王都ファルニエ
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ルーニエ王国王都、ファルニエ。
王城を中心に同心円状に広がる町の風景は遠目には実に美しいが、端になればなるほど身分の低いものが住むという明確な身分制の象徴でもある。
王城を取り囲むのは貴族の屋敷。その外周には高級官吏が住む区画が広がる。
そのように身分の高い=権力のある者であるほど王城に近い場所に居を構えている。
当然端は貧民街なのだがそこに住まうような者ですら、辺境民に対しては当たりが強い。
王都に住んでいる―――ただそれだけの矜持を生き甲斐にしているのだろう。
辺境に住む者は一様にファルニエを王都ではなく中央と呼ぶ。地理的にルーニエという国の中央に当たるという意味だが多分に揶揄が含まれている。
元々ファルニエは砂漠の中のオアシスに出来た都市で、当然周囲は砂漠に囲まれ交易以外碌な産業は無かった。そんな場所で、交易の商隊を襲っていたような盗賊どもを集めて周囲の国々を侵略し、国体をなしてきたのがルーニエだ。
所詮は卑しい盗賊の寄せ集め―――それが辺境民の認識なのだ。
「お、クラム様。久しぶりですな」
ファルニエ南商工区にある宿、『アナスタシア』。
クラムがファルニエに滞在する際利用する宿だ。
「部屋は空いてるか?」
主人に金貨を一枚差し出しつつ訊くと
「いつもの部屋を空けますよ。今回はどのくらいご滞在で?」
「一月といったところか。人待ちだから何とも言えんが」
「おや、それは珍しい。これですかな?」
と小指を立てて見せる主人に
「そっちを態々待つわけあるまい。情報屋だ」
「まあそうですな。では少々お待ちください」
食堂で腰を下ろし宿の者が出してくれた茶を飲んでいると近くの席で男達が話している内容が聴こえた。
「そういや今度の興行、アシュレイの相手、例の剣奴らしいぜ」
「あぁ、あのどこぞの王国の王子だったって奴か。兄のほうが逃げ出したっていう」
「まだ18かそこららしいがな。アシュレイ相手じゃ生き残れんだろうな」
「まあな。血吸いのアシュレイじゃあなぁ」
剣奴―――
王国の王子―――
兄が逃げ出した―――
「なあ、何の話だ?」
「ん?ああ、来週闘技場で行われる剣闘の興行だよ。目玉が亡国の王子と血吸いのアシュレイの試合なんだと」
「アシュレイ?」
「知らないのか?実力派の職業剣闘士だ。相手を徹底的に切り刻むんでかなりの人気があるぞ」
「王子ってのは?」
「虚無の砂漠のそばにあった小国の王子だったらしい。三月ほど前だったかにもう一人の王子と対戦予定だったんだが、そっちが逃げだして行方知れずになったんだ。で、闘技場に引きずり出されて見せしめに鞭打ちされてたよ。まあ、酷いもんさ。背中の皮がすっかり剥げて全身血塗れ。剣闘士ならまだ剣で傷ついたほうがマシだろうに」
間違いない。クウガの弟だ。
「その上今回の対戦でもう死ぬのは決まったみたいなもんだしなぁ・・・剣奴とはいえまだ若いのに気の毒な話だ」
「そうか・・・すまんな。話に割り込んで」
クウガの弟とはいえ明確に所有者がいる奴隷のことに口出しは出来ない。クウガが22で弟とは5つ違うといっていた。ということはまだ17、本来のクラムが生を終えた年齢だ。
「はぁ・・・」
自然とため息が漏れる。
「クラム様、お部屋の準備できました」
「分かった」
クラムは荷物を部屋に置くと中央区画、エルサントへと向かった。
ルーニエ地方の古語で『高貴なる者』を意味するエルサントは貴族の住まう区画で、その周囲は高い隔壁で囲まれている。
「クラム様!」
門衛の兵が敬礼をする。
さすがに特級魔導師ともなると止められることも無くエルサントへと踏み込んだ。
隔壁の外側のありとあらゆるものがぎゅっと凝縮された感じの街並と違い、道幅は広く取られ、緑地も多くとられた街並は美しく見える。だが所詮はすべて虚栄心の顕われに過ぎない。その証拠が周囲をぐるっと取り囲む高い隔壁だ。
クラムはまっすぐ西へ向かうと、隔壁沿いにある落ち着いた佇まいの屋敷へと入った。
「クラム様。どうなされました突然」
庭で剪定をしていた庭師に
「オリバ様はおいでか?」
「ええ。その辺にいる侍女に声をかけていただければ」
「わかった。ありがとう」
「いえいえ」
玄関前にいた侍女に声をかけると応接間に案内された。
