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子羊の反逆

「わたくし、実家に帰らせていただきたいと思います」


只今、とっても不本意ながらほぼ居候の身であるヨシュアは、駆けつけいきなりで世話になっているウェイデルンセンの王様にこう切り出した。


「本気か?」


「もちろんです」


宣言されたファウスト王は、バカを言うなと一蹴して終わらせたかったが、周囲の目を気にして躊躇った。


ヨシュアは人目をはばからず、城内で往来の多い通路で直訴していた。

辺りには成り行きを見守っている気配がひしひしと感じられる。


ファウストにとっては可愛い可愛い妹の、全く気に入らない婚約者と称するしかないヨシュアだが、外面宜しく過ごしているせいで城内の評判は日々国民の為に頭を悩ませている王様よりもかなり高い。

人前でへたな態度で接すれば、ファウストが悪く見られるだけでなく、巡り巡って妻や娘にまで非難される可能性が出てきてしまう。


と、ここまでを瞬時に計算した王は、とりあえず場所を移す事にした。


「それで。どうして今更、実家に帰りたいなどと言い出した」


ファウストは妻のエヴァンも遠慮するプライベートな書斎に連れ込み、ソファーに座って話の続きを促した。


「先日、私に荷物が届いたのはご存知ですよね」


「確かお前の兄、ミカル殿からだったな。それがどうした」


「だからです」


当たり前のように言い切られても、ファウストにはさっぱり不明だ。


「そんなのでわかるか。最初からきちんと説明しろ」


「どうしてわからないのかが、わかりません。荷物の中身を覚えていないのですか」


ヨシュアに関する郵便物を、本人に渡す前に全て検閲しているのはお互いに承知しているところだ。


「いつもの問題集だったではないか」


スメラギ家から毎月お小遣いを支給されている未成年のヨシュアは、代価として課題の提出を義務付けられている。


「違うといえば、いつもより量が多かったくらいだろう」


「それです! すっかり忘れてましたが、もうすぐ定期試験の時期なんです。受けなければ落第してしまいます」


「ああ、ヨシュアはまだ学生だったな。いっそのこと、退学したらどうだ」


「考えられません! 俺が、共学の苦痛にどれだけ耐えたと思ってるんですか。それもこれも、全ては卒業証書を受け取る為なんですよ!」


ファウストは、知るかと放り出したかった。

しかし、切って捨てる話題にしてはヨシュアの眼差しが真剣すぎる。


「卒業出来たら何かあるのか?」


「もちろんです。うちの学校はシンドリーの国立で、好成績で卒業すれば就職先に困りません」


「……」


力説の割りに、理由は大した事がなかった。


「お前は永久就職が決まっている身だ。そんな心配は必要ない」


「本人に確認してから言ってください。第一、あの苦痛の日々を無駄にしろだなんて、どうしてこの俺に言えるんですか!!」


ヨシュアは、ドンとテーブルを叩いて強く主張する。


話を総合すれば、最後の理由が最大なのだろうとファウストは見当をつけた。

時には悲鳴を上げて錯乱するほど女嫌いなヨシュアだ。

身元を引き受けているからには、当然、苦労していたという情報も耳にしている。


「それで、試験はいつなんだ」


「確か、九月の中頃だったと思います。詳しくは確認次第お知らせします」


ヨシュアが答えると、ファウストは口元に手をあてて考え込んでしまった。


「どうかしましたか?」


「ああ、ちょうど半年だと思ってな」


「は?」


「いや、なんでもない。帰省の許可は出してやる。日程の予定を提出しろ」


「はい、ありがとうございます」


思っていたよりあっさりと許可をもらえてヨシュアは拍子抜けしたが、気が変わらないうちに予定を立ててしまおうと切り替える。


早く戻りたくてそそくさと挨拶しようとしたら、まだ王に引き止められた。


「言っておくが、各方面への報告は自分でしろよ」


「わかりました」


とりあえず返事をしてみたものの、最後の言いつけに首を捻りながら書斎を後にした。


「報告ったって、シモンには相談してあるし、他は……」


口に出して考えて、誰の事か思い当たった。

婚約者であるティアラの存在に。


婚約者と言っても、背後に利益ありきの契約関係で、当人同士は互いに全くその気がないという繋がりだ。

何より、ヨシュアは大の女嫌いなのだ。

それでも、この頑なで歪んだ性質をどうにかしたいと考えているところだったので、リハビリ気分で婚約を続行しているにすぎない。


とまあ、それはあくまでヨシュアの言い分で、実際には国家機密である狼の守護神・カミの存在を知ってしまったが故に強制的に婚約者として縛られているだけの話だった。


「方面ってことは、カミも含まれてるんだろうな」


ヨシュアは見上げるほど大きな獣の姿を思い出して、大きなため息をついた。


「あ、ヨシュア」


どう報告しようか考えていた頭を上げれば、前方からティアラが駆け寄ってくるところだった。


「シモンに話があるみたいだって聞いたから、気になって探しちゃった」


「急ぎじゃないけど、まあいいや。いつもの部屋に行こう」


「だと思って、エヴァンがくれたたお菓子を用意してもらってるんだ」


甘い物が嫌いではないヨシュアは、喜んでティアラと並んで歩き出した。


大の女嫌いだと自ら宣言しているヨシュアだが、ここウェイデルンセンで三人の例外が出来ている。


一人はファウスト王の后であるエヴァン。

優しくて少し天然なところのある彼女は、母親そのものの安心感とおおらかさを持っている。

その娘のリオンはまだ小さい赤ん坊なので、平気かどうかは今のところは保留にしていた。


もう一人はファウストとティアラの叔母にあたるレスターだ。

交易都市オアシスを取り仕切る女王気質の恐ろしい人。

誰に対しても遠慮と容赦がないので、女性という枠組みからはみ出て、変に意識をしないでいられる人物だ。


そして、最後の一人がティアラなのだが、こちらは微妙で特殊な位置にいる。

前者の大人な二人に比べて、二つ年下なだけのティアラは全く警戒しないでいられるわけではない。

それでも、二人でいる時の口調は自然と素になるし、喋っているのも苦痛ではなくなっている。

ただし、ヨシュアが望む適度な距離をティアラが律儀に保っているからであり、その感覚が少しでもヨシュア側に近寄れば、即座に鉄壁を築く用意がある不安定な関係だ。


そんな、もどかしい二人を応援しているレスターは、王族専用棟に面会用の一室を整えてやっていた。

シスコンすぎるファウスト王の耳を除外し、仕える者は全員レスター直属の男性のみで揃えてくれている。


「良かった、上手く会えたみたいだね」


部屋に入ると、王の側近で、現在はヨシュアの世話を担当してくれているシモンが出迎えてくれた。


「ティアラにはまだ何も言ってないから、最初から説明してあげてよ」


親しい人間には旺盛なサービス精神で隠し事のできないシモンだが、最近はヨシュアから直接ティアラに話をさせようと、頑張って黙っている努力をしているようなのだ。


「いいけど、大した話じゃないからな」


ヨシュアは前置きをした上で、学校の試験を受けにシンドリーに戻る為、一時暇をもらうのだと簡単に説明した。


「それって、いつなの?」


質問されて、それもあっさりと答えた。

対して、ティアラは妙に不満げだ。


「じゃあ、ヨシュアは誕生日にウェイデルンセンにはいないのね」


甲斐甲斐しく給仕をしていたシモンが、はたと手を止めた。


「あれ、ヨシュアの誕生日って秋だっけ」


ヨシュア本人も、指摘されて初めて誕生日の存在を思い出した。


「九月十八日……って、そうか。それがあったか」


「シンドリーは誕生日を盛大に祝う習慣があるんだよね」


シモンの言い方に、異国としての文化の違いが垣間見える。


「そういうウェイデルンセンは誕生会しないの?」


「子どもが成人するまでは、ささやかだけどするよ。でも、成人した後はあんまり祝う習慣はないかな。ごめん、うっかりしてたよ。まあ、ファウストはいくつになってもティアラのお祝いをしたがっているけどね」


