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また明日  作者: 梅木しぐれ
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そんなものいらないよ-1




 5月という緑色の時期になったということは、学生にとって定期的にやってくる共通の敵が待ち構えていた———定期考査すなわち中間テストである。

 テスト初日の一週間前から、すべての部活動は休止になり全校生徒がテストに向けて各々勉強に力を入れる。部活に入っていないが、テストに向けて勉強に力を入れるのはあさ子も例外ではない。



「はい。こちらが今回の貢ぎ物になります」

 言葉とともに結は、あさ子の机の上に1本のペットボトルを置いた。放課後の教室で数人のクラスメイトが結の発言に、チラリと二人の方に目を向ける。そのペットボトルの中身はどこにでも販売されている紅茶であった。興味を失ったクラスメイトはまた自分の時間へと戻っていく。ペットボトルを置かれたあさ子は、わざとらしく溜息を吐き出した。

「守久、前も言ったけど勉強を見るのにわざわざいらないよ」

「そうはいかない。お世話になるんだ、せめてこれくらいはさせてくれ」

「………ありがとう」

 声をわずかに弾ませたあさ子は、結からもらったペットボトルを割れ物のように丁寧に鞄にしまった。

「本当に佐藤は紅茶が好きだな」

「別に好きってわけじゃないよ」

「またまた~~~。佐藤の血管には紅茶が流れてても納得するぐらい、紅茶飲んでるじゃんか。もはや血液が紅茶じゃん」

「血液が紅茶て……」

 呆れたような顔をしたあさ子の肩を軽く叩きながら「それじゃあ、どこで勉強する?」と立ち上がるように促した。

「教室じゃダメなの?」

「私が遊んじゃうからダメ」

「守久はどこにいても変わらないよ」

「なんだと!」

「ごめん、ごめん。それで話し戻すけど、どこで勉強するのさ?」

「実はいいところ見つけたんだよね」

「いいところ?」

「まぁ、ついてきな」

 自信満々な結に、あさ子は黙ってついていくことにした。



 辿り着いた場所は喫茶店であった。

 少しだけ寂れた、けれど温かさが滲んでいる一軒家。扉にはopenと書かれた札が吊り下がっていて、営業中であることを伝えていた。

「ここのケーキが最高に美味しいんだ!」

 ——守久がケーキを食べたいだけじゃん!

 結は慣れたように扉を開けた。扉を開けるとカラン、カランと音がなり。店内ではゆったりとした曲調の音楽が流れている。すごく広いわけではないが狭くもない。入ってすぐ目に入るのはにレジとカウンター席が五席、左側にはテーブル席が三卓ある。

「いらっしゃい」

 眼鏡をかけた老齢の男性がカウンターから、あさ子と結に対して軽い会釈をした。落ち着いた、来るものを誰一人として拒むことのない雰囲気に初めて訪れたあさ子も緊張せず、むしろ自室のような安心感がそこにあった。

「テーブル席でもいいですか?」

「えぇ、かまいませんよ」

 結の質問に店主はにこやかに笑い「お好きな席にどうぞ」と二人を受け入れた。あさ子と結は店主にお礼を言い、一番奥のテーブル席で二人は向かい合うように席についた。鞄から教科書やノート、問題集を取り出して勉強の準備を始める。

「ご注文は、もう少し後の方がよろしいですかな?」

「あ、いえ! アイスティーを2ついいですか?」

「かしこまりました。少々、お待ちを」

 流れるような結と店主のやりとりに、あさ子は少し居心地が悪かった。

「守久、ありがとう」

「どういたしまして! それじゃ、今回も佐藤塾お願いします」

 それから二人は黙々と勉強を始めた。結がわからない問題が出れば、あさ子に質問し教わる。交わす言葉は少ないが、それでも二人にとってこのやり方はお互いにやりやすかった。

