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宮の名前は水晶宮。
その名の通り、水晶で作られた宮である。何人もの魔族がその絶大な魔力で、巨大なひとつの水晶を作り上げ、その中にいくつもの部屋を作ったのだ。中からは外の様子がうかがえるが、外から中の様子は決して伺うことはできない。
また水晶でできてはいるが、魔力の水晶なので何人たりとも傷をつけることはできない。魔界一の魔力をもつ兄が、100人いて初めて傷をつけることができるくらいの強固さを誇る。そういう作りになっている。
権威と防御力を兼ね備えた、まさに鉄壁の城。それがこの水晶宮なのだ。
そんな水晶宮に戻った私は、その足で兄である魔王陛下のもとへと急ぐ。「宮に戻れ」は「顔を見せろ」という意味なのだ。普段は呼ばれることがないだけに、嫌な予感しかしない。私と兄は血は繋がっているが、他人と同じなのだから。
「……失礼いたします、陛下」
王の間を守る近衛兵に近づくと、すぐに謁見の間に通された。そこには相変わらず無表情で書類を読む兄の姿があって。私が来たことを確認すると、書類から目を離しこちらに顔を向けた。
「久しいな」
「……そうですか?」
「私が記憶している限り、そなたと会うのは3か月ぶりだ」
いえ陛下、会うのは1年ぶりです。そう言いたかったのを、抑えて私はうつむく。兄は魔界の王で絶対の存在。その言葉を否定する=死を意味するのだから。
「そなたは今年でいくつになる」
「……60を少し過ぎたところです」
「成人してもう10年……なるほど」
そう言うと兄は長考に入った。こうなると本当に長い。魔族は基本、その寿命に合わせて気が長い種族だ。そして特に兄はその傾向が強く、このまま3日間動かなかったこともある。その間、兄の視界から離れるわけにもいかなかったので、ずっと目を伏せそこに立っていたこともあった。
あれはまさに地獄。食事をとることもない私だから耐えられた。(食事をとらないのでもちろん用を足すこともない)他の者だったら、兄の思考を止め下がっていただろう。己の命と引き換えに。
まあ、そうならないためにシスカがいるのだけれど。
しかしシスカは私のことを嫌っている。他の者の(といっても兄にとって大切で優秀な者という限定的な範囲だが)なら、兄の長考をそれとなく止め助け舟を出す。だけど私のためにはシスカは決して動くことはないのだ。
もう何年もの付き合いがあるのに、数えるほどにしか言葉を交わしていない。だから私の憶測の範囲でしかないけれど、間違ってはいないだろう。
そんなことをつらつらと考えていると、兄は長考をやめ私の再び視線を向けた。そしておもむろに口を開く。
「竜人族の長老が、2の月を超えたころこちらにくる。そなたがもてなせ」
「……御意」
「………そなたはいつも……」
その言葉の続きをいうこともなく、兄は視線で私を謁見の間から下がらせる。
何を言おうとしていたんだろう?
そんな疑問が頭を微かによぎったけれど、私が言葉にすることはない。そして兄も言葉にすることはない。もうそうやって何十年も兄妹を続けているのだから、それが当たり前になってしまった。
謁見の間から下がると、珍しくそこにシスカがいた。その視線はまっすぐに私に向けられる。氷のような冷たい視線。まあここも慣れているので、怯むことはないのだけれど。
「妹様、こちらが竜人族長老の資料です」
「そう」
「気難しい方ですので、機嫌を損ねることなどないように」
損ねたら、死をもって償ってもらいます。
言外にそう言われ、私はこくりと頷く。そして私は謁見の間を離れ、ひとり自室へと歩みを進めた。
そんな私を、シスカが睨み付けるように見つめていることなど知る由もなかった。