「ずいぶん馴染んだ気がしてたけど、まだまだ知らない事があるもんだな。シンドリーじゃ、いくつになってもパーティ開いてバカ騒ぎだよ」


「じゃあ、その辺りも見越して日程を組んだ方が良さそうかな」


「今年じゃなきゃ、無視しても構わないんだけどな」


「ああ、そうか。ヨシュアは今年が成人なんだよね」


「ウェイデルンセンの十三歳って早すぎない?」


「うーん、大昔からの伝統だからな。さすがに、今だと成人したって言っても、研修生として学校に通っている学生がほとんどだよ」


文化の違いを面白く感じながら、ヨシュアは芳ばしい焼菓子をぱくついた。


「そういうわけで、しばらく勉強に専念したいから協力してくれよな」


ヨシュアは、ちまちまと紅茶を飲んでいるティアラに協力という名の邪魔をするな宣言で釘を刺しておく。


「シンドリー土産の要望があるなら聞くつもりがあるから、考えておけよ」


「うん……」


ただ放置するのは悪いと思って、ヨシュアにしては親切に土産の提案までしたのだが、ティアラはあまりいい顔をしなかった。


「シモン。悪いんだけど、持ってく方のウェイデルンセンのお土産選び、手伝ってもらっていい?」


機嫌を宥めるのが面倒なヨシュアは、話を逸らして終りにした。


「たぶん、ファウストからも手土産を持たせるように言われると思うから、合わせて考えないとだね」


「って事は、大荷物になりそうだな。早めに移動した方がいいかな」


頭の中で日程を組みながら、ヨシュアの気持ちはすっかりシンドリーに向いていた。



 * * *



ヨシュアの里帰りが決定した夜。

ティアラの内密な日課である、秘密の通路を使ったヨシュアのお部屋訪問が行われていた。


「いい加減、夜に来るのはやめろよ」


実家から送られてきた大量の問題集を片手に、じとっとした視線を婚約者に向けるヨシュアだ。


「帰らない覚悟だったんじゃないの」


「それは……」


ティアラの指摘は、結構痛いところをついていた。


「叔母様に言いつけてやる」


「状況が変わったからだろ。誰かさんに、卑怯くさい手段で逃げられないように企まれたりとかな」


「むう」


今度は、ティアラが言葉に詰まる番だった。


ウェイデルンセンの守護神であるカミと対面してしまえば、さすがのファウストも簡単にはヨシュアを捨て置けなくだろう事を承知の上で引き合わせようと画策していた後ろめたさがある。

最終的には、横からかっさらうようにレスターが有無を言わさず強制連行したのだとしてもだ。


「戻ってくるんだよね」


妙に不安そうなティアラに、ヨシュアは呆れて問題集から手を離した。


「あのな、土産のリクエストを聞いただろ。そんなに心配なら……」


そこまで言い返して、つと言葉をとぎらせる。


「心配なら、何?」


戸惑うティアラとは対照的に、ヨシュアは人の悪そうな顔で笑った。



 * * *



緑の鮮やかな木々に囲まれたウェイデルンセン城の東門に馬車が止まり、使用人達は慌ただしくも規則正しい整列をした。


「おかえりなさいませ、レスター様」


「ああ、ただいま」


商業同盟特別区域・オアシスを取り仕切るレスターは、魅惑的な長い足をすらりと大地に下ろした。


「城内に変わりはないだろうね」


「……」


いつもの挨拶代わりの確認に、手を貸していた使用人は返事を言い淀んでしまった。


城に目を向けて考え込んだレスターは、使用人に向き直って柔らかく微笑みかける。


「詳しく話してもらおうか」


手を貸していたレスターより遥かに年配の使用人は、少々丸まってきた背中を思わず反り返るほどに正していた。



 * * *



一方その頃、城内ではファウスト王が外回りばかりをして溜まりに溜まった書類仕事と格闘していた。


今年の農作物はどこも豊作の兆しだと記された報告書に目を通し、判を押して確認済みの山に乗せる。

それから、鉱物の流通についてまとめた報告書を一読する。


確実に流れていく作業だが、まだまだ未確認の書類の方が高さがある。


「さすがに溜めすぎたか」


自ら仕向けた仕業とはいえ、段々憂鬱になってくる量だ。


「はあ。それもこれも……」


「お前が許可してやればいいだけの話だろう」


「!!」


可愛い妹とあえて顔を合わせないよう外出を増やし、役人達にも協力をさせる為に自分の仕事を追い込むという荒業で綿密な根回しを施し、徹底した執務室の人払いを今日まで実行していた。


それでも、何をやっても敵わない人物がいる事をファウストはうっかり忘れていた。


「レ、レスター叔母上!!」


「帰ってきたばかりだよ、私の可愛いファウスト坊や」


慈愛に満ちた微笑みに、ファウストは口元を引きつらせる。


「今回のお土産はボリバルの漬け物だ。ああ、心配しなくても、ティアラには先に渡してきたよ」


やっぱり……と、王は気落ちした。

おもいっきり机に突っ伏したい気分だが、ここまで処理した成果を崩壊させて台無しにする程には取り乱してはいなかった。


「お前は、どうして反対しているんだ」


「どうもこうも、男と旅行だなんて賛成できるわけがない!! むしろ、叔母上も反対してください!」


レスター相手にも関わらず、今回は怒りが勝っていた。


思わず机でも叩きたくもなるが、途中で書類の山が視界に入り、振り上げたこぶしを空中で止めておく微妙な冷静さは残っている。


「婚約者の実家に挨拶に行くだけだろう。反対する理由がない」


腕を組んだレスターは、あっさりと敵になった。


「婚約なんて形だけです。挨拶など必要ありません。しかも、ティアラの方から出向くだなんて、私は断固反対です」


「根本的な発端はお前の浅はかな考えからだろう。カミにも紹介しているのだから諦めろ。それに、最近ではお前自身もヨシュアを認める発言をしてるそうじゃないか」


ううっと王は呻いた。

それは、どれも事実だからだ。


いつも思うのだか、年に半分もいない城の情報をどうやってレスターが入手するのか不思議でならない。

確固たる王の立場があっても、とても勝てる気がしなかった。


「私はあくまで、ただの従者として、護衛として認めただけの話です。婚約者として結婚を認めるなど決してありえません」


「結婚はともかく、あの子に外をの世界を見せるにはいい機会だろう」


「必要ありません。ティアラはずっと城にいるのですから」


「だからこそ、見識を広めてやる必要があるんじゃないか」


「……叔母上。そんな心配、これまでは一言も仰らなかったではないですか」


「言ったところで、実現する余裕がなかっただけだ。しかし、今回はヨシュアが一緒だ。心強いじゃないか」


「どこがです!?」


「たった今、その口で従者として、護衛として認めたばかりだろう」


「かはっ」


まんまと言質を取られて、ファウストは吐血する思いがした。


「大体、お前以外は皆賛同しているのだろう。愛しい妹だと言うのなら、可愛いおねだりの一つや二つ、聞いてやるのが兄としての務めだろう」


「わかっています」


ファウストは言われなくても充分に承知していた。


直に顔を合わせてお願いされれば、必ずファウストが折れるしかないのだ。

だからこそ、会えない淋しさを堪えて逃げ回っていたというのに。


「二ヶ月もないくらいの期間だ。昔に比べたら、我慢の効く長さのはずだ」


「それでも、他国に向かうのでは心配が尽きません」


「しょうがない甥っ子だね。リラを付けるといい。少しは気が休まるだろう」


「……ほんの欠片くらいは」


国政に関して迷う姿を見せないファウストも、妹関連となればどんな些末な案件もうじうじと粘着質で諦めが悪かった。


その日、ヨシュアの里帰りにティアラが付き添う事が決定し、ティアラは大喜びでカミに報告をした。


一部の役人や使用人達は王の足掻きが無駄に終わったと知り、相変わらずの兄バカぶりにため息をついていた。

そして、当のファウストは、素直に許可を出していれば自分のものだったティアラ感謝が、全てレスターに向けられているという辛く切ない現実を知り、二重に落ち込んでいた。



 * * *



「ねえ、一緒に行く必要なくない?」


幼馴染み宛ての手紙をしたためる手を止めて、ヨシュアはシモンを見上げた。


「また言ってる。必要あるに決まってるでしょ。だいたい、今回はヨシュアからティアラを誘ったんだから責任持ちなよ」


「シモン、それは違うね。俺は冗談を口にしただけで、断じて誘ったわけじゃないんだから」


なんて言い張っているが、シモンにはヨシュアがさり気なく唆しているようにしか見えなかった。


「いい傾向だと思うけど、どういう意図でティアラを誘ったの」


「だから、誘ってないって。でも、今更聞く?」


「今更だからだよ。確定してからじゃないと、ヨシュアの気が変わるかもしれないからね」


信頼のない発言を不満に思いながらも、ヨシュアはとっておきの大作戦を披露した。


「父と兄に、ぎゃふんと言わせてやろうと思って」


「……えっと?」


得意気に胸を張るヨシュアに対し、シモンはきょとんとした後に、とっても残念な予感がした。


「好き勝手に転がされた意趣返しをしてやるには最適の機会だろ。どうせ、泣きついて帰ってくるって信じ込んでいる二人に、これ見よがしに婚約者と並ぶ姿を見せつけてやるんだ。向こうは俺に相談もなく誕生会の招待状をばらまいているらしいから、この機会にいつまでも手のひらで躍り続ける俺じゃないんだって思い知らせてやる!!」


