圧倒的な差
結局あれからカナリアから詳しい話を聞くことができず合同演習という名の一日目が終わった。
その翌日、私は一人で中庭にあるあの球体のマジックアイテムの前へと来ていた。
そこには紫色の布がかけられており、普段使用しない場合はこのように保管されているのだなと伺えた。
吹き抜けの天井を見上げれば生憎の曇り空が顔を覗かせる。
今にも降り出しそうな雲行き、かすかに雷の音も聞こえてくる。
鼻に残る濡れた地面の匂いはこれから雨が降り出す前触れなのかもしれない。
昨日とはうって変わって周囲には誰もいない。
理由はこの場所が現在立ち入り禁止となっているからだ。
そんな場所に何故来ているのかというと。
「待たせてしまったかの?」
小さな来訪者。 もとい、この国の女王であるネア=ショック=リーゼア様。
藍色の髪は綺麗にツインテールとなっており、白い不思議な衣装を身に纏い、ゆっくりとした足取りでこちらに向かう。
「いえ、先ほど着いたばかりです」
思わず視線はその不思議な服へと目が行ってしまう。
子供用の服? いや、こんなものは始めて見るな……
その視線に気づいたのかネア様はない胸を突き出し、どや顔で答える。
「アリアもこの衣装が気になるか? ふふん、そうであろう。 わざわざつくらせたのじゃからな」
白い衣装は金色の刺繍が、足にはスリットが施され、可愛らしい太ももが露出している。
「これはのう、異世界の衣服【ちゃいなどれす】という武闘家の正装なのじゃそうじゃ」
武闘家の正装…… たしかに動き易そうではある。 この世界に齎された異世界人の技術は目を見張るものがある。 きっと私達の世界よりもだいぶ文化の先を行っている気がするのは間違いではないだろう。
「似合っておるかのう?」
少し照れた様子のネア様は私を見上げながらモジモジと答える。
「大変似合っておりますよ。 サイズはぴったりのようですし」
「そういう意味じゃないんだがのう…… まぁよい」
ネア様は徐にマジックアイテムに掛かる球体の布を取り外し、手を翳す。
球体の内部が複雑に変わっているのが見て取れる。
瞳を閉じるネア様は、何を考えているのだろうか……
「これはの、使用者の脳内のイメージを具現化するのじゃ、おそらく昨日は何も障害物のない荒野だったのじゃろ?」
「え、ええ」
「やはりの、モルファはめんどくさい考えは嫌いじゃからの。じゃが儂は一味違うのじゃ」
ゆっくりとネア様は球体の内部へと足を踏み込む。
遅れないようにと後に続くと昨日と同じく眩い光に全身が包まれる。
手を翳し眩しさを直視しないように遮ると徐々に目が光に慣れる。
「これは……」
見渡せば大きな建物が立ち並ぶ場所。 わずかに既視感を感じるのは何故だろうか。
そうだ、これは……
「そうじゃ、これはこのゼアル都市を模して造ったものじゃ」
いつの間にか水車の上から見下ろすネア様。
その水車はゼアル都市で最初に見た大きな水車と変わりない様にも見える。 これがマジックアイテムの力なのか……
基本は魔力を媒体とするために私では使う事ができないだろう。
街並みはまるで鏡写しのように再現されている。
「では、【ヴァルハラ】の修行を始めようかのう。 アリア、好きな武器でかかってくるといい」
ネア様は水車の上から軽く飛び降りると、音もたてずに地面へと降り立つ。
「【ヴァルハラ】」
ネア様の体が熱を帯びたように色づく。
わずかに蒸気が出ているように見えるのもあの時と変わらない。
次元収納に両手を突っ込み、取り出したのは剣と盾だ。
視線を外さず、足を踏み込んだ時だった。
「え?」
鮮血が舞う。
何をされたのかが見えなかった。 だが視線が追うのは切り飛ばされた盾を握っていた左腕だ。
直後に思い出したかのように激痛が駆け巡っていく。
