、高いだけが美味いじゃないんだぞ)」
それでも値段が高い物なら大概は大好きだ。
「(今日は何と――――宅配ピザを取ろうと思う)」
宅配ピザが贅沢、そのケチっぷりに涙が出て来そうだ。
いや、親が居ないし倹約を身に着けるのは悪くない。
それでも度が過ぎるのは如何なものか。
ぶっちゃけ高級レストランで食事をしても何ら問題ないくらいに経済状況は良いのに。
『よく分からんが楽しみに……おや? おい紫苑、アパートの前見ろよ』
「(あん? っておい……な、何で居るんだアイツら?)」
アパートの前には知った顔が四つもあった。
全員ボロボロの正装のままで手には沢山の袋を持っている。
彼らは紫苑に気付き手を振っていた。
「……何故、こんなところに居るんだ?」
「ほら、やっぱこう言う時って打ち上げやん? で、するならやっぱ紫苑くんの家かなと思てん」
「俺の家は栞のとこみたいに広くないし狭いぞ?(打ち上げ? 勝手に決めるなボケ!)」
五人が家に入ればリビングは結構手狭になるだろう。
それでも四人は構わないと笑っていた。
「構わんよ。別に私は気にしないし、むしろそれが良い。距離が近い方が嬉しいしな」
「ですね。あ、そうだ。私、初めてスーパーでお買い物をしたんですよ?」
彼らが持つ袋に描かれているそれは近所のスーパーのロゴだった。
お菓子やジュース、酒、肉、刺身、目につくものをテキトーに買って来たのだろう。
ルドルフなんて米袋まで担いでいる。
「つーわけでさ、今日は一日中騒ごうよ♪」
「フッ……そうだな。それも悪くないか」
笑顔で答えるが、
『本当は嫌なんだろ?』
「(ったりめえだ! 買って来たもん置いてとっとと帰れって話だよバーカ!)」
本音はこんなもんだ。




