迎撃態勢
【アルテア大陸 リーゼア同盟軍 首脳陣営】
side フェン・リージュン
額に汗をかき、瞳を閉じてテーブルの上に置かれた地図へと手を伸ばすのは、リーゼア同盟軍の要であるネア=ショック=リーゼア。
広げられた地図には色とりどりのチェスの駒が置かれており、そっとネア様は一つ手にすると、左翼陣営に一つ追加していく。
「アリア側にも動きがあったの、しばらくは大事には至らぬと思うが、今一番不味いのは右翼じゃな」
「三英雄のセレスですか」
マクミランさんは疲れた表情を浮かべるネア様にそっと水の入ったグラスを手渡す。
テーブルの上には既に五本の魔力回復薬の瓶が転がっており、閉じていた目を開いたネア様はそっとグラスを受け取り、勢いよく水を口にする。
「ああ、既にSランク冒険者が二人もやられておる。 魔法において奴の右に出る者はおらんだろうの」
「トリシアやガイアスを向かわせているものの、どれほど足止めできるかだな」
椅子に深く腰を下ろしたフェニールさんは懐からキセルを取りだし、口に咥える。
数で勝っていたのは最初の時だけであり、徐々にその均衡が崩れつつあるのをここでも感じていた。
「私が…… その場所に加勢に向かいます。 勇者である私の【能力】であれば、有利な状況を作れるはずです」
思わず席を立ち、じっとネア様を見つめる。
何も考えなしに発言したわけじゃない。 勇者である私が行けば、もしかすれば状況を変えられるかもと思ったから。
「駄目じゃ。 フェンの【能力】はまだ使うべきではない」
「――っつ!? だけどっ」
すっとマクミランさんが私の所へ歩み寄り、水の入ったグラスを手渡す。
「落ち着いてくださいフェン様。 焦っても仕方ないことです。 これも考えあってのことですから」
「でもただここに座っているだけなんて……」
「今はまだその時ではないだけ、戦うべき時がくるのを待ちましょう。 それまで力は温存するべきです」
「そうさね、焦っても仕方ないことだ」
キセルを口から離し、煙を吐き出すフェニールさんはさらに続ける。
「まだこちらが劣勢になったわけでもない、たまには信じてみるのもいいってもんだよ。 ワタシもアイツらを信じているし、アイツらも信じて欲しいと思っているはずさ、流れはきっと今に変わる」
ネア様が小さく笑う。
「フフッ、たしかにその通りじゃな。 今し方中央部隊、トリシア達の部下、冒険者の一角がどうやら敵の猛攻を乗り越え進行を再開したようじゃな」
「ほう。 突破したか。 で、あればそろそろ次の手を打つとするか」
仕方なく再び席に着き、貰った水に口をつける。
ひんやりとした心地よい冷たさが喉を通り抜け、胃の中へと落ちていく。
ただここで待っているだけというもどかしさはあるものの、今の自分に何ができるかと言われれば実用的な案は出てこないのが現状であった。
勇者と呼ばれる身であってもできることには限りがある。
ましてや私の【能力】は限定的で、戦闘向けではない。
「そんな顔をなさらないでくださいフェン様。 戦争においては特に終盤にさしかかった頃、戦える者が減った頃に大きく形勢が傾くものです。 だからこそ我々は数の利を生かし、部隊を分けているのです。 長期戦になるにつれて次第にガルディアはその数の差から大きく疲弊するはずです。 フェン様はその終盤にいて貰わなくてはならない存在。 いわばこの戦いの鍵なのです」
「私が…… ですか?」
「この際自覚は持って貰った方がいいね、その能力【拒絶】は他の能力に比べてあまりにも別格といっていい能力だよ。 使うべきタイミングって奴は間違えちゃいけない」
時間さえも巻き戻す事のできるこの【拒絶】は、たしかに致命傷の攻撃すら任意でなかった事にすることができる能力だ。
それはもはや反則、チートに近いといっても過言ではない。
「デメリットも覚えているだろう?」
「は、はい……」
そしてこの能力の使用後のデメリット、それは使用事に体の五感を一つずつ奪うものである。
時間経過で治るとは言ってもおそらく最高使用で最大五回。 視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚を失いながらも適切な所に放てるとは限らない。 それに奪われるのは毎回決まっている訳では無く常にランダムだ。
そして、五回以上使用すればきっと私は死ぬだろう。 訓練で使用した際は最高で四回までだった。
その時は視覚、触覚、聴覚、味覚と失い、方向感覚もわからない暗闇の中で、とてつもない恐怖が襲って中断せざるを得なかった。
「だからこそ、だ。 む、失礼」
フェニールさんは耳元を押さえ、なにやら思念を送っている様子。
シーレスという通信機器があることを知っている為、自然とこの行動にも不思議には思わなくなっていた。
朗らかな笑みを浮かべたフェニールさんは、通信を終えると話し始める。
「まったく、随分遅い援軍だねぇ」
何の話なのだろうかと不思議そうに見ていれば、どうやら事情を知らないのは私だけのようだ。
「あの…… どうしたのですか?」
「ああ、そういえばフェンには話していなかったね、実は……」
■ ■ ■ ■ ■ ■
【アルテア大陸 右翼 医療部隊駐屯地】
