掲示板荒らしの犯人の勘違い
※本作は、噂や思い込みが人を傷つける構造を描いた物語です。
第一章 掲示板の怪物
またあいつだ、とAは思った。
夜の机に肘をつき、パソコンの画面を見つめる。
地域掲示板の新着スレッドが荒れている。
同じ文体。
同じ挑発。
同じ、誰かを小さくする言葉。
削除されても、IDを変えて戻ってくる。
謝らない。
笑っているような文面。
「この町にもいるんだよな、こういうの」
Aは独り言をつぶやいた。
荒らしは、最近になって「自分はこの町に住んでいる」と書き込むようになった。さらに、地域の支援施設に通っているとも匂わせている。
冗談だろう、と最初は思った。
だが、書き込みの中には妙に具体的な地名や施設周辺の話題が混ざっている。
もし本当なら。
この町にいる。
自分と同じ空気を吸っている。
Aは背筋が少し冷たくなるのを感じた。
ネットの中の怪物が、急に輪郭を持ちはじめた。
第二章 疑わしい男
Aは、支援施設に通う知人にそれとなく聞いてみた。
「最近、掲示板で荒らしてる奴いるだろ。ああいうことしそうな人、施設にいない?」
軽い調子で言ったつもりだった。
知人は少し考え、曖昧に笑った。
「うーん……いると言えば、いるかな」
断定ではない。
ただの空気の共有だった。
「なんか、浮いてる人がいてさ。悪い人じゃないけど、会話がちょっとズレるっていうか。自分の世界が強いというか」
「ネットとか、やりそう?」
「さあ。でも、みんなちょっと警戒してる」
“みんな”。
その言葉は便利だった。
Aの中で、点と点がつながる。
浮いている。
警戒されている。
自分の世界が強い。
掲示板の荒らしと、重なった。
Aはその人物を、まだ見てもいないのに、なんとなく輪郭を描いていた。
第三章 接触
数日後、知人の紹介でAはその男に会った。
町の喫茶店。
昼下がりの静かな時間。
男は、想像より普通だった。
清潔な服。
落ち着いた声。
必要以上に笑わないが、無愛想でもない。
「はじめまして」
丁寧に頭を下げる。
Aは拍子抜けした。
もっと、何か尖ったものを想像していた。
もっと、いかにも、という雰囲気を。
だが、目の前の男は、どこにでもいる青年だった。
会話は続いた。
好きな漫画の話。
最近読んだ本。
町の店の話。
ときどき話題がずれる。
だが、それは誰にでもある程度のずれだった。
それでもAの中の疑いは消えない。
ポーカーフェイスを保ちながら、何気ない調子で聞く。
「今週末、何する予定?」
男は少し考えてから答えた。
「特に予定はないです。家で漫画読んで、あとはネットですね。外にはあまり出ないです」
Aの脳裏に、掲示板の書き込みがよぎる。
“今週末は大学祭に行く予定。人混みでも荒らしてやるよ”
確か、そう書いてあった。
違う。
何かが、違う。
Aの中で、小さな違和感が生まれた。
だが、それでも疑いは完全には消えなかった。
ネットの世界は、思っているより狭い。
自分がこうして会っていること自体が、何かを暴いている気がしていた。
第四章 顔写真
その出来事から数日後。
掲示板に、突然投稿があった。
「もう隠れるのも面倒だ。顔出すわ」
荒らし本人の書き込み。
そして、顔写真。
ユーザーIDは一致している。
偽物ではない。
Aは画面を凝視した。
知らない顔だった。
だが、町で見かけたことはある。
支援施設のすぐ近くにある、別の施設の利用者。
Bという名前の青年だった。
真面目そうな顔立ち。
整った髪。
学生時代なら、優等生と言われていそうな雰囲気。
掲示板の暴言とは結びつかない。
Aはしばらく動けなかった。
じゃあ、あの男は。
疑っていたあの男は、何だったのか。
第五章 噂の反転
顔写真が出た翌日、町の空気は目に見えて変わった。
