識者の忠告
「ヨシュア! あなた、女嫌いを克服したって本当なの!?」
忙しいレナルトが昼間から出迎えくれるはずもなかったが、天敵のレイネが待ち構えているなんて想像すらしていなかった。
「どうして、お前がここにいるんだ。寄宿舎に入ってるはずだろ」
「レポートを作るのに、一時帰宅してるのよ」
青ざめるヨシュアに、レナルトの一人娘であるレイネは久々だという遠慮もなく、ずんずんと一直線に近付いてきた。
「ちょっと。どうして相変わらずの反応なのかしら」
「そんなの、お前が容赦なく近付いてくるからだろ」
答えたヨシュアは、抱えていた手荷物を前面に出して、これ見よがしに近寄るなと意思表示していた。
「じゃあ、やっぱり克服はガセネタなんじゃない。少しでも信じた私が……」
バカだったと言いかけて、レイネの口が止まった。
唖然としている視線は、ヨシュアの斜め後ろに固定されている。
「ああ、留学先で親しくなったティアラだ。レイネと同い年だから仲良くしてくれると助かる」
傍目にはしれっと紹介して見えるヨシュアの内心は、描いていた通りの反応を面白がっていた。
「やあ、これは一気に賑やかになったな」
「――な、な、どうしてあんたがここにいるんだ!?」
ヨシュアのびっくりどっきりなお出迎え第二弾は、ヨシュアが会いたくない人物不動の第二位にいる兄のミカルだった。
「久しぶりだというのに、ずいぶんな挨拶だな」
無駄にキラキラしているのが地なミカルは、弟が大嫌いだと宣言している女の子をドヤ顔で紹介している一部始終をしっかりと見学してから現れていた。
「まさか、親父まで来てるとか言わないだろうな」
これでは、わざわざレナルトの屋敷を滞在先にした意味がなくなってしまう。
「さすがに、それはない。俺も長居するつもりはないしな。三つほど用件を済ませたら家に帰るさ」
「三つの用件?」
「一つはお前が世話になる叔父さん達への挨拶。もう一つは、お前がウェイデルンセンで世話になっている方々への挨拶だ。特に、女嫌いを知っていながら付き合ってくれている奇跡のお姫様にな」
相変わらずの嫌味な言い回しを駆使しながら、ミカルはティアラの前に立った。
「初めまして、ヨシュアの兄のミカルと申します。我が家はもちろん、叔父や叔母も会えるのをとても楽しみにしていました。試験が終われば、アベルとエルマも合流するので気楽にしていてください」
この、一見思いやりにあふれた兄の紳士的優しさは、一度だって素直に弟に向けられたためしがないのだ。
ヨシュアは冷えた眼差しで、シモンやリラと挨拶を交わしているのを遠巻きに眺めていた。
「で、最後の一つは?」
「お前への連絡と確認だ。学校の状況や誕生会の打ち合わせなんかだな」
打ち合わせと言われたところで、どうせヨシュアの意見など反映されるはずがなく、一方的な通達で終わるのだろうと諦めをつけた。
「兄弟の挨拶は済んだかしら?」
通る声に振り向けば、更なる出迎え人が登場していた。
「皆様、ウェイデルンセンから遥々、ようこそいらっしゃいました。わたくしは当家当主スメラギ・レナルトの妻、サマンサと申します。大したおもてなしは出来ませんが、心を込めて歓迎させて頂きます」
ヨシュアは、叔母に当たるサマンサも大の苦手な一人だった。
単に女性だからというだけでなく、夜這い事件をきっかけに幼くして疎遠になってしまった母親の代わりに、躾の面で厳しく指導してくれたのがこの人だからだ。
「ヨシュア、お久し振りね。元気そうで何よりだわ」
こんなありふれた会話でも、未だに緊張して姿勢を正してしまう程苦手意識があった。
「さあ、あなたは奥でミカルと話していらっしゃい。お客様はわたくしがもてなしますからね。レイネ、あなたもこちらにいらっしゃい」
「はい、お母様」
抵抗なく了承したレイネだが、どことなくティアラを気にしているのが見てとれた。
「大丈夫かな」
思わずヨシュアがつぶやくと、ミカルは面白そうに興味を示した。
「お前が女の子の心配をするなんて、ずいぶん変わったものだな」
兄のからかいに、弟は嫌そうに目を細めた。
「誰のせいで、こんな状況になってると思ってるんだよ」
「なんだ。人のせいにするようでは、お前もまだまだだな」
軽くあしらわれ、先導されるがままに場所を移動する。
その間、ヨシュアはずうっと唇をへの字に結んでいた。
「懐かしいだろ」
通されたのは、ヨシュアが家出する度にいつも使わせてもらっていた部屋だった。
変わっていない様子に嬉しくなっても、にやける姿を兄には見せたくなくて、あえてしかめっ面を維持させる。
「それで、話ってなんだよ」
「ウェイデルンセンでの暮らしはどうだ」
兄貴ぶった質問にうんざりした。
「俺から直接報告するような事なんて何もないよ」
ヨシュアが言わずとも、ファウスト王からの手紙や独自の情報網により、ある程度の生活ぶりは把握をしているはずなのだ。
ちらりとカミの存在がよぎるが、切った後の展開が読めなさすぎる札なので、余程な危機的状況で、自爆覚悟でもなければ使う気になれない諸刃の剣だった。
「やれやれ。約半年ぶりの再会を果たしたというのに、ちっとも喜んでいる気配がないな」
「はっ、誰が喜ぶって言うんだよ」
「全く、困った弟だ。では、早速用件を済ませるとするか」
そうして、ミカルは机に用意しておいた書類を手に、いくつか報告を始めた。
「とりあえず、知らせるべきはこれくらいだな。詳しくはお前の試験が済んでから教えるが、今の報告で意見や質問はないか」
一通りの説明を終えて問われたところで、愚弟の意見など、ちりあくたの扱いをされるのが関の山だ。
「ないよ」
多少の引っかかりがあっても、口をつぐんでいるのが賢明というものだった。
* * *
「おおっ、本当に帰ってきたんだな」
「そうだって、手紙に書いただろ。他に言うことはないわけ?」
「ないない。どっからどう見たって変わりなさそうだからな」
レナルト邸に着いた翌日、ヨシュアは約半年ぶりに学校に顔を出していた。
そこで、教室に入るなり、幼馴染みのアベルに軽口をたたかれていた。
「エルマは?」
「もうすぐ来るだろ。あ、ほら」
見ると、渋い色のごつい鞄を背負ったエルマが教室に入ってくるところだった。
「え、ヨシュア? なんでいるんだ」
「なんでって、エルマまでそんな反応とかなくないか。帰ってくるって、事前にちゃんと連絡してあったのに」
「いや、そうだけど。でも、今日はまだ試験日じゃないだろ。出席日数は免除してもらってるって聞いてたから」
言い訳するエルマに、ヨシュアはため息をついた。
エルマに対してではなく、出席日数免除の件が憂鬱だったからだ。
「らしいね。まあ、俺は昨日になって初めて知ったんだけど。スメラギ・ヨシュアはウェイデルンセン王国に留学って扱いになってて、出席日数免除の代償に試験の及第点が厳しい設定になってるんだってさ」
普通なら国立校ではありえない処置だが、スメラギの持っているあれやこれやを最大限に使って認めさせたのだろう。
それらの特別な待遇を、ヨシュアは他人事のように語った。
「そういやミカル兄、着いたら会いに行くって言ってたっけ」
「なんだ、アベルは知ってたのか。だったら、教えといてほしかったんですけど。あいつ、帰り際になんて言ったと思う?」
今思い出してもイラッとするセリフを、ヨシュアは真似た口調で教えてやった。
「ウェイデルンセンで何かを得て懐を広げてきたのか、毎日ちやほやされて使い物にならなくなってきただけなのか。どちらにしても先が楽しみだな。だってさ」
「うわー、さすがミカル兄。カッコイー」
「どこがだよ。なあ、エルマ」
ヨシュアは味方してもらおうと話を振ったのに、話を聞いてなかったのか返事をしてくれなかった。
「エルマ、どうかした?」
「ううん、なんでもない」
否定しながらも、エルマはどこかそわそわと落ち着きがない。
どうも、さっきから頭に手をやってばかりいる気がする。
「エルマ、髪伸ばしてるのか?」
「違う! ただ、最近忙しくて切りに行けてないだけだから。今日にでも、帰りに寄ろうと思ってたんだ」
