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陰謀の始まり


「どうした?ユマ。賠償金の支払いにでも来たのか?」

ユマの前に座っているでっぷりと肥えた男―――ウスタスの奴隷商、ラジムだ。

「ラジム。一つ訊いておきたいことがあるんだ」

「なんだ?わざわざ」

「お前、『白炎』に手を出したりしてないよな?」

じっとラジムの目を見つめるユマ。

「『白炎』つーとハンガのクラムか。知らんな。面識もない。なんかあったのか?」

「ハンガの街が襲撃を受けたらしい。それで『白炎』が俺のところに来た。クウガを拾って匿っているそうだ」

「あの臆病者をか」

余裕たっぷりのラジムの表情。間違いない、ラジムはこのことを知っている。初めて聞く話なら多少なりとも感情が動くものだ。

「どういうつもりだラジム。『白炎』を敵に回せばただでは済まないぞ」

「何の話だ?知らんといっているだろう」

「『白炎』はもう動いてるぞ。そう遠くないうちにここを嗅ぎつけるだろう。悪いことは言わん。今すぐ逃げろ」

「特級魔導師とはいえあんな片田舎の辺境民に何が出来る」

やはり―――

「忠告はした。俺はなんとか『白炎』を引き止めてみるが・・・」

「その必要はない」

奥の扉から聞こえた声に顔を上げるとひとりの男が立っていた。

「叔父上・・・?」

ユマの叔父、ドルス=ファム=レトナだ。

ルーニエの諜報機関『アガペ』の首としてルーニエの裏社会を統べている人物。

「ユマ、お前を謀反の疑いで拘束する」

「は?なにを・・・」

「お前には『白炎』と共謀し謀反を企てている疑いが掛けられている」

「何を馬鹿なことを!!」

「剣奴、クウガを密通のための使者として逃亡を装い『白炎』に接触させた。そういうシナリオなのだよ」

ラジムが下卑た笑みを浮かべつぶやく。

ここに来てユマは全てを理解した。

逃亡したクウガを偶然に『白炎』が保護した―――その状況を利用して『白炎』を陥れるつもりだったのだ。

ウラムスの兵を使ったのも全く無関係な者を使うことで自分達に疑いの目が向くことを避け、ユマを巻き込ませるため。“ユマが白炎を唆し謀反を企てている”というお膳立てを整えるためだ。

