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魔王の微笑み・貴公子の寵愛

とうとう実家に帰ってきたヨシュアは自分の誕生会を仕切るのが兄のミカルだと今更ながらに聞かされ、膨大な顧客リストやどこのお祭りかと思いたくなる催し予定の数々を見せられてもあっさりと受け入れた。

ましてや、ぎくしゃくした関係の母親がこっそりと客間を覗きに来ている気配を敏感に察知しても、顔色一つ変えずに気付かない振りを通した。


しかし、真夜中になってから寝室に来訪を伝えるノックが聞こえると、ピリっと緊張の色を露にした。

横になって寝ていたわけでなく、いつでも呼び出しに応えられる格好でいたにも関わらずだ。


「なんだ、用意があったのか」


やってきたのはミカルだったが、用件があるのは別の人だ。


「父さんが呼んでいる」


「わかった」


短く硬い返事をし、ヨシュアは父の書斎に向かう事にした。


ミカルは少し前を肩肘を張って歩いている弟を眺めながら考えていた。

自分から女の子を連れてくるという大きな変化はあったものの 、自分に対する警戒感や、父に対する緊張感になんら変わりがない。

遠い異国、ウェイデルンセンに送り出したのは果たして吉となったのだろうか、と。


物心ついた時から本質を見抜く目を持ち、何事にもおいても器用なので必死になる経験をしてこなかったミカルにとって、全てに対して懸命で努力を怠らない姿勢でいる弟が不思議でならなかった。

どこかで手を抜けるくらいの器量はあるはずなのに、全力で取り組む不器用な姿が可愛くて、ついつい無理難題をふっかけてしまうのだ。

しかも、それが原因で嫌われているのだと承知していながらもやめられない構い方が、兄弟仲を複雑な関係にしてくれている。


「そっちは」


低くぶっきらなヨシュアの呼びかけで、ミカルはロルフの書斎に着いたと気付いた。


「ああ、今日はこのまま部屋に戻る」


「ふうん」


敵は一人か、とか考えているのだろうなと弟の様子から推察する。


「頑張れよ」


「……どういう意味だ」


たまには素直に弟を応援しようとしたまでだが、全く受け付けてもらえなかった。


「なんでもない。じゃあな」


別れを告げて、数歩進んだところで振り返ってみれば、ちょうどヨシュアが中に入るところだった。

気負った姿が消えるまで見守ってから懐中時計を取り出した。

時刻は、日付が変わるまで残り十分程度となっている。


「なんだかんだと、いいとこを持ってくんだよな、あの人は」


天井に向かってつぶやいてから、ミカルは自室に戻っていった。



 * * *



強固な気合いを入れたヨシュアが部屋に入ると、目の前に格調高い特注の机と椅子に負けない威厳を備えたロルフが軽く笑みをたたえていた。


「元気そうじゃないか」


案外、という見えない前置きが透けて見える挨拶だ。


「ええ。おかげさまで、ウェイデルンセンではとても快適に過ごしていますよ」


「おかげさま、ときたか。お前も少しは愉快な返しができるようになったな」


嫌味を仕掛けてみても、ロルフにかかれば愉快に変換されてお仕舞いだった。


「それで、用件とはなんでしょうか」


「可愛い息子が久々に帰ってきたんだ。顔くらい合わせたいと望んでもおかしくないだろう」


嘘をつけ!


と、心の中で盛大に叫んで、表面では笑って見せた。


「では、用件は済みましたね。夜も遅いので、失礼させてもらってよろしいでしょうか」


「なあに、どうせ寝つかれないのだろう。少しくらい話に付き合え」


どうせってなんだ!!


という苛立ちもなんとか堪えた。


これまで何度も全力で反発心をぶつけていたヨシュアは、毎度全てを否定され、反抗する意思を根こそぎ潰されてしまっていた。

後で冷静に考えればロルフの論にはいくつもの矛盾が見つかるのだが、相対している時は上手く誘導をされて絶望しか見えなくなるのだ。

しかし、後で発見できる矛盾があるがゆえに、次こそはやり返してやろう儚い希望を持ち、結局は勝てたためしがないという悪循環を繰り返してきた。

しばらく家を離れて、僅かに広がった視野で辿り着いた結論は、口論になった時点でロルフの手の上なのだという根本的な認識だった。

清らかな天使でさえ極悪だと信じ込ませてしまうロルフに、何を言っても敵うわけがないのだとようやく悟ったのだ。


そうとわかれば、後は無駄に反発しないという単純で効果的な対応策しかなかった。


「久しぶりなんだ、お前から話したい何かはないのか」


呼びつけておきながら、話題はこっち任せかよ!


なんて苦情も腹に収めておく。


すかさず部屋に戻るきっかけにしょうかとも思ったが、やや考えて、ここは流れに乗っかってみる事にした。


「俺から話す何かはないけど、ファウスト王から質問を預かってきました」


明日の宴が終われば、翌日には朝早い内にさっさか立ち去るつもりでヨシュアはいる。

答えをもらう機会は逃したくなかった。

それに、面倒な用件はとっとと済ませてしまいたい性分だ。


「ほう、王の信頼を得ているようで何よりだ」


真相は信頼ではなくて憎しみなのだが、親切に事実を教える必要はない。


「俺の代わりの婚約者役が見つかったのかどうかを確認してくるよう頼まれてきました」


「なるほど。では、王はお前を信頼して、結婚は決定ではないと伝えたのだな」


ロルフは面白そうに笑みを深めた。


「それとも、お前がすでに音を上げて泣きついたのか」


やらしい挑発に、ヨシュアはここが踏ん張り時だと、より冷静さを心がける。


「確認をしてこい、とだけ、頼まれてきました」


「そうか。では、代わりはとうに見つけていると伝えてくれ。資料を望むのなら、こちらから送付するともな」


答えは予想通りだったのに、ヨシュアはふと、代わりの相手役がどんな男なのか気になった。

ティアラを妹のように思い始めたところなので、変なのが相手では気持ちよく婚約解消ができそうにない。


「なんだ、何か言いたげな顔をしてるな」


しかし、ロルフに促された途端に、余計な口は利かない方がいいと自分を戒めた。

最初で最後の帰省を、いいように転がされたという悔しい遺恨は残したくなかった。


「いいえ、必ず伝えておきますのでご心配なく」


珍しく無駄に反抗してこない次男坊に、ロルフは成長したなと感心するよりも、面白くなったとの感想を抱いていた。


「レナルトのところはどうだった」


いきなりの話題転換に一瞬眉をひそめたヨシュアは、それでも当たり障りのない対応で済ませた。


「少しお疲れのようでしたが、叔父さんとはいくらか話ができました」


「そうか。サマンサはどうだ」


これにも不信感を浮かべつつ、そつなく返す。


「相変わらず華やかな方でした。試験中は客人のもてなしを全て引き受けてくださったので本当に助かりました」


「そのようだな。後で、うちからも改めて礼を言っておこう。では、レイネはどうだった」


昼間に言い合いをしたばかりの天敵な従妹の名前を挙げられると、思わず嫌悪感が表情にこぼれてしまった。


「少しはレナルトの希望通りに仲良くしてやったらどうだ」


嫌がらせな発言に、ヨシュアはこめかみがひくつく不愉快さを隠すのが難しくなる。


「お前はここより、レナルトの屋敷の方が過ごしやすいのだろうな」


お互いに今更な確認に、勘に近い本能が警戒するべきだと訴えていた。


「ヨシュア。この先、レナルトの近くで働きたいと思わないか」


答えも聞かずに、ロルフは続けてもったいぶった提案を示した。


「私は、ロルフの仕事を引き継ぐ候補としてお前を考えている」


「ほえ?」


あまりに想定外の展開に、ヨシュアは言葉になっていない声をもらしてしまった。


「やってみたいと思わないか。実現すれば、さぞかしレナルトも喜ぶだろうな」


実家との縁が切れないのは難だが、正直に言えば軽く光が射す程度には魅力的な申し出だった。

しかし、提案者はあのロルフだ。

逸る気持ちを抑えて、慎重に真意を聞き出す。


「それだけじゃないんでしょう」


「いいや、それだけの話だ」


ヨシュアが黙って怪しんでいると、やはりそれだけではなかった。


「その気になったのなら、まずはレイネと仲良くすることだな」


「……その心は?」



「婿養子に入って、跡継ぎになれという意味だ」


ヨシュアにとって、父親の微笑みは悪魔に対する恐怖と同義となった。


「ありえない!」


即座に、自分にはレスターの元で働くしか道はないのだと改めて決意し直した。


「まあ、結論は急がない。こういう事はお互いの気持ちが大事だからな」


どの面下げて言ってるんだ!


