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第一章 ボリビア・ダナムの場合 その1


第一節


「やめときな。オススメしねえぜ」

「へっ!格好つけんじゃねえぞこのクソジャップが!」


 目の前の皮ジャンに金属部品をジャラジャラ鳴らす目の血走った男が拳銃を向けてくる。

 ここはアメリカ、ニューヨークの繁華街から若干離れたスラムになりかけの街の路地裏である。


「おいおい、そんなもん食らったら死んじまうぜ。勘弁してくれ」


 両手を軽く上げて冗談めかして言うシンことシンタロウ・オガタ。

 当然ながらこの章における会話は英語で行われている。


 さて、銃を出した瞬間撃ってこなかったってことはまだ交渉の余地があるってことだろうか。

 あいつとの距離は約7~8メートル。

 素人の、ライフルならともかくハンドガンではまず当たらない。

 完全に視認できないがリボルバーではなくてオートマチックだから最大13~15発くらいは撃てる。

 巨体に似合わない小ぶりなそれだからサタデーナイト・スペシャル(*)だろう。

(*主に土曜日の夜に押収されることが多かったためそう呼ばれる安物の粗悪銃)

 とはいえ、当たり所が悪ければ大怪我に繋がるのは間違いない。

 例え狙ってる相手に当たるかどうかよりも、暴発の方を心配した方がいい鉄砲だってとしてもだ。

 更に一人ならともかく、他人をかばいながら…ってことになると…ね。


「あ…ああ…」


 背後のブルネット美女はシンの手に(すが)り付く様に震えている。


「もう一度言うぜ。そのまま回れ右して帰んな。今日の上がりは以上だ」

「うるせえええ!」



第二節


 咆哮と共に鉛玉が飛んで来てもおかしくなかったんだが、それもなかった。

 からの拳銃で脅しか?

 …賢いやり方ではあるが、ちと無謀だ。


 ふと背後に気配を感じた。

 可能な限り前方への注意をしたまま後ろを覗きこむ。


 そこには同じくパンクなストリートギャングファッションの男が腰を落として立っていた。

 腰だめ…ってことは。


 背後の男がバレル(銃身)を上向きにして尺取り虫みたいに手前に引っ張った。ポンプ音!間違いない。ショットガン(散弾銃)だ!

 これはマズい。

 ショットガンは適当に撃ってもかなり広範囲に弾丸をばら撒くのでとにかく当たりやすい。事実背後男はちゃんと狙わず腰だめに構えている。

 単発の威力と射程距離はライフルには全く適わないが、この距離なら効果は絶大だ。

 一瞬にして二人ともひき肉にされる…ほどの威力のあるショットガンを場末のギャング小僧が持っているとも思えないが、流石にこれはマズい。

 唯一の救いはこいつの火線上にサタデーナイト・スペシャル男がいて実際に撃てば同士討ちになることくらいだ。


 シンの判断は早かった。

 ブルネット美女を「お姫様抱っこ」で抱え上げると同時に、一瞬左足を踏み出し、次の瞬間右側に飛んだ。

 轟音がしてショットガンが発射される。

 極端なフェイントを掛けたお蔭で最初の一撃を綺麗に交わす。そしてシンは狭い路地の壁を蹴って空手で言う「三角飛び」の体制で背後男に飛び蹴りを叩きこんだ!


「ぐああっ!」


 背後男は吹っ飛ばされて転がった。



第三節


 ショットガンは威力は絶大で接近戦では圧倒的な強さがあるが、一発撃つごとにポンプして装填しなくてはならない。

 これがサブマシンガンでフルオートされていたら流石のシンもひとたまりもなかっただろう。最も、アメリカ国内においてすら流石に「戦争」でしか使わないであろうフルオート(全自動連射)機能を持つ銃は市販されていないのだが(セミオートなら販売可)。


 銃声がした。


 距離が離れた形となったサタデー男がこちらに向かって何発も発砲しているのだ。


「伏せてて!頭を上げるなよ!」


 そう言ってブルネット美女を服が泥だらけになるのも構わず地面に押し付ける。

 状況にもよるが、銃声がしたならばまず第一にすべきは「伏せる」ことである。目標が小さければ小さいほど当たりにくい。

 単純な真理だ。

 シンは偶然目についた握りこぶしの半分くらいの大きさの石を手に取るとサタデー男に向かって投げた。


「うおっ!」


 銃声が明後日(あさって)の方向に飛ぶ。咄嗟に無駄弾を発砲してしまったのだろう。

 距離にして約10メートル。

 シンは一瞬にしてその距離を詰めると、銃を叩き落とし、柔道で言う「体落とし」(大外刈りに似た技)でひっくり返した。


 周囲を見渡す。

 一応制圧と言ってよさそうだった。


「て、テメエ!よくも…」

「へたくそな腕前だ。転職を薦めるぜ。ウェイトレスとかな」

「あんだと…?…え?ええええええええーっ!?!」


 ぐいっと手を引いてサタデー男を立たせるシン。

 だが、その姿は変わり果てたものだった。


 きゅっと切れ上がったハイレグに妖艶な網タイツ。ワリバシみたいなピンヒールの表面がぬらぬらと黒光りしている。

 折れそうに細く引き締まったウェストと、半分しかカバーしていない豊かなバストとむき出しの腕…。

 ため息の出そうな美しい金髪ブロンドが流れ落ち、首の蝶ネクタイと頭の大きなうさぎの耳を模したカチューシャが特徴的だ。


 …凶暴なギャングだったサタデー男は一瞬にして(なまめ)かしいバニーガールになってしまったのだ!



