アリアの過去 2
呼吸は不規則に乱れ、汗は滝の様に全身から出ている気もする。
腕は鉛の様にいう事を利かなく、足は地面に縫われてしまったのかと思うくらい微動だにしない。
一年程この鬼のような体づくりをテオから強いられたアリアは日常生活すら困難になりつつあった。
「に、兄様、こぼれてるよ?」
そう心配そうにのぞき込むセレスの声に我に返る。
「はっ、ああ」
どうやら一瞬寝てしまっていたようだ。
手に握っていたスプーンからはシチューが零れ、床にまで伝わっていた。
「大丈夫? すごく疲れてるみたいだけど……」
「い、いや? そんなことはないよ」
咄嗟に喋ったせいか少し上ずった声になる。
そんな声を上げたのにもかかわらず、セレスは穏やかな口調で笑う。
「ふふっ、いつもの兄様だね、フリーシアー何か拭く物はあるー?」
椅子から降りたセレスは動けない僕に変わってタオルを探しに向かった。
どんよりとした視線でテーブルを眺める。
いったいこの基礎作りはいつまで続くのかと、願わくば速く剣の稽古をしてもらいたいというのに毎日、毎日きつい体力作りのみだ。
おかげで食事をするのも一苦労で、しっかりと意識をしていないと腕が疲労で震えてまともに持つことすらできない。
さらに日常生活も無駄のないように足には金属製の重りを常につけている状態だ。
僕の動きはセレスから見たらおかしい事この上ないだろう。 まるでロボットだ。
それでも日々少しずつ体力がついていってるのがわかるとテオはさらに重量を増やしたり、回数を増やしてくる。
いったいいつになったらまともな剣の稽古ができるんだろうか……
深くため息を吐き、ダイニングに戻ってきたセレスになすが儘に後処理をしてもらうと涙がでそうにもなった。
「兄様は私がいないとダメだねっ」
「あはは……」
乾いた笑いが漏れる。
食事を済ませると家庭教師が来るまでの時間はまた辛い素振りだ。
一年経った今では自分の身長より少し短いハンマーを振る事に変わって、回数もノルマがあり、一日で一万回以上いかないとさらに増やされるのだ。
アリアの手は既に浅黒く、触れば岩の様に硬くなってしまっていた。
セレスが居る場所では素手ではもういられないな……
この頃から手袋を嵌めるようになり、セレスに聞かれても貴族のたしなみとなんとなくでごまかしている。
家庭教師が帰った後は、夕食の時間までひたすら走る。
何度も何度も吐きながら泣きながら走った都市は今では迷うこともなくなった。
僕がずるをして距離を短くしようとした時なんかは特に辛かった。
必ずと言っていいほどテオがその場に現れ、鬼のような微笑みを浮かべながら後ろから追って来るときはほんとに地獄だった。
今はもうしない。絶対だ。
今では多少景色を見る余裕が出てきてるほどである。
大理石の歩道は走るたびに音を鳴らし、心地よい音が耳に入り込んでくる。
見上げても上が見えない程大きな建物の横を通る時なんかは心が弾んだものだ。この都市に住んでいる人達の楽しそうな声や喧騒も僕にとってはいい刺激になっている。
夕暮れに染まる都市を高台から見下ろした時はそのあまりの綺麗さに言葉を無くしたほど、いつか誰かにも見せたい景色がいくつも増えた。
そうして今日も都市を走っていると、アリアは突然ぴたりと足を止めた。
「恰好いい……」
鉄柵に囲まれた高い建物に食い入るようにアリアは覗く。
そこはブレインガーディアン本部、騎士達が訓練している場所であった。
鎧に身を包んだ騎士達が剣の稽古をしているのがこの鉄柵の向こうからも見ることができた。
剣戟の音はこちらにまで聞こえ、道行く人たちも足を止め同じように見ている者も多い。
いつか必ずここで……
決意を新たにし、再びアリアは走り出す。
「はぁっ…… はぁっ……」
風で結んだ髪が揺れ、手で汗を拭う。
一歩一歩確かめるように進む足は、先ほどまでより力強かった。
「あれは……」
しばらく走っているとあるものを視界に捕らえたアリアは立ち止まる。
「あの時の少年達……」
一年以上前に見たあの時セレスに病院送りにされた少年達だ。
少年たちは一人の気弱そうな少年を囲む様に取り巻き歩いている。気になり後をつけるとそのまま路地裏へ入っていく。
アリアは隠れるように路地裏へと入り込み、聞き耳を立てる。
「おい、わかってるんだろ?」
「は、はい、でも今はこれしかないんです……」
「はぁ? ふざけてんじゃねぇぞ」
「こちとら怪我してんだぞ、これだけで足りるかよ」
これは…… カツアゲだ!
またアイツ等……
いてもたってもいられなくなったアリアはすぐに路地に入り、少年達の前へ出る。
「やめろ! 手を放せ!!」
掴みかかられている気弱な少年と囲む様に立っている少年達が一斉にこちらを振り返る。
「はぁ!? 誰だ…… よ……」
「「「うわぁああああ!!」」」
なんだ? やけにあっさり引いていくな…… てっきり戦う心構えでいたのに……
気弱な少年を残し、少年達は一目散に逃げだしていく。
「アリア」
その時、後ろからかかった声にビクリと驚き振り返る。
そこには普段着ないような礼装に身を包んだテオが居た。
「テオか…… あの少年達はきっとテオの姿を見て逃げ出したんだろうな」
少し残念な気持ちになったが、あの少年は救われたのだと安堵のため息が出る。
再び見ればあの気弱な少年もどこかへ行ってしまったらしい。
「明日から本格的な剣を教える」
「えっ!?」
そう一言だけ言うとテオは再びくるりと向きを変え歩き出していく。
一人取り残されたアリアは心の中で喜んだ。
ようやくまともな剣の修行ができる!!
だが、本格的に辛いのはここからだとその時のアリアは知る由もしなかった。




