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トンボ 7

 庇うと思うならおまえらが一日中窓口に立っていればいいじゃないか。やってみればいい。

 がんばってきた三年を、すべてを否定された気分だった。なにをやったってだめなんだと思い知らされる。

 決してそうではないのだろう。だが。

 真紀子はそうは思わなかったのだ。

 次に気をつければいいという問題ではない。生活がかかっているのだ。貯蓄も少ない真紀子が突然解雇になれば、それは死活問題になる。

 眩暈がする中、八木沢に「気を落とさないで」と声をかけられて「大丈夫です」と笑顔で応じたが、心ではそんなこと微塵も思っていなかった。

 そもそも恵理子を唆したのは真紀子なのだ。嫌味な客がいると、その客の個人情報を眺めていた真紀子に、恵理子が気づいたのである。

「どうしてあんたはいっつも個人情報見てるの?」

「なにかあったらこいつのとこに嫌がらせしてやるの」

 冗談半分。でも、本気も半分。

 まさか恵理子が真似ていて、さらに自分以上のこともしていたとは恐れ入ったほどだ。さすがに盗聴器や録音機器は持ち込んでいない。

 恵理子の通夜で、真紀子は思った。

「あそこに橋あるじゃん? 下は道路で車はびゅんびゅん通ってる。悪いとは思うけどさ、あっさり死にたいからこっから落ちてうまく轢いて欲しいよね」

 そんな真紀子の言葉を恵理子は実行したのだ。本当に橋から飛び降りた。かなり失血していたせいもあって、恵理子は死んだ。

 記憶にない。

 記憶にないことを詰られ、挙句解雇までするぞと脅されたのだ。

 平常心ではいられない。

 当然真紀子は図書館から一歩出た瞬間に鬱状態になり、家に帰って鍵をかけた。外に出たくなかった。人に会いたくなかった。

 玄関に蹲ってうーうーと唸り、それからダッシュで布団にもぐりこんだ。

 何もかもが信じられない。けれど病院にはいかなければ。もしかしたら解決してくれるかもしれない。

「希望は絶望」

「うるさい」

 真紀子は声に反発した。幻聴だ。鬱の幻聴に違いない。

 帽子をかぶった少年は、囁く。

「君はいつも希望を探してる。僕と同じだ」

「うるさいうるさい!」

「今から色んな大人が君のためを思って、それぞれ違うことを言ってくる。どれもが正しいと僕は思うよ」

「?」

「でもマキコ、報われたって、思ったことないでしょ」

 言い当てられて真紀子はさらに唸り声をあげる。

 思ったことなど一度もない。昇給もない。ボーナスもない。図書館員として技術があがるわけじゃない。

 それは確かに、窓口対応はスムーズになったとは思う。けれどそれっていつまで?

 働ける年齢には限界があって、臨時はいつだって解雇にできるのだ。客に喜ばれて報われた? そんなもの、ちっぽけすぎて腹の足しにもならない。

 稼げる金額も多くない。バイトをしてはいけない規則を守っているからこそ生活はかなり切り詰めてすごしていた。

 はっきりと実感したかった。報われたいと。

 涙を流し、嗚咽を洩らすまいと堪える真紀子に、声は囁く。

「予言するよ。君は楽になるだろう。だけど……絶対に納得はしない」



 江口に書類を渡される。尾張真紀子の写真入りの白黒書類だ。

「……次は尾張さんか」

「彼女は手強いから気をつけるんだよ」

 にやにやしながら言う言葉でもないと思う。

 職員駐車場の停車した車の中で、唯月は小さく息を洩らす。平日に唯月は出勤してはならないのだ。だが江口はなぜか頻繁にここに、ここで働いている者たちには内密に来ているし、本来なら学校に通うはずの唯月も付き添っている。

 唯月はあくまでアルバイトで、それは忙しい土日を乗り切るためなのだからここに居るのはおかしいのだ。

「手強いって」

「境遇がすごいんだ。調べたら。

 尾張真紀子。現在は二十六だね。かなりのベテランで、ここも長いけど、大学卒業後に就職した先で鬱になってるね」

「精神疾患」

「そうだね。それからひきこもりもしてたらしいけど、なにかがきっかけてでバイトをするようになった。リハビリみたいなもんか。

 だけど、そこのバイト、一年以上働いても一切給料あがらなかったんだってさ」

「は?」

「店側は、給料をあげたら辞めてしまうとかワケわかんないこと言ってたみたいだけど、要するに体よく彼女を低賃金でこき使ってたわけだ。家も近かったみたいだし、急な休みが入ると代打に彼女をよく呼び出してたらしい」