第四節


「あ…あ…ああぁ!??」


 自らの細く長く美しく、そして血の様に真っ赤に塗られたマニキュアに彩られた指で自らの大きく露出した乳房を撫でるバニーガール。

 パッチリ決まったケバくなる寸前のメイクが鮮やかだ。


「なんだぁ!?オレの…か、身体が…」


 その声も女性のそれだった。


「ぼーっとしてんなよ。ほれ!」


 網タイツとストレートの肌色ストッキングに包まれたヒップ…お尻がざらざらざらっ!と生暖かい手で撫で上げられた。


「きゃぁっ!」


 思わず苦悶と恥辱の表情で身体をひねって飛び上がる新米バニー。

 ガキキ!とハイヒールが地面を噛み、(くじ)けそうになる足首を踏ん張ってようやくこらえた。


「あー、続けて襲われると適わんからとりあえず性格も表に出る分にゃ大人しくしといたから」

「え…あ…あ…」


 照れて頬が紅くなる…かと思いきや折角の口紅の上からでも分かるほど血の気が引いてガタガタと震えはじめる美女。

 ま、無理も無かろう。


「じゃ、あばよ!」


 シンは取って返すとブルネット美女のところに一瞬にして走り寄った。



第五節


「大丈夫ですか?」

「ええあの…」


 さっきの光景を目撃していたらしい美女は茫然としている。


「ここは危険です。良かったらすぐに移動しませんか?」

「え…あの…」


 シンは返事を待つ前にうつ伏せになっていたブルネット美女を抱き起すと再びお姫様抱っこに抱え込んで走り始めた。

 視界にはあられもない姿で腰をひねり、まるで脚線美を強調するかの様にバニーガールが倒れている。

 先ほどの背後でショットガンを構えていた男の変わり果てた姿だ。

 当然ショットガンは影も形も無く、お盆とカクテルグラスの破片が散乱している。

 こうでもしないと撃たれていた。いや、実際撃たれたのだ。だから蹴り飛ばしただけで目一杯発動してしまった。これもまた「メタモル能力」が護身術である証明と言える。


 こんな治安の悪い街のど真ん中で「裸よりもいやらしい」とされるセクシー衣装に身を包んだ身寄りのない美女として放り出されたあの連中がどうなるか…簡単に想像は付くんだが、こっちは殺されるところだったのだ。