嵌められた―――

ユマは立ち上がると窓へと走る。

「逃がすな!!!アシュレイ!!!」

窓の前に一人の男が立ちふさがる。

血吸いのアシュレイ―――残忍な闘い方をすることで有名な職業剣闘士だ。

ユマは腰の短刀を引き抜くとアシュレイと対峙する。

今は奴隷商という立場だが、幼少の頃から暗殺術の訓練を受け実際に多くの者を屠って来たのだ。

一流の剣士が相手でも切り抜けてみせる―――

「なっっ!!!」

ユマの手首から血が迸る―――刹那に抜かれた剣がアシュレイの手に握られていた。

「ぐうっっ!!!」

短剣を落とし手首を押さえたユマの首を鷲掴みにしたアシュレイはそのままユマの身体を吊り上げた。

「がっ・・・かっ・・・・」

つま先が床から離れ宙に吊られたユマの顔が瞬く間に真っ赤になっていく。

「が・・・・」

アシュレイの前腕を掴んでいた腕がだらんと落ち、白目を剥いた。

「腱だけは切っておけ。老いたりとはいえかつて『深影』の異名を持つまでになった男だ」

「どうせならその時代に相手したかったものだな。俺が剣を抜く瞬間すら捉えられんとは」

ユマを床の上に放り出したアシュレイはユマの踵に切っ先を突き立てる。

「俺の仕事はここまでだ。後は好きにしろ」

腕と脚の腱を切ったアシュレイは剣を収めると立ち去った。


「う・・・・」

「起きたか」

意識を取り戻したユマの目に映ったのは赤い光が揺れる暗く湿った場所だった。

スッと視界に入ってきたのは小柄な男―――叔父のドルスだ。

「叔父・・・上・・・」

全身に走る疼痛。

「なぜ・・・」

「なぜも何も、私はお前がずっと嫌いだったんだが」

ドルスはユマの顎を上げさせると

「義兄上譲りの高い身体能力に姉上譲りの暗殺者としての技量―――家督を継いだ私がどれだけ嘲られていたのかお前は知るまい」

「わ・・・私は・・・・おぐうっっ!!!」

ユマの股間を鷲掴みにするドルス。

「あっ・・・・がっ・・・・・」

「お前がどう思っていようと関係ない。お前の存在自体が目障りだったんだ」

「ふっ・・・・ひっ・・・・」

徐々に力が篭っていく手にユマは目を見開き激しく喘ぎながら涎を垂らしている。

「このまま潰してやっても良いんだが・・・」

と言い置いてドルスはユマの股間から手を離した。

「ひっ・・・・」

「お前には死んでもらっては困るんでな」

ドルスは刑吏に

「殺さず、言葉を発することも出来ない程度に―――いいな」

頷いた刑吏は荊でできた鞭をしならせるとユマに打ちつけた。

バシッッ!!!

「がああああああああああっっっ!!!!」

ユマの鍛えられた身体から血が飛び散る。

バチンッッ!!!

「ぐあああああああっっっ!!!!!」

次々と打ちつけられる鞭―――瞬く間にユマの肉体は血に染まっていく。

「あぐ・・・・・・」

泡を噴いて白目を剥いたユマに刑吏は水を浴びせかけた。

ドゴオッッ!!!

「ごぶうっっ!!!」

血に塗れたユマの腹筋に拳が突き刺さる。

ズムウッッ!!!

「ごうぇっっ!!!」

ドガアッッ!!!

「ぐぶっっ!!!」

ボゴオッッ!!!

「ぶうぇええええっっ!!!」

胃液を吐き出したユマだが刑吏は構わず腹に拳を打ち込んでいく。

ドゴオッッ!!!ボゴオッッ!!!ドスウッッ!!!

「げぶあっっ!!!ぐべっっ!!!ぼうぇっっ!!!」

ズンッッッ!!!!

「ぐばあっっっ!!!!」

血を吐き出したユマは再び白目を剥いた。

赤く変色した腹筋の溝に沿って血が伝い、下着に染みこんでいく。

ヒクッ、ヒクッと痙攣を繰り返すユマに刑吏は再び水をぶっ掛け叩き起こすと

「しっかりしてくれよ。楽しめねぇだろ?」

「う・・・・が・・・・・」

ニヤッと笑った刑吏は側で燃えていた火壷から真っ赤になった鏝を取り出す。

「ひっ・・・・・ぎゃああああああああっっ!!!!」

筋を浮かせたユマの体からジュウッと音を立てながら白い煙が上がる。

「あがっ・・・・・」

また気を失ったユマ。

気を失っては叩き起こされ、殴られ、打たれ、焼かれ――――薄暗い地下牢にはユマの悲鳴だけがこだましていた。



熱気の溢れる、歓声というより怒声に埋め尽くされた闘技場。

その中央に立つ二人の男―――

どちらも長身でよく鍛えられている。

赤銅色の筋肉に日射しが反射し、その隆起を際立たせるかのように複雑な陰影を描き出す。

一人は見るからに高級と分かる金属のヘルムに篭手、脛当てをつけかなりの業物を構えている。

もう一人は皮の篭手に脛当て、そして極ありふれた剣を装備しているだけ―――分厚い筋肉に覆われてはいるが至るところに傷跡が残り、特に背中はまともな箇所がないほど無数の傷跡に覆われていた。

「あれがソウガか・・・」

クウガの弟、かつて虚無の砂漠の縁に存在した国、ハルムの王子。

その精悍で整った顔はクウガより男らしい趣がある。

まだ18のはずだが潜ってきた死線の数が違うのだろう、クウガよりも年上に見える。

宿に出入りする商人数人にアシュレイという男のことを聞いてみたが、相当な達人らしくまず普通の剣闘士では相手にならないという。元々軍属で家柄もよく、将軍候補に挙がったこともあるそうだが相手を切り刻めないのは嫌だということで職業剣闘士になったらしい。

