ハンガ帰還
※
「あれがハンガだ」
緑の大海の中に浮かぶ島のように見えるハンガはまだ小さい。
あまり使った事のない西の街道。周囲をぐるっと丘陵に囲まれたハンガだが、ここが最も高くしかも真っ直ぐに下っていくためかなりの距離から視認出来る。
「あれが?城砦じゃないか」
「元城砦だ。シナルア攻略の拠点だったそうだ」
「へぇ~」
眼下を見渡すソウガの瞳は輝いている。
見た目は厳ついのだが中身はまだ少年だ。見るもの聞くものすべてが新しく珍しいのだろう。
「早く行こうぜ」
「分かったわかった」
今にも走り出しそうなソウガをなだめながらクラムは荷物を背負い直す。
その若さの持つ輝きに笑みが漏れてしまう。
全てを諦め泣いたあの日のソウガとはまったく違う。
そのままハンガについての話をしながらしばらく下っていると警邏の部隊が近づいてきた。
「クラム様!?」
先頭に立っていたのはハスマだ。警衛の中堅といったところで特に秀でた才は持たないが真面目で鍛錬にも余念がない。
「おぉ、久しぶりだな」
「お戻りになられるなら一報入れて頂ければお迎えにあがりましたのに」
「そういうのは性分じゃない。どうだ?皆息災か?」
「はい。その・・・・」
チラッとソウガを見るハスマ。
「おお、紹介しよう。クウガの弟のソウガだ」
「クウガの!?」
「クウガより役に立ちそうなんでな、俺が引き取った。これから俺の仕事を手伝わせるからよろしく頼む」
「分かりました。それで・・・陛下のことなんですが」
「陛下の?」
「その・・・我々と同じように鍛錬なされているんですが・・・よろしいので?」
「ん?まだいらっしゃるのか?」
と訊くとハスマは頷いた。
クラムがファルニエを出てすでに一月半が経つ。騒動がまだ終息していないとは思えない。
「ローグ様は中央にお戻りになられたのですが・・・」
「俺にも詳しい事情は分からん。陛下は今どちらに?」
「南の広場だと思います」
「分かった」
ハスマたちと別れてクラムはハンガへと急ぐ。
「なあ、へいかって?」
併走するソウガが首を捻る。
「陛下ってもなにも国王陛下だ。他に誰がいる」
「国王!?なんでそんなお偉いさんが!?」
「お前な、俺は特級魔導師だと言っただろ?伯爵相当位、貴族階級でも一番上の位だぞ」
「へ~そうなんだ。偉そうにしてないから偉くないんだと思ってた」
「出自は知っての通りだからな。成り行きで今の立場にいるだけで特に今の立場に執着があるわけでなし」
「みんながあんたみたいだったら良いのにな」
「そう言うわけにはいかんさ。身分制があるからこそ秩序が維持できるんだ。何もなかったら人は秩序を保てない。そういう生き物だからな」
ソウガはクラムの言葉を理解できなかったのかきょとんとしたままだ。
ハンガの街に駆け込むとすぐに
「クラム様!」
と声がかかった。
見ると浅黒い肌の男が手を振っている。
シンラだ―――だが髭をそり、髪も綺麗に刈り上げてすっかり印象が変わってしまっていた。
「陛下!なぜまだここに?」
シンラは汗を拭きながらクラムに駆け寄ると
「お久しぶりです。王宮での一件では誠にありがとうございました」
「それはいいんですが・・・なぜまだここにいらっしゃるんですか?兵と鍛錬をなされていると聞きましたが」
上半身裸のシンラはすっかり鍛え上げられて身体が一回り大きくなっている。舞踊を生業にしていた一族の出身であったシンラは舞踊に適したしなやかな筋肉質の身体の持ち主だったが、周囲の兵に負けず劣らずがっしりした体つきになっていた。
「私自身がもっと強くならねばならないと痛感したのでここで当面修行させてもらえるようローグ様を通じてオリバ様にお願いしたんです。ここなら安全なので構わないとお許しをいただきました」
「しかし政務のほうはどうなさるんです?」
「まだ元老院議員の数が揃っておりませんし、揃えるのに向こう一年はかかりそうだということでそれまでという期限付きですよ。実務のほうは私の決済が必要なものはここに持ってきてもらえるように手配しています。ファルニエから早馬で一日ですから」
オリバが許可を出したというなら問題は無いのだろう。とはいえ王が長期間王都を空けるという事態は色々と勘ぐってくる者が出てくるはずだ。
「ありゃ、クラム様。いつお戻りに?」
シンラの向こうからゆっくり歩いてきた影。ワッセだ。