 専守防衛ってことで。


~数分後~


 スタッ…っと小気味のいい音がして地面にブルネット美女のハイヒールが着地した。


「失礼」


 さっきの場所よりずっとマシな繁華街である。周囲をビジネスマンとシティボーイ・シティガール(死語)が半々の比率で行き交っている。


「服を汚してしまってすいません」


 確かにブルーのスカートスーツは石畳の地面に貯まっていた泥に汚れている。

 だが、シンがいなかったらこれが血まみれの穴だらけになっていたであろう。


「いえ、そんなことは…ありがとうございます」

「駄目ですよあんなとこ歩いてたら」



第六節


 とはいうものの、シンは結構ドキドキしていた。

 不可抗力とはいえ、女性を地面に引き倒し、抱え上げて背中やら尻やらを触ったのだから。

 日本の刑法でいう「緊急避難」的なセクハラってことになる。

 普通は助けてもらって感謝する局面だが、訴えられる可能性だってゼロじゃない。

 シンは背後に腕利き弁護士がいる有難さが身に染みた。


「あなたは命の恩人です。有難う」

「いやまあ…あはは…」


 ブルネットの髪に若干筋肉質の身体つき、肌も浅黒いが間違いなく白人の美女である。瞳も良く見るとブルーが入り込んでいる。


「ニーナ・ファーンズワースと言います。これ名刺です」

「どうも」


 顔写真の入っていない名刺で、何やらごちゃごちゃ書いてあるが良く分からない。

 それにしても詩人か作曲家みたいな大仰な名前だ。いいところのお嬢ちゃんなんだろうか。


「ちょっとブティックに入りたいんだけど…いいかしら」

「え?…ああ、そりゃもう」


 何しろその汚れの服では目立つだろうからな。


「その後で一緒に食事でも如何です?せめてお礼を」

「オレは別に…それに日も高いけど、仕事は?」

「ああ、それなら大丈夫」

「そりゃまたどうして?上司に報告とか」

「必要ないわ」


 そう言って微笑むニーナ。


「私、社長だから」



第七節


「似合うかな?」

「とても」


 普通こういう場合は目一杯のデートルックになって登場!しそうなもんだが、ニーナは泥だらけになった格好よりも更に地味なパンツスーツ姿だった。

 そして、入り口でカードを掲げると空気が薄くなりそうな高い高い階にふんぞり返っている高級レストランに颯爽(さっそう)と入って行く。


 トンだセレブと関わりを持ってしまったらしい。


「どうしたの?遠慮しないで」

「遠慮はしないが・・・随分高そうだ。300ドル(約3万円)のステーキが出てきたりしないよな?」

「あら、そんな安物でいいの?」


 シンは肩をすくめると、慇懃な執事みたいな奴に勧められるまま着席した。

 お決まりのワイン選びの儀式が行われる。

 こちとらビール党でクルマのローンが払えそうな高級酒なんぞ縁が無いので全部ニーナに任せた。

 全て揃ったところでグラスを上げるニーナ。


「何はともあれ、ありがとう。本当に助かったわ」

「どういたしまして」


 グラスが接触し、チーンと音を立てる。

 シンもわきまえていて、一気に飲み干したりせず軽く口を付けるだけにする。


「…あら?もっと一気に行ってもいいのに」

「そう()かすなって。野卑な生まれを悟られたくなくてね。高級酒は味わうもんだろ?」

「ふ~ん」


 ニーナはグラスに注がれたワインを煽った。

 流石にグビッ!グビッ!という音などは立てないが、ゆっくりとはいえ一気に飲み干す。


「…ふぅ!美味しい!」



第八節


「こりゃすごい。酒豪だね」

「あなたも飲んでよ。グラス開いてないわよ?」

「だから()かすなって。オレは回りやすい方でね。じっくりちびちび行くよ」


 シンは軽くグラスを傾けて唇を濡らすよりは多めに口に含んだ。

 どんな高級なワインなんだかさっぱり分からんが、刺す様な刺激があってザラつく。


「…独特の味だね」

「でしょ?これがいいのよ」


 美食家グルメとやらの考えることは分からん。こちとらフォアグラもキャビアも取り立てて美味いとは思わん。フカヒレは美味いが、あれってスープの味だよな。

 舌をかみそうな名前に何年ものだかなんだか言ってるが、こんなワインとやらよりもセブンアップやコーラの方が飲みたいんだが。


「で?シンは何しにニューヨークに?」

「さっき言わなかったっけ?旅人だよ」

「ホーボー(放浪者)ってこと?」

「まあ、そんな様なもんさ」

「で、何するの?」

「人助けだよ。さっきみたいな」

「スーパーマンみたいね」

「そうかもな」


 スーパーマンはレックス・ルーサーと戦うばかりではなく、しょっちゅう街中で事故に巻き込まれそうな人を救ったりもする。

 ただ、あれはどう考えても偶然目についた人を救っているだけだ。

 あれで世界平和を成し遂げた積りなんだったら随分と能天気な価値観だ。


「ねえシン。でも人助けなら、ああやって自警団みたいにうろついてても助けられる人数は知れてるわよ」

「そうかもな。でもこちとら良寛さんで結構」

「リョウカンさん?」

「日本の高僧だよ。乱暴にいえばスケールの古いキング牧師みたいな」

「良く分かんないわね」



第九節


「大勢の人間を救いたいんならそれは国とか地方自治体の仕事だろ?道路作るとか病院作るとか」

「でも不十分だわ」

「外国人の分際で他所(よそ)様の国政に口出したりはしないよ」

「そういう仕事に興味ない?」

「全く」

「無いの?」

「ホーボーにする話じゃないね」


 にやりとしてワインを煽るシン。…やはりちっとも美味くない。


「ジョン・レノンは世界を変えたわ」

「大金持ちだけどね」


 マズい雰囲気になってきた。割とヒッピーよりな美女だったのかもしれん。その割には成金っぽい趣味だが。


「でも、政府は腐ってるわ」

「どんな国でも同じさ」

「少なくとも業界団体の操り人形の政府より、心ある企業の方が社会貢献出来るわ」

「石油ショックやベトナム戦争起こしたりとかね」


 ニーナが黙り込んだ。

 流石に煽りすぎたらしい。


「…悪かった。ちとアルコールが回ったみたいで」

「いいわ。あたしもそういう大企業は嫌いよ」

「…もしかして会社ってその為にやってんの?」

「ええ」


 当たり前じゃない…というくらいの口調で言った。

 だったら目の前のクソ高いアルコールの分だけ送金してやればいいじゃないか?…と言いかけてやめた。一応ごちそうしてもらってる訳だし。


「とにかく社会貢献よ。それも「対処療法」じゃなくて根本的な解決を目指すの」

「というと?」

「あなたがやってるガーディアン・エンジェルみたいな行動よりもより大きな解決を目指すの」


 ガーディアン・エンジェルとは武器を持たない自警団で、治安向上のため見回りを主な任務とする。


「…それは分かったけど、具体的に…どう…するんだよ」


 シンの意識がもうろうとしてきた。


「…どうしたの?シン」

「…分からん。矢鱈(やたら)と眠くて…な」


 最後に何を発したのか覚えていなかった。



第十節


 ふと目が覚めると、冷たい床と硬い枕が身体と顔に当たっていた。


「…!?」


 ガバリと起き上がる。

 …ここは…?

 ブルネット美女と高級レストランで食事をしていたはずだが…。


 灰色一色の部屋だ。

 一面には大きく鏡が張ってある。

 縦1メートル強、横2メートルはある。

 4畳半ほどの広さに真ん中に机が固定されて置かれており、椅子も揃っている。

 そうだ、刑事ドラマで良く観る尋問室そっくりなのだ。


 枕にしていたのは自分の荷物だった。

 慌てて中身を確認する。


 手は付けられていない。カードも…現金すらそのままだ。

 退屈しのぎに入れていた日本語の文庫と英語のペーパーバッグもそのまま。…唯一スマートフォンだけが無くなっている。


 立ち上がってうろうろするシン。

 一応入口のドアノブを回してみる…が、やはり施錠されているらしい。


 …力任せに捻れば破れるだろうか?


 いや、それを試すのはもう少し待とう。

 突如スピーカーから声がした。


『あーあー、マイクのテスト中。本日は晴天なり』



第十一節


 ちなみに「本日は晴天なり」とは英語だと「It's fine today.」であり、マイクの状態を確かめるためにキーになる発音が全て含まれているために使われる慣用句である。

 なので日本語で「本日は晴天なり」などと言っても何の意味も無いのだが、そのまま翻訳されて使われているマヌケな例である。

 当然この場合は英語なので問題無い。


「…」

『おはよう(グッド・モーニング)、シン。余りグッドじゃないかもしれないけど』


 ニーナとは違う声だった。


「…」


 周囲を見渡すと、隅にカメラがあった。

 あそこから観てるか…壁のでかい鏡はマジックミラーだろう。つまり、向こう側からはこっちは丸見えな訳だ。


『先に言っとくとそこの鏡は確かにマジックミラーだけど、大統領専用車にも使われる防弾仕様だから。至近距離で迫撃砲グレネーダー食らってもヒビも入らないんでその積りで』