と、ヨシュアは内心でわめいていた。


「おっと、こんな時間か。夜中に呼びつけて悪かったな。明日に備えてゆっくり休むといい」


こうして、ロルフは最後の最後に父親面を見せつけ、久々の親子対話は最低な気持ちにさせられたまま一方的な強制終了を持ってぶち切られた。

ヨシュアは苛立ちが極限に達していても、ここで突っかかると過去の繰り返しになるので、ぐうっと堪えて退室を選ぶしかなかった。


「では、失礼します」


「ああ、そうだ」


まだあるのかとうんざりした気持ちを押し殺して、なんですか? と、あえて柔順な息子を演じてみせる。

もう、むやみやたらに突撃するばかりではないのだという主張をしっかりと込めて。


「ヨシュア、十八歳の誕生日おめでとう」


「……は?」


「日付が変わったのだから、言っておこうと思ってな」


ロルフの楽しげな様子に、要は、誰よりも早くそれが言いたいが為に、こんな時間まで待って呼び出したのだと理解する。

これほど効果的な嫌がらせはなかった。


「ちっとも嬉しくない!!」


最後の最後に本音をぶちまけたヨシュアは、逃げるように部屋を退散した。


イライラしたまま部屋に戻れば、当然、安眠なんてできるものではなく、朝方になってうっすらと眠っただけで完全に目が覚めてしまった。


「あ゛~、もう! 最っ低ーな誕生日になりそうだ」


成人記念の爽やかな朝、起きたて一番に出てきた言葉がこれだった。



 * * *



スメラギ本家本邸は朝から忙しさに支配され、誰一人として足を長く止めている者は見当たらない。


会場の飾りつけは前日までにほとんどが済んでいるものの、大人数の食事の用意や、泊まり客用にいくつもの客室を整えるなどの最終確認はこれからしなければならない。

作業は着々と進み、楽団や余興の遊芸人なども続々と集まり始め、屋敷の中はお祭りムードがいよいよ高まっている。


そんな雰囲気にはお構いなく、本日の主役であるヨシュアはお昼近くまでだらだらとベッドで過ごしていた。会は夕方から客人を受け入れ、夜遅くまで催される。

それでもウェイデルンセン組を放っておくわけにいかないので朝の内になんとか起き上がったヨシュアだが、顔色の悪さを見たシモンが気を利かせて休ませてくれたのだ。


そうして、少しだけ顔色を取り戻したヨシュアは、現在、サマンサの見立てた真っ白な衣装を身につけている。

白一色なのに華美で煌びやか、どこの王族かと問いたくなるような目映い仕立てだ。

どれほど好みとかけ離れていようが、主役である今回もヨシュアでは拒否権など持てるわけがなかった。


「気が重い……」


しかし、ここさえ乗りきれば、これまでの自分にけりをつけられるような気がしているので頑張るしかない。


ヨシュアは深い呼吸を繰り返して、平静を心に刻む。

気の早い人なら、もうそろそろやってくる時間だ。


鏡に向かって完璧な社交的笑みを浮かべ、今日はもうずっとこれで過ごすのだと顔の筋肉にしっかり意識を刷り込んでおく。

それから、ティアラ達の様子を見に、通路に出た。


「やあ、どうしてお前がここにいるんだ」


ヨシュアは容赦なく正面から指摘してやる。

目的の部屋に向かう途中で、いるはずのない顔を見つけたからだ。


「なあ、レイネ」


どれだけきつい言い合いをして、心の底から罵り合おうと、こうやってすぐに顔を突き合わせるのが毎度の事だ。

ヨシュアは常々、レイネの言葉に意味はないと考えていた。


「ご心配なく。最低限の挨拶回りが済んだから、今から帰るところよ。昨日の宣言通り、会には出席しないから安心してどうぞ」


「わざわざ、それだけに来たのか。ご丁寧な事だな」


「悪かったわね。こっちだって、昨日の今日で顔なんか合わせるつもりじゃなかったのよ」


視線を外してぶつぶつ言っているレイネに、ヨシュアは呆れていた。


「ここまで来たんなら、参加していけばいいだろ」


「……」


浅慮な発言に、レイネは目を丸くして肩を怒らせた。

しかし、大した意味を込めていないヨシュアは、向こうからやってきたアベルしか見ていなかった。


「来たな」


「おー、おめでとう」


軽く祝福するアベルは、渋めの赤に金糸の刺繍を施した装いを着こなしている。

ヨシュアと違って着せられている感もなく、普段着との違いを気にしていないようだ。


「レナルトさんと一緒だったんだけど、商談関係者と挨拶してたから抜けてきたんだ」


「そっか。ところで、エルマは一緒じゃないのか」


「なんか知らないけど、サマンサさんの手伝いがあるから先に行っててくれってさ」


「ふーん。じゃあ、ティアラ達と待っていれば、その内に来るかな」


「のんきなものね」


ぼそりと聞こえて、ヨシュアはレイネを振り返った。


「何が言いたいんだ」


「あら、ごめんなさい。ただの独り言だから気にしないで」


そのまま、ヨシュアには目もくれないで歩き出した。


「おい、レイネ。どこに行くんだ? 用がないなら、一緒にお姫様のところに行かないか」


アベルが拘りなく呼び止めると、レイネはしわい顔で振り向いた。


「アベル、あなたまで話を聞かなくなったのかしら。会には出席しないって言ったでしょう。私は帰るところなのよ」


「いや、覚えてるけど、気持ちか事情が変わったのかと思ったんだよ。そんな格好をしてるからさ」


アベルの言うそんなとは、萌黄色を基調にしたフリルを華やかに組み込んだドレスの事だ。


「そういう半端な気の利かせ方、ヨシュアに似てきたんじゃないの。気をつけた方がいいわよ」


レイネは不愉快さを隠しもせず、忠告だけして、挨拶もなしに立ち去っていった。


「いつだってレイネの言う事は意味不明なんだよな」


ヨシュアは黙って見送っていたが、アベルは少し違った。


「似てきたとか、マジありえない。俺、そんなに鈍い神経になってるのか」


「どういう意味だよ」


「ヨシュアもなあ、もうちょい別の角度から考えてみればいいんだけどな」


「だから、わかんないって」


アベルはヨシュアを無視して、なにやら一人で悩んでいる。


「やっぱ、俺達の教育方針が悪かったのかなぁ」


意味はわからずとも、褒められていないと察したヨシュアはぶすっとした。


「悪い、悪い。ま、今日は難しい事はいいか。一応、ヨシュアのめでたい日だからな」


そうして、二人はウェイデルンセン組が控えている客間に向かう事にした。



 * * *



「やっぱり」


あれから真っ直ぐに家に帰ってきたレイネは、予想通りの状況を前に、のんきに構えていたヨシュアを罵りたくなった。


「あら、レイネ。本当にもう帰ってきたのね」


「ええ、お母様。それが、私からのプレゼントのつもりだったのだけど……」


困っている様子のサマンサの後ろには、柱にしがみ張りつくエルマの姿があった。


「変更して、エルマを贈り物として連れて行く事にするわ」


「それはいいわね。私も助かるもの。ヨシュアのお祝いだから、あまり強引な手は使いたくなかったのよ」


「任せておいて、お母様。エルマの方から是非とも行きたいと言わせてみせますから」


頼もしく宣言すると、母親ゆずりの華やかな微笑みを浮かべてエルマに迫っていった。



 * * *



スメラギ邸の大広間では、優雅な音楽と美味しい料理で客人達のもてなしが始まっていた。


しばらく会場の死角になっている控え室から眺めていたヨシュアも、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。


「そろそろ主役が顔を出してくれないと、なんの会だかわからなくなるぞ」


真っ白なヨシュアとは対称的な、真っ黒い揃いの衣装を身にまとったミカルが催促に来て、仕方なく重たい腰をあげた。


ヨシュアを先頭に、明るい青緑の上着と濃紺のズボンを組み合わせたシモンと、昨日のお茶会と同じく紫色のドレスのリラが続いている。

どちらも昨日よりぐっと露出も装飾も少ないが、リラの場合はそれがかえって引き締まった体型を際立たせていた。


「ほら」


ヨシュアは広間の壇上に出る扉の前で、ぼんやりしているティアラに手を差し出した。大いに目立つ登場になるだろうが、あらかじめエスコートしてきた女の子がいると見せつけておけば、少しは相手をする人数を減らせるだろうとの目論見の為に。


けれど、ティアラは真っ赤な布地に白いフリルや繊細な刺繍を施されたドレスに手を置いたままでいる。


「緊張でもしてるのか」


とりあえず言ってみたまでだったが、こくりと頷かれた。


考えてみれば、ウェイデルンセンに着いたばかりの半年前のヨシュアもずっと緊張していた。

シモンやリラがいるとは言え、箱入りで育ったティアラに環境の違いが影響しないわけがないのだ。


「最初は注目されるだろうけど気にするな。俺の誕生会って言っても、ほとんどが商談関係者で、商売絡みの情報交換をしに来てるだけだから。適当に見て回って、疲れたらさっきの部屋で休んでていいぞ」


「うん……」


親切に言い聞かせても、緊張の程が和らぐものではないらしい。


「じゃあ、後で庭に出てみるか。少し寒いかもしれないけど」


レスターに野生児と言われているティアラなので、緑に触れれば落ち着けるかと提案してみた。


「ヨシュアが案内してくれるの」


「ん? ああ、そうだな」


答えたヨシュアは、客人の付き添いなら自分が抜け出す適当な理由になるかと計算していた。


「それなら頑張れそう」


ようやくティアラが笑顔を見せてくれたので、ヨシュアはホッとした。


「じゃあ、行くぞ」


そっと乗せられた華奢な手に、以前リチャルドとの面会に立ち向かった時の初めての出陣を思い出す。

その時と比べれば、今回はだいぶ心持ちが軽かった。



 * * *



今夜のシンドリーは、夕方から動き出す馬車が多くあった。


普段は暗くなると往来が少なくなるものだが、今日は勝手が違う。

むしろ、夜が深まるに連れて増えていくようだ。

どの車も一目で豪奢と判断できるものばかりで、そんな中の一台に、レナルト所有のものも含まれていた。


車には、流行の発信源となる事の多いサマンサが初秋に合わせたイチョウを思わせる鮮やかな黄色に落ち着いた黄土色を挿し色にしたドレスを、年頃の娘がいる母親だとは思えないほど見事に着こなして座っている。


