side フェン・リージュン ~変わる日常~
「うーん、どれもいいんじゃがのう……」
ネア様はベットに並べた三種類の洋服を見てカクンカクンと頭を悩ませている。
「どれも私には過ぎた洋服ばかり、ネア様にそれを着ろと言われれば私は何だっていいのに……」
私はそう小さく言葉を零すがネア様は気にも留めないようだ。
あの頃はボロ布一枚しか着ていなかった。
それに比べればどんな服だろうと豪華なものに見えてしまう。
「決めた! これにするのじゃ」
小さな手が掴んだ洋服は赤い細めのパンツと袖に可愛らしいフリルのついた白いシャツ、中には黒のレースの入ったインナー。
少々派手過ぎじゃないかな……
不安げな視線をネア様に送ると大きく頷き、これが一番似合うと手渡される。
「それともう一つ。 前も言ったんじゃが、ちゃんと下着はつけるのじゃぞ?」
ずいっとクローゼットの下に収納されている下着入れにネア様は徐に手を突っ込み、一組の黒い下着をさっきの洋服の上に乗せる。
そうか、さっきからチラチラと不安げな顔をしていたのは私が下着を着けていなかったからか。
「ごめんなさい……」
ネア様は軽くため息を吐くとベットにポスンと腰掛ける。
「怒っているわけではない。 ……やはり昔の記憶を思い出してしまうか?」
俯き許しを請う事はもはや癖みたいなものだ。
過度の虐待を受けて来た私は叱られることに恐怖を感じるようになってしまった。
この世界では大丈夫だとわかってはいても体は、受けて来た心の傷はそう簡単に治るものなんかじゃない。
心配そうにネア様は私の事を見つめる。
本当にお優しい方だ。 私がここに来た当初は周囲の人達の視線に怯え、怖がっていた私に優しく話しかけてくれた。
「最近もよく夢に見るんです。 こんな記憶なんて忘れたいのに……」
あの悪夢は私に忘れることを許してくれない……
激しい飢えとむせかえるような悪臭記憶。
最近は眠ることすら怖く思えてくる。
「そうか…… じゃが前にも言ったが安心するといい、この場所は安全じゃ、儂がフェンを守ってやるからな」
少し悲しそうな表情を一瞬ネア様はしたがすぐに小さく胸を張って自信満々に頷く。
その表情は何かを隠している時の顔。
人の表情に敏感になりすぎてしまった私にしかわからない情報をぐっと飲みこみ微笑む。
「ありがとう。 ネア様……」
「着替え終わったら一緒に朝ご飯を食べにいくのじゃ」
ひょいとベットから降りるとにこやかな笑みを私に向けて部屋からネア様は出ていく。
静まり返った部屋を見渡す。
とりあえず、受け取った洋服に着替えようかな……
真新しい下着に足を通し、まずは下から…… ひんやりとした下着に思わず小さく声が出るのを堪え、次々フェンは着替えていく。
やっぱり少し派手なような気がするなぁ……
シャツのボタンを留めながら鏡に映る自分を眺める。
いかにも大人っぽい恰好は年齢にそぐわない印象を与える。
こうして見ると二十歳といっても差し支えない見た目は渡された服装によく似合っている事がわかる。
あとは……
枕元にあった藍色のシュシュを手に取り長い髪を緩く束ねていく。
このシュシュはネア様から頂いた最初の贈り物。
ネア様の髪色とと同じ藍色の色をしたシュシュは私もお気に入りで常に肌身離さず持ち歩いている。
いつか私もネア様の役に立てるようになりたいな……
ネア様はこの大陸の女王という立場にあるお方だ。
そんなお方が私の為にこうして毎朝時間を作ってくれているのだ。
私なんかの為に……
鏡に映る私の顔が曇る。
こんなことではまた心配させてしまうな……
顔を振り、部屋の窓を開けると心地よい夏風が吹き込んでくる。
この世界はあの世界よりも素晴らしい。
排気ガスにまみれた空気ではなく、花の匂いや朝食の匂いが風に乗り運ばれてくる。
目を細め日差しに手を当てて外の景色を見れば灰色の世界だったあの場所とは違い、色鮮やかな景色が広がる。
草木や鮮やかな花壇は穏やかな風を受けてゆらゆらと揺れる。
ああ、神様…… 生まれ変わらせてくれてありがとう……
そう祈らずにはいられなかったフェンはくるりと向きを変え、部屋を出る。
「終わったかの? では行こうか」
「はい」
扉のすぐ横に居たネア様は私に気づくと嬉しそうに私の手を取り先導していく。
暖かなその小さな手に触れ、思わず笑みが零れる。
青い絨毯の敷かれた廊下を歩いていくと次々にすれ違う人がネア様を見て頭を下げていく。
何食わぬ顔でネア様は笑顔のまま通り過ぎていく。
この光景を見ていると本当にネア様は女王なのだというのがわかってしまう。
だが、ネア様に向けられる視線とは別に私に向けられる視線は全くの別物であることをネア様は気づいているのだろうか……
すれ違う人達の表情こそ笑顔を保ってはいるが、すれ違う瞬間、私を見る目は蔑みの視線だという事を。
どんなに着飾ろうと変わらぬ身分の差は存在する。
その視線は私が今までに何度も向けられた視線だ。 嫌でもわかってしまう。
俯き、なるべく視線を合わせないように手を引かれながら私は進む。
広い屋敷を進んでいくと前から一人の背の高い燕尾服に身を包んだ男性がこちらに向かい歩いてくる。
銀色の長い髪は艶やかで遠くからでもよく見える。 角が生えていてその美麗な顔立ちから最初は昔に見た本に載っていた吸血鬼かと思ったりと失礼な事を思っていた。
「おはようございます。 ネア様、フェン様」
「マクミランもこれから朝食なのかの?」
立ち止まりお辞儀をするマクミランと呼ばれるこの男性はネア様の秘書らしく、周囲が蔑みの視線を向ける中この私の事もそういった目ではみない優しい方だ。
「いえ、私はもう既に済ませていますので」
まだ朝日が昇ったばかりだというのにいったい何時に起きているのとか気になってしまう。
「そうか、儂らはこれから朝食を食べに行くところなのじゃが、何かあったのか?」
ネア様の表情が先ほどまでとは違い凛々しく真剣な表情になる。
普段は年相応な表情を見せるネア様だが、マクミラン様と話している時は年齢を感じさせない雰囲気がある。
人気のない場所まで移動するとマクミラン様は小声で話し出す。
「これはフェン様の耳にも入れていただきたい情報なのですが、大臣の一人がガルド大陸に情報を流しております」
「ほう、うまく儂の目を掻い潜っているようじゃな。 してなぜこの話にフェンが関係あるのじゃ?」
「ええ、その大臣は三日後に舞踏会を開くようでどうやらそこに情報を流している本人が現れるようで、つまりはフェン様にその舞踏会に出席していただきたいのです」
「えぇ!?」
思わず少し大きな声が出てしまい慌てて口を手で覆う。
「騎士団の顔は割れていますし、私から見てもフェン様はとてもお美しいお方、目を引かせるにはこれ以上ないと思います」
視線が私に集まる。
「で、でも舞踏会なんて…… 踊った事なんてないし……」
「私が手取り足取り教えますのでご安心を」
にこりと微笑まれるとどきりと心臓が跳ねる。
その笑顔は私にとっては毒だ。 心がかき乱される。
「ふむ、すまないが頼まれてくれるかフェン?」
それはずるいですよネア様。 そんな顔で言われたら断れるわけないじゃないですか。
「は、はい……」
これから朝食だというのに私の胃は一気に重くなった気がした。




