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剣奴と炎術師

初投稿になります。

剣奴と炎術師の物語ですが、剣闘士という立場上、残酷な描写は避けられません。

今後投稿するものは徐々にその色合いが強くなっていきますので苦手な方はご注意ください。

また、直截な表現は皆無ですが男性同士の同性愛を連想させる部分はありますのでお気をつけくださいますようお願いいたします。

「ん?行き倒れか。こんなとこで珍しいな」

川べりの小道に倒れている男。ボロボロの服が裂けて血が滲んでいるのが見える。

「狼にでもやられたか。このへんにはあまりおらんはずだがな」

クラムは男の脇にしゃがみこむと服の中を漁り始めた。泥に塗れたその顔はまだ若い―――

「やっぱなんもねぇな~」

諦めて立ち上がろうとしたその時、男の身体が動いた。

「なんだ、生きてんのかこいつ。しゃーねーな」

クラムは男の身体を担ぎあげると山道を下っていった。



「ここは・・・」

クウガが目を覚ますと目に映ったのは知らない天井―――闘技場の粗末な石造りの部屋ではなく、木組みで意匠を施した落ち着いたものだ。

寝ているベッドは綺麗に整えられ、身体のいたるところにあった傷もすべて手当されている。

いったい何がどうなっているのか―――


クウガは虚無の砂漠の西方、砂漠とルーニエの間に挟まれた小国の王子だった。国の名はハルム。ドラゴニア、ルーニエ、シナルア、ラナサントという大国の隙間に存在する小国のうちの一つだった。しかし小国とはいえ、それが維持できるのには理由がある。虚無の砂漠近辺には多くの宝石鉱山があり、そこから得られる恵みで大変潤っていたからだ。

だが―――クウガが9歳の頃、ルーニエが突如国へと攻め込んできた。理由は分からない。当時、隣接するルーニエとの関係は密で、特に問題があったという話はない。大国に攻め込まれた国はあっという間に滅び、父母は処刑され、クウガと弟のソウガは奴隷商へと売り飛ばされた。そして―――

剣闘士として養成所に放り込まれたクウガは生き延びるために過酷な訓練に耐え、多くの男を斬り倒し、自身も幾度となく生死の境を乗り越えてここまで生きてきた。ただ一人、血を分けた弟にもう一度会うため。それなのに―――


「中央での試合ですか?」

「そうだ。お前もこれで花形になれるぞ」

訓練所の一室―――昼下がりの光が射し込む部屋で主である奴隷商に言い渡された。

ユマ=オ=イル。奴隷商でありながら王国元老院に太いパイプを持っていると噂されるやり手の人物。奴隷商であるということは元々軍と蜜月関係にあるということだが、ユマはそのさらに上層部との縁が深いのだという。

奴隷商であるにもかかわらず、剣闘士のような肉体を持ち、まるで獲物を狙う猛禽のような鋭い眼光が印象的だ。真偽の程は定かでは無いが、王国が擁するといわれている諜報機関、『アガペ』に所属しているのではないかと噂されていた。

「お前もかなり名が売れてきたからな。中央では御前試合になる。上手く行けば奴隷から解放されるやも知れんぞ」

ルーニエにおいて奴隷身分の者が一般人になるための方法はひとつだけ。金持ちに買われることだ。奴隷の所有は奴隷商にしか認められていないため、奴隷商以外の者が所有すると身分上は一般人となる。

だが、それは身分上の話で実際には奴隷であることに変わりはない。

「俺の戦績では・・・」

「客受けがいい剣闘士ってのは実力に加えて見た目も必要だ。お前は見た目は申し分ないし、実力も生き残る分には十分だろう。生き残りさえすればチャンスはある」

「相手は?」

「詳しいことは俺もまだ聞いてない。今回の主催はラジムの奴だからな」

ラジムは奴隷商の中でも特に悪名高い男だ。

奴隷商にとって奴隷は商品であるために、ユマをはじめとした奴隷商の多くは奴隷を無為に虐げたりはしない。上流階級の使用人として多くの奴隷が働いているが、彼らの所有権はあくまで奴隷商側にあり、貸し出しという形で送り込まれている。つまり利益を生み出す大切な駒なのだ。