「良かったわ、そんなに遅れないで参加できそうね」


サマンサは懐の時計と外の様子を見比べて安堵した


「エルマが行く気になってくれて、本当に良かったわ」


誰もが見惚れてしまう上品な微笑みに、エルマは無理やりな作り笑いを返すしかなかった。


「いい加減諦めなさいよ」


横から、いつ逃げ出すとも知れないエルマの見張りとして乗り込んでいるレイネが口を出した。


「諦めてるから座っているんだろう。レイネが卑怯な手を使ってきたせいだけど」


「あら、お母様が本気を出す前に、私の説得で済んだと思っておくべきなんじゃないの」


目の前でにこにこしているサマンサを眺め、その通りだと渋々同意した。


一度でもサマンサの本領を発揮されて頼み事を引き受けざるを得なかった人は、以後、全てがサマンサの思うがままに力を貸してしまうという生きた伝説があるのだ。


ちなみに、その血を引き継ぐレイネが行った説得とは、エルマが一緒でなければ行かないというサマンサをこのまま引き留め続ければ、会場で待っているサマンサファンクラブ・胡蝶蘭の会を敵に回す事になるとささやき告げるものだった。


貴族や富裕層の令嬢だけでなく、一般女性にまで広がる強力なネットワークを有する胡蝶蘭の会に睨まれるのは、シンドリー国の大半の女性から非難されるのと同義なのだ。

説得というよりは、脅しと呼ぶのが的確な表現である。


大きく息を吐いて、エルマは車の窓にもたれた。


「ヨシュア、なんて言うかな」


「あの朴念仁には、何も期待しない方が懸命だと思うけど」


いつものように的確な指摘をするレイネに、エルマは益々気が滅入るだけだった。



 * * *



「まあ、さすがはヨシュア様だわ」


きゃっきゃっと弾む声に囲まれて、厚く盛ったはずのヨシュアの鉄壁な外面がひくひくと限界を示していた。

目前の令嬢から視線を外してみても、辺り一面に映るのは色鮮やかなドレスの海だ。


こうなったきっかけなら、はっきりしている。

父、ロルフが母親のセレスティアを伴って現れたからだ。


両親の近くにいるだけで気力を消耗してしまうヨシュアは、ティアラ達と挨拶をしている間にさり気なく離れて一人になった。

アベルと食べ物でも調達してこようと考えていたのだが、さほど進まぬ内にどこぞのご令嬢に捕まり、そのまま次から次へとご令嬢やご婦人ばかりがひっきりなしに挨拶をしてきて逃げようがないのが現状だ。


「エルマはまだなのか。ティアラでもシモンでも、なんだったらリラさんでもいいから誰か連れ出してくれよ」


優雅に飲み物を口にする素振りで、グラスに愚痴をつぶやくしかできないヨシュアである。


ティアラと一緒にいる間は良かったが、離れた途端に逆効果となり、どんな関係なのかと遠回しに探られるばかりでうんざりしていた。

自分の立てた作戦を悔やんでいると、不意にレイネの言葉が思い浮かぶ。


「これが自業自得……?」


いやいやいや、と首をぷるぷる振って、目の前のご婦人を追い払うべく愛想笑いを強化した。


「ヨシュア、こんな所にいたのか」


場所を取るボリュームたっぷりの色鮮やかな布の群れをかき分けてやってきた待望の救世主は、こんな時でもヨシュアを複雑な気分にしてくれた。


「人気者だな」


軽く微笑んだだけで黄色い歓声を沸かせる兄のミカルだ。


「誰かが呼んでいるのですか」


そうだと言ってくれ、という願望を込めて爽やかに声をかける。


「ああ、リリーが演奏を始める。特等席で聞いてほしいそうだ」


「では、参らないわけにはいきませんね。ご婦人方、そういうわけですので、私は失礼させていただきます。よろしければ、皆様もご清聴ください」


兄ではなくリーデルリディアに救われたと知り、素直に感謝するヨシュアだった。



 * * *



ヨシュアに似ているところがロルフにあるだろうかと真剣に探していたティアラは、いつの間にかいなくなっていたヨシュアにがっかりしていた。

せめて、後で庭を案内するという約束を忘れていないといいのに、と淡い期待だけを残して。


「ごめんなさいね。きっと、私がいるから席を外したのだと思うわ」


余所見をしていたティアラに話しかけてきたのは、ヨシュアの母のセレスティアだ。

誰よりも素朴な装いで、ヨシュアともミカルとも似ているところは見受けられない。


「本当にヨシュアを祝うつもりなら、私が欠席するべきなのでしょうけど、お客様の手前、そうもいかなくて。ウェイデルンセンでは伸び伸びと暮らしていると聞いているわ。きっと、あなたのおかげね。これからも仲良くしてあげてね」


