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また明日  作者: 梅木しぐれ
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誰もが一度は願うもの




 あさ子が良夜にできるかぎり分業したいと願ってから、二人は分業できるところは分業して学級委員の仕事をこなしていく。しかし二人が仲良くなっていったかと言えば、別にそういうわけでもなく知人以上、友達未満という距離感を保っていた。



 気がつけば薄桃色は姿を消して、緑色をがじわじわと視界に多く映り込み夏の気配が足元をウロチョロとしていた。

 毎年夏が近づいてくると言われる「異常気象」は5月にも関わらずテレビから聞こえた。今年も最高気温は30℃近くまで上がるらしい。20年ぐらい前なら最高気温20℃ぐらいだったと報じる天気予報士。あさ子は昔より熱くなったなんて思うことはない。だって、あさ子が生まれてから、この緑色の時期は熱かったのだから!

 汗が流れ続ける教室で「まだ夏ではない」という理由から冷房はつけてもらえない生徒たちは、ブレザーを脱ぎ、下敷きをうちわ代わりに扇いでいた。教師たちも汗をぬぐいながら、一生懸命黒板に文字を綴っていく。

 ——暑すぎて死ぬ……。

 あさ子は周りのクラスメイトのようにブレザーを脱ぐことも、下敷きを扇ぐことをできないでいた。目の前の教師が扇ぐこともせずに頑張っているのだから、扇ぐのは失礼じゃないのか? なにより今からブレザーを脱ぐのは恥ずかしいな……我慢できないのもわかる。わかるけど……っとブレザーを脱ぎたい気持ち、下敷きで扇ぎたい気持ちと、己の良心の呵責で眉を顰めた。

 うーん、うーんと悩んでいれば後ろから緩やかな風があさ子の背中に触れた。緩やかな風が汗を撫でて涼しい。ぼんやりとしていた視界が、クリアになっていく。

 ——あれ? 冷房つけたのかな?

 しかし目の前の教師は黒板の前にずっとおり、エアコンのスイッチを押してはいない。生徒だって席を立ったものはない。つまりエアコンはついていない。

 ——嘘だろ……。

 残るのは後ろの席の人がご親切に下敷きを扇いでくれていることになるが、授業中のため振り返ることはできない。でも考えられるのはそれだけだ。

 授業が終わるまで緩やかな風が止むことはなかった。

 あさ子は終わりの号令が終われば、すぐに後ろの席へと振り返った。良夜はあさ子が振り返ることをわかっていたのか、にこやかに笑っている。

「あ、あの!」

「どうしたんだい?」

「さ、さっきはありがとうございました」

「なーに! 特別なことはなにもしていないさ」

 良夜が言葉にしたように、彼がやったことは彼自身からしたら歩くときに足を出すような、そんな当たり前のことのような気軽さがあった。

「それでも! 暑くて死にそうだったから———だから、ありがとう」

「……なら、僕はあさ子さんの命の恩人ってわけだね」

「確かに……そうなるね」

 あさ子の肯定に、良夜は笑みを深くした。

「それなら、命を救った僕のお願い1つ叶えてくれないか?」

「お願い?」

「そうとも! 別に難しいことじゃないさ」

「……私にできることなら」

 断られると思っていたのか、あさ子の返答に右手の小指がピクリと動いた。その事実に本人もあさ子も気がついていない。

「よければ、一緒に昼食を食べないかい?」

「あー……」

 良夜の提案にあさ子は、気まずそうに視線を下げた。

「守……友達と食べる約束してて」

 あさ子の言葉に良夜は「なるほど」と呟いた。あさ子は良夜の反応に喉が渇いていくのを感じた。命の恩人の良夜のお願いを断ることに罪悪感を募らせ、次の言葉に耳を澄ましている。

「図々しくて申し訳ないけど、」

「は、はい!」

 肩をびくつかせ返事をするあさ子に、良夜は困ったように笑った。

「そんなに怯えないでくれよ」

「ご、ごめん……」

「怒っていないさ! もしその友達がよければ僕も一緒にいいかい?」

「え?」

 良夜の言葉にあさ子は固まった。

 ——ボクモ イッショ ニ イイカイ ?

 良夜の瞳に反射した自分は、間が抜けた顔をしている。あさ子の思考は停止した。人はこれを現実逃避という。

「おーい。あさ子さーん」

 あさ子の目の前で手を左右に振る。そのおかげか、そのせいかあさ子の意識は帰ってきた。

「え? 一緒にって、一緒に?」

「そうとも! あさ子さんと、あさ子さんの友人の食事の席にお邪魔したいのだけど———やはりダメかい?」

 こてんと首を傾げ、絹のようにさらりと揺れた髪。悩まし気な眉毛。控えめに微笑んでいる口元。

 ——これは自分の顔の良さを自覚してるな……!

