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悪意の行方  作者: 水沢ながる
3/5

3 過去の惨劇

 女の一言で、三人の間に張り詰めた空気が流れた。銃を突き付ける女。椅子に縛られ、銃を突き付けられる男。その傍らで静かに紫煙をくゆらせるもう一人の男。まるで下手くそな不条理劇のようだと、意識の片隅の最も冷めた所で武田は思った。

「……殺したんですか? 彼が、あなたのご主人を?」

 芦田は芦田で、月下の湖水のように静謐だった。

「そうよ。この男が小学生のころ、わたしの近所に住んでいたの。わたしの息子とも親しかったわね。……もっとも、他に近所付き合いはあまりなかったようだけど」

 その理由は、芦田にも判った。武田の独特な家系のせいだろう。霊能者を多く輩出する家などというものは、いわゆる“普通”の人々にとっては胡散臭いものでしかない。あるいは、死の気配を感じて忌避するかだ。どちらにしろ、異質なものを人々は排除しようとする。

 武田は面白くもなさそうに聞いている。

「わたし達はいつだってこの男に親切にしてやったわ。それなのにこの男は……変な力を使って、わたしの夫を精神錯乱に追い込んだのよ! おかげで夫は自殺したわ。いいえ、この男が殺したのよ!」

「何を言ってるんだか」

 吐き捨てるように武田は言った。

「あんたの亭主が何やってたか、忘れたわけじゃないだろ? あんたの亭主は、自分の快楽のために年端も行かない幼い女の子を何人も殺していたんだぜ。皆からの信頼が厚かったからバレなかっただけじゃないか。──そう言えば、殺人が頻発するから自警団を作ろうって言い出したのもあんたの亭主だったな。新たな事件を起こさないためじゃない、セキュリティをかいくぐって自分の犯罪を続けるために!」

 武田の言葉に、女はたじろいだ。

「嘘よ、そんなの」

「嘘なもんか」

「……“見た”んですね」

 二人の激しいやりとりの中に、芦田の静かな声が割り込んだ。柄にもなく激しかけていた武田が、その一言で我に帰った。

「──ああ。“見た”んだ」

 記憶が、フラッシュバックする。


 十五年前。

 まだ十二歳の少年だった武田の住む街で、幼女を陵辱して殺す連続殺人事件が起こっていた。手口はいずれも同じく絞殺。指紋や体液、遺留品などは一切残ってはおらず、捜査は難航していた。街の人々は早くから自警団を組織して新たな悲劇を阻止しようとしていたが、犯人はそれをあざ笑うように犯行を繰り返していた。

 その少女は武田を兄のように慕っていた少女だった。その頃から武田は一人でいることが多かったのだが、少女は恐れもせずに武田の後をついて回っていた。武田も半ば戸惑い、多少は鬱陶しいと思っていたが──誰かと一緒にいるのは悪くはなかった。

 だが。

 その少女が無残な姿となって発見されたのは、ある雨の日だった。手口から例の殺人犯の仕業と断定された。

 少女の葬儀はしめやかに執り行われた。武田もそこに出席していた。死と哀しみの気配が、葬儀の場全体を包んでいた。小さな柩が祭壇の中央に置かれている。誰かが少年に花を手渡した。武田はそれを少女に手向けるべく、柩をそっと覗き込んだ。

 少女の顔にはうっすらと化粧が施されていた。だが、その下からかすかに苦悶の跡が見て取れた。武田は手にした花を柩の中に入れた。手が――死者の小さなそれを掠めた。

 その瞬間。


 “来た”。


 思えば、それが最初だった。五感の全てが猛スピードで押し流されるような感覚。それは彼の“能力”が発現した、まさにその瞬間だった。彼は少女にシンクロしていた。恐怖と苦痛の一切を、少女と共に感じていた。自分の首を締める腕があった。苦しい息の下で、武田はその腕の先にある顔をはっきりと見た。欲望に歪んではいたが、確かに知った顔だった。