優雅でも可憐でもなく、素直で柔和な微笑みに、ティアラは束の間、ここが華やかな広間だという事を忘れてしまった。

そして、この人は紛れもなくヨシュアのお母さんなのだと肌で感じられた。


「あの……」


自分が知っているヨシュアを教えてあげたいと口を開き、言葉を探しているうちに横から声をかけられる。


「こんばんは、ごきげんよう」


ミカルの婚約者、リーデルリディアだ。

もうすぐ演奏を始めるからと知らせにきてくれたのだ。


「婚約者に使いを頼んで、我が家の長男はどうしているんだ」


ロルフの疑問に、リーデルリディアは笑って答えた。


「可愛い弟君をお迎えに行っていますよ」


「なるほど、仲の良い兄弟だな。では、私達は先にピアノの前で待つとするか」


ティアラもスメラギ夫妻に続こうとスカートの裾を手繰り寄せていると、近くで甘い香りがした。

顔を上げると、すぐ側にリーデルリディアが立っている。


「あなたは大切なお客様だから、少しだけ協力してあげる」


きょとんとするティアラに、いくらかの耳打ちをしてリーデルリディアは離れて行った。



 * * *



「お前がヨシュアだな」


涼しい夜風が心地好い庭で散歩していたヨシュアとティアラは、なぜだか妙な輩に絡まれてしまっていた。


「女嫌いと聞いていたのに、二人きりで仲良くお散歩とは驚きだ」


「失礼ですが、どなたでしょうか」


「もちろん教えてやるさ。俺はな、お前が散々弄んでくれた可愛いシャルロットの兄だ」


ヨシュアは目の前に立ちはだかる巨漢の青年と、その後ろから顔だけ覗かせている、か細い女の子を見比べる。

兄と名乗る青年に面識はないが、妹の方は同級生であり、家は宝石商だったはずだ。


なんにせよ、弄んだ記憶など欠片もないのは間違いない。


「おそらく、勘違いだと思いますが」


いかにも困ったという風情を出して、ヨシュアは社交的に揉め事を回避しようと試みた。


一体、どこでこうなったのか、ため息が溢れ出そうになる。


流れの始まりを思い起こすなら、人の悪い兄の、良くできた婚約者であるリーデルリディア嬢の演奏開始まで遡るべきだろう。


趣味のピアノを披露すべく、リーデルリディアは暖かい拍手に笑顔で応えて椅子に座った辺りから事が始まっていた気がする。

手始めに定番のバースデイソングを軽快に弾いた後は、可憐な見た目からは想像もできない重厚で情緒ある演奏を聞かせてくれた。

壮大な物語でも語っているかのような演奏は、芸術は人付き合いを円滑にする為の知識としか考えていないヨシュアにも飽きずに聞いていられるものだった。


煌々と明るく賑わう大広間から、淡い月明かりの下にひっそりと移動したのはこの後だ。


次の曲目が始まった頃を見計らって、隣に並んでいたティアラが手を引いて席を外させたのだ。


「おい、途中で抜けるなんて失礼だろ。数曲くらい、大人しくしてられないのか」


広間を出てからヨシュアが注意すると、ややふくれっ面をしてティアラが反論した。


「リーデルリディアさんに頼まれたの。三曲目が始まったら、ヨシュアを会場から連れ出してあげてって」


「え、あの人が?」


「疲れているだろうから、息抜きをさせてあげてって。それに……」


「それに?」


「ううん、なんでもない。とにかく、私が大人しくできないわけじゃないんだから」


「はいはい、わかりました」


というわけで、失礼に当たらないならヨシュア自身が誰よりも抜け出す機会を望んでいたので、一も二もなく乗っかった。


久々に好奇心むき出しの不躾な視線にさらされ、意識して力を入れていた体を冷ますつもりで、ひんやりしているだろう庭をヨシュアは目指した。

その理由の端っこに、ティアラと交わした口約束を含みながら。


そんな直後だった。

唐突に、覚えのない難癖を吹っかけられたのは。


「お前の正体は知れてるんだ。今更、いい子ぶってんじゃねえぞ」


いきなり現れ、面識もない青年が好き勝手に発言にしてくれる。

不審者に言われ放題のヨシュアは、完璧な外面でいるのが馬鹿らしくなっていた。


「じゃあ、こっちも言わせてもらうけど、あんたの妹をまともに相手にした覚えなんてないんだけど」


たいした用もないのに話しかけてきて、辛辣な十倍返しで泣かせたり恨まれたりした事もないくらい、件のシャルロットは遠巻きなクラスメイトでしかなかった。


「ど、どんな女の子にもきついから、そういう人なんだって諦めてたのに、なんでその子だけ特別なの? ずるいじゃない。私、私は……」


大きなお兄ちゃんに隠れていたクラスメイトがやっと自分で口を開いたかと思えば、見事に手前勝手な理屈を並べて瞳を潤ませている。


「俺が誰と仲良くしようと、君にどうこう言われる筋合いはない」


迷惑そうに答えれば、仕舞いには泣き出してしまった。


「なんなんだよ」


「それはこっちのセリフだ。よくも俺の前で妹を泣かせてくれたな」


妹が妹なら、兄も兄だった。


「まともに聞く耳があればわかるはずだろ。俺はこの子に何もしていない」


「そっちこそ理解力が足りないんじゃないのか。だからこそ、悪いって言ってんだ。俺の世界一の妹がお前を好いてやってるっていうのに涼しい顔をしやがって、この野郎!!」


「うわっ?!」


理不尽な理屈を振りかざして、青年は長く重たげな棒を振り回して襲いかかってきた。

ヨシュアは、とっさに脇差しを鞘ごと引き抜いて対抗する。


巨漢のお兄ちゃんの攻撃は感情的になっているので、単調な上に大振りなせいで避けるくらいはわけないが、力任せの勢いがあってヨシュアの方がやや押されていた。


「おらおらおら、少しは反撃してみろ!」


ヨシュアは冷静に応戦しながら、陶酔しきっている青年に対し、どこの家庭の兄も妹至上主義なのかと不思議でならなかった。

ともかく、背後のティアラを気にかけながら、時間さえ稼げればリラがやって来るだろうと考えて、この場を凌ぐ事だけに専念した。


何度か押し引きを繰り返していると、ヨシュアは目の前で激昂しているお兄ちゃんより、周囲の不穏さが気になっていた。


最初は客人が野次馬根性で見学しているのかと思ったが、どうにも一般人とは考えにくかった。

なぜなら、大多数が屋敷の中でなく、庭の茂みから密かに様子を窺っているのだから。


「本当の目的はなんだ」


ひときわ低い金属音が響き渡り、ギリギリと互いの武器が交差する。

そのまま、せめぎ合いで近づいたところで、ヨシュアは低い声で問いかけた。


さっきまでとは違う鋭さに、体の大きなお兄ちゃんは優勢であるにも関わらず眉をひそめる。


「俺の目的はさっき言った通りだ。ただ、他の理由でお前に用があるっていう奴らがいたから、連れてきてやっただけだ」


「他の理由?」


同級生の保護者達が娘の恨みを晴らす為に共闘でもしているのかと考えてみるが、潜んでいる見物人達のほとんどが堅気の気配でないのでありえなかった。


一瞬のうちに様々な可能性を巡らせても、しばらくシンドリーを離れていた身でピンと思い当たる何かはなかった。

最近発生した貴族の内紛や商団関係の揉め事ならば、今のヨシュアに知るすべはない。

家と縁を切るつもりでいたので、情報収集を怠っていたのを今更ながらに悔やんだ。


苦悩の色を見せるヨシュアに、力任せのお兄ちゃんは機嫌を良くして更に苦しませようとする。


「全員は知らないが、一人は脅迫してやろうとしたらアジトを叩かれた上に、説教されたと言っていたぞ」


今度は楽に見当がついた。

脅迫だというのなら、シンドリー国王の後継者問題で貴族間の争いに巻き込まれていた頃のどれかだろう。

結論として、いつも通りの巻き込まれ型逆恨み難に違いなかった。


「他にはそうだな、誘拐の邪魔をされたとか言ってる奴もいたな」


ヨシュアのしかめ面を追い込んでいると勘違いした青年は、畳みかけるつもりで知っている情報を考えなしにしゃべっていた。

調子に乗りすぎた、それが青年の運の尽きだった。


「誘拐の……邪魔をされた?」


誘拐に失敗しただの、返り討ちにされただのと言われればいくらでも心当たりがありすぎて断定できるものではなかったが、ヨシュアが邪魔をしたというなら一つしか思い当たらなかった。


「そいつはどこにいる」


今度は、はっきりと雰囲気が変わったヨシュアに、押していたお兄ちゃんの方が無意識に距離を取った。


「な、なんだ」


「お前の相手は後でしてやるから、さっき言ってた男がどこにいるのか教えろ」


「探す必要はない。私はここにいる」


戸惑うお兄ちゃんが答える前に、暗がりから一人の男が名乗り出た。


「久しぶりだな、お誕生日おめでとう」


「ふざけるな!!」


「おっと、失礼。成人おめでとう、と、祝うべきだったかな」


臨戦態勢に入ったヨシュアに、男は真っ向から社交的に応じた。


「ヨシュア、目上の親戚にそんな顔をするものではないだろう」


目上と言っても、実兄のミカルよりは年下な青年が威厳たっぷりな物言いをしてくる。


「親戚なんて枠でくくれるほどスメラギとの縁はない。第一、あんな事件を起こしておいてよくもぬけぬけと。デューク、今更どの面下げてやって来たんだ」


睨みつけるヨシュアに、デュークと呼ばれた男は余裕の笑みを浮かべていた。


このデュークという男は、レナルトの妻であるサマンサの親戚筋出身の青年だ。

とは言え、サマンサの実家とさえ縁が薄く、なんとか辿れば繋がっていたという程度の関係でしかない。


「どの面と言われても、この顔しか持っていないのだけどね」


顎を撫でながら、デュークは口の片端だけを上げてとぼけて返した。

しかし、この男の本心は手段を選ばない野心を秘めている。

それが証明されたのが三年前、シンドリー王妃が身ごもり、貴族達の牽制がひとまず落ち着いた頃の事だ。


当時はまだ同じ国立校に通っていたレナルトの一人娘、レイネが学校帰りに誘拐されかけた。

未遂で終わったのは、たまたまでしかない。


事件当日、ヨシュアは天敵のレイネを避けて寄り道をしていた。

その通りにこそレイネがいて、居合わせた正にその時、犯行が実行されていたという偶然の巡り合わせだった。


すでに何度も自分が仕掛けられる側として鍛えられていたヨシュアは、とっさに反応して助けに動いた。

おかげで事なきを得たが、間もなく首謀者がデュークだと判明した。

詳しく調べると、レナルトの資産に目をつけたデュークが、レイネを攫って自分の意のままになるように洗脳しようと計画していた全貌が明らかとなった。


あまりの卑劣さに、レナルトの屋敷やスメラギ本家はもちろん、スメラギの商団関係の敷地でさえも全面出入り禁止にされた男なのだ。


「デューク、何が目的だ」


「なあに、成人記念に大人の厳しさを教えてやろうと思って訪ねただけだ。しかし、お前はつくづく悪い子どもだったようだな。説教仲間を集めていたら、ずいぶんと簡単に集まってくれたよ」