 どんな感想を抱いたところで、人との関りが苦手なあさ子は断るという高度な技を繰り出すことはできないし、そもそも命を救ってくれた手前断ることもしないつもりでいた。しかし、ダメ押しと言わんばかりの良夜の顔の良さにあさ子は心中で白旗を振った。それはもう大きく振った。

「わ、かりました…………にしても顔がいいな」

「わー、ありがとう。それとなにか言ったかい?」

「なにも! 何も言ってない! 言ってないです!」

 不思議そうにしつつも、あさ子の必死の言葉に納得をした良夜は「じゃあ、またよろしくね」と楽しそうに笑った。

 ——顔がいい人は、主人公特有の突発性難聴も装備しているのか……

 謎の感動を覚えつつ、いつも聞こえる誰かの【助けて】が大きく聞こえた気がした。




 あさ子は良夜を連れて、結と約束していたカフェテリアへと向かった。

 昼時だからか生徒で溢れている。あまりの人の多さにあさ子の顔をはみるみる色を失っていく。

「佐藤! こっちこっち!」

 先に来て席を取っていたのか奥の方のテーブルで結が手を振りながら、あさ子の名前を呼ぶ。あさ子は結の姿を確認して右手で答えた。しかし結は溢れる人の波を避けつつ、結の元まで辿り着く自信がなかった。

 —―おぇ……。

 あまりの人の多さに、気持ち悪くなり右手で口を塞いだ。

「あさ子さん、ごめんよ」

「ぅぇ?」

 瞬きの間に溶けて消える粉雪のような囁きに気を取られたとき、空いていた左手が掴まれた。それからひらひらりといつか見た蝶のように人を避けて歩く背中にあさ子は、とにかく足を動かすことだけに集中した。

 無事に席まで辿り着けば、体を支えてもらいながら椅子に座った。

「ふぅ。大丈夫かい?」

 心配そうに眉を顰め、背中をさする良夜に辛うじて「だいじょうぶ」と返したあさ子はへらりと笑った。しかし顔が青すぎて全然大丈夫には見えない。そんなあさ子に良夜は困ったように笑いつつ、一番困っている人に顔を向けた。