自分の作戦に酔いしれて不敵に笑うヨシュアに、シモンはいろんな意味で悲しくなった。


「ヨシュア、それじゃあ今までと何も変わってないよ」


「どこが? だって、俺が自ら進んで女の子を連れて歩くんだから、それだけで大躍進だろ」


「そういう作戦だからでしょ。一緒に行きたいと思ったティアラの気持ちを少しでも考えた?」


「う、それは……」


沈黙が、全く考慮していなかったと答えていた。


「作戦を否定する気はないけど、ティアラは初めての遠出なんだよ。国内だって式典の時くらいしか出歩いたことがないんだ。大げさにしたくないからって、付き添うのは俺とリラさんだけなんだから、ちゃんと考えてよ」


こうまで言われれば、ヨシュアもさすがに反省した。


「わかった。一緒に行くし、向こうで面倒もみる」


「ならよし」


「そういえば、シモンはシンドリーに行った事あるの?」


「ないよ。ファウストが王になる前は、ボミートやオーヴェ、遠いとボリバルまでなら足を伸ばしたりしてたけど」


「へえ。あ、オアシスは?」


「んー……どうだったかな」


標準装備のシモンの笑顔が、わずかにぼやけた。

なんとなく聞き損ねているのだが、どうやらシモンはレスターを苦手に思っているようなのだ。


「そういえば、ヨシュア。直接実家に帰るわけじゃないって言ってたよね」


いつものシモンに戻ったので、気にせず話を続ける。


「言った、言った。もともと、実家に帰るつもりはなかったんだ。通りがいいから王には実家って申告したけど、叔父さんの屋敷にお世話になるよ。そのつもりで手紙を出して、了解ももらってる」


ヨシュアは手元を探って、つい先日に受け取った手紙を取り出した。


「その返信で誕生会の予定を知らされて、結局は家まで足を運ばなきゃいけなくなったんだけどさ。でもまあ、これが最後だと思えば、気になってた荷物とか取ってこれるからいいけど」


「叔父さんって、ヨシュアを連れてきた人だよね。レナルトさんだっけ」


「そう、すごくいい人なんだ。だから、その辺は心配しなくていいよ。あとさ、試験が終わったらシンドリーを案内したいから、楽しみにしてて。たまには立場逆転で、シモンが観光する側になるのもいいだろ」