だがラジムは奴隷を使い捨ての駒としてしか考えていないらしく、女ならば犯し、男ならば積極的に過酷な環境に送り込んでいるという。

ユマに所有されている奴隷の多くは奴隷同士で婚姻し、老いて一生を終えるものが多い。生まれてきた子は奴隷として扱われることになるが、これも将来的な利益を生み出すものと考えているようで子を生んだ奴隷にはそれなりの褒賞を与えていた。

「あいつもそろそろ国王への拝謁許可が欲しいんだろ。剣闘士の興行を成功させれば点数は高いからな」

ユマは奴隷商では数少ない国王への拝謁許可を持っている。何かあれば直接奏上が出来るのだからラジムは喉から手が出るほど欲しいものだろう。

「あいつのとこにはまともな剣闘士はいないからな。余所から集めているようだが、俺のところまで話があるとは思って無かったよ。まあ、あいつに恩を売っておいて損はない。お前にとっても奴隷から解放されるいいチャンスだ。頑張って来い」

とユマに送り出されて三日後、移送の兵士から聞かされたのは、対戦相手が弟のソウガという話だった。

「本当ですか!?」

「亡国の王子兄弟の対決ってんでかなり盛り上がってるらしいぞ?ソウガって剣闘士、かなり強いんだってな。お前、弟に殺されないように精々頑張るこった」

ソウガが剣闘士―――別々の奴隷商に売り飛ばされ、ずっとどうしているのか気になっていた弟が自分と同じように命のやり取りを乗り越えて生きていた。

ソウガが生きていた―――純粋な嬉しさと、これから殺しあうのだという恐怖がクウガを襲う。そして―――クウガは兵士の隙を突いて襲い掛かり小刀を奪い取ると逃げ出した。

途中、通りがかった農民を襲い服を奪い取ると、ひたすら南方へと向かった。南方に進めばかつてのシナルア領。国境には対アガルタ用の結界が張ってあるというが、人間には全く関係ないので通り抜けることは可能だという。

途中、奴隷逃亡の報を受けた兵士から追われ、矢を受けてしまったが何とか逃げ切るとさらなる追っ手から逃れるために深山へと踏み込んでいった。

だが―――まったく土地勘のない場所で深い霧に巻かれ、矢傷と疲労で動けなくなってしまった。


助かったのだろうか―――そんなことに思いを巡らせていると、かちゃっと扉が開き、男が入ってきた。

身なりは至って普通でやや小太りの、目つきの悪い男だった。

「お、起きたか」

目つきは悪いが笑うと人好きのしそうな笑顔。

「さすがは剣闘士だな。体力が違う」

剣闘士と言われ正体を知られていることを悟ったクウガは身構えたが

「そう警戒するな。ここはお前さんが元いた公領ジグからはるか西のハンガって街だ。逃亡奴隷ってことで手配書は回ってきてるが突き出すつもりはねぇよ」

男の狙いが分からず警戒したまま

「何が狙いだ」

と訊くと

「狙いも何もただの奴隷のお前さんにどれだけの価値があるってんだ?俺は遠出中に偶然倒れているあんたを見つけた。なんか持ってねぇかと漁ってみたが何も持ってねぇ。死んでりゃそのまま放置するが、あんたは生きてた。生きてる奴を放置するのはさすがの俺でもなけなしの良心が痛むんでな。連れ帰って見りゃあ、手配書が回ってる。とはいえ遠路はるばる担いできたってのに役所に突き出すのも勿体ねぇ。剣闘士だっつーし、体力はあるだろう?俺の仕事を手伝わせるには丁度いい」

