月夜
暗がりの中手探りでテーブルの上にあるはずの物を探す。
手が触れ、硬質な手触りからそれがランプであることを何となく察する。
中に入っている燃料である油は十分足りているようで、手に持てばずっしりとした重みがある。
徐に次元収納へと片手を突っ込み、火を起こすためのマジックアイテムを取り出す。
こういったマジックアイテムは需要が少ない。
魔道具店でも不人気の商品らしく在庫を多く置いている所が少ない。
それもそのはず、こういった初級魔法程度の魔法は今や子供でも扱えるからだ。
『ファイア』の魔法が込められたマジックアイテムを消費すると、ランプに灯りがともり、部屋に柔らかなオレンジ色の光が満ちていく。
本来であれば部屋全体へといきわたらせるはずの魔法も、このマジックアイテムをあまり消費したくないという思いから四か所あるところの一か所だけに灯す。
これだけでも十分に明るい。
まぁこの灯りだけで本を読もうと思えば少し見えにくいかなと思えるくらいだが。
本を読む目的は今はないので、ランプを部屋のテーブルへと置き、月明かりが照らすベランダへの窓を開ける。
やや肌寒い風が部屋の中へと流れ込み、籠った空気を押し出していく。
もう少しすればまた蒸し暑い夏がやってくるのだろうが、今はまだ冬の余韻が残る。
硬質な白亜のベランダへと足を踏み出せば、その冷たさが足に直接伝わる。
この場所は目下に広がる街並みが良く見える。
ガルディアとはまた違った街並み、遠くに見える海岸の水面は夜空の月を反射して輝いている。
濡れた髪が風に吹かれ、顔に掛かるのを払いのけ、火照った体を冷ましていく。
シャワーを浴びて着替えたばかりではやや寒い。
少し乾かしてから来るべきだったな。
街並みを見下ろし、キラキラと揺れる街灯を眺める。
思えば随分遠くまで来たものだな……
ガルディア都市から始まり、シェリアと二人だけで始まったアルテア大陸、マーキスさん達と出会い、ナウルではキルアさん達とガイアスさんの奪還計画を立て、首都アルタでの戦い。
息つく暇もないほどすぐにナウルへと戻り、ガルディアンナイト本隊と戦って、テオを倒して……
デニー達と冒険者になって冒険者の街に行き、目的だったリーゼア大陸に……
慌ただしい思い出も今となれば懐かしい思い出となっている。
戦いに巻き込まれ、いくつもの世界の闇を間近で見て、知らなかったことが増えた。
私達が知らなかっただけでどの大陸の種族も同じように家族を愛し、その家族を守るために戦っている。
譲れないのはお互いに同じであり、意見が食い違ってしまうのも私達が人間だという証となる。
だからこそ、シェリアが言う戦争のない世界、どの種族も手を取り合って助け合う世界は実現して欲しいと願うのだ。
金に装飾が施されている手すりを撫で、夜空を見上げる。
いくつもの星が競うように瞬いている。 この景色もガルディアに居た頃とは変わらない景色。
明日にはトリシアさんと合流か……
あの事件からもう一年程経とうとしている。
逃げることを考え生きて来たあの頃、ただ理由もわからず命を狙われることに恐怖したあの頃。
自分の力は、無力で、抗えない大きな力にはただ屈することしかできなかったあの頃。
私は変わっているはずだ。
きっとトリシアさんの事だ、カナリアやカルマンさん達もきっといるはずだ。
あの時は逃げることに必死で言えなかった。 あの時は助けてくれてありがとうと。
あの時助けてもらわなければ今の私はここにはいなかったと思うから。
「初めましてになるかしら?」
その知らない声に誰が反応などできただろうか。
私の背後に立つ少女の声に思わず背筋が凍る。
いったいいつからそこにいたというのだろうか。
「君はいったい……」
振り返れば金色の長い髪、白すぎる肌の色の少女、だが彼女がはっきりと人では無い特徴がそこにはあった。
鬼のように長い二本の角が額から飛び出ており、背には蝙蝠を模したかのような青白い翼、下半身はキラークイーンのような蜘蛛の脚。
「私の名前はヘンリエッタ。 絶望を届けに来たかしら」




