フェン・リージュン
話は少し変わります。
気が付けばいつも一人だった。
空っぽの部屋にはゴミのような物がいくつも散乱し、酷く嫌な臭いを放っている。
電気も水道も止められたこの空間は果たして人が住んでいける環境ではないんだろう。
無気力な、虚ろな目で手にしたパンは既に食べられる限界を超えカビが生えている。
視線が右往左往する。
カビは一か所に小さくついているだけ、そこだけ切り取って捨てればまだ食べられる。
パンのカビの生えている場所を手でちぎり、もはやゴミ箱と呼べるかわからない袋という袋に投げ入れる。
乱れ気味の呼吸を整え、パンに噛り付く。
ああ、これで今日もなんとか生きていける。
劣悪な環境、最低限を超えた底辺にすら届くような最低な生活。
「うっく、ゲホッ、ゴホッ」
殴られ腫れている頬のせいでうまく飲み込めず、さらにやはり悪くなっているせいで思い切りむせてしまう。
吐きそうになるのを必死で両手で口元を塞ぎ堪える。
戻してしまったらまた何をされるか分かったものじゃない。
涙を零しながら、必死にえづくのを堪えて目にするのは埃の積もった小さな鏡。
部屋には薄汚れたカーテンの隙間から入る日差しによって薄暗いまま、鏡に映る自分の姿を見てフェンはまた大粒の涙を流す。
「これが…… 私……」
痩せすぎてもはや皮が張り付いてるような頬のこけた顔には無数の痣と切り傷、目はぎょろりとそこだけ飛び出して見え、髪の毛はむしり取られたせいで禿散らかしてしまっている。
「ううっ、どうして…… 」
ああ、こんなことなら見なければよかった。 知らなければまだ生きて行けたかもしれない。
でも、もう限界。
こんな世界に生きている意味はない。
親はいつからか親とは呼べるものでは無くなってしまった。
私がずっと親だと思っていたあれはもうすでに化け物だったのだから……
虚無感と耐えがたい空腹感がまた襲ってくる。
栄養の行き届かなくなった脳を働かせ、震える体を起こし、這うように床に散らばったゴミをかき分けながら進む。
そこでぎしりと鈍い音を立てて壊れそうな腕が無理矢理引っ張られる。
「痛っ……」
視線を右腕に移すとそこには手錠が嵌められ、金属製の鎖が付いておりその鎖の先は今は使われなくなった冷蔵庫に巻きつかれている。
そうだった。
手錠が嵌められている腕にも無数の痣と傷跡がある。
最初からこうだったじゃないか、頭がうまく働かないせいですっかり忘れていた。
口元から乾いた笑いが零れる。
「あは…… 死ぬことも満足にできないんだ……」
フェンは今更ながら自分の置かれた状況にようやく理解する。
ああ、最初から私は物扱いだったじゃないか……
痛みと飢えにまみれた生活が全てだったじゃないか……
「あははは…… あははは……」
涙は壊れたかのように止めどなく溢れだす。
どうしてこんな事になっちゃったの?
なんで?
なんで?
なんで?
「あはは…… っぐ、うっ、おえぇえええ……」
とてつもない絶望感と壊れてしまった私の体は食べ物を受け付けなくなってしまった。
結局吐いてしまった。
床に散らばる自分の吐瀉物を眺め、口元を拭う。
もう嫌……
視界は明滅し、そこでフェンの意識は途切れた。
■ ■ ■ ■ ■
「はっ…… はぁっ…… はぁっ……」
飛び起き視線を右往左往させ、フェンは先ほどまで見ていた光景の変わりように静かなる安堵の声を漏らす。
日差しが仄かに照らす木目調の部屋には、自分が寝ていた柔らかなベットと木製のテーブルと椅子が綺麗に揃えられている。
「この記憶を消し去りたい……」
震える体を自分の両手で抱きしめ、フェンは大粒の涙を零す。
とぎれとぎれになる息を整え、暖かなベッドのシーツを捲り、床に足をつく。
視線を手に移せばあの時の痣だらけでやせ細った腕ではない。
肉付きのいい艶のあるきめ細やかな肌にこれが自分の腕なのかと不安になるくらいだ。
起き上がり、木製のテーブルの上に置かれている小さな鏡の布に手をかける。
手が震える。
あの時の記憶はまだ根深く記憶に残っているから、毎日この確認の瞬間は緊張する。
ばっと布を捲り、鏡に自分の顔を映し出す。
そこにはあの時のような痣と傷だらけの痩せこけた顔ではなく艶のあるきめ細やかな肌、毟られ禿げてしまった頭は見違えるような艶のある長い黒髪。
その頬に触れ、鏡に映った自分の姿に再び涙がこみ上げてくる。
これが夢なんかではありませんようにと。
フェン・リージュンはここリーゼア大陸の勇者としてこの世界、グランディアへ召喚された。
手に持っていた小さな鏡をテーブルの上に再び戻したフェンはくるりと向きを変え、与えられたクローゼットの前へと進む。
取っ手を掴み、ゆっくりとクローゼットを開けるとそこには数々の夢にまで見た服が収納されている。
まるで絵本のような展開にはやる気持ちを落ち着かせ、その中でも地味目の服を引っ張り出す。
私には過ぎたものばかり……
未だになれないこの瞬間に上から被るように黒い洋服を着ていく。
「ぷはっ、すごくいい匂い……」
洋服から顔を出すと仄かに香る甘い香りに思わず下もまだ穿いていないのに袖口に残る匂いを嗅いでいく。
すると部屋に誰かの来客を知らせるノックの音が響き渡る。
「入ってもよいかの?」
その聞きなれた声は安心できる声だ。
「……どうぞ」
ガチャリと音を鳴らして入ってくる小さな来訪者に思わず笑みが零れる。
「なあっ!? なんて恰好しているんじゃ!! 仮にも女の子であろう!!」
バタンと慌てて勢いよく部屋のドアを閉めて入ってくるのは藍色の艶のある長い髪に角の生えた小さな女の子。
私をあの世界から救ってくれた救世主。
「突然だったから」
「そしてまたそんな地味な服を選んでおってからに……」
ネア=ショック=リーゼア様は頬を赤く染めため息を吐くと、その小さな足でツカツカと私の前に歩み寄り私を見上げる。
「儂がフェンに似合うものを選んでやるから待っておるのじゃ」
その愛らしい姿に思わず頬が緩む。
「はい」