「仕事?」

「ちょいとワケありでな。普通の奴には手伝わされん。で、今までは全部自分でやってたんだが、逃亡中の奴隷ってんなら迂闊は踏めまい。どうだ?俺の仕事を手伝わねぇか?」

男の話が何処まで真実か―――だが手負いなうえに素性を知られているとなるとそれこそ迂闊を踏むわけには行かない。

「分かった」

今は最大限利用させてもらおう。隙を見て逃げ出せばいいのだ。

「よっしゃ。とりあえずさっさと怪我を治せ。仕事はそれからだ。後、これ飲んどけよ」

と男は薬瓶を出してクウガに手渡す。

「トコショの秘薬だ。剣闘士なら飲んだことあるだろ」

トコショの秘薬は飲み薬なのだが止血と傷口の再生に高い効果がある薬だ。だがあまりにも効果が激烈なため、普通の者が飲むと死ぬことがある。兵士や剣闘士のように十分な体力がある者以外の摂取は禁止されていた。

「あんた軍の人間か?」

この薬を持っているということはそういう立場にあるということだ。奴隷商も軍とは密接な関係にある。

「いや、仕事を頼まれることは多いが、軍属ではないな。ま、お得意さんってところだ」

男は手を差し出すと

「俺はクラムだ。よろしくな」

「クウガだ」

手を取り握手を交わすと男はニカッと笑い

「これで契約成立だな」

と告げた。



「シルム、あの男の世話は任せるぞ」

早朝、クラムは拾って帰った男を下女のシルムに任せると研究室に入っていった。

書物や薬、様々な鉱石が雑多に積んであるその部屋の中央には床が一段高くなった場所がある。魔法儀式を行うためのスペースだが、今は布団が敷かれ、クラムの仮眠スペースとなっている。

それなりには鍛えているとはいえさすがに8里も離れた里から男を一人担いで帰るのは堪えた。睡眠薬を飲んで一眠りするとすでに昼過ぎだった。

身体を伸ばして部屋を出ると丁度シルムが外から帰ってきたところだった。

「あの男はどうした?」

「全身を拭いて手当てまでは済ませました。あのクラム様・・・」

「なんだ?」

「これを・・・」

そういってシルムが差し出した一枚の紙。

「クウガ。22歳。背丈は6尺で髪は濃茶で目は濃緑。浅黒い肌の剣闘士か・・・・」

逃亡奴隷の手配書。手書きの人相書きなどあてにはならないが、特徴はものの見事に一致する。しっかりと鍛えられた体つきや無数の傷痕からしても剣闘士で間違いないだろう。

「逃亡奴隷か。逃げ出したのはルミウム近郊―――拾ったのはサハルの森だぞ。随分歩いたもんだな」

ルミウムからサハルの森までは30里以上ある。

「いかがなさいますか?」

「折角拾ったんだ。わざわざ引き渡す必要もあるまいよ。警衛には俺から話を通しておくよ。衰弱しきっているし、お前達に危害を加えるだけの体力はあるまい。一応、ある程度回復したら俺が面倒見る。それまでは任せる」

「はい」

頷いたシルムはそのまま台所へと入っていった。

「さて」

クラムは屋敷を出ると街の北方の警衛詰め所へと向かった。


「お疲れ様です!」

門衛の若い兵士の敬礼を受けて中に入ると

「あれ?クラム様。今日は何かございましたか?」

と文官のエドがきょとんとした顔で応対に出た。

「ワッセはいるか?」

「隊長でしたら、丁度見回りで外に出ていますが。呼び戻しましょうか?」

「いや、しばらく待たせてもらおう」

クラムは近くの椅子を引き寄せると窓際に引っ張っていき窓の前に陣取った。

「クラム様。来月の侵攻には出向かれるのですか?」

「要請は来てないな。この時期に来てないってことは不要なんだろ」

「どうでしょうね?ここしばらくアガルタの攻勢が激しいと噂を聞きましたが」

「出向く必要がないならそれで良いさ。なんせここは全く関係ない場所だからな」

この街、ハンガはルーニエの南西、シナルアとの国境に程近い場所に位置する街だ。アガルタはルーニエ東方、虚無の砂漠から侵攻してくるのでこの町がアガルタの脅威に晒される事はまずない。