 先手を取られたらしい。

 だが、片方からだけ完全に光を通し、片方からは完全に光を遮断することは不可能だ。

 あれは両方の部屋の照明の加減も作用する。つまり、向こう側は暗く、こちらが明るい訳だ。

 なので間近で凝視すればこちらからあっちの部屋のことが少しは見える…はずだ。


「こっちの声は聞こえるのか?」

『ええ。とってもね』

「正体を聞いても?」

『本気にしてくれると約束するならね』



第十二節


 考え込むシン。

 さて困った。

 生まれてこの方、これほどの生命の危機に陥ったことは初めてだ。

 恐らくあのクソマズいワインに一服盛られたってところだろう。どうも妙な味だと思ってたんだ。

 となるとニーナも一味ってことだ。


 しかし…。


 少なくともこの組織はオレを殺そうとは思っていないってことか。

 気絶していた間に幾らでも出来ただろう。


「相手の顔が見えないまま会話ってのも気持ちが悪い。声を聴く限り女性みたいだがこの部屋に来てはくれんかね」

『残念だけど遠慮するわ。プロポーションに自信ないもの』

「…なんだって?」

『あなたに会うんなら、今よりダイエットしてもっと無駄毛処理しないとね』

「そりゃ一体どういう意味かな?」

『とぼけても無駄よ。プレイボーイクラブの勧誘員さん』


 …知ってやがる。こっちの能力をだ。

 ただ、女は性転換はしないが肉体は変わる。幼女や老婆に掛けてもやはり妙齢のバニーガールになるだろう。

 調査は完璧って訳には行ってないらしい。


「そこのカメラでいいのか?」

『ええ』


 シンはカメラ目線で続けた。



第十三節


「今オレが出してるのは?」


 シンは鏡から左手で隠すようにして所謂(いわゆる)「Vサイン」を出した。


『指が二本立ってるわね』


 どうやらあのカメラが生きている様だ。一応赤いランプが点灯はしているがそんなもの信用ならん。


「マイクの感度はかなりいい…のか?」


 最後の方を(わざ)と小声にしてみる。


『とてもいいわ』

「…じゃ、聞こう。オタクらは誰だ」

『FBIよ』


 沈黙。


「…何だって?」

『FBI。フェデラル・ビュウ・インベスティゲイション。連邦捜査局』

「…あの、映画では何の役にも立たない」

『そうよ。毎度ザコ扱いのあそこ』


 冗談の分かる女性らしい。

 しかし何だって?FBIだと?


「連邦犯罪を犯した記憶は無いんだが」


 FBIは日本で言うと「警視庁」みたいなもので、県警レベルで対応できない広域・県境をまたぐ犯罪などを担当する。

 連邦犯罪とは国境・州境を越える犯罪やニセ札事件などだ。と言うかそもそもFBIが誕生したのは「ニセ札事件」に対応するためだった。



第十四節


『まあ、ある意味そうかもね。でも、あたしたちの担当ってわけ』

「マフィアや闇組織じゃ無いわけか」

『ええ。ちゃんと看板掲げて営業してるわ』

「ってことはちょっと手荒な任意同行ってところか」

『まあね』


 相手が公的組織ってことが分かったのは有り難い…と言いたいが事態が余り好転している様な気がしない。

 こっちの能力を把握してるってことは…最悪このまま人体実験されちまうってことも…。


『心拍数が上がってるわよ。緊張しないで』


 そんなことまでお見通しかよ。


「警察手帳が見たいな。見る権利あるだろ?」

『残念だけど…』

「だったら黙秘する。あと弁護士呼んでくれ」

『あてはあるの』

「あるぜ」

『悪いけど外部への連絡は当分禁止ね。心配しなくてもあの高そうなスマートフォンは壊さず保管してあるから』


 ここで逆上しても仕方がない。

 要するに通常の逮捕じゃないってことだ。だから裁判のことを考えて弁護士を間に入れることも許可しない。

 外に通じる窓が一つも無い。

 最悪、ここがグァンタナモ刑務所だったとしてもシンにそれを知るすべは無い訳だ。


「オレは美味くないぜ。雑食だからさ」

『とって食べたりはしないわ』

「何故こんなことをする」

『落ち着いて。あたしたちは話し合いたいだけなの。でも、危険性が高いので仕方なくこういう方法を取らせてもらったわ』



第十五節


「話し合い…ね。それならミサイルでも撃ち落とせそうだ」

『何ですって?』

「国内の話さ。ともかく、この監禁状態で何を話し合うってんだ。今夜のツーリングの予定か?」


 しばし間があった。


『…違うわ。あなたについてよ』

「求婚なら間に合ってるぜ」

『自分で準備出来るからかしら?』


 シンが男を女に出来るところは間違いなく知ってる。ついでにバニーガールの衣装を着せ、メイクまで施してしまうことに関しては…一応知ってはいるらしい。


「…どう…かな」


 シラを切ることに意味があるかどうかは分からない。

 シンはこれまでジョーとリチャードには話したが、それ以外だとダニーに話した位で…あとは有象無象の被害者たちってことになる。


『心当たりがあったら教えてね。少し前のテキサスで、一件のバニーズ・バーの経営者および従業員が軒並み失踪したの。何故か男だけがね』


 …メグやキャシーたちを助けたあの一件だ。闇社会とはいえ多少の地位の高い人間をやっちまったからな…。


「そりゃご愁傷様だ(アイム・ソーリー)」

『失踪と同時に同じ人数のバニーちゃんたちが就職したの。心当たりあるかしら』

「分からないなあ」



第十六節


『その数日後になるかしら、ベガスでポーカー・チャンプのジョー・キングが行方不明になったわ』

「ベガスだからな。勝ちすぎたんじゃ?」

『いつの時代の話してんのよ』

「今は違うのか?」

『勝ちすぎたら埋められるなんてのは都市伝説よ。イカサマでカジノ潰すくらい抜けばあるかもしれないけど、そもそも普通のお客はそんな勝負そのものをさせてもらえないわ』

「悪いが…知らんね」

『ジョーが行方不明になる直前にフロアで乱闘騒ぎがあって従業員一人が行方不明。その上…ジョーはこともあろうにバニーガール姿に女装してバニーガール相手にカードゲームをしてたって目撃証言もあるんだけど』


 やはり“女装”に見えちまったか…、まあ覚悟の上だが。


「相談する相手が違うぜ。女装が趣味だったんじゃ?」


 ジョーには悪いが、どうにかはぐらかす方向で頑張ってみる。


『また、この所ハーバードの学生が立て続けに行方不明になってるの』


 ダニーの仕業だ。といっても過去の事例についてだろう。今はもう野良性転換からは足を洗っているはずだ。


「人類にとっての損失だな」


 適当に受け流す。



第十七節


 しばし沈黙。


『一応言っとくけど、我々FBIはあなたの味方よ』

「味方?監禁しておいてか?」

『もしもあなたが私たちの立場だったらどうする?触れただけで相手をバニーガールにする相手と素面しらふでノーガードで話し合うのが賢明かしら?』

「こちとら暴行魔じゃないんだ。辺り構わずそんなことばかりしてねえよ。大体オレはどうやって人と握手すんだよ!」


 メタモル能力は一般人相手に発動するには「自分の身を守らなくてはならない」シチュエーションがなくてはならない。

 殺されそうな状況に陥って初めてその相手に発動できるのだ。

 だからそうでない状況で人と接触しても何も起こらない。

 でないと寝返りを打ったところに人がいたらバニーガールにしてしまうことになる。


『…それよ。それを…そういうのを聞きたかったの』

「あっそ…」


 なるほど少しだけ話が見えてきた。

 要は話し合おうにもこちらに触れられる危険性のある距離およびシチュエーションで向かい合いたくなかったって訳だ。

 