せわしなく運ばれてくる怪我をした人々。
医療関係の精鋭を集めたこの右翼医療部隊駐屯地でも、人手が足らなくなりつつあった。
高度の医療魔法を使える者は限られており、瞬時に出血や大怪我なども回復できる回復魔法に比べ、薬品での回復にはかなりの時間がかかる。
すぐに動けるようになる回復魔法に比べ、薬品での治療は応急措置程度にしかならず、戦線にも復帰はできない。
痛みも残ることから、致命傷の者は回復魔法、それ以外の怪我を薬品に頼っているために、作業が追いつかなくなっている。
回復魔法を扱えるようになるためには相応の才能と、たゆまぬ努力が必要であり、そんな回復魔法を扱える者は貴重な存在なのである。
そしてまた一人の優秀な回復魔法使いが魔力切れを起こし、意識を失って地へと倒れ込む。
「おいっ!! しっかりしろっ!! お前のおかげでコイツは助かったぞ!!」
仲間に体を揺すられ、回復魔法使いはおぼろげな意識で微笑む。
床に並べられた幾つもの怪我人のうちの一人、重傷だった青年は思わず驚いた顔で自分の体を触る。
あれほどまで激しい出血が止まり、失った足は戻らないものの、傷口は綺麗に塞がっていた。
「あ…… ありがとう…… 君は…… 僕の…… 命の恩人だ」
涙を流し、意識を失った回復魔法使いに頭を下げ、お礼を述べるその姿はいたるところで見受けられた。
「セーニャ!! また一人回復魔法士が倒れた。 これで八人目だ。 そろそろ俺達だけで重症患者を回復するのが厳しいぞ」
「わかってるよ!! 魔力回復薬はあと在庫はどれくらい残ってるの?」
「あと三本だ」
「うぅん…… ちょっと厳しいかもね…… それが尽きたら他の怪我人には別の医療駐屯地に向かって貰わないと」
「そうか…… わかった」
複雑な笑みを浮かべ戻っていく仲間の背を眺め、この場を預かった副隊長であるセーニャは再び他の患者の治療にあたる。
「どこが痛みますか?」
「ぐぅ…… 腕を切られちまってよう…… このままじゃ……」
「うん。 これは治療しなくても大丈夫ですね。 この薬草を渡して置くので、次痛めた患部に巻いてください、切り傷程度なら痛みは少しずつ引きますから」
「はぁ!? 痛いって言ってんだろ!!」
「薬草! 出しておきますから!! 何か問題でも?」
「……い、いえ」
弱腰で去って行く冒険者の男を睨み、再び深いため息を吐くセーニャ。
こういった少しの傷程度で治療を受けようとやってくる者も少なからずいるのだ。
もちろんそんな過剰な人達にはこうして丁重にお断り頂いているわけなのだが、これが以外と多く、頭を悩ませる種となっていた。
「はぁ、情けない男が多いと嫌になる」
「セーニャ!!」
仲間の男が遠くから声をかける。
「今度はいったい何?」
不機嫌そうな表情で仲間の男の元へ向かえば、そこには大柄な体躯の犬型獣人の騎士、そしてその両手に支えられているのは腹部を貫かれ、血だらけとなって意識を失っているカナリア=ファンネルの姿があった。
「隊長!!!」
「全速力でここへと戻ってきたが、君たちの隊長だったか。 彼女は右翼側の空から墜落してきたんだ」
「失礼ですが、貴方の名前は?」
「ああ、私の名はホーソンだ」
「ホーソン様、隊長を連れて帰ってきてくださり本当にありがとうございます」
深々と頭を下げるセーニャはホーソンからカナリアを受け取ると、直ぐに床へと寝かせた。
「助かりそうなのか?」
「まだ、わかりません。 傷口を見なければ。 すみませんが少し後ろを向いていてください」
「あ、ああ」
セーニャはカナリアの腹部のドレスをナイフで破くと、白い肌が血で染まり、大きく穴が空いている腹部を目にする。
「グレーター級の回復……」
そう呟くセーニャの表情は焦りに満ちていた。
カナリアの傷は思っていた以上に深く、グレーターヒール並の回復魔法でなければ塞がらない程にまでなっていたのだ。
しかし、立て続けの回復魔法の行使により、セーニャ自身も限界が近く、グレーターヒールのような上級回復魔法を行使することは非常に困難だった。
「――っつ!! だけどあの魔力回復薬はそこまでの回復量があるわけじゃない」
一瞬頭によぎった魔力回復薬を服用してからの回復魔法の行使、ただそれは枯渇寸前な今の状態で服用しても精々テラーヒールという中級回復魔法までしか使えないだろう。
「っつ、隊長!!」
涙ぐみ、自分の無力さに情けなくなったセーニャの前に一人の女性が前へと屈む。
「グレーターヒール」
淡い光がカナリアを包み、腹部の傷がみるみるうちに塞がっていく。
思わず目を丸くしたセーニャは突然現れた赤い髪の長い女性をまじまじと見た。
それは炎のような艶のある長い髪。
頭部には獣人種特有の耳を持ち、翡翠のような瞳をした女性。
「良かった。 これでこの人は大丈夫」
微笑みかけ、女性は立ち上がる。
その姿は凜としていてとても美しかった。
「なっ!?」
大きな声で驚いたのは犬型獣人であるホーソン。
「ホーソンさんお待たせしました。 これからは私もこの戦争に加勢します」
「姫様!」
アルテアの国王の娘、シェリア=バーン=アルテアは長い赤い髪を後ろで一つに纏めるとにこりと微笑んだ。




