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「改めて、紹介しよう。こちらが竜人族長老アルヴィレッド・ヴァン・サール殿である。我ら魔族は心より貴殿を歓迎する」
「ただいま紹介に預かった、アルヴィレッドと申す。この交流を機に、我ら竜人族はあなた方魔族とのよりよい発展を強く望む」
兄の言葉を受け、アルヴィ様は竜人族の形式にのっとった挨拶をした。その優雅な所作に、会場内の主に女性から、ほぅっという感嘆の声が上がる。
一方、一部の貴族はアルヴィ様が兄の言葉に対して敬語を使わなかったのがひどくお気に召さなかったらしい。ひそひそと、あまり聞きたくないような言葉が時々聞こえる。そういう連中は総じて、魔族の優位性を疑ってはいないのだ。本当に、どこからその自信と根拠が来るのだろうかと呆れてしまう。
あの二人きりの会話の後、私たちの会話はそう長く続かなかった。気まずい空気もそうだったけれど、なにより会場にすぐついてしまったから。
晩餐会の会場となる広間は、私の部屋からそう遠く離れていない。なぜならこういった場面では、私がホステスを務めることが多いから。兄はまだ妃を娶ってはいないので、必然的にそういう役回りになってしまう。もっとも臣下からは早くお世継ぎを、とせっつかれているらしいけど。
一応、この魔界も世襲制ではある。
ただ兄のように実力で前魔王からその地位を簒奪することもあるので、実力者が現れればその限りではないが。
広間に到着すると、そこにはシスカが待っていた。相変わらずひどく不機嫌そうな様子である。そして私たちが一緒に会場に入る前に、アルヴィ様は彼によって連れ去られてしまった。(言い方に語弊があるけれど、まあ間違ってはいないだろう)
なので誰にも私たちが一緒に来たことを見られてはいない。見られていたら、間違いなく私も注目の的だっただろう。
「妹様」
壁の花になっていた私に声がかかる。物思いにふけっていたら、いつのまにか壇上での兄たちの挨拶は終わっていたらしい。呼ばれた方向に振り向くと、そこにはどっかの貴族の当主が少し赤ら顔で立っていた。
……私、この人苦手なんだよね。
でも私は魔王陛下の妹なので、あからさまな態度は表には出せない。私の態度=兄への評価につながってしまうから。
「どうかなさいました?ケヴィン伯爵様」
「おお、私の名前を覚えておいでくださいましたか。恐縮です。……風の噂に聞いたのですが、妹様は龍の男となにやら仲が良いとか」
「龍の男、ですか?それはアルヴィレッド様のことで?」
「ええ、あやつのことです。何やら親密だったと聞き及んでおりますぞ。どういうおつもりですかな」
ふむ。まず最大級の迎賓に対して「あやつ」などとこの男は自分が言える立場にあると思っているのだろうか?兄でさえ『貴殿』と呼んでいたのに。
そしてもっと問題なのは、この馬鹿げた質問に対する答えをこの男だけでなく、周りの貴族連中も聞き耳を立てていることである。本当に貴族というのはゴシップが好きな生き物だ。
「まず、一つ目。ケヴィン伯爵様はいつの間に兄、魔王陛下よりも立場が上になったのでしょう?」
「え、何を……」
「陛下が最大級の客人と位置付けている御方に対して『あやつ』などとよく言えましたわね」
「そ、それは……っ!!」
「二つ目、まさか私に下された勅命を知らないなどとは……仰いませんわよね?」
「ちょ、勅命ですか?」
「あら知らないのですか?まあ、わたくしも忘れておりましたわ。貴方は臣下として王の間にすら入れぬ者。王のお言葉を直接聞くことなど、できませんものね」
私の言葉に、ケヴィン伯爵の赤ら顔がさらに赤くなるのがわかる。こんな小娘にバカにされて、いい気はしないのだろう。
まったく、青くなるどころか赤くなるって……まさか私よりも偉くなった気でいるのだろうか?腐っても、私は「魔王の妹」なのに。
「陛下を敬えないものと話す言葉はございません。……失礼いたしますわ」