 その顔を認識した瞬間、武田は現実に戻って来た。全身にびっしょりと汗をかいていた。まだ締められた感覚が残っているようで、武田は大きく息をついた。顔を上げ、振り返る。

 視線の先に少女の母親を親身になって慰めている男がいた。この街で名士として知られる男だった。面倒見がよく、子供好きで、悪い評判の一つもない男。そして、柩に横たわる少女をその手で絞め殺した男だった。

 翌日から、武田は一人で男の周辺を調べ始めた。とは言っても、当時彼はまだ小学六年生だ。出来ることなどたかが知れていた。それどころか、彼のやっていることは当の男に筒抜けとなっていたのだった。

 男は自宅の地下室に武田を誘い込んだ。防音処理をしてあるその部屋が少女達の殺害現場であると、武田は一目で見抜いた。逃げようと思う間もなく、男の指が自分の首に食い込んでいた。


「──首を締め上げられながら、俺はその部屋中に染みついた“想い”を感じていた。その部屋で殺された少女達の、断末魔の“想い”だ。俺は自分の“力”の全てを使って“想い”をかき集め……」

 そこで武田はためらうように言葉を切った。

「どうしたんです?」

 芦田がうながす。

「……憑かせた」

 何処か苦しげに、男は言った。

「よくそんなことが出来ましたね。いくら幼い頃から修行していると言っても、その頃の君には“見る”だけで精一杯でしょう」

「夢中だったからな。後から思い返してみても、どうやってあんなことが出来たのかさっぱり判らなかった。ただ、俺の首を締めることにより、奴の頭にはこれまでの殺人の記憶が無意識的に喚起されていた筈だ。“想い”と記憶が結び付けられれば、憑けるのも簡単だ」

 そして武田は女を見た。

「そこへやって来たのがあんただったな。どうしてあの時、あんたはあそこへ来た?」

 女はひるんだように見えた。

「それは……妙な気配を感じたからよ。一つ屋根の下ですもの、それくらい判るわ」

「なるほどな。つまりあんたは、あんたの亭主が何をやってたか、薄々知ってたわけだ」

 たじろぐ女に、武田は哀れむような眼を向けた。

「事件の関係者で、真相を知っていてわざと気付かないようにしている奴ってのはたまにいるんだよ。明るみに出してしまうと、今までの平穏な生活が崩されてしまうからな。嘘っぱちの平和にしがみついて、見て見ぬ振りを続けるんだ。特にあんたは、地位も金もある家庭の幸せな奥さん──という自分が好きでたまらなかったようだからな」

「だ、黙りなさい!」

 銃を手にした女の恫喝にも、武田はひるまなかった。

「あの日あんたが感じたのは、亭主が俺を殺そうとした気配なんかじゃない。俺があんたの“幸せな生活”をぶち壊した気配だよ。さっきあんたは俺に親切にしたやったとか何とか言ってたが……俺はあんたの“してやってる”って態度が、ずっと鼻持ちならなかったんだ」

「黙りなさい!!」

 女は小型のリボルバーを武田に向けた。

「あんたなんかに何が判るって言うの。あんたのせいでわたしの家庭はバラバラになったのよ。夫は犯罪者として自殺して、息子だって高校の頃に家出してそれっきりだわ。あんたはあれからすぐに街を出たから知らないでしょうけどね」

「悪いが知らないね。知りたくもない」

「あんたへの恨みはずっと忘れたことがなかった。つい最近、偶然あんたが警察官になったことを知ったのよ。わたしの家庭を壊した男が刑事ですって? 冗談じゃないわ」

「人がどんな職業に就こうが勝手だろう」

「うるさいわね! わたしはあんたを殺すことを決心したのよ。ただでは殺さない、わたしと同じように苦しめて殺してやる!」

 銃を握る手が明らかに震えている。引き金は今にも引かれそうになっていた。

 武田は。

「殺ってみろよ」

 唇の端を吊り上げて、わらった。

「ただし、やりそこなったら、あんたの亭主と同じ目に合わせてやるぜ?」

 挑発するように。

「撃てよ」

 引き金にかかった指に──力が入りかけた。

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