私立白百合女学園の戦争
キーンコーンカーンコーン――――
午前中の授業の終わりを告げる鐘が鳴り響く。
空腹に苛まされる四限目の体育という試練を乗り越えた生徒達は、我先にと校内へと駆け戻り、更衣室へと吸い込まれて行く。
「つかさー、四限目に体育とか、マジアホじゃん?」
「分かるー! もうお腹ペコペコ過ぎてつらみー。」
「香織は? 今日は学食?」
「うん、お弁当忘れちゃって……綾子は?」
「ウチも学食ー! あーこれで五限目は公文っしょー? 空腹の次は眠気との戦いだっつーの。やってらんねー!」
「あはは……。田中先生の授業はお経みたいだからねぇ〜。」
今年度末には大学受験を控えた女子生徒達が、思い思いの話題に花を咲かせている。
女子しか存在し得ないその更衣室の中は、肌色と黄色い声、そして色とりどりのランジェリーでまさにお花畑のようだ。
「ヤバっ! 早く行かないと限定のナポリグラタンセットが売り切れちゃう!!」
突然、綾子と呼ばれた女子が壁に掛けられた時計を見るなり、絶叫に近い声を上げる。
「香織! どうせあるか無いか分かんないようなオッパイなんだから、秒で着替えてよ! ホラ早くぅ!!」
「うええ!? あるか無いかは余計だよお!!」
綾子に軽く中傷された少女……香織は、慌てふためきワイシャツのボタンを止め、ブレザーを被って後に続いた。
学食は、戦場の様相を呈していた。
「それアタシの焼きそばパンなんですけど!?」
「知らねーし! あーしが先に手に取ったし!!」
「おばちゃん! あたしラーメン定食! 麺バリカタで!!」
「そんなのは街のラーメン屋で頼みな!!」
飢餓地獄ってこんな風なんだろうなーと、その風景にこの世の地獄を投影しつつ、香織は頼れる綾子の制服の裾を摘みながら恐る恐る学食へと足を踏み入れる。
「ほら、行くよ香織! キョドってても良いメシはやって来ないんだからね!! これはケンカ……いや、戦争なのよ!」
「ま、待ってよ綾子ぉ〜っ!」
摘んでいた手を強引に引かれ綾子に引き摺られるようにして、香織は生徒でごった返す注文カウンター前の荒波へとダイヴした。
「ちょっ! 通しなさいよ!!」
「うっせーブス! あたしが先だっつーの!!」
「イタッ!? ちょっとアタシの足踏んだのどいつよ!!?」
「おばちゃん、あーしカレーセット! 辛さ4辛で!!」
「だから街のカレー屋で頼みなッ!!」
黄色い声に時折ドスの効いたおばちゃんの声が混じり、入口で聴いていたのとは比べ物にならないほどの喧騒に、もみくちゃにされる香織。
「あーっ!? ナポリグラタンセットが売り切れてるッ!? マジありえないんですけど!!」
「ご、ごめんね綾子、わたしが鈍臭いから……!」
「あーいいって! 香織は気にすんじゃないよ。どーするべ? コスパ重視でパン狙いにする?」
「う、うん。わたしはそれで良いよっ。」
綾子の標的はどうやら完売だったらしく、魑魅魍魎もかくやといった人混みの中を、二人は人を掻き分けパン売り場へと移動して行く。
「ナポリタンパン獲ったどーッ!!」
「ハムカツサンドは!? あたしのハムカツサンド取ったの誰よ!?」
「コッチも戦場だわねー。ほら香織! マジで行かないと何にも買えないよ!」
「う、うんっ! わたし、頑張るね!」
「よし、よく言った! ウチはアッチの惣菜パン狙いだから! 先に席も取っとくよー!」
頭を撫でられてから綾子と別れた香織は、意を決してサンドイッチコーナーへと進んで行く。
「あ、タマゴサンド……!」
「何よアンタ! それアタシが先に目ェ着けてたんだからね!」
「ご、ゴメンなさい!」
「ちょっと! モタモタしてないで買わないならどいてよ!!」
「あうっ、ゴメっ……キャッ!?」
「邪魔なんだよドブス! あーしの方に寄って来ないでよッ!!」
「あっ、イタッ、痛いいたいッ!!」
しかし決心虚しく香織は、生存競争の厳しさに文字通り打ちのめされてしまう。
人混みに足を取られ、突き飛ばされた挙句転んでしまった香織は、必死で人混みから脱け出し身体を起こそうとするも、次から次へと押し寄せる人の波に押し戻され、蹴られ、また突き飛ばされる。
「ちょっと!!! 人が転んでんのに何やってんのよバカ女共!!!」
喧騒を押し退けるほどの大音量の声が響いた。
その声の主は、シンと静まり返った群衆を押し割って入り、髪をグシャグシャにして膝や肘を擦り剥いてしまっている香織の傍まで近付いて行く。
それは、さっき別れた綾子だった。
「香織、大丈夫!? うわっ、擦り剥いてんじゃん!? 立てる? 保健室行こ!」
「え、綾子……ゴメン、わたし何も買えなくて……!」
「バカっ! ケガしてまで無理すんじゃないわよ!? まあ人が転んでても気にしない奴らよりはマシだけどさっ!」
群衆を睨み付けて退かす綾子。
さながら海を割るモーセの如く、香織に肩を貸した彼女の前から人が離れ、道を譲っていく。
なんとか保健室に辿り着いた香織は、綾子にベッドに座らされる。
養護教諭はどうやら不在のようだ。
「そーいやさー、お母さんが子供の頃は、【赤チン】とか【ヨードチンキ】とか、ワケわかんない名前のキズ薬があったんだってさー。マジウケるよね?」
「う、うん……。あの、あ、綾子っ!」
棚から手際良く消毒やガーゼ、絆創膏を見つけ出し、応急処置の準備を進める綾子。
香織はそんな彼女へと、おずおずと声を掛ける。
「あん? どしたー香織?」
「あの、あのね! さっきはその、あ、ありがと……! そのっ、カッコよかった……よ……?」
顔を真っ赤にした香織は、モジモジと俯いてしまった。
綾子は処置道具をベッドに置いてから隣りに座り、そんな香織の肩を抱いた。そして自分の頭を、コツンと香織の頭に軽くぶつける。
「バカっ。ウチの大事な香織だもん。助けるに決まってるじゃん。」
「うん……。綾子、大好きだよ……」
「バカっ。ウチもだし。」
キーンコーンカーンコーン――――
「あ、昼休み終わっちゃった……」
「げえー。空腹のまま田中の公文なんてムリゲーだから! いいや、ココでサボっちゃお? ウチのパン分けて上げるから、一緒に……さ。」
「え、ええー? い、良いのかなぁ……」
「いーのいーの! それとも……香織は、ウチと一緒に居たくないの?」
「うう……綾子のイジワル……!」
「はぁーっ! 香織ってマジかわいすぎ! このっ!」
「わきゃっ!? いた! 痛いよ綾子ぉ〜っ!」
「おっとー、ゴメンゴメン〜っ!」
午後の授業が始まり、それぞれの教室で生徒が眠気と戦っている中。
養護教諭の居ない保健室にだけ、楽しげに百合の花が咲いていたのであった。
ここは私立白百合女学園。
文武両道を旨とした、うら若き乙女達が通う花園である。
今日も、また何処かで百合の花が揺れている。
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