フォルスの事件
【半年前 リーゼア大陸 南島】
その日は酷い雨だったのを今でも覚えている。
曇天の空からは大粒の雨が大地を打ち付け、激しい音を立てていた。
ゴロゴロと遠くの方で雷が僅かに聞こえる。
時折ぱっと空が明るくなると凄まじい音を立てて木々に雷が落ちていく。
そんな空を眺めカナンは槍を振り上げた。
「ふん!」
水族性魔法を纏った槍は先端が渦を巻き、振り下ろせば瞬く間に岩を粉砕する。
カナンは粉砕した岩には気にもとめずに隣へ槍を突き出す。
次々に砕けていく岩はそれでもまだ半分も減っていないだろう。
「熱心だねぇ」
岩の上にあぐらを掻いて座り、カナンの修行を見ているのは、冒険者組合管理者であるドラゴニア族の女性、フォルス。
この大雨の中二人はずぶ濡れになりながらも修行を続けていた。
ぴったりと布地の薄い服が体に張り付き、その扇情的な肉体が露わとなってしまっているが、カナンはそんなものに目が無いように淡々と岩を砕いている。
髪はまるでシャワーを浴びているかのように滴っており、カナンの息づかいだけが雨音の中かき消されていく。
「少し休憩したらどうだい? お姉さんパンツの中までびしょびしょなんだけど」
「さっきも言ったが、先に戻ってくれていいって言ったはずだ。 今は時間が惜しい、休んでるわけにはいかないんだよ」
「ったく、そんなわけにはいかないでしょー。 弟子の様子はちゃんと見るのが私の勤めでもあるんだから」
「なら黙っていてくれ」
カナンはぶっきらぼうにそう答えると再び槍を振り回す。
「アクアネイル!!」
鋭い三連斬の爪痕が大きく地面を抉り、岩を吹き飛ばす。
その様子を見てフォルスはぼそりと言葉を漏らした。
「……自分だけ【龍撃】が上手く扱えないことに焦りを感じてるのかねぇ……」
フォルスの修行は順調だった。 早い段階でジャスティンとパトラは【龍撃】を獲得し、実践に組み込めるまで成長した。
この二人は才能が元々あったのだろう。 今ではかつてのトリシア=カスタールを彷彿させるような動きにもなりつつある。
だが、カナンだけは他とは違っていた。
魔力が元々少ないせいもあり、なかなか形にはならず、ようやく最近になって【龍撃】を獲得できたのだ。
これはカナンの成長が悪い訳では無い。
あの二人が天才的だっただけで、凡人に比べれば明らかに早い方なのである。
それを以前にフォルスはカナンに伝えたのだが、やはり身近な人物を知っているせいで劣等感を抱いてしまっているようなのだ。
「……なかなか上手くいかんもんだね」
まるで昔の自分を見ているようでフォルスはもどかしかった。
【龍撃】は見てすぐできるようになるものではなく、体の中に流れる魔力をコントロールできて初めて使えるようになる。
だからフォルスからは手助けをすることはできないし、カナンもそれがわかっているからこそ淡々と修行を重ねている。
最初のほうに行った強制組み手の期間はもう終わり、後は修行の最中で自由に発動できるようにならなければならないのだ。
ずぶ濡れになりながらもひたすら槍を振るうカナンの手は既に血にまみれ、雨で洗い流されていく。
回復魔法を行えば傷は表面上は瞬時に回復させることができる。
だが、それでは意味が無いのだ。
筋繊維がちぎれる痛みと、苦痛は自然回復でないと筋力増加、修行に繋がらないのだ。
雨は激しくなるばかりで、一向に止む気配はない。
そんな空を眺め、フォルスが視線をカナンへと戻した時であった。
「あれは…… 人か?」
岩が連なる岩壁の周りには木々が生い茂っている。
そこに一人の背の高い金色の髪をしているヒューマンが倒れていた。
「カナン、一旦中止だ」
岩場から飛び降りたフォルスは颯爽と倒れているヒューマンの元へ向かう。
長い金色の髪、赤いボロボロになった鎧は恐らくこの人物がガルディア出身だと窺える。
基本的に赤い装飾を施すのはガルディア特有であり、アルテアであれば緑、リーゼアであれば青といった特有の鎧装飾が多いためだ。
ただ、これはあくまでも国に属する騎士であればの話だ。
確証はない、騎士なのか?