「そういえばお前は剣闘士には詳しいか?」

「剣闘士ですか?ああいうのは上流階級の嗜みでしょう?我々のような一兵卒には関係ありませんよ」

剣闘―――ルーニエが攻め滅ぼした国の人々を奴隷とし、素養のありそうな者を剣闘士として選別し育成し、殺し合いを楽しむという、クラムには到底理解できない感性をもつ人々が熱狂している。

賭けとしても成立しており、かなりの額が裏で動くという。

王都以外にも主な都市には競技場が存在しており、国外からも見に来るものが多いと聞いていた。

「どうしたんです?剣闘士に興味でも?」

「手配書が回ってるだろ?」

「ああ、そういえば来てましたね。哀れなもんですよ。噂じゃ元王族らしいじゃないですか」

「王族?」

「虚無の砂漠の傍にあった王国の王子だったらしいですよ?それが今じゃ奴隷になって殺し合いをさせられてるとかね。なんでも中央で行われる試合に出る予定だったらしいですが、対戦相手が弟だとかで逃げ出したって。兄弟で殺し合いさせようとか、上の人間はえげつないですよ」

「なるほど・・・」

兄弟で殺し合い。確かにあの下劣な連中が歓喜しそうな組み合わせだ。

「あ、隊長戻ってきましたね。呼んできます」

と駆け出していったエドを見送り、窓の外を眺める。

「奴隷か・・・」

奴隷制度があるのはルーニエだけ。ルーニエ以外で広く信奉されているナバル教は奴隷制度を禁止しているからだ。

だが、他国の場合は強制的に編入させた国々の人々を辺境民、と位置づけ本国民とは扱いに雲泥の差がある。奴隷ほどに権利を制限されはしないが、実際は奴隷のようなものだ。アガルタの侵攻があれば真っ先に駆り出されるのは辺境民の兵士達。中央の人々が前線まで出てくることはまずない。

例外はドラゴニアくらいのものだろう。ドラゴニアは辺境の反乱を防ぐために軍事力のすべてを中央に一度集め、本国民も辺境民も関係なく実力に応じて官位を与えて辺境に配置する。さらに1年程度で配置換えを行うことで軍と辺境が癒着することを防いでいた。

ルーニエは正反対だ。征服に際し恭順した国々を辺境民として扱い、辺境では中央から来た役人がやりたい放題。腐敗しきって辺境の民はひたすら圧政に苦しんでいる。それでも反乱が起きないのは奴隷制度があるからだ。自身より下の存在があるというだけで人々は「あれよりはマシ」と自分を納得させてしまう。

