霊‐ミタマ‐4 『円盤』
僕はその時、新幹線に乗っていました。
自由席の後方。左手の窓側。聞き慣れた騒音と揺れに包まれながら、窓の外を覗きこみます。
新幹線とはいえ、都市部からは離れた田舎の線路。山や畑のような景観が、小一時間続くだけ。時折トンネルに入って耳の奥がキーンとするのを、鼻を摘むことなく耳抜きする以外には、特に動くこともなくぼーっと外を見つめていたのです。
この景色も慣れたものだな。
そう思うと、時代の流れなんかを感じて。少し、感傷に浸っちゃったりして。どうしてこう、1人の時間って格好つけたくなっちゃうんでしょうねえ。誰かに見られているわけでもないのに。
さて。見慣れた景色を半開きの目で見つめながら、今日1日の出来事を思い返し愉悦に浸っていると。
ん?
何か、違和感。
みると、空に黒い影。丸くて小さくて、色の濃淡もなく、なんだかのっぺりした黒色の点が。
さっきまではなかったはずだが……。
虫でもいるのかと思って、払ってみました。でもなくならない。ゴミでも引っ付いているのかと思って、拭いてみました。やはり、なくならない。
どうやら外側についているようでした。
なんだろう、これは? そもそも、時速300km近い速度で走る乗り物の窓に、何か物がひっつくことなど、ありえるのだろうか?
顔を近づけてみると、黒い点が移動したんです。いや、ブレたと表現する方が正しいでしょうか。
そこでようやく、僕は気付きました。なんとその黒い点、窓に付着しているのではなく、窓の外にあるんです。ずっとずっと奥の方、もしかすると、山の向こうを飛んでいるんですよ。
真っ黒くて丸っこい、空飛ぶ円盤が!
あまりに堂々とそこにあるものだから、脳が全く反応しませんでした。理解していたのに、何も感情が沸きあがってこない。ある種のパニック、軽いショック状態です。
こういう時って、徐々に来るんですよね。いつの間にか口が開いていて、瞬きも忘れてしまって、動悸が少しずつ激しくなっていって。それに自分で気がつくと、今度は汗まで流れてきちゃって。
そんな馬鹿な話があるわけがない。あってたまるものか。
僕はその黒い点を、傷や汚れの類だと思い込もうとしました。移動してみたり、何度も拭いてみたり、目を背けてみたり。しまいには、いつもと違う景色でも楽しもうかと考えて、反対側の席に移ったり。
でもね。
なくならないんですよ、その黒い点が。どこを見ても、空に浮かんでいるんです。眩しい光を見た後、まぶたの裏に残る残像のような。そんな感じで、しつこく付きまとって追いかけてくるんです。視界の隅をちらちらと飛び回るんです。
明らかに、何かが飛んでいる。しかも自分を追いかけている。
逃げることを諦めて観念した、まさにその時。なんとその黒い点、円盤は、僕の方へとスーッと近づいて来てそして……。
僕は目を開けられないほどの眩い光に包まれて、気を失ってしまいました。
ハッ。と目を覚ますと、そこは新幹線の中でした。ええ、いたって普通の。それまで通り、日常の再開です。
ああなんだ夢か。
そう思ってひと安心し、座席に座り直すのですが。まだ動悸がして息苦しいので、座席を倒そうと思いつきました。そこで、マナーですから、後ろの人に声をかけようと振り返ったんです。
「あのう。座席、ちょっと倒してもいいですか?」
「ああ、どうぞどうぞ」
…………。
そのまま固まってしまいましたね。
そこにいたのは、全身銀色のタイツに身を包んだ、小さいおっさんだったんですから。
小さいって言っても、ただ身長が低いだけじゃなくて。本当に小さいんです。身長20cmくらいで、足が地面についていないどころか肘掛に側頭部をつけるようにしてよりかかるほど小さな、おっさんなんです。
しかもその小さいおっさん、普通のサングラスをかけていまして。どうにも大きさがあっておらず、体つきも含めて、全体的にアンバランスなんですね。
頭までぴっちりとタイツで覆っているものだから、その容姿はまさにグレイ型宇宙人そのもの。
「まだなにか?」
その小さいおっさんが、ぼけっとする私を怪訝そうに見つめ返してきて、話しかけてくるんです。
僕はどもりながら周囲の様子を伺いました。なにせ田舎の線路なだけあり、お客もまばら。他のお客は小さいおっさんに気付かないのか、完全にスルー。
「えーっと。ごめんなさい、ちょっと、あの、ボーっとして。はは」
幻覚? それとも錯覚? 本当に小さい人なのかもしれないし、ううむ。
なんだか頭痛がしてきて、僕は顔でも洗おうと席を立ち、トイレへと足を運びました。ついでに用も足して、スッキリしてから車両に戻ると。
お客が全員、あの小さいおっさんに変わっていました。
叫ぶ? いいえ、絶句しましたね。言葉なんて出てきませんよ。出るわけないじゃないですか。
前方にいたツアー客らしき団体。子ども連れのお母さん。そのお母さんが抱きかかえる赤ちゃんまで。全員が同じサングラスをかけた全身銀色タイツの小さいおっさんに変わってるんですよ? もうわけがわからなくなりました。
とりあえず逃げようと思って、すぐに座席に戻って荷物を持ち、出口まで向かうのですが……。
降りられないじゃないですか! だって新幹線ですよ! 次の駅まで小一時間だってば!