「ついさっきだ。お前が陛下のお相手を?」
ワッセも同じように上半身裸でかなり汗にぬれている。
「いや~、陛下はお強いですよ。見た目以上に腕力はあるし剣の腕もかなりのもんだ。あの動きについていける奴はそうはいないと思いますよ」
「そんなことはありませんよ。私の剣は我流ですし一度でも手合わせすればもう先を読まれてしまいますから」
シンラの剣が我流である理由は師範がいなかったからだ。
舞踊の動きを基にした複雑な動きが特徴で、シンラの柔軟な身体があって初めてその威力を発揮する特殊なものなのだ。
「まあ、陛下がそれでよろしいのでしたら構いませんが・・・」
雰囲気からしてシンラはすっかり部隊に溶け込んでいるようだ。
「ところでそっちのデカイのは?」
「クウガの弟のソウガだ。俺が引き取ることにした」
「あぁ~これが噂の。初めまして。俺はこのハンガの警衛部隊隊長のワッセだ」
ワッセが差し出した手を受けたソウガは
「初めまして」
としっかり握り返す。
やはりほぼ同じ体格。ワッセのほうが熟練した雰囲気はあるが実力としては大差あるまい。
「ソウガというと・・・・あの時の試合の・・・」
シンラが思い出したようにつぶやく。
「そうです。アシュレイと対戦していました」
「おお!あの!!よく生きていたものだ」
「あの・・・初めまして・・・」
目上だと分かっている者に対しては萎縮してしまうようで突然もじもじし始めたソウガに。
「壮健で何よりだ。そなたクウガの弟なのだろう?」
「陛下、そのことは・・・」
クラムが口を挟むと
「どうかしましたか?」
と首を捻るシンラ。
「ワッセ、ソウガはしばらくお前のところに預ける。面倒を見てやってくれ」
「了解しました」
とワッセがソウガを連れて行ったのを見計らってシンラにソウガのこれまでの経緯を話した。
「そういうことか・・・だがムリもないな」
「なのであまりそのことを・・・」
「分かりましたが・・・どうなさるおつもりですか?」
「一度盛大に殴りあってもらおうかと。ソウガも根は素直ですからそれで溜飲を下げてくれるでしょう」
「そうですね。それしか解決方法はありませんか」
頷いたシンラは
「それにしてもクラム様にはどれだけ感謝をしてもし足りませんね」
「構いませんよ。いずれは一掃せねばならなかったでしょうし。きっかけ自体は私が作ったようなものですから」
「いつかは必ずお礼を・・・」
「お礼というならあなたがあなたの人生をきっちり全うしてください。私にとって重要なことはそれだけですよ」
「クラム様・・・」
クラムはシンラの肩を叩くと
「今晩は心ゆくまで飲み明かしましょう。一度あなたとサシで飲んでみたかったんです」
「分かりました。お相手しますよ」
シンラは白い歯をこぼしてさわやかに笑う。
「では早速準備をさせないと。陛下は詰め所に寄りますか?」
「一応」
「ではご一緒に」
クラムはシンラの背を押す。
歩きながらシンラはハンガに来ての出来事を語ってくれた。
ありふれた日常に興奮するシンラに、今回の出来事もシンラの成長に一役買ったのだと、そう思うことにした。
※
「クラムが?」
「ああ、お戻りになられたそうだ。今詰め所だろう」
その一報を聞いて居ても立っても居られなくなったクウガは屋敷を飛び出した。
そのまま詰め所のほうに向かうと正面からシンラをつれたクラムが歩いてくる。
「クラム!!」
クウガの声に片手を挙げたクラムは何も変わっていない。
飄々とした雰囲気、がっしりした肩の線―――
そのまま駆け寄っていくと突然クラムの背後にいた大男が前に出てクウガを真正面から殴り飛ばした。
「ごがっっ!!!」
カウンター気味に入った一撃で吹っ飛んだクウガ。
仰向けに倒れ、起きようとするが身体が言うことを聞かない。
冷たくクウガを見下ろす男にクラムは
「こらこら。場はまた別に設けてやるから今は大人しくしてろ」
となだめて
「大丈夫か?」
とクウガに手を伸ばした。
「く・・・・」
手をとろうとするがまったく腕が動かない。
「ダメか。ソウガ、お前がやったんだからお前が運べよ」
「なんで!?」
「自分のやったことは自分で責任を取る。当たり前だろ」
ソウガと呼ばれた男はしぶしぶといった感じでクウガを引き起こすと肩に担いだ。
ソウガ?これがソウガなのか?