掲示板に貼られた写真。
一致するユーザーID。
言い逃れのできない証拠。
そして何より、「あの人じゃなかった」という事実。
Aが疑っていた男の名前は、もう話題にのぼらなくなった。
いや、正確には、話題の向きが変わった。
「え、あの人じゃなかったの?」
「てっきりそうだと思ってた」
「みんな言ってたよな」
みんな。
その言葉が、今度は別の意味で使われていた。
ついこの前まで、
“怪しいらしい”
“やりそうだ”
と囁かれていた人物が、今は「勝手に疑われていた人」になっている。
まるで最初から誰も断定していなかったかのように。
噂は、方向を変えただけだった。
疑いの矢印が、静かに別の人物へと差し替えられた。
B。
真面目そうな青年。
施設の近くで何度も見かけた顔。
「あの人だったんだって」
「意外すぎる」
「優等生タイプって、逆に怖いよな」
言葉は軽い。
けれど、今度は確実に名前が付いている。
Aは、その光景を見ながら、胸の奥がざわつくのを感じた。
自分も、あの“みんな”の一人だった。
確かな証拠もないまま、
なんとなくの印象で、
一人の輪郭を決めつけていた。
それが一瞬で覆るのを、目の当たりにした。
噂は、事実によって静まるのではない。
ただ、居場所を変えるだけだ。
最終章 僕のこと
掲示板を荒らしていたのは、僕だ。
顔写真を出したのも、僕だ。
町の空気が変わるのを、僕は画面越しに見ていた。
最初に広がったのは、驚きだった。
「え、別人だったのか」
「じゃあ、あの人は無関係?」
その書き込みを読んだとき、胸が締めつけられた。
僕の知らないところで、
別の誰かが犯人にされていた。
僕の言葉が火種になり、
誰かの中で勝手に燃え広がっていた。
そして、本当の犯人がわかった途端、
その火は一斉に向きを変えた。
まるでゲームの駒を置き直すみたいに。
疑われていた彼は、「勘違いされた人」になった。
僕は、「意外な犯人」になった。
意外。
その言葉が何度も繰り返された。
僕は優等生に見えるらしい。
真面目そうに見えるらしい。
悪さをしなさそうに見えるらしい。
だから意外、なのだという。
僕は笑ってしまった。
人は、どれだけ見た目で物語を作るのだろう。
どうして荒らしたのか。
寂しかったのかもしれない。
苛立っていたのかもしれない。
誰かに見つけてほしかったのかもしれない。
理由はいくつもある。
けれど、どれも言い訳だ。
僕は傷つけた。
それは変わらない。
ただ、町の反応を見ていて、ひとつだけはっきりした。
僕がやったことは間違いだった。
でも、僕がやる前から、この町には“犯人を探す目”があった。
誰かが荒らす。
不安になる。
近くにいる“少し違う人”に視線が向く。
みんながうなずく。
それが事実になる。
そして、別の事実が出れば、
みんなで方向を変える。
誰も、自分が最初に疑ったことを深くは振り返らない。
僕は荒らしだった。
けれど、僕がいなかったとしても、
あの町は誰かを疑ったかもしれない。
ネットの向こうに怪物はいない。
現実にも、怪物はいない。
怪物の形をしているのは、
人が抱いた不安と想像だ。
僕はその想像を利用した。
だから、責任はある。
でも、あのとき一斉に覆った噂の流れを思い出すと、
怖くなる。
僕よりも速く、
僕よりも強く、
町を動かしていたものがあった。
それは怒りでも正義でもない。
ただの思い込みだ。
画面を閉じる。
静かな部屋で、自分の顔が暗いモニターに映る。
優等生にも見える。
荒らしにも見える。
見る側が、どう物語を作るかで、
僕の顔はいくらでも変わる。
僕は荒らしだった。
だが、あの町で一番自由に暴れていたのは、
きっと人の想像力だった。