……ああ、すみません。パニックって通り越すとイライラしてきますよね。ちょっと興奮してましたごめんなさい。
そんなこんなで扉が開いたと同時に降りて、足早に駅を後にしました。怖かったし、混乱していて、周囲のことなんて何も気になりませんでしたね。
そして、駅を出てしばらく歩いて気付くんですよ。
ここ、どこだ? ……って。
あんまり焦りすぎて、降りる駅を間違えてしまったんです。しかも前途無効の券だったから戻ることもできない。馬鹿な話です。
ここまでくると、自分のことが心配になってきて。絶対に疲れているんだ、そうに違いないってことで、軽い旅行に来たと思って少しは楽しもうと開き直りました。その辺の居酒屋でちょっと一杯引っ掛けて、落ち着いてから考えようと、駅前の繁華街へと向かいました。
目頭が熱くなってきたので、有名な歌にならい空を見上げます。寂しい寂しい、ひとりぼっちの夜ですよ、ホント。
空は暗く、満天の星空。やけに月が大きく見える夜でした。
しばらく歩いて、再び何か違和感を覚えます。
やけに明るいんですね。なんだかずっと街灯の中にいるみたい。私自身は歩いているのに。おかしいなぁ、変だなぁと思って再び空を見上げると、大きな月。
「まさかさっきのUFOじゃないよな」
冗談交じりにぽつんと呟くと。大きな音が鳴りました。ガシャン、ウィーン、クィイインって。金属製の何かがぶつかりあって、モーターがフル回転するような、そんな音が。
すると周囲が急に、ぴかーっと明るくなって。月から光の筋が延びてきて、私の体を包み込んだんです。
いやいやいやいや。いやいやいやいやいやいやいやいや。
頭の中で「いや」という文字がゲシュタルト崩壊を始めた頃、ようやく気付きます。
月じゃなくて、本当にUFOだったんですよ。その丸いの。ずうっと私の事を追いかけてきていたんです。新幹線に乗っている時から、ずうっと。
光の円盤がすぐ目の前まで降りてきて、階段らしきものがにゅーんと伸びてきました。そして、発光する機内から、人影が現れます。
なんと。
それは。
「あなたのハートにずっきゅんらぶらぶ。こんばんは初めましてぇ、未確認アイドル・U-フォリンでぇーっす♪」
巷で人気の、アイドルでした。
いや、マジで。
フリフリのお洋服を着た、まあCGみたいにめちゃんこ可愛い、ヤングなガール。
「今度ぉ、新作のCDを発売することになりましたぁ。買ってね♪」
「……」
「買ってくれる?」
「あ、はい」
「じゃあ、はいありがとう。12枚セット、だいたい1000ドルでぇす~♪」
「あ、はい」
「1個は実用、1個は保存用、残りは布教用とあっちかそっちかこっち用に使ってね♪ 買ってくれたご褒美にぃ、一番上のCDには、ねっとり投げキッスも付けとくよ♪ んむっちゅっ」
「あ、はい」
「代金はぁ、特別な電波から受信したあなたの口座から引かせといてもらうね? いいよね? 「あ、はい」って言ってね♪」
「あ、はい」
「ピ、ピ、ピ。はい送信かんりょー♪ ちゃあんと布教しないと、その首根っこボッキしちゃうぞ!」
「あ……は、はい……」
「じゃあねばっははーい♪ アンドロメダ星雲が、輝くわたしを呼んでいるぅ~♪」
そうして。彼女は宇宙船に乗り込んで、空の彼方へと消えてしまいました。
ええ。そうです。
気付くと、僕は円盤を買わされていたんです。
恐ろしい話でしょう?
