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霊-ミタマ-6 『増殖』

 ある日。槙獄荘にて。


 ソウヤは道場の真ん中に座し、瞑想をしていた。自らの行いを省みることで己と向き合い、自己啓発を促すための修行。彼にとっては日課であり、大切な時間であった。

 それを邪魔する者が現れるまでは。

「ん?」

 気の乱れを気取ったソウヤは、それが訪れる前に目を開いた。

 ごちん。自宅の方から、微かな鈍い音が響いてくる。

「……。ハァ」

 嘆息して立ち上がる。あの音は、隣家から呼びかけてくる幼馴染の合図だ。

「いい加減、用があるなら家まで来るか、声をかけてくれればいいのに」

 礼儀知らずな呼び出しなど無視すれば良いのに、ソウヤは瞑想を止めて立ち上がり、音のした方へと向かう。

 この律儀さこそ、彼の良いところなのだろう。


 窓を開け、つっかけを履いて庭に出て、庭に転がっている犠牲者―本日はやかん―を拾い上げ、顔を上げる。

 やかんを家の壁に投げつけてきた犯人、隣人でもある極牢コウは、思惑を顔に出さないタイプだ。しかし、長年お隣さんとして、さらに幼馴染として連れ添ってきたソウヤならば、その纏う空気からおおよその呼び出された用件を推測できる。そのため、相手の表情を確認しようとしたわけ……だったのだが。


 ぴしゃり。


「え?」

 どういうわけか、コウはろくに顔を見せず、縁側へと続く襖を閉め、家の中へと入り込んでしまった。

「おい、コウ?」

 2つの敷地を分かつ塀へと近付き、家の中を覗きこむように語り掛けるソウヤ。

 ちらりと襖が開いた。

「今日はいったいなんの用――」

 かと思えば、相手の瞳を見つけたか否かというところで、すぐにまた閉められてしまう。

「――だよ……って、まさか顔も見せないとはね。俺、なんか怒らせるようなことしたかなぁ」

 いつもはあんなにコソコソせず、堂々と横柄に何かを命令してくるコウである。今日に限ってこんなに消極的な態度をとられると、なんだか滑稽を通り越して不安を覚えてくるというもの。

 不信感が募る。

「うわちゃあ。これは……行きたくないなぁ」

 深く嘆息しながらも、仕方がないので、ソウヤは投げ入れられたやかんを持って、敷地から出た。彼の長所は、時として短所にもなるようだ。

 そして長い道をY字路に着くまで真っ直ぐ進んで、すぐに折り返すよう反対の道へと入る。さらに来た時と同じだけ真っ直ぐ進み、ようやく極牢亭まで至るのだった。


 がらがら、がっ。

 相変わらず立て付けの悪い引き戸は、ソウヤの進入を拒むように途中で引っかかる。

「んっ」

 いつもより引っ掛かりが強いなーなどと考えつつ、力をこめて入口の戸を開いたソウヤ。

「まったく。お金なら出してあげるから、リフォームでもしたらどうだい、コウ?」

 そう言って、やかんを差し出しつつ顔を上げると……。

「…………」

 ソウヤは固まって動きを止め、持っていたやかんをぽろりと落とした。

 やかんが床に当たって、がっしゃんがらがらと大きな音を立てる。その音で、ソウヤは我に返った。

「おう、おせーぞソウヤ」

「おう、おせーぞソウヤ」

 こだまでしょうか? いいえ、誰でも。

「違う。金子みすゞさん関係ない」

 ふと思いついた言葉に、自ら突っ込む。それほどにソウヤは混乱していたのだ。無理もない。

 なぜなら、そこには。


 本当に、2人のコウがいたのだから。


 いや、何を言っているかわからないと思うが。2人の同じ姿の女性が店の奥にいるのだ。

 赤色の長髪をなびかせ、煙の出ていないキセルを吸い。作務衣姿で、瞳も赤く。眠たそうな半開きの目をした女性。どこからどうみても、極牢亭店主、極牢コウに間違いない。寸分違わぬ姿の女性が2人、まるで真ん中に鏡が立てかけられているように、左右対称になって、床に片肘をついてこめかみを支えるようなポーズで横たわっている。

