霊‐ミタマ‐1 『ふうせん』
主に起承転結や様々なジャンルの書き方の練習を趣旨としたオリジナルの短編です。
大切な人が、いなくなってしまった。それは永遠の別れ。僕はもう、二度と彼女に触れられない。
無気力となりろくな毎日を送れなくなった僕は、喪失感と孤独の中で、日々を彷徨う。
風の噂を聞いた。死者と対話をできる女性の話。
失う物もすがる物もなかった僕は、吸い寄せられるように、その噂の場所へと赴いた。
極牢亭。
傍から見れば、そこは小ぢんまりとした薄汚い骨董屋。脇に立てられた看板は色あせていて、なんと書いてあるか読めたもんじゃない。入口は古びた引き戸で、曇りガラスからほのかに明かりが漏れていた。
かなり胡散臭いが……せっかく遠くまで来たのだから、中の様子くらい覗いてみようか。
引き戸に手をかける。やけに立て付けの悪い扉は、途中まで開いたところでガタッと止まってしまった。何度か力をこめてようやく中に入り込むと。
店内には、2人の女性。
1人は店の中をきょろきょろと見回しながら、落ち着かない様子でうろうろしている。どう見ても客だろう。
ではと、もうひとりの人影に視線を移す。奥の座敷にあぐらをかいて座っている、作務衣姿の女性。真っ赤な長髪と眠たそうな半開きの目、それと指に挟むようにして持つ煙の出ていないキセルが印象的。なるほど、それっぽい。
あなたが、極牢コウさん……ですか?
僕は恐る恐る、その美麗な顔を覗きこみながら声をかけた。
「ああん?」
赤毛の女性。店主の極牢コウは、やけに不機嫌そうに顔をあげた。
あの……実は……ある噂を聞きまして……。
僕はその鋭い視線に臆し、どもりながら語りかける。
すると、女性は答えもせず、僕の顔をじいっと見て、「ははん」と顎に手を当てて笑った。
「探し物かい?」
ええ、まあ。
「それは人かい?」
そんなとこです。
「そうかい」
……。……沈黙。長い、長い沈黙。
どうしてわかったんですか? そう問いかけようとすると、彼女は僕の言葉を遮るように口を開き、続けた。
「無理だね」
……なにが?
「死人にゃ会えない。それが世の常、理ってもんさ」
僕、誰かが死んだって言いました?
「わかるさ。噂を聞いてやってきたんだろう?」
確かにそうだ。そういうことか。
「死人に口なし。死者と関わろうとしたって、ろくなことにはなりゃせんよ。わかったら帰りな、若いの」
女性はキセルを咥え、背を向けてしまう。
納得がいかない。話くらい聞いてくれてもいいじゃないか。僕が失ったのは、自分の命よりも大切な人。少し拒絶されたくらいで、はいそうですかと諦められるわけがない。
僕は、帰らないぞ! と彼女に伝えた。これまで出したことをないくらいの大声で。
「……」
彼女は深い紅色の瞳をギラつかせ、ヘビのように首をもたげて振り返り、僕を睨んだ。
「じゃあ聞くが。死人に何を語らせようっていうんだい?」
え?
「未練を残すのは、何も死人だけじゃない。ぷかぷか浮かぶ風船を紐で捕まえるみたいに、生きてる方が『想い』という枷で死人を縛っちまうことだってある。そういう輩は、せっかく天国に行ける魂まで、昇天させずに地べたを引きずりまわすのさ」
煙の出ていないキセルを吸って、「ハァ」と吐息を漏らす女性。どこからか、梅茶のような深い香りが漂ってきた。
「あんたは、そうやって擦り切れていく魂をどう思う? あんたの想いが強すぎるせいで、愛する人が盲目になり、孤独と困惑の最中で苦しみ続けているとしたら?」
そんなこと、知るか。一度だけでいい、試してくれ。成否に関わらず、その結果に満足して、未練なんか断ち切ってみせるから。
僕は必死に訴えかけるが、女性の表情は変わらない。
「死人に助けを請うんじゃないよ、みっともない」
再びこちらに振り返った女性は、口からキセルを外し、ぷうと甘い息を吐きながら言う。
「幽霊みたいにフラフラせず、地に足つけて今を生きな」
「あんたの<彼氏>はもう帰って来ない。それがあんたの、生きるべき浮世だ」
……ん?