出会った当初に比べて、ヨシュアは明らかに心を開いてくれている。

こうした、飾らない笑顔を見せてくれるのが自分だからだと考えれば、シモンは素直に嬉しく思う。

しかし、それが本来一番に向けらるべき婚約者のティアラには少しも注がれていない現実に目を向ければ、先が思いやられて仕方がなかった。


「そういえばティアラの奴、今日は姿を見せないな」


ヨシュアは手紙の続きに戻ろうとして、ふと疑問が浮かんだ。


「ティアラなら、エヴァン様に朝から呼び出されたみたいだよ」


「ふーん」


自分にお呼びがかかってないことを踏まえれば、今日はティアラの相手をしなくて済みそうだと考える。


まさか、こんな風に打算しているとは知らないシモンは、少しでも気にかけているのはいい傾向だと信じていた。


それからしばらくは、昼でも夜でもティアラがヨシュアの前に姿を見せることが極端に減った。

そして、時々すれ違うファウスト王に、恨みがましい視線を投げつけられる日々を過ごした。



 * * *



「……これって、全部今日?」


いよいよ帰郷する前日となり、長旅の前に試験の予想問題をさらいたかったヨシュアは、朝から都合良くいかない気配に具合が悪くなっていた。


「もちろん」


ヨシュアの気持ちを知ってか知らずか、シモンはあっさり肯定してくれる。


シモンが朝一番に渡してきたお土産品の確認表の下に、ついでのようにくっついていたリストが曲者だった。


ヨシュアに顔を出せと言っている人の一覧で、ファウストやレスターだけでなく、カミの名前も当然のように鎮座していた。

更に珍しい事に、王妃・エヴァンの名まで連ねてあるのだ。


ちなみに、ティアラの名前は、カミに会う時に同伴してくるようにと但し書きされている。


黙読し終えたヨシュアは、唯一時間を指定しているレスターの名前に目を留めた。

朝の早い、もう間もなくの時間が記してある。


「まさか、里帰りに付き添うとか言ってこないよな」


あまりに順調すぎた準備期間に、反動でついつい悪い方向に予感がよぎる。


「それはないんじゃない? レスター様は今日の昼すぎに城を出るそうだから、その前に会っておきたいんだと思うよ」


「まあ、それなら」


というわけで、ヨシュアは朝食前にレスターの部屋を訪ねた。


「よく来てくれたな。呼び出しておいて悪いが、少し待っててくれないか」


自室に招いたレスターは、大量の書類に目を通しながら軽食を取っていた。

そんなレスターの横顔と散乱している書類や書物を見比べながら、ヨシュアは手近に置いてあった本を手にしてみる。


見た事のある表紙だと記憶を辿れば、ボリバル国でベストセラーになっている娯楽小説だと当たりがついた。

こんなのも読むのかと意外に思いながら、ヨシュアにも用意された食事をつまみながらページをめくっていく。


「悪かったね、ずいぶん待たせて……」


一区切りがついて顔を上げたレスターは、立ち上がって言い直した。


「ずいぶん気に入ったようだな、ヨシュア」


間近で名前を呼ばれて、ポンとレスターの存在を思い出した。


「すみません、勝手に読んでしまって」


ここ最近は真面目に勉強漬けで、気晴らしと言えば鍛練を兼ねた運動くらいだったので、すっかり娯楽に飢えていた。

もともと気になっていたのもあって、いつの間にか夢中になって読んでしまっていたようだ。


「そんなに気に入ったのなら貸してやろう。もらい物だからあげるわけにはいかないが、旅の共には丁度いいだろう」


「ありがとうございます。それで、話ってなんですか」


「陸路で行くと聞いたから、途中でオアシスの屋敷に寄るよう頼みたかっただけだ」


「通り道なので顔を出すつもりでしたけど、何かあるんですか」


「個人的な用事だ。セレスさんに渡して欲しい物があるんだ」


「セレスって……母に、ですか?」


「そうだ、セレスティアさんによろしく伝えておいてくれ」


レスターと初めて会った時、自分の母親が製造販売している化粧品の愛用者だと指摘したのはヨシュア自身だ。

それでも、こうして名前を出されると妙な居心地の悪さを感じる。


「実家にも顔を出すのだろう」


「ええ、まあ」


普段は誰かしら商談で欠けているスメラギ家だが、さすがにヨシュアの成人記念でもある誕生会には揃うはずだ。

しかし、一度ぎくしゃくとした母親との関係は現在進行形で、あの事件以降まともに顔を合わせた記憶がない。


「なんだ、仲が悪いのか」


その通りだとは、原因が原因なだけに認めにくかった。

また、実際に仲が悪いというわけでもない。


「ヨシュアは、まだ思春期の最中だというとこか。ともかく、私の頼みだ。断りはしないだろう」


当たり前のような上から決めつけられた発言に疑問を抱きながらも、逆らうのは得策ではないとも考える。


「了解しました」


「私の用件は以上だ。道中に気を付けて楽しんでおいで」


最後はまともな見送りの言葉を受ると、ヨシュアは様々な含みでお礼を述べてから本を片手に退出した。


一度部屋に戻ろうと通路を歩いていると、王の側近のヘルマンと遭遇して呼び止められる。


「おはようございます、ヨシュア様。お探ししているところでした」


察しのいいヨシュアは、それだけで要求を理解した。


「ファウスト王ですね」


「はい。今から面会をお望みなのですが、宜しいでしょうか」


王の要求を断れるばずもなく、長く待たせて機嫌が悪化するのも面倒なので、借りた本もそのままでヘルマンの後について行った。


連れられたのは王族専用棟の個人的な書斎ではなく、公の執務室だった。

中にはファウストが一人きりでいる。


「来たな」


ここ最近の様子から、すっかり鬼の形相で待ち構えているとばかりに予測していたのに、実際のファウストは無表情だった。


「どのような用件でしょうか」


朝から予定を崩されたヨシュアは、さっさと自室に戻りたかった。

そんな胸の内に反して、ファウストは無言でじっくりと眺めてくる。


王様仕様が苦手なヨシュアは、落ち着かないながらも、ぐっと踏ん張って負けん気を強めた。


「代わりを用意できたのか聞いてこい」


王は気だるげに、それだけを言った。


「どういう意味ですか」


「ロルフ殿が、お前が限界だと言い出す前に代わりの婚約者役を見つけておくと言っていた。だから、用意が出来ているのか確認をしてこいと言ったんだ」


結婚する意思など当然ないが、早々に白旗を上げたと思われるのは釈然としない。


「私は、城に戻ってくるつもりなのですが」


「当然だ。私は確かめてこいと言っただけだ。やるのか、やらないのかだけ答えろ。それとも、出来るか、出来ないかと尋ねてやった方がいいのか」


こうまで言われれば、鷹揚な態度をしているが、実はかなり苛立っているのだと感じ取れる。


「承知いたしました。必ず確認してまいります」


そうして、二人はしばらく睨み合っていた。


「全く、なんだってこんな奴の為に……」


先に口を開いたのはファウストの方で、思わず出てしまったぼやきのようだった。

こんな奴とは、ヨシュアの事だろう。


「何か?」


「いや、なんでもない。それより、私が言いたい事は充分に理解しているな」


ヨシュアはうんざり感が出ないように肯定した。


事前に、今回の帰郷に関する分厚い注意事項をヘルマン経由で渡されている。

余程暇なのかと問いたかったが、渡された前後に激しいクマを作っていたので余暇があったわけではないらしい。


「これ以上は、お互いの精神に悪影響なだけだから下がれ」


そこだけは素晴らしく同意出来たので、ヨシュアは素直に執務室を失礼した。


妹至上主義のファウストに悪いと思わなくもなかったが、これまで散々利用されてきたので、たまには利用する側に回るくらい許されるだろうと決め込んでいる。


「さてと、面倒な用件は早めに終わらせておくか」


部屋で勉強中に呼び出されるよりは、自ら向かう方がましだと発想の転換をしてみたのだ。


残っているのはカミとエヴァン。

どちらにしようかと迷っていると、エヴァン付きの使用人にお昼を用意して待っていると伝言された。

となれば、先にカミの用件を済ませておこうと消去法で決まった。


ただ、カミに会うにはティアラと合流しなければならなかった。

自分から誘いたくないヨシュアは、結局、部屋に戻ってシモンに頼もうと思った。


「あ、不幸中の幸い」


ヨシュアが思わずつぶやいたのは、公用棟を出る前にティアラと遭遇したからだ。


「丁度良かった。手が空いてるなら、今からカミの所に行かないか」