「それで辞めたのか」

「母親のつてで図書館勤務の空きに入ったみたいなんだ、ちょうど。だけど、その前あたりから、父親に莫大な借金があるのが判明してるね」

「莫大って……返せない額ってことか」

「そういうこと。母親は彼女のクレジットカードも使って返済してたみたいだけど、図書館の給料でもクレジットの支払いが追いつかなくなったみたいだ」

「…………」

 まさか真紀子にそんな事情があるとは思わなかったので、唯月は黙り込んでしまう。

 愛想のない真紀子だが、客に対しては真摯に応じているし、求めてる本もかなり絞り込んで探したりと……かなり良い図書館員と思えるのだが。

「彼女自身追い詰められてたからまたストレスでけっこう体調悪くしてたみたいだけど、おや、一ヶ月休みの時に破産申告してるね」

 書類を見ながら江口は言う。

「行動力は元々ある人みたいなんだよねえ。性格もはっきりしてるし。でも、利用者さんは愛想の悪い真面目な店員よりも、愛想のいいグズの店員のほうがウケがいいんだろうな」

 真紀子はストレートにものを言うので、ないものを「ありません」とはっきり言うが、きっと彼女が必死に探した結果の「ない」なのだ。それで納得しないとは。

「利用者は自分たちを神様かなにかと勘違いしてるからねえ~。低賃金での職業を自分がやってて、それ以上のサービスを客に求められてみなよ? いやだろ、ふつーは」

「まぁ……そうかもしれないが」

「嫌だね、フツーはヤだ。正職員でもないのに、ボーナスでない、賃金増えない、土日もない! そんな職場で『スマイルください』とかバカじゃないのかね」

「おまえ……本当にはっきり言うなあ」

「そもそもこの図書館の方向性が八方美人なんだ。これからよくなっていくわけない。より、悪くなるね。それはさ」

「?」

「利用者と、意思疎通がまったくないからなんだよ」

「どういうことだ?」

「ふつうの商売の真似事してるイメージは、唯月もあるだろ?」

「え? あ、ああ、あの、立って対応とか、挨拶のことか?」

「そうそう。ああいうのさ、ふつーの図書館ではいらないよね。だって客は見たい本だけ見て、そんで借りて返るだけだし。

 交流求めてるじいさんばあさんとかなら、長話してくのもわかるけど、ここは老人ホームとかケアをするところじゃないしね。

 利用者のためをってのが第一なんだけど、じゃあその利用者と彼らは話したことがあるのかな?」

「……ないんじゃないのか」

「ないだろうね。アンケートとかとったらしいけどさ、それって、全体のどれくらいの意見なんだろう。

 利用者の求めるものは個々で違うものだ。だったらビシッと方向性決めて、うちの図書館はこうです! ってやり方しなきゃ、お客さんはまぁ…増えないよね」

 土日のあのアスレチックパークなみの喧騒を思い出して、唯月は「はぁ」と洩らした。江口の言うことはいちいちもっともなのだ。

「地域密着型図書館にするなら、もっと利用者と蜜に関係築かないとね」

「ボランティアの団体は、違うのか?」

「ああ、あれは部屋を貸してるだけだからねぇ。図書館を良くしようなんて思ってないでしょ」

「…………」

「でさ、尾張さんの話に戻るけど、そのあと母親と自己破産をしてるみたいだね。でも、父親はしてない。だから借金は残ってるみたいだ」

「? なんで一緒にしてないんだ?」

「つかんだ情報だと、連帯保証人に迷惑をかけるのを恐れたみたいだねぇ。ばかだね、連帯保証人になった時点で、大人なんだからひっかぶる覚悟しなきゃいけないのにさ」

「……じゃあ尾張さんはまだ借金返済をしてるのか」

「でも、二年前に母親が癌で死んでるね」

「えっ」

「ちょうど一年ほど前に彼女は家を出て、一人暮らししてるね。貯金は、それで使っちゃったかな」

 なにか、あったのだろう。きっと彼女の中で。

 しかしここまで調べるとは……隠密で調査をしている『タカ』のことを考えると唯月は少し不快になる。仕方ないことだとわかっていてもだ。