「なんだよ、馬鹿みてぇな顔してさぁ」

「なんだよ、阿呆みてぇな顔してさぁ」

「ちょっと待て。これはなんの冗談だ。説明しろ、コウ」

「「そりゃ、どっちのあたしだ?」」

 2人のコウが、口をそろえて言う。

「どっちでもいい。説明してくれ」

「そりゃ」「あんた」「こっちが」「見てわっ」「ききてえよ」「かんねえかな」

「朝」「気付い」「起き」「「たら、こうなってたんだ」」「よ」「っつーの」

 2人のコウがばらばらに喋りはじめる。別々の事を言っているのに同じタイミングで喋るものだから、時折ハモって妙に聞き取りづらい。

「ごめんどっちでもよくない。どっちか片方ずつ喋ってくれ」

「「だからぁ」」

「あたし」「こっち」「「にも」」「わから」「わっかん」「ない」「ねぇ」「「んだって」」「ば」「の」

「はいストップ。右のコウから順番に」

「「あたしか?」」

 両方のコウが自らを指差した。全く同時に。

「あ、ごめん。俺から見て右」

 伝わりやすいようソウヤが手で示し、ようやく本題。

「いや、昨日飲みすぎて昼前に起きたんだけどさぁ。そしたらいつの間にかこいつがいてさぁ」

 ソウヤから見て右手側にいるコウが、もうひとりのコウを指さして言う。

「こいつとはなんだこいつとは。あたしはここの店主だぞ」

「あたしもだよ」

「ああ、そうかい。っつーかさ、いいなー。あんたの方は昨日酒飲んだのか。あたしは今朝飲んだ」

「今朝の方がよくね?」

「まあ。そうかもな。正直、いつでもいいよな」

「そうだな」

「ごめんコウ。雑談は後にして、まずはこっちの質問に答えてもらっていいかなぁ?」

 この後、ソウヤは小1時間ほど2人のコウに振り回されながらも、なんとか状況の整理までにはたどり着いた。

 まとめると。

 とりあえず起きたら分裂していた。こういう場面で争うとろくな結果にならないと考えた2人のコウは、あまり気にせず普段の生活に戻ることにした。

 が、部屋は狭くなるし、生活費も倍必要になることに気付き、このままではマズイと判断。自分たちでは議論が堂々巡りし進まないので、ソウヤに助けを求めた。

 ということらしい。

「いや普通の生活に戻るってなんだよ。自分がもうひとりいたら一大事だろうに」

 ソウヤは驚くような、落胆するような仕草をして「どうしてそんなに冷静でいられるのさ?」と付け加えた。

「「そりゃあたしだって驚いてるさ」」

 2人のコウが声をそろえて言う。

「放っときゃどっちか残るだろ」

「残った方が本物ってことで」

「そもそも、自分が本物かなんて証明できる人間はこの世にいねぇ」

「となれば、相手を否定するより自分に疑問を持った方が真っ当な対応ってもんだ」

「もし両方本物だったとしても、世の理には反してねぇしな」

「とは言ってもその場合、後からやってきた方は世界がぶっ壊れちまったか、もしくは神様に喧嘩売って追い出されたかのどっちかだがな」

「あたしならやりかねないな」

「まあ、どっちにしろ」

「めんどくせぇことにゃ変わりない」

「「なあ?」」

 2人のコウは交互にウンチクを垂れて、最後は意気投合した様子で、同意を求めるようにお互いを見つめた。

「「なあ?」」

 そして2人同時にソウヤへと向き直る。

「……。ごめん、一番面倒臭いの、多分俺だわ」

「「だろうな」」

 ソウヤはため息をついた。ただでさえ1人でも曲者のコウが2人もいてはたまらない。なんとしてでも、元に戻ってもらわねば困る。

 肝心のコウは、まるで他人事のように言うし。

「……」

 片方のコウが、まるで目の前の自分が鏡ではないかと探るように、目の前で手を降り始める。

「……?」

 もう片方のコウがそれに気付き、目だけを動かして追った。

「なんだ、目の体操か?」

「うんにゃ……」

 手を振っていた方は、なぜか残念そうに手を下ろした。

「……? おっ?」

 何かに気付いた目で追っていた方のコウは、何を思ったか先ほど反対側のコウがしたのと同じように、目の前で手を降り始める。

「……お、おう」

 最初に手を振っていた方のコウは、少し照れくさそうに、目の前のもうひとりの自分とシンクロするように動き出す。

「おう」

「おう……ふへへ」

「あんた、酔ってんな?」