~~~~~
極牢亭にて。
「そういうわけで極牢さん、CD1枚、もらってください!」
「帰れ」
コウは即答した。苗字で呼ばれても注意しないほど、相手にしていないらしい。
「おっ。お願いしますよぉ~。見張ってるのかなんなのか、毎晩自宅の上を、ぴかぴか光が飛びまわるんです! もう頭がおかしくなりそうだ、お願い助けてぇっ!」
座敷まで身を乗り出し、すがりつくように懇願する男は、全身がピンク色。
Tシャツ、ハッピ、サンダルに紙袋。どっからどう見ても、アイドル愛好家。しかも古参の。
かなり重傷な患者さんのようだった。
「……知らん帰れ」
「あなた、オカルト関連の専門家でしょう? 助けて下さいよぉ~っ!」
無駄に暑苦しい。しかも良い具合に感想を纏め辛い独特な芳香を漂わせる。コウは老若男女国籍組織を問わず、そういう輩が大嫌いだ。
「管轄外だっつの」
しかも。このCDには男の言う“オカルト関連”の気配は一切感じない。コウの見立ては間違っていないだろう。これは彼女の管轄外だ。
「そう言わずに、ねぇ!」
それでも男は付きまとう。しつこく。ねちっこく。ねばねばと。
「か・え・れ!」
しつこい男は嫌われるものだ。
「じゃあこの円盤、貰ってくれるだけでいいですからぁっ! お願いします、もう置いてっちゃいますからねぇ! う、うわ、きキき、キタァーーーーッ!」
半狂乱になったピンクの男は、未開封のCDを1枚置くと、逃げるように店を出て行った。立て付けが悪いはずの引き戸は引っかかることもなく開かれる。勢い良く開かれた扉が、だらんと半開きになったまま放置された。
「おい閉めてけ、おい!」
コウは店の外に向けて叫ぶが、男は2度と帰ってこなかった。
「ったく。まずは病院だろ、あいつ。……精神科の先生も気の毒だなぁ」
コウがキセルをカツンと床に当てると、戸は背を正すようにピシャリと閉まった。
「けっ。こんな円盤が……」
二次元化されたアイドルが描かれるCDカバーを見つめていたコウは、何を思ったか押し黙り、急に立ち上がると。
手元にあった手ごろなもの――今日の犠牲者は古い怪獣のソフビ人形――を引っ掴み、縁側まで出て行って、それを隣家の壁へと投げつけた。
しばらくして。
「……ハァ」
からからと窓が開く音がすると、隣家の中から、コウの幼馴染であるソウヤが顔を出す。
「だから、どうして投げる? 用があるなら、呼べばいいのに」
「声に出して呼んだら、うるせえだろう?」
「いや、壁から響いてくる振動の方がうるさいし、迷惑だから……」
ソウヤが「それに投げられる怪獣さんが可哀想だ」とぼやきながらそれを拾い、渡そうと仕切り代わりの塀へと近付いてくる。
「知るか、うるせえ奴だなおまえ」
いつもの如く理不尽なことを言うコウは、なんと珍しく庭先まで出てきて、ソウヤが差し出す怪獣の人形を受け取った。
「ん?」
やけに素直だな。ソウヤは悪い予感がした。
コウは受け取った人形をぽいっと後ろへ放り投げると、そのままガシィっとソウヤの腕を握る。
「お?」
捕まってしまった。まるで、「うん、と言うまで逃がさない」と宣告されたようなものだ。
「おうソウヤ。ついででさ、CDプレーヤー、買ってくれよ」
ぐいと顔を近づけながらコウが言う。
「はぁ? CDプレイヤー……って、音楽聴く趣味なんてあったのか、コウ?」
「12枚1000ドルのCD貰ったんだよ」
「そもそも、家電とかパシっていい買い物じゃないしさぁ。いい加減に……」
1つ。
2つ。
3つ。と、間を置いて。
「1枚1万弱かよ、高っ!」
「だろ? 気になるだろ? だから、CDプレイヤー買ってくれよ。お値段分、ちゃんと聞き分けられるやつな」
コウの顔はマジだ。
ソウヤはコウが持つCDを凝視する。
「な、な、なんだ。俺も無性に聞きたくなってきた。なんだこれは……なんだ、これはぁ!」
「おう。わかるぞ。考えるな、感じろ。行け!」
「わ、わかった! 上等なやつ、買ってくる!」
ダッシュで家を後にするソウヤ。
足も拭かずに室内まで戻り、あぐらをかいて「むふん」と鼻息を荒げ、CDを前に置いて瞑想を始めるコウ。
そして。その時がやってくる。
「買って来たぞ!」
「ようし、でかした! セッティーング!」
「任せろ! 終わった!」
「聞くぞ、てめーも一緒に聞かせてやるから感謝しろよ!」
「ありがとうございます!」
「「う、うおおおおお~~~~~~~っっ!!」」
1つのヘッドフォンに挟まるように顔を近づけ、興奮する2人の男女。
少年のように目を輝かせ、歌詞カードを穴が開くほど凝視する。
いい年こいて落ち着かぬ様子で、嗚呼、情けない。そして何より、はしたない。
「「おおおぉぉおおおぉぉおお~~~~~~~~~~~~っっっ!!!」」
騒がしくなる極牢亭の真上で、金ぴかに輝く円盤が、満足そうにくるくると回った。