不器用な狐
元々は続き物としての構想を練っていた作品ですが、書き続ける力量も根気も無いので、キャラクターや展開について少し変な点などがあります。また、それゆえにこの話は途中までとなっており、盛り上がりはあまりありません。
そしてあらすじ(という名の言い訳)にも書いたとおり、この作品の主人公は本家主人公であるシロエの影響をかなり受けています。その上、テーマとなる部分は全体の2分の1もありません。
それでは、くれぐれもお気をつけてお読みください。
魅狐が目を開けると、画面の奥でしか見たことがないような木漏れ日が目に入った。
付きまとってくる酩酊感を振り払うように頭を振るうと、絹糸のように白い繊維状の何かがが視界を覆う。
(――あれ?)
魅狐は疑問を抱き、辺りを見回した。その行動を選択するほどには、目の前の光景は日常とかけ離れていた。
まず、目に付くのは緑。獲物に食らいつく蛇のようにビルを突き破って伸びる木々、打ち捨てられた車に群れを成すように生える苔、そしてその緑の宿主である朽ち果てた物の集団は、魅狐が暮らす六畳の部屋の窓からは、どう足掻いても見られないはずのモノだった。さらには部屋が南側に位置していたため、目を開けてすぐに日差しが差し込むという経験も、ここ最近はない。
「おいっ、なんだよコレっ!!」
「マジかよ、ふざけんなよ!」
「なんなのよ、どうしたっていうのよ……!」
そして、決定的に日常とこの状態を分断する、他者の存在。抜けるような晴天の中、頭を抱えては八つ当たりをするように喚き散らすそれは、視界に入るものだけを数えても百は下らない。
日常とはかけ離れていながら、そのあまりにも見慣れた光景。
(ああ、ここは――エルダー・テイルの世界なんだ)
そう考えて胸を撫で下ろすと、魅狐の視界は急速に普段の色を取り戻した。
〈エルダー・テイル〉。
実に20年もの歴史を誇り、ソーシャルゲームが跋扈するこの時代にあって今なお一定の人気を誇る、地球を舞台にした剣と魔法の老舗オンラインRPGである。魅狐の記憶が正しければ、今日は12番目の追加パックである〈ノウアスフィアの開墾〉が導入される日だった。
かつては大きなレイド集団に属していたが、その解散に伴って第一線を退いた魅狐は、最新コンテンツについては「まぁ誘われたら行くか」くらいの気持ちで構えていた。しかし解散して一つ季節が巡った頃には、そういった類の誘いは月に一、ニ回程度の頻度になっていたので、新しいクエストも何も発見されていない段階の今日は、ここ一年のマイブームである初心者プレイヤーとの触れ合いや、古い知り合いとのボイスチャットに時間を費やすつもりであったのだが――
「それがどうして、こんな事になっちゃったんでしょうね……」
そう呟かずにはいられなかった。
泣きはしない。喚きもしない。
どうしようもなく理不尽なことというのは、そうしたところで悪くなりこそすれ、絶対に好転することは無いのだ。
魅狐は自身の経験から、嫌というほどそのことを知っていた。
「ならまずは、私についての確認でしょうか」
頭に情報を流しこむべく頭を落ち着かせ、改めて自らの身体を見てみると、やはりというべきか考えた通りのモノがそこにはあった。
まず目に入るのは、視界の両端を覆う白い髪の束。両手を目の前に差し出せば、どこぞのイベント会場にでも迷い込んだかのような衣装が身体を包んでいるのがわかる。その手を頭頂部にやれば、狐のそれを模した二つの耳があり、背後に手をやると、しばらくも行かない内に九本の狐の尻尾に当たる。更に視線を下ろせば、通常ならまず見ることはないであろうサイズの胸部がその存在を激しく主張し、魅狐の視界を盛大に遮っていた。お陰で足元が見えない。
魅狐は思わず全身が熱く火照るのを感じた。
「…………」
オンラインゲームに限らず、アバターの造形に特にこだわる者は、その姿形に少なからず自らの理想を込める。格好良さ、可愛さ、美しさなど、本人の理想をそのもので満たす形もあれば、道化のように他者を笑わせる存在になることで、間接的に理想を実現する形もある。