相対するソウガもそのことは知っているのだろう。明らかに死を覚悟した悲壮な表情を浮かべている。

だがそれでも逞しい肉体からは十分な闘志が迸り、それが観客をさらなる狂乱へと向かわせていた。

二人の向こう側には天覧席が見える。

そこに座るのは豊かな髭を蓄えた褐色の肌の若い男―――ルーニエ王国国王、シンラ=オム=ファルニエだ。

特に秀でた物を持つ王では無いが放蕩の限りを尽くした先王を退位させ、至るところにひずみを残しながらも

分解寸前だったルーニエを立て直したそれなりに有能な王、というのが国民の評価だ。

だが実際には違うことをクラムはよく知っていた。

武断の王が多いルーニエ王家の中では珍しい権謀術数を巡らせる知略の王。国民から容易に悟ることが出来るほどのひずみを残しているのも、叛意を持つ者のあぶり出しのためだ。

地方の力を削ぐことなくある程度の力を蓄えさせた上で動向を探り、叛意ありと判断すればその地方軍の参謀クラスを厚待遇で国官として招聘する。代わりに貴族層の親類など、国官だが無能な者を送り込み力は維持させたまま骨抜きにするという手法をとっていた。

すべてを勅命で行うために臣下の大半はシンラのやっていることを知らないという。

クラムがそれを知っているのはシンラがお忍びでハンガまで来たことがあったからだ。


クラムが特級魔導師として任命された頃はまだ王子だったシンラがクラムを尋ねてきたのは任命から3年後。

「あなたに折り入って頼みがある」

まだ若々しさ溢れるシンラは髭も無く、美しい母親によく似た青年だった。

「私にですか?」

「あなたは辺境の出だと聞いた。ルーニエに対して忠誠心をお持ちでないことも」

「誰がそんなことを・・・・」

とは言ってみたものの情報の出所などオリバ以外にありえなかった。

「私は父を退位させたい。このままではルーニエは崩壊してしまう。だが私には力が無い。継承順位8位の私ではどれだけ今の酷い有様を訴えても何の効果もないだろう」

第5妃の子供として産まれたシンラには3人の兄と4人の叔父がいた。王位継承位は第8位。さらに辺境民の妃との間の子、ということでまず王位が巡ってくる可能性は無い。

「あなたに今この国で山積みになっている問題を解決できるとは思えませんが」

「すべて、などと妄言を吐くつもりは無い。だが財政だけでも解決はしてみせる。そのためには確固とした力が必要なんだ」

「私に何をお求めで?」

「私には後ろ盾となってくれる確かな力が必要だ。それも圧倒的な力が。あなたならば一騎当千どころか一騎当万だ。実際に何かをしてくれ、というわけではなくあなたの威を借らせて頂きたい」

「それで私に何かメリットが?」

「あなたにとっては自由が何より重要なのだと伺っている。私が王位に就けたら特級魔導師としての権利はそのまま、今後一切あなたの為すことにルーニエとして干渉しないことを約束しよう」

特級魔導師は国からの要請があれば必ず従わなければならない身分だ。その代償として破格の待遇を受けられる。義務に裏づけされた権利―――その義務の部分を免除するというのだ。