これで聞き耳を立てていたものが、私の声をかけることはないだろう。それと同時に、私がアルヴィ様と仲良くしていたのは兄の勅命だと理解もしたはずだ。
……会場の空気を悪くしたのは悪いとは思うけれど。なんとなくその場に居づらくなって、私はテラスへと足を運んだ。
夜風が火照った頬にあたって気持ちがいい。夜のため、あまり周りは見えないけれど、昼間このテラスから見える風景が私は好きだ。兄が起こしたクーデターの後、長きにわたってこのテラスから見える風景は気持ちのいいものではなかった。
なぜなら、ここは兄が前魔王を討った場所の真上に建てられているのだから。
争いで荒れたこの場所が綺麗になるにはおよそ15年の月日がかかった。内政に関われない私が中心となって、やっと綺麗にしたのだ。とても思い入れがある。
「静かな場所だな」
「!!あ、アルヴィ様」
風が運んでくる、広間の音楽に耳を傾けていると、後ろから声をかけられて。振り向いたらそこには先ほどまで壇上にいたアルヴィ様が飲み物を両手に持って立っていた。その飲み物の片方を私に渡してきたので、仕方なしに受け取ることにする。
「あ、これって」
「ああ酒じゃないぜ。ヒ……フレイヤはこういった席では酒は飲まないんだろう?」
「よく知ってますわね」
「ああ、あのお綺麗な秘書様から聞いた」
そういって広間のほうに目をやったアルヴィ様の視線の先には、仏頂面のシスカが立っていて。こちらをちらちらと気にしている様子がうかがえる。あれは、機嫌を損ねるな、という合図なのだろうか?
……今朝方からの振舞を考えたら、私がここに生きていることが不思議なくらい、アルヴィ様には失礼なことをしている。
うん、黙っておこう、怖いし。
「私はよくホステスの役目もしますから。お酒に呑まれるわけにはいかないんです。それに、お酒ってあんまり美味しいとは思えませんし」
「ふーん、まだ味覚はお子様なのかな」
「な……っ!!!もう、63歳ですわ!」
「年を正確に覚えてるなんてまだまだお子様だな。……俺はもう100を超えたところで年を数えるのをやめた」
見た目はともかく、若くはないと思っていたけれどまさかもう100をとうに超えているとは思わなかった。言動から考えて、せいぜい80前後だと思っていたのに。
「そして普段はすましてる顔なのに、こういった突発的なことがあると顔に出やすいのも欠点だな」
「……そうそうこういったことは起きませんわ」
「でも、これからはわからないぜ。あんたの兄貴は、なにやらとんでもないことをしようとしてるからな」
「え…?」
「俺からはとてもじゃないが言えない。直接聞いてみな。兄妹なんだろう?」
兄妹、そんな言葉が世界中で一番似合わないのが私と魔王陛下だろう。気安く聞けるような関係だとでも思っているのだろうか?……兄とフランクに会話したことなど、兄が即位してから一度もないのに。
「……そのドレス、とても似合ってるな」
「よく私のサイズがわかりましたね」
「魔界に来る前に、あの秘書様にあんたのサイズを聞いたんだ。あんたが俺の世話係になるのは聞いてたし、だったらお礼をしたいって言ったら快く教えてくれたぞ」
「……シスカは何故、私のサイズを……」
「あんたの侍女情報だとか」
その言葉に、私は一気に崩れ落ちる。道理でマールってば、サイズのことを言わないはずだ。じゃあ私の髪と瞳の色に合わせたっていうのは?それもシスカ情報だろうか?
「ちなみにあんたのことは、あの秘書様に聞く前から知ってたんだけどな。とある人からの情報のおかげで」
「……とある人のことはまだお教えしていただけないのですよね?」
「悪いな。自分のことは明かさないでくれっていうのが、あの人の願いだから」
そう言うと、アルヴィ様は脇に飲み物を置き、私の顎をくいっと持ち上げる。見つめられるその視線は、何故か愁いを帯びていて。目を離すことができない。
「その黄金の瞳に、俺は会いたかったんだ」
そう言われると、そっとアルヴィ様の唇が私へと落とされたのだった。