そこにあるのはただの誤魔化しでしかないのに、人々はそれに気付くこともない。

「馬鹿らしい」

と思わず呟きが漏れた。

「何がですか?」

頭上から声が降ってきたので見上げると、厳つい、としか表現の出来ない男が立っていた。

「なにもかもだよ」

「また、そんなすれたことを仰る。あなたがあまり厭世的だと兵の士気に問題があるんですが」

ワッセは苦笑すると椅子を引き寄せてクラムの前に座った。

「で、何の御用です?」

「回ってる手配書があるだろ」

「ああ、逃亡奴隷のですか」

「あれなんだがうちで保護してる。手配書をもみ消しといてくれ」

「また、どうしてそんなことに?」

「山奥で行き倒れてたんだ。生きてたんで保護してやったんだが、折角持ち帰ってきたのに他人に取られるのは気に食わん」

「分かりました。すぐに回収させます。領主はどうしますか?」

「気に入らないならかかって来いとでも伝えておいてくれ。俺の邪魔をするなら城ごと焼き払うってな」

ワッセは「ぶふっ」と噴出すと大笑いしながら

「まあ、実にあなたらしい。あなたなら県城の兵を全員出しても太刀打ちできませんし。『白炎』に逆らおうと思う奴なんていませんよ。伝えておきます」

「頼んだ」



薬を飲んで三日。傷も塞がりかなり体力も回復したのでベッドを降り、扉を押してみると鍵はかかっておらずすんなり開いた。

造りの良さ通りかなり立派な屋敷のようで開放された廊下の手すりの向こうは大きな吹き抜けになっていて階下が見渡せる。

「もう歩けんのか」

と声の方向を見るとクラムが食事の乗った盆を持って立っていた。

「ここにはあんただけか?」

「まさか。下女が10名ほどいるよ」

当然といえば当然だ。これだけの屋敷だと維持するのも大変だろう。

「さすがにあんたの世話をさせるのは危ないんでな。二階には立ち入らないように言ってある」

人のよい男なのかと思ったが表沙汰にできない仕事をやっているだけあって抜かりはない。

「俺があんたを人質に取るとは思わなかったのか?」

「いいぜ、やってみろよ」

男は薄ら笑いを浮かべたまま余裕を見せている。両手は塞がっているし何が出来るとも思えないが、あまりにも余裕なその雰囲気に躊躇わざるを得ない。

「とりあえず飯を食え。その後でいくらでも相手になってやっから」

食事を受け取ると

「飯を食ったら降りて来い。前庭で待ってろ」

とクラムは階下へ降りていった。

食事を取り、言われたとおりに前庭で待っていると木刀を二本持ってクラムが現れた。

「ほれ」

と投げ渡された木刀を受け取り構えて見せるが、クラムは木刀を構えようとはしない。

「良いのか?後悔するぞ」

「大丈夫、大丈夫。いいから来いって」

クラムの言葉を受けてクウガは一気に踏み込む。が――――

「なっ!!」

クウガの身体を凄まじい熱が包み込む。次の瞬間、木刀が火を噴きすぐさま炭化して消滅していった。

「熱ぃっっ!!」

すぐさま飛び退くが肌の表面がヒリヒリしている。

「これで分かったろ?俺に手を出すとどうなるか」

魔術師なのか―――いや、詠唱もなければ何かの道具を使った気配もない。

「あんた・・・いったい何者だ」

クウガの問いに口角を上げて見せたクラムは

「ただの魔術師だよ。ちょっとばかり火の精霊と相性が良いんでな。俺に対して害意が向けられると自動的に俺を護ってくれるんだ」

そんな―――そんな話聞いた事もない。精霊が自ら人を護るなど。

「まあ、そういうことなんで迂闊なことは考えんことだ。俺のほうから害意を持たない限り死ぬほどのことにはならんが、それでも万が一ということはあるからな」

この国にいる以上、逃亡奴隷として追われ続けることになる。今のクウガには逃げ切るだけの体力も手腕もない。ならば庇護してくれるというこの男の元にいるのが現状では最善だろう。

「分かった。あんたの仕事を手伝う。俺は何をすれば良い?」

「今のところは特にないな。女衆に出来ないような力仕事でもやってくれれば良い」

「良いのか?女を人質に取るかもしれないぞ」

「立場は自覚してくれたんだろ?警衛には話を通してあるし、県城にも圧力をかけてあるからこの辺じゃ逃亡奴隷として見咎められることは無いが俺の一言でお前は再び追われることになる。つーかその前に俺が仕留めるがな。俺の魔法の最大射程は4里だ。自動で追尾するから逃げることは出来んぞ」