「がぁぁああああああ!!!!」
血が止めどなく溢れていく。
思わず地面に倒れ伏し、必死に傷口を手で覆う。
思考は纏まらず、激しい痛みのせいで吐き気すら覚える程だ。
「ヒール」
「がっはっ!? あ……」
傷口は一瞬で塞がる。 だが痛みは完全に消えてくれていない。
「【ヴァルハラ】の修行は痛みに慣れることから始まる。 儂がこれを教えるのは普通の人間であれば痛みに慣れる前に体が壊れてしまうからじゃ」
「はぁっ、はぁっ」
過呼吸気味の息を整え、脂汗を拭うと再びネア様は駆け出す。
「だからこそあの時言ったであろう、腕の一、二本は覚悟をしていろと」
「あぁああああ!!!」
剣を握り、片腕だけとなった腕で、ネア様に向けて振り下ろす。
しかし、そのどれもが綺麗に避けられ地面を抉る形にしかなっていない。
「まだ、足らんの」
ネア様は一瞬で私の懐へと飛び込み、蹴りを放つ。
「ぐぅ!?」
そのあまりの重さに思わず吹き飛ばされ、壁へと激突する。
肺の中の空気が押し出され、苦悶の声が漏れる。
歯を食いしばり、崩れ落ちた壁をどかし、立ち上がる。
まだ、終わったわけではない。
血の味が広がる。
次元収納から長剣を引き出す。
地面を弧を描くように振るえば、近づこうと身構えていたネア様の姿を捉える。
「おぉおおお!!」
横薙ぎに振るわれた剣は空を切る。
空振りをするたびに一時的に塞がっただけの傷口が少しずつ開き、鮮血が舞っていく。
「ぐっ、うぅ!!」
ネア様は私の攻撃を躱すと肉薄し、剣を持っていない方へとステップを踏んだ。
体が反応する。 無意識に動いたのはそこに来るとわかってしまったから。
大きく捻るように飛びのこうとしたが、ネア様は私の動きに合わせるように距離を詰める。
ネア様が振るった拳は辛うじて塞がった傷口にめり込む様に叩き込まれる。
「がぁあああああ!!!!」
思わず痛みで絶叫に近い声が上がる。
血しぶきが飛び散り、ネア様の白いちゃいなどれすは瞬く間に赤く染め上げる。
「まだだぞ?」
体制を崩した私の腹部にネア様は蹴りを加えると大きく体は吹き飛び、再び家屋へと突っ込んでいく。
「か…… は……」
あまりの衝撃に意識が飛ぶ寸前にまで持って行かれる。
その時眩い光が体を包む。
「ヒール」
まただ。
潰れかけている臓器が一時的に修復されていくのを感じ、その嫌悪感から思わず血だまりと共に吐き出していく。
「おぇええあがぁあっ……」
折れた骨は無理矢理元の位置に戻ろうと悲鳴を上げる。
まるで拷問だ。
掻きむしる様な痛みが全身を襲う。
一時的な回復は出血を止めるだけのものであり、治療には程遠い。
体が震える。
まるで拒絶するかのような痛みに拒否反応を起こすのも無理のない話だ。
「立て」
ネア様は力なく項垂れている私の胸倉を掴み、宙へと放り投げる。
どこにそんな力を持つのかとという思考が頭をよぎるが、そんなことはどうでもいいほど圧倒的な力の差を感じた。
ぶれる視界に映るのはあの大きな水車の一端。
気づいた頃には体は大きくそれにぶつかっていた。
「ご…… ぁが……」
ごしゃり、という音が正しい音の表現かわからないが、それほどの音が自分の身体から鳴るのを聞き、至る場所で骨が折れるのを感じた。
もはや意識はほとんどない。
破壊した大きな水車の残骸と共に、体は投げ出される。
「グレーターヒール」
死の淵の瀬戸際。 全身をあの光が包むと逆再生のように壊れた体は元に戻っていく。
地面に受け身もとれず叩きつけられ、再び治りかけていた骨が折れ、傷口が開く。
流れ出る出血。 失われていく感覚に恐怖を、痛みに涙を流す。
「こ…… 殺し…… て…… く」
「それはできんの」
冷酷なほど吐き捨てるようにネア様は言葉を漏らした。