「一つ聞きたいんだが、洗いざらい話しておいらが無事に釈放されるっていう保証はあるのかな」

『絶対的優位にありながらあなたを生かしておいた私たちの心意気を汲んでくれないかしら?』


 どう考えればいいんだろうか。

 普通に考えれば絶体絶命だ。

 いち地方警察ならともかくFBIってことになると、連邦政府がらみだ。要するにアメリカそのものと言い換えてもいいだろう。

 有名なCIA(セントラル・インテリジェンス・エージェンシー)は国外が「シマ」(縄張り)だ。対してFBIは「国内」が「シマ」である。

 国内に入り込んだ害虫はFBIが駆除するって訳だろう。


「疲れたんで休憩させてくれ。あと、シャワーはいらんがせめてトイレくらい行かせてくれんか」

『分かったわ。逃亡不可能なトイレがそのドア開けるとあるからどうぞ。食事も廊下に置いておくから。ファーストフードで悪いけど』

「今度はしびれ薬入りか?」

『(ため息)信用してもらえないのは当然ね。一応お店で封をしてもらってあるけど』

「紙袋の口のセロテープのことを言ってんのか?」

『そうよ。今あなたはかごのトリなの。悪いけどね』



第十八節


 確かにドアは空き、廊下にはファーストフード一式があった。

 アメリカンなドデカいサイズだった。

 持ち帰らないのも角が立つので一応部屋に持ち込むが、開封して机に並べただけで口は付けなかった。

 トイレを終わらせて帰ってみると、簡単な枕と薄い敷布団と毛布があった。

 どうやらここで寝るしかなさそうだ。


 冗談抜きでいよいよ終わりかも知れない。



「…ん?」

 眩しい朝日で目が覚めた。

 ガバリと起き上がると、天井が高くただっぴろい部屋の広い広いテーブルの上だった。

「おう、目が覚めたかね」

 声の方を見てみると、もじゃもじゃの白髪にたくましい恰幅の老人が白衣を着て何かをしていた。

「おはよう。キミは朝は何かね」

「…は?」

 余りに突飛な展開に頭がちかちかする。

「キミは日本人だそうだが、日本人はやはり朝からスシを食べるのかね」

 そう言いつつ全くこっちを見ずに手元で何かやっている。

「あ…はぁ…」

 昨日の監禁から尋問と全く違っている。どうなってるんだ?

「博士!駄目ですよ!一人で!」


 甲高くは無い、落ち着いたしかし女性らしい良く通る声が響き、小柄でアフロヘアの黒人女性が飛び込んできた。

 やはり研究者らしい白衣を着ている。看護婦さんのワンピーススカートの方の白衣ではなくて、普通のシャツにタイトスカートを履き、その上に白衣を羽織っている。


「おおトレイシー。今朝も綺麗だね」

 どうも“博士”の方はスローモーで会話のペースがかみ合っていない。


 トレイシーと呼ばれた小柄な黒人女性は、博士をかばう様にこちらを睨む。


「目が…覚めたみたいね。変態バニーガール男さん」

「…はぁ?」



第十九節


「これ、ティナ…そんな失礼なことを言っては駄目だ」

「あたしはトレイシーです!気を付けてください博士!この人は催眠術で相手の女を気絶させて手持ちのバニーガール衣装を寝てる間に着せる変態なんです!」


 何やらえらい誤解が広がっているらしい。

 …まあ、そうとでも理解しない限りはまともに取り合いたくも無かろうが。


「しかも夜な夜な自分の家で自慢のバニーガールコレクションに袖を通して…きゃーっ!」

「…あのさぁ」


 同時にバタン!とドアが開いた。


「シンが起きたって!?」


 聞き覚えのある声だ。スピーカーを通してくぐもる前のクリアな声。昨日のFBI女に違いない。

 振り向くとそこにはすらりと背が高く、肩までのブロンドをひっつめにした白人女がつかつかと歩み寄ってきたところだった。

 やはり“博士”をかばう様に間に入る。


「おはよう、シン。ナマケモノみたいに良く寝るわね」

「ごあいさつだな。あんたが昨日の放送係か?」

「いや違う、彼女はFBI捜査官で…」

「黙って!ウォリック!」


 叱りつけられてシュンとなる“博士”。どうやらウォリックというらしい。


「…だから無差別に襲ったりはしないって」


 両手を軽く前に上げ、てのひらを見せる様にするシン。


「どうだか」まだFBI女は不審な表情だ。

「とりあえずそっちも名乗ってくれ。仮名でいいからさ」


 お互いに目配せをしている女二人。

 だが、しぶしぶ絞り出す様に言った。


「ボリビア…ボリビア・ダナム捜査官よ」



第二十節


「ではシンくん、詳しい話を教えてくれたまえ」

 やっと目の前にやってきた『博士』ことウォリックは細長い菓子をポリポリ噛んでいる。

 さっきから一生懸命何をやってんのかと思ったらこれを作っていたらしい。

「朝食ならフレンチトーストとオートミール、シリアルがあるぞ」

 どれもゲップが出そうだった。

 シンは朝は余り食べないし、食べてもベーグルにカリカリベーコンくらいだ。一度砂糖の塊に浸したみたいなフレンチトーストを喰らってからというもの見るだけで胸焼けがするようになったし、オートミールなんぞゲ〇にしか見えない。

 シリアルなんぞそれこそお菓子だ。大の大人が朝から食うものじゃない。大体牛乳だと腹を下すんでね。

「結構。ファーストフードの方がマシさ」

「おお、昨日のハンバーガーとフレンチポテトにセブンアップは私がもらっておいたぞ。残すのは構わんが、どうせ食べないなら袋から出さないで貰うと助かる。少しでも冷めにくくなるからな」

「…」

 思わずボリビアに目で助けを求める。

 この『博士』は確かにしわも刻まれているし、白髪に近い白髪だ。年相応なんだろうがまるで子供と話しているみたいなのである。

「博士、今朝はもう食べ過ぎですよ」

「おお、そうだったな」

 まるで介護だ。

 ウォリックはパブリックイメージのアインシュタインみたいな無邪気な天才肌…と言う風に見える。最も、舌を出したあのお茶目な写真が有名になってしまったアインシュタインは実際には相当気難しい人物だったらしく、マスコミへの応対もかなり横柄だったらしい。