だがそれらにほぼ共通して言えるのは、実際に自分がその格好をするのは躊躇われるということだ。
よほど肝が太いか、もしくは自分に実際に向けられる視線に関心が無いのでなければ、露出過多で防御力の欠片も見いだせないような防具や、きらびやかな鎧を積極的に身に付けたいとはあまり思わないだろう。
幸いにして現在の魅狐は露出が少ない部類に入る服装をしていたが、性を意識せずにはいられない容姿や着慣れない衣服は、魅狐に羞恥心を自覚させるには十分だった。
「……次はシステムの確認です!」
魅狐は自らに言い聞かせるようにそう呟くと、メニューの確認作業に移る。
アイテム、ステータス、特技、フレンド、アバター等、ゲームにおいても個人の情報は多岐にわたる。環境が激変した今、その点における変化を観察するのも重要な作業だった。
ゲーム時代に出てきたインベントリやステータスなどのウィンドウは、明確に参照したいと思った瞬間に視界に覆いかぶさるようにして出現するようだった。
結果としてわかったのは、アイテム、ステータス、特技等の完全に個人的な情報には変化が見られないこと、フレンドリストは虫食いのように連絡がつく者、つかない者が居ること、〈ゲーム設定〉などの、画面の前に存在するプレイヤーに関わる機能はそのほとんどが使用不可能であること、などであった。相手がログアウトしていればゲーム内で連絡がつかないのは当然だが、この場合は、この馬鹿げた騒ぎに巻き込まれなかったという方が正しいだろう。厄介なことに、〈ノウアスフィアの開墾〉導入日ということもあって、フレンドリストに載っている名前の内少なくない割合が白く自己主張していた。
そのほとんどは魅狐がレイド集団に属していた頃に得た知己であり、それも解散してからは特に気の合う数人としか連絡は取っていなかったが、その数人の名前も例に違わず半数以上が点灯している。
しかし、この割合は魅狐にある危機感を抱かせるには十分で――
「……!!」
魅狐はその中にある人物の名前を見つけ、思わず絶句した。
「キノワさんっ……!!」
腹の底からひねり出すような声を出す魅狐の脳裏に、ある初心者の少女の言葉が蘇る。
『あの、お忙しかったらすいません……最初って、どうやって進めればいいんですか? すみません、オンラインゲームって初めてで……』
『魅力の魅に、狐でミコさん? よろしく、魅狐さん!』
『うわーっ、ここすっごい綺麗! こんなすごい景色が、ゲームの中にあったんだね!!』
つい最近偶然出会い、そのままここ一週間ほど共に〈エルダー・テイル〉をプレイし続けた、レベル20にも満たない初心者の少女。
その少女の、〈キノワ〉という名前を示す文字の下に示された情報――つまり所在地は、
『わたし、このゲーム始めて良かったって思うよ。ありがと、魅狐さん』
この街の外を示していた。
このゲームのようにフィールドを探索する要素がある場合、必ずそのゲーム内容にはプレイヤーキャラクターが移動できるようなマップ、つまりゾーンが含まれている。そしてそのゾーンは現実でそうするように街や地形、部屋等様々な区域に分けられており、それぞれに地名や所有者名を始めとする情報が記載されているのだ。
そして〈エルダー・テイル〉には、〈戦闘禁止ゾーン〉というものが存在する。その名前の通りそのゾーンの中では戦闘行為が禁止されており、その規則を破った場合には即座に〈衛兵〉と呼ばれる超強力なNPCがやってきて、その圧倒的なパラメータで以ってあっという間に討伐される運命となる。
つまり裏を返せば、〈戦闘禁止ゾーン〉の内側においては敵対的な勢力との衝突は発生し得ないということになる。たとえどれだけ弱くとも、その内部に居る限りはほぼ完全に安全が保証されるのだ。
それが、何故――
(どうしてっ!?)