白々しい物言いに、余計な一言が乗っけられる。


「これではロルフさんも大変だ」


それは、ヨシュアを最大限に逆撫でした。

もちろん、デュークは承知の上で放っている。


「リラさん、ティアラを頼みます」


ヨシュアはそれだけを呟いて、体を前のめりに傾げてデュークに突っ込んでいった。

直後にキンと高く響いた金属音は、鞘から抜かれたヨシュアの刃がデュークのものと交差したせいだ。

金属音は一つでは終わらず、次から次へと音程を微妙に変えて鳴り続ける。


「ティアラ様、これって全部敵だと思っていいんですか」


ヨシュアの呟きに応えるように、するりと現れたリラは、隠し持っていたナイフを太ももから取り出していた。


「シモン、少しは当てにしてるからね」


後ろにいたシモンは、リラの期待に自信なさげにしている。


「武器になるものでも見つかればいいけど」


従者として来ているシモンに、今、そこまでの用意はない。


「なら、あの棒とかいいんじゃない?」


リラは、近くに突っ立っている大きな青年を指差した。


「いけるかな……」


武官でないシモンは最低限の護身術しか身につけていないし、ヨシュアの世話についてからはさっぱり遠ざかっていた。


「姿勢が悪いから、見た目だけで体幹はなってないでしよ。いける、いける」


気軽にシモンをけしかけて、リラはティアラを下がらせた。


「この状況じゃあ、やるしかないか」


戦力になる心を決めたシモンの前には、ヨシュアとデュークの争いを囲むながら暗がりからいくつもの人影が現れていた。

中には、当然のように人質となりうるティアラに目をつけている動きも見え隠れしている。


「じゃあ、まずは得物を確保してくるので、ここは頼みます」


ティアラに借り物の小物で飾られた上着を任せると、シモンは狙う青年を鋭く見据えた。


「任せなさい。どういう展開になっても、長く堪える必要はないと思うから頑張ってよ」


リラは、やはり軽い調子でシモンを送り出していた。



 * * *



ヨシュアは囲まれている範囲が狭まっているのを誰よりも早く察していながら、デュークに対する手は少しも緩める気がなかった。

ヨシュア自身は過去にデュークと親しんでもいなければ、直接何かを仕掛けられた関係でもない。

ましてや、狙われていたレイネは天敵であり、思い入れなどあったものではなかった。

けれど、利益の為なら、自分だけに都合のいい非道な手段を選ぶ姿勢が許せいのだ。


それまで、ヨシュアにとって敵は二通りしかなかった。

黒い男か派手な女。

男は覆面で、女は厚化粧で、どちらも顔を隠しているのが特徴だ。

それを悪い意味で打ち破ってくれたのが、素顔を晒したデュークだった。

ヨシュアが自分でも意識していないくらい密かに、非道で許せない連中の代表格として奥底に巣くっていたらしい。


「はは、また一段と強くなったようだな」


デュークは口ほどの余裕はなく、必死に剣を合わせて、なんとか凌いでいるだけの状態だ。

押しているヨシュアは少しも手加減をせず、線が細い体重のなさをくるくると回転しながら威力を増して矢継ぎ早に仕掛けている。

周囲の剣呑な見物人達に、八方から一斉にかかってこられる前に決着をつけたかった。

しかし、デュークは必死で渾身の一撃をくれた後で大きく距離をとり、両手で剣の柄と峰を握って体の前に出して、待ったをかけた。


「なんのつもりだ」


「残念ながら、僕では相手にならないようだ。ここらで引かせてもらおう」


驚く事に、肩で息をするデュークは堂々と敗北宣言をした。

もちろん、それで終わるはずはなかった。


「それに、せっかく来てくれた客人達の出番をなくすわけにはいかないからな」


こうやって簡単に気持ちを切り替えて、効率性を重視して利益を優先させる辺りもヨシュアの癪に障った。

だからと言って、状況はすでにデューク一人に集中していられるものではなくなっている。

視界に入るだけでも、ざっと十人は数えられる。


貴重な味方のリラとシモンは、ティアラの側を離れるわけにいかないので数には入れられない。

ヨシュアが選べるのは逃げの一手で、警備員に助っ人を頼んでくるしか道はなかった。


「ヨシュア? あなた、何をしてるの」


仕掛けられる前に手薄な方位を探りながら逃げ込む先を考えていると、荒っぽい喧騒に似つかわしくない声に呼びかけられた。


「お前は絶対、近付くな」


切羽詰まった鋭い様子に、回廊から呼びかけたレイネは立ち止まるしかなかった。

それでも、一番うろたえて立ち尽くしたのは誰でもない、忠告した側のヨシュアだった。


ヨシュアは、サマンサがレイネと共に連れていた少女に目を奪われていた。

橙色のスカートに茶系のフリルとレースを重ねた可愛らしいドレスに身を包んだ、黄金色の髪の乙女だ。


「ヨシュア、危ない!!」


その聞き慣れた声で我に返ると、反射で三人の攻撃を相手にする。

一人は体を捩って上手く避けながら、もう一人を刀で防いだ。

手に余ったもう一人はどうしようもなかったが、結果としてヨシュアは無傷でいる。


「こんな状況で呆けるって、どれだけ驚いているんだよ」


「……来るのが遅いんだよ、アベル」


「はは、悪い悪い」


手に余った分を引き受けたアベルが笑って返した。


「ヨシュア、気合い入れ直せよ。って、カッコつけたいところだけど、俺の大活躍を見せるのは今度になりそうだな」


腰を落として警戒体勢のアベルは、視線だけ屋敷に向けていた。


「思ったより派手にやっているな」


スメラギ家当主のロルフと、後継者のミカルが緩い風になびかれて登場した。

たった二人がやって来ただけで、威風堂々を体現するような圧力で一瞬にして空気を変えてしまう。


「親子が仲良くお揃いですか。お久し振りですね、ロルフさん」


未だに呼吸の整わないデュークは、それでも余裕ぶって自ら挨拶の言葉を口にした。


「どの面下げてだな」


「生憎と、この面しか持ち合わせてはいませんが、息子さんにも同じ事を言われましたよ」


「だろうな。しかし、開けてやった穴は通りやすかったようだな。予想以上の大入りだ」


ヨシュアも、わざと警備に隙を作っているのは知っていた。

シンドリーに帰ってきたばかりの身でミカルに見せられた計画書の段階で穴があったからだ。


それにしたって、デュークが多少の数で押し入ったくらいでは、今日の為にスメラギが割いている警備員には圧倒的に敗けが決まっている。

けれど、デュークの方も一筋縄ではいかない策略家だった。


「こちらも承知の上ですからお気遣いなく。悪意を持って危害を加えようとしたのですから、どうぞ遠慮なく捕らえてください」


なんと、自分から認めて捕まえろと言ってのけた。


「ただ、念の為にお教えしておきますが、ここにいる全員が正規の賓客、もしくは護衛・付き添いとして通されています。それだけは踏まえておいた方が宜しいかと思いますよ。もっとも、主催者であるロルフさんなら、当然ご承知でしょうけど」


今回の宴を仕切っていたミカルは渋面を作るが、ロルフは座興を見るのと変わらない顔つきでいる。


「ならば、それなりの貸しを作れるな。但し、お前だけはそれで済むとは思うなよ」


「ええ、覚悟の上です」


一部で悪魔以上にどきついと恐れられるロルフに、デュークの態度は負けていなかった。


「たいそうな危険を冒してでも、彼には報復をしておきたかったものですから」


デュークはヨシュアを凄んで笑った。

ヨシュアは溢れんばかりに湧き上がる怒りで目が眩みそうだ。


「ですが、今日はこのくらいにしておきましょう。ただで捕まるつもりはありませんので」


くすりと笑い、おどけて見せたかと思えば、デュークは躊躇う事なく仲間を置き去りにして、一人騒動から逃げ出した。


「ミカル」


ロルフに言われるまでもなく、真っ先にミカルが後を追いかけていた。

ヨシュアもすぐに追いかけようと試みるが、次々と襲ってくる雑魚達に足止めされてしまう。

おまけに、すれ違ったミカルに肩を叩かれ、残るように指示までされる始末だ。


「くっそ!」


ロルフが連れてきた警備員も動きだし、圧倒的に優位になったにも関わらず、ヨシュアは息苦しくてならなかった。



 * * *



ロルフがやってきた時点で、ティアラの周囲にはスメラギ家の警備が三人加わった。


間もなく騒動の収まりにめどがついたと判断するなり、リラは回廊に立っているサマンサの所に移動しようと提案した。

優先すべきはティアラの安全だからだ。


素直に従うティアラも自分の立ち位置は理解しているはずなのだが、途中で唐突にリラとシモンを振り切って飛び出してしまった。



 * * *



ミカルに肩を叩かれたのと同時に、ヨシュアには二人の警備員がついた。

こうなってくると、どうして自分はこんな渦中にいるのだろうかと、かったるさが前面に出てくる。

この状況を丸投げして、今すぐ部屋に引きこもりたいと埒もなく考えてしまうのも仕方なかった。

そうして、屋敷に意識を向けた瞬間、回廊の屋根の上に怪しい人影があるのに気付いた。

真下にはレイネが立っている。


策を考える間も、陰湿なデュークへの恨み事を吐き出す余裕もなくヨシュアは駆け出していた。


「レイネ!!」


叫んで注意を促せば、飛び降りてきた男がヨシュアを認識する。

それと同時に、どこからかティアラが駆けつけたのもわかったが、文句を言ってる暇はない。

ヨシュアは重力が最大限にかかった最初の一撃をあえて受けて方向をずらし、痺れる腕でレイネとティアラを庇う位置に構えた。


ところが、再び臨戦態勢に入ったというのに、相手方は奇襲失敗となったら即時に撤退を選んで、すたこら逃亡していた。


「あ、こら! 逃げんな!!」


ぶつけどころのなくなった闘志をもてあまして叫んでみるも、すでに何人かの警備員が追いかけていたのでヨシュアは見送るしかなかった。


その頃にはほとんどの者が捕らえられ、騒動は完全に鎮圧されていた。

大きく息を吐き出したヨシュアは、むなしい気持ちで庭から回廊に向き直る。

そして、先ほどの捕り物どころではない憂鬱さを感じていた。


ここにいる誰に対しても言いたいことがありすぎる。

誰から文句、または問いかけをするべきかと悩んでいると、大広間から遅れてやってきた人物によって先手を取られた。


「ロルフさん!」


「なんだい、セレスティア」


やってきたのはロルフの妻であり、ヨシュアの母、その人だった。


「今回は、絶対に何も起こらないとおっしゃっていましたよね」


「ああ、言ったな」


「では、この有様はなんですか」


庭園には武装した警備員が集結し、捕縛された者達がごろごろと転がっている。


「私のせいではない」


「あら、ロルフ。それは、どんなご冗談かしら」


ここでレナルトの妻であるサマンサが参戦した。


「あなたが大きな顔でここにいる以上、無関係だなんておっしゃる道理がありませんわよね」


サマンサは社交界でも指折りの優雅な微笑みで、完全否定をした。


「全く弁明がないわけでもないが、ここでは控えておこう。サマンサ、君にはミカルから後で説明をさせる。セレスティア、お前には今夜にでも私から話そう」


誠意を持って返答したつもりのロルフは、しかし、どちらからもいい顔をしてもらえなかった。


「とりあえず、この場ではわかりましたと答えておきましょう。後の始末は、しっかりと責任を持って引き受けるのでしょうね」


サマンサの鋭い笑みに、ロルフは平気な顔でもちろんと返した。


「でしたら、私は引きましょう」


「ありがとう、サマンサ。セレスティアもそれでいいな」


セレスティアはロルフの問いかけに応えず、息子のヨシュアを見つめていた。

目を合わせたヨシュアは、瞬くくらいの反応しかできなかった。

それでも、セレスティアは安堵した微笑みを残して、ロルフに厳しい顔つきで向き直った。


「ええ、結構です。後でしっかりと説明してもらいますから。では、お客様を放ってはおけませんので、私は先に戻っています」


「ああ、私もミカルが戻り次第向かおう」


流れを作っていたセレスティアが去ると、回廊には妙な沈黙が漂う。

全員の注目は、不思議とヨシュアに集中した。


「……」


心が決まらないうちに誰かと目を合わせるのが嫌で、視線を宙に漂わせてどうしようかと必死に頭を悩ませる。


「ティアラ」


と、とっさに呼んだのは、一番近くにいたのと、この中では比較的話しかけやすいと思えたからだ。

家族や親戚だけでなく、信頼できる友人達よりも先に、どんな関係なのかを他人には説明し難い女の子を気安く感じる奇妙さを味わいながらも、ヨシュアは他に目を向けられなかった。


