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また明日  作者: 梅木しぐれ
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磨り減る硝子-1




 窓からキラキラと射し込む陽光に目を覚ましたあさ子は、起き上がり伸びをした。

 ——一日が始まってしまった……

 今日から本格的に始まる学校生活を思えば、慣れたようにあさ子の口から溜息が零れる。だけど口から出した分をゆっくり吸って腹をくくる。

「がんばれ私、きっと何も起きないさ!」

 自分を慰めながらあさ子は朝の準備に取り掛かる。部屋を出るときに久しぶりに挨拶を、意味もなく、ただなんとなく、声をかけた。

「……おはよう。誰かさん」

 しかし返ってくるのは助けを求める声だけで、たいして期待なんてしていなかったあさ子は困ったように笑い今度こそ自分の部屋を後にした。

茂と幸子と三人で朝食を食べ、同じ中身の弁当を幸子に手渡された二人は「いってきます」と玄関の扉を開いた。




いまだに世界は薄桃色であるが、緑色の世界へと緩やかに変化していく。昨日も歩いた通学路を同じように歩いていく。無事に学校に辿り着けば、相も変わらずあさ子は自分の席で物語を開く。



「やぁ! みんなおはよう!」

 心地いい声に物語から顔を上げれば、後ろの席の男子生徒が爽やかな笑顔とともに登場した。その登場はまるで役者が舞台に上がったかのように見える。

 ——顔のいい人間は、些細な動きでも絵になるなぁ。

 数秒後にはクラスメイトは良夜のもとに集り、あさ子は蚊の鳴くような声で「おはようございます」と返し物語へ戻っていく。しかし、人を縫って自分の席までやってきた良夜は臆することなく、小説を読んでいるあさ子に声をかけた。

「やぁ! 佐藤さん。おはよう」

「お、はようございます」

 まさか名前を呼ばれ挨拶をされると思っていなかったあさ子は、物語から顔を上げてきょろりきょろりと視線を彷徨わせる。

「今日も一日頑張ろう!」

「う、うん」

 辛うじて返事したあさ子に、良夜は満足げに頷いた。あさ子は気恥ずかしくなり口をへの字に閉じた。それから良夜がクラスメイトに話しかけられたのを合図に、あさ子は物語へ戻っていった。




「今から委員会を決めるぞ」

 田沼はめんどくさそうな顔をした。声色もめんどくささが隠れていなかった。いや隠す気もない態度は不快に思うどころか、むしろ清々しくて「仕方がないなぁ」と許せてしまう。

 テンポよく、風紀委員、体育委員、保健委員、美化委員……が決まっていく。この学校では男女一人ずつ選出される。そんなよくある委員会、よくある男女で一番不人気の委員会——学級委員が決まらない!!

 あさ子は最初から我関せずというように、机の下でこっそりと小説を読んでいた。田沼の「誰か学級委員やってくれないか」と問いかける声をBGMにページを捲っていく。あさ子は興味がないことにはとことん興味がない。だけど周りの人間は終わらない時間に、無意識に不愉快さが募っていく。

 凍った湖面が割れるようにピシリ、ピシリと静かに空気が壊れていく教室で田沼は最終手段である「くじ」という単語を音にしようと口を開いたその時——

「それじゃあ! 学級委員は僕と、佐藤さんでやるとしようか!」

「ん?」

 突然自分の名字を呼ばれたあさ子は小説から顔上げた。後ろを振り向けば佐藤良夜はにこやかに笑っている。

 凍った湖面をハンマーで思いっきり砕いた佐藤良夜の一言により、田沼は「それじゃあ、ダブル佐藤でよろしくな」と乗っかることにした。周りの人間もその言葉に乗っかり教室の空気は壊れきることなく、温かなものに戻っていく。

「ダブル佐藤前に来い」

「はーい」

「え? んん?」

 いまだに状況を把握できていないあさ子は首をひねる。

「ほら、佐藤さん行くよ! 立ち上がって!」

「えぇ?」

 困惑しつつも、良夜に言われた通り席から立ち上がり教壇に並んで立った。

「この僕、佐藤良夜と佐藤あさ子のダブル佐藤でやっていくから、どうかよろしく頼むよ!」

「よ、よろしくお願いします……」

 良夜の紹介に続くように、あさ子は頭を下げた。

 ——いや、ちょっと待て? 学級委員になったってこと??

