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百円玉の記憶  作者: 仙道 神明


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2/11

第1話「はじめての旅」

その日、ぼくはデパートの真鍮色のレジの引き出しの中にいた。

生まれて間もないぼくは、まだ硬貨同士のぶつかり合いにも慣れず、袋の中で運ばれた記憶の余韻を、ほんのりと感じていた。


引き出しがカチリと開く。

レジ係の女性の白い手袋が、ぼくをひょいと摘み上げた。

カウンターの前に立っていたのは、スーツ姿の男性。紙袋に包まれた箱を受け取りながら、財布を開けている。


「お釣りでございます」


その声とともに、ぼくは男性の革財布の中へ滑り込んだ。中には古びた五十円玉や、使い込まれた十円玉が並んでいた。


「よろしくな、新入り」


そんなふうに笑われた気がして、ぼくは少し身を縮めた。


財布が閉じられ、外の光は消えた。

代わりに、男性の体温がじんわりと伝わってくる。

これが、ぼくの“最初の持ち主”との出会いだった。


財布の中で揺れながら、ぼくは持ち主の足音を聞いていた。革靴のコツコツという音が、やがて少し柔らかくなった。どうやらカーペット敷きのフロアに入ったらしい。


ふと、漂ってくる匂いが変わった。

バターの香り、ソースの香り、そして揚げ物の油の甘い匂い。そこは、デパートの大きな食堂だった。


やがて運ばれてきたのは、湯気を立てるナポリタンと、氷の入ったグラスに浮かぶ淡い緑色のクリームソーダ。

昼下がりの食堂は、家族連れの笑い声や食器の触れ合う音で賑わっていた。


食事を終えた男性が伝票を手にレジへ向かう。


「八百円でございます」


財布が開かれ、ぼくは指先で摘まみ上げられた。


初めての“支払い”の瞬間。

カウンター越しの女性の手に渡され、チャリン、と音を立てて木製の引き出しへ滑り込む。


そこで休む間もなく、すぐに引き出しは再び開いた。


「お釣りが二百円になります」


ぼくともう一枚の百円玉が揃って、白髪の高齢男性の手のひらに載せられた。

男性は隣の婦人に笑いかけ、「さあ行こうか」と小さく頷く。

二人の足取りはゆっくりだが、手はしっかりとつながれている。


ぼくはその温もりを感じながら、自動ドアの向こうの眩しい外光へと連れ出された。

通りのざわめきとバスの排気ガスの匂いが、ぼくを包み込んだ。


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