クウガの記憶の中にある弟はとても小さく愛らしかった。あれから13年経っているのだからすっかり変わっていて当然なのだが、幼い頃の印象がどうしても抜けない。
担がれたまま屋敷まで戻ったクウガに小さく悲鳴を挙げたのはリズだった。
「おお、リズ。今戻った」
ソウガが前に立っていたためクラムに気付かなかったのだろう。
リズは慌てて
「お、お帰りなさいませ」
と礼をとると
「あの・・・クウガは・・・」
「ちょっと色々あってな。トウカを呼んでくれるか。ソウガ、お前はこの娘についていってクウガを部屋に投げて来い」
「分かりました」
リズはクウガを気に掛けながらも屋敷に入るとソウガもそれを追った。
「あ、トウカ!!クラム様が!!!」
トウカは慌しそうに部屋を出入りしているところを見るとクラムを迎える準備をしていたのだろう。
「クラム様がお呼びなんだけど・・・・」
「分かったわ」
務めて冷静さを装っているが嬉しいのが伝わってくる。
トウカが屋敷を出て行くとリズはクウガの部屋に向かった。
「ここにお願いします」
リズがベッドを指すとソウガはクウガを投げ捨てた。
「ちょっと!!」
リズが挙げた抗議の声を冷たい視線で一蹴したソウガはそのまま部屋を出て行った。
「大丈夫?」
腫れあがったクウガの頬をそっと撫でるリズに
「ああ・・・」
と答えるのが精一杯のクウガ。
「なにがあったの?」
「まあちょっと・・・」
弟に殴られたなどと言える筈もなく
「悪いが一人にしてくれるか?」
リズを追い出して目を閉じる。
あれがソウガ―――ワッセに比肩する体格に鋭い眼光。
まだ17、8のはずだが、歴戦の勇士そのものといった風貌だ。
「くっ!」
ふらつきを抑えながらなんとか体を起こすとクラムが入ってきた。
「おぉ、大丈夫か?」
手に持っていた布に水袋の水をかけると腫れあがっている頬に当ててくれる。
熱を持った頬に心地よく沁みる冷たさ。
「すまんな。止める間もなかった」
「その・・・・あれがソウガなのか?」
「そうだ。かなり厳ついが紛れもなくお前の弟だ」
「そっか・・・」
クラムは布をクウガに渡し自分で押さえる様に告げるとクウガの横に座った。
「とりあえず久しぶりだな。息災なようで何よりだ」
「クラムこそ何も変わらないな」
「リムル殿を随分喜ばせてくれてたようじゃないか」
「酷い目に遭ったよ。おかげで全身痣だらけだ」
「だがそのおかげでここが騒乱に巻き込まれずに済んだんだ。感謝してるぞ」
「そんな・・・感謝なんて別に・・・」
「だがお前にはもう一踏ん張りしてもらわにゃならん。ソウガと一勝負してやってくれ」
「俺が?」
「そうだ。ソウガはお前が対戦の前に逃げ出したことでかなりお前のことを恨んでいる。お前が逃げた見せしめとして闘技場の真ん中で鞭で打たれたそうだ」
「そんな・・・」
そんなつもりで逃げたわけではなかった。ただソウガと対戦するのが苦しかっただけだ。
だがそれが結局ソウガを苦しめた。恨まれるのは仕方がない。
「剣を使わせるわけにはいかんが、全力で相手をしてやれ。それがお前の罪滅ぼしだ」
「・・・分かった」
どんな理由であれクウガが課せられた義務から逃げ出した結果ソウガが理不尽な責め苦を受けたのは事実だ。「よし、ソウガはしばらくはワッセに預ける。ここに置いておくとお前にもソウガにも良くなさそうなんでな。お前はしっかり鍛錬しとけよ。あいつは強いぞ」