 間もなくしてアイスティーが運ばれてきた。

「お待たせいたしました」

「ありがとうございます!」

「おや? 失礼ですがお嬢さんたちは、もうすぐテストなのですか?」

「そうなんですよ~~~~」

 店主の質問に結はテストが嫌なことを隠すことはせずに、項垂れつつも肯定した。

「それでは、」

 店主が言葉を紡ごうとしたときに扉が開き、カラン、カランと音が響いた。

「戻りました」

「あぁ、買い出しありがとう」

 若い男性の声に、店主は労るように感謝を述べた。

 あさ子と結は聞いたことのある声に顔を見合わせ、そっと扉に顔を向ければそこには————

「佐藤くん?」

「は」

 あさ子の呟きは、新たに扉から入ってきた男———佐藤良夜の耳にまっすぐ届いた。良夜は黒色のスラックス、白いブラウス、深緑色のエプロンを着ていた。どうやら彼はこの喫茶店で働いているようだ。

「な、んで君たちがいるんだい?」

「なんでって………一応お客さんとして来店してるから、かな?」

 良夜の質問に呆れたように言葉を返した結は、声色の割にその瞳は面白いおもちゃを見つけたかのように輝いている。

「それで? 佐藤良夜はどうしてここにいるのかな?」

「どうしてって、」

 ニヤニヤと口元をゆるませる結に、あさ子はテーブルに身を乗り出し、結の袖を引っ張った。

「こら、守久。茶化す暇があるなら勉強するよ」

「……はーい」

 あさ子の言葉に渋々といった感じで座りなおし、二人は改めて問題集に向き直った。



「ふぅーーーー………ねぇ、そろそろ休憩しようよ」

「ん? いいよ」

 あさ子の返事に結は「やったー」と両手を上に上げ、幼い子どものように喜んだ。その姿にあさ子は目尻を下げ、いつのまにか半分に減っていたアイスティーを口に含んだ。

「知らない間に、もう残りわずかだ………」

「知らない間ってね………飲んだら減るのは当たり前だから」

「……そんなに飲んでた?」

「佐藤、お前その年齢で…………かわいそうに」

 口元を手で隠し「うっ、うっ」と泣き真似をする結を横目に、あさ子はもう一度アイスティーを口に含む。

「気に入った?」

 結は頬杖をつきながら、あさ子を見て笑っている。

「わかってるくせに」

「わかってても、佐藤の口から聞きたいよ」

「なにそのセリフ」

「自分で言葉にして鳥肌立った」

「見て、ほら」と腕まくりをして、あさ子に自身の腕を見せた。

「いちいち、見せなくていい」

「それで、どうなのさ?」

 ニヤニヤと笑う結の顔を鬱陶しそうに見つつも、あさ子の口元は隠しきれないでいた。

「………………とても気に入りました」

「ならよかった!」

 花が咲いたように笑う結の顔を見るのが恥ずかしいあさ子は、顔を下へと向けた。

「気に入っていただけたなら、なによりさ!」

 言葉とともに現れた良夜は、二人が座るテーブルにアイスティーを3つ、ショートケーキを3切れテーブルに置きあさ子の隣に座った。

「ちょっと! なに佐藤の隣に座ってんの? 働けよ」

 良夜の行動に結は眉を寄せた。

「佐藤くん、まだ追加注文してないです。間違えてます」

「間違いじゃないさ! マスターが頑張っている君たちに、ってね」

 良夜の言葉にあさ子の心の隅は、春の日差しが差し込んだ窓際のように温かくなった。

「おい、私のことは無視か」

「そうなんですか? ありがとうございます」

「なに、僕はただ持ってきただけさ!」

「それでも、ありがとうございます」

「……どういたしまて」

 あさ子の言葉に良夜は目を伏せ、微笑んだ。

「守久、休憩を延ばしても?」

「もちろんいいよ。でも、それぞれ3つあるってことは」

 結は冷めた目で良夜を見つめた。視線に気づいた良夜はニコリと笑い口を開いた

「僕もご一緒してもいいかな?」

「いや、断っても意味ないやつじゃん。そもそも着替えてるし」

結の発言によく見れば、彼は確かにエプロンを脱いで学校指定の制服を身にまとっていた。呆れたように出された言葉を了承と受け取った良夜は楽し気に笑う。