「巻き込んだのは悪かったけど、なんで危ない真似をした。怪我でもしたらどうするつもりだ」


なるべく怒って見えるように言ったのは、ティアラに何かあった場合、ファウストやカミやレスターに上手な言い訳ができる自信などないからだ。


「だって、レイネに何かあったらヨシュアは悲しむでしょう」


「え? ああ、まあ……」


確かに、痛い目に遭えと真剣に念を送った事はあっても、実際に血を流して苦しめと願った事はさすがにない。


「レイネは、ヨシュアのいいところを沢山教えてくれたの。すごく親切にしてくれた。だから、自然に体が動いちゃったの。ごめんなさい」


想定外の言い分に、ヨシュアはすっかり叱る気力が削がれてしまった。

レイネに目を向けると、顔をそむけて回廊を戻っていったところだった。


「ヨシュア、追いかけなよ」


迷う背中を押したのは、黄金色の髪の乙女のエルマだ。


「本当にエルマなんだな」


「そう見えない?」


複雑そうに眉を下げ、エルマは着ているドレスを広げて自分の格好を検分する。


「ううん、見える。エルマにしか見えない」


だからこそ、ヨシュアは困っていた。

あんな場面でも思わず見とれてしまったのが、普段は女の子を赤らめさせるくらい男前な親友のエルマだったのだ。


「色々言いたい事があるんだろうけど、今はレイネを優先してあげて」


「そういう事だな」


後ろからアベルにどつかれて、とりあえずその勢いを借りてレイネを追いかける事にした。



 * * *



ヨシュアが追いかける通路は大広間に向かうには遠回りになるので、他より少し薄暗い。


「おい、帰るつもりなのか」


たっぷりしたスカートを身にまとっているので、目的の萌黄色の背中には簡単に追いつけた。


「ええ、帰るわ」


ヨシュアにしてはかなり頑張って呼びかけたのだが、レイネは立ち止まっただけで振り返りもしない。

だからと言って、このまま帰られたのではさすがに寝覚めが悪かった。


「レイネ、悪かったな」


「何が?」


「さっきの騒動に決まってるだろ」


「他にはないの」


「他って……まあ、昨日は言いすぎたかも。だから、意地を張ってないで参加していけよ。その方が、みんなも喜ぶだろうし」


「ヨシュアは?」


「ん?」


「ヨシュアはどうなの」


いつも意味不明なレイネの発言に、今は微妙な緊張感が加わっている。


「……いないよりは、いた方がましかな」


正確には、その方が後味が悪くないという意味であり、レイネも正しく理解していた。

ここでようやくレイネは振り返り、ヨシュアと真正面に向き合う。


「ねえ、私が昨日言った事、少しは考えてくれた」


「ああ、自業自得ってやつだろ。大広間にいる時によぎったよ」


「……それじゃあ、自分が女の子達にどう見られてるかは少しも考えなかったのね」


「他人ばかり気にしてたって、しょうがないだろ。ここでは誰もがスメラギ家の次男としか見ないんだ。俺はウェイデルンセンで正当な評価をされるように頑張るんだから、余計なお世話だ」


「見事に真意をすり替えたわね。自分の事、本人が一番わかってないんじゃないの」


「やめろよな。今日はこれ以上争いたくないんだ」


「そう。私も昨日以上の忠告をするつもりはないんだけど、こうまで鈍いと可哀想になってくるわね」


「また、わけのわからない事を。いいから、広間に行くぞ」


仏頂面で背中を向けて歩き出したヨシュアに、レイネはある決意をした。


「ねえ、ヨシュア」


「なんだよ」


「私、あなたが好きよ」


「……は?」


「ミカルの成人祝い以降、わけもわからず避けられて、理由がわかったところで未だにまともな会話もできないままだけど、それでも、ずっとずっとヨシュアの事が好きだったわ」


「…………」


「ちゃんと聞いてる? 私は、今、あなたに愛の告白をしてるのよ」


「あ、あい?」


ヨシュアは上半身を捩って振り向いたままの姿勢で、木偶の坊になっていた。


「私はスメラギ本家の財産なんて興味ないし、商団の情報網だって必要としてない。欲しいものがあれば自分で手に入れるもの。もちろん、誰かに脅されたり指示されているわけでもないわ。だけど、ヨシュアが好きだって言ってるの。この意味、わかる?」


「わ……かる、けど、え? 冗談とかじゃないのか」


「こんな冗談言って、私になんの得があるのよ」


どこまでも鈍いヨシュアらしさに、レイネは眉間をしかめる。


「嫌がらせ、とか……」


小さい声で、かろうじて言い返した。


「ヨシュアが普段、私をどう見てるのかがわかるってものね。いいわ。私は今まで親切心を込めてお節介を何度もしてきたけれど、嫌がらせをしたつもりは一度もないの。だけど、せっかくだもの、ご期待に応えて初めての意地悪をしてあげようじゃないの」


これまでの言動が嫌がらせでなかった発言に驚きだが、すでに相当な衝撃に重ねて、追加の嫌がらせなど堪ったものではなかった。

しかし、レイネがヨシュアの願いを聞いてくれるはずもなかった。


「私の生まれて初めての告白、返事は受け取らない事にするわ。だから、ヨシュアはずうっと返事のできない告白を胸にしまっておいてね」


「はあ?」


あまりの動揺で返事なんて考えてもいなかったヨシュアは、宣言をされて益々混乱した。


「ほら。呆けてないで、エスコートしてよ。置いてくわよ」


唖然としているヨシュアの脇をすり抜けて大広間に向かうレイネは、弾むように足取りが軽かった。



 * * *



「よ、王子様」


「アベル、本気で絞めるぞ」


再び大広間に戻ってきたヨシュアは、やっとの事で親戚一同から解放されて壁際に下がっているアベルとエルマに合流した。


「お似合いだったよ、ヨシュア」


「エルマまでやめろよ」


会場にレイネをエスコートする役割をなんとかこなしたヨシュアは、主役なのにしばらく姿を見せなかったせいか、注目度がばつぐんに高かった。

それでなくても社交界に影響力の強いサマンサの一人娘が未公表の誘拐未遂以降に華やかな場所に出てくるのは珍しいのだ。

激しく動揺しているヨシュアが短時間で立て直して人前に出るには鉄壁の外面を装着するしか対策がなく、不本意ながら傍目には可憐な少女と親しげな爽やか少年にしか映らなかった。


「色々あったけど、良かったじゃないか。レイネと和解できて」


お気楽なアベルに、ヨシュアは唇を尖らせる。


「なんだよ、ヨシュア。じゃなかったら、エスコートなんてしてこないだろ」


「……告白された」


「は?」


「生まれて初めて、まともな告白をされたよ」


「マジでか! お前を好きなのは知ってたけど、よくこの状況で言ったな」


「え、何? アベル、お前、レイネが俺の事好きだって知ってたのか!?」


「え、知らなかったのはお前くらいなものだぞ」


エルマを見れば、こっくりと同意していた。

ヨシュアは肩を落として、本当に何も見えていなかった自分が心底情けなくなった。


「んで、返事はどうしたんだ」


アベルに聞かれて、更に憂鬱になる。


「返事は受け取らないって言われた」


「どういう意味だ?」


「嫌がらせだって」


「うーわー、さっすがレイネ」


ちょっとだけヨシュアが可哀想になったアベルだ。

けれど、何よりの薬になるだろうとも思う。


「レイネはすごいな」


グラスを片手に、長椅子に腰かけたエルマがぽつりとこぼした。


「んー……よし! ヨシュア、エルマをダンスに誘え」


アベルの提案に、ヨシュアよりもエルマが驚いた。


「何言ってるんだよ。女性パートなんて踊れないって」


「男がリードするんだから、身を任せればどうにでもなるだろ。ヨシュアだって、二人で話したい事もあるだろうし」


「話をするのに、わざわざ踊る必要はないだろ」


ぐったりお疲れなヨシュアも、今は踊る気分になど到底なれそうにない。


「あのな、せっかく着飾っている女の子を、こんな隅に引っ込ませておくのは失礼だと思わないのか」


女の子に関して色々と考えさせられたばかりのヨシュアは、そういう意味ではアベルの意見が正しいのだろうと素直に受け入れた。


「わかった」


きっぱり返事をすると、ヨシュアはエルマに合わせて片膝をついて手を差し出す。


「オズウェル・エルマ嬢、よろしければ一緒に踊っていただけませんか」


「ちょっと、ヨシュア!?」


「エルマ、男に恥をかかせるなよ」


アベルはニヤっと笑って、自分は本日大活躍のレイネを誘ってみるかとつぶやいていなくなった。


後に残されたエルマは、引っ込めさせるわけにはいかない手を仕方なしに取った。


すると、あれだけ女嫌いだと宣言しているヨシュアにスマートに踊りの輪まで連れていかれる。

そして、するりと腰に手を当てられ、片手を掴まれ、あっという間にいつでも踊り出せる体勢に整っていた。


「ねえ、本当に踊るの?」


「そんなに嫌なのか」


不思議そうなヨシュアに、エルマだけが意識をしているみたいで悔しくなる。


「違う。足を踏んだって知らないからな」


「そうならないようにリードする」


なんて答えながら、ヨシュアは自然な運びで躍りの輪に加わった。


しばらくは慣れないパートに神経を尖らせていたエルマだったが、元来運動神経も要領も良く、何より、女の子と踊っている姿を見せた事のないヨシュアが上手に導くものだから、すぐに楽に動けていた。