 あの舌を出した写真は目の前の記者やカメラマンを馬鹿にした一枚なのである。

「ウォリックが脱線ばかりするんで私が続きを話すわね」

 腕組みをして見下ろすボリビアが凛々しい声で続けた。

「…」

 シンは答えない。

「私たちは一応FBIではあるけど、未解明事件を追う特殊チームなの。心配してるみたいだから言っておくけど、本流じゃないから」

「そうか」

 はぐれ者…っていうか、要は落ちこぼれ部署って訳か。

 やっと事態が飲み込めてきた。



第二十一節


「それにしちゃ手荒な歓迎だな」

「悪かったとは思うわ。でもこっちの事情も理解してよ」

「どんな事情だよ」

「…ウチの男性職員はウェイトレス業務に転職する予定は無いの」


 要するにシンに下手に接触してバニーガールにされたくないってことだ。


「で?その独立愚連隊がバニーガールメイカー(生産者)に何の用だって?」

「詳しく話を聞きたいの」

「生体解剖したりするんじゃ?」

「まさか!とんでもない!」

 ウォリックが叫んだ。

「そんな勿体ないことをするもんか!それより実験だ実験!」

 頭をぽりぽり掻くシン。

「…改めて訊くけど…このロマンスグレーもFBIの人?」

「…嘱託科学者よ」

「ダウジングで被害者の女の子の死体探したりする人かい?」

「何の番組観てんのよあんたは」

「違うんだ」

「れっきとした科学者よ。ちょっと頭の螺子ねじがゆるんでるけど気にしないで」

「ちょっと…ね」

「それよりシン!君の能力についてもっと!もっと詳しく教えてくれ!」


 気が付いたら両手を両手握手されていた。


「きゃーっ!」トレイシー。

「ウォリック―ッ!!」



第二十二節


 ひとしきり大騒動だった。

 こちとら何度も「敵対的な意識」で襲ってこない相手ならば性転換させたりしないと言っているのに、ウォリックが握手しただけで大騒ぎなのだ。

「…だから言ったろうが」

「うるさい!」

 ボリビアはまだぜえはあ言っている美人には違いないがキツい性格らしい。まあ、ちらりと見えたホルスターにはオートマチック銃が入っている。現場で銃を振り回すこともあるFBI捜査官ともなれば保育園の保母さんみたいな対応は期待出来まい。

「えっと…シン…だったかしら」

 とびきり声の可愛い小柄なアフロヘアの黒人女性であるトレイシーが話しかけてきた。

「はあ」

「あなたがあの監禁部屋を出られたのはウォリックの強硬な進言があったからなの」

「…え?」

「絶対に危険は無い。あっても自分以外は女性捜査官だけでまずは面接を行うから被害も最小限だからって部長を説得してくださったの」

「…そりゃ…どうも」

「なーに、何てことも無いさ」

 無邪気な笑顔である。

「さ、話してくれ。頼む」

 そういう風に迫られたんでは断れない。


 シンは洗いざらい話した。

 普通は男に触れるだけで性転換させ、その上着ている服をバニーガールにしてしまうなどというアホらしい話なんぞ信じてもらえる訳が無い。

 だが、目の前の博士は全て飲み込んでくれた。

 女性陣二人…特にボリビアは途中で何度も口を挟みかけるが、その都度諦めたり呆れたりため息をついたりしている。


「素晴らしい…なんということだ」

 ぷるぷる身体を振るわせて感激しているらしいウォリック。

「トレイシー…どう思う?」

「…」

「フェチ男の妄想としか思えないわよね?」

 念を押さんでもいいだろうに。



第二十三節


「ボリビア…と呼んでもいいのかな」

「出来たら『ダナム捜査官』でお願い」


 英語で「苗字ファミリーネーム+役職」ともなると相当他人行儀な感じだ。打ち解ければどれほど年齢が離れていようがファーストネームで呼び捨てる文化なので。

 要はそういうことなんだろう。

 お前みたいな変態野郎と馴れあう気はない…ってことだ。


「じゃ、ダナム捜査官。昨日の口ぶりだとオタクはオレの体質は詳しく知ってる様だったが?」

「…答えたくないわ」


 ま、よりによってシンの能力が「バニーガール」なもんだから余計に引っかかっているのかも知れない。目の前の気の強いFBI捜査官女史がフェミニストの闘志なのかどうかまでは分からんが、少なくとも南部の専業主婦よりは権利意識が強そうに見える。

 これがシンの能力が「ウェディングドレス」とかだったら対応も違ったのだろうか。


「博士…こんなこと可能だと思います?」

 トレイシーが不安そうに尋ねた。

「実際に起こっている以上、そうとしか言えまい」

「私も監視カメラの映像で観たけど…男が女になるなんてありえるの?」

「絶対に無いとは言い切れない」

「絶対に無いわよ」

「しかし、我々は不思議なものを散々観て来ただろ?」

「…」

 そう言われて不思議と黙り込むダナム捜査官。


「クマノミの例を見ても分かる通り、自然界においては『性転換』現象はさほど珍しいものではない」

「クマノミって何です?」

 トレイシーが合いの手を入れてくれた。



第二十四節


「群がオスばかりになると、その内の一匹が性転換してメスになり、繁殖を行う魚のことさ」

「まあ…」

「魚なので見た目が余り変わらないが、人間で想像すると…驚くな」


 確かに。


「人間と魚は違うわ」

「元がメスの形態であることは同じだ」

「でも、一瞬で変わったりはしない」

「無論だ。つまりこれは生態現象ではない」

「物理現象だっての?」

「恐らくはそれに近い」

「馬鹿馬鹿しい」


 怒気を含んだ失笑…という感じだった。

 余り友達になれそうもない女だ。


「最も奇妙なのが着ている服だ。これまで変化するということになると、生物学的な説明では全く足らないことになる」

「しかもバニーガールと来たわ。あんたのお友達には男をチアリーダーにする能力者がいたりするのかしら」

「いるよ」


 呪い殺されそうな目つきで睨まれた。

 ちなみに「チアリーダー」は和製英語の「チアガール」のことで、アメリカ人にとってはある時期の日本人の「セーラー服」とか「ブルマー」みたいな言葉の響きすらある「性的アイコン」だ。