「守久ァ!」

「どうした? 急に大きな声出して?」

「このケーキ………」

「お、おう」

「もしかして、口に合わなかったかい?」

 不安そうに眉を下げる良夜と、呆れているのか半目の守久の視線なんて気にならないのか、目の前のショートケーキから視線を逸らすことなくあさ子は口を開いた。

「とても美味しいです!!」

「それはよかった」

 安心したように良夜は息を吐いた。

「まぁ、もし美味しくなかったら佐藤は無言で完食するもんな」

 良夜とは反対に答えがわかっていた結は、あさ子に続くようにショートケーキを口に運んだ。

「そうなのかい?」

 良夜の疑問に頷きながら、結は「うまっ」と感想を溢した。

「佐藤はわかりやすいからな」

「あさ子さん素直だよね」

「そうそう、嘘はつけないし」

「あー、確かにつけなさそう」

「人が黙って聞いていれば……」

「怒った? 佐藤怒った?」と愉快そうに結は笑う。

「私だってダウトできるからなぁ!」

「前も思ったけれど、あさ子さんは怒り方が不思議だよね」

「それじゃあ、明日のお昼休みにダウト対決をしようか」

「望むところだ!」

 あさ子のやる気は満ち満ちている。

「ダウト対決はもしかして僕も含まれているのかい?」

「含まれるに決まってるだろう!」

「決まってたかー」

 あさ子の力強い肯定に、良夜は遠い目をした。

「よーし! 食べ終わったことだし勉強の続きを始めるかー」

「はーい」

「僕も一緒にいいかい?」

「いいですよ」

 二人から三人に増えた勉強会は、少しだけ賑やかになった。



 窓から差し込む温かな光は無くなり、気がつけば人工的な冷ややかな光が差し込んでいた。

「わっ………くっら!」

 結の言葉に、あさ子と良夜は顔を上げて窓の外を見た。窓の外が暗いせいで、窓ガラスに反射した自分と目が合った。

「今日はもうお開きだね」

 良夜の言葉に二人は同意し、家へと帰るために片づけを始めた。

「二人とも、忘れ物はないかい?」

「私は大丈夫。佐藤は大丈夫か?」

「大丈夫、だと思う」

「もし忘れ物があったら、後日僕が学校に持っていくから大丈夫だよ」

「そのときは、よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げるあさ子に、良夜は「顔を上げておくれ」と困ったように笑う。店主は三人が動き出したのを見て、三人に声をかけた。

「お帰りですか?」

「はい! お会計お願いします」

 結の言葉に店主は微笑む。

「お嬢さんたち、実はもうお代はいただいているのでかまいませんよ」

 店主の言葉にあさ子と結は顔を見合わせる。店主はそっと良夜の方に顔を向けて木漏れ日のように微笑むものだから、あさ子と結は一つの結論にたどり着く。

「まさか、佐藤良夜………お前、なのか?」

「なーに、あさ子さんのおかげで分からなかったところも理解できたし。そのお礼さ!」

 ばちこーんと二人にウインクをした良夜を、結は白けた目で見ていた。

「だとしても、申しわけないです。私は言うほど佐藤くんの役に立っては」

「ならこれから、うちの店をご贔屓にしてもらうための初回サービスってことで」

「でも、」

 口を開こうとするあさ子に、結はデコピンをかました。

「イタ!」

「あのな、こういう時は素直に受け取るの!」

 結の言葉にあさ子は、しぶしぶといった感じで首を縦に動かした。

「佐藤くん、店主さん、ありがとうございます。ごちそうさまでした」

 あさ子の言葉に続くように結も「ありがとうございました。ごちそうさまでした」と言葉を残した。

「またお嬢さんたちが、来店してくださる日をお待ちしております」

 店主は眩しそうに目を細め、微笑んでいた。




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