いや、ちょっと待て。僕は男だ。そうじゃない。<彼氏>じゃなく、いなくなったのは<彼女>の方で……。
「だって……」
すぐ後ろで、声がした。
「だってぇ……っ」
今にも泣き出しそうな、震えた声。聞き覚えのある、優しい声。
ほかでもない。探し人の……声。
まさか。……まさか。
信じられない。信じられるものか。嫌だ。いやだ。イヤだ!
振り返りたくない。認めたくない。体が震える。凍えてしまいそうなくらい寒い。目を閉じ、耳を塞ぎ、全てを拒絶したくなる。
漆黒の奥底に閉じこもって、世界を憎み、現実を呪いたくなル!
「逃げんな!!」
大地が揺れた。波動のような波が、淀んだ湿りを払うように広がっていく。
赤毛の女性がカツンと、キセルを床に打ち付けただけなのに。
僕もその赤い波紋に包まれる。すると、何かが変わった。込み上げかけた黒い感情が、薄らいでいくのがわかる。体が軽くなっていくのがわかる。
いつの間にか、振り返っていた。
「だってぇ!」
目の前には。
探していた、彼女の顔。
顔を真っ赤にして、大粒の涙をこぼし泣く、君の顔。
ふと、自分を見やる。手の平はうっすらと透けて。心臓は鼓動を刻んでいなくて。ああ、足の感覚もないや。
現実を直視する。
僕が失ったのではない。僕が、失われたのだ。
死んだのは……僕の方。僕が紐でつながれた風船だったんだ。
「ごめんなさい」
大切な人が言う。
「ごめんなさい」
憑き物がついたような、暗い顔をする。
「ごめんなさい」
泣き続ける。
泣くなよ、こっちまで悲しくなってくるから。
声は出ない。僕は震える喉を持っていない。涙も出ない。まぶたはとうに失われていた。
「ごめ――」
「うるさいねぇ。あたしに謝ったって、あんたの大事な人は帰ってこないよ」
「私が悪いんです。夜中に会いたいなんて、わがまま言ったから……」
「そんなこと、あたしの知ったことか。さあ、こいつをやるから、さっさと帰んな」
店主は、手元にあった未開封の柿ピーを彼女に押し付ける。
「泣くなら帰ってから存分に泣くがいい。ひとしきり泣いて涙も枯れれば、罪悪感なんざ地面に染み渡って消えちまうだろうよ。それでも忘れらんないなら、玄関先に塩でも撒いとけ」
「うっ。ひっぐ……」
僕の彼女は虚ろな瞳のまま、暗示をかけられたように背を向けて、店を後にした。嗚咽交じりに、とぼとぼと。受け取った柿ピーを、ぎゅっと抱きしめながら。
あれではばらばらになってしまうだろうに。相変わらずの不器用さに、思わず苦笑してしまう。
「あたしは帰れっつったんだよ」
え?
振り返ると、店主の極牢コウはキセルを咥えながら、しっかりと僕の目を見つめながら言った。
「運命の赤い糸だか知らないが、縁なんざ六道輪廻あらゆるとこまで繋がってるもんさ。そんなに大切な相手なら、いずれまた会える。変に未練なんざ持たず、臆せずに逝きな」
その人は、にぃと笑う。まるで全てお見通しだとでも言いた気に。
「この女泣かせの果報モンが」
そうか。きっとこの人は、僕らを助けてくれたんだ。直感で、そう思う。この人の導きに従えば大丈夫だろう。そう思わせる雰囲気があった。
お世話になりました。
僕は不思議な引力に身を任せ、どこか遠くへと旅立つことを決意する。
―― ありがとう、極牢さん……。
「あたしを苗字で呼ぶんじゃねぇ」
―― さようなら……。
――――――
引き戸がピシャリとひとりでに閉まると、店に漂っていた陰鬱な空気がフッと消える。
「閉めてくなんざ、行儀の言い幽霊だったね」
ふーっと煙を吐くような仕草をした紅の乙女は、誰に語るわけでもなく、虚空に向けて呟く。
「この世は所詮、土の獄屋。生き死になんざ、幸の範疇」
どんなに離れても。一時の別れがやってきても。
「辛い暗いは煙に巻き。香光幸と、コウ一転」
想いは消えない。繋がりは絶えない。
「今日もよろしく、ごくろうさん……っと」
きっと。
……。
お盆にこんなものを投降するのは、もしかしたら不謹慎だったかもしれません……。