一対一
男なら拳で語れ
「お互い武器は無し、一発クリーンヒットしたら勝ちってことにしようや」
よほどの自信があるのかマーキスさんは笑いながら答える。
そもそもマーキスさんはボクシングという異世界の格闘技を得意としている。それもそのはずか。
「なんで勝ち負けに……」
勝ち負けにする必要なんかどこにもないだろうに……
「いいじゃねぇか細かいことは、勝ったら、お前の好きなもん作ってやる、負けたら明日の朝食手伝ってくれ、とりあえずそれでいくか」
そもそもなんでこんなことになってるんだろうか。
なぜ自分の心はこんなにも苛立っているのだろうか。
「まぁいいですよ、近接格闘は得意だったりしますから」
腕の感覚もだいぶ戻ってきたな。
右腕を振り、感覚を確かめると驚くほど滑らかに動かすことができるようになっている。
拳を握り、前に構え、じっとマーキスさんを見据える。
ふと、昔テオと訓練していた時の事を思い出した。
こうやって前にも私が拗ねた時に、実践を織り交ぜた格闘術のみで戦うこともあったな……
突然急に始めるもんだから、一方的に殴られた記憶しかないけど。
テオは基本無口で、何を考えているのか基本わからなかったけど、戦いの中、訓練の最中だけは随分と楽しそうにしていたな。
実践あるのみと教えられた日々は辛く厳しいものだったが、不思議と嫌じゃなかったな。
そんなことを考えていると思わず笑みが零れる。
「男ならやっぱりこういうのも悪くはないだろ?」
マーキスさんも似たような経験があるのか。
はにかみながら、首を鳴らし、いかにも準備完了といった様子のマーキスさん。
なんだろうな、こういったのは久しぶりかもしれない。
「始めてくれ」
「おうよ」
マーキスさんは軽やかに音を立てず、即座に距離を詰めてくる。
速い、それでいてフェイントを織り交ぜてくる。
異世界でプロのボクサーと言われたマーキスさんは、文字通り肉弾戦を得意とする。
マーキスさんの視線がわずかに右を見る。
直後繰り出される拳はアリアには当たらず空を切る。
「ほう、視線も騙されねぇか」
「よくやられましたからね」
懐かしい、テオにもよく視線で誘導され、騙されたものだ。
うまいこと騙されて、吹っ飛ばされたこともあったな。
あれはめちゃくちゃ痛かった。
足元の位置をずらし、お返しにと左腕のアッパーを繰り出そうとしてすぐに引っ込める。
一番怖いのはカウンター狙いだ。
今の挙動から左からくるとマーキスさんにはわかられてしまった。
完全にカウンターを狙っていたな。
態勢を整え、反転して回し蹴りを繰り出す。
その独特なステップでマーキスさんは難なく躱していく。
今度はマーキスさんが、距離を詰め、右、左、左と打ち込んでいく。
躱すのはギリギリ、なんとか腕ではじいたりしながら当たらないようにしていく。
しかし、うまい事避けるもんだな、しかも下手に手を出すとカウンターでやられる。
慎重にならざるを得ない。
マーキスさんのラッシュは正確無比で、私が動こうとする先を予測して放ってくる。
テオの攻撃が重たい一撃の豪の拳だとしたら、マーキスさんの拳はさながら柔の拳ということだろうか。
手数が多く、速く、それでいて隙と呼べるものが見当たらない。
「どうした、かかって来いよ」
「ありきたりの挑発ですね」
「まぁ定番だからな」
マーキスさんを近くに寄らせないよう、こちらはリーチの長い足技で対抗する。
二段蹴り、横蹴り、前蹴り次々と繰り出していくが、挙動が読まれているのか当たることがない。
フェイントもマーキスさんには効果なしと……
ならばと、踏み込み、距離を詰め、迫る攻撃を紙一重で避け、右腕でマーキスさんの服を掴む。
これならば避けられまい。
そのまま流れるように、地面に向かって勢いよく倒そうとするが……
ビリビリビリと服が破れていくのを横目に、そもそもカウンター狙いだったマーキスさんは回転し、服を引きちぎるとそのままの勢いで背中に重い一撃をぶち当てた。