 顔を上げてチラリと良夜を盗み見れば、爽やかな笑顔を振りまきながら手を振っている。あさ子の視線に気づいたのか、良夜が振り返ると同時にあさ子は顔を下げた。




「あっはっはっはっはっはっはっ」

「こら! 守久ァ!」

二人しかいない教室で大きく口を開け、両目に涙を溜めながら豪快に笑う結に、あさ子は眉を寄せ笑うなと意味を込めて名前を呼ぶ。

「いや! これは傑作だよ! 笑うことしかできないって!」

「いや気持ちはわからなくもないけどさ! それでも笑ってくれるなよ。こっちはもう……もう……うん……」

「あらら。そんなにショックだったの?」

「……うん」

 項垂れるあさ子に結は慰めるように背中をさする。

「佐藤はめんどくさいこと好きじゃないもんな」

「そうなんですよ。めんどくさいことはしたくないのですよ」

 まるでこの世の終わりと言わんばかりの態度だ。それに顔が青いを通り越して、もはや紙のように白くなっている。

「うっ……なんかよくわからないほど人気の佐藤くんと学級委員なんて」

「少女漫画みたいでおもしろいからいいじゃん」

「こ、殺される!」

「誰にだよ」

「やりたくない、少女漫画のような展開も求めてない。求めていないんだよ守久ァ!」

 あさ子は勢いよく顔を上げ、結に顔に近づける。結は身体を反らしながら、やんわりとあさ子の肩を押し返す。

「近い近い。にしても、本当に嫌なんだな」

「え? さっきからそう言ってるよね私。あれ? 話しを聞いてない?」

「学級委員が嫌なのか、佐藤良夜が嫌なのかどっちの方が嫌なの?」

「両方同じぐらい嫌ですけど」

「即答すな」

「だって、だって嫌なんだもん! 学級委員やりたくない! 佐藤くんは光属性すぎて、ちょっと近寄ると滅される!」

「め、滅されるって、ちょ、ふふっ!」

 結はとっさに片手で口を塞ぎ笑うのを堪えた。あさ子は結が笑いを堪えているのに気づいていないのか言葉を続ける。

「それにだよ! 『僕が巻き込んでしまったからね。号令や前に立ってなにかすることがあれば僕がやるよ! 大船に乗った気持ちでまかせてくれ! これからよろしく!』って! って! イケメンは心までもイケメンなのか!? うっ! 顔がいい……」

「いや、めちゃ絆されてるじゃないデスカー」

「……佐藤くん自身は嫌いじゃないんだよ」

「だろうな」

「でも、学級委員……」

「佐藤はなんも相談なく無理やり学級委員にさせられたことに怒っているんだろう?」

 結の言葉にあさ子は少し思案をした。

「そ、うなのかな?」

「あと、すべて矢面に立ってやってくれるって言葉を聞いて安心した自分に一番怒ってるんだと思うよ」

「ぁー……」

「佐藤はできるかぎり公平を望むだろう? 君はそう言われてサボれるラッキーとは考えられないんだよ。大真面目だから」

「いや、私は大真面目じゃないよ」

「思っている以上には真面目ですけど! 自覚してくれませんかねぇ」

 あさ子の言葉に結は両頬を限界まで引っ張った。

「いひゃい、いひゃいっへ」

「とりあえず。号令で始まりと終わり二人でやろうって佐藤良夜に言いな。そしたら、佐藤の気持ちは鎮まる」

 結は言い終わると同時に頬から手を離した。

「私は荒ぶる神か何かなのか?」

「似たようなもんだろ」

「ちょっと!」

「とにかく! 明日すぐに言うこと! いいね!」

「わ、かった」

 語気を強くして話す結に押し流されたあさ子は、佐藤良夜に明日話しかけないといけないとう使命からこっそり溜息をついた。

「いやーでも振り回される佐藤は見ていておもしろな!」

「そういうところだぞ!」

「事実だもん」

「もんって……」

 少しだけ引いた顔のあさ子の肩を小突きながら立ち上がった結は窓の外に視線を向けた。後を追うようにあさ子も窓の外に顔を向ける。

「もう夕方か」

「まだ春だからね」

「じゃあ、そろそろ帰りますか」

 結の言葉にあさ子は鞄を持って立ち上がる。二人はじゃれあいながら教室を後にする。

 校門の前で立ち止まった結を怪訝そうな顔であさ子は見つめた。

「急に止まって、どうしたのさ?」

「佐藤」

「ん?」

 結の物々しい雰囲気にあさ子は鞄を持つ手に力を入れる。

「なんで、同じクラスじゃないんだ!」

「まだそれを言うのか」

 昨日と同じことを言う結に、あさ子は呆れたように息を吐き出した。

「はいはい。残念でしたね。また明日」

 置いていくように歩き出したあさ子に結は慌てて叫ぶ。

「佐藤! また明日!」

 あさ子は結に振り返り笑う。

「また明日!」

 軽く手を振って再び背を向けたあさ子に結は呆れたように笑う。

「そういうところ、はこっちのセリフだよ」

 結の呟きはあさ子の背中に届くことはない。


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