「おうよ。今朝酒飲んだからな。ふへへ」

「ふうん。……へへっ」

 2人のコウは意味不明ながらも同調し、楽しそうだが。

「ハァ~~~~っ」

 ソウヤはとにかく、頭を抱えた。

「コウ。仲が良いのはわかった。そのまま仲良くしててくれ」

 ソウヤはすぐさまきびすを返し、コウに背を向ける。

「どうしたソウヤ?」

「ちょっとね。知り合いを当たって、なんとかならないか探ってみる」

 振り返ったソウヤは、2人のコウを交互に指で指しながら続けた。

「大人しくしておくこと。俺と約束」

「ゆびきり」

「げんまん」

「嘘ついたらはりせんぼん」

「コウ、ウソツカナイからのまナーイ」

「もうそれでよろしい。行って来ます」

 ソウヤはこの由々しき事態を収束させるため、ツテを求めて旅立って行った。


 そして数刻後。


 なんの情報も得られず、落胆して帰ってきた彼の姿があった。


「た、ただいま……」

 ため息交じりに極牢亭の戸を開く。勝手に解決しといてくれないかなぁ、なんて、淡い期待を抱きながら。


「おかえり」

「おかえり」

「おかえり」

「おかえり」

「おかえり」

「おかえり」

「おかえり」

「おかえり」


「…………」


 なんと。コウが8人に増えていた。


「……は?」


 状況を飲み込めないソウヤ。


 無駄に空白が襲う。


 彼の思考は一気に鈍った。


 なんかの冗談か、間違いか、もしくはバグじゃないよね?


 無論、違う。


「い、いや待て。まさかコウ、俺を化かしているわけじゃないよな? 遊びか? 遊びなんだろ? 俺をバカにして面白がってるだけだろ? そうなんだろ?」

 ソウヤはそうであってくれと願った。心の底から。

「違ぇよ」

「違ぇよ」

「違ぇよ」

「違ぇよ」

「違ぇよ」

「違ぇよ」

「違ぇよ」

「違ぇよ」

「なあ?」

「なあ?」

「なあ?」

「なあ?」

「なあ?」

「なあ?」

「なあ?」

「なあ?」

 願い、届かず。

「はいストップ。面倒くさいから誰か1人が代表して喋ってくれる?」

「「「「「「「「……………………」」」」」」」」

「あの、コウ?」

「じゃあ、あたしが」

「いや、あたしが」

「むしろ、あたしが」

「なるほど、つまりあたしが」

「ああね、あたしが」

「あたしが、ってことだろう?」

「はいはい、あたしがあたしが」

「ってことは……やっぱりあたしが?」

「「「「「「「「ドウゾドウゾ」」」」」」」」

「「「「「「「「あっはっはっはっは!」」」」」」」」

 うわっ。と、ソウヤは顔をしかめた。まるで鏡合わせのように、全部が全部、同じ動き同じタイミングで互い違いに手を差し伸べあい、そして同時に笑い始めたのだ。先ほどまでエコーがかかったように聞こえていた声が、今度は8倍の大音量になって響き渡った。

「うっそだろぉ。なに増えてんのさ、ありえないだろ! 多すぎるだろ! 流行ったやつでも6人くらいが限度だぞ同じ顔!」

 ソウヤは泣きたくなる気持ちを抑えるために、あえて声を荒げた。少しでも強がっていないと、すでに心が折れかけていたから。

「大丈夫かぁ?」

「大丈夫かぁ?」

「大丈夫かぁ?」

「大丈夫かぁ?」

「へっくし! んあ、かぁ?」

「大丈夫かぁ?」

「大丈夫かぁ?」

「大丈夫かぁ?」

 8人のコウが一斉に、否、微妙にタイミングを変えて、それぞれがソウヤを心配そうに覗きこんでくる。

「……。だ、大丈夫です。多分……」

 それが混乱の元なんだよ、勘弁しろよ。ソウヤはこめかみを押さえるように俯いた。

 ちょっと泣いた。


~~数分後~~


 さて。これでは拉致があかないと踏んだソウヤは、ひとまずこの場は自分が仕切らねばならないと悟った。

「よしわかった。コウにとっては不本意かもしれないが、便宜上の番号をつけさせてもらう。いいね?」

「したかねぇなぁ」

「しかたねぇなぁ」

「しかたねぇなぁ」

「しかたねぇなぁ」

「したかねぇなぁ」

「しかたねぇなぁ」

「しかたねぇなぁ」

「しかたねぇなぁ」

 8人のコウはそれぞれが気の乗らないようなポーズを取りながら言った。なるべく被らせないようにしたのか、最後の方はわけのわからない姿勢を取っているが、ソウヤは無視した。