「ふーん。でも、今日は中止にしてよ。どうせだから、お茶飲んで帰ろう。話もあるし」
「いいけど、ティアラも一緒に来てるんだろう。遅くなるのはまずいんじゃないのか」
「それなら大丈夫。試験が終わるまで、サマンサ叔母さんとレイネがもてなしを担当してくれるから」
「え、レイネも? それって大丈夫なのか」
楽天家なアベルが心配するのは、気の強いレイネは好き嫌いがはっきりしているせいだ。
けれど、いくらレイネでもサマンサの前で客人にきつくは当たれないはずだとヨシュアは踏んでいる。
「一応、昨日は様子を探ってみたけど、のんきに楽しんでるみたいだったから、なんとかなってるんだろ」
「じゃあ、寄り道は決まりだな。授業も普通に出るんだろ」
ノリのいいアベルに、ヨシュアはもちろんと答えた。
そんなこんなで、波瀾万丈な人生のスメラギ・ヨシュアは久しぶりに平凡な学生生活を堪能していた。
そして、改めて、やはり自分は大の女嫌いなのだとしみじみ実感していた。
* * *
「なんだよ、ヨシュア」
「あ゛?」
「あ゛、じゃないだろ」
昼休みに入って、幼馴染み三人組は食堂にやって来ていた。
そして、せっかくの食事を前にして、ヨシュアは一人荒んだ目つきをしている。
「トゲトゲした空気を出すなって言ってんだ。飯がまずくなるだろ」
ほかほかのホットサンドを前にして、アベルがはっきりと苦情を訴えた。
「ごめん、悪かった」
変に頑ななヨシュアも、幼馴染みには素直に反省を示す。
「でもさ、なんだか懐かしい気分にならない? ヨシュアが大勢いる場所で食べる時って、たいてい何食べてても美味しくなさそうにしてたなって思い出したよ」
フライドオニオンをつまみながらエルマが笑う。
「そういや、そうだったかも。久々だから忘れてたな。明日も授業に出るなら、何か買って静かな所にしとくか。やっぱり、ヨシュアはヨシュアに変わりないんだな」
「おい、アベル。どういう意味だよ」
面白くなさげのヨシュアには悪いが、アベルの言いたい事はエルマには共感を得るくらい充分に通じていた。「少しは変わった気がしてたから、学校でも澄ましていられるのかと思ってたのにな」
エルマの中には、ちっとも変わってなかった残念感と、相変わらずでほっとする安堵感が同列に並んでいた。
「俺自身も、そう考えてたよ。でも、ウェイデルンセンが特別な環境なんだって、今日は実感させられた」
ウェイデルンセン王国では大の女嫌いなヨシュアでも関わっていける例外な存在が三人も身近にいて、仮の住み処としている城内では王族並みの丁寧な扱いをしてもらっている。
遊学がてら城下町に下りてみれば、一般市民にとってはただの観光客にすぎず、実に気楽な立場でいられたのだ。
できる事がなさずきて居心地の悪い思いをしている心情はともかく、ウェイデルンセンにいれば、ヨシュアはヨシュアとしての評価しかされなかった。
それでこそ、真っ当に努力するしがいがあるというものだ。
「学校に戻って思い出したよ」
「何を?」
エルマの疑問に、ヨシュアは見るからに憂うつそうに答える。
「俺が嫌いなもの。女子の遠巻きなひそひそ話と、迷惑で仕方ない意味ありげな気持ち悪い視線」
「本当に相変わらずなのね。好意を向けてくる女の子に気持ち悪いって何よ。ヨシュアがそんな態度だから、ひそひそ言われるんじゃない。全部自業自得よ」
ばっさり否定されて振り向き見上げれば、すぐ後ろに天敵のレイネが立っていた。
「おまっ、ここで何してるんだよ」
思わず、精一杯のけぞった。
「図書室にレポートの資料を閲覧に来たの。それより、相も変わらず仲良し三人組なのね。そうやって、いつでも取り巻いてちやほやするからヨシュアが調子に乗るのよ」
上から猛吹雪の如く冷たい視線を向けられて、アベルとエルマは顔を見合わせた。
ヨシュアがレイネを天敵と呼ぶのは単に言葉がきついだけでなく、問題のない幼馴染みまで厳しく言ってくるからだった。
「いい加減にしろ。用がないなら、さっさと行けよ」
「ふん、言われなくても帰るわよ」
レイネは思いっきり顔を背けてから歩き出した。
この諍いのせいで、この日の授業中どころか、放課後になってもまだヨシュアの機嫌は最悪だった。
「いつまで怒ってるつもりだ? 疲れるだけだろうに」
アベルが呆れるほど、ずうっと不機嫌さを引きずっているヨシュアだ。
「仕方ないだろ、あいつだけは本気でむかつくんだから」
「ヨシュアの場合、レイネだけじゃないだろ。やっぱり、試験までレナルトさんのとこにいた方がいいんじゃないか」
「なんだよ、エルマまで。あいつと一つ屋根の下の方が、よっぽど悪影響だ」
「じゃあ、クラスの女子は平気だったわけ?」
「苛つきはしたけど、腹立たしさも懐かしいくらいで無視できるから学校の方が平気」
「んじゃ、レイネは無視できないってわけだ」
嫌なところを突かれたヨシュアは、アベルを半目で見つめて無言の反論を試みる。
「どうしようもないなら、一人別室で試験を受けさせてもらったらいいんじゃないのか」
エルマまでこうだった。
「もー、なんなんだよ! 久しぶりに帰ってきたのに、少しは優しくしてくれたっていいだろう!!」
本気で怒り出したヨシュアに、アベルとエルマは揃って吹き出した。
「な、二人してからかってたのか!?」
「いやいや、特に協力してたわけじゃないって」
「そうそう。ただ、別々にからかってただけだから」
「尚悪い!!」
憤慨するヨシュアに、二人とも尚更笑わされた。
「だいだいなぁ、元はと言えば、ヨシュアが予告なしに現れたのが悪いんだろ。いきなりすぎて、からかって懐かしい反応をみない事には実感が湧かなかったんだよ。な、エルマ」
「まあ、そんなとこだね」
説明されてもヨシュアは拗ね気味だったが、こんなやり取りも帰ってきたからこそできるのだと思えば、なんだって浮かれてしまうものだった。
「で、どこに寄るんだ。スターブリック? ミセスビスケット? 天気がいいからバンバン商店でおやつでも買って公園でのんびりとかでもいいけど」
アベルがいくつかの店名を挙げていく。
「どれも外れ。今日はハーニッシュに行く」
「へえ、意外」
エルマがこう思うのは、ハーニッシュがスメラギ商会直営の喫茶店だからだ。
よくミカルに呼び出されては、無茶苦茶な難題を課せられていた、嫌な思い出のある場所のはずだった。
「仕方ないだろ。よその店だと長居できないんだから」
「ひょっとして、特別な話でもあるのか」
「試験範囲の要点を確認しておきたいだけだよ」
「ヨシュアこそ、久しぶりに会ってそれってどうなんだ」
エルマの呆れた様子に、ヨシュアはぶすっと言い返す。
「俺だって好きでやるわけじゃない」
仏頂面のヨシュアが兄のミカルに提示された合格点をぼそっと告げると、アベルとミカルは慌てて帰り支度を始めるのだった。
* * *
冷たさを含んだ風が木々を揺らして葉を散らしている。
そんな秋の始まりの風景を窓の外にして、試験場所となっている教室はしんと静まりかえっていた。
「あー、終わったー!!」
チャイムが鳴り、試験を回収した教師がいなくなるなり、ヨシュアは誰よりも先に両手を上げて全力で解放感を味わっていた。
いつも通りの定期試験でしかないクラスメイトは不思議そうに見ているが、そんなものは気にならないくらい爽快だった。
「その感じなら、まあまあの出来ってとこだな」
自分の結果よりもヨシュアが心配なアベルが苦笑しながら寄ってきた。
「余裕ってわけでもないけど、たぶん大丈夫だと思う」
「じゃあ、ミカル兄にもいい報告ができそうだな」
「するわけないだろ。俺から報告しなくたって俺より先に把握してるんだから、そこはどうでもいい」
「でも、ヨシュアから伝える方が喜ぶと思うけど」
「い・や・だ」
ヨシュアが頑固に突っぱねていると、後は帰るだけの身支度を終えたエルマが合流した。
こちらも、やはり苦笑している。
「そこまで嫌がる事ないのに。どっちにしろ、ここで言い合いしてても結果は出ないんだから、まずは帰る用意をしなよ」
「エルマ、そんなに楽しみなわけ?」
「当然だろ。久しぶりにティアラと会えるんだから」
以前、二人の仲にやきもちを焼いた身の上には面白くない話題だ。