「まあ、特に私が損することもないようですしお受けしますよ。邪魔者がいるなら消滅させますが?」

「いえ。私は武力ではなく知略でこの国を変えて見せます。今日ここへ来たのもそのための準備ですから」

真っ直ぐで強い漆黒の瞳―――その数年後、シンラは本当に知略を以ってルーニエの王となった。


シンラは立ち上がると腕を挙げ、真っ直ぐに振り下ろした。

試合開始の合図だ―――

じりじり回りながら互いの出方を窺う両者。

天を舞う鷲の影が両者の間を縫った瞬間、ソウガが全身の筋肉を膨らませるとアシュレイへと打ち込んだ。

カツンッという澄んだ音が響く。

篭手で難なく斬撃を逸らしたアシュレイの斬撃はソウガの肩口を浅く切り裂く。

ソウガの肩に赤い筋が走る―――

「ぐうっっ!!!」

返す刃でアシュレイの首元を狙うソウガだがそれもあっさりと躱された。

「くっっ!!!がっっ!!!」

アシュレイの刃がソウガの胸板を一閃し血が飛び散った。

圧倒的な技量の差―――

アシュレイがソウガの斬撃を躱すたびにソウガの身体に赤く筋が走り血が飛び散る。

分厚く盛りあがった胸を、くっきりと凹凸をうかべる腹筋を、大きく盛り上がる肩を、丸太のような腕を―――

そのたびに雄叫びのような歓声が闘技場内に響き渡る。

半刻も経っただろうか―――大量の汗を噴きだし全身を血に染め、大きく肩で息をするソウガ。

対するアシュレイは全く呼吸が乱れていない。

「うおおおおおおおっっっ!!!」

ソウガの打ち込みは剣先であっさりといなされるとソウガの右目を切り裂いた。

「ぐあああああああっっっ!!!」

右目を押さえふらついたソウガ―――

次の瞬間、それまでは自分からは出なかったアシュレイが動いた。

ブンッッ!!!

はっきりと響き渡る風切音と同時にソウガの右腕が根元から落ちていく。

「ぐああああああああああああああっっっ!!!!!!」

闘技場内に響き渡るソウガの悲鳴――――

肩口から噴き出る血を左手で押さえ膝をついたソウガにアシュレイは切っ先を突きつけた。

もう終わった―――誰もがそう思っていた。が――――

ソウガは右腕が握っていた剣を拾い上げると真一文字にアシュレイへと振りぬいた。

それと同時に吹き飛ぶソウガの左手―――

手首から先が消え、血が噴出す。

両手を失ったソウガ―――もう闘えない。

それでもソウガは立ち上がると左腕でアシュレイを殴りつけた。

棒立ちのままそれを受けたアシュレイはソウガの腹を蹴りつける。

吹っ飛んで倒れたソウガは目も虚ろで息も絶え絶え―――


殺せ―――


闘技場内に響き渡る声。

「殺せ」

「殺せ」

「殺せ」

「殺せ」

興奮しきった観客たちのコールにアシュレイはソウガの首元に切っ先を突きつけた。


狂ってる―――――


恨みがあるわけじゃない。

命の危機が迫っているわけでもない。


純然たる“他人”だ。


その死を願うなど――――狂っている。


クラムの身のうちに迸る感情―――それは怒りだった。


不意にアシュレイが身じろぎしクラムを見つめた。

数千人という観客の中にいるクラムを確かにはっきりと見つめていた。

突然剣を収めると足早に闘技場を去っていく。


その場に残されたソウガ―――地面があふれ出た血を吸い黒く染まっていく。

クラムは急いで闘技場の最下部、剣闘士達の控え室に向かうと刑吏にソウガを回収するよう命じた。

同時に右腕と左手も回収させる。

回収されてきたソウガは呼吸も脈拍も微弱。

「もうダメですよ、クラム様」

闘技場のお抱え医師がクラムを止めたが、クラムは『神水』を口に含むと口移しでソウガに飲ませる。

右腕と左手の切断面を『神水』で洗い流すと医師に縫合するよう申し付けた。

トコショの秘薬の原料である『神水』―――虚無の砂漠周縁の限られた場所でのみ採取可能なものだ。

本来は『アムリタ』という、生命そのものが液体となっているもので、虚無の砂漠の中心から世界中へと広がり植物や微生物を発生させる源となっている。そこから食物連鎖ですべての命に繋がっている