ティアラは素直に同意して、二人はそのまま祈りの間を目指した。


祭壇のある広間の隅の王族専用の個室に入り、真っ暗な秘密の通路を進んでいく。


狼神の血を受け継ぐ巫女のティアラは、暗闇でも明かりを必要としない。

カンテラを下げているヨシュアが後から続いて進んだ。


「なんだ、もう来たのか」


頭を上げたカミは、岩棚の定位置で今日も明るい内から酒を楽しんでいた。


開けた空間はほどよく乾いていて、ある程度の日差しが入る。

帰りに灯りがなくなるのは困るので、ヨシュアはカンテラを消して節約した。


「カミ。今回は、どんな用件なんだ」


「……一度、お前に聞いてみたかったんだが、俺が神様なのを理解しているのか」


「理解してるだろ。それ以外に、どう捉えろって言う気だよ」


ならば、どうしてこうも口調が気安いのかと続けようとして、やめておいた。

急に態度を翻されては面白くもなんともない。

それに、からかい半分で少しでも唸って見せれば、本気で恐れているのは充分に知っているのだから。


「まあいい。それより、俺の可愛いティアラを遠くに連れ出してくれるようだな」


「俺が誘ったわけじゃない」


一応の反論は試みるが、妙に力が入った。

牙を持つカミが相手では、シモンにしたように気楽に否定は難しかった。


「お前の言い分などどうでもいい。少々、痛い目に遭わせてやろうかと思って呼んでやったまでだ」


牙を剥き出して脅してやれば、距離があるのにヨシュアはびくりと体を硬直させる。


「わざわざ、そんな事の為だけに呼び出したわけじゃないんだろう」


強気に返したヨシュアは、確実に青ざめていた。


「ふん、本当にそれだけでも良かったんだがな。一週間以上もティアラと離れるのはこれが始めてなんだ。だから、俺も色々考えた」


意味ありげな発言に、ヨシュアだけでなく、ティアラも困惑を隠せないでいる。


「なあに、ティアラが困るような事は少しもない。お前とは、どこにいようと夢で繋がっているんだからな」


相変わらず、ティアラにだけは甘々な態度だ。


「ちんちくりん、ちょっとでいいからこっちに来い」


「え゛」


カミの器用な手招きに、ヨシュアはおもいっきり顔を引きつらせた。


「慎んで遠慮させていただきます」


「なんだ、お前は神をも恐れないのではなかったのか」


すぐさま、青ざめた顔をブンブン振って否定する。


ヨシュアは神様を信じないのではない。

実際、目の前に大きくて喋る狼神がいるのだから、否定したところで、むなしい現実逃避にしかならない。

ただ、どんな神様も自分には味方してくれないのだと知っているだけだった。


「めんどくさい奴だな。最初に脅かしすぎたか」


「ねえ、カミ。何をするつもりなの?」


「なんだ、ティアラまで。そんなに俺は信用ないのか」


ティアラはカミが本当に酷い事をするとは考えていないが、近い事ならするかもしれないと思っていた。


「心配するな。旅の安全を祈って、まじないをしてやるだけだ」


「おまじない? そんなの初めて聞くけど」


ティアラでさえ初耳ならば、ろくな事ではないのだろうとヨシュアは半歩下がった。

それなのに、カミはのん気に大きな盃の酒に口をつけていた。


苛ついたヨシュアが文句の一つでもぶつけてやろうと意気込んだ瞬間、カミが勢いよく岩棚から飛び降りてきて目の前に立ちはだかった。


「っな!!」


突然の行動についていけず、ヨシュアは目を見開いて見上げるしかない。

ハッとして下がろうとした時には、すでに冷たいものを全身に浴びていた。


「臭っ」


思わず声を上げるのと同時に、カミが口に含んでいた酒を吹きかけてきたのだと理解する。

アルコールの匂いに、ほのかな獣臭さが混ざって最悪だった。


「大丈夫?!」


慌てて駆け寄るティアラに少しも被害が及んでいないと気付いて、でかい図体の器用さが憎らしくなる。


「カミ、酷いじゃない!!」


「どこがだ。少し早い、誕生祝いをしてやっただけじゃないか」


ティアラの抗議もなんのそのだ。


これのどこが祝いなんだとヨシュアが頭にきていたら、カミの鼻先がほんのわずかな距離にあって息が止まった。


「目を閉じていろ」


何をされるのか恐ろしくてたまらないのに、言われた通りに体が動いてしまっていた。

次の瞬間、ごわごわした感触が顔全体に当たる。


ぞわっと鳥肌が立ったのを感じた時には、小突かれて尻餅をついていた。


「な、な……」


「カミからの祝福だ。感謝しろ」


わなわなと震えるヨシュアを、上からどうだと言わんばかりにカミが見下ろしている。


「何が祝福だ! 何をしたのか教えろ!」


恐怖心を怒りに変えて、全身全霊で言い返した。


「まじないだと教えてやっただろう。ほれ、もう用はないから出ていけ」


尻尾を見せて遠ざかるカミに、勝手な! と言い返すよりも、べとべとした状態をどうにかする方を選んだ。

本音を言えば、カミから離れる事を優先したかったのだ。


帰り道、あれはなんだったのかとティアラに確認してみても、やはり心当たりはないと返されるだけだった。

今のところは臭い以外の実害はないので、深く気にするのはやめにした。


「ホント、腹立つな。シモンがまだ部屋に残ってくれてるといいけど。早く洗い流さないと、エヴァンさんを待たせるかもだしな」


「エヴァンに呼ばれてるの?」


ティアラは少し驚いているようだ。


「お昼に誘われてるんだけど、一緒に行くか?」


ヨシュアは気まぐれに誘ってみたが、珍しい事にティアラは乗ってこなかった。


「ふーん。なら、悪いけど、その本を部屋まで持ってきてくれないか」


レスターに借りた本は、祈りの間の控え室に置いていたので無事だった。

とはいえ、洗ってもいない手で触れば間違いなく汚してしまう。


「小説?」


「借り物だから頼む」


「わかった、いいよ」


そんなこんなでヨシュアは悪臭を撒き散らし、奇異な目で見られながらティアラと並んで私室に戻っていった。



 * * *



「おかえり、ヨシュア」


エヴァンの呼び出しから私室に戻ったヨシュアを、シモンが出迎えてくれた。


「なんか、嬉しそうだね」


「そお?」


シモンはこっくりと頷いた。


「いい事でもあったの」


「んー、妙な事を言われたからかも」


「妙なのに嬉しいの?」


今度はヨシュアがこくりと頷いた。

本日一番の謎な発言でありながら、一番自分に寄り添ってくれた言葉だった。


「ティアラは構わなくてもいいようにしておいたから、頑張って試験に臨んできなさいって」


城においては誰もがティアラを中心に考えているだけに、唯一ヨシュアの目的を忘れないでいてくれたのは感動ものだ。


「エヴァン様は、それしか言ってなかった?」


「試験が終ったら、少しだけ気にかけてあげてって言われたくらいかな」


「そっか」


「シモン、何かあるの?」


「たぶん、誰も言わなそうだから俺から教えておこうかな。最近、ティアラの姿を見かけなかったのは、エヴァン様の下でシンドリーのマナーや文化を習っていたからなんだよ」


「へえ」


それで、エヴァンの構わなくていい発言に繋がるわけだ。


「もしかして、エヴァンさんってシンドリー出身なの?」


「いや、オアシスの出だよ。運送業を主に扱う豪商のお嬢様なんだ」


「意外。貴族とか、王族の傍系とかじゃないんだ」


「ウェイデルンセンに貴族制度はないから」


「そうだっけ」


「小さな国だからね。城で管理職についている家が近いかな。世襲制じゃないんだけど、代々役員ってところが多いんだ」


「じゃあ、どうしてエヴァンさんだったわけ? 王様が探してきたわけじゃないんだろ」


「うん、慣例通りお見合いだよ。元々、何人かの候補の一人だったらしいね。ファウストは若くして戴冠したから、年下よりは年上がいいだろうって方向にはなってたんだ。エヴァン様は父親についてあちこち見てきている方だから、周辺のどこの国でも対応できる器量があったのが決めてだったみたい」


「へえ」


ヨシュアの中ではうふふと笑う、天然でおおらかな人になっているので、そんな特技を隠し持っているとは驚きだった。


「ああいう雰囲気だから騙される人が多いけど、隙のない方だよ。ティアラが唯一わがままを通せない存在でもあるからね」


「それも意外。レスターさんじゃなかったんだ」


「レスター様も、結局は身内には甘いから。でもね、頑張るのが苦手なティアラが、エヴァン様に言われたからってだけじゃなく、自分から熱心に取り組んでるんだよ。そういうとこ、ヨシュアはちゃんと知っててあげてよね」