「ヨシュア、せっかくの解放感を盛り下げる態度はよせよ」
アベルはこの間の件もあって軽く釘を刺したが、今回は学校を出てまで引きずるものではなかった。
「二人共、夕食までいるんだろ」
レンガの街並みを、ヨシュアは後ろ歩きしながら話しかける。
「なんだ。えらくご機嫌だけど、いい事でもあるのか?」
アベルの疑問にも笑顔で答える。
「あるんだな、これが。やっとレナルト叔父さんと会えそうなんだ」
「え、今まで会ってなかったのか?」
「うん、まったく会えてない」
数えてみれば、ヨシュア達がレナルト邸にやって来て五日は経っている。
「話したい事がいっぱいあるのに、帰るのは昼間とか夜中らしいんだ。俺の方も試験前に待っていられるほど余裕がなかったからさ」
試験の重圧から解き放たれ、楽しみに胸躍らせているヨシュアの後ろで、アベルはひっそりとエルマに確認をする。
「なあ。それって、絶対にロルフさんの策略だよな」
「だろうね。自分より先に会うのが悔しいから、そんな仕事の振り方をしたんだと思う」
当人には決して考えられないだろうが、実はロルフは殊の外次男坊を可愛がっている。
但し、肝心のヨシュアには嫌がらせとしか受け取ってもらえない可愛がり方しかしないのだ。
アベルとエルマは、この距離が縮まる事は一生ないのだろうとの考えで一致している。
無意味に苦労の耐えないヨシュアの背中を眺める二人は、心の底から頑張れとエールを送った。
やがて幼馴染み三人組がレナルトの屋敷に到着すると、門をくぐる前に自然と揃って足を止めた。
三人共屋敷を眺め、それぞれがそわそわと浮き足だっている。
アベルは服の乱れを整えながらぶつぶつつぶやき、エルマは持参した手土産の紙袋をちらちら覗き、ヨシュアは目を閉じて深呼吸を繰り返していた。
一通り済ませると、互いに目配せして意志疎通を図った。
「よし、行くぞ」
ヨシュアの気合いで門の内に足を踏み入れた三人は、決死の覚悟の形相をしていた。
屋敷の玄関口で執事に声をかけたヨシュア達は、とある客間に案内される。
客間に着くと、一旦執事だけが中に入っていった。
次に出てきた時には、中でお待ちだと告げられて、緊張の三人組は部屋に通された。
「まあ、早かったのね。おかえりなさい、と、いらっしゃい」
立ち上がって迎えてくれたのはレナルトの妻であるサマンサだ。
礼儀に厳しい婦人なので三人共かしこまって来たのだが、客間に入った途端に全部吹き飛んだ。
「あの、これは何事ですか?」
唖然としているヨシュアに、もてなされているはずのウェイデルンセン組は各々があらぬ方向に顔を逸らしていた。
サマンサやティアラだけならまだしも、付き添いのシモンや護衛のリラまでもがどこの王宮茶会かと思うような華美な装いで座っている。
そんな異様な光景を訝しみながら、ヨシュアは天敵・レイネの姿が見られない事をさりげなく確認して安堵していた。
「ヨシュア。こちらの説明の前に、あなたからの報告があるのではなくて?」
サマンサに忠告されて、慌てて事前に考えてきた口上を述べる。
「本日、無事に試験が終了しました。私の世話だけでなく、客人のもてなしまでお引き受けしていただきありがとうございます。おかげさまで、試験の結果は良い報告ができると思います」
「そう、それは良かったわ。ヨシュア、よく頑張りましたね」
一見、サマンサは優しげに微笑んでいるが、歩く社交の華とささやかれる傑物なので、これが合格点なのかは学校の試験結果より予測が難しい。
「サマンサさん、本日はお世話になります。こちら、つまらないものですが母から預かってきたお菓子です。お口に合うかわかりませんが、良かったらお召し上がりください」
「どうもありがとう。お母様にも、よくよく伝えておいて頂戴ね。それにしても、また少し背が伸びたのではないかしら。久しぶりにあなたを見たけれど、いつも凛とした立ち姿でとても素敵だわ」
「はい、ありがとうございます」
無意識に女の子を照れさせるエルマが、今回ははにかむ側に回っていた。
「アベルもお久し振りね」
「はい、ご無沙汰して申し訳ありません。本日はお世話になります」
今日こそは自分からきっかけをと狙っていたアベルは、掴めなかった焦りを隠して、年上の女性に好かれる甘い笑みを浮かべた。
「あなたは……あまり変わりがなさそうね」
「そう、ですか」
素っ気ない評価に、手厳しいと密かにがっかりしているアベルの反応を見てサマンサは笑った。
「嘘よ、嘘。ずいぶん逞しくなったようだわ。レナルトからも、商会で頼りになっていると聞いているもの」
「それは、どうもありがとうございます」
アベルは今回も敵わないで終わってしまった。
「さあ、挨拶はこれまでにして、ゆっくりしていって頂戴」
広いソファに席を勧められたところで、無駄に華やかな装いの疑問を思い出した。
「一体、どういう事情?」
ヨシュアは他の誰でもなく、サービス精神旺盛な主義で、なんでも聞いた以上に答えてくれるシモンに尋ねた。
「誕生会ってどんな雰囲気なのかお聞きしただけだったんだけど、なぜかこんな事になっちゃったんだよね」
ウェイデルンセンの城では無難な色合いでまとめているシモンだ。
今着ているのも主要な色味だけを見れば同じように地味なのだけど、キラキラだのジャラジャラだのがこれでもかと盛り込まれ、無意味にきらびやかな仕様になっている。
「なんだか、落ち着かなくて」
たいていの場面を笑顔で乗りきるシモンが八の字眉毛になっている。
「この部屋だからだと思いますわ。スメラギ本家の大広間では、これくらいでないと逆に目立ってしまいますもの」
サマンサの言葉に 「本当?」 と確認してくるシモンに、ヨシュアは残念ながら頷くしかできなかった。
多少の個人差はあれど、シンドリーでは祝い事となればここぞとばかりに着飾る傾向がある。
シンプルなデザインに凝った細工が好まれるウェイデルンセンに馴染んだ後では、どうかと思う派手さ具合だ。
無駄に着飾るのが苦手なヨシュアは、こんなきっかけでウェイデルンセンに戻りたくなってしまった。
「シモン達は、ウェイデルンセンで誕生会用の衣装を用意してきたと聞いてますが」
サマンサの見立てが似合っていたところで、シモンを見ているとどうしても着せられている感が強くて助け船を出してみる。
「ええ、存じていますよ。ですから、実際の雰囲気を掴んでいただく為に、私が選んだものをお召しになって頂いているのです」
説明に納得ができても、今日の今でなくても良かったのにと考えてしまう。
さっきから目がチカチカして仕方がない。
「ご用意していらした品を先ほど拝見させて頂きましたが、ウェイデルンセン独特の繊細で丁寧な作りにため息が洩れてしまったわ。シモン様、お返しではありませんが、良ければわたくしのコレクションをご覧になってくださいませんか。流行りに違いがあるのでしょうし、お互いに得るものがあると思うのですが、いかがかしら」
「お気遣いありがとうございます。こちらこそ、相談に載っていただけると助かります」
付き添いがシモンしかいないので、そんな担当までしなければならないらしい。
「では、早速ご案内致しましょう。ティアラ様は皆さんと語らっていらしてくださいな。リラ様は、わたくし達とご一緒にどうかしら」
「そうですね、お言葉甘えさせていただきたいと思います。職業柄、華やかな装飾品に直に接する機会が少ないので楽しみです」
サマンサは微笑んで返事にした。
「ヨシュア、外に出るなら必ず声をかけてね」
濃い紫色の大胆なドレスアップをしていたリラは、そう言い置くと、深く開いた背中を向けてシモンに続いて退出していった。
「あーあ、リラさん行っちゃった。色々話してみたかったのに」
アベルが名残惜しそうにドアを眺めている。
「遠慮してくれたみたいだね」
エルマは好意的に解釈したのに、ヨシュアは年齢差の問題で居づらかっただけじゃないかと突き放した見方をしていた。
「なあ、リラさんっていくつなんだ」
アベルに聞かれても、全く興味のないヨシュアにわかるわけがなかった。
「前に、見習いから数えて十年は勤めてるみたいな事は言ってた気がするけど」