射程4里の魔法―――到底信じられないが、すでに信じられない物を見せられている。信じるしかあるまい。

「分かったよ。降参だ」

「まあ、女衆に襲い掛かるのは構わんがな。お前さんくらいの奴なら女衆も嫌がるまい」

「襲い掛かるって・・・あんたの女なんじゃないのか?」

「下女を慰み者にするほど飢えてはないな。俺の女は娼館にいる」

「奥さんはいないのか?」

「仕事が仕事だからな。俺を面白く思ってない奴はそれなりにいるし、屋敷を空けていることも多いから」

弱みを握られないための細心の注意―――かなりやばい橋を渡っているようだ。

クラムが一つ手を叩くと、屋敷の脇から女が現れた。

「御用でしょうか?」

透き通るような白い肌の細面の美しい女―――ルーニエの人間ではあるまい。

「トウカ。こいつを雑用に使ってやってくれ。体力はあるから買い物でも庭仕事でも言いつけて構わん」

「かしこまりました。今の仕事を片付けてまいりますので少々お待ちください」

とまた屋敷の脇へと消えていった。

「あの女・・・この国の人間か?」

「いや、シナルアの女だ。シナルアの南東にあるハクリって地域の出身らしい」

「そんな遠いところからどうしてこんなところに・・・」

「両親が行商人だったらしい。こっちまで来たのは良いが、両親が病死して帰ることが出来なくなったそうだ。んで丁度下働きを探してたオレんとこに来たってわけだ」

異国の地でたった一人―――どれほど心細かっただろう。その気持ちはよく分かる。

「あいつがここの最古参だ。なんかあったらあいつに訊け」

とクラムはクウガを置いて木刀を肩に担ぐと屋敷へと入っていった。


「ちょっと!こんなことも覚えられないの!!」

クウガの耳を金切り声が貫く。

「その頭の中に詰まってるのは筋肉かしら?まったく、役に立たないんだから」

トウカはその清楚な見た目とは違い、気性のきつい女だった。そもそも家事の類を一切したことがないクウガにとって、与えられる仕事は初めてのことばかり。一度で覚えろというほうが無理がある。

「ここはいいから薪を割ってきてちょうだい。単純作業なんだからあんたみたいな筋肉馬鹿でも出来るでしょ」

と追い払われて屋敷の裏手に向かった。

屋敷の裏手に積み上げられた雑木を手に取りため息をついていると

「随分絞られているようだな」

と笑い含みの声が降ってきた。

「我ながら何もできないって痛感したよ。俺から闘いを取ったら何も残らないな」

「まあ、その辺は適当な女でも捕まえて世話してもらえ。お前にやってもらいたいのはそういうのじゃないからな」

「なあ、俺にさせたいことってなんなんだ?」

「材料の調達だよ。かなり特殊な合成鉱石が必要でな、それを作ることが出来るのがお前を拾ったサハルの森からさらに奥に進んだ場所にある里だけなんだ。その希少性から里の場所は極秘にされているし、許可がなければ入ることも出来ん。そういうわけでその鉱石を狙ってくる輩が多くてな、お前なら腕も立つし、訳ありだから俺から逃げることも出来ん。ま、そういうことだ」

希少な鉱石―――それを入手できるのは限られた者だけ。狙っている輩が多いということはこの屋敷が襲撃される可能性があるということだ。妻帯しない理由はそれか。

「そんなもん、何に使うんだ?」

「そいつを精錬して使えるようにするのが俺の仕事なんだよ。鉱石の効果を残したまま精錬するには火の精霊を使うしかない」

「そういうことか・・・」

火の精霊が自らの意思で護ろうとするほどに相性がいいのだ。精霊を必要とする仕事ならばこれほどの適任者はそういないだろう。

「事前にどれだけの鉱石が必要か伝えておく必要があるんだがわざわざ赴かにゃならんのでな。お前に行ってもらえると俺の手間が減る」

「次はいつになる」

「3月先だな。合成にはかなり時間がかかるし、今回は量も多く頼んであるからな。お前を拾ったのは頼みに行った帰りだったんだ。あの量をどうやって持ち帰るか悩んでたんで、丁度良かったよ」