 そして、ソウヤは思った。「2、3人ならまだしも、8人ともなるととんでもなくうざったい」と。人間の許容範囲を超えている。とにかく、整理しなくてはならない。

「じゃあ、えっと。俺から見て右から、12345678ってことで」

 紙とペンを用意したソウヤは、数字を書いた紙をそれぞれのコウに渡していく。

「おっけーまるいち」

「おっけーまるに」

「おっけーまるさん」

「おっけーまるよん?」

「おっけーまるご」

「……。ん? あ、あたしか。おっけーまるろく」

「まるなな」

「はち!」

 それぞれのコウは受け取った紙を思い思いの場所に貼り付けていった。ある者は胸。ある者は腹。右肩、左肩、右太もも、左太もも、手の平、そして額。コウもだんだん面倒になってきたのか、後半にいくにつれ対応が雑になっていく。

 まあ、今のところは素直だし、このまま個性が出てくれば、どれが本物か判断しやすいと考えたソウヤは、次の提案に移る。

「このさい原因は後回しで良い。なにか対策、できれば元に戻す方法を思いつかないか? まるいちから順番に。はいどうぞ」


「ない」

「ねぇ」

「ねーな」

「ありません」

「ないと思います!」

「ナッシング」

「えっきし!」

「ぬーん」


「うんとりあえずね、無理やり個性出そうとするのやめようか君達?」


「えー」

「だって」

「さー」

「同じ」

「こと」

「いっても」

「つまんねー」

「し!」

 まるいちコウからまるはちコウまでが、同時に「おおう」と歓喜の声を上げた。

「やっぱ全員自分だと、やろうとしてることがわかるな」

「だな」

「だな」

「だな」

「だな」

「だな」

「だな」

「だな」

 こいつら、だんだん息があってきてやがる。ソウヤは改めて、深ぁいため息をついた。


 もとよりあくの強い性格をしているコウが8人もいるというだけで面倒なのに、それぞれがそれぞれにコウらしさを垣間見せるため性質が悪い。しかも、なまじ人生経験豊富な女性なだけあり、出る杭は打たれることを警戒してか、はたまた自分自身ですら自分が本物であることに不安を覚えているのか、積極的に自己主張してくるものもいない。そのため、余計に判別がつきにくい。

