虚実の夢
こうするしかなかった。
どうしようもなかった。
足元から崩れ去るような虚無感が襲ってくる。
激しい動機と呼吸の乱れは戦いによるものだろうか。
いや、違う。 私はわかっていたはずだ。こうなるという事を……
たくさんこの目で見て来たじゃないか、何を今更動揺しているというのだろうか。
戦争とははなからこういうものだったじゃないか……
覚悟…… してたはずじゃないか……
アリアの視線は血の海に沈むテオから離すことはできないでいた。
戦いに勝ったからなんだというんだ。
なぁ…… 教えてくれよテオ…… なんで避けなかったんだよ……
避けれたはずじゃないか…… なんで避けるのを止めたんだよ……
昔からこうだった。 肝心なことは私には何も教えてくれない。
「言わなきゃわからないだろっ……」
押し零した声は小さく、風にかき消されていく。
「アリア様!!」
喧騒が消えた戦場に駆けてくるシェリア=バーン=アルテアは次元収納から治療道具を取り出すと慌てた様子で棒立ちとなっているアリアに駆け寄る。
「戦争は終わりました! これもアリア様の…… 泣いて……」
「あ、え、これは…… どうして……」
シェリアはアリアの顔を覗き込むとハッと慌てた様子で俯く。
止めどなく流れる涙にようやく気付いたアリアは慌てて顔を拭う。
「おかしいな…… 止まらない…… なんで……」
確かにテオをこの手で殺めてしまったのは辛く、悲しい。 だが、ここまで自分が泣いている事に気づかない程ではなかったはずだ。
まるで体と心が一致しない。
「思い入れが強かったのですね…… アリア様も酷い怪我ですのであちらで治療しましょう」
くいと袖を軽く引っ張るシェリアは耳が完全にへたれこんでしまっている。
「あ、ああ」
一歩シェリアにつられる様に歩き出した瞬間、緊張の糸が切れたように激痛と疲れが舞い戻ってくる。
この感じはまずい…… な……
崩れるようにアリアはその場に倒れ伏す。
ああ、終わってしまったんだな本当に……
掠れゆく意識の中私を呼ぶ声が微かに聞こえそのままアリアの意識は闇に染まった。
■ ■ ■ ■ ■
ぼんやりとした思考の中、気が付くと霧の中に居た。
余程自分の身体は疲れているのだろう、さっきまで居た場所とのあまりの違いさにこれが夢であるとすぐに気が付いた。
辺りを見渡す。
一面霧が濃く先が見通すことができない、足元の草木がわずかに湿っているのかブーツには水滴が付き濡れている。
最近ではよくわからない夢に見慣れ過ぎてしまったせいか驚くほど冷静に今の状況を分析できる。
ここは…… 森の中なのだろうか……
自分の姿はどうやら今のままらしい。
手を眺め、不自然な点を探すがどうやらそれもないらしい。
すると後ろの方で子供のすすり泣く声が耳に入ってくる。
「子供?」
たとえこれが夢であるとわかっていても見に行かない選択肢は私にはないな……
「行ってみるか……」
振り返り、木に手を添えながら奥へ奥へとアリアは進んでいく。
アリアが近づくほどにその子供の声ははっきりと聞こえるようになっていった。
だいぶ近いな…… おそらくはこの木の陰か……
アリアは覗きこむ様に木を陰にして声のする方を見る。
「……私? ……いや少し違う」
恰好は淡い紫のワンピースのような服装から見てその子供が女の子だと推測できる。
だが、驚いたのは幼少期の私に似ている顔であった。
年齢はおそらく六歳前後であろう。
うずくまり涙を手で拭っている。
髪の毛は私と同じように後ろで縛っており、金色の髪はまさに私と似ている。
似すぎている。
この夢はいったい……
そもそもあれが私だったとして、この記憶は私にはない。
ましてや恰好は完全に女の子である。
声をかけるべき…… だろうか……
「!?」
そう出るのを躊躇っていると向こうから誰かがこちらに歩いてくる足音が聞こえる。
慌ててさらに厳重に身を隠し、木の陰から誰が来たのか覗く。
「……テオ」
驚きに口が塞がらない。
歩いてこちらに向かってくるのは若い頃のテオだ。
身なりは質の良い黒い燕尾服のような恰好。今の姿よりも痩せて細身ではあるがあの姿は間違えようのないテオの姿である。
「こんなところにおられましたか……」
テオは泣いている少女に気づくと少し困ったような顔をしてその少女の前へしゃがんだ。
「ひっく…… ぅう…… 怖かったよテオ……」
「私が来たからには大丈夫です。 安心してください」
テオは泣き止ますように少女の頭を優しく撫でる。
撫でられた女の子はこくりと頷くと手で涙を拭った。
「もう大丈夫。 テオが一緒だから」
「それは嬉しいお言葉。 さぁ皆心配していますので帰りましょう」
「……でも、足が痛いの」
どうやら少女の足はどこかで足を滑らせたのか足を怪我してしまっているようだ。
それもあって動けないでいたのか。
「では掴まってください、私は力持ちですので」
テオはその少女に背を向けると乗るようにと促す。
少女はテオの背に乗ると安心したのか微笑む。
「ありがとう。 テオ」
「アリア様、しっかり掴まっていてくださいね」
その言葉に耳を疑った。
「うん、大丈夫。 テオ優しいから好き」
「ハハッ、勿体なきお言葉です。 アリア様」
二人はゆっくりと森の奥へと歩き出す。
私は一体何を見せられているのだろう。
ただその光景を眺める事しかできなかったアリアは、自分の記憶にないもう一人のアリアの存在に疑問を持たずにはいられなかった。
霧はさらに濃く深く辺りを覆っていく。
私だけを置き去りに。
音も、色も全てがぼやけ、思考はまとまらない。
ただ、一つだけ頭の片隅に残ったのは私は一体誰なのだという事。
再び訪れる崩れ行く意識の中、アリアはこれが夢の終わりだという事を認識する。
視界は明滅し、意識が途切れれば再び夢から覚めるのだろう。
これは本当に只の夢なのだろうか……
アリアの意識はそこで途切れた。
■ ■ ■ ■ ■
目を開けるとテントの梁が視界に入る。
土の濡れた匂いと全身の気だるさが夢から覚めたことを教えてくれる。
首を動かし辺りを見渡せばどうやらこのテントの中には私しかいないようで、鎧は床に丁寧に並べられており、体には毛布がかけてあり、さらに体の至る所に包帯が巻かれているようだ。
ランプには灯りが灯っており、オレンジ色の光が優しくテントの中を照らす。
水の入った桶と治療道具が散らばっているのを見るとどうやら先ほどまで誰かしら居たようだ。
「ぐぅ……」
やはり治ってはまだいないか……
動かせば左腕に激しい痛みが走る。 あのテオとの戦いで折れてしまった腕はより厳重に包帯が巻かれていた。
仕方なく動くことを諦め、再びアリアはテントの梁を眺める事に戻った。
これもまたしばらくしたら治っているのだろうな……
夢で見た光景が焼き付いて離れない。
私と似た顔をした少女…… 私と同じ名前…… あの子はいったい……
考えても仕方ないのだとわかってはいても思考の片隅に浮かんでは消えていく。
次第にテントに打ち付ける雨音が耳に入ってくる。
本当にアルテアは雨が多いのだな……
パタパタと静かに降る雨は、再び眠気を誘う子守歌のようで、アリアはしばらくその音を聞きながら眠りにつくのであった。




