誤解
私は夕食を食べた後、自分の部屋に入って一人でくつろいでいた。ここで食べる初めての夕食は緊張して、全然味わって食べることができなかった。それに対して、桃花はすっかりみんなと打ち解けていて、夕食中に管理人さんや、学校が違うもう一人の男の子と大きな笑い声をあげながら楽しそうにしゃべっていた。私はそれを遠い目で眺めているだけだったが、寂しくはなかった。何故なら会話に入らない人が、もう一人いたからだ。彼の名前はどうやら、若草 雲雀というらしい。桃花の部屋の整理を手伝っている時、桃花が自慢げに教えてくれた。
自分の部屋の壁にかかっている時計を見ると、夜の8時だった。私は明日の学校の準備をしようと思い、ベッドから腰をあげた。そして学校の鞄のもとへ行こうと思った時、ドアからコンコンとノックの音がした。
「入るよー。」
ドアの向こうから桃花の声が聞こえた。
「うん。どうぞ。」
ドアが開いて桃花が部屋の中に入ってきた。桃花は肩より少し長い髪の毛をヘアゴムで束ねていた。
「どうしたの?」
桃花はベッドの上に座り、大きく背伸びをした。
「椿は、今週の土曜日あいてる?」
「あいてるけど・・・、なんで?」
今週の土曜日は、3日後にある新入生テストに向けて勉強する予定だったから、特別といった用事はなかった。私と桃花が通っている高校はいわゆる名門校で、生徒たちの偏差値は平均65以上だ。だから、かなり勉強して頑張らないとテストの成績は散々な結果になるだろう。それを防ぐためにも、猛勉強をする必要がある。私は桃花に、土曜日はあいていると言ったことを少しだけ後悔した。テストが終るまでは、出来るだけ外出は避けたいというのが本音だった。
そんな私の心境を知らずに、桃花は満面の笑みを浮かべていた。
「土曜日の午後、みんなで勉強会しようよ!」
意外な提案だった。てっきり、「遊びに行きたい!」と言われると思っていたが、テスト勉強のお誘いなら大歓迎だ。だが、私には一つだけ気になる点があった。
「みんなで?」
「そう!ここの下宿メンバーで。新入生テストの勉強。」
私は、一瞬返答に詰まった。断ろうかと思ったが、断る理由が見つからなかった。
「・・・うん。いいよ。」
新入生テストの勉強を女子の皆で参加するということならぜひとも参加したい。だが、男の子もいるとなれば話は別だ。男の子とかかわることは、テスト前の外出よりも避けたいことだった。
「私と桃花と、男の子二人でってこと?」
「うん。でも、椿に断られなくてよかった~。断られたら勉強教えてくれる人がいなくて困っちゃうし。」
「え、あの学校の違う人に聞けばいいんじゃ・・・。」
「ちょっと学力は信用できないんだよね。山吹君の通っている高校、結構偏差値低くってさ。」
桃花は少し残念そうに言った。あの学校の違う男の子は、山吹君というのか。私は覚えておこうと思った。
「そうなんだ。・・・二人にはもう勉強会のこと話したの?」
「いや、今から言いに行こうと思って。そうだ、椿も一緒にきてよ。」
「え!?私はいいよ。桃花だって知ってるでしょ、私が男の子苦手なこと。」
「そんなこと言ってたら、いつまでたっても男嫌いなんかなおらないでしょ。これからご飯とか一緒に食べないといけないんだし、仲よくならないと椿自身が苦労するよ。」
「それはそうだけど・・・。」
「大丈夫だって。私がいるし。ほら、行くよ!」
桃花は私の手を引いて、男部屋のある1階へ向かった。確かに、仲よくならないと苦労することは事実だ。これから先一緒なところで過ごす以上、関わりを持たなけらばならない。男嫌いだといえない日も、きっと来るだろう。
仕方がないと思い、私は桃花につき合うことにした。階段を下りて、男部屋へ向かう。緊張して、手が少しだけ汗ばんできた。まだ覚悟が足りない、そう思った瞬間、桃花が誰かに声をかけられた。
「桃花ちゃん、どうしたの?」
驚きで肩がビクンと震えた。桃花は振り向いて、自分に声をかけた人物に向かって手を振った。
「おっ、今から部屋に行こうと思ってたんだ~。」
私は恐る恐る、そっと後ろを向いた。そこには、若草君と山吹君がいた。若草君は私と桃花を見ると、自分の部屋に向かって歩きだした。
「おい、若草。どこに行くんだよ。」
「どこって・・・、自分の部屋に戻るだけだよ。」
若草君はそう言い残して、スタスタと歩いていってしまった。
「あいつはかっこつけか?」
山吹君は苦笑しながら部屋に戻る若草君の後姿を見ていた。そして、桃花の方に向き直った。
「俺たちに何か用があるのか?」
「ちょっと聞きたいことがあって。今週の土曜、あいてる?できたら、ここで下宿してる4人で勉強したい なって。ここの大部屋使ってさ。管理人さんは別にいいって言ってたし。」
山吹君は迷いもせずに、すぐに了承した。
「いいね。俺の言っている高校、来週テストあるし。若草には、俺が言っておくよ。」
山吹君がそう言うと、桃花は目を輝かせた。
「ありがとう!」
山吹君は桃花の喜ぶ様子を見た後、視線を桃花の背中に隠れる私のほうに移した。
「君は・・・。」