魅狐は今、最初に降り立った〈アキバの街〉から脱出し、キノワの所在地として記載されていたゾーンを虱潰しに探していた。
街が緑で覆われていたように、木々が茂るこのゾーンは、たとえ昼間であってもかなり視界が悪い。加えて街の周辺のゾーンが街を囲むように展開されているため、東西南北それぞれのゾーンに分けられていても、実際に体感するその面積は想像以上に広かった。そして広いが故に、様々なゾーンへのアクセスが存在する。さらにそこへの侵入資格であるかのように、そのレベル帯に合わせたモンスターが前座として配置されているのだ。中には当然、攻撃的な、つまりプレイヤーを見つけ次第襲ってくるモンスターも居る。
「…………」
しかし魅狐が危惧していたのは、更にその先の可能性だった。
魅狐の脳裏に、〈アキバの街〉で己の身に振りかかる理不尽に対して嘆き、叫んでいたプレイヤーたちの姿が浮かぶ。
〈エルダー・テイル〉は安定した人気を誇るタイトルでもある。それは20年の歴史において、2年と置かず大型アップデートを繰り返してきた実績からも容易に伺える。したがってプレイヤー数も相応に多く、当然その中にはゲーム内での素行が悪い者も、決して少なくない割合が含まれるだろう。
魅狐は統計の分野に明るいわけではないが、多数存在するプレイヤーの中で、大型アップデート適用直後からゲームをスタートした人数の割合は多くはないと考えられる。しかし、どう少なく見積もったところで、この出来事に巻き込まれた人数は万を下回ることはないだろう。そしてその中に、他プレイヤーに対して危害を加えるほどの凶暴性を見せるプレイヤーが、絶対に居ないとは言い切れなかった。
かつ、魅狐が今この状況で他のプレイヤーを襲うならば、確実に50レベル以下のプレイヤーを狙う。
このゲームは、エンドコンテンツをなるべく早く楽しめるようにと、最高レベルである90レベルまでのプレイ時間が比較的短く設計されている。そしてプレイヤーはレベル90までに、ゲームシステムの基本を学び、他のプレイヤーとパーティやギルド、フレンドといった形で交流を持つ。
レベル50という数字が、普段一緒にプレイする相手がおおよそ決定する時期なのだ。理由は必需品アイテムの取得条件や高難度クエストの登場など様々だが、このレベル以前ならば複数のメンバーが固まっていることはあまり無い。
凶行に及ぶプレイヤーが複数でないとは限らないが、考えられる全てのケースにおいて被害者となり得るのは低レベルプレイヤーだ。つまり被害を受ける可能性が一番高い。
現時点では考えるのも馬鹿らしい、マーガリンを塗ったトーストがべっとりと油脂に塗れたその面を下にしないで落ちるくらいの確率だが、魅狐はその可能性を考えずには居られなかった。
リズムを刻むような蹄の音が、焦燥を駆り立てるように鳴り響く。
魅狐は自らの職業である〈召喚術師〉の特技である〈従者召喚:ユニコーン〉を使用してユニコーンを召喚し、足代わりに利用していた。手綱も無いため、駄目で元々くらいの気持ちで召喚したのだが、驚くほど自然に身体が反応して見事にユニコーンを操ることが出来た。
魅狐は視界に浮かぶメニューを操作して、〈方術召喚:ブラウニー〉を使用する。即座に展開した魔法陣から、膝くらいまでの大きさで茶色がかった小人が十体弱出現し、指示を聞く間もなく四方八方に駆け出していった。
魅狐がユニコーンを制止してしばらくすると、放ったブラウニーの内の一匹が戻って来て、導くように元の道を引き返し始めた。魅狐は弾かれたようにユニコーンを飛び降り、ブラウニーを追い越す勢いで走り出した。ゲームのキャラクターである故か、息が切れることがない。
魅狐の頭によぎるのは、キノワが既に刃を濡らす血となっている可能性である。〈エルダー・テイル〉を模したこの世界のルールがどこまで及ぶかは魅狐には解らないが、生き返ろうがそうでなかろうが、最悪の結果となることは容易に想像できた。
今しがた展開したフレンドリストで、未だキノワがこのゾーンに居ることは確認できたが、〈冒険者〉は、死亡してもしばらくはそのゾーンに残留する。故に、キノワがそうなっていないという確証は未だに得られなかった。
ブラウニーが導く道の奥に、魅狐は見覚えのある装備を見つけた。魅狐がキノワと昨日一緒にプレイした時に手に入れた、それなりに性能の良い装備。見たところ、その影は動いていない。
「キノワさん……無事で――」
良かった。そう言おうとした。
唐突に、人影の周囲の木々がまばゆい光に照らされた。
この木々が茂る森林の中で、突如として現れた強烈な光。それが示す意味は――
(くっ――もうどうにでもなれ!)