「ダンスなんて、いつ覚えたんだ」


「好きで覚えたわけじゃない。時々、サマンサ叔母さんに強制召集されてたんだ」


「なるほど。なら、これくらい踊れて当たり前か」


「当たり前って言うなよ。大変だったんだからな」


父も兄も異常に器用な人なのでヨシュアは中々評価をされにくいが、何事も高水準を目指す努力家なのだ。

しかし、いくら頑張って身につけても、楽々こなしてしまう父や兄の前では空しい努力だった。


「悪い」


損な性分を充分に知っているエルマは苦笑して謝った。


「あのさ」


「ん?」


「エルマは男装した事、後悔してないか」


「もしかして、自分のせいじゃないかって責任感じてる?」


「……うん」


ヨシュアは躍りの運びと違って、ずいぶん歯切れ悪く返事をした。


「そんな事ないよ。まあ、始めた頃は、こんなに長く続けるつもりじゃなかったけど。でも、髪も服も男装だと動きやすいし、可愛い女の子に好かれるのも嫌いじゃないからね」


軽く返すと、ヨシュアの方が口をつぐんでしまった。


「今更、ヨシュアが気にする必要はないんだよ。普段はああでも、こうして着飾ればアベルでも女の子扱いしてくれるってわかったし」


それに、どんな格好だろうとヨシュアの態度に変わりがない事も確認できたから、と考えたのは黙っていた。


「エルマがいいなら、構わないんだけどさ」


「だろ」


いつもの口調でエルマは同意してみせた。


そうして、心から軽やかにステップを踏み出したエルマは、ヨシュアが初めて見とれた女の子が自分だとは知らずにダンスを楽しみ始めていた。



 * * *



「どうして、私を誘ったわけ?」


一方、レイネを誘ったアベルは、可憐な見た目に反して相変わらずの厳しい言葉を投げつけられていた。


「だって、俺だけ一人とか淋しいだろ」


「年頃の女の子なんて、ごろごろいるじゃない」


「全部、ヨシュア目当てだろ。へたに声かけて、商団関係者のご令嬢さんだったりしても困るからな」


妙なところで気を使うアベルに、レイネはもっとも無難な選択が自分だったのだと察した。


「いいけど、あんまり仲良さそうに見せないでよ」


「なんだ。失恋したばかりのくせに、もう次のあてがあるのか」


「誰が失恋したって? あんなの、私が振ってやったようなものなんだから」


「うん、そうだな。レイネはいい選択をしたと思うぞ」


アベルは友達甲斐のない事を平気で言ってのけた。


「でしょ。次はもう少し大人で、基本姿勢が優しい人にするの。だからって、なよっとしてるわけじゃなくてね」


「いきなり具体的だな。マジで、特定の相手を見つけたのか?」


レイネはちらりと微笑んで、意味ありげな視線を一つの丸テーブルに向けた。

追って見れば、ミカルとリーデルリディアがティアラと話している。


「まさかの兄貴狙い?」


「ばっかじゃないの。もっと左よ」


つま先で脛を蹴られて、半分涙目で言われた通りに従えば、リラとシモンが控えていた。


「……まさか」


「シモンさんって素敵な人よね。落ち着きがあって、思いやりがあって、頭の回転もいいから話していると楽しいの」


「いや、待て。確かにお前の条件に当てはまってるけど」


「知ってるわ。あの子はお姫様で、シモンさんは王様の側近なんでしょう。いいじゃない、遠距離恋愛。ときめくわ。ヨシュアのバカを想い続けてきた苦労に比べたら、距離なんてちっとも問題じゃないもの」


頬を染めて盛り上がっているレイネに、アベルは肝心なシモンの気持ちはどうなんだと、根本的な指摘ができないまま夜は更けていった。



 * * *



帰宅する最後の客人を見送り、会場の片付けや宿泊する人達への指示を終えたセレスティアは、落ち着いたのが日付が変わる直前の時刻であっても眠るつもりはなかった。


大事な主役のヨシュアを巻き込んだ騒動の説明を、夫のロルフにしっかりとしてもらわなければ、安眠など到底無理というものだからだ。


セレスティアは、ロルフの書斎を強気でノックした。

どうぞとの声に、断固として追求を緩めないのだと示す為、きつく見えるよう顔をしかめて中に入った。


ところが、待ち構えていた人物を見た途端に全てがだいなしになってしまった。


「ヨシュア、どうしてここに……」


幼い頃にぎくしゃくとしたままになっている次男坊が、ロルフ特注の大きな椅子にどっかり座っていた。


「親父と取引したんだ」


ヨシュアの発言は、意外にも商魂たくましいスメラギ家の一員に相応しかった。


「母さんを宥める条件で、二人きりで話す場所を提供してほしいって」


セレスティアは目を丸くして驚いた。

すぐ側にいても視線を合わせる事のなかった息子が、自分から話したいと言ってくれているのだ。


「わかったわ、重要な話があるのね」


姿勢を正して真剣な眼差しの母親に、ヨシュアは慌てて否定した。


「そんなにすごい用じゃないんだ。ちょっと預かってきたものがあって……」


俯いて、もぞもぞと膝の上から取り出したのは、見覚えのある紙袋だった。


「オアシスのレスターさんかしら」


「うん、珍しい薬草が入ったからどうぞって」


セレスティアが担当する敏感肌向けの化粧品顧客は定期的な面会が必須で、以前、仕事中だと自覚しながらも、ついヨシュアの様子を尋ねてしまった事があった。

だから、気を使わせたのかもしれない。


レスターに感謝しながら、机越しに息子に触れないよう慎重に、そうっと袋を受け取った。


「ありがとう、ヨシュア」


「それと、これも」


ヨシュアは視線を合わせないままで、もう一つの小さな包みを見せた。


「これもレスターさんが?」


「……これは、俺から」


「え?」


「俺が選んだんだ。気に入ってくれるかはわかんないけど」


居心地の悪そうなヨシュアと差し出された緑色の包みを見比べてから、セレスティアは中を開いて確認する。

中から、ころんと一輪の白い花を模したブローチが転がり出てきた。


「これを、ヨシュアが?」


不器用な次男坊は無言で頷いた。


本当ならレスターの頼まれものも、自分の贈り物も、伝言の形で誰かに託す予定だった。

けれど、レイネの衝撃の告白を受け、直に向き合わないと伝わらないものもあるのだと思い直して、今に至る。


「何を話したらいいのか困るし、女性全般が苦手なのは変わってないけど、母さんが嫌いなわけじゃないから」


ほんのり赤らみながら、ヨシュアは懸命に気持ちを伝えた。


「ヨシュア。私も何を話していいのかわからないけど、あなたの事をずっと愛していたわ」


精一杯の息子の気持ちを突っぱねられるとは予測していなかったが、これほどしっかり受け入れられるとも想像していなかった。


「ねえ、ヨシュア。大人になったあなたには失礼だと思うけど、最初で最後でいいから、抱きしめさせてくれないかしら。もちろん、嫌なら断ってくれていいから」


それは、セレスティアがずっと前から、ヨシュアが怖がって泣いていたあの時からしてあげたかった事だった。


「え、あ……」


ヨシュアは全身が固まって、気が動転していた。

それでも、セレスティアの気持ちを無下にはしたくない親想いの心と、もうずっと昔に心地良かったあの安心感をもう一度も味わってみたい幼い子ども心が反応した。


「うん、いいよ」


と答えさせたのは、九歳の甘ったれだったヨシュアなのかもしれない。


立ち上がって、向き合って、ヨシュアは自分よりも小柄に変わった母親にしっかりと抱きしめられた。

多少の嫌悪感は我慢しようと覚悟していたのに、そんな気持ちは少しも湧いてこなかった。

懐かしい匂いと、守られている安心感、それしか感じられなかった。


こうして、最悪な気分で始まったヨシュアの十八歳の誕生日は、最高の心地良さの中で幕を閉じた。


―――のだと信じたかったが、災難を引き寄せる性質が、こうも丸く収まる結末を許してくれるわけがなかった。



 * * *



幸せ気分のヨシュアが眠りにつくと、性懲りもなくカミが夢に現れた。


「ずいぶん楽しい時間を過ごしたようだな」


広がる海はどこまでも大きく、空は高くて雲一つない。

砂浜さえ延々と続き、途切れる果てが見えなかった。


現実の風景とはだいぶかけ離れているものの、思い入れのあるスメラギ家所有の海辺に間違いない。

そして、こうまで雄大な景色の中では、多少の異物が交ざっていようと許せる気分だった。


「色々あったけど、最後にいい思い出が作れて良かったよ」


聞かせるともなしに、ヨシュアは遥か彼方を眺めながら言った。


「最後とは、どういう意味だ?」


「俺、実家が好きじゃないんだ。だから、家を出たくて渋々婚約の話を受けた。今日を機に、ようやく完全に家から離れる決意ができたよ」


「家を出たからと言って、縁が切れるものでもないぞ」


自分に言い聞かせるつもりの宣言に、なぜか無関係のカミから横槍が入った。


「これほど根付いた風景だ、しっかり縁が結びついているものを引き離しておけるものではない。どれだけ拒絶をしても、大事な時期には場所に呼ばれるぞ」


「……え、何?」


「要するに、離れたくても離れられない場所だという事だ」


実に簡潔な説明だ。

しかも、神様からのお告げである。


「い、嫌だー!」


広大な海に叫んでみてもどうにもならないのに、ヨシュアは堅くなに否定し続けていた。



 * * *



十八歳と二日目。

ヨシュアは、まだ薄暗い時間に目を覚ました。

時計を見れば、まだ四時前だ。

もう一眠りしたくても、起こしてくれた人の気配は確実にこの部屋に近づいてくる。


先手を取ってこちらから扉を開けると、ノックしようと腕を上げたミカルが立っていた。


「気配に敏感なのは、少しも変わっていないようだな」


「こんな時間に、どんなご用件でしょうか」


「許せよ。こっちはまだ、お前の誕生日が終わってないんだ」


言われて見れば、ミカルは昨日のジャラジャラと飾りのついた上着を脱いだだけの格好だった。

ヨシュアは昨夜の後始末についての報告だろうと了承した。


「着替えるから先に行ってて」


「いや、一緒に行こう」


「は?」


嫌がる暇もなく、ミカルがヨシュアを押しやり部屋に入ってきた。


「なんのつもりだ」


「いいから着替えろ。話くらいできるだろう」


「……」


ヨシュアはものすごーく迷惑だと顔の筋肉だけで最大限に主張してから、背中を向けて着替え始めた。


「ヨシュアは、一進一退の成長をしているみたいだな」


「昨日の話をするんじゃないのか」


背中を向けたまま、ヨシュアはぶすっと受け答えする。


「だから、しているだろう。新しい世界に目を向けた代償に、家の事はすっかり忘れてしまったようだな」


まだるっこしいミカルの言い方に苛つきながらも、ヨシュアはどこか懐かしいやりとりだとも感じていた。


「お前は、父さんと俺の違いを覚えているか」


「はい?」


またまた狙いの見えない話題に眉をひそめつつも、頭の中では聞かれた通りに記憶を辿っていた。


どちらも優秀なのだが、父のロルフは尊大な威厳と圧迫感により厳つい印象で、兄のミカルは細身の筋肉質で舞台役者のような華やかさがある。

他にも色々違いがあるものの、ヨシュアにとっての大きな違いは別のところにあった。


どちらもヨシュアを暇潰しの如く、からかって楽しむ傾向があるのだが、ロルフは押しつける用件に拘りはなく、対するミカルは押しつける為にわざわざ難易度の高い課題を事前に用意するという点だ。