「じゃあ、二十代なのは間違いなさそうかな。年上のカッコいいお姉さんって感じでいいよな」
ヨシュアと正反対で女好きなアベルは、手に顎を乗せてにやにやと笑っている。
冷たいヨシュアの視線もなんのそのだ。
「あの」
おずおずとした呼びかけに幼馴染み三人組が注目すれば、ティアラがそわそわと立ち上がっていた。
「どうしたんだ」
「着替えたいなって思うんだけど、誰に言ったらいいのかわからなくて……」
困りきっているティアラは、シンドリー様式に則ったフリフリでひらひらな、ピンク地に黒のリボンやレースがてんこ盛りのドレスで着飾られている。
本人が望むなら、ヨシュアは使用人に声をかけてやろうとしたのだが、アベルとエルマに揃って阻止された。
「もったいないって。もう少しそのままでいなよ」
アベルの引き止めに、エルマも賛同して援護する。
「そうだよ。今日は外に出かける予定じゃないんだしさ。僕も、もっと見ていたいな」
「……似合わなくない?」
「全然。とっても可愛いよ」
エルマの天然なたらし力で、ティアラは赤くなって椅子に座り直した。
「叔母さんも好きだよな」
ヨシュアはいつも隙なく着飾っているサマンサを思い出し、そういう点ではレスターと似ているのだと気が付いたた。
けれど、片方は外をバリバリと飛び回っているキャリアウーマンで、もう一方は社交界一筋の優雅な華やかさに囲まれた貴婦人だ
受ける印象は対極的である。
そんなことを考えていたら、アベルとエルマの物言いたげな視線を感じ取った。
「何?」
「ヨシュアからは、ないのかなーと思って」
もったいぶったアベルの言い回しに、いい感じがしない。
「何がだよ」
「可愛く着飾った婚約者に、一言もないのかって意味だよ」
ヨシュアは具体的に指摘されてもどうでもいいと考えていた。
しかし、エルマに細目で忠告をされ、渋々とティアラに目を向けた。
てんこ盛りな衣装なのに、サマンサのセンスで品良くまとめられている。
そんな感想しか出てこない。
これをそのまま口にしようものなら、アベルからはぶーぶーと文句をつけられ、エルマのちくちくする視線が益々厳しくなるのは目に見えている。
「……似合ってなくはない」
「「それだけ?」」
考え抜いた果ての感想に、幼馴染みは声を揃えて呆れるしかなかった。
「充分だろ。社交場でもあるまいし、何を着ていようがティアラに変わりはないんだから」
「外面だったらそつなく褒められるくせに、極端な奴だよな」
「そうだよ。せめてもう一言くらいないのか」
アベルには簡単に匙を投げられたが、エルマには粘られ、少しは変わったとこらを見せたいヨシュアは頑張ってみることにした。
「着せ替えられて迷惑じゃなかったか」
サマンサが虫も殺さぬ微笑みで、望まぬ相手をその気にさせてしまうという恐ろしい技を持っているのはよおく知っていた。
なので、もう一言をひねり出すには、まずはティアラの気分を確認しなくてはならなかった。
「ううん、ちょっと嬉しかった」
意志がはっきりしているティアラには珍しく、もじもじと指を動かしながら照れていた。
レスターから野生児と言われ、普段も着るものにこだわりがなさそうな印象だったが、ティアラにもそこらの女の子と同じ感覚を持っているのだと知る。
ならば、ヨシュアに言えるのは一つだけだ。
「可愛い服を着せてもらって良かったな」
「「……」」
アベルとエルマは揃って違うだろうとツッコミたかった。
服を褒めてどうするんだと説教してやりたいところなのに、ヨシュアにしては好意的な意図あっての発言であり、言われたティアラもほくほくと喜んでいるので、今度は黙っているしかなかった。
「婚約者っていうより、まるで兄妹だな」
「うん。弟がいたらなって思ってたけど、最近は妹もありかなって思うんだ」
エルマは呆れて表現したのに、されたヨシュアは照れながら答えた。
ヨシュアの中では婚約者としての責任感でも、友人としての親しい情でもなく、世話焼きの兄貴分としての気持ちがめきめきと育ち始めていた。
「アベル、どう思う?」
「妹としてでも、存在を認めただけ進歩なんじゃないのか」
「……だな。どんな形であれ、あのヨシュアが身近に女の子を認めただけ大進歩だよな」
こうして、幼馴染みの間では、ティアラは妹分として収まりがついたのだった。
* * *
ヨシュアがなんとか試験をやっつけた夜。
屋敷の主であるレナルトは仕事で夕飯に間に合わず、すっかり暗くなってから帰ってきた。
「完全にロルフ兄さんに振り回されたな。今日くらいは会えるといいが……」
レナルトは疲れたため息と共に玄関の扉をくぐった。
「叔父さん、おかえりなさい!」
勢いのある声に顔を上げれば、待ち焦がれていた甥っ子の姿があった。
「ヨシュア、元気だったか」
「うん、見ての通りだよ」
一つ屋根の下にいるのにあまりの会えないので、もしかしたら異国に放り出したような自分を恨んでいるのではないかとレナルトは深刻に悩んでいた。
夢にまで見た無邪気な笑顔に、思わず涙ぐんでしまう。
「ちょっと、泣かないでよ。叔父さんこそ元気だった? 少し痩せたんじゃない?」
「いいや、大丈夫だ。お前の顔を見たら元気になった」
「ならいいんだけど。ね、今日はもう仕事は終わったの」
「ああ、全部終えてきた。ヨシュアに用がなければ、私の部屋でゆっくり話そう」
約半年振りの再会に実の親子以上の感動を味わっている二人は、互いにはにかみがら廊下を並んで歩いた。
「やっぱり、叔父さんの部屋はいいな」
夜遅くに帰る事が多いレナルトは、玄関に近い一室を書斎兼仮眠室にしている。
幼い頃からの定位置に座り込む甥っ子を見ていれば、ここ最近の気苦労が全て飛んでいくような気がした。
「ヨシュアのくれたお土産、早速使っているからな」
「本当? 使い心地はどお?」
「すごく良くて驚いたよ」
「でしょ」
ヨシュアはウェイデルンセンで暮らし始めた当初からずっとレナルトに教えてあげたかった、城で使っている布団一式をお土産に用意してきた。
手配はシモンに頼んだが、高級品なのでそれなりに費用はかかった。
けれど、ヨシュアは親孝行のつもりだったので、今まで商会の手伝いなんかでこつこつ貯めた分を奮発するのに躊躇いはなかった。
ちなみに、実の父親であるロルフと、実の兄であるミカルには何も用意してきていない。
「ヨシュア。もしかして、玄関でずっと待っていたのか」
上着を脱ぎながら、レナルトは気にかかっていた事を聞いてみた。
「ううん。部屋に戻る前に会えないかなって、少し辺りをうろついてただけだから、タイミングが良かったんだ」
「そうか。じゃあ、それまでは何をしていたんだ?」
聞かれた途端に、ヨシュアは渋い顔をする。
「サマンサ叔母さんに衣装合わせに呼ばれてた」
「なるほど」
レナルトは苦笑して納得した。
「避けて通れないとは思ってたけど、やっぱり疲れた」
「アベルとエルマも合わせたんだろう」
「うん、二人ともぐったりしてた」
「結構な規模になりそうだから、サマンサも気合いが入ってるようだな」
毎年の誕生会であれば近親者や友人が集まるだけで、客間一つで済んでしまうものだが、今年は成人記念なので本家の大広間で行われる予定で招待状がばらまかれている。
八年前の兄の時は知らない大人ばかりが次々と挨拶にやってきて、幼いヨシュアは、ただただ見上げていたのを思い出す。
あの時はまだ、これだけ人を集めてしまう父や兄はすごいと無邪気に誇らしかった。
そのまま流れで、後の恐怖も思い出しかけて無理やり記憶を遮った。
「勝手に盛り上がるのはいいけど、あれより、ぐっとささやかな宴になるってわかりそうなものなのに」
張り切っているサマンサには悪いが、跡継ぎでもなく、行く末さえ決まっていないヨシュアの成人記念にそれほど注目が集まるはずもなかった。
「……少しも聞いてないのか」
「何が」
「たぶん、あれ以上になりそうだぞ」
「は? なんで??」
「お前、試験を受けに学校に行っただろう。突然姿を消して、現れたのも唐突だったから妙な憶測が飛び交っているらしい」
「それって、学校内の話でしょ。それだけで増えるとかなくない?」