頼まなくても包み隠さず教えてくれるシモンは、最後を殊更に強調していた。

しかし、ヨシュアは心を一切揺さぶられる事もなく、さらりと旅程の最終確認に話題を移した。



 * * *



実家に帰るというだけで、事前準備は一苦労だった。

それでも、どれもヨシュアが考える誤差の範囲内に収まっていた。


出発前日の呼び出しの数々も昼には全てが終り、シモンと最終確認をした後には試験の模試に取り組む余裕があった。

そして本日、見事な秋晴れの下、シンドリーを目指して一行はウェイデルンセンを旅立つ。


青空を眺めながら、かっぽかっぽと馬に揺られるヨシュアはたいそうご機嫌な様子だ。


「雨になったら、ヨシュアも馬車に乗る?」


素朴で頑丈な造りの荷台の窓から、みつあみにまとめた旅装のティアラが顔を出している。


「槍でも降ってこない限り、そっちに乗るつもりはありません」


「じゃあ、バッタの大群が押し寄せても乗ってこないのね」


屁理屈を言ってくるティアラを相手にする気なんかさらさらなくても、うっかり想像してしまったヨシュアは体を震わせた。

それが馬にも伝わり、規則正しかった足並みが少々乱れる。


「俺に気遣いは無用ですので、お構いなく。お姫様は存分に旅をお楽しみください」


馬を宥めながら、迷惑そうに言い捨てて話を切った。


シンドリーへ向かう一行はヨシュアとティアラに加えて、お供に従者としてシモンが、護衛としてリラが同行している。

ヨシュアにとっては外面を必要としない面子が揃っているのだが、婚約者として馴れた様子に見られるのが気にかかり、なんともつっけんどんな調子でぎこちない。

馬車を操るシモンは困ったように横目でちら見をし、つまらなそうに引っ込んだティアラの向かいに座っているリラは肩を竦めて呆れていた。


この配置は、荷台という限られた空間に一緒にいて欲しくないファウストの強い願いによるものだ。

ヨシュアとしても同じ思いだったので、貸し出された艶やかな名馬の上で束の間の気楽さを噛みしめていた。


初日の道のりは実に順調に消化している。

旅慣れないティアラに合わせてこまめな休息をしているので、ヨシュアがウェイデルンセンにやってきた時よりゆったりしたペースなおかげで疲れはまだない。

それよりも、爽快な解放感を堪能していた。


「ねえねえ、ヨシュア。あれは何?」


休憩で馬車を下りたティアラは、さっきのツンとしたあしらわれ方を忘れて、ヨシュアの隣に寄ってきて無邪気に尋ねる。

なにせ、ティアラにとっては初めての遠出なのだ。

はしゃいでしまうのも仕方なかった。


ヨシュアはうざったく思いながらも、休憩の間くらいなら相手をしてやろうと決めていた。

放っておいて、向こうで機嫌を悪くされら大変だからという現実的な対策として。


「あれって、ただの露店商だろ。飲み物を売ってるだけだよ」


まだウェイデルンセン領地内であり、別段珍しくもない屋台にさえティアラは目をキラキラさせている。

今からこれでは、先が思いやられるというものだ。


「ね、ヨシュアは喉が渇いてない?」


「え。まあ、別に」


買ってきてくれとねだられる心配をして、曖昧に答えておく。


「じゃあ、私が買ってきてあげる」


「……ティアラが、俺に?」


元気よく頷くと、肩にかけたポーチからこれみよがしに真新しい財布を取り出した。


「エヴァンにお小遣いをもらったの。だから、買ってきてあげる」


そうして、ヨシュアが有無を答える前に行ってしまった。

妙な張り切りぶりを眺めていれば、リラがさりげなく後を追っていくようだ。


「ファウストには内緒にしといた方がいいかもね」


耳打ちの助言をくれたのは他でもない、親しい人には情報が穴あきジョウロなシモンである。

ヨシュアは今回、シモンが同行すると決まった段階で帰省の様子は全てファウストに筒抜けになると覚悟していた。


「理由は?」


忠告は無意味だと思いながらも、一応は言い分を確かめてみる。


「ティアラの初めての買い物だからだよ」


「ああ……」


バカでかい狼とフレンドリーに接し、夜中に男の部屋に忍んで侵入してくるようなティアラだが、紛れもなく自らお金を使う必要などない箱入りで育ったお姫様なのだった。


「はい、お待たせ」


よく冷えた飲み物を両手に持ってきたティアラは一つをヨシュアに、もう一つをシモンに渡した。

それから、リラが持っていてくれた二つを受け取って、改めて一つをリラに渡していた。

ヨシュアにしてみれば、行動の全てが子どもくさく見えて仕方ない。


「どお、美味しい?」


一通り配り終えたティアラがヨシュアの隣にやってきて覗き込んでくる。

この調子なら、感想を言うまでじっと見られいる事になりそうだ。


「美味いよ。ありがとうな」


まるでままごとみたいだと思ったヨシュアは、小さい子どもを相手にしている気分でお礼を付け足しておいた。

ティアラは満足げに自分も飲み物に口をつけ、見るからに楽しげだ。


「ねえ、ヨシュアはおうちの商団の手伝いをしてたのでしょう。どんな事をしていたの? あんな風に物を売ったりしていた?」


正直、ヨシュアは自分の話をするのは苦手であり面倒だ。

それでも、休憩中は構ってやろうと決めていたので、当たり障りのないネタを探して語ってやった。


と、ヨシュアはどこまでも後ろ向きな理由で付き合っていたのだが、何に対してもティアラがいちいち素直に感心するもので、人に教えるという新鮮な立場を発見した。

常に遊ばれ、鼻で笑われるばかりのヨシュアにとって、人にものを教える優位さはくすぐったくも快く感じられるものだった。


それ以降、休憩時間はヨシュアからも積極的にティアラとの会話を楽しみ、片道の半分に値するオアシスに辿り着いた頃には、とある感情が胸に芽生え始めていた。



 * * *



「ここが、叔母様のいる所なの?」


ウェイデルンセンの一行は、オアシスに着いたからには何をおいてもレスターに挨拶すべきだろうと、華やかな街並みを横目に商工会議所にやって来ていた。


建物様式が派手であるものの、用途は会員の事務手続きや商談が主なので、賑やかな通りに比べれば見るものはない。

それなのに、ここでもティアラはきょろきょろと興味深げにしている。


「何がそんなに珍しいんだ」


シモンが受付けを済ませてくる間、また教える事があるかとヨシュアが尋ねてやる。


「どういう場所でレスター叔母様が働いているのか、カミに教えてあげようと思って」


ウェイデルンセンを離れてから、ヨシュアは一度も思い出さなかった存在だった。


「そっか、そうだな」


返事をしながら、カミにシンドリーご自慢のワインでも買って帰るべきかと考えてみる。


「ずいぶん仲がいいのね」


「はい?」


リラの唐突な感想に、ヨシュアは反射で眉間にしわが寄った。


「なんでもありません。それより、シモンが戻ってきましたよ」


矛先を変えてリラは誤魔化したが、悲鳴を上げられ、共闘の最中でも冷たい態度を取られた身としては、お姫様が相手であろうと面白くなかった。

それでもリラは大人であり、護衛としての任務中なので、引きずる事なく気持ちを切り替えた。

「お待たせ。レスター様は、奥にある憩いの広間にいるそうだよ」


憩いの広間とはいわゆる喫茶スペースで、近くの案内板で場所の確認をしてぞろぞろと進んでいく。


「レスターさん、仕事中じゃなかったんだ」


忙しい人だと聞いているので多少は待たされる覚悟をしていたヨシュアは、タイミングが良かったと考えていた。

しかし、シモンは接客中だと教えらてきたらしかった。


「受け付けで、おかしな事を言われたんだよね」


「どんな?」


「すぐに終わるはずだから大丈夫だって言われたんだけど、長引いているようなら、ぜひ邪魔者に入ってあげてくださいって」


「なんだ、それ」


妙な注文だと笑っていた一行だが、レスターの客人が誰なのかを認識するなり、全員が謎の真意を即座に理解した。


「そんな、つれない事をおっしゃらないでください。私とあなたの仲ではありませんか。そうだ、この前話した宝石が手に入ったのですよ。見てみたいと思いませんか? そうでしょう、そうでしょうとも。ですから今夜、私と食事でもいかがですか」


「ええと……お気持ちはありがたいのですが、生憎と今夜は先約が入っておりますので申し訳ごさいません」


「そうですか。なあに、私は今日でなくとも構いませんよ」


「けれど、確か、明日には帰国されるのではなかったのですか」


「何をおっしゃいますか。私とあなたの仲ではないですか、遠慮などなさらないでください。それにしても、いやあ、参りましたな。私の予定をすっかりご存知だとは、いやはや。これはもうあれですな。こうなったら、ぜひとも――」


ここまで、ペラペラと薄っぺらく喋っていた男がようやく止まった。


「お久しぶりですね、プリンタ・リチャルド殿」


見るに見かねてヨシュアが割って入ったからだ。


大国オーヴェの油ギッシュとあだ名されるこの男は、迷惑極まりない中年貴族として嫌でも記憶に焼きついている。

そもそも、遠い異国の地に、お姫様の婚約者として放り出されたのはこいつが発端なのだ。

できる事なら二度と会いたくない人ランキング第三位の座を、不動の一位・二位を脅かす勢いで確立し人物だ。

ちなみに、この時点でティアラはシモンとリラと一緒にしっかり隠れさせている。「私を覚えてくださっているでしょうか」


ヨシュアはここ最近していなかった、外面全開のまぶしい笑顔を装着した。

途端に思い出した様子のリチャルドは、愉快な顔が更に愉快になるようしかめて見せた。


「なぜ、お前のような者がこんな所にいるんだ?」


「ああ、申し訳ありません。この後、彼と約束をしているもので」


レスターは、すかさずこの場を離れるだしに利用する。


「待ち合わせの時間を過ぎているので、つい様子を見に来てしまいました」


ヨシュアも打ち合わせをしていたかのように話を合わせた。


「仕事の話だ。時間が押す事もある。子どもがしゃしゃり出てくる場所ではないぞ」


参謀の神官サイラスがいないにも関わらず、ヨシュアを追い返そうとするリチャルドに、おっ、と思う。

レスターにしてみれば、どこら辺が仕事についてだったのか教えてもらいたいところだ。


「すみませんでした」


ヨシュアは項垂れて素直に謝った。

もちろん演技上の演出であり、これで終わるつもりもない。


「レスターさんはいつも多忙なので、もしや具合を悪くしているのではないかと、いてもたってもいられなかったのです。仕事に熱心すぎるので、無理矢理にでも休ませてあげたいと常々考えていたものですから。その点は、リチャルド殿ならご理解くださると信じて声をかけてしまいました。本当に失礼いたしました」


謝罪に合わせて、大げさに頭を下げて謙虚さを強調しておいた。


「なんて優しい心根だろうか。ヨシュアの気持ち、私はとても嬉しいよ。もちろん、プリンタ殿も負けないくらいお優しい方。きっと、気持ちを汲んでくださるはずだから安心なさい」


ですよね、とレスターが優しく微笑みかければ、リチャルドはおもいっきり緩みきったニヤけ顔の後で、きりっと格好をつけて尊大な態度で許して見せた。

正しくは、そう仕向けられたと気付きもしないで、ヨシュア達の思惑通りに動かされていた。


「では、私はこれで失礼させていただきます。どうぞお元気で」


もはやリチャルドの返事すら待たずに、レスターは立ち上がってその場を離れた。

男の大半を誘惑してしまいそうな微笑みが、リチャルドから一歩遠ざかるごとに苛立ちに変わっていく。


「あんの、ぽんぽこたぬきが! 連合会員だと思って相手にしてやってたら調子に乗りやがって。次回から、あいつの相手は背の高いイケメン男子を揃えてやる」


それはさぞかし深い痛手になる対策だと、隣を歩くヨシュアは感心してしまった。


「はっきりと言ってくるのならきっぱり断ってやれるものを、ぽんぽこ頭で仕事にかこつけた遠回しな誘いばかりだ。あー、イライラする」


人前でなければ、きっと頭をぐしゃぐしゃにして苛立っている場面だろう。


「ともかく、ヨシュアのおかげで助かった。ティアラ達も来ているな。ぽんぽこたぬきには見張りをつけるから、疲れていないならオアシスを案内してやろう」


ヨシュアは頷きながら、リチャルドは一人でいくつのあだ名を有するのだろうかと考えていた。


その夜、シモンと同室のヨシュアは、寝る前にふと油ギッシュを話題に挙げた。


「ねえ。ちょっと気になってたんだけど、油ギッシュってティアラとレスターさんが親戚関係なんだって知ってるんだよね」


シモンは当然だろうと、明日の用意の片手間に答えた。


「だよな。あんな相手でも、これだけウェイデルンセンに固執されると気味悪いな」


「あ、それは違うよ」


明日に着る服を整えたシモンが向き直って話す体勢になった。


「違うって何が」


「油ギッシュはウェイデルンセンに拘ってるわけじゃないよ」


「そうなの? なら、どうしてレスターさんを誘ってたんだ」


「単純に、好みだからでしょ」


「は?」


拍子抜けな理由だが、あの短絡的リチャルドなら有り得そうだ。


「ここだけの話だけど、プリンタ家は呪われた一族なんだよ」


と、旺盛なサービス精神を発揮させて、シモンは聞いてもいないリチャルドの生い立ちを語り出す。


「プリンタ一族はオーヴェで由緒ある貴族で、子宝に恵まれた家系だから、あちこちと婚姻関係を結んで商団が大きくなっていったんだ。だけど、誰から始まったのか、家を継ぐ長男だけが必ず残念な性格をしているようになっちゃってね。おかげで、他の兄弟達は商団を守る為に一致団結して、長年に渡る純粋な一族経営が続いているんだ」