しばらくすると
「待たせたな」
と入ってきた大柄な壮年の男。
これが元老院議員、オリバ=ラス=アセムだ。
「随分久しいじゃないか」
「オリバ様こそ随分お忙しいようで」
「まあな。アガルタの侵攻も徐々に激しさを増しているというのにドラゴニアの助けが無ければどうにもならん有様だ。資金も人材も足りん。にもかかわらず元老院は我関せずだ」
「変わりませんね、連中は」
「我が身に降りかからないと実感できないのだよ。想像力が欠如した連中だからな。それよりそっちはどうだ?」
「実は・・・」
オリバにクウガの一件についてすべて話すと
「ほう・・・クラムを『白炎』と知って手を出すか。なにか後ろ盾がついていると見るべきだろう」
「後ろ盾ですか?」
「単にクラムの力を侮っているだけかも知れんが、それにしても特級魔導師に匹敵する立場の者が背後にいると考えるのが自然ではないか?」
確かに本来の持ち主であるユマですらクラムを『白炎』と知るやいなや手を引くと言い出した。面子を潰されたからといって他の奴隷商がクラムに敵対するリスクを負ってまでクウガに執着する理由などない。クラムを敵に回しても大丈夫だという裏づけがあるのだ。
特級魔導師は伯爵位と同等の権限を持つ立場だ。これと同等以上となると伯爵位もしくは王族の何者かが首謀者の背後にいる。
「まあ、誰が背後にいるにしろ間抜けなものだな。お前にとってはこの国の身分など記号でしかないというのに」
太い笑みを浮かべるオリバ。
クラムにとって特級魔導師などという身分には何の意味もない―――オリバはそれを知ってる。
クラムを特級魔導師にしたのはオリバだからだ。
クラムという人間として生き始めてからは炎術師として日銭を稼ぎながら様々な場所を廻り、さまざまな人の営みを知っていった。
そんなある時、引き受けた商隊の警護という仕事の途中で賊に襲われた。
かなり大規模な商隊で王国兵の警護もついていたのだが、賊の規模も大きく、商隊は瞬く間に大混乱に陥った。
それまでは炎術師として精々牽制しかしたことがなかったのだが、やむを得ないので賊を一気に焼き払ったところ、声をかけてきたのが当時将軍、現元老院議員のオリバだ。
「お前がクラムか」
酒場で酒を煽っていたところで背後から声をかけられた。
「誰だあんた?」
「貴様!!何だその口の聞き方は!!!」
隣に立っていた副官であろう男が吠えた。
「こちらは南部方面軍指揮官、オリバ将軍閣下であらせられるぞ!!」
「将軍様?将軍様が俺みたいな辺境民に何か御用で?」
「お前、炎術師だそうだな」
「それが?」
「商隊を襲ってきた賊を数十人、一気に焼き払って見せたそうじゃないか。それも味方に一切被害を出すことなく」
「それが俺の仕事だったからな」
「言うは易しだがな。乱戦の中で炎術で特定のものだけを狙えるなど聞いたことがないぞ」
オリバはクラムの前に座ると
「お前の力を買いたい。どうだ?俺のところに来ないか?」
「なんかメリットがあんのか?」
「貴様あっっ!!!」
横に立っていた副官が卒倒するのではないかというほど顔を赤くすると
「不敬にもほどがある!!!この場で切り捨ててくれるわ!!」
と刀を抜き放った。
「おいっっ!!!」
オリバが止めようと手を上げるが
「熱っ!!!!」
副官の刀が真っ赤になり溶け落ちる。
腰を抜かした副官に
「俺は俺だ。何者も俺の上に立つことはできないし、何者の上にも立つ気はない。だが俺の歩みを妨げる者は何者であっても実力で排除する」
「ひっっ!!」
冷たい目で見下ろすクラムに副官はその場で失禁してしまった。
「お前は・・・」
呆然とするオリバに
「まあ、そういうことだ。俺の力を借りたいというのなら金で貸してやる。だがあくまで貸与契約であって隷属してやるつもりはない。それが不満なら他所を当たれ」
と告げるとオリバは豪快に笑い出した。
「気に入った!良いだろう。お前の望むだけの代価を用意してやる。是非その力を貸してくれ」
こうしてオリバと契約を結ぶことになったクラムは、その直後に報復のために襲撃してきた賊百名ほどを一瞬で蒸発させて見せたところ、ルーニエの特級魔導師としての位を与えられた。
二つ名は『白炎』。
貴族階級でも最高位の伯爵位に相当する位で、元老院に対しての発言権など、様々な特権が認められていた。
