ひらりひらり舞い上がるは愚か者-2
校長先生のありがたくも長い話を右から左へ流しつつ、本当に新たな高校生活が始まったことを肌で感じた。
教室に戻れば教師は教卓の前に立ち軽い自己紹介を始める。
「俺の名前は田沼由人だ。担当教科は現国。よろくな」
「たぬたぬよろく~~~」
女子生徒の言葉に次々と「たぬたぬ~」「こちらこそよろしく~」と声が上がる。田沼はとくに怒ることもせず「はいはい、よろしくな」と慣れたように返す。
「それじゃあ、お前ら明日から普通に授業が始まるから忘れずにな」
「えぇ~~~」
「えぇ~~~じゃない。諦めろ」
「ここに時間割と学年予定表を置いておくから帰るときに持ってけ」
「お前ら気をつけて帰れよ」と言葉を残し田沼は教室から出て行った。教師がいなくなれば一気に騒がしくなる教室にあさ子の眉はピクリと動く。
後ろの席からガタリと音がした。良夜はあさ子の横を通って教卓へ向かう。それだけの行動に女子生徒の会話に華やかな花が咲く、一部男子生徒は良夜の後追うように続く。教卓の上に重なった時間割と学年予定表を取りに行ったらしい。
——私も忘れる前に取りに行かなきゃ。
教卓周りに集まる生徒たちに割って入る勇気がないうえに、各々のタイミングで取りに行くクラスメイトの波に乗ることもできないあさ子は小さく息を吐き出した。鞄にしまった小説を取り出し、物語を開く。
読み始めようとすれば、ひらりと2枚の紙が物語を覆う。
「はい、どうぞ」
上から降ってきた言葉に顔を上げれば、にこやかに笑う佐藤良夜が時間割と学年予定表を差し出していた。
「えっと……」
あさ子は困惑のあまり瞳をきょろきょろと彷徨わせる。
「朝は迷惑をかけてしまったからね」
「あっ……いえ……」
「ごめんよ」
良夜は柳のような美しい眉を寄せた。
「あ、ありがとうございます」
小説を閉じて両手で受け取ったあさ子に、ニコリと良夜は笑う。
「どういたしまして! そういえば自己紹介がまだだったね。僕の名前は佐藤良夜」
「……佐藤あさ子、です」
「同じ佐藤同士、これからよろしく頼むよ」
「よ、よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げたあさ子に良夜は苦笑を一つ溢した。
「それじゃあ、僕はこれで。また明日ね」
良夜は自分の時間割を鞄に詰め、扉の前でクラスメイトに向かって挨拶をした。
「みんな明日からよろしく頼むよ! それじゃあ!」
「こっちこそよろしくな!」
「おう! また明日な~」
「よろく~」
クラスメイトの挨拶に手を振って応え教室を後にした。
良夜が出るのと入れ替わるように、一人の女子生徒が入ってきた。
「あさちゃ~~~~~~~~ん」
艶やかな黒髪を靡かせ、目の下の黒子が魅力的な女子生徒はあさ子の名前を呼びながら近づいてくる。そしてあさ子の目の前まで立ち止まる。
「えーん! あさちゃんと同じクラスがよかったよ~~~」
「守久」
「えーん! 寂しいよ~~~。えーん、えーーん!」
「守久」
「ごめんて」
ウソ泣きを止めた女子生徒——守久結はあさ子の数少ない友人である。結の行動にあさ子はわざとらしく息を吐き出した。
「でも佐藤と離れたのは本当にショックなんだが?」
「離れたものはしょうがない」
「そうだけどさ~~。佐藤塾どうすんの?!」
「それぐらい開いてあげる」
「本当?!」
ずいっと顔を近づける結に「近い!」と押し返す。
「佐藤が優しくて助かるわ」
「優しくはない」
あさ子の言葉に結は目を細め笑う。
「ところでさ」
「どうした?」
「本当なの?」
「なにが?」
頭に?を浮かべるあさ子に、静かに顔を寄せ小さな声で言葉を紡ぐ。
「佐藤良夜がいるって、まじ?」
真剣な顔で聞いてくる結にあさ子は冷ややかな視線を送る。
「だって、気になるじゃん!」