「他にも、お前が女の子を同行してきたっていうだけで一騒動な上に、うちのが気に入って、連日付きっきりでもてなしていると変に話題が広まったようだな」
ティアラ達をサマンサに任せて試験に集中できたのは良かったが、とんだ弊害だった。
さすがは歩く社交界の華。
屋敷にいようと、誰かしらの注目を集めるものらしい。
「おかげで、招待した以上に付き添いや連れの人数を増やしたいという申し出が急増しているそうだ。まあ、それすらもロルフ兄さんの中では想定内のようだったがな」
ヨシュアは乾いた笑いしか出てこなかった。
「あの子はどう紹介するつもりなんだ? お姫様だというのは伏せておくんだろう」
「聞かれたら、留学先の友人ってことにしといて。なにせ、王様たってのご希望だから」
実家にはヨシュアが主役なので騒がせたくないと親切ぶった手紙を出したらしいが、真実は自分から城に招いたくせに婚約者が気に入らないというだけの話だ。
他にも、細々とした注意事項が膨大にあって、それらをいちいちレナルトに言ってもしょうがないので黙っておく。
「そういえば、客人のもてなしにレイネも加わっていたようだが、様子はどうだ」
「さあ。全部サマンサ叔母さんに任せていたからわからないな」
ヨシュアの爽やかな笑顔により、レナルトは即座に機嫌が悪くなったと察していた。
少しくらい気が強くてもレナルトには可愛い愛娘なのだが、同じように可愛いがっている甥っ子との仲が最悪にこじれてしまっているのは承知しているところだ。
それでも、どうにか関係が好転してくれないかと願ってしまうのが親心というものだった。
「お姫様とは仲良くしていると、サマンサが言っていたぞ」
「ふうん、そうなんだ」
ヨシュアはなんら感情の込もっていない口調で相槌を打ってきた。
今のところは、いつだってレナルトの空回りで終わっている。
今回も早々に仲を取り持つことは諦めて、ウェイデルンセンでの暮らしぶりに話題を移してやった。
* * *
いつまでもレナルトと話していたかったヨシュアだが、さすがに日付を越えた辺りで惜しみながらもおやすみを告げて失礼してきた。
そうっと廊下を歩く途中、シモンにあてがわれた部屋から明かりがこぼれているのを見かける。
細く開かれたドアから覗いてみると、やはりシモンがしっかりと起きていた。
「もしかして、気にかけてくれてた?」
ヨシュアが小さく呼びかけると、いつもの笑顔が返ってくる。
「それもあるけど、これ、サマンサさんに借りたの見てたらついね」
テーブルに広がるいくつかの冊子は、どれも服の最新カタログだった。
「前から思ってたんだけど、シモンの私服って格好いいよね。やっぱり、好きだからこそだったりするわけ?」
「うーん。まあ、好きには違いないかな。実家が衣服を取り扱っているから、自然と興味を持ったって感じだけどね」
「あ! もしかして、ワーズワース?!」
「よくわかったね」
「実は、シモンの着てる物が気になってたから、レスターさんにどこのブランドが聞いてみたことがあるんだ」
「なんだ、直接聞いてくれたら良かったのに」
そう言われても、私服のシモンは意外な色の組み合わせをさりげなく着こなしているので、真似をしてみるにはかなり難度が高いのだ。
それに、素で憧れを口にするのは照れくさい。
「でも、そっか。だったら、シモンは、だいぶおもいきった選択をしたもんだよな」
「何が」
「王様の側近になったことだよ。服に興味があって、実家はあんなに大きな展開をしてるブランドなんだからさ」
ワーズワースは良心的な価格の普段使いを主に扱い、オアシスに大きな支店を持つので有名なブランドだ。
その原点はウェイデルンセン王室御用達が自慢のオートクチュールを扱う高級店で、品質の良さが基盤にある。
センスがいいなら尚更、いくらでも働き口があったはずなのだ。
「色々あってね」
「色々?」
「うん、色々」
聞いてもいないのに親切に教えてくれるシモンが、重ねても話してくれないのでヨシュアは奇妙に思う。
「ごめんね。話したくないわけじゃないんだけど、今じゃない方が良さそうかなと思って。だから、ヨシュアに秘密にしておきたいわけじゃないからね」
「別に、無理に聞きたいわけじゃないからいいけど」
なんて答えながらも、胸中はしっかりもやもやしていた。
「いつかはヨシュアに聞いてもらわなきゃならない話だよ。だから、話す時は責任を持たないといけないと思ってる。少しだけ覚悟がいるんだ」
シモンに和やかな笑顔で、ずしんとしたものを突きつけられた。
けれど、カミを紹介された時みたいな嫌な予感を本能が訴えてくる事はない。
「わかった。その時は、俺も覚悟して聞く」
「ありがとう、ヨシュア」
そうして、おやすみと言い合って各々の部屋で眠りについた。
* * *
テストを終えた今宵のヨシュアの夢は、綺麗さっぱり解放されたはずの学校が舞台になっていた。
教室内には数字や記号や難解な文字が意味を成さずに宙に散らばっている。
おまけに、周囲はのっぺらぼうの女の子達がひそひそと無意味にささやき合っていた。
決して近付いてくるわけではないのに、いなくなってくれる気配もまったくしないのが不快で堪らない。
このところ見ていなかった気の重い世界だ。
いつもはくだらないと簡単に言い捨てられる存在に囲まれているここでは、ヨシュアの方がずっとちっぽけに感じてしまう。
「やっと寝たかと思えば、なんだ。今日は妙な場所にいるな。しかも、やたらに暗い。何が楽しくてこんな所にいるんだ」
ぎょっとして振り返れば、ドアを開けて人間姿のカミがやってくるところだった。
「なんで、また出て来た!!」
「お前が妙な画策をするからだろうが」
「なんの事だよ」
「ティアラに話しておきながら、知らない振りをさせたのはお前だろ」
「どうしてわかった?」
「わからないわけあるか。城を出てからほったらかしだったのに、急に連日で熱烈に呼び出してくるんだからな。何かあったと思わない方がどうかしている」
指摘されてみれば、実に単純な根拠だった。
「まあ、ティアラに話すなとは言ってないから構わないがな」
「だったら、こっちに出てくるなよ。ティアラの夢の方が居心地いいんじゃないのか」
「その通りだが、気にするな。たまの気分転換だ」
ヨシュアは心から苛立たしくなった。
「ところで、この空間はどうにかならないのか」
カミは、ふわふわ漂う記号をうるさそうに手で払っている。
「できるものなら、とっくにどうにかしてるよ」
「ったく、しょうがない奴だな。どれ」
カミが何気なく右腕を上げ、舞いのように大きく動かせば長い袖が一緒に揺れた。
思わず見とれていると、鬱陶しい試験問題もどきや、やかましい女の子達の影がカミの動きに合わせて姿を消した。
「これで少しはましになったな」
満足げなカミを、ヨシュアは目を丸くして見つめた。
陰気な教室が明るくなっただけじゃなく、心も体も軽くなった気がする。
「どうだ」
胸を張って感想を求められるも、予想外の出来事に返事のしようがない。
神様が自分に何かしてくれるとは露ほども思ってみなかったのだ。
それほどヨシュアは、気まぐれな神の行いを信じていなかった。
「カミは何が望みなんだ」
「はあ? 何を言っている。俺がいる間は加護が働くと言っただろう。暗い方が好みだというなら、すぐにでも戻してやるぞ」
これには、ぶんぶんと首を振って否定した。
「こっちの方がいい。ありがとう」
初めて素直になったヨシュアを見て、カミは相手が考えているよりずっと子どもなのだと気が付いた。
「ヨシュア、試験はどうだったんだ」
「え、ああ。まあまあかな」
「ここで受けたのか?」
「うん、そうだけど」
カミは珍しげに夢の中の教室を眺めて回っている。
「こういう場所は初めてだな」
本体は狼なので当然だろう。
「カミはやっぱり、普段は森の中なのか」
「そうだな。ティアラの夢は森とか川辺とか、キャンパス山脈を連想させる場所が多いな」
「じゃなくて、カミの夢はどうなのかって聞いたんだけど」
「俺の夢?」
問われて、はたと考える。