「どうだ?やんごとなき人々になった気分は」
階位の授与式の後、うんざりした顔で歩いていたクラムにオリバが声をかけてきた。
「どうもこうも・・・こういう礼だのなんだのに縛られるようなことは勘弁してもらいたいな」
「うちはシナルアやドラゴニアに比べると圧倒的に魔術師の層が薄いからな。いざって時のために有能な魔術師を確保しておきたいのさ。お前の実力ならばドラゴニアの『赤の系譜』にも引けを取るまい」
「下らない縄張り争いのために力を使う気などないぞ?」
「それは分かってるさ。要は牽制になれば良いんだ。力とは振るうためだけにあるわけではない。交渉用のカードとしても有効だ」
オリバはルーニエの貴族層としては明らかに異端だった。伯爵位の家系の出でありながら出自にはあまり頓着せず、鍛え抜かれた豪腕を持ちながら武力ではなく交渉で事を収めることを優先する高い外交能力を持つ―――硬直しきったルーニエの貴族達とは正反対の柔軟な思考の持ち主。だからこそ当時の最重要案件だったシナルアとの紛争を真正面から引き受ける南部方面の指揮官を任されたのだろう。
「そういえばお前はマチス鋼を知っているか?」
「あぁ。アルマ鉱石を精錬した奴だろう?」
「ってことは炎術師にしか精錬できないことも知ってるな?どうだ?あれの精錬をやってみないか?」
当時魔力を伝導する金属として用いられていたアンビエントはその製法をドラゴニアだけしか知らず、全てをドラゴニアから仕入れていた。
シナルアとの紛争時、シナルアが真っ先に開発した魔導人形『ゴーレム』に対抗するために作り出した魔導鎧の関節部を動かすために使っていたのだが、伝導率が低くドラゴニアの『系譜』の魔術師ならともかくルーニエの魔術師ではまともに動かすことすら難しかった。
そこで新たに開発されたのが数種の鉱石を合成したアルマ鉱石を精錬して作り出すマチス鋼だった。
アンビエントの倍以上の伝導率を示したマチス鋼の登場によって、完全にドラゴニア頼りだった戦線の維持がルーニエの者だけでも出来るようになっていた。
「それは・・・心惹かれるな。こんなところで悪い空気吸っているより面白そうだ」
「よし。どうせ中央に住む気はあるまい?出来うる限りの希望はかなえてやるから条件を言え。里の一つくらいは作ってやる」
「アルマの里はどこにあるんだ?」
「サシャ山脈は知ってるな?」
ルーニエとシナルアとの長大な国境を区切る大河モールグの源流にして大陸西方の最高峰を有するサシャ山脈。
頷いてみせると
「最高峰セリアのすぐそばだ。かなりの高地になる。あの一帯にはムウシという巨大な猿が住み着いててな、おいそれと近づくことが出来ん。が、何があるか分からんからな。一応、結界を張る準備を進めさせている」
「結界?」
「『蒼穹』に強固な結界を頼んでるんだ。これから戦略拠点になりうる場所だからな」
「『蒼穹』?」
「知らんのか。さっきの式典にいたろう。お前と同じ特級魔導師だ。結界術を自在に操る凄腕だぞ?」
「そういえば・・・」
周囲の者達に比べ桁違いの魔力を持つ人物が二人いた。一人はまだ二十歳そこそこであろう若さ溢れる美しい女。もう一人は壮年の偉丈夫だった。
「歴代の特級魔導師の中でお前の次に若いが、実力はかなりのものだ」
若いとなると女のほうか。
「次って・・・あの女、二十歳そこそこだろう?」
と訊くとオリバは豪快に笑い飛ばした。
「まさか。お前の十は上だ。『蒼穹』が特級魔導師の位を得たのが5年前だから、お前が最年少記録保持者ということになる」
最年少といっても中身は数千年の時を経ているのだ。30そこそこで特級魔導師の位を得たとなるとかなりの才媛だろう。
「もう一人が『天剣』のローグ=シルバ。雷術師だ。元々騎士でな、剣の腕も立つ」
あの偉丈夫のほうには妙な違和感を覚えていた。強大な魔力の中に、普通ではない気配を感じていたのだ。
オリバはクラムの肩に手を置くと
「お前はルーニエにわずか3人しかいない貴重な存在だ。だが貴重だからこそその力を争いごとに使うべきではないと俺は考えている。炎術師としてどう生きることが最善か、お前になら分かるだろう?」
結界術や他の精霊術と違い、炎術など生活の中での使い道は限られている。だからこそ、その限られた用途をオリバは示してくれたのだ。
クラムがルーニエに留まっているのはオリバがそういう男だったからだ。