「後ろの席」
「え」
「だから、後ろの席がそう」
結はあさ子の後ろの席に顔を向ける。
「……まじで存在するんだ」
「なに、その反応」
「いや~なんだろうね~」
要領を得ない返答にあさ子は「まぁいいよ」と会話を終わらせた。
「それじゃあ行くか」
結の言葉に呆れたように「はいはい」と言いながらあさ子は席を立つ。結は声色とは反対にあさ子の顔が緩んでいることは指摘しないでやることにした。
「守久、早く」
扉の前であさ子は結を呼ぶ。
「ちょっと待ってよ~」
「早く来ない方が悪い」
ぴしゃりと言うあさ子の背を笑いながら追いかけた。
校庭も薄桃色に染まっていた。
春特有の強い風に枝が揺れ、薄桃色は青空に舞い上がりひらひらりと地面を目指す。
「うわぁ! 風つっよ」
風により乱れる髪を抑える結の姿は、どこか学園ドラマのワンシーンのように見えた。
「このあたりでいい?」
「いいよ」
桜の木の下ではなく、少し離れた場所にわざわざ持ってきたレジャーシート敷いて腰を下ろす。鞄の中からあさ子は三色団子を、結はみたらし団子を取り出した。
「いや~お花見日和だね~」
「そうだね」
「コラ、佐藤! もっとテンション上げろよ」
「わーい! 青空がきれいだし、団子もおいしいね! 楽しいね!」
「ごめん、私が悪かった」
わざとらしく声を高くして話すあさ子に、結は真顔で謝った。
「別にいいよ」
二人は目を合わせ、それから声出して笑いあった。
「いや~~でも、さっきも言ったけど本当に離れたのショックだよ」
「本当にさっきも聞いたことだった」
「何回でも言えるよ」
「もういいよ。お腹いっぱいだよ」
「それに後ろの席に佐藤良夜がいるとか」
「いるとか?」
「やばいな」
「語彙力どうした?」
突然の結の語彙力の消失にあさ子は肩をすくめた。
「ね、ね。どうだった生佐藤良夜は」
「ぇー……そうだなぁ」
あさ子は今日のことを振り返るが、言うほど話していなければ緊張のあまり顔もあまり見ていないため記憶にあまり残っていなかった。
「や、優しかったよ」
「それで?」
「え? それで?……」
まだ回答権をあさ子に持たせる結に対して眉を寄せた。
——え、なんだろう……
必死に思い出そうと頑張るあさ子の姿を横目に結はみたらし団子を食べ進めていく。
「佐藤くんがどうのこうのというより、佐藤くんの周りに人が集まるのが怖い」
ポツリと吐き出された本音に結は目を丸くしてから「あっはっはっはっはっ」とお腹を抱えて笑う。
「守久!」
「ごめん、ごめん」
笑いすぎて涙が出たのかハンカチで目元を拭いながら、もう一度あさ子に謝罪をした。
「うんうん。佐藤は人間が苦手だもんな」
「ニンゲン オオイ」
「ゆっくり人間に慣れていこうな~。ほら三色団子お食べ」
ぽんぽんと結はあさ子の頭を撫でて励ました。あさ子はその行為を受け入れながら結に言われたまま三色団子を口へ運ぶ。
「そっちはどうなの?」
「私?」
あさ子の質問に結は口元をニヤつかせた。
「え~~~佐藤は私のこと心配してくれるの~~?」
わざとらしく聞いてきた結にあさ子は首を縦に動かした。
「え? まじ?」
「心配はしてる……でも、たぶん、いや絶対に私よりは大丈夫だろうけどさ!!」
最後の方は恥ずかしくなったのか、やけくそ気味に叫んだあさ子は残りの三色団子を一気に食べ進める。
「本当に佐藤……お前ってやつは」
「なんれふか?」
「いや、なんでも。つーか口に入れたまま話すな」
あさ子が一生懸命口をもぐもぐと動かしている姿を見て、結は何度目になるかわからない「佐藤とクラスが離れた」という事実にショックを受けた。
薄桃色の世界で少女が二人、別れの代償に新たな出会いを与えられた。
悲しみ、寂しさ、そして少し恐怖を胸の奥にしまいつつ、誰もかれもが浮足立つこの瞬間を二人で楽しんだ。