「そんで、尾張さんは有給使って一週間は休んでるわけか」

「……ああ」

「彼女は鬱が再発したのかもね。家から怖くて出られないんだろ」

「でも、だったら食べ物とかは」

「食欲も落ちてるだろうから、あんまり食べてないだろうし、でもたぶん外には出てるかな」

「?」

「彼女には、苦情メールがきたみたいだから」

「それだけで、鬱に?」

「なるんだよ。八木沢さんは彼女のために言ったみたいだけど、当時の尾張さんは親ともめててストレスがすごかったみたいだし」

「…………」

「今日は出勤してるんだって聞いたから、盗聴器使おうと思って」

「お、まえ……!」

「同じ鬱の職員と話すらしいから、聞いてみようかなって」

「悪趣味だ!」

 唯月はさすがに嫌気がして、車を降りた。

 ドアを乱暴に閉めて外に出る。背後を振り返ると職員で入り口の見える、大きな箱……図書館が見えた。

 江口は毎回言う。

 本を愛しているからなんだよ、と。

 そして本も、彼らを愛しているからだと。

 鈴音に語ったことは本当ではあるが、嘘でもある。

 あの歪んだ空間が……実は『繋がっている』場所だと知ったらどうするのだろう?

 いや、どうもしないか。ただ思う。ここは『バグ』……つまりは、負の感情が強く蔓延している場所だから。

 ささやきに……決して耳を貸さないで欲しいと。



 有給を使って外に出た真紀子は、職場に行くまでに今までの倍以上の力を使った。

 終始緊張していて、粗相をしないようにとしていたが熱っぽかったし、体が思うように動かないし、いいことはあまりなかった。

 家に帰って体温計で熱をみたら、微熱だった。通りでずっとあたたかく感じたわけだ。

 真紀子は鬱になるとすぐに体に不調が出る。熱が出たり、頭痛が発生するのだ。

 やっぱりかと思う真紀子は、帰り際に正職員の、鬱になったことのある人物と話をさせてもらった。

 職員は全員真紀子を心配していたし、気持ちもわかる。

 病院も、いつものところに行っても「乗り越えましょう」とか言うだけ。別の病院にも言ってみたが、「苦情がきても別の部署に移されるだけですよ大丈夫」と無責任なことを言われた。

 いいわけないだろう。

 乗り越える? 方法がわからなくて混乱しているのにどうやってだろうか。

 部署が変わる? 五年以上勤務していてそれはないだろう。そもそも、臨時の空きは少ないのだ。

 その正職員と話したら、真紀子とはタイプの違う鬱だった。真紀子の原因は家にあったので徘徊癖ができ、窓から屋根にのぼって外に出たり、家人の目を盗んで川の土手の誰も来ないようなところで寝転がって空を眺めていたこともあった。

「全然、布団から出られなくなってね」

 真紀子の鬱の友人にもそのタイプはいる。まったく動けなくなるのだ。

 だが真紀子はそういうことはなかった。タイプが違うんだなととりあえず分析はした。真紀子のようなタイプは珍しいのかもしれない。

 徘徊する真紀子のことを心配して母親が家に真紀子を閉じ込めた時期もあったが、その間は家の、家人に見つからない奥の倉庫内をぐるぐると歩き回っていて落ち着くことはなかった。

 真紀子は医者から言われたことや、自分の今までの経緯……自分をすべて否定されたような気分で他人が怖いと職員に言った。

 彼は真面目な顔で応じたのだ。

「それでも尾張さんがきちんとやっていたのを見ている人は必ずいるし、もし苦情がきても、八木沢さんとかだって、きっと理解して庇ってくれるよ」

「そう、ですか?」

「そうですよ。だって窓口にはほかにも職員はいる。誰かが必ず見ている。尾張さんの対応がどうかっていうのか、きっとわかってもらえるよ。

 その時に、尾張さんに非があったかどうかとか、ね」

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