嘘みたいな話だが、実際にリチャルドは残念な性格だし、レスターが仕方なくも自ら相手をしていたのを見れば、プリンタ一族の商団が栄えているのも事実なのだろう。


「なんにしても、ティアラに振られた後にレスターさんに走る気持ちが知れないな」


「実は、それも一族の呪いが関係してるんだよ」


「え、どうやって?」


リチャルドの事情などどうでもよかったが、ここまで聞かされれば、先が気になるのが人情というものだ。


「ヨシュアは油ギッシュが離婚経験があるって知ってるでしょ」


ウェイデルンセンに来たばかりの頃に渡された、婚約マニュアル本を思い出してヨシュアは同意した。


「そこには、とっても複雑な事情が隠れているんだよ」


にこっと笑うシモンは、続きが聞きたくなるような話し方が上手かった。


「数年前、プリンタ一族は長男を除いた兄弟会議を開いたんだ。議題は、後継者の油ギッシュが呪われた歴代の長男の中でも稀に見る残念っぷりなものだから、これ以上の呪い悪化を避けるにはどうしたらいいか。で、兄弟達は話し合いの末、油ギッシュとは正反対のしっかりもののお嫁さんを見つけて勧める事にしたんだ」


それが、別れた奥さんなのだと言う。


「賢いだけじゃなく、美人な人だったらしいから、油ギッシュも情けない心配をされているとは知らずに素直に結婚したんだって。だから、最初は仲良く暮らしてたみたいなんだけど、最終的には油ギッシュの方がしっかり者の奥さんに耐えきれなくて別れを切り出したみたい」


てっきり、リチャルドが三行半を突きつけられたのだとばかりに考えていたが、話を聞けば、なんの疑問もなくリチャルドが逃げ出したのだと想像がついた。


「離婚して一年くらいのはずなんだけど、兄弟達は諦められないみたいでね。どうにか復縁して欲しくて画策してるみたいだよ。だから、油ギッシュは、周りを固められる前に別の相手を探そうと必死なんだ」


「へー、そうだったんだー」


くだらないと結論づけたヨシュアの相づちは、棒読み感が著しかった。


「でもね、あの油ギッシュにも凄いところがあるんだよ」


「どこに?」


あるはずがないという意味を込めて、ヨシュアは聞いてみた。


「これまでにも何人か誘いをかけてるらしいんだけど、どの女性も目をつけられてすぐに別の人と結婚が決まって、そのお相手の男性方はもれなく全員が出世なり名声なりを手にしているんだって。だから、女性を見る目は本物だと思うよ」


そこは褒めるべきところなのかと、強く疑問に思うヨシュアだ。


「明日って、午後に出発だっけ」


これ以上は聞く価値もないと判断して、実質的な話しに切り替える。


「レスターさんは、見送りに顔を出すだけなんだよね」


「そう聞いてるよ」


「やっぱり、忙しい人なんだな」


「あー……うん、そうだね」


「?」


「ヨシュアは午前中、見て回りたい所があるんだろう。だったら、そろそろ寝た方がいいんじゃない」


明日は、以前に断念した移動遊園地で遊んでくる予定にしていた。


「うん、もう寝るよ」


「おやすみ、ヨシュア」


シモンが灯りを消したので、話はそれまでとなった。


誰にも脅かされる心配のないレスターの屋敷で、ヨシュアは健やかなる眠りに落ちていった。



 * * *



人の気配に敏感なヨシュアは常に眠りが浅く、短時間の深い眠りで体を癒すすべを自然に身につけている。

その代償なのか、一晩にいくつもの夢を見るようになっていた。


大半は覚えていないのだが、繰り返し見るものや、色や匂いまではっきりと思い出せる時がある。

そして、今夜の夢はやけにくっきりと手触りのあるものだった。


ヨシュアがここをシンドリーの海辺なのだと無意識に納得しているのは、ここが夢の中だからなのだろう。

実物とは多少の違いがあるものの、実家のプライベート港の隅にある浅瀬だと、なんの疑問も持たずに認識していた。


里帰りの道中だからこんな夢を見るのだろうかとぼんやり考えながら、懐かしさにしゃがみ込んで海に手を浸してみる。

波に合わせて手の周りの砂が揺れ動き、何するでもなく眺めていられた。


その内、ふと、辺りが影に覆われて薄暗くなった。

見ようとしなくても、俯いている視界の端に足先が入ってくるほど誰かが近くにやってきたのだ。

身をよじって顔を上げれば、全く見覚えのない男がヨシュアを見下ろしていた。


誰だろうと不思議に思う。


健康的な体つきで、はつらつとした青年のようでありながらも、貫禄のある自信をまとっても見える。

精悍な顔つきで、キラキラした華やかさはないが、男女関係なく惹きつけそうな印象だ。

じっくり眺めてみても、やはり覚えがなかった。


危機感は少しも感じない。

それでも、違和感はあった。


夢の中では見知らぬ人物だったとしても、たいていはどんな役割を担っている存在なのか承知しているものだ。

例えば手強い敵であったり、迷宮の案内役であったり、ただの通行人であったり。

なのに、目の前の男がどういう役割で、何をしに現れたのかが不明瞭だった。


「意外と鮮やかな景色を持っているんだな。ちんちくりんの割りには雄大な世界だ」


「……は?」


ヨシュアは思わず立ち上がった。

ヨシュアをちんちくりんと呼ぶ心当たりは一つしかない。


「ま、さか……あんた、カミなのか」


「他に誰がいる」


あっさりと男は認めた。


「なんで、こんな所にいるんだよ!」


「もう忘れたのか? 先日、まじないをしてやっただろう」


「あれか!? 何してくれてんだよ!!」


「仕方ないだろ。初めて遠出するティアラに負担をかけるわけにはいかないからな」


なんだ、そのふざけた理由は! と、怒鳴り返したくて堪らなかった。


「いやあ、それにしても、年寄りの話は聞いておくものだな。先代のじいさんに聞きたくもない昔話を繰り返されてうんざりしたもんだが、意外と役に立ったな。これで、俺も退屈しないで済みそうだ」