 要はダナム捜査官は、挑発目的で「かなり極端な例」を出してみたのである。

 それを簡単に肯定されてしまったのである。


「かつぐのもたいがいにしなさいよ…」

「事実だ」

「どうなのよウォリック。あたしでも知ってるわ。質量保存法則に違反するんじゃないの?」

「ん?…ああ、まあそういうことになる。エネルギー保存法則でもいいが」

「つまりどういうことなんですか?」トレイシー。

「まあ…仮に性転換を体細胞の置き換わりだと仮定すると、全身のそれだから数か月は掛かる。臓器も作り変えねばならんだろうし、性決定遺伝子もだ。その場合さらに全身を反応熱が襲うことになる…服に関してだが、結論だけ言えば変身前と変身後で質量…雑に言えば重さが違うことは許されん。しかし、必ずしも同じ変身ばかりではないんじゃろ?」

「そう聞いてる。チアリーダー能力持ちと戦った時はかなり生地が少なくなったからな」

「ふ~ん、それじゃ今のあなたがマリー・アントワネットみたいなゴージャスなドレスへの変化能力をくらったらこの貧乏くさいズボンの生地が膨らんでスカートになるっての?」

「…そうだな」

「恐らく内部のパニエやストッキングもじゃろ」



第二十五節


 無言で頭を振るボリビア。

「馬鹿馬鹿しい…何よそれ…」

「…別に、こちとらあんたに信じてもらえなくても一向に構わんのだが」

「あっそ。こっちもバニーガール女装趣味の変態男のそばにはいたくないわ」


 がたり、と立ち上がるシン。

 咄嗟に身構えるボリビア。


「…あのな、説明を聞いてなかったのか?ダナム捜査官さんよぉ。オレたちは自分の能力を自分に掛けることは出来んのだ。オレは自分の能力でバニーガールになったことはねえの!」

「…でも、ジョーの能力を喰らったことはあんのよね?」

「それは…」

「ってことは女の身体に性転換して、バニーガールの格好をしたってことよね?」

「不可抗力だ」

「不可抗力!不可抗力であんよにハイヒール履いて、おっぱい(ティッツ)にバニーコートハメて、ケツ(アス)にしっぽ型の飾り付けたんだ!へえ!」

「ああそうだよ!」


 研究所がシーンとなった。

 んも~!という声がする。


「…何だあれは?」


 よく見ると研究所の隅にウシがいた。ウシが草を食んでいる。なんというシュールな光景だ。


「話を戻すぞ」

 あくまでマイペースのウォリック。



第二十六節


「確かに質量は保存されなければならん。この単純にして絶対の法則が軽々と破られたんではこの世界は崩壊してしまう」

「博士…そんな大げさな」

「いや、そんなことは無い。ただ、確かに目の前でそういった現象が次々に起こっていることもまた事実なんじゃ。これをどう説明すればいいのか」


 説明してもしょうがねえんじゃねえかな…とシンは思った。

 何もニュートンより前にはリンゴが木から落ちなかった訳じゃあるまい。

 アインシュタインよりも前には光が遅れて地球に届かなかった訳でもない。

 要するに現在の人間が知らん法則によるってだけだろうに。


「あんたがたの立ち位置が分かって来たぞ。おいらはてっきりアメリカの中枢部に目を付けられて抹殺されるのかと思った」

「あたしが長官ならそうしたわね」

「物騒だな。どうしてそこまで嫌われるんだ」

「自然の営みに反してるからよ」

「自由の国アメリカの公僕とも思えん発言だな。ゲイ排斥運動か?」

「いや、ゲイは別に構わないわ」

「は?」

「女装趣味も性転換も勝手にすればいいわ。別にどうとも思わない。FBIにだって一杯いるし」

「じゃあどうして…」

「とにかく感覚的に駄目なの。言葉で説明できないわ」

「そう言われても困る。こちとら身に付けたくてこんな能力を身に付けた訳じゃない」

「でしょうね」

「だったらもっと同情してくれよ」

「ゴメンだわ。寄らないでくれる?」


 理屈も何も無い。これじゃどうしようもない。


「で?結局オレはどうなるんだ」

「どうもならん。基本的には自由だ」

「やっぱりか」



第二十七節


「要するにあんたがたの部署だけが半信半疑で興味を持って接触…ってところだな」

「ええ。残念だけどそういうことです」トレイシーが言う。

「上層部…っていうかアメリカはおいらたちの能力の実在を信じていない訳だ」

「ええ。そういうこと」

「よくそんな状態で動けたな」

「年間特別予算があってね。一定額は使えるのよ」


 にわかには信じがたい話だ。

 ただまあ、冷戦時代にはソ連と並んで大真面目にUFOの研究を国家予算つかってやっていた国である。「超能力」に関しても同様だ。ある程度は信じがたい超常現象と思われるものもフォローしてるんだろう。


「てっきりUFOにさらわれた妹を探してたりするんだと思ってた」

「あれはテレビドラマよ!ウチは本物のFBIなんでね」


 こうなってくると門外漢にはサッパリだ。いや、ある程度は知っているがそんな付け焼刃の知識なんぞ実際に現場にいる捜査官に太刀打ちできる訳が無い。


「その…シンくん…どうだろう、実験してもらう訳には…」

「ウォリック!!」


 ピシャリ、と叱られてシュンとするウォルター。


「…実際問題、ボリビア…じゃなくてダナム捜査官はどの程度信じてるんだ?おいらの能力を」

「…状況証拠ばかりだけど…少なくともウチの男性捜査官たちをあなたに接触させたくはないわね。その程度には信じてるわ」

「そりゃどうも」

「誰か永遠に女になってしまっても構わなかったり、終身刑の人間はいないかね」

「ウォリック!!」

「能力者がもう一人いればすんなり話が行くんだがなぁ…」

「あんたがチアリーダーになるんだ」

「ま、そういうことになる」

「〇×△□!」


 聞き取れた範囲ではかなり激しい言葉を叩きつけた。独り言の様だったが。



第二十八節


「是非!是非頼むよシンくん!旅費と宿泊費は予算を出させるから」

「だーめ!そんなの許しません」

「ボリビア…じゃなくてダナム捜査官。ぶっちゃけオタクは何がしたいんだよ。正式な逮捕でも何でもない、話を聞きたいっていうからこうして付き合ってやってるが、実験も何も駄目だってんなら時間の無駄だ。もう帰りたいんだが」