「ごはっ……」
勢いに乗りすぎた私はそのまま地面に激突する。
濡れてぐずぐずになった地面は私がぶつかると激しい土砂しぶきをあげた。
おかげで顔中泥にまみれ、体も泥だらけである。
「うっし、俺の勝ちだなアリア」
「ゲホッ、ゲホッ、狙いが外れたっ」
「泥まみれでひっでぇな、でもよ、気は少し晴れただろ?」
笑いながら手を差し伸べるマーキスさんの手を掴み起き上がる。
そういえば、対峙してる最中はむしろ楽しかったりしている自分が確かにいたのは事実だ。
思わず笑みが零れる。
悩みがどうこういっていたのにこれじゃあまんまとマーキスさんの思惑通りってわけだ。
「ちゃんとそういう顔もできんじゃねぇか、そっちの方がお前らしい、泥まみれで恰好つかないがな」
「ハハ、一言余計ですよ」
泥を払い、顔を拭う。
ここに風呂とかあればいいんだが…… なければ川か……
泥だらけの自分の姿を眺め、さながらひどい格好だと思う。
「とりあえず俺が勝ったから明日の朝食は手伝ってもらうからな」
「わかってますよ、忘れてませんから」
「カインの奴はすぐに忘れやがるからな、念の為に聞いたまでだ」
カインなら戦ってる最中に忘れていてもたしかに不思議ではないな……
まぁそれもカインらしい要素の一つだ。
「それとな、腕の事だ。 いちいち気にするんじゃねぇ、いずれバレるんだからよ、隠すほうが失礼ってもんだ。 信頼してる仲間なんだからちゃんとシェリアにも話しておけ」
もう隠すどころか前面に出てきてしまっているしな……
「……そうですね」
「おう、ほら噂をすればなんとやらって奴だ」
腕組みするマーキスさんが後ろを親指で指さす。
その方向を見やると。
「あの、今こっちで物凄い音が聞こえて…… ア、アリア様!? ど、泥だらけじゃないですか」
建物の陰からひょこっとシェリアが顔を覗かせ、泥だらけの私の姿を見て慌てて走ってくる。
そういえばそんなに離れていない場所だったな……
耳のいいシェリアが駆けつけてきてもおかしくない。
「アリアが激しく転んだらしくてな、それはもうすごい転びようだったぞ、まさか三回転半きりもみしながら顔面から突っ込んでいくとは」
「そんなにはなってない!!」
「えっ…… 大丈夫ですか? あれっ? 右腕?」
駆け寄ったシェリアが違和感に気づいたようだ。
「おっと、おっちゃんはそろそろ寝るから先に戻ってるぞ」
マーキスさんは空気を読んだのか、そそくさと歩いていく。
「えっ、あっはい、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ひらひらと手を振りながらマーキスさんは建物の中に入っていった。
「その、さっきはすまなかったな、今思うと八つ当たりでしかなかったよ」
「いいんですよ、気にしないでください。 それよりもあの、どうして腕が」
「ああ、ちゃんと話すよ、ここじゃあれだし、私も泥だらけだから、このあたりで汚れを落とせる場所ってあったりするか?」
「ええと、大衆浴場があったはずです。 あっ、そこです」
見れば、この建物だけ他の建物とは外観が違っていて、今も誰かが利用しているのだろう、煙突からは煙が立ち込めている。
「アルテアにもあるんだな」
「はい。 さすがに『クリーン』の魔法だけじゃあれですから」
クリーンの魔法はたしかに汚れを瞬時に表面上ある程度落としてくれる。
だが、疲労まではさすがに落としたりはしない、やはり風呂に入ることが一番の疲れをとることだとわかっているみたいだ。
「この大衆浴場が壊れてなくてよかったです。 今までなかなか入ることができませんでしたからね」
そういえばアルテアに来てからほとんどクリーンの魔法で済ませ、風呂に入ることはなかったな。
「ちゃんと稼働しているみたいですし、さっそく行きましょうか」
「そうだな」
お風呂は必要不可欠ですからね!