「それで?わざわざここまで赴いたということは何かあるんだろう?」
「可能性として一番高い奴隷商が普段は中央にいるということだったので。確定情報待ちです」
「で?どうするつもりだ?」
「もちろん消しますよ。向こうが売ってきた喧嘩だ」
「程ほどにしておけよ。まあ、お前のことを面白く思っていない連中がいるのは確かだ。いっそのこと全部消し去ったほうがお前のためなのかもな」
「さすがにそれは・・・」
「冗談だ。だが仕掛けてきたからにはそれなりの準備が整っていると見るべきだろう。どんな手段で陥れようとしてくるか分からんが、その時には躊躇うな」
厳しい光が浮かぶ鋭い目―――オリバには起こりうる未来がおおよそ見えているのだろう。
「はい」
オリバは相好を崩すと侍女を呼び酒肴の準備を命じた。
「そういえばお前は勇者の話は聞いたか?」
「勇者?なんですそれは?」
「やはり知らんか。まあ、お前は興味なさそうな話だしな」
「なにか引っかかる言われようですね」
「フォトンのニルスは知っているか?」
「ニルス・・・ああ、あの凄腕の騎士とかいう」
シグネマの西、フォトンにはニルス=ハーマンという有名な騎士がいる。剣技と法術に優れたドラゴニアの法術騎士に匹敵する実力の持ち主で、対アガルタ戦においてかなりの戦果を挙げている。
「そのニルスなんだが、最近神の啓示を受けたとか言う話だ」
「神の啓示?」
「なんでも莫大な力を下されたとか。俺も実際に会ったわけじゃないからどの程度本当の話か分からん。だがお前にも匹敵する魔力を持っているというぞ?」
「はあ」
「なんだ、随分反応が薄いな」
「神の啓示とか信じてないので」
神なんて―――所詮は信仰という妄執の果てに存在するだけの虚構だ。
それはこの世界を創った一柱であるクラム自身が一番良く知っている。
「しかし実際にアガルタに向かって月の王を討つという話になっているそうだぞ?」
「月の王を?」
一人の王を種の存続に必要不可欠な存在とすることで争いを抑制する機構を取り入れた世界を創りたい―――創世の四柱の一柱、水の王『フォルテ』が主張し創造した世界、アガルタ。
その世界の柱である月の王を討ってしまえばアガルタは崩壊する。
それはシャングリラの崩壊にも直結しているというのに。
「愚かしい話だ」
少なくともシャングリラに生きる者もアガルタに生きる者も皆、互いの世界が互いの世界の存在に必要であることは知っているはずだ。にもかかわらずそのような発想になるなんて―――
「お前は反対なのだな」
「この世界は対の世界の上に存在している。それはご存知でしょう?」
「それは知っているが、アガルタの侵攻が止まらない以上、我々が生き残るためにも先手を打つのは妥当だと思うが」
アガルタが突如シャングリラに侵攻を始めたのは、月の王に何かが起こっているからだ。
世界が正常に運行している限りありえないはずだった月の王の異変。だからクラムには世界が終焉へと向かっていることを察知できた。
だが未だアガルタにはシャングリラに侵攻できるだけの力がある。それは世界の終焉がすぐには訪れないことの証左。
なのに月の王を討ってしまえば間を置かず世界の崩壊が始まるだろう。
「人は自身の領分を理解するべきだと思うのです。どれだけ強大な力を持ったところで人は所詮人でしかない」
それはクラム、『マルク』達地水火風、創世の四柱も何一つ変わらない真理だ。
「ならばアガルタのことは捨て置けと?」
「もっと議論を重ね方策を探すべきではないか、と言っているのです」
これ以上は伝えるべきではないだろう。
どんな選択であれ、この地に今生きる者たちが下した決断なのだ。
「時折お前の考えが全く読めなくなるよ」
「力は抑止力としてあればいい。そう仰ったのはあなたでしょう?」
「アガルタにそれが通用するか?」
「侵攻なんて年にわずか4回。合月の一日だけ。弱体化しているとはいえ抗魔結界がある以上アガルタが各国中心部まで侵攻することは不可能だ。何を恐れることがあります」
「それはそうだが・・・・」
「旦那様」
侍女が酒肴の準備を整えて持ってきた。
オリバは侍女が持ってきた酒をグラスに注ぐとクラムに手渡す。
「まあ、今日のところはゆっくり飲み交わそうじゃないか」
「そうですね」
互いのグラスを軽くぶつけるとそのまま翌朝まで飲み明かした。