 全員がばらばらの事を言ったかと思えば。「あ」と話を遮って、同時に「おい、ソウヤ。たこ焼きが食いたい。買ってきて」などと口をそろえて言う。

 兎にも角にも、面倒なことこの上ない。さっさとこの地獄を終わらせなければ、日常生活に多大なる影響を及ぼすこととなるだろう。

「……あの、8個入り買ってくるから、ひとり1個ずつで勘弁してもらえるかな?」

「しゃーねぇなぁ」

「しゃーねぇなぁ」

「しゃーねぇなぁ」

「しゃーねぇなぁ」

「しゃーねぇなぁ」

「しゃーねぇなぁ」

「しゃーねぇなぁ」

「しゃーねぇ……いっぎしっなぁ」


「さっきからくしゃみしてるの誰だい?」

「あたしだ」

「あたしだ」

「あたしもだ」

 まるごコウ、まるななコウ、まるはちコウが手を上げる。

「統一感の欠片もないな……」

 さらに頭を悩ませるソウヤであった。


~~さらに数分後~~


 もう増えていませんようにと願いながら、たこ焼きを買って来たソウヤが極牢亭に入る。店の奥の座敷に鎮座する8人のコウを見て、ほっと胸を撫で下ろした。

 いや、安心している場合ではないのだが。

「買って来たよ」

「「「「「「「「いっただっきまーす」」」」」」」」

 8人のコウは8つのたこ焼きが入ったパックをぐるっと囲み、各々のタイミングで手を伸ばし、口に入れた。


「うん、美味い」

「外がかりかりで美味い」

「中がふわふわで美味い」

「ソースが美味い」

「たこが美味い」

「不味い」

「つまようじがない」

「あづっ。ふー、ふー。はむっ。もくもく。うん、フツー」


「どうして全員違う感想が出てくる!? もうわけがわからない!」


「食った順番?」

「当たり外れ?」

「その時の気分?」

「全員別人なんじゃね?」

「っつーかみんな本物なんじゃね?」

「全部同時に思ったんじゃね?」

「知るか、馬鹿」

「鰹節が歯に挟まった……」


「何人か笑わせようとしてくるのは何なのさっ」

「あ、多分あたしだ。いやぁ、全員が同じようなノリだと気持ち悪いかと思ってさぁ。楽しい方がいいじゃん」

 まるはちコウが手を上げた。

「おいソウヤ、拭くもん」

 まるななコウは不機嫌そう。そういえばさっき爪楊枝がないって言ってたっけと、ソウヤは思い返す。

「ティッシュならあっちだ」

 と、まるごコウ。

「いやこっちだ」

 と、まるよんコウ。

「服で拭いちまえ」

 と、まるいちコウ。

「おうそうか、ワリーな」

 と、まるななコウが、まるいちコウの服で指を拭いた。

「はぁっ? 自分ので拭けよ!」

「いや、あんたもあたしだろうよ?」

「ざっけんな!」

「まあまあ。あたしは確かにあんただが、あんたにとっての自分はあたしでもそいつでもなくてあんただろうよあんた」

 喧嘩を始めそうになったまるいちコウとまるななコウの間に、まるさんコウが割って入り仲裁する。

 だんだんわけがわからなくなって頭に手をあてるソウヤの前で、まるろくコウが大口をあけてあくびをした。

「ふぁ~あ」

「「「「「「「ふぁ~あ」」」」」」」

 示し合わせたように、残りのコウが同時に同じ動きであくびをする。

 ソウヤはますます、この8人に増殖したコウがいったいなんなのか、わからなくなった。

 誰かが起点となって残りが行動を起こすのではなく、どれか1人のコウの動きが、他のコウに影響を及ぼしているように見える。それは似て非なる事実。いわば親鳥がいるのではなく、全員が平等に互いを操作しあい、且つ同時に無意識下の干渉を受けているということだ。優位性が確立されておらず、8人の立場は完全にランダムと言って相違ない。とするならば、8人のコウが言っていた通り、どれを本物とするかという議論は全く意味をなしておらず、不毛に思えた。

 かといって、全員を本物と認定し、許容するわけにもいかない。1人でも相手をするのに苦労が伴うコウが8人もいるとなると、ソウヤにとっては由々しき事態だ。なんとしてでも、誰かひとりのコウに絞ってもらわなければ困る。

 唯一の救いと言えば、今のところ8人のコウは仲が良いらしいことか。これがどこかのB級映画のように戦い始めたら、それこそ収拾がつかなくなっていたことだろう。サバイバルでバイオレンスな展開になっていたら、下手をすると地球が2度ほど崩壊していたかもしれない。極牢コウという女性は、それほどに危険な力を秘めている。

 血を見る結果は避けなければならない。穏便に8人をひとつに纏めるにはどうすればいいか。そもそも、この8人のうち誰が擁護すべき本来のコウなのだろうか。

 以下、永遠に堂々巡り。


「う、うわああ~~っ」


 さすがのソウヤも混乱して、頭が破裂してしまいそう。


「どうしたソウヤ?」

「ビョーキかソウヤ?」

「元気だそうや」

「そうやなソウヤ」

「ソウヤだぜそうや」

「そうそうや、とむそうや」

「ソウヤ、元気だそうや……あ、被ったチクショーっ!」

 コウが1人、コウが2人、コウが3人……次々に視界へと入ってくるコウたち。増殖する同じ顔。増え続ける同じ女性。同じ顔できょとんとして、同じ動きでひょっこりと顔を出す。最後の最後に1人はけた。いや、戻ってきた。