「はじめまして! 僕の名前は佐藤良夜。よろしく頼むよ!」

「え? あ、はい。 守久結って言います……」

 困惑を隠さない結はダウンしているあさ子に視線で「説明しろ!」と訴えた。あさ子はただ両手を合わせて「ごめん!」という意味を込め返した。

「ま! 聞きたいことはあるだろうけど、それは食事でもしながら、ね?」

 完全に良夜に流されつつ、各々弁当箱を机の上に広げた。



「ふ~ん。つまり、ブレザーすら脱がずに、馬鹿みたいに耐えていた佐藤を救ったのが佐藤良夜ってわけね」

「……面目ない」

 呆れたように話す結に、あさ子は気まずそうに座っている。そんな二人を見ている良夜は楽しそうだ。

 三人は机の上に持参したお弁当を広げ、楽しい楽しい食事を始めた。

「佐藤は本当にしょうがないやつだな」

「本当にごめんて」

「はぁー……同じクラスだったらな……」

「まだ、それを言うか」

「何回でも言える!」

「わかった、わかったから!」

「もう~~~心配だよ! 大丈夫? 私以外に介護してくれる人いる?」

「介護て……」

 あさ子は白けた目を結に向けたが、結は気付いたうえで「心配だ~~」と騒いでいる。

「守久さん、安心してくれ! あさ子さんのことは大船に乗ったつもりで僕にまかせておくれよ!」

 良夜はふふんと胸を張って笑った。

「え? お、おう」

 良夜の突然の宣言に結は微妙な顔をした。あさ子の耳元に顔を寄せ、小さな声で問いかける。

「佐藤、いつの間にこんなに仲良くなったんだ?」

「それは私もわからない」

「まーでも。そのへんのやつに頼むより安心、かな」

「嘘だろ?」

「だってお前、イケメン……というより人間に興味ないじゃん」

「は」

 理由になっていない言葉に固まるあさ子を放って、結はニコニコ笑っている良夜に向き直る。

「めんどくさい奴だけど、1年間よろしくお願いします」

「僕の方こそ、責任をもって面倒を見ると約束をするよ」

 二人はお互いに深々、それはもう深々と頭を下げた。

「いや! いやいやいや! 本人をそっちのけに何言ってんの??」

 あさ子は抗議の声を上げる。

「自分の面倒は自分で見れますけど!」

 あさ子の言葉に、結と良夜は信じられないという感情を隠すことをせずに溜息をはいた。

「なんだよ、その反応は!」

「いや~~~シャーペンより重たいものを持てないくせに、何言ってんのはこっちのセリフだが?」

「なっ!」

「あさ子さん、そんなに筋力が……」

 憐れみを込めた二人の目に、あさ子の顔はみるみるうちに赤く染まっていく。

「国語辞典だって持てますからぁ!!!」

「え? そこ?」

 あさ子の必死の言葉と、良夜の冷静な言葉に結は声を出して笑う。

「ほ、ほんとっ! 佐藤は最高だな!」

「笑うな守久ァ!!」

 恥ずかしそうに叫ぶあさ子を、慣れたようにあしらう結を見て良夜は口を開いた。

「二人は仲いいんだね」

「は」

「え」

 あさ子と結は良夜の言葉にぴしりと固まった。すぐに復活したのはあさ子だった。

「仲良くない!!………こともないけど! うぎぃ!!」

 自分で言った言葉に恥ずかしくなったのか、あさ子は勢いよく机に突っ伏した。

「二人は中学から一緒だったのかい?」

「私と佐藤は高校からだよ。いやー傑作だったな!」

「何がだい?」

「ん? そりゃ、佐藤が、」

「止めろ! 話すな!」

「話さない、話さない。二人の秘密だもんな」

「あははは! 秘密、か。 じゃあ、しょうがないね」

 あさ子の必死の拒否に結は楽しそうに笑う。良夜は二人のじゃれあいを微笑まし気に見ている。それから間もなくしてチャイムが鳴り響いた。

「おっと、予鈴だね。本鈴が鳴る前に教室に戻ろうか」

 良夜の言葉に二つ返事で返し、カフェテリアを後にした。



 移動教室だったのか急いで走る学生をよそに、あさ子と良夜は歩いて教室に向かう。あさ子はさきほどの食事の席を思い出していた。

 ——今日は佐藤くん、お弁当だったな。前はおにぎり一つだけだったのに。

 チラリと一歩前を歩く良夜を見れば、まっすぐと前を見ていた。その端正な横顔は何を考えているのか読み取ることはできない。

 ——そもそも佐藤くんは私ではないから、わからないことはあたりまえだ。

 それでも誰もが一度は考えたことはあるだろう。相手が何を考えているかわかったらと、もちろん本当にそんなことができてしまったら、できてしまったなら想像するだけで吐き気がする結果を招くことは想像に容易い。

「そんなに見つめられると照れてしまうな」

 その言葉にあさ子はバチリと飛んでいた意識が戻り、良夜の黒い瞳と目が合った。困ったように笑う良夜に、あさ子の顔をみるみるうちに熟れたリンゴのように赤く染まっていく。

「もしかして、僕に見惚れてしまったかな?」

「なっ!?」

 ばちこーんと、ウインクをあさ子に飛ばした良夜はすごく楽しそうだ。

「あ、じゃあ、ここで失礼します」

 あさ子は慣れたように笑い、すたすたと良夜を置いていく。

 ——思わず守久みたいな対応しちゃった!!

 リンゴのように赤く染まった頬は、ブルーハワイのシロップのように青く染まっていく。それでも体は冷静に自分の教室の扉に手をかける。あさ子の肩を誰かがトントンと叩いた。

「はい?」

 返事とともに振り向けば、むにと頬に何かが刺さる感覚。視線を頬にやれば人差し指が頬に刺さっていた。突き刺さる人差し指から腕へ、腕から首へ、首から顔へ。良夜はにやけた顔を隠そうともせず、あさ子の間の抜けた顔を見つめていた。あさ子は、ニコリと笑って良夜の人差し指を握りしめ、曲げられない、手の甲の方へ――――曲げた。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!」

 涙目で声を上げた良夜に、ぱっと人差し指を握りしめていた手を離した。

「まさか、あさ子さんが反撃してくるとは……イテテ」

 良夜は痛みを振り払うように、手首をぷらぷらと振った。

「私だって、やるときはやるんですよ」

 呆れたように言葉を吐き出しながら扉を開け、教室へと入っていく。




「————————」




「なにか言いましたか?」

 本鈴の鐘の音に誰かの言葉が乗っていた気がして、あさ子は良夜に振り返った。

「いや、何も言っていないさ」



 穏やかに否定した彼は確かに笑っていた。




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