山吹君は不思議そうに私の顔をのぞき込んできた。私は、慌てて桃花の背中から飛びのいた。それを見て、桃花が口をはさんだ。
「私と同じ学校の椿だよ。ちょっと、男にはなれてないから・・・。」
「へー。若草の女バージョンみたいな?」
山吹君はそう言うと、私の近くによってきた。
「男嫌いって珍しいよね。逆にモテたりするんじゃない?」
それはあらぬ誤解だ。私は否定するために声を絞り出した。
「それは、ない、です・・・。」
私は小さい声でそう言い、そっと山吹君から遠ざかった。すると、腕をつかまれた。
「え・・・。」
一瞬何をされているのかわからなかった。だが、すぐに腕をつかまれていることに気付き、慌てて手を振り払った。
「あ・・・、ごめんなさい・・・。」
少し強引すぎたと思い、慌てて謝った。不快な思いをさせてしまったと思ったが、山吹君はさっきと変わらずニコニコしていた。
「はは。かわいー。そういう反応する子初めて見た。でも、ちょっと信じられないかも。よくいるじゃん、 男をゲットするために男嫌いを装う女の子。」
その言葉を聞いて、私の心にはふつふつと怒りが溜まってきた。この人は私のことを、男嫌いを装っている女だと思っているのだ。そう思われるのは、絶対に嫌だった。私は男嫌いのせいで、いろいろと苦労をしてきた。からかわれたり、いじめられたりして泣いたこともあった。男嫌いになんてならなければ、どんなに楽だったことか。
「好きで男嫌いになったわけじゃないです!」
思わず強気な言葉を発してしまった。一瞬にして、場が静まり返る。最初に口を開いたのは、重い空気感に戸惑っていた桃花だった。
「あの、勉強会のことなんだけど・・・。」
桃花が私に気を遣ってくれたことは分かった。だが、私はくるりと踵を返した。ここにいるのは辛い。
「椿・・・。」
「ごめん、桃花。私先に部屋戻ってるね。」
私はそう言い残して、重い足撮りで階段をのぼった。タン、タンと足が階段を叩く音が耳に響いた。
初日から大失敗だ。私はなんだか泣きたくなってきたが、涙が出てくる気配はなかった。むしろ、情けなくて作り笑いだけが浮かんできた。
明日の朝食はきっと気まずいだろうなと思いながら、私は自分の部屋の扉を開けた。
*
「椿・・・。」
山吹君に言われた言葉が相当ショックだったのだろう。椿は部屋に戻ってしまった。
私は山吹君を少し責めるような目で見た。
「ちょっと!山吹君、そこまで言うことないじゃん。」
私がきつめの口調で言うと、山吹君はからかうようにへらへらと笑った。
「ごめん、ごめん。ちょっと確かめたくなっちゃってさぁ。」
「確かめたいって、何を?」
「本当に男嫌いかってこと。」
そう言って壁に寄りかかると、山吹君は少し真面目な顔になった。
「俺さ、結構モテるんだよね。」
どんなにまじめなことを言いだすのかと思ったら、ただの自慢だった。
「だろうね。」
山吹君の顔は一般の人と比べると整っている方だと思う。それに加えて、女の子に対して積極的なら人気があって当然だ。
「だから、男嫌いを装って近づいてくる子が結構いたんだよね。まあ、近づいてくる時点で男嫌いなわけが ないけど。俺さ、そういう嘘をつく子が一番苦手なんだ。もしかしたら椿ちゃんもそうなのかもしれない と思って、ちょっと確かめたくなっただけだよ。」
そう言うと山吹君は、小さく息を吐いた。
「でも、嘘じゃなかったみたいだね。嘘だったら、多分怒らなかったと思うし、あんなに悲しそうな顔しな かったと思う。女の子を傷つけるのは趣味じゃないから、明日ちゃんと謝るよ。」
「椿の男嫌いは本当だよ。それは私が一番知ってる!」
椿だって、本当は男の子とも普通にしゃべりたいはずだ。それに、昔は男の子とも沢山話していた。
「そもそも、椿ちゃんは何で男嫌いなの?」
山吹君が少し遠慮がちに聞いてきた。私は返答に詰まった。話していいことなのかわからないからだ。
少し考えた後、私は口を開くことにした。
「昔、椿は活発で、男の子とも普通に話してた。でも――――――――小学校の低学年の時かな、男の子に呼び出 されたの。私はなんだか心配になってきちゃって、こっそり隠れながら、階段で話す二人の様子を見て た。その子が椿を呼び出したのは、告白をするため。勿論椿は断った。そうしたらその子、すごく怒っ ちゃって・・・。椿のことを強く押したの。もしかしたら、あの子は椿を押しのけるだけのつもりだった のかもしれない。でも、椿は階段から落ちた。あの時、もしも私が落ちてくる椿を受け止めなかったら、 きっとかすり傷と打撲で済んでなかった。椿が男の子を避けるようになったのは、それから。」
山吹君は納得したように、数度頷いた。
「そうなんだ・・・。本当に悪いことしちゃった。椿ちゃんにちゃんと謝らないと。」
「椿のトラウマを、これ以上増やさないでよ。」
一緒に下宿をしようと言ったのは私だ。椿は「桃花と一緒なら安心だね。」と言って、すぐに了承してくれた。
椿が私のことを頼ってくれているのだから、私もできる限りのことはしようと思っている。
椿のことは、私が守ろう。