「あー、んん? そう言われると、何も思い浮かばないな」
「じゃあ、カミ自身は夢を見ないのか」
「どうだろな。覚えていないだけかもしれないが、ぱっと思いつくものがないのは確かだな」
「ふーん。なら、レスターさんの夢はどんな感じだったんだ」
「レスターか? あいつは決まって草原だったな」
「草原って、モイミール地区みたいな?」
「いや、あいつの場合はもっと幻想的なやつだ。黄色や青の草原に、桃色や橙色の空だからな」
極彩色で落ち着けそうにない景色を思い描いて、ヨシュアは微妙な顔になった。
「言っとくが、俺の説明が上手くないだけで、淡い色合いで変調していく綺麗な世界だぞ」
「ふーん」
「お前から聞いておいて、その反応の薄さはなんだ」
人間の姿なので、言われなくてもカミの不機嫌さがしっかりと滲み出ている。
「なあ。カミとレスターさんって、夢の中でどんな話をしてたんだ」
「は? なんだ、藪から棒に」
「結構長い付き合いだってレスターさんから聞いてはいるんだけど、なんか全然想像がつかなくて」
ヨシュアには話の流れから自然に出てきた素朴な疑問だ。
それが、カミにとっては動揺するような内容だったらしい。
「そんなこと、お前に関係ないだろが」
判りやすい狼狽えぶりに、察しのいいヨシュアはからかいがいのある弱点なのだと理解した。
「いいだろ、ちょっとくらい教えてくれたって。それとも、人には聞かせられないような会話でもしてたわけ?」
「う、うるさい! 今日はもう帰るからな!!」
カミは怒鳴り散らしただけで、言い訳らしい返しもないままパッと消えてしまった。
突然すぎて、ヨシュアがぽかんとしたのは一瞬で、すぐに大笑いして体を揺らした。
「当分は、この手で黙らせられるな」
誰もいなくなった教室はヨシュアの気分に合わせるように天井がなくなり、気持ちの良い青空が見えていた。
* * *
試験終了の翌日。
ヨシュアはウェイデルンセン組にシンドリーの観光案内をする為に張り切っていた。
試験休みのアベルとエルマも誘って、城下町の入り口で待ち合わせをしてあった。
それで、ヨシュア達ウェイデルンセン組はレナルトの屋敷の玄関先で一家に見送られようとしている。
「せっかくこっちに来てくれたのに、少ししか話せなかったな」
レナルトに話しかけられたヨシュアも、残念で仕方ないところだ。
「荷物を預けていくから、帰りにも寄るよ」
「そうだったな。絶対に仕事を片付けて待っているからな」
今、こうして別れを惜しんでいるのは誕生会を明日に控え、観光したその足で、いよいよヨシュアの実家に顔を出す予定になっているからだ。
「叔父さん、約束だからね」
と、切に束の間の別れを惜しんでいる隣で、サマンサとシモンが流行の装いについて会話が弾み、更に隣ではレイネがティアラと挨拶を交わし、リラが背後で見守っている。
シモンはともかく、ティアラ達は何を話しているのか謎だった。
屋敷を出たところでヨシュアはこっそり確認してみるも、普通に世間話だと返されただけだ。
箱入りお姫様であり、世間知らずのティアラが世間話など珍妙でしかないが、重ねて訊ねるほど興味がなかったし、ティアラ自身は楽しかったと言っているので、これ以上気にかけるのはやめにする。
「おーい、こっちこっち」
間もなく、城下町で待ち合わせ場所として有名な人魚の像がある噴水前で、手を振るエルマが見えてきた。
「お待たせ」
ヨシュアはその手を打ち鳴らして合流した。
「おーし、じゃあ行きますか」
威勢のいいアベルの声を合図に、最初の目的地へ出発する。
今日の計画は、試験勉強の合間にヨシュアが全て一人で進めてきた。
どうせなら行き先を知らせずに案内したかったが、箱入りのお姫様を連れている関係でコースは事前に伝えてある。
ウェイデルンセン組のそれぞれが興味を示すような場所を選んだつもりだ。
最初に楽に決まったのは、あの恐ろしげな獣のカミを可愛いと言ってのけるティアラ向けに動物園を回る案だった。
後から考えれば一応は神様と崇められ、人語を操る特殊な狼と動物園の動物とを並べて考えるのはどうかと心配になったものの、ティアラは素直に喜んでいたので一安心する。
もちろん、狼の展示がない事は事前にしっかり確認済みだ。
ついでに、それとなくカミに報告するのなら言葉を選ぶようにとティアラに忠告しておくのも忘れなかった。
お昼は移動して、城下町で新鮮な魚介類が評判の人気店に入る。
アベルとエルマに予約を頼んでいたので、混んでる中、待たされずに眺めのいい部屋に通された。
「うわ、どれも美味しい!」
シモンが見事に期待通りの反応をしてくれたので、ヨシュアは嬉しくなっていた。
これを見たいが為に、サマンサに屋敷では生ものを出さないようにと協力までしてもらっていたのだ。
「リラさん、初生ものの感想は?」
アベルはちゃっかりと、興味津々なリラの隣を確保している。
「すっごく気に入った。思ってたより臭みとかないからビックリしちゃった……って、どうして初だって知ってるの」
「ヨシュアが寄越した手紙に書いてあったからです」
「もしかしてヨシュア、私が食べ歩きが趣味だって知ってた?」
ちょうどカルパッチョに手を出してしたヨシュアは、フォークをくわえたまま頷いた。
「一応、リラさんにもお世話になってるので」
相変わらずぶっきらぼうな態度ながらも、護衛のリラも観光案内する一人に数えていた。
「リラさんから見て、ヨシュアってどうですか」
エルマが尋ねたのは、ヨシュアが勘を鈍らせない為に警護官の訓練場を使わせてもらっているのを知っているからだ。
時には、リラに相手をしてもらう機会もあると手紙には書いてあった。
「うーん、そうだなあ」
リラは考えながら、ちらりとヨシュアに視線を送る。
「どうぞ、遠慮なく答えてください」
どうせなら、ヨシュアとしても本音を聞きたいところだ。
「んー、じゃあ遠慮なく」
と言って、リラは容赦なく率直な感想を述べる。
「訓練だっていうのに、警戒心が強すぎて訓練にならないのが問題かな」
単純明快な、らしい答えに、アベルとエルマは吹き出した。
当人は相手をしてもらっている時にも似たような注意をされていたのでどうとも思わないが、ツボに入っている幼馴染み達は睨みつけておいた。
「でも、案外笑い事じゃないのよ。いつも窮屈そうに見えるし、警戒心って緊張に繋がってるから、度が過ぎれば余計な力みに通じるものだしね」
と、これはリラから本気の助言だった。
「気をつけます」
ここは、ヨシュアも素直に返事をする。
「そういう意味では、ヨシュアは本番に強いんだろうな」
冷たい水をごくりと飲み込み、エルマは笑いを収めていた。
「わかる、わかる。訓練とかより、実践の方が自然体な感じがするもんな」
賛同したアベルは、未だに口許が緩んだままだ。
「なるほどね。危なっかしくて、どっかで大怪我してなきゃおかしいって不思議だったんだけど、度胸の良さで切り抜けてきたわけか」
オアシスで暗器を持つ相手と試合をしていたのを見ているリラは、相手の武器を意識した途端に動きが変わったのを思い出して納得した。
「あれ、誰かそんな事を言ってなかったっけ? 普段はどうなのか、とかなんとか」
アベルの疑問に、エルマは心当たりがあった。
「レスターさんだよ。ヨシュアの試合を見ていた時に、平時でも強いのかって」
「そうだった。緊急事態に強い奴って、普通の時はそうでもないみたいな意味だったよな」
「なんだよ、それは。それじゃあ、まるで、普段の俺はへたれみたいじゃないか」
「だから、その通りだって言ってるんでしょう」
憤慨するヨシュアに、リラがさらっと肯定した。
「言われるほど、俺が普段も動けないわけじゃないのはご存知のはずですよね」
「でも、私に勝てたためしがないじゃない」
「王に重用されてる護衛官が素人相手に負ける方が問題だと思いますけど」
「あら、言ってくれるじゃない」
「ああ、もう。こんなところで揉めないでよ」
ピリピリした空気に、堪らずシモンが仲裁に入る。
リラはさすがにいじめ過ぎたと苦笑しながら反省の色が見えるものの、ヨシュアは不機嫌そうに否定した。
「別に、揉めてるつもりはないよ。事実を言っているだけなんだから」