そんなミカルは課題を出した後は黙って見守り、時には親切でないにしろヒントをくれるなど、曲がりなりにも公正な姿勢が見られる。

これがロルフの場合になると、ヨシュアが懸命に取り組む様を高みの見物で、順調にこなしている時は自ら事態をかき回し、より楽しい状況にしてくれるといった性格の悪さが滲み出るのだ。


「だから、それが……」


なんだ、と言いかけて気が付いた。


「俺はあの時、意見はないかとお前に聞いたな」


それは、ヨシュアがレナルトの屋敷に到着した日の事だ。

ミカルにいくつかの報告をされた時、警備の不備を見つけたのを覚えている。


「あの時、お前が穴を指摘していれば、警備は隙のないものに変更する用意があったんだぞ」


自分の失態に、ヨシュアはくらりと目眩がした。

ここで凹むだけなら前と変わらないので、必死に反撃を試みる。


「デューク以外は正規の入場をしてたんだろ」


着替えを終えて、ヨシュアは兄に向き直った。


「それでも、デュークは入ってこられなかったはずだ。どちらにしろ、お前が指摘した時点で、怪しい動きがあると伝えるつもりだった。ならば、展開が違ったと思わないか」


確かに、知っていた上での待ち伏せなら、ヨシュア自身でデュークを捕らえられた可能性も高かったはずだ。


「だったら、最初から教えておいてくれたら良かっただろう。こっちにはティアラがいるんだ。巻き込む心配は考えなかったのか」


これだけは、昨日の内から絶対に訴えようと思っていた。


「それについては、父さんからウェイデルンセンに説明すると言っているし、俺も不注意だったとしか言いようがない」


とんでもなく珍しい事に、ミカルが素直に非を認めていた。


「当てつけのようにお姫様を連れてきたのは苦笑するだけで済ませたが、まさか、お前が本気の息抜きで一緒に抜け出すほど進捗してるだなんて、万が一にも想定していなかったからな」


ある意味、父と兄に意外性を示したかった当初の目的は果たせたと言えるのかもしれない。

なのに、ダメージを受けたのは、ヨシュアだけだと感じるのは気のせいだろうか……。


「仕度ができたのなら行くぞ」


ミカルに促されて部屋を出る。

もう充分に状況を確認した気がするのだが、これでお仕舞いにする権利は、まだヨシュアにない。


「ミカル、ずいぶん楽しい会話をしてきたようだな」


書斎のロルフは、不機嫌極まりないヨシュアを眺めてこう表現した。


「ええ、久しぶりに兄弟仲を満喫しました」


ミカルもミカルで、こんな調子だ。

こうなると、ヨシュアは怒るだけ損をするというものだった。


「早く用件を言ってください」


後は、いかに短時間で済ませるかという問題でしかない。


「せっかちな奴だな。まあいい。私もいい加減、休みたいからな」


そう言うロルフも、昨日と同じ煌びやかな衣装のままでいる。


「残念な知らせだが、どうにもデュークは早々に放免する事になりそうだ」


「はあ!?」


ヨシュアは耳を疑った。


ヨシュアだけを狙っていたなら、そんな処分でも納得はしないが諦めはつく。

でも、今回はティアラとレイネを巻き込んでいる。

セレスティアやサマンサだって報告を待っているのに、この処遇はありえなかった。


「もしかして、ボケてんの?」


本気で心配になるくらい信じられない報告だった。


「そう見えるのなら、一緒に病院に行くか?」


「本当に行く必要があるなら別々に行くよ。それより、どういう事なんだ。俺がいない間に、スメラギの力が衰えたをじゃないのか」


「だったら良かったんだがな。ミカル、お前の仕切りだ。説明してやれ」


ロルフの指示に、ヨシュアはじれったい気持ちで兄の解説を待つ。


「今回の捕縛者は全員身元を洗い出し、当人や雇っていた主人達に一喝してお帰りいただいた」


全員がヨシュアに対して前科があったとしても、一晩の内に適切なけりをつけたとなれば、さすがと評するしかない。

となると、益々デュークの扱いに疑問が深まるばかりだ。


「デュークは当面捕らえておいて、後で仕置きを兼ねてどこかで監視をつけながらこき使うつもりで考えていた」


それならば、文句なくスメラギらしい処分方法だ。


「だが、一度は見捨てられたはずの捕縛者、及び関連の有力者達が、こぞって奇妙な庇い立てをするんだ。中には、後の面倒は見る当てがあるから、共に釈放してやってくれと頼み込んでくる者までいた」


「デュークって貴族の家柄でも、国立学校の出身ってわけでもなかったよな」


貴族なら横のつながりが、ヨシュアが在学している国立出なら上下の関係で、どこかの大物に辿り着く事もありえる。

けれど、ミカルはどちらも否定した。


「じゃあ、どうして」


ここで、ミカルは父親に主導権を戻した。


「あれだけの事をしでかした上での今回の騒動だ。当然、このまま手放しで許すつもりはないが、抱え続けているのも難しい。これ以上、我が家に侵入させるつもりはないからな」


「つまり、泳がせるって事?」


ロルフは、はっきりと答えずに目を細めて笑った。

これほど楽しそうな様子は久しぶりだった。

デュークは、喧嘩をふっかける相手をとんでもなく見誤っているようだ。


「ところで、ヨシュア。オーヴェに知り合いはいないか」


「なんで、いきなりオーヴェ? どこに話が飛んでるんだよ」


「飛んだわけではない。まだ、釣ってみない事には断定できないが、庇い立てする連中の背後に、オーヴェ国がちらついている。ティアラ姫に迷惑な求婚をしていたのがオーヴェの貴族だっただろう。心当たりがないか確認しておきたかっただけだ」


「……」


ぱっとヨシュアの頭に浮かんだのは、ずんぐりむっくりな体型の油ギッシュなお貴族様と、不気味な気配の神官サイラスだ。

そして、不覚にも自業自得と断言したレイネの言葉が呪いのように渦巻き出していた。


「いやいやいや、全然ないけど」


とりあえず、すっとぼけてみる。


「そうか、しっかり心当たりがあるんだな」


もちろん、ロルフに通じるわけがなかった。


「手を貸してやろうか?」


「結構です!」


「ふ。お前がそこまで言うのなら、深く追求するのはやめておこう」


ロルフは心にもない返事をした。


サマンサに責任を持つと宣言したからには放り出せるはずもなく、シンドリーで向かうところ敵なしのスメラギ家当主に挑戦してきた者は久々なのだ。

こんな面白い状況を、悪魔よりも意地の悪いロルフが見過ごすなどありえなかった。

それを、ヨシュアも承知しているとの前提で、挑発しながら、からかいと力試しを仕掛けたのだ。

これが、ロルフという人間だった。


「話が以上なら、これで失礼させていただきます」


そそくさと引き上げの挨拶をするヨシュアは、これから休むだろう父と兄が起きる前に家を出ようと決心していた。

これ以上、ひっかき回されるのは御免だったのだ。


「これでまた、しばらく会えなくなるな」


ヨシュアが出ていく直前、父親ぶった発言を投げかけられた。

無視が一番と理解していても、どうしても苛立って言い返したくなってしまう。


「しばらくじゃなくて、二度とない。少なくとも今後、この家に帰ってくるつもりはないからな」


「いいや、半年もしない内に帰ってくるだろう」


「卒業試験の事を言ってるなら、レナルト叔父さんに世話になるから、こっちには寄らない。今回だって、誕生会がなかったら帰るつもりはなかった」


「ならば、やはり我が家に帰ってくるべきだな」


「……何を企んでるんだ」


微妙にずれた会話に、疑いの眼差しを送る。


「企むなんて人聞きの悪い。それに、次回も私ではなくミカルの仕切りだ」


「ミカル兄?」


顔を向ければ、ミカルはにこりと微笑んだ。


「半年後に挙式を予定している。二人きりの兄弟なんだ、祝福してくれるだろう」


一見優しげな父と兄を交互に眺め、ヨシュアは大いに目眩がした。

今度は、夢の中でのカミのお告げがぐるぐる回っている。

離れたくても離れられない場所、本当にそんな気がしてぞっと身震いした。


こうして、レイネの呪いとカミの神託により、ヨシュアはお先真っ暗な十八歳に踏み出したのだった。

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