「…そうね。一応申請はしてみたけど、上層部はあなたを合衆国の脅威とは認定してくれなかったから」

「また物騒な…」

「惜しかったわ」

「…待てよ」


 シンにひらめくものがあった。


「オタクらは正規の警察組織の一員って言うよりは独立愚連隊に近いんだよな」

「悪かったわね」

「だったらおいらもコントラクト(契約)エージェントとして使ってくれよ。もしもその中で不幸にして能力を発揮せざるをえなかったら…ってのはどう?」

「おお!いいじゃないか!是非そうしてくれ!」


 同時にボリビアの携帯電話が鳴った。

「ダナム捜査官…はい…はい分かりました。すぐに向かいます」

 携帯を切る。


「ボリビア…仕事だよな?」

「ミスター・オガタ」

「ん?」

「現場では私の言うことを絶対に聞くこと。命令違反は許しません」

「おーこわ」

「分かったの!?」


 しばし沈黙。


「…一応訊くがこれは仕事の依頼ってことでいいんだよな?」

「試用期間だからギャラは出ないわよ。まだ本雇いにするかも分からないし。大体あたしに人事権なんか無いわ。働きっぷりによっては進言してあげてもいいけど」

「分かった。ただ試用期間だろうがこちとられっきとした労働者だ。何も一人でユニオン(労働組合)気取りはせんが、奴隷って訳じゃない。命令には従うが、『靴を舐めろ』と言われても従わないぞ」

「見損なわないでよ。こっちだってプロよ。必要なことしか言いません。ただし!言われたことは考えずに即実行すること。伏せろ!と言ったなら「何故ホワイ?」の前にとにかく伏せる!…いいわね。あなたに狙撃手の配置を図解付きで説明してる間に脳みそまき散らしたくないでしょ?」

「了解です(イエス、マム)!」



第二十九節


 移動にあたってはボリビアが助手席に乗り込んだ特別車両が使われた。

 運転席とは防弾ガラスで区切られ、会話はスピーカーとマイク越しという厳重さだ。当然ドアは内側からは開かない。

 他の捜査員たちとは…特に男性捜査員…とは厳重に区切られていて近づくことすら出来ない。

 まあ、気持ちは分かる。


 現場は、ちと異様な雰囲気が漂っていた。


「しばらく乗ってなさい」


 スピーカーから素っ気ない声がしてドアを叩きつける様に締めるとボリビアは走り出した。

 その後ろ姿はでかでかと「FBI」と書かれたマヌケにも見える防弾チョッキと相まって確かに格好いい。


「何だよあいつは…」

 防弾ガラスに四方を囲まれたシンが毒ついた。

『聞こえてるわよ』

 ビクッとして飛び上がりそうになるシン。

 どうやら通信で繋がっているらしい。

「おどかすな」

『前方のディスプレイを観て』


 見ると、カーナビに手持ちカメラのブレブレの映像が映っている。


『何か意見があったら言って』

「その前に質問だ」

『何?』

「ニーナはどうした」

『ニーナ?』

「とぼけるな!ブルネットの彼女だよ!ニーナ・ファーンズワースだ」



第三十節


『ああ、そうだった。言うの忘れてたわ』

「協力者なんだろ?」

『本人はそう思ってないだろうけどね』

「何だと?」

『あなたへの保険よ。分かりやすく言えば人質』


 沈黙。


「…何?」

『報告書が本当なら本気で暴れたあなたを止めるすべは無いわ。だから少々縛り付けても無駄。暴れ出したら撃ち殺そうにもあなたが死ぬ頃にうちの部署がバニーズ・バーになったらどうしようもない。だから保険よ。妙なことをしたら彼女は合衆国特製の拷問フルコースで死ぬことになるから』

「…この糞女ビッチが!」

『じゃああんたは糞女の息子サノバビッチだよ!』


 誰が韻を踏んだ罵倒合戦をやれと言ったか。


『いいから状況について意見を言いなさい』

「ウォリックと会話しながらにしたい」

『あら?パパに助けを求めたいのかしら?』

「いい加減にしろよケツのあな(アスホール)が…協力して欲しいのか欲しくねえのかどっちだ」


 久しぶりに血液が逆流しそうだった。


『ちょっと待っときなさい』



第三十一節


 ウォリックと繋がった。


「ウォリック?状況を知りたいんだけど…何があった?」

『ああすまんすまん。それはだな…つまりその…』


 いかん、全く要領を得ない。


『ミスター・オガタ?シャープ捜査官ですが』


 ボリビアに毒されてすっかりよそよそしくなった声が聞こえてくる。トレイシーの苗字は「シャープ」というらしい。


「ああ、良く聞こえる(感度良好)だ。どうぞ」


 言い終わった後「こりゃセクハラかも?」と思ったが後の祭りだ。


『ウォリックの代わりにあたしが実況します。いいですね』

「助かるよ」

『ボストンの下町の…ゲームセンターで乱闘騒ぎがあって店内が破壊されているという通報を受けてまず地元警察が駆けつけます』

「…ボストン?」

『ええ、何か?』

「あ…いや、何でもない」


 そういえばさっきまでいた研究所はハーバード構内にあるって話だった。やれやれ、ニューヨークに行っていたはずがボストンに逆戻りしてた訳だ。


『証言によると夜も更けてきた頃に不良集団が大挙して押しかけて店を破壊したそうです』


 …どうも何か妙だ。何か見覚えがある風景な気がする。


『ミスター・オガタ?聞いてます?』

「ミズ・シャープ、その店の名前は?」

『名前は…「テクノアール」…です』

『心当たりでもあるの?もしかしてあんたも溜まり場にしてたとか?』


 シンはごくりと唾を飲んだ。


「…ああ。友人が店番をやってたはずだ」


 その店はシンがボストンに来て最初に入った店であり、地元のメタモルファイターであるダニー・リードの居場所だった。



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