シモンの居たたまれなさなど少しも意に介していないらしい。
何度も女嫌い宣言を耳にしているシモンだが、実際にはお行儀の良いところばかりを見てきたので困惑してしまうのだった。
「ヨシュアはウェイデルンセンに行って正解だったな。社交場でもないのに、女の人の好みを考慮に入れるなんてさ」
「だな。言い返す時なんか、常に辛辣な十倍返しが基本だったものな」
一番きつい時期を知っているアベルとエルマは動揺するどころか、この状況を褒め称えているのがシモンを更に困惑させてくれた。
「俺の話はいいから、新鮮な内にしっかり味わってくれよ」
普段のお礼として、ここの代金を持つつもりのヨシュアは食事を勧めてこの場を切り抜ける。
なんだかんだと美味しい物のおかげで、一行はわだかまりが残る事なく移動した。
お次は、お洒落なシモンの為にスペンスプレイスと呼ばれるシンドリーで一番賑やかな商店街に連れて行った。
最先端の流行を発信しているオアシスと違って、交易国らしく統一性のない異国情緒が売りの通りだ。
工夫されたディスプレイのこじゃれた店舗だけでなく、休憩できる広場には手作りの品を並べた露店商が集まるなど、品質の振り幅が大きくて見飽きる事がない。
飲み物や甘いものを食べ歩きしながら、全員が楽しいシンドリー観光を満喫していた。
最後に、買った物をまとめてスメラギ商会の直営店に預けていると、ヨシュアはすみっこで表情をやや硬くしていた。
「そんなに嫌なの?」
シモンが心配になって声をかける。
「大丈夫、久々で緊張してるだけだから」
ヨシュアはさらっと流した。
だからこそ、素を知っているシモンにはとても大丈夫に見えなかった。
後の予定は、もうヨシュアの実家に向かうだけ。
それが、ヨシュアの様子に異変をもたらしている。
かと言って、成人を祝う宴の準備をして待っている家に帰るのに、無理をするなというのもおかしいので、とりあえずシモンは見守る事にした。
「エルマは大丈夫?」
こう呼びかけたのは、ついさっき心配された側のヨシュアなのでエルマは苦笑してしまう。
「何か変だった?」
「少しね。気にかかってる事があるみたいな感じだったけど」
「心配してくれてありがとう。僕は平気だよ」
いつもの爽やかなエルマの笑みに、ならいいんだけどと、深く追求はしなかった。
そうして、しばらく黙り込んで否定した憂鬱さを隠していたヨシュアは、上り坂の行き止まりに屋敷が見えてきた所でわがままを言い出した。
「寄り道したいんだけど、いいかな」
「ヨシュア。気持ちはわかるけど、先延ばししたっていい事ないぞ」
馬車を使わずに歩いてきたので、こうなるだろうと予想していたアベルはズバリと核心をついた。
「護衛としては、予定外な行動は困るんだけど」
反応したのはリラで、やはりこちらも賛成していない。
「どっちに対しても、大きな変更じゃないから平気だよ」
誰の賛同も得ないまま、ヨシュアは細い分かれ道を下っていった。
困惑するウェイデルンセン組に、アベルとエルマは肩を竦めてスメラギの敷地内だから心配ないとだけ教えてヨシュアの後に続いた。
後を追うシモンとリラはヨシュアの真意がかわらないながらも、辿り着く前にどこに向かっているのかは掴めていた。
「この先は海?」
潮の香りに一番遅れて気付いたティアラがエルマに尋ねた。
「そうだよ。スメラギ家所有の船着き場があるんだ。ヨシュアが好きな場所でもあるんだけど……ほら、見えてきた」
辺りを覆っていた木々が途切れると、唐突に空と海の青色が目に飛び込んできた。
山育ちのティアラは、息を呑んでどこまでも青い景色に魅了されてしまった。
「ここからはちょっと急だから、足元に気をつけて」
丁寧に先導するエルマに続いて海辺に下り立つと、かなりの高さの鉄柵があり、私有地につき立ち入り禁止と看板に書いてある。
見張りをしている男が鉄柵の扉を開いて一行を通してくれた。
すぐ目の前の船着き場には一艘の船が泊まっていて、ヨシュアはすでにその先を歩いている。
「この辺は水深があるので注意してください。奥に、広くはないけど浜辺があるので、そっちに向かってるんだと思います」
エルマは説明をして、そのままヨシュアの足跡を追った。
「人間は海から生まれたって説があるけど、本当なのかもしれないね。不思議と心が落ち着くな」
こんな感想をつぶやいたシモンは、だからヨシュアが気に入っているのだろうと考えてみた。
ひんやりした海風を受けながら、それぞれが思い思いに地平線を眺める中、端正な横顔のヨシュアの隣にティアラがそっと並んだ。
「カミが見た景色はここ?」
海に視線を向けたまま、ティアラはささやくように声をかける。
「ああ、そうだ」
夢の中では暖かい季節だったし、砂浜はもっと広かったような気がする。
それでも、ヨシュアが海辺として思い浮かべるのはここしかなかった。
「ヨシュアは、こういう場所で育ったんだね」
妙な事を言われた気分でティアラを見れば、何が嬉しいのか、にっこり微笑みかけてきた。
それで、ヨシュアが誘ったかどうかは別にして、自分はこんな所までティアラを連れてきたのだという認識をした。
「ヨシュア、そろそろ気が済んだでしょう。さっさと上がって来てくれないかしら」
感じ入る何かが湧いてきたような感覚も束の間、上から目線の高飛車な声が、正に頭の上から降ってきた。
見上げれば、口調通りに見下ろしているレイネが映った。
「レイネ、お前はどうして俺の行く先々に現れるんだ」
「意図しているからに決まってるじゃない」
「なんだって?」
「父から客人の申し送りを頼まれたのよ。文句があるなら、あなたの大好きなレナルト叔父さんに言って頂戴」
あまりにも堂々とした嫌味に、ヨシュアは呆気に取られる。
「本当は一緒に観光案内に付き合ったらどうだって勧められたのに、用があるからって断った私に感謝するべきなんじゃないかしら」
「……」
レイネの偉そうな物言いにヨシュアの目つきが凄まじく悪くなったので、客人であるシモン達が気を使って、とりあえず上がろうと促した。
「アベル君、いいかな」
スメラギ本家の裏口に出る階段を先頭で進む頑ななヨシュアの背中に続きながら、シモンはこっそりと話しかける。
「なんですか」
「レイネさんとヨシュアってどうなの」
「気になります?」
「そりゃね」
「んー、なんて説明したらいいのかな。レイネに悪気があるわけじゃないのは確かなんです。ただ、勝ち気な性格だから、ああなっちゃうというか……ホント、悪い奴じゃないんですけどね」
「うん。ヨシュアがいない時は全然違うから、それはわかるよ」
「シモンさんはレイネってどんな印象ですか」
「どんなって、サマンサさんと一緒に温かくもてなしてくれたご令嬢だよ。ティアラがヨシュアの小さい頃に興味を持ってたら、親切に色々聞かせてくれて。だから、そこまで嫌ってるようには見えなかったんだけどな」
「あぁー……」
尻すぼみな呻きで、アベルは視線を宙に泳がせた。
「まあ、アレが二人の通常なやりとりなんで、気にしないでいてやるのが一番かと」
どちらもよくよく知っているアベルは、最終的にこうまとめておいた。
ヨシュアが段を上がりきると、レイネの背後に兄のミカルと見覚えのある女性が並んで迎えに出てきていた。
見えない事にしたい気持ちとは裏腹に、瞬時に習い性として完璧な外面を装っていた。
「こんにちは。お久し振りです、リーデルリディアさん」
「こんにちは、ヨシュア君。上から姿が見えたものだから、挨拶がしたくて出てきちゃったの。お邪魔してごめんなさい」
「いいえ、お元気そうで何よりです」
朗らかに返すと、後ろから上がってくる人の為に脇に避けた。
全員が上がりきったところで、ミカルが女性の紹介をする。
「こちらは、私の婚約者のイーデン・リーデルリディアです。明日も顔を合わせる事と思いますので、よろしくしてあげてください」
「おしゃれに着飾ってからご挨拶した方が格好がついたのでしょうけど、好奇心に負けて顔を出してしまいました。どうぞ、お見知りおきください」
リーデルリディアは花柄のスカートを軽くつまんで会釈した。