クラムの言葉に胸がもやもやして何とも言えない気持ちになる。
「俺は・・・」
俺だって鍛錬を続けている。もう弱いままの自分ではないのだ。
そう主張しようとしたが自然と声がしぼんだ。
「さて、それじゃ俺は一休みさせてもらうかな。お前はリムル殿の相手を頼むぞ」
「でも・・・・この面じゃ・・・」
殴られた頬はまだ大きく膨れ上がっている。
「一刻もすれば引くさ。そいつは水じゃなくて薬だからな」
立ち上がったクラムはクウガの頭を軽く叩くと部屋を出て行った。
「拳闘で良いのじゃないかしら」
というリムルの鶴の一声でソウガとの勝負内容は拳闘に決まった。
「そうだな。それなら条件も互角になるし」
とクラムも頷く。
ソウガの体格からするとクウガのほうが圧倒的に不利だと思うがクラムが頷いてしまった以上従うしかない。
ワッセに一方的にボコボコにされてから二月が経つ。
必死に鍛えてきた身体は以前に比べ一回りは大きくなったつもりだ。
だがそんなクウガよりもソウガは一回り大きい。
勝負の日まで10日。その間に出来る限り技術を身につけるしかない。
ワッセだと実力に差がありすぎて訓練にならなのでハスマに頼むとあっさり了承された。
ハスマもナタルに負けて以来、更なる鍛錬を積んで見事な肉体になっている。その上シンラから直接シンラ特有の武術を教わりワッセに続く実力者だという。
「よし、まずは基本からだな」
上半身裸になった二人は二月前からそのままになっている囲いに入ると向き合った。
手には布の中に分厚く綿を入れて巻き付け、怪我はしないようにしてある。
ハスマはクウガの足下に丸を書くと
「とりあえず打ち込んで来い。俺の動き、キチンと見とけよ」
言われたとおりに構えてハスマに打ち込む。
だがハスマはギリギリで拳を躱すとクラムの脇腹に一撃を入れた。
「どんどん打って来い」
ハスマの顔面を狙って打ち込んでいくがすべてギリギリで躱され反撃の一撃を食らう。
「はあ、はあ」
やがて汗が滴り始め、呼吸が苦しくなってきた。
「なんとなくは分かったろ?」
「う~ん、本当になんとなくだな。要は相手の出方次第ってことだろ?」
「真正面から打ち合うんじゃなくて避けながら攻めるんだ。足下見てみろよ」
見ると足下にあったはずの丸が随分離れた場所にあった。
「俺が避けた分、追撃しようと追いかけてくるだろ?。こうやって相手の持久力を奪うんだ。こっちは最初から分かってて動いてるが、攻撃してくるほうは知らず知らずのうちに動かされてるから消耗が早くなる。出来る限り同じ方向に、円を描くように避けるのがコツだな」
「そういうことか」
「お前なら動体視力も良いし、十分やれるはずだ。本当なら陛下に直接伺ったほうが良いんだが即興じゃ高が知れてるしな」
「そんな畏れ多い真似出来ねぇよ」
「そうか?あんなに気さくな方なのに」
確かにシンラは物腰は低く、一兵卒に過ぎないワッセたちにも敬意を払ってくれる。
だからといって国王であるという事実は変わらないのだ。
それにクウガにはシンラに対する苦手意識があった。それが何に起因するものなのかはさっぱり分からないのだが、面と向かうと怖気づいてしまう。
「ま、とにかく今は一連の動きを覚えようぜ」
頷いたクウガは汗を拭うとハスマに向かっていった。