魅狐が強い衝動とともに瞬間転移魔法〈ブリンク〉を使用しようとすると、突如として魅狐の視界が途絶えた。
「はぁっ!?」
次の瞬間魅狐の狐耳に届いたのは、下手人のものであろう複数の素っ頓狂な声と、放たれた攻撃魔法が自らの身体に直撃する鈍い音だった。
魅狐自身も予想だにしなかった衝撃に、思わずよろめいて倒れ込みそうになるが、装備している杖を支えにして踏みとどまる。
突然射線上に転移してきた魅狐に呆気にとられているPK集団をよそに、魅狐は背後を振り返ってキノワの姿を確認した。
昨日獲得した、青を基調とした巫女装束に身を包み、お守りのように錫杖を抱えているその姿は、見間違いようもなくキノワだと断言できた。キノワの表情もPK達と同じように驚愕に包まれており、しかし親しい相手を見つけたことで歓喜の色も見え隠れしている。
そして前へと向き直ると、これまでの一年間ずっと、話し相手を安心させられるように気を使っていた声音で、キノワに声をかける。
「無事ですか、キノワさん」
「…………うん!」
背後で、安心故かキノワが地面にへたり込む音が聞こえる。
まずは生きていることが確認できたことで、魅狐が胸をなでおろしていると、我に返ったPK達が好戦的な笑みを浮かべて口を開いた。
「おい、邪魔してんじゃねぇよ」
その声に乗せられた殺意と害意に、魅狐の頭が芯から冷える。
キノワを探している最中に、確かにこの可能性を考えはしたが、思考というのはどこまで行っても自らの経験が重なりあってできた虚像でしか無い。故にそこには体感する以上の恐怖を伴うことが無い。いざ対面して、今更のように、腹の底から得体のしれない昆虫が這い上がってくるような不快感が脚を震わせた。
(でも、それじゃ……ダメなんだ)
しかし、ここで付け入る隙を見せれば天秤は傾き、たちまちにしてPK達は勢いを取り戻すだろう。魅狐とキノワは2人だが、PK達は合わせて4人。それも案の定、全員が最高のレベル90だ。見たところ秘宝級や幻想級の装備はしていないが、それでも魅狐の戦闘能力が彼らの内一人の二倍をいくわけではない。今は魅狐の得体の知れなさが、唯一2人の皿に乗せられた分銅であり、状況突破への鍵だった。
魅狐はPK集団の先頭で曲刀を弄ぶ茶髪の〈盗剣士〉を半身になって睨みつけ、精一杯の虚勢を張った。
「この場で邪魔をする以外の選択肢は有ったのでしょうか?」
「はぁ? 隅っこで傍観してろよ、街でたむろってるバカ共みてーによ」
「……それは出来ない相談ですね。私は彼女の保護者です」
「けっ、オネーチャンってか。ウゼェ。いいか、俺たちはなにもかも自由にすんだよ。邪魔すんじゃねぇっての」
「…………」
話の筋が通っていない。茶髪の主張はめちゃくちゃだった。実際彼には、会話をする気などさらさら無いのだろう。今こうして無駄話をしているのは、ただ単に邪魔をされて気が削がれたのと、先ほどの出来事があったからに過ぎない。
しかし茶髪の視線を追ってみると、時折魅狐の方ではなく僅かに別の方向を見ていることがあった。おそらく魅狐のステータスウィンドウを展開していたのだろう。現在魅狐のHPは、〈召喚術師〉という後衛職であるため派手に削られている。茶髪はそれを見て、油断の念を僅かに見せ始めていたのだ。それは他のPK達にも伝わり、既に勝敗が決したかのような空気が醸成される。
「……では、レベル20にも満たない無抵抗の相手を、一撃という言葉すら生ぬるい攻撃で殺そうとするのも、自由であると?」
「…………」
完全にアウトローな行動を起こしておきながら、多少なりとも良心は残っていたのか、茶髪は押し黙る。
