愁い
フリーシアさんは愁いを帯びた瞳で前髪をかき分ける。
手に握られている調教用の黒い鞭は力なく垂れ下がり、下を向くフリーシアさんの肩は若干震えている気がした。
まるであの時みたいに……
それは私が八歳になる頃だっただろうか。
セレスが来る前、周囲からの奇異の目と、侮辱の言葉はこの頃が一番酷かった気がする。
魔法が使えないという事実がいつのまにか周囲に知れ渡っていて、仲が良かった子達とも距離が空いてしまい、いつも一人で過ごしていた。
■ ■ ■ ■
【十三年前 首都ガルディア 自室】
暗く閉ざされた部屋。
カーテンさえも閉め切ったこの部屋には闇が落ちている。
昼間であるのにも関わらず、部屋に閉じこもり膝を涙で濡らす。
「ぐすっ…… 」
誰もがのけ者にしようと距離を取り、唯一の親である父親にまで相手にされない日々が続いていた。
シーツは涙に濡れ、ベッドの上で膝を抱え丸くなる。
そんな臆病な自分を励まそうと部屋の扉は軽く音を立てる。
「アリア様…… 今日も学校には行かないのですか?」
弱々しい悲しげな声。
扉の向こう側からかけられる声は小さい。
だけどもしっかりと心に響くように僕の心に刺さっている。
「いいんだ…… 一人にしておいてよ」
扉には鍵もかけてあり、入ってくることはできない。
まるで僕の心のようにこの気持ちは他の人にはわからないと思うから。
フリーシアさんには申し訳ないけど、もう学校に僕の居場所はないんだ。
だから行く意味なんてないんだ。
僕を見る目が明らかに変わったのはいつだっただろうか。
友達も、先生も、周りの大人達も僕を『できそこない』と呼ぶ。
『名家の汚点』とも呼ばれることもあった。 人の噂っていうものは不思議で、嫌でも耳に入ってきてしまう。
まるで化け物を見るようなそんな目で、触れることすら拒まれた。
まるで僕が病原菌みたいに……
魔法が使えないことはそんなに悪いことなんだろうか……
再び涙が混み上がり、シーツをたぐり寄せ、頭を覆う。
その時、勢いよく扉が開かれる。
きっと驚いた顔をしていたと思う。
鍵はきちんとかけていたはずなのに、やけにあっさりと扉が開いたのと、そんな泣きべそをかいている姿を見られたことによる羞恥心が沸き起こる。
暗い部屋に廊下からの日射しが部屋に入り込む。
そして扉を開けた張本人であるフリーシアさんは目に涙を浮かべ、僕の体に腕をまわし、優しく抱きついてきた。
フローラルな洗剤の匂いがメイド服から漂う。
柔らかな女性の体が僕をゆっくり包む。
母親を知らない僕にとっては少し照れくさく、そんなフリーシアさんに甘えてしまわないようにゆっくりと押しのけようとすると、再び力強く抱きしめられた。
「ごめんね、辛いよね」
そんな声をかけるフリーシアさんの方が辛そうに泣いているじゃないかと、思ったけど、それがフリーシアさんらしいなと同時に思ってしまう。
背中に伝わる涙のじんわりとした暖かさが広がっていくようで、思わずこらえていた涙が再びこぼれ落ちる。
「誰も…… 僕を必要としていない」
フリーシアさんは無言で僕の小さく丸まった背を撫でる。
ただその行為に甘えるように、刺さった棘を抜いていくように、僕が喋り出すのを待っていてくれる。
「誰も…… 僕なんかを見てはくれない」
くしゃくしゃになった髪は胸に埋まり、荒い呼吸で吐き出していく。
「そんなことはありませんよ、アリア様」
フリーシアさんは、僕の涙を手で拭うと穏やかに笑う。
「私が、アリア様を必要としています。 ちゃんと見ていますよ。 それはこれまでも、これからも変わりません」
しっかりと僕の目を見て、手を取ってフリーシアさんは答える。
「でも父様は……」
まるで空気のように、最初からそこには何も居ないかのように振る舞う父の姿は、たまらなく怖かった。
話しかけても相手にされず、横を素通りされる毎日。
僕は居なくてもいい存在なの?
「父様は…… 僕がここから飛び降りたら心配してくれるかな?」
ここは屋敷の二階に当たる部屋。
窓から飛び降りれば舗装されている地面にぶつかり、かなり痛いはずだ。
そこで怪我でもすれば、きっと心配してくれるんじゃないかと思った時だった。
頬に鈍い痛みが走る。
呆気にとられた僕は、思わず赤くなった頬に手で触れる。
目の前には肩を震わせ、俯くフリーシアさんの姿。
「馬鹿なこと言わないでください! し、死んでしまったらどうするつもりですか」
目に涙を貯め、怒るフリーシアさんに言葉がでなかった。
いままで悪戯で笑いながら叱ってくれていたフリーシアさんとは違って、はっきりとそこには怒りが含まれていた。
「ご、ごめんなさい」
「命を粗末にしないでください! アリア様はそれで平気かもしれませんが、私は反対ですよ」
「フリーシアさん……」
「二度とそんなことは仰らないでください。 ……そしてごめんなさい、叩いてしまって……」
「うぅん。 今のは僕が悪かったよ」
俯くフリーシアさんの肩は今も尚、震えている。
ただ、いつもと違っていたのは確かだった。
■ ■ ■ ■
懐かしいようなそんな不思議な感覚。
あの時のように俯くフリーシアさんは手を伸ばし言葉を口にする。
「……殲滅しなさい」
弾かれるように動き出した二体の合成獣は、雄叫びをあげながら地を蹴り、迫る。
五メートルを超える大柄な赤いオーガが手にした巨大な鉈を振り上げる。
だが、オーガの体に衝撃が加わり、攻撃は中断され、大きく吹き飛ばされた。
「巨大な相手は私に任せて貰おう」
デニーは金槌を手にして、吹き飛んだオーガの方へ駆けていく。
「ならば私はこちらだな」
翼をはためかし、高速で無頼虫の背後へと回り込むと、六本の腕の一つをキルアさんは掴み、大きく地面に叩きつけた。
「随分堅いな」
傷一つ付かない無頼虫は直ぐに起き上がると、その赤い瞳をキルアさんへと向ける。
「邪魔はさせないからな。 こっちだ合成虫」
飛び立つキルアさんを追いかけるように空へと羽ばたく無頼虫。
「どうやら訳ありみたいだな、他の騎士達は俺らに任せてくれよ」
「ラフィールさん……」
これまで共に戦ってきた冒険者達が頷く。
「悪いな…… 」
「いいってことよ。 んじゃお前ら気合い入れて行くぞ」
「「「「うぉおおおお!!!」」」」