「ってことはそれまではこの有様か・・・」

「そのくらい大した事ないだろ。剣闘士の訓練に比べりゃ」

確かに過酷さなら到底及ばないが、苦痛の種類が違う。肉体的な苦痛にはもう慣れた。だが女から侮蔑されるという精神的な苦痛はなかなかに耐え難いものだった。

「トウカは男嫌いだからお前への当たりも自然ときつくなってしまうが性根は優しい奴だ。実際女衆同士では信頼されてる。お前が“男”としての括りではなく“クウガ”という一人の人間として認識されるようになれば変わるさ」

男嫌い―――つまり男からそういう目に遭ってきたんだろう。身寄りもなく途方にくれている少女がいればそういう輩も寄ってくる。

だがトウカがクラムに見せる表情は柔らかい。クラムは主人として以上にクラムという人間として信頼しているのだろう。

「まあ、他の女衆にはお前のことが気になってる者も結構いるようだし、そっちで発散しとけ」

「俺を?」

「なんだお前、気付いてなかったのか?リズなんて露骨にお前のこと気にしてるが」

リズといえばこの屋敷で最年少の下女だ。何度か仕事のことを訊こうとしたのだが、近づくと逃げてしまって話が出来たことがない。

「あれはまだ男を知らんはずだ。どうだ?」

「どうだって言われても・・・良く知らないし・・・」

「お前、もしかして女とやったことないのか?」

頷いてみせると

「剣闘士ってのはある程度売れるようになったら手配してくれるもんだって聞いたがなぁ。まあいい。お前、金やるから今晩娼館に行ってこい。俺からの紹介だって言えばいい。手取り足取り教えてくれるぞ?」

「えっ!いいのか?」

「人間なんていつ死ぬか分からんからな。楽しめるうちに楽しんどくのが流儀だろ。とりあえず薪割りは全部終わらせろよ。トウカが激怒するからな」

「分かった」

俄然やる気を出したクウガにクラムは苦笑すると屋敷へと入っていった。



「これで全部ですね」

「ああ。これで多少はアガルタ対策も楽になる」

上等な身なりの初老の男―――ルーニエ東端にあるシグネマの領主、ウェン=エル=モルフの父、オリオ=エル=モルフだ。

「うちの領内でもこのくらいの錬度のマチス鋼が作れればいいんだがな」

「それではうちのお得意様がなくなってしまいますよ」

魔力を伝道する金属、マチス鋼。アガルタの強大な魔力に対抗するための武器や防具など、様々な用途に使われているが精錬のためには火の精霊を用いるしかない。しかし異なる元素を合成したアルマ鉱石から精錬するのは非常に難しく、熟練者でなければ魔力の伝導率が著しく低下した粗悪品しか精錬できない。実用レベルで精錬できる者は極僅かだった。

「君がうちの領内に来てくれれば万事解決だろう?」

「以前からお話しておりますとおり、私はこの地を離れる気はありませんよ」

「しかし・・・アガルタの攻勢も激しさを増してきている。にもかかわらず中央は何もしてはくれん。ドラゴニアの『黒の系譜』が助力してくれているから何とかなっているが、連中を雇うのも莫大な経費がかかってるんだ。特級魔導師である君が来てくれれば連中の力を借りる必要もなくなる。考えてもらえないか?」

「これまで通り、必要な時には伺いますよ」

「そうか。ではまたお願いしよう」

「道中、お気をつけて」

マチス鋼を乗せた荷車の周囲を屈強な兵が取り囲む。

オリオは軽く会釈を残して馬車に乗り込むと、車列が出発した。


マチス鋼は作ることが出来るものが限られるのだから希少な金属だ。その原料であるアルマ鉱石も産生できるのはルーニエに一箇所のみ。アルマの里だけだ。

周囲を深山に囲まれたその里の周囲には強固な結界が張られているため、許可を受けた者しか入ることが出来ない。さらに周囲の深山にはムウシという巨大な類人猿が群れを成しているため、特定のルート以外では近づくことすら不可能な場所になる。