要するに、ヨシュアはカミの退屈しのぎに選ばれたという意味だった。


「どうだ、様子は」


「ああ゛? 何が」


神様に対する口調が、気安いどころかぶっきらぼうに成り下がる。


「ティアラとレスターの様子に決まっているだろうが。今日辺り、オアシスに入ったのだろう」


そこまで狙って出てきたのかと思えば、苦情を訴える気力すらなくなった。


「二人とも元気だよ。これで満足か」


「ああ、満足だな」


「ついでに、レスターさんへの伝言でも受付けようか」


ヨシュアは嫌がらせとして提案した。

案の定、カミは渋い顔を返してくる。

狼とは違って、人間の姿だと表情がわかりやすい事だけは歓迎できた。


「今夜の事、あいつには言うなよ」


「だったら、二度と現れてくれるな」


「それは無理だな。もう縁ができている。嫌なら、あいつのように自力で締め出すしか方法はないぞ」


「な、勝手な!」


「神とは生来、勝手気ままな存在だろう」


「くっ」


これだから神様なんかに迂闊に祈ってはいけないのだという信念を、ヨシュアは改めて強固なものにして胸に刻んだ。


「そんな顔をするな。少なくとも俺がついてる間の身の保証はしてやるし、加護も働く。悪いばかりではないぞ」


偉そうにふんぞり返るカミに、ヨシュアは精一杯不満げな顔を返してやった。


「お前がどう思おうと自由だが、神を拒むなど、誰にでもできるものではないからな」


ふっと嫌な嘲笑を残して、不法侵入のカミはあっという間に姿を消してしまった。

完全に消えたのだと確信してから、ヨシュアは背中からばたりと砂場に倒れた。


「神様って奴はろくなもんじゃない」


声に出して、心底迷惑がっていた。



 * * *



翌日。

ヨシュアの目覚めは早かった。


神様のご加護とやらの効果なのか、体はやけに軽い。

なのに、気分は胸焼けがするほど重たかった。


昨夜の悪夢をただの夢だと割り切るのは簡単だ。

しかし、万が一、そうでなかった場合を考えれば、放置しておくわけにもいかない。


「最悪だ」


実家にいる以上の環境悪化はないと信じて家を出てきたはずなのに、いくら視野が広がったところで、状況そのものは確実に悪くなっている気がする。

それも、全く予想がつかない奇天烈な方向にだ。


二度寝はできそうになかったので、仕切りを挟んですやすやと眠っているシモンを起こさないように着替えて、気分転換に部屋を出た。


来客が少なくないレスターの屋敷は、庭でお茶を楽しめるように見栄えよく整えてある。

緑の癒しを求めて、ヨシュアは外に出ていた。


「今日もいい天気になりそうだな」


早朝の時間帯とは言え、陽が昇り始めていて、辺りはそれなりに明るくなっている。

うるさいくらいの小鳥のさえずりに耳を傾け、沈んだ気持ちを浮上させようとしていた。


しばらく自然の癒しに身を任せていると、鳥の群とは別に人の気配を感じ取る。


「レスターさんかな」


昨夜、夕飯を共にしたレスターは、仕事が残っているからと屋敷を出てしまっていた。

昨日は芝居で言ったまでだが、本当に無理矢理にでも休ませる必要がありそうな忙しさだ。


ともかく、屋敷の主の出迎えに門の方へと歩き出した。


「こんな時間まで申し訳ありませんでした」


「いいえ、私の方こそ勉強になりました」


男の声がした。

どうやら、誰かに送ってもらったらしい。

とっさに木陰に体を隠して様子を窺う。


「しかし、プリンタ殿には参りましたね」


「ええ。まさか、出待ちされているとは思いませんでした」


盗み聞きをしながら、 油ギッシュの不要な根性にヨシュアは脱帽するしかなかった。


「もし、また困るような事態になったら、遠慮なく声をかけてください。仕事ではまだまだ未熟者ですが、そちらの面では少しは戦力になれると思いますから」


かなり意味ありげな発言である。


「そうならないよう、これからは事前に対策しておきます」


さすがに、レスターはそつのない返答をしていた。


ヨシュアは首を伸ばして二人の様子を確認する。

場合によっては、割って入るか、気を利かせて退散するかを選択する必要がありそうだからだ。


草木の隙間から高いヒールを履いたレスターよりも楽に背の高い男が見えた。

目立った特徴はないが、油ギッシュとは比べるのも失礼なくらいまともな相手のようだ。


これは、見なかった事にして立ち去った方が賢明かと判断しかけた時、話の流れが少し変わっていた。


「ウェイデルンセンの観光ですか?」


「はい。ほとんど地元を出る事がないままオアシスの役員についてしまったので、少し勉強しておこうかと」


「名所の紹介くらいはできますが」


「いえ、そうではなくて……できればレスターさんに直接案内してもらいたいのです。いけませんか?」


人当たりが良さそうに見えるのに、なかなかの押しの強さだ。

レスターは迷惑とまではいかなくても、困っている気配なのは間違いないだろう。

今後の活動を考えれば、昨日に引き続き恩を売っておくのも悪くないと打算して、ヨシュアは割って入るを選択した。


「レスターさん、おかえりなさい」


「ああ、ヨシュアか」


さり気なさを装っていても、ヨシュアには助かったと聞こえた。


「送っていただいたのですか」


「そうだ。同僚のセオドリク・ウィルフレッドだ」


「はじめまして。ウェイデルンセンでお世話になっているスメラギ・ヨシュアです」


「はじめまして。スメラギと言うと、シンドリーの商会と繋がりがあるのかな」


「はい、父が商団の代表を務めています。セオドリクさんもシンドリー出身なのですか」


「私はボリバルの出身だよ。実は、最近になって家の事情でオアシスの役職に就いたばかりだから、冷や汗をかきながら各国の商団を覚えているところでね。スメラギ商会はシンドリーでもっとも大きな商団だと記憶したばかりだよ」


「そうでしたか」


適当に相づちを打ちながら、ちらりとレスターに視線を送る。


「セオドリク、今日は彼に付き合う約束なんだ」


「それなら、少しでも休んでおいた方がいいですよ。では、私はこれで」


ウィルフレッドは会話を終わらせたがっている流れに不快感を示さず、自分は帰ると爽やかに応対してくれた。


「送ってくれてありがとう、気をつけて」


ヨシュアもレスターも、完璧な外面のにこやかさで姿が見えなくなるまで並んで見送った。


「レスターさん。もしかして、小説をくれたのってあの人ですか」


予想が当たっていようがいまいが余計な一言だったとヨシュアが察した時には、レスターの鋭い目つきを目の当たりにしていた。


「五歳下の、ボリバル国議会議員の家系の次男だ。機転が利くし、勉強熱心な青年だよ」


聞いてもいないのに、レスターは自ら説明をしてくれる。


「ヨシュア。わかっているだろうが、くれぐれもアイツには言うなよ」


「……」


「返事は?」


「了解しました」


底冷えする程ひんやりとした声で脅されて、ヨシュアは出ていくんじゃなかったと真実後悔していた。



 * * *



早朝のやりとりのおかげで、ヨシュアは一人で勝手にオアシスをうろつくわけにもいかず、レスターはレスターで引きこもって書類整理に躍起になっているので屋敷から身動きができなかった。

なので、観光地にいながら勉強して過ごすしかないというつまらない状態で出発まで待機する羽目になっていた。

待望の移動遊園地は、またもやお預けである。


その日の昼食後、ヨシュア達一行はレスターに見送られてシンドリーを目指して先を進めた。


道中、ヨシュアは馬上で気にかかる二つの問題について考えていた。

一つは様子見を続行するつもりなのだが、もう一つはすぐにでも確認しておく必要があった。


半日かけてオアシスの最南端に辿り着き、日が暮れてきた頃に宿に入る。

なんとか今日中にひっそりと確認しておきたいヨシュアは、部屋に入る寸前で絶好のタイミングを見つけられた。


「ティアラ、ちょっと話があるんだけどいいか」


「いいよ」


ティアラは不思議そうに了承した。

宿屋の公共広間で、ヨシュアは見える範囲の離れた席で明日からの予定を確認しているシモンとリラを気にしながら声を潜める。


「あのさ、夢に出てくるカミって、銀髪で古風な重ね着姿だったりする?」


「そうだよ。どうしてヨシュアが知ってるの」


肯定されると、やっぱりかと、がっかり気分にしかならなかった。

そして、ためらいもなく夢の一部始終を話して聞かせた。

レスターには黙っているよう言われたが、ティアラの名前は出てこなかった。

第一、こんなとんでもない状況を、律儀に一人で抱え込むつもりはない。


「これだけは確認しておきたいんだけど、夢に入られたら、頭の中を好き勝手に覗かれたりしないのか」


「それはないと思う。いつも、面白い話はないかって聞いてくるから。でも、私がカミに秘密にしようって思った事がないからかもだけど」


言われてみれば、昨夜も様子はどうだと聞かれたのを思い出して、杞憂だったと安心した。


「もしかして、ヨシュアはカミに内緒にしておきたい秘密があるの?」


ティアラの鋭い指摘にドキッとする。

別に、ウィルフレッドの存在をティアラにまで隠す必要はない。

だが、恋愛問題は時にとんでもない転がり方をするので、余計な情報を与えるのは控えておこうと判断した。


「なあ、俺がカミと夢で会ったって事、聞いていない振りをしてくれないか」


そう言って、微妙に論点をすり替えてしまう。


「どうして?」


「だって、その方が面白いだろ」


ヨシュアにとっては単なる意趣返しだ。

しかし、付き合ってもらいやすいように、ティアラには真意をぼかして頼む。


「わかった、いいよ。その代わりじゃないんだけど、今日は私の夢に呼んでいい?」


「こっちから呼べるのか」


「うん。なんとなくだから、やり方を聞かれても困るけど」


「聞くわけないだろ。むしろ、二度と来て欲しくないくらいなんだから」


「じゃあ、こっちに呼ぶね。カミってば、ウェイデルンセンを出発してから、ちっとも来てくれなかったんだから。私、少しだけレスター叔母様の気持ちがわかった気がする」


「そこと一緒にするなよ」


本気で同じ枠組みとして括られたくなかった。

色々な機微をわかってなさそうなティアラだが、なんにせよ、今夜はカミが出てこないのだと思えば、余計な心配をせずに眠れる気がするヨシュアだった。



  * * *



予定通り、順調にシンドリー国の領地に入って三日目。

ウェイデルンセン組一行は城下町の賑わいを尻目に、郊外にある閑静な住宅街に来ていた。

その一角に、目的地であるレナルトの屋敷があるからだ。


城を見慣れた者にはたいした感動もないが、レナルトの屋敷はこの辺りでは上位の広さを誇る。

こだわり抜いた建物や庭園は絵葉書にされるほど評判で、観光客にはちょっとした名所として知られていた。


ヨシュアが見知った門番に声をかけると、久しぶりだと温かく迎えられて中に通される。

馬から下りて手綱を小姓に任せると、深呼吸して感慨深くげに屋敷を眺めた。


「帰ってきたんだな」


叔父のレナルトと話したい事は山のようにある。

弾む気持ちを落ち着けて、いざ、懐かしの屋敷へと足を踏み出した。


そして、思惑通りな事の運びにヨシュアが笑っていられたのはここまでだった。

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