流れで仕方なく、ヨシュアもウェイデルンセン組の紹介をしておく。
「ティアラさんはピアノが好きかしら? 明日、僭越ながら私が演奏させていただくの。気に入ってくれると嬉しいわ」
リーデルリディアは親しみを込めて微笑み、とても感じが良かった。
「リリー、君はこのまま帰るのか」
「ええ、そうよ、ミカル。でも、中に鞄を置いてきたから取りに戻らないと」
それで、ミカルは婚約者を送ってくると告げ、リーデルリディアと一緒に中に引っ込んでしまった。客人を連れたヨシュアが裏口を使うわけにもず、一行は庭を通って表玄関に回る。
「ヨシュア。あなた、一体いつまで、その調子で乗り切るつもりなの」
野に咲く可憐な花を思わせるリーデルリディアとは正反対の、トゲを生やして気取っている薔薇のように取り澄ましたレイネが睨みつけてきた。
「何が言いたいんだ」
ヨシュアは、またかとうんざりしながら相手をする。
いつもの調子で言い合いをすれば、再びシモンに心配をかけてしまうだろうから、なるべくまともに取り合わないよう忍耐を心がけながら。
「私が言いたいのは、いつも一つよ。その、くだらない態度を改めるべきだって事」
「くだらない態度? 学校での態度ならまだしも、今のどこがくだらないって言う気だ」
「本当に、いつまでたっても自覚しないのね。くだらないのは、ヨシュアのつまらない見栄と傲慢さよ」
レイネのきつい物言いを冷ややかに眺め、努めて相手にしないよう対応する。
「言っている意味が全然わからないな」
「ああ、そう」
ぞんざいな反応をものともせず、レイネはぎろりとヨシュアを見据えた。
「だったら、今日こそ、はっきりと言ってあげるわ。いつまでも被害者面して、自己防衛気取って女の子を傷つけてるんじゃないわよ」
「はあ? どこに目をつけてるんだ。これまで俺は反撃しかしてない。こっちから仕掛けた事なんてないからな」
ヨシュアは表口に着くまでだと堪えて、事実だけを言い返した。
「これだから、わかってないって言うのよ。何もされてないのに、勝手な被害妄想で攻撃されたって思い込んで仕掛けまくってるじゃない」
指摘されている意味に気付いて、ヨシュアは足を止める。
「……それは、女に対する態度の事を言っているのか? 勝手な被害妄想だって? 俺がどれだけ身の危険を感じる罠や誘惑を仕掛けられたと思ってるんだ。お前だって知ってるはずだろう」
暗く睨みつけられても、レイネには一歩も引く気配がない。
「ええ、もちろん。ヨシュアが散々な目に遭ってきたのは事実だわ。だからって、声をかけてきた女の子の全員が全員、酷い目に遭わせようとして近付いてきたって思うのは過剰防衛でしょう」
レイネは更に言い募る。
「あなたが泣かされた女の子の中にはね、最初に華やかな場所で好印象を受けたから次に会った時に話しかけただけなのに、まるっきり別人のような悪態をつかれて衝撃を受けた子だっているの。その子にしたら、ヨシュアの方が加害者なのよ」
「んなっ!」
「不器用なくせに、極端な顔を使い分けるからいけないのよ。いい加減、態度を改めなさい」
「誰だって、多少は本音と建前を使い分けてるもんだろ。お前にそこまで責められる謂われはないからな!!」
動揺した分、ヨシュアは強く反発した。
「だとしても、あなたの場合は極端すぎなの。どうして、ミカルを手本にするのよ。背伸びのしすぎ。ヨシュアはヨシュアでしかないんだから、身の丈を考えるべきでしょう」
「はあ!? 俺のどこがミカル兄を真似てるって!? 全然似てないだろ」
「そうね。全く似てないわ。あなたと違って、ミカルはあんな風に女の子を泣かせたりしないもの」
「っつ。あいつらが勝手に寄ってきて、勝手に泣いてるだけだろ。だいたい、泣いたって言っても、アベルとエルマがちょっと側について慰めてやったら、あっという間にけろっとしてるんだから大した事じゃないんだよ」
「へえ、多少は自覚があるのね」
ここでレイネの温度がぐっと下がった。
「そうよ。ヨシュアがやらかした後始末は、いつもアベルとエルマがつける。そうやって二人がいつまでも甘やかすから、ここまで自分のしてる事を理解しない偏屈になったのよ。こんなに酷くなったのは二人が加担したせいでもあるって事、よおく反省してもらいたいものだわ」
いきなり矛先を向けられたアベルとエルマは、顔を見合わせて困惑していた。
「おい、二人は関係ないだろ」
「何を聞いているのよ。私はあるって言ってるの。だいたい、あなたと違って、アベルとエルマにははっきりした自覚があるんだから」
怪訝なヨシュアに、容赦なくレイネは解説してやる。
「男相手だって簡単には打ち解けないヨシュアが、自分達には遠慮なく素直に接してくれるっていうのが二人の何よりの自慢なの。だから、表面ではヨシュアの最低な言動を注意しながらも、本当には反省すらさせないで、大騒ぎにならない内に必死で女の子達を慰めて終わりにしてたのよ。そうすれば、ヨシュアは益々二人を頼りにするもの。その繰り返しで、今や見事に完全独占状態。さぞかし快感なんでしょうね」
「なんだよ、その妙な理屈は。アベル、エルマ、おかしな事を言われたんだ。今日こそは黙ってないで言い返してやれよ」
「「……」」
頭にきているヨシュアは言われ放題の幼馴染みをけしかけたが、かえって黙らせてしまう結果になった。
実のところ、レイネの指摘はかなり的確だったので、二人とも肩身が狭い心境だった。
「ヨシュアはね、自分がどんな目で女の子に見られているか、馬鹿みたいに知らないままなのよ。どれだけ冷たくされても、アベルやエルマと楽しそうにしている場面を見せられたら、もしかしてって夢を見る事だってあるの。そういうのは、いくらヨシュアが嫌っていようと関係ないものなんだから」
「バカとか、関係ないとか、お前の言う事はいっつもわけわかんないんだよ。けど、おかげで一つ、はっきりしたな」
「あら、何かしら」
「俺はレイネが大嫌いだって事だ。できれば、一生顔を合わせたくないくらいにな」
ヨシュアの心からの言葉だった。
そして、この本心でレイネを黙らせた。
「理解したら、今後はなるべく顔を合わせないように行動してくれよ」
どれだけ避けたくてもレイネはレナルトの娘で、ヨシュアの従妹だ。
いくら顔を合わせたくなくても、本当に付き合いを切れるとは考えていない。
だからこそ真実避けたいと願うのだ。
けれど、レイネは違う受け取り方をした。
「ええ、よおくわかったわ。今後は私から忠告する事は一切ないし、明日の誕生会も欠席させてもらうから安心して頂戴。だけど一つだけ、これだけは最後に言わせてもらうわ。この先、ヨシュアが危険な目に遭うような事態に陥ったら、それは全部ヨシュアのせいよ。とばっちりでも、巻き込まれでもなく、ただの自業自得。いい、これだけはしっかり覚えておいて」
レイネは顔を赤くしてきつく睨みつけると 「それじゃあ、さようなら」 と、足早に表門から出ていってしまった。
そうして、怒れる姿が見えなくなってから当事者以外の全員が詰めていた息を吐き出した。
「ヨシュア、言い過ぎだよ」
たしなめたのはアベルでもエルマでもなく、付き添いのシモンだった。
「いいんだよ。あいつには、あれくらい言わないと通じないんだから」
なあ、と幼馴染みに話を振れば、二人はそれぞれ顔を背けてばつが悪そうにしている。
「なんだよ、あんなのいつもの事だろ」
「いや、今回のはマジで俺らが何か言える立場じゃないわ」
軽くてノリのいいアベルが、ノーコメントを表明した。
「同じく」
と、エルマも右に倣えだ。
「本当に、今までどうして無傷でいられたのか不思議でならないわ」
完全に第三者の立ち位置で、リラはぼそりと野次馬の感想をつぶやいた。
一同の気まずい空気とは隔して、当事者のヨシュアに引きずる気持ちは少しもなかった。
せいぜい気にかけていたのは、レナルトに頼まれた用件は大丈夫なのだろうかという、この場にいない人の心配くらいなものだった。
この時のヨシュアは、まだ何も知らなかった。
この後、腹立ちまぎれのレイネの捨て台詞が、勢い任せの買い言葉以上の意味を持つなどとは……。