マチス鋼自体は流通の全てを国によって管理され、許可を受けたものにしか売買が許されないものであるためにそのものを狙う者も多いが、当然入手できるような身分の者が護衛を連れていないわけがなく、襲撃したところで返り討ちに遭うのがオチだ。

そこでアルマ鉱石を狙うのだが、鉱石を入手したところで精錬できる者に当てがなければ宝の持ち腐れだ。だが精錬に関する情報は秘されているために、鉱石を入手できれば何とかなると思っている者は実に多かった。

クラムもこれまで何度となく襲撃を受けたが、どれだけ手加減してやって、事実を説明してやっても懲りないために、最近は襲撃を受けた時点で跡形なく消し去ることにしていた。

となると次に狙われるのはハンガの街だ。だがハンガは元々シナルア攻略のための前線基地として設けられた城砦で、規模に比して堅牢な城壁に護られ、駐留している警衛部隊も精鋭揃い。野盗ごときが手に負える相手ではなかった。

クラムがハンガから離れられない理由がここにある。アルマの里に近く、住民が少なく、設備が整っていて、仮に警衛部隊で手に負えないような連中が攻めて来ても被害を最小限に抑えることができる。

これだけの条件が整っている場所を他で探すのは難しいのだ。


クラムが自室に引き上げると外から楽しそうに会話する声が聴こえた。クウガとリズだ。

クウガは娼館にやって以来、女への抵抗感がなくなったようで女衆といい関係を築き始めていた。奴隷と辺境民という立場である以上、道行は決して平易なものでは無いがそれでも生まれてきた以上は人として全うな生を生きて欲しかった。


わずか17で生を終えてしまった本物のクラムのためにも。


クラムは軽く目を閉じると束の間、少年の来世を願い、迷いを振り払うように頭を振ると部屋の中央の布団を片付けて精錬の準備を始めた。

台の上に魔法陣を描き、マチス鋼で出来た盥をその上に置くと、その中に紅玉の原石を積み、軽く手を翳すと原石が真っ赤に熱せられ溶け始めた。それと同時に盥の周囲に描かれた魔法陣を起動させる。やがて完全に溶けて真っ赤になったそれをそのまましばらく微妙な調整を繰り返して加熱を続け、雑多な気配が失せたのを確めると冷却へと移った。

すぐに冷えて固まったそれは美しい紅色の瑠璃へと変化した。厚みは5分ほど、盥に合わせて丸く成型されたそれをクラムは取り出すと机の上に置いた。

クラムが定規を瑠璃の上に置き定規に沿って指を滑らせ軽く指で弾くと、まるで刃物で切ったかのようにスパッと真っ直ぐに切断された。

それを繰り返し一辺1寸ほどの四角形を大量に作り出すと、綺麗にまとめて箱に入れ引き出しへと仕舞った。

一連の作業を3度ほど繰り返し数百枚の切片を作り出すと、切片の一つに指を当て、目を閉じる。

するとただの赤い瑠璃の板に、突然紋章が浮き上がった。炎を模したであろうその紋章はわずかに発光している。

「ふうっ」

とため息をついて目を開けたクラムの瞳に同じ紋章が浮かび上がっていたがもう一度瞬きすると消えていた。

「残りは明日にするか」

ひとりごちたクラムは同じ体勢を続けて痛む腰を伸ばすと、トウカを呼び酒肴の準備を頼んだ。


Pixivに投稿済みで完結もしている作品です。

あちらはR指定や二次創作が主なサイトですのでこちらにも投稿してみようと考え今回の投稿になりました。

執筆技能の向上のためにも感想や意見、お待ちしております。

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