魅狐が受けた一撃は、PK達の中の〈妖術師〉が繰り出した〈ライトニング・チャンバー〉と呼ばれる、〈妖術師〉が持つ対単体魔法の中で屈指の威力を誇る雷属性の攻撃魔法だ。現に強力な装備で身を固めた魅狐のHPもごっそりと持って行かれている。更にレベルや装備でブーストされたこの攻撃をキノワが受けていれば、今頃は見るに耐えない状態になっていただろう。
(あれ? おかしいな)
ここで、魅狐は先程使用した〈ブリンク〉について疑問を抱いた。
(まだスキル欄から選んでなかったのに、スキルが発動した……)
現在魅狐の視界には、茶髪を始めとするPK集団4人のステータス以外は余計なものは見えていない。つまり、ゲーム時代には当然のように表示されていたHUDは表示されておらず、所謂パレットと呼ばれるものは使用できない。当然、スキルウィンドウを介してスキルを発動することになり、非常に手間がかかることは想像に難くなかった。否、たとえパレットが使えても、目で見て選ばなければならない以上、手間であることに違いはなかっただろう。
しかしそれが、「使おう」と思っただけで発動した。
PK達が油断しきっている今、機会さえあれば上手く立ちまわって逃げることも出来なくはない。あとはその機会を設けるだけだ。
魅狐はスキル〈マニピュレイター・スタイル〉の効果で、半身になって隠れていた左手で、ユニコーンとブラウニーがそばまで来るように指示を出す。魅狐自身どのようなハンドサインを出したのかは解らないが、何故か身体は勝手に動く。
(……冗談みたいだ)
「うるせぇよ」
反発の言葉は、茶髪からではなかった。
魅狐から見て茶髪の右奥にいた、いかにも神経質そうな魔法職の青年が続ける。
「この世界なら何でも出来るんだよ! 〈冒険者〉はこの世界で一番で、何したっていいんだよ!!」
「……………………そうですか」
魅狐の中で何かが抜け落ちる。
その時、ブラウニー達が一斉に木の枝を震わせて飛び出した。
「んなっ……!」
「うそっ!!」
再び驚愕に包まれるPK集団をよそに、魅狐は〈サーヴァントコンビネーション〉を使用して茶髪と青年の隣の守護戦士を弱体化し、〈エンハンスコード〉によって魔法攻撃力を、〈クローズバースト〉で近接攻撃力を上昇させる。さらにすぐ側まで来ていたユニコーンに乗って、未だブラウニーに気を取られている守護戦士の背後まで瞬間的に移動した。
〈クローズバースト〉によって至近距離の魔法攻撃をせざるを得なくなったが、この場では問題ない。
魅狐はそのまま〈メイジハウリング〉と〈サモニングマスタリー〉で冗談のように火力の跳ね上がった〈ハンティングダンス〉でユニコーンに守護戦士を轢かせ、勢いでもう一人回復職を蹄の餌食にした。緊張感が満ち満ちた通常の戦闘ならばまず用いない、自己強化と隙の大きい攻撃をこれでもかとつぎ込んだ一撃は、一瞬にして守護戦士の男と回復職の女のHPバーを八割方消し飛ばした。
魅狐はユニコーンを制止させて、茶髪と青年の方を見る。まず間違いなく悲惨な有り様になっているであろう足元は、極力視界に入れない。
「うぷっ!」
青年は魅狐の足元を見てすぐに、吐き気をこらえるようにして蹲った。
魅狐は残る茶髪の目を射抜き、溢れる気持ちをぶちまけた。
「なるほど、確かに〈冒険者〉は何をしても良いのでしょう。しかし、あなた方は誰かを陥れた場合――いえ、この際取り繕うのはやめましょう――誰かを殺した場合、あなた方は死を以ってその責任が取れるのですか? そしてその責任を取るべき時、あなた方はそれを受け入れられるのですか?」
「…………ちがう」
