火の王と少年
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かつてルーニエ南東、シナルアと挟まれる形で存在していた小国、ロクシル。
この地域にのみ生息する動植物及び虚無の砂漠より流れ出る『神水』を用いた製薬で潤っていた。
そのロクシル南東部、シナルア国境に面した地域にあった火の神を祀る神殿。
かつて『マルク』と呼ばれ今現在クラムであるものはそこに眠っていた。
創世以来、この世界に火の精霊を存在させるために“ただ存在し続ける”という義務を果たすだけの日々。
感情などとうに失い、『自分』というものがどういうものなのかすらあやふやになっていた。
神殿を管理する神官の一族とだけ関わることはあったが、神として存在し続ける自身と比べ人の一生は短く、正に瞬刻で、次から次へと入れ替わっていくことに最早なんの感慨を抱くこともなかった。
世界はただあるがまま、あるように流れていく―――刺激の無い退屈な祝詞を奏上されるだけの日々に、存在していながら虚無になるという状態で数千年という時を過ごしていた。
そんなある日―――
「マルク様。先日産まれた私達の子です。あなた様の加護があるようにとクラムと名付けました」
『マルク』を祀る祭壇の前にまだ若い神官の夫婦が赤子を連れてきた。
数千年ぶりに見る人の赤子―――神殿には神官位を得た者しか入ってはならないという掟があったからだ。
「あ~」
無邪気な赤子の小さな手が母親の腕を叩いていた。
それを見つめる神官夫婦の幸せそうな笑顔―――失っていた感情が湧きあがってくる、その満ち足りた感覚は今も覚えている。
「早く来いよ!!」
同年代の子供らを連れ野山を駆け回る快活な少年―――あの小さな赤子は順調に逞しく快活な少年へと育っていた。
クラムに出会ったあの日から、『マルク』は神殿を抜け出し、鳥の姿に変じて頻繁にクラムの様子を見に行っていた。小さな赤子が少しずつ大きくなり、快活な少年へと成長していく姿は数千年という退屈な時間を過ごした『マルク』にとって何よりの喜びだった。
ロクシルにおいて神官は特別な立場にあり、貴族とは違うものの、貴族相当位を持つ職だ。基本的には世襲制で神官の子供は神官になることが決められており、そのための教育を幼少の頃から受けさせられるのが普通だった。
クラムの父、シリルも神官としては異質な存在で、神官になると定められていながら己を鍛えることに専念し、ロクシル王都で行われた武術大会で優勝するほどの強者。
母アリアはロクシルでも高名な薬師の家系の出で、自らの足で野山を渡り歩いては様々な動植物の採取をし、そこからいくつもの新薬を開発し、ロクシルに莫大な利益を齎した功績者。
そんな二人の性質を継いだクラムは世界のあらゆる物に興味を持ち、野山を駆け回りながら多くの知識を蓄え、己を鍛え、里で人々と交流する―――神官の息子として崇められる立場にありながら民と同じ目線で世界を見ていた。
「クラム!!!」
「父上!!!」
「ま~たお前は泥まみれになって・・・」
そう言いながらも優しく微笑みながら大きな手でクラムの頭を撫でてやるシリル。
「ごめんなさい」
そんなシリルを見上げるクラムの眩しい笑顔。
毎日のように野山を駆け回るクラムはいつも埃や泥に塗れ擦り傷が絶えない。
「お前ももう12になる。そろそろ神官としての勉強もしないとな」
「私は父上のようになりたいのです!剣術を教えて頂けませんか!?」
シリルは苦笑すると
「教えてやっても良いが、勉強はきちんとしろよ?」
「はい!!」
親子の幸せそうなやり取り―――それを見ているだけで『マルク』は本当に幸せを実感できた。
アトランティアの因子を残すためだけにその『礎』としてこの世界を創造したはいいが所詮人は人だ。
互いに憎み、争い、奪いあう―――
世界を創造した4人の『礎』はその姿をみて全てを諦め感情を消し去り、世界の一部としてただ存在するだけになった。