とはいえ原液ではあまりにも強力なエネルギーを持つためにそのままでは使うことが出来ない。

『アムリタ』を数千倍に薄めて様々な薬草を追加したものがトコショの秘薬となる。

クラムが今もっているのはクラムという人間になってロクシルを旅立つ際に採取しておいたものだ。

「無駄ですって」

「いいからやれ。それともこの場で消し去られたいか?」

医師は「ひっ!」と短い悲鳴を挙げるとソウガの手当てを始めた。


神である自身が人の世の営みに干渉してはならない―――


そんな下らない戒めで救えなかったあの命―――もうあんな思いはしたくなかった。

どんな手段を使っても護りたい人を護る。

『マルク』からクラムとなった時にそう誓ったのだから。


手当ての終わったソウガの容態は落ち着き、呼吸も脈拍もはっきりしていた。

「信じられん・・・」

医者の呟きを無視して監視の刑吏を呼ぶとソウガの持ち主を呼ぶように申し付けるクラム。

やってきたのは白髪の老人。60は超えているのだろうが艶のいい肌で若々しく見える。

「お初にお目にかかる。ソウガの所有者のネスムと申す」

「ご足労願い申し訳ない。ソウガのことなのだが・・・」

「ほう、生きておるのか、こやつ」

ネスムはマジマジとソウガを見ると

「そなた特級魔導師であったな。こんなことまで出来るのか?」

「『神水』の力だ。それに耐えられるだけの器だったということだな」

「『神水』を入手できるとは・・・さすがは特級魔導師といったところか」

『神水』の湧出場所は秘中の秘とされ、流通も薬師のギルドが厳重に管理していた。

「ソウガを譲ってもらえないだろうか?」

「構わんよ。死に損ないだ。こやつには十分稼がせてもらったしな」

所有権の売買についての話を詰めた後、成立の証としての握手をして別れるとき

「そういえばそなたの動きを見張ってる連中がおるぞ。十分気をつけることだ」

とネスムは言い残して去っていった。

オリバの言っていた何者かが動き始めているのだろう。それを他の奴隷商までもが知っているということはかなり大規模に動いているのだ。

「近いうちに仕掛けてくるか・・・」

そうなるとソウガを当面安全な場所に保護せねばならない。

クラムはその場で手紙を書き刑吏を呼び金貨を十枚ほど渡すと手紙を誰にも気付かれぬようオリバの屋敷に届けるよう頼んだ。


「貴様何者だ―――」

ソウガのことををオリバの部下に頼んで闘技場を出たクラムの前に立ちはだかる男。

6尺ほどの背丈にがっしりした体格。凄まじいほどの殺気を放ち立派な曲刀を構えている。

顔を布で覆い隠しているが鋭い眼光は隠せていない。

「アシュレイか」

「やはりこの程度では隠せんか」

覆いを外したアシュレイはクラムと向き合った。

「俺に何の用だ?」

「特級魔導師『白炎』のクラム。あの剣奴に止めを刺そうとしたとき感じた尋常ではない気配―――貴様だろう」

「何の話だ」

「俺は死を望んでいる―――虚ろな生より充ちた死を。俺の心がそれを望んでいるのだ。だから剣闘士になった。戦場でも闘技場でも、幾度も死を間近に感じた。だが一度もそれを“恐ろしい”と感じたことは無い。だが―――」

アシュレイは片手で構えていた曲刀を両手で握りこんだ。

「あの瞬間、俺が感じたのは間違いなく“恐怖”だった。死を望んでいるはずの俺の本能が全力で逃げろと告げた」

「だからどうした。俺は貴様なんぞに用はない」

「貴様は得体が知れない―――」

「はぁ・・・」

ため息をついたクラム。同時にアシュレイが膝を突いた。

「な・・・んだ・・・・」

「剣の達人でも肉体から熱を奪えば動けまい。このまま凍死させてやっても良いがどうする?」

「そ・・・ん・・・・な・・・・」

ガタガタと震え始めたアシュレイ。

「俺が『白炎』だということ知っているのに間抜けな話だな。炎術がただ燃やすだけのものだとでも思っているのか?炎術は火の精霊を使役する術。熱を奪うことも出来る」

クラムはアシュレイの持っていた曲刀を蹴り飛ばすと

「死にたいんだろ?凍死ならば眠るように逝けるぞ?」

蒼白になった顔、薄い唇は紫色になっている。

「いいことを教えてやろう。お前は死にたいんじゃない、死の傍に居ることで生を実感したいだけだ」

クラムの言葉にアシュレイの切れ長の目から涙が一筋零れ落ちた。

「お前がどんな生き方をしようと俺の知ったこっちゃない。だが俺の歩みを妨げるのなら実力を以って排除する。いいな」

蹲って震えるアシュレイをその場に残し、クラムは宿へと帰った。

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