遅れてカナンが不服そうな顔で駆け寄ってくると突然大きな声を上げた。
「アリア隊長!!?」
カナンはすぐに駆け寄り意識を失っているアリアと呼ばれるヒューマンを抱き起こす。
「どうしてここに……」
「知り合いなのか?」
カナンは大きく頷き言葉を紡ぐ。
「俺達がガルディアにいたときの隊長だ。 いままで国王暗殺の濡れ衣を着せられていたんだ」
「随分と衰弱しているな…… 一旦洞窟まで運ぶぞ」
アリアの顔は少しやつれており、栄養失調特有の土気色をしていて、呼吸も短い。
この土砂降りの雨の中応急措置を執るのは危険だと判断し、二人はアリアを抱えると洞窟まで運んでいった。
■ ■ ■ ■ ■
洞窟の内部は外が大雨と言うこともあり音が反響して聞こえる。
二人は意識を失っているアリアを、船の空いた部屋のベットの上にゆっくり下ろすと、カナンはすぐに水を取りに走った。
びしゃびしゃとなっている服を絞りつつカナンは急いでシーレスを起動させる。
シーレスはこの島の中であれば使えるようになっているため、登録してあったパトラの通信を選び繋ぐ。
『パトラ、聞こえるか』
『カナン? どうしたの?』
『アリア隊長が倒れていた。 酷い衰弱らしく、すぐに医療道具と何か食べる物を船に持ってきてくれないか?』
『!?! わ、わかった! すぐ持って行くね!!!』
シーレスの通信はすぐに切られ、すぐにパトラは大量の医療道具と食べ物を持ってきてくれた。
「た、たいちょー!? すごいボロボロ……」
「パトラ…… 何人分持ってきたんだ……」
「どの程度かわからなかったからとりあえずいっぱいあればいいかなって…… 」
地面に置かれた医療品は、包帯が三十個、塗り薬十個、飲み薬十個、携帯食料五人分、パン五人分だった。
さすがにこれを一人に使用するのは常識的に考えて無理な話である。
「まぁいいや。 ジャスティンはまだ戻ってきていないか?」
「うん。 まだリーゼアの会議に出てるから帰ってくるのは明日になると思う」
この南にある島からリーゼア大陸までは船で最短でも一日かかってしまう。
昨晩会議のためにトリシア=カスタールと出て行ったジャスティンが戻るにはまだしばらくかかりそうであった。
「う…… 」
「待って! たいちょー聞こえる!?」
アリアの唇が微かに動き、息が漏れる。
パトラが慌てて声を掛けるとその声に反応を示したのかゆっくりと瞼が開いていく。
「う…… ここは…… いったい」
「たいちょー!!」
放心状態のアリアにパトラが勢いよく抱きついていく。
「ここはリーゼア大陸の南にある島だよ…… アリアたいちょーは地上で倒れていたんだよ? 覚えてないの?」
「うっ…… まだ記憶が……」
頭を抱え痛みを訴えるアリアにパトラが慌てて塗り薬を塗っていく。
「どうやら起きたようだね」
部屋へと入ってきたのはタオルを手にしたフォルス。
どうやらあの後船についているお風呂に入ったらしく、ほんのりと頬を染め、湯気が上がっている。
「あなたは…… いったい?」
「私か? 私は冒険者組合管理者のフォルス。 訳あってコイツらの世話をしている者だ」
「そう…… ですか。 ゲホッゴホッ」
アリアは俯き、咳き込んだ。
「隊長大丈夫か?…… これ水だけど」
「ああ、ありがとう」
フォルスは顔色の悪いアリアを眺めると、腕を組み話し始める。
「それで、話は少し聞いたよ。 国王暗殺の濡れ衣を着せられているんだって?」
アリアは歪んだように笑顔を浮かべる。
「え…… 濡れ衣? 私はあの時正しい事をしただけだ。 あの時はあれが一番の策だったと思ってる。 国の悪の芽を摘むにはああするほかなかったんだ。 たしかに黙っていてのは悪かった…… だけどいずれは殺さなくてはいけなかったんだよ。 パトラならわかってくれるよね?」
「え…… た、たいちょーの意思で殺したの?」
「ゲホッ、そうだよ。 これにはセレスも納得していてね。 必要な犠牲という奴だよ」
「嘘だろ…… 俺は信じていたんだぞ……」
「嘘? 何を言っているんだカナン。 全て真実だよ。 国王を殺したのは私だ。 人はいつか死ぬ、それの手伝いをしただけに過ぎないんだよ」
アリアはベットから降りるとフラつく足で立った。
「どうやら…… 歓迎されていないみたいだから私はここを去るよ」
「待って!! さ、最後に聞かせて…… 私達のことはなんとも思ってなかったの? ……捕まっていたんだよ?」
目に涙を浮かべてパトラはアリアの背に言葉を投げかけた。
「こっちは死にかけたんだぞ? 捕まるぐらいまだいいほうだろ」
「え……」
「お前ッ!!!」
カナンは拳を握りしめアリアの顔面めがけて殴ろうとした時だった。
カナンの拳は軽々とアリアに掴まれ、苦痛にカナンの表情が歪む。
恐るべき力で握り返され、みしりと鈍い音が響く。
「ぐぁああああ!!」
「お、お願い!!やめて!!!」
カナンの絶叫とパトラの泣き叫ぶ声が響き渡る。
「もう黙っては見てられな…… っつ!? 」
フォルスの前には光の壁ができており、これ以上先へ進むことができないでいた。
「もう会うこともないだろう」
アリアは冷徹に腰から取りだした剣を深々とカナンに突き刺した。
「いやぁあああああああ!!!!」
ごぼっとと言う音と共に血だまりを吐き出したのは刺されたカナンでは無くフォルスであった。
ドサリと倒れたフォルスの腹部からは夥しい量の血が流れ出ている。
「そんな…… どうして……」
カナンは青ざめた顔で自分の腹部に刺さっている剣を眺める。
剣はたしかにカナンに深々と刺さっているもののカナンに不思議と痛みはなかった。
「なるほど…… 深淵魔法ダークゲートか」
そうアリアは呟くとカナンを突き飛ばし、窓を突き破って逃げ去っていってしまった。
「フォルスさん!! フォルスさん!!」
「血、血が止まらない!! こんな、こんな結末なんて……」
涙を流しながらパトラは大きな穴が開いてしまったフォルスの腹部を必死で手で押さえ続けた。
カナンは怒りに染まっていた。
信じていた。 それがこうもあっさりと裏切られたのだ。
歯を食いしばりカナンは怒りに肩を震わす。
「ぐぅう!! 裏切り者めぇえええ!!」