だがそんな世界でも人は確かに想い合い、愛を育み、想いを繋いでいく。
ただの慰めに過ぎないにしても、その姿は『マルク』の乾いた心に潤いを齎してくれた。
クラムは神官としての修行を積みながら、シリルから剣技を学び、さらにアリアから製薬についても学んでいた。
そして15歳、神官としての修行が終わる頃には壮健さと聡明さを持ち合わせた立派な少年になっていた。
神官としての資格を得ることができるのは18歳。だがクラムはそれまで待つ時間が勿体無いと里に出ては積極的に人々の手助けをして回っていた。
屈強な肉体を生かした力仕事から、アリア直伝の製薬技術で病人を救って見せたりと常に忙しく動き回り里の人々に笑顔を齎していた。
そして―――
クラムが17歳となったその翌日、突然に始まったルーニエによるロクシル侵攻。
すでに圧倒的強国だったルーニエに抗う術などなく、ロクシルは瞬く間に王都まで制圧されてしまった。
神殿のある里にまで侵攻してきたルーニエ軍は、交渉に出てきた神官を皆殺しにした。その先頭に立っていたシリルもまた―――
「母上!!お逃げください!!」
「でも・・・」
「里の者たちがシナルアへと向かっております。母上も同行してシナルアへと避難を」
「あなたはどうするの!?」
クラムはシリルの愛刀を手にすると
「皆が逃げ切る時間を稼ぎます。――――母上」
クラムはアリアの頬に手を沿えると
「里の皆を頼みます。母上なら安全な抜け道もご存知でしょう?」
「―――分かったわ」
「あなたの息子に生まれて本当に良かった」
クラムの言葉にアリアはクラムを強く抱きしめた。
一人でも多くの里人をシナルアへ逃がす―――
里の中まで侵入してきたルーニエ軍を相手にクラムは正に鬼神のごとき戦いを見せた。
矢を受け、腕を裂かれても止まる事のない圧倒的な気迫にルーニエ軍はその侵攻速度を落とした。
力を貸すべきか―――神である自身ならばこの場にいるルーニエ兵全てを消滅させることも出来る。
だが、創世神として人の世の営みに関わってはならない―――それが原則だ。
それでも―――クラムを失いたくなかった。まるでわが子のように想い続けてきた少年を護りたかった。
ならばせめてこれくらいのことなら―――
里人がシナルア領内へと避難する道中、アリアの進む道を照らし、追いすがろうとするルーニエ兵の足を炎で止め、人々が逃げ延びたことを確めると、クラムを逃がすために里に舞い戻りクラムの周囲を炎で囲った。
「マルク様!?」
まだ神官位を得る儀式を受けていないクラムには言葉を伝えられない。
ただ逃げて欲しかった。
『マルク』がルーニエ兵を威嚇するように炎を煽ると、クラムは神殿のほうへと逃げ出した。満身創痍―――その遅い歩みにルーニエ兵を追いつかせまいとひたすら威嚇し続け、一刻ほど足止めしてからクラムを追った。
だが―――
神殿の奥。祭壇の前へと続く血の跡のその先―――初めて会ったその場所に倒れている血塗れのクラム。
開かれたままのその瞳にはすでに光がなく、逞しさに溢れた肉体も熱を失いつつあった。
救えなかった―――
魂だけの存在になり、落ちるはずのない涙が溢れていく様な気がした。
苦しい。
哀しい。
消えてしまいたい―――
たった一人の少年すら救えない神に、存在意義などありはしない。
熱を失ったクラムの肉体に入り込むと、神気を以ってその肉体に息吹を与える。
『マルク』という存在のすべてを少年の肉体へと移すと、クラムの肉体は再び活動を始めた。
数千年ぶりの人の肉体の感覚―――満身創痍のその肉体から伝わってくる痛みの全てが苦しくて仕方がなかった。
溢れ零れ落ちる涙―――その熱さがここに命があるのだと、主張していた。
あれから20年近くが経つ。
残っていたクラムの思念と、神である自身の思念が混ざり合ってしまい、今は感じる想いがどちらのものなのかすら分からなくなってしまっていた。