「取れるというのであれば、私に止めるつもりはありません。殺し殺され、血で血を洗う争いをお望みなのでしょう。しかし、どうかそれに私達を巻き込むのはやめてください。私達とあなた方の価値観は隔絶しています。棲み分けを図るべきです」
「ちがうっ!!」
茶髪が吠えた。
「ちがうんだ……」
魅狐はその続きを聞くことはなかった。またいつ彼らの気が変わって襲ってくるか解らないし、そもそも彼らとは住む世界が違いすぎて、会話が成立する気がしなかった。
茶髪が「違う」と言ったように、彼らは行き場のない怒りを抱えていただけで、本当に殺人衝動を抱えていたわけではないのだろう。しかし実際にその怒りは強硬な刃となってキノワに襲いかかり、魅狐はそれを退けざるを得なかった。
申し訳程度に〈ファンタズマルヒール〉を負傷者二人にかけると、ユニコーンを駆ってキノワのもとに戻る。
「アキバに、戻りましょう」
「……うん」
極力やさしく声をかけたが、返ってきたのは沈んだ返事だった。理由は聞かずとも明らかだ。
しかしどちらにせよ、まずは拠点となるアキバに戻らなければならない。
魅狐は自身の前にキノワを座らせると、アキバの街に向かってユニコーンを走らせた。
日は、まだ高い。
戦闘に使用されている特技については、「ログ・ホライズンTRPG」から引用しました。〈エンハンスコード〉と〈クローズバースト〉は同タイミングでは使えませんが、PKがすっかり油断していたので使うことが出来た、ということにしています。また、セットアッププロセスからメインプロセスの行動まで一気に出来るわけでもないのですが、スキルウィンドウを介さずにスキルが使用できるというアドバンテージがどれほど大きいかということを考えると、一呼吸でアレくらいは出来るのでは、とも思う次第です。
また、本文中では欠片も要素が見出だせないと思うのですが、魅狐はリアルではMtFの性同一性障害の方ということで書きました。本当に性同一性障害の方からすればちゃんちゃらおかしいと思いますが、どうか生暖かい目で見ていただけると幸いです。
魅狐があの状況で「泣きも喚きも」しなかったのは、どうしたところで本質的な肉体の性別が変わらないことを知っていて、それがあの状況にも当てはまっていたからです。小さい時に、真に性別を変えることは出来ないと悟った彼女は、大きくなってからも自らの心の性と一致する声が出せるように、発声を練習しました。PK集団の皆さんやキノワが彼女と普通に話していたのはそのせいです。ちなみに声質はアルトです。最後にですが、心の声と話し言葉が違うのはロールプレイの一貫です。
これも続きが書ければそうしたかったのですが、〈エルダー・テイル〉で自分の心の性別と一致する体を手に入れれば、それは彼ら、彼女らにとっては福音となるのではないでしょうか。魅狐の場合は、理想の姿は主張の激しい身体でした。
そしてキノワについてですが、彼女は現実では何らかの理由によってあまり外出することが出来ません。原因についてはあまり考えていないのですが、彼女が〈大災害〉後ホイホイと外に出ていったのは、生で見る美しい景色に飢えていたからです。ビル群とか見飽きてます。PK集団の皆さんが彼女の尻を追いかけて行って、あの状況が生まれました。原作ではカナミに似ている感じですね。ちなみに本名は月乃輪さんです。
と言った具合で、本来なら本編中で書くべき要素がてんこ盛りなわけですが、ひとえに私の力量不足です。見苦しい作品を最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。