 同じ顔。同じ笑顔。同じ。おんなじ。

 もはや狂気の沙汰。狂った世界。

「俺の人生に救いはないのかっ!?」

「あると思います!」

「「「「「「「ない!!!!!!!」」」」」」」

「救われる確立8分の1かよっ」

「えっ、ないの? じゃあ、あたしもないと思います!」

「ゼロになった!? う、うわああああやってられっか! 勘弁してくれえええっ!」

 ついに、8人のコウがもたらす苦悩と負担がソウヤの限界を超えた。

 コウの我侭だったらなんでも許せるし、その願いは出来る限り叶えてやりたいと思いを馳せるソウヤにも、これには無理があったらしい。

「すまん、コウ。もう俺には無理だああっ!」

 ソウヤは錯乱状態になって、足早に店を出て行ってしまった。


「……。行っちゃったな」

「「「「「「「うん」」」」」」」

 後に残された8人のコウは知る由もないだろう。これから3日ほど、ソウヤが自宅のベッドから出てこれなくなる未来を。

「あー、面白かったな!」

「そうだな」

「そうだね」

「そのようだ」

「そうおもう」

「そうなんだぜ」

「そんころりーん」

「So-Year!」

「「「「「「「「あっはっはっはっは!」」」」」」」」

 響き渡る8人分のコウの笑い声。


「~~~~~~~~っ!」

 ソウヤは自宅のベッドで布団を被って丸まりながら、耳を塞いだ。



―――――



 その日の夜中。


「……っふぃー」

 暗く人気のない商店街を歩く、1人の女性の姿があった。

 ちょこんと立った街灯が映したのは、真っ赤な長髪と小豆色をした着物袖の上着。

 紅の瞳で闇夜を見つめ、両脇のポケットに手を突っ込み、背中を丸めてとぼとぼと歩くその姿は、一仕事終えた職人の哀愁を漂わせる。

「すっかり遅くなっちまったぜ」

 人影の正体は……極牢コウ、その人である。

 その眼差しは、普段の面倒くさがりでズボラな彼女から到底想像もできない程に真剣だ。少しやつれて、疲れた様子でもある。

 星空を見つめ、安堵とも後悔とも取れないため息をついたコウは、思わせぶりに首をかしげながら瞳を伏せる。願うように。もしくは、祈るように。

「ああそうだ。帰ってきたこと、あいつらに知らせとかないとな」

 ふと目を開けたコウは、ポケットから1枚の紙切れを取り出して、それを指でなぞってから、ふぅと息を吹きかけた。見慣れない文様が紙に映し出される。それはオレンジの蛍光色のような、ぼんやりとした光を放つ。

 指先で挟んで耳の横ほどまで掲げると、一瞬だけ突風が吹き、その紙切れをどこかへと運んでゆく。空高くで、「ぽっ」と何かが燃えるような音がした。


 しばらく暗がりを歩いて、住宅街に出て。さらに歩いて、いつものY字路へとたどり着く。右の道を行けばソウヤが住む槙獄荘。左の道を行けば、コウが暮らす極牢亭だ。

 何者かの気配を感じて立ち止まると、極牢亭のある道の先から、何か小さい影がいくつもコウの方に向かってきた。

 どうやらその影は……タヌキの集団らしかった。

 ちょこちょこと駆けて来た小動物らは、コウの周りを取り囲むように立ち止まり、彼女の顔を見上げた。

「おかえり師匠!」

 そしてなんと。タヌキの一匹が喋り出す。

「「「「「「「おかえりなさい」」」」」」」

 残りのタヌキも一斉に、口をそろえて喋り出した。

「おうただいま。出迎えごくろう」

 コウはその場にしゃがみこんで、身を摺り寄せて甘えてくるタヌキたちを撫でてやった。

「んで。留守番、どうだった?」

「うん、大丈夫。誰にも留守だったってバレてないよ」

 他より一回り大きなタヌキが言った。

「そうか。そりゃあ、お手柄だな」

「あのねあのね。ソウヤさんに遊んでもらったのっ」

「そうか。そりゃあ、楽しかったな」

「でも、でもね。多分、ぼくらが化けてたってのはバレてないよっ」

「ほんとだよっ」

「そうか。そりゃあ、たいしたもんだな」

「でねでねっ」

「ぼくらがねっ」

「そしてねっ」

 8匹のタヌキは、それぞれが思い思いの事を言う。コウは優しい眼差しでタヌキたちを見つめて、「そうか」「そうか」と微笑んで見せた。

「……お前たち。今日はもう住処に帰りな。人間に見つかったら、面倒だからね」

「うんわかった!」

 コウの言葉に、タヌキが頷く。

「礼は……またいつか、そのうちさせてもらうよ。今日は疲れちまったから、ちょいと勘弁しておくれ」

「お礼なんていらないよ」

「そうだよだって師匠のお役に立てたんだもの」

「またいつでも呼んでね」

「次は一緒に遊んでね」

「魔術も教えてね」

「ソウヤさんによろしく」

「バイバイ、師匠!」

「またね~っ」

 タヌキたちは次々に喋って、1匹ずつ、闇夜へと消えていった。

「おう。達者でな」

 振り返りざまに立ち上がったコウは、タヌキたちに手を振った。何匹かが立ち止まって振り返り、頭を垂れたり、尻尾や前足を振り返したりした。

「さて、と」

 タヌキたちの姿が見えなくなってから、分かれ道を振り返るコウ。

「結構迷惑かけたみてぇだなぁ。……たまには、コウの恩返しといきますかね」

 そして迷わず、右の道を選ぶ。

「あたしもまだまだ、青くせえなぁ」

 そう呟き微笑みを携える紅は。真白な月に照らされて。漆黒の